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大阪出張のついでに、お嬢と京都・奈良【その6】京都① <br /><br />朝5時に四条烏丸を出発し、&quot;四条通りを祇園まで街歩き&quot;。お嬢と行く旅行は、朝が早い!

大阪出張のついでに、お嬢と京都・奈良【その6】京都① 5時に四条烏丸を出発し、"四条通りを祇園まで街歩き"。お嬢と行く旅行は、朝が早い!

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2026/04/18 - 2026/04/18

172位(同エリア4419件中)

旅熊 Kokaz

旅熊 Kokazさん

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大阪出張のついでに、お嬢と京都・奈良【その6】京都①

朝5時に四条烏丸を出発し、"四条通りを祇園まで街歩き"。お嬢と行く旅行は、朝が早い!

旅行の満足度
5.0
  • 夜明け前 4時40分、この日の朝食<br /><br />お嬢が前日、宿泊先ホテルの斜め向かいの &quot;進々堂&quot; で調達してくれていたパン!<br />https://www.shinshindo.jp/<br />

    夜明け前 4時40分、この日の朝食

    お嬢が前日、宿泊先ホテルの斜め向かいの "進々堂" で調達してくれていたパン!
    https://www.shinshindo.jp/

    ダイワロイネットホテル京都四条烏丸 宿・ホテル

  • 無人のフロントでチェックアウト完了

    無人のフロントでチェックアウト完了

  • ご近所のコンビニのお土産コーナー

    ご近所のコンビニのお土産コーナー

  • 八坂神社大政所御旅所 寺・神社・教会

  • 大政所御旅所(おおまんどころたびしょ)<br /><br />ここはかって、祇園祭(八坂神社の祭礼)の神典渡御(みこしとぎょ)のとき、三基の神典(みこし)のうち、大政所(素戔嗚尊:すさのおのみこと)神輿と八王子(八柱御子神:やはしらのみこがみ)神輿の二基が安置される場所であった。<br /><br />残る少将井(櫛稲田姫命:くしいなだひめのみこと)神輿は烏丸竹屋町にあった少将井御旅所に渡御していたが、天正十九年(一五九一)に豊臣秀吉により、これら二つの御旅所が四条寺町に移築・統合されて、現在の御旅所となった。<br /><br />天延二年(九七四)に、この地に住んでいた秦助正(はたのすけまさ)が、夢の中で八坂大神の神託を受け、また自完の庭から八坂神社まで蜘蛛が糸を引いているのを見て、朝廷にこのことを奏上した結果、助正の家が御旅所となったという。<br /><br />天文五年(一五三六)に騒乱のため焼失したが、その後に町の人々が小祠を建て、八坂大神を奉祀し、大政所町鎮護の社として毎年七月十六日を例祭日と定めたという。今でも神典還神(みこしかんぎょ)の時には神輿が立ち寄り、神職が拝礼する。<br /><br />京都市<br /><br /><br />Omandokoro Otabisho<br /><br />This was once the site where the mikoshi (portable shrines) for Omandakoro (Susano&#39;o-no-Mikoto) and Hachioji, (Yahashira-no-Mikogam) were kept. <br /><br />These mikoshi are two of a total of three used in the mikoshi procession in the Gion Festival (Yasaka Shrine festival). The third, the mikoshi for Shoshoi (Kushinada-hime-no-Mikoto), was kept at the Shoshoi Otabisho (an otabisho is a resting place for a mikoshi), which Used to be in takeya-cho, Karasuma, but all three otabisho were moved in 1591 by order of Toyotomi Hideyoshi to Shijo-Teramachi, merging them into what is the current one.<br /><br />The otabisho was lost in an uprising, but the community later built a minjature shrine here dedicated to Yasaka Okami, and which became the guardian shrine of Omandokoro-cho. The 16th day of the 7th month each year was set as the annual festival date.<br /><br />Kyoto City

    大政所御旅所(おおまんどころたびしょ)

    ここはかって、祇園祭(八坂神社の祭礼)の神典渡御(みこしとぎょ)のとき、三基の神典(みこし)のうち、大政所(素戔嗚尊:すさのおのみこと)神輿と八王子(八柱御子神:やはしらのみこがみ)神輿の二基が安置される場所であった。

    残る少将井(櫛稲田姫命:くしいなだひめのみこと)神輿は烏丸竹屋町にあった少将井御旅所に渡御していたが、天正十九年(一五九一)に豊臣秀吉により、これら二つの御旅所が四条寺町に移築・統合されて、現在の御旅所となった。

    天延二年(九七四)に、この地に住んでいた秦助正(はたのすけまさ)が、夢の中で八坂大神の神託を受け、また自完の庭から八坂神社まで蜘蛛が糸を引いているのを見て、朝廷にこのことを奏上した結果、助正の家が御旅所となったという。

    天文五年(一五三六)に騒乱のため焼失したが、その後に町の人々が小祠を建て、八坂大神を奉祀し、大政所町鎮護の社として毎年七月十六日を例祭日と定めたという。今でも神典還神(みこしかんぎょ)の時には神輿が立ち寄り、神職が拝礼する。

    京都市


    Omandokoro Otabisho

    This was once the site where the mikoshi (portable shrines) for Omandakoro (Susano'o-no-Mikoto) and Hachioji, (Yahashira-no-Mikogam) were kept.

    These mikoshi are two of a total of three used in the mikoshi procession in the Gion Festival (Yasaka Shrine festival). The third, the mikoshi for Shoshoi (Kushinada-hime-no-Mikoto), was kept at the Shoshoi Otabisho (an otabisho is a resting place for a mikoshi), which Used to be in takeya-cho, Karasuma, but all three otabisho were moved in 1591 by order of Toyotomi Hideyoshi to Shijo-Teramachi, merging them into what is the current one.

    The otabisho was lost in an uprising, but the community later built a minjature shrine here dedicated to Yasaka Okami, and which became the guardian shrine of Omandokoro-cho. The 16th day of the 7th month each year was set as the annual festival date.

    Kyoto City

  • &quot;四条烏丸&quot; 交差点

    "四条烏丸" 交差点

  • 四条通りを東へ

    四条通りを東へ

  • ホテルグランバッハ京都セレクト 宿・ホテル

  • 四条通りは歩道が広い!<br />

    四条通りは歩道が広い!

  • 八坂神社御旅所 名所・史跡

  • 冠者殿社 寺・神社・教会

  • 摂社 冠者殿社(重要文化財)<br /><br />御祭神 素戔嗚尊の荒魂<br />祭日十月二十日 午後二時<br /><br />当社は四条通を東へ真っすぐ進んだ先に所在する、八坂神社の境外摂社で、「官社殿社」と表記されることもあります。御祭神は八坂神社の主祭神でもある素戔嗚尊の荒魂をお知りしています。荒魂とは和魂と対をなすもので、御神霊の穏やかはたらき)を和魂、選しいはたらきを荒魂といいます。<br /><br />当社は室町時代後期に作製された『上杉本洛中洛外図屏風』に「くわじゃとの」の名で描かれており、御旅所がこの地に移転する以前からすでに現在の地にあったとされています。また、かつては烏丸高辻の大政所御旅所、万寿寺高倉(現在の官社殿町)にあったとも伝わります。なお明治四十五年の四条通拡幅に伴い、旧社地より南方に後退しています。<br /><br />十月二十日が冠者殿社の祭日で、これを俗に「誓文払い」といいます。<br /><br />昔の商人は神様に商売ができることへの感謝と、利益を得るための商売上の駆け引きの中で時には他者をくことに対する使いの意識をもっていました。この感謝と憤いの意識により年一回の大安売りをして、お客様に利益を選えする商道徳がしっかり守られていました。この本来の普天払いの精神を生き、毎年十月二十日には商売人は商売製昌を、一般の方々は神様の清き心を起き家内安全で過ごせるよう願って大勢の方が当社に参拝されます。<br /><br />社殿は今和二年十二月二十三日に重要文化財に指定されています。<br /><br />八坂神社

    摂社 冠者殿社(重要文化財)

    御祭神 素戔嗚尊の荒魂
    祭日十月二十日 午後二時

    当社は四条通を東へ真っすぐ進んだ先に所在する、八坂神社の境外摂社で、「官社殿社」と表記されることもあります。御祭神は八坂神社の主祭神でもある素戔嗚尊の荒魂をお知りしています。荒魂とは和魂と対をなすもので、御神霊の穏やかはたらき)を和魂、選しいはたらきを荒魂といいます。

    当社は室町時代後期に作製された『上杉本洛中洛外図屏風』に「くわじゃとの」の名で描かれており、御旅所がこの地に移転する以前からすでに現在の地にあったとされています。また、かつては烏丸高辻の大政所御旅所、万寿寺高倉(現在の官社殿町)にあったとも伝わります。なお明治四十五年の四条通拡幅に伴い、旧社地より南方に後退しています。

    十月二十日が冠者殿社の祭日で、これを俗に「誓文払い」といいます。

    昔の商人は神様に商売ができることへの感謝と、利益を得るための商売上の駆け引きの中で時には他者をくことに対する使いの意識をもっていました。この感謝と憤いの意識により年一回の大安売りをして、お客様に利益を選えする商道徳がしっかり守られていました。この本来の普天払いの精神を生き、毎年十月二十日には商売人は商売製昌を、一般の方々は神様の清き心を起き家内安全で過ごせるよう願って大勢の方が当社に参拝されます。

    社殿は今和二年十二月二十三日に重要文化財に指定されています。

    八坂神社

  • &quot;四条河原町&quot;<br /><br />東山に日が昇る!

    "四条河原町"

    東山に日が昇る!

  • 先斗町 名所・史跡

  • 鴨川 自然・景勝地

  • 東華菜館 本店 グルメ・レストラン

  • 四条大橋 名所・史跡

  • 京都四條 南座 (阿国歌舞伎発祥の地) 名所・史跡

  • 祇園四条駅

  • 清水寺目指して、一駅だけ京阪に乗車<br /><br />(続く・・・)

    清水寺目指して、一駅だけ京阪に乗車

    (続く・・・)

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