2026/03/16 - 2026/03/25
742位(同エリア1461件中)
関連タグ
広島れもんさん
- 広島れもんさんTOP
- 旅行記45冊
- クチコミ11件
- Q&A回答0件
- 43,998アクセス
- フォロワー15人
イタリアへの一人旅9回目の今回は、ナポリからアクセスが大変で何年も迷っていたアルベロベッロとマテーラの2都市に加え、一度ナポリに帰ってからアマルフィとカプリへも行くという盛りだくさんの行程を立てました。ナポリは40年以上前に新婚旅行でヴォメロの丘とポンペイ遺跡に行っただけで街歩きはしていなかったので、“カオス”と呼ばれる旧市街を迷いながら歩きましたが、カポディモンティ美術館とナポリ考古学博物館の二つを訪れたことで街の印象がぐっと変わりました。
3/16 関空夜出発のターキッシュエアラインでイスタンブールへ
3/17 ナポリ着 カポディモンティ美術館とヴォメロの丘へ
3/18 国立考古学博物館とスパッカ・ナポリ
3/19 バーリ経由でアルベロベッロへ
3/20 バーリ経由でマテーラへ
3/21 バーリ旧市街 ナポリへ帰る
3/22 サレルノから船でアマルフィへ
3/23 バスでソレントへ行きカプリへ渡り夕刻フェリーでナポリへ
3/24 ナポリ最終日 イスタンブールへ
3/25 関空着
*横長の写真はクリックすると拡大して見ることができます
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船
- 航空会社
- ターキッシュ エアラインズ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
関西空港には3時間以上前に着いたのですが、30人もいないオンラインチェックイン済みの列が全く動かなくてのろのろで1時間以上。やっとのことで搭乗ゲートに移動して充電ポートでスマホの充電をしていたら、カッコいい青年も充電しに来たんです。”卒業旅行?”と聞いたらなんとクロアチアでサッカーをやっているとかで、大のサッカー好きの私は興味津々。出身高校を教えてくれてどういう経緯でクロエチアへ行ったか説明してくれました。
そのあと搭乗の列でケルンに交換留学でいくという女子大生にも会い、イスタンブールに着いて下りようと思ったらまた女の子に会い、関空でサッカーやってるイケメンくんに会った話したらなんと”席が近くて私も話しました”って。びっくりしていたら通路から出たところに彼が待っていたんです、もちろん彼女をです(笑)
2度目の私はもちろん不慣れ、何度も行き来していると言っていた彼もちょっと自信なくてこっちじゃない?でも保安検査を通ってないよね?とうろうろしながら無事に3人で保安検査場をパスし、出発階へ移動したのでした。 -
ナポリ行きは電光掲示板に出ていたのでケルン行きの搭乗ゲートが出るまで彼女といっしょにいるというふたりと別れましたが、初めての海外でひとりで乗り換えするのはほんとうに不安だと思うのでやさしい人でよかったです(彼はまだセミプロなのでインスタもやっていないと話していましたが、旅行サイトに写真あげていい?と聞いたらOKだったので、後姿を撮らせていただきました。またイスタンブール空港の待ち合いにある充電のコンセントはイタリアで使うCタイプがそのまま使えたので、これも便利でした)
シチリアのカターニャ空港のLCCドバイの窓口でひどい扱いをされてそれ以後ターキッシュに変更したのですが座席も3・4・3から3・3・3になって広く、今回のアメリカのイラン攻撃で中東の空港が使えなくなるという事態がおこりほんとうによかったと思いました。広さの関係かわかりませんが、前回窓側に座った時小柄な私は壁に頭をつけると少し遠い感じで、反対に今回通路側でもそばを歩く人がまったく気になりませんでした。 -
また前回ターキッシュエアラインを利用した時イスタンブール空港のフリーWifiがつながらなくて、オンラインチェックインしたイスタンブールからヴェネチアまでのチケットを発券してもらうために窓口を探して歩いたので、今回はオンラインチェックインしていたのですがEチケットを印刷して持って行きました。
-
イスタンブールまでも2食出たのですが夜中なのと揺れるのが怖いので、ひさしぶりのごはんはクリームパスタを選びました。このマカロニが2つくっついたようなパスタはCaserecceといって南イタリアのパスタのひとつみたいで、アルベロベッロでもいただきました。
-
8:15定刻通りに到着したのですが入国審査でパスポートの読み取りができなくて窓口に呼ばれ4方向から写真を撮られましたが、係りの方に ”Buongiorno" と挨拶したらウインクを返されOKでした(笑)。荷物はすぐに出てきたので30分もかからずに出口に向かいました。
ナポリ観光をする際にアルテカードというお得なカードがありネットにはデジタル版だけとあったのですが、インフォメーションにメールしたら3月から空港出口のインフォメーションで紙のカードも販売すると返事が来てインフォメーションの開く9時を待ったのですが、紙のカードはここにはない、市内の美術館などにあると印刷したものを渡してくれました。アルテカード3日間は最初に入場する3か所が無料のほか、空港シャトル以外の市内の交通機関が無料になるので先に買っておきたかったのですが仕方ありません。anmの自販機で空港シャトルのAlibusのチケットとカポディモンティ美術館へのバスの切符(片道だけ)計2枚を買って外に出ました。 -
Alibusのバス停はこの看板のはるか先にあり探しながら10分くらいかかったと思います。ノンステップバスだったのでスーツケースは持ち込んでお客さんも次々に乗ってきてほぼ満席で出発しましたが、出発して10分も走らないうちに信号で止まったあとエンスト?してしまったんです。運転手さんは女性でいろいろやって営業所へも電話していたのですが、ハンドブレーキを完全に下ろしていないのか出そうになっては止まるを繰り返し、なんとか走り出しました。
シャトルバスは中央駅にも止まるので地下鉄のトレド駅に近いホテルに行くには中央駅で降りてもよかったのですが(ほとんどの方が下りていました・・・)、終点がヌオーヴォ城の裏手とありどんなところか見たくてそのまま乗って、途中工事をしているところがありUターンしたりしてヌオーヴォ城も何も見えない広場で止まってしまったんです。私が降りたかったのは”Naples Martime Station"、下りたのは" Immacolatella Vecchia"、かなり離れていましたがヴォメロ丘が見えたので15分くらい歩けば着くだろうくらいに思っていました・・・。 -
が、ナポリの道は緩やかな坂道で石畳み、おまけに碁盤目のようにまっすぐではなく、自分がどこにいるかわからなくなってトレド通りに出てからひたすら北に向かって歩いたのですが、地下鉄のDante駅近くになって行き過ぎたことに気づき後戻りして途中の靴屋さんがGooglemapで確認してくれてやっとのことでホテルにたどり着きました。
BSの ”チョイ住み”で大久保嘉人さんと金子大地さんがトレド通りからスペイン地区に入ったアパートメントに宿泊されていたいたので、このあたりかな?と途中でパチリ(笑) -
ここがバスを下りて50分近くかかって着いた ”プリンチペ・ナッポリターモ”の入っている建物、トレド通りに面していて有名なカフェも入っていて通っていたら気づきそうなんですが・・・。アーチ形の入り口から中庭に入りエレベーターで2階に上がるとフロントがあり荷物を預けました。
-
かなり疲れていたので下のカフェ ”AUGUSTUS” でエスプレッソをいただき、美術館行きのバス停があるDante広場方向へ歩き出しました。
イタリアのカフェでは最初にレジで支払いをしてそのレシートをカウンターに出すというやり方で、ここではレジの後ろにメニュー表がありました。 -
トレド通りから西側の丘の斜面に広がる町はスペイン地区といい、16世紀にナポリを支配したトレド将軍が激増した人口問題を解決するために建てた住宅が今も残っていて、ナポリらしい風情の残る場所と言われています。
事前に調べた時はDante広場手前の ”Sant'anna Dei Lombardi” から168のバスでカポディモンティ美術館裏手のバス停 ”Porta Piccola” まで行くつもりだったのですがなかなか来なくて、そのうちに204のバスが来てバスを待っていた人たちが ”美術館へ行くならこのバスだよ”と教えてくれたんです。バスはカポディモンティの丘に向って上っていき ”Capodimonte” というバス停で下りると、そこからは坂道が待っていました・・・。でもあとで地図をよく見ると美術館の敷地が広く、裏門から入るとかなり歩くことになったと思うのでみなさんの言うとおりに乗ってよかったです。 -
朝の雨が嘘のような快晴になり、”Porta Grande” から入って美術館の入り口に向かうと授業なのか学生さんがたくさんいました。
国立カポディモンティ美術館は1735年にナポリ王になったスペインブルボン家のカルロ3世が、母親のエリザベッタ・ファルネーゼから受け継いだ美術コレクションを収蔵するために建てた宮殿にあり、母方の先祖である教皇パウルス3世がローマで始めた絵画コレクションがもとになっています。
またこの美術館は水曜がお休みでもう一つのナポリ考古学博物館が火曜がお休みのため、ナポリの滞在は火曜と水曜に決め着いた日にここに来ることになりました。 -
チケット売り場でアルテカードが欲しいというと、やはりデジタルだけという返事・・・。3か所無料で27ユーロはすごくお得だったのですが、こうなったら立ち寄る場所を少なくするしかないと切り替えることにしました(中庭にはカフェも併設されていました)
この美術館にある主要な作品は地球の歩き方 ”南イタリアとシチリア”で調べ館内図と作品のコピーもノートに貼っていたのですが、2階(イタリア表記では1階)に上がってすぐの部屋にあるはずのティツィアーノの ”パオロ3世と孫たち” がない・・・。ちょっとパニックになりましたが落ち着いて移動すると他の作品は見ることができました。 -
作品は年代順に並んでいて、次の部屋にはルネサンスの先駆けとなったマザッチョとマゾリーノの作品がありました。中央にあるのはマゾリーノの ”サンタ・マリア・マッジョーレ聖堂の建立” 1423年~28年頃。なお絵画の説明はWikipediaを参照しています。
-
マゾリーノ ”聖母被昇天” 1428年
マゾリーノもルネサンス黎明期の画家として有名ですが、マザッチョより20歳以上年上で画家としてのスタート時期の影響か平面的な国際ゴシック様式が色濃く残っています -
マザッチョ ”磔刑図” 1426年
中世のゴシック様式をとどめているマゾリーノに対しマザッチョは写実的な人物表現や遠近法など、初期ルネサンスの画風を確立しました。この絵はピサの教会の礼拝堂のために描かれた多翼祭壇画の20枚以上のパネルのうちのひとつで、キリストの肉体の描き方や嘆き悲しむ人々の表現など、これまでのゴシックと大きく違っているのがわかります。
マゾリーノとマザッチョが手掛けたフィレンツエのカルミネ教会のブランカッチ礼拝堂にはフィレンツェ中の画家たちが勉強のため押し寄せたそうですが、私が訪れた時には修復中で見られませんでした・・・ -
ボッティチェリ ”聖母子と天使たち” 1468年頃
ボッティチェリの修業時代、ヴェロッキオの影響を受けたころの作品
絵画は1部屋に10点近くありそれをひとつずつあるいは音声ガイドにしたがって見て行ってもかなり時間がかかると思ったので、主に地球の歩き方に紹介されている絵を見て回りました。またこの階は部屋が連なっていたのでわりと見やすいと感じました。 -
フィリッピーノ・リッピ ”洗礼者聖ヨハネと聖アンデレのいる受胎告知” 1485年
フィリピーノ・リッピはマゾリーノとマザッチョ(28年死去)が未完で残したブランカッチ礼拝堂の壁画の仕事を1480年に引き受け84年に完成させた画家です -
セバスティアーノ・デル・ピオンボ ”フルートを持つ男” 1508年頃
デル・ピオンボはヴェネチア派の画家で、ベッリーニの工房でティツィアーノやジョルジョーネと学びました。ぼかし方がジョルジョーネに似ている?この男性自体が魅力的です(笑) -
ジョヴァンニ・ベッリーニ ”キリストの変容” 1487年頃
ルネサンス期にヴェネチアで発展したヴェネチア派の巨匠で、1480年頃から新しい技法である油彩を用いたことで、柔和な表現や華麗な色彩を持つヴェネツィア派独自の画風を確立しました。キリストが白く光り輝く姿を弟子たちに示しこれから受ける苦難に際して信仰し続けるようこの奇蹟を行ったというこの絵は、前半の中ではいちばん胸を打ちました。ジョヴァンニ・ベッリーニの絵はヴェネチアの教会や美術館にたくさんあり、1度見ると忘れられないくらい素晴らしいのでヴェネチアの教会でご覧になることをおすすめします。
今になって気づいたのですが、横長の絵画はスマホを横にして撮ればクリックして拡大して見れたのに・・・ -
ラファエロ ”ファルネーゼ枢機卿” 1510年頃
アレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿(のちの教皇パウルス3世)によりラファエロのローマ時代初期に委嘱されたもの。ユリウス2世の招きでローマに出たラファエロは、1509年から10年にかけてヴァチカン宮殿の専用図書室”ラファエロの間”のフレスコ壁画制作にかかっていたのでそのころの作品 -
ティツィアーノ ”若い女性の肖像”
ティツィアーノはジョヴァンニ・ベッリーニ、ティントレットと並ぶヴェネチア派の巨匠で、ベッリーニの工房へ入りジョルジョーネなどと研鑽を積み彼らが亡くなった後はヴェネチア派の第1人者としてたくさんの作品を手がけました。その後スペイン国王カルロス1世やその息子フェリペ2世の寵愛を受けるようになり、晩年をスペインで過ごしたそうです。
この絵は娘ラヴィニアを描いたもの。彼はキャリア初期から様々な階級の人々の肖像画を描いていて、モデルの特徴をつかみその表情を描ききることが非常に上手く、フィレンツエのウフィツイ美術館やパラティーナ美術館にもいくつか残っていて魅了されます。 -
ティツィアーノ ”カルロス1世”
スペイン王カルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)はイタリア王カルロ5世を兼ねヨーロッパ最大の勢力を持っていましたが、ヨーロッパ各地を転戦したことで体調を崩しそれぞれを子に譲り退位したそうです。これはカール5世が若い頃の肖像画ですが、ティツィアーノは彼の個人的な友人で晩年には騎馬像も描いています。 -
順路を行くと、甲冑や武器が並ぶ部屋にきました
-
次は陶器の間。ヨーロッパの様々な窯の作品が並ぶ中、中国の陶器がありましたがそん色ないです
-
イチオシ
ブリューゲル ”盲者の寓話” 1568年
今のベルギー、フランドル地方では毛織物業が栄え芸術家のパトロンとなったことから、14世紀末から15世紀にかけて油絵技法に改良を加え写実的に描くルネサンスが起きました。そして16世紀に現れたブリューゲルは豊かな農民生活など庶民の暮らしに題材を求め、風景画にも大きな影響を与えました。
この絵は当時吹き荒れていた宗教改革を揶揄したもので、”盲人が盲人の案内をしたら2人とも穴に落ちてしまう”というマタイによる福音書にある寓話をもとにしていて、偽りの指導者に導かれ真の宗教 (カトリック) に盲目になった民衆たちが描かれています(クリックすると細部まで見ることができます)。 -
ブリューゲル ”人間嫌い” 1568年
彼の行く手には鉄菱がまかれ、後ろにはスリをしようとする少年が描かれています。ブリューゲルの版画 ”人間嫌い” は、”この世が不実だからこのような人(人間嫌い)は喪に服す。多くの人は少しも正義や道理を顧みず、真にあるべき姿で生きる者は今やほとんどいない。だれもが奪い合い、引っ張り合い、偽善の習慣にどっぷり浸かっている”という意味を持っているそうです。
農民の生活を描いた作品と比べこの2点はシュールで、その時代が描かせた絵なのでしょう。 -
アゴスティーノ・カラッチ ”毛むくじゃらのアリゴ,狂ったピエトロと小さなアモン” 1598年頃
絵のモデルとなった3人はパルマ公国の宮廷のエンターテイメント的存在であった多毛症のアリゴと狂った言動を期待される道化師ピエトロ、小人症のアモンで、この絵は”変身物語”をテーマに配置されたローマの宮殿内にあり、3人は動物に近い存在として描かれたそうです。今なら問題になりそうな絵ですね・・・。アゴスティーノ・カラッチはローマのポポロ教会のチェラージ礼拝堂の祭壇画”聖母被昇天”を描いたアンニーバレ・カラッチのお兄さんです。
2階の主な絵は見たと思うのに肝心の”パウルス3世”もないし、見落としたかと思って係りの方に”この絵はどこにありますか?”とノートに貼った絵を見せたところ、”エレベーターで3階に上がって”と。イタリア表記の3階に着くと暗いけど大きな部屋があり、なんとそこにティツィアーノの作品をはじめ著名なものばかりが飾ってあったのです。 -
イチオシ
ティツィアーノ ”パウルス3世” 1543年
この部屋に入っていちばんに見たのはやはりこの絵でした。このファルネーゼ・コレクションの生みの親ともいうべき教皇パウルス3世の肖像画、ティツィアーノがフェラーラでパウルス3世に出会った際に制作されたものです。肖像画の名手ティツィアーノは ”モデルの特徴をつかみその表情を描ききることが非常に上手” であり、この絵は内面まで描いているように映りました。 -
ティツィアーノ ”パウルス3世と孫たち” 1546年頃
ティツィアーノがローマを訪問していた1545年から1546年の間にファルネーゼ家によって委嘱されたもので、教皇パウルス3世と孫のオッターヴィオ、アレッサンドロが描かれています。1534年66才で教皇になったパウルス3世は孫のアレッサンドロを枢機卿に任命し後継者として教皇を継がせようとしますが、その頃勢力を拡大していた神聖ローマ皇帝カール5世が優位に立ったためかないませんでした。ティツィアーノはこの状況に気づき絵画を完成させる前に放棄したため、この絵は未完のままファルネーゼ家の地下室で眠っていたそうです。
すでに枢機卿となっていたアレッサンドロと、カール5世の娘と結婚して地位を築いていくオッターヴィオ、その間にいるパウルス3世の微妙な関係がわかるようです。 -
部屋が暗くなかなかきれいに撮れませんでした・・・
-
ティツィアーノ ”アレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿” 1548年頃
”パウルス3世と孫たち”の右隣にあったアレッサンドロの肖像画。ティツィアーノに接触して1545年から1546年までローマに滞在させ”教皇パウルス3世とその孫たち”を制作させたものの、報酬を先送りするなどティツィアーノを騙した形になり、その後ティツィアーノはローマを去り以後2度とローマを再訪することは無かったそうです。おとなしそうな人に見えますが・・・ -
マンテーニャ ”ルドヴィーコ・ゴンザーガ” 1470年
パドヴァ出身のマンテーニャは1450年20歳の頃にすでにマントヴァへ移り、1460年以降はマントヴァ侯ゴンザーガ家の宮廷画家として過ごしました。ドゥカーレ宮殿の ”夫婦の間”にあるだまし絵の天井画が有名ですが、宮殿自体がものすごく広いらしいので行けていません・・・。ちっちゃくても雰囲気のある絵です。 -
ロレンツォ・ロット ”ベルナルド・デ・ロッシ司教” 1505年
ロットがトレヴィーゾにいた頃の作品で、手に持っているのはその2年前に何らかの陰謀を企てようとしたロッシを殺害しようとした者に対する召喚文ではないかと言われています。この絵の注文主であるロッシ司教はその後パルマに逃れ、この絵はファルネーゼ家のコレクションに入りました。 -
イチオシ
ティツィアーノ ”悔悛するマグダラのマリア” 1550年頃
マグダラのマリアはイエスと出会って娼婦であったことを悔悛しのちに聖女となった女性で、そばにはイエスの体を清めた香油の壺が置かれ香油をぬぐったとされる長い髪がきれいした。1530年頃描かれたフィレンツエのパラティーナ美術館のマグダラのマリアより、清楚で美しいと思いました。 -
イチオシ
パルミジャニーノ ”アンテア” 1535年頃
マニエリスムの画家パルミジャニーノの作品の中でもいちばんミステリアスな作品で、ここで見たかった絵のひとつでした。アンテアはローマの有名な遊女であるとか彼の最愛の人物であるとか地位と教養のある家柄の出であるとか様々な憶測が語られていますが、彼がもっとも影響を受けたとされるラファエロは最愛の人を何度も描いているので、最愛の人であって欲しいと思いました。このきっとした表情、ほんとうに美しいです。 -
堂々とした美女ふたりです
-
イチオシ
ティツィアーノ ”ダナエ” 1544~46年
オウィディウスの変身物語で知られているギリシャ神話に登場する美貌の王女で、幽閉されていたのにも関わらず黄金の雨に化身したゼウスに誘惑されゼウスの子を身ごもってしまうという話の主人公。カポディモンティにある ”ダナエ” は5点のうちいちばん最初に描かれた作品(120㎝×172㎝)
何点も描いたのはルネサンス後期には宗教画や肖像画と並んで神話画が高く評価されていてフェリペ2世など王侯貴族から注文が相次いだことと、”ダナエ”は美だけでなく欲望や神性などテーマが複数あり、ティツィアーノ自身が自分の芸術性を高めるために描いたためと思われますが、この”ダナエ”は美を前面にだした美しい作品で、クリックして拡大すると黄金の雨がよりはっきり見えます。 -
カラッチ ”岐路に立つヘラクレス” 1596年
アンニーバレ・カラッチはバロック期の画家でローマでファルネーゼ宮殿内の部屋の天井装飾のために本作を依頼されました(167cm×237cm)
若いヘラクレスが道を歩いていて2つに分かれているところに来たところ、彼の左手にいた”悪徳”の女性は喜びと快楽の安楽な道に誘い、右手にいた質素な身なりの”美徳”の女性はごつごつした地面に立ち険しい岩山の頂上を指さしていて、ヘラクレスは一瞬快楽の道に心惹かれますがやがて思い直して苦難と栄光の道を選択するという”ヘラクレスの選択”をあらわしたもの。
彼は1600年、ローマのポポロ教会のチェラージ礼拝堂に”聖母被昇天”を描きカラヴァッジョの2点の絵とともにローマ市民に衝撃を与えました。ともにバロック期の画家でありながら描き方が全く違う2人の絵がここで見られるとは思わなかった、感動でした・・・。 -
イチオシ
カラヴァッジョ ”キリストの笞打ち” 1607年
ローマ時代後期、画家として絶頂期を迎えたカラヴァッジョでしたが、その粗暴な性格は変わらず1606年故意ではなかったものの一人の若者を殺してしまい、ナポリに逃れることになります。しかしその名声はナポリまで届いていたため、ピオ・モンテ・ミゼリコルディア教会からの依頼で ”慈悲の7つの行い” を完成させたところその絵が評判を呼び、この絵の注文を受けることになりました。しかしカラヴァッジョはナポリに長居せず、マルタ騎士団長の誘いでマルタへその後はシチリアへ渡り、ローマ教皇の許しを得るためまたナポリに戻ることになったのです。そして最後の作品となった ”聖ウルスラの殉教”を描きローマへ向かう途中病に倒れてしまいました。
劇的な光の用い方や明暗表現、暴力性はナポリの画家たちに衝撃を与え、ナポリ派の画家たちに大きな影響をあたえたそうです。 -
この絵は286cm×213cmと大きく、暗い部屋で余計にキリストの白い体が浮かび上がっていました。罪を犯した自分と罪を犯していないのに鞭打ちにあうキリスト、どんな感情で描いたのでしょう・・・。
-
アンディ・ウォーホル ”ヴェスービオ火山”
アメリカの画家であり版画家でポップなポスターなど多岐にわたる作品を残しているアンディ・ウォーホルのシルクスクリーンの作品。ヴェスービオ山が最後に噴火したのは1944年なのでウォーホールに強い印象を与えたのかもしれませんね。
ここは絵画館のほかに宮殿だった頃の居室も見学できるのですが、ロココ調があまり好きではないので最初から予定には入れていませんでした。それでも宗教画があったはずのイタリア表記の2階には行っていないので、次に来たらもっとゆっくり回りたいと思いました。 -
エレベーターで地上階に下りると地階にも何かの展示があるようで案内されそうになったのですが、予定より1時間押していてお昼をかなり過ぎていたので辞退すると ”いい景色だから”と出入口とは逆の建物の南側へ連れていかれました。広い前庭を行くと広がっていたのがこの景色。生け垣があってすべては見えなかったのですが遠くにナポリ湾そしてその先にはカプリ島がかすかに浮かんでいました。
-
右方向に目をやると ”ヴォメロの丘”、サンテルモ城が堂々とそびえていました。ちょうどここにベンチがあって上に立てばもっとよく見えるだろうと靴のまま上がったら、ピーピーと笛を吹かれてしまいました。実は宮殿の全景を撮ろうと入り口手前で芝生に入った時も吹かれたので、マナー違反でした・・・。
-
南国らしいヤシの木と宮殿の建物、白く小さく見えるのは噴水です。
帰りは ”Porta Grande” から出てまずタバッキを探しました。アルテカードを買う予定でバスのチケットは片道分しか買っていなかったからです。ですがタバッキがあっても閉まってる・・・。仕方なく門を出てすぐのバス停 ”Capodimonte” で待っていると ”Dante” 行きのC63が来たので運転手さんにチケットを買えないか聞いたのですが、首を横に振られたので次に買うときに余分に買おうと決めて乗ることにしました。
カポディモンティの丘周辺はわりと落ち着いた住宅街でしたが、下っていくにつれカオスという言葉がわかるような雑多な建物が並んでいてパレルモの下町のような雰囲気・・・。下りは20分もかからず ”Dante” に着きました。 -
”Osteria da Carmele"
Dante 近くのレストランを調べた時にGooglemapで評価が高かったこちらのお店、バス停からすぐなのも魅力でした。お店はそんなに広くなくお客さんもまばらだったので、ベテランのボーイさんが一人で対応されていました。 -
注文したのは ”Paccheri al Baccalà”、バッカラ(塩漬けのタラ)が大好きなので迷いませんでした。パッケリは大きく太いのでナイフを使っていただきますが、トマト味のバッカラのソースがめっちゃ美味しくて、ボーイさんに ”Molto Bouno!" と言うととてもうれしそうでした。そしてお店は満員にはなりませんでしたが、常連さんと旅行者が次々に来られて人気ぶりがわかりました。
-
ナポリはこの2日と最終日の半日があるのでお天気によってススケジュールを変えようと思っていて、この日は晴れたのでこの後ヴォメロの丘に行くことにしました。そしてその前にDante広場にあるバール ”MEXICO” へ。
このバール、地元の人たちに愛されているバールで、アキラさんが ”ユーロヴェロ マルタ~フィレンツエ” で立ち寄られていたんです。そして個人的にナポリに来た時にも寄られていてみなさんと写した写真を見せておられたので、私はその番組を動画で撮ってきたのでした。
そしたらなんという奇跡でしょうか、番組に出ていらした3人さんがお元気でお店に立っておられたのです!当時はコロナのためマスクをしておられましたが、動画を見せるとすごく喜んでくださいました。もし興味があればGooglemapでレビューを見てみてください(笑) -
イチオシ
F2線のモンテサントのフニコラーレ乗り場までの道は車も少なく静かな界隈、サン・テルモ城も見えますね。
-
フニコラーレの駅はけっこう大きかったのですが、チケットはお土産屋さんのようなところで売っているみたいで私も並んだのですが列が進まなくて、入り口右付近にあったanmの窓口に行くと簡単に購入できました(おまけにイケメンのお兄さん)。片道1.3ユーロで往復買ったのですが、入り口の機械の反応が悪く係りの方が来て全員乗ることができました。
-
のどかな春の街、マンションのような建物も結構ありました
-
”Morghen” 駅について調べていた道を進みます。私はホテルのフリーWifiでしかスマホを使わないので地図は印刷して持って歩いているのですが、 調べている時にサンマルティーノ美術館前の広場にCity Viewとあり、サン・テルモ城は有料なのでまずそちらに行ってみることにしたのです。途中でサンテルモ城の入り口がありそこに入る人もいましたが、大半は崖沿いの道を進んでいました。
-
イチオシ
そして見えてきたのがこの景色です!春霞のようなお天気だったのではっきりくっきりとはいきませんでしたが、それでもヴェスービオ山がきれいに見えナポリ港に止まっている大型旅客船もいる、上を見上げればサン・テルモ城の城郭が見えたので手前にある建物など見えないのかもしれないけど十分でした。
ナポリはカンパニア州の州都でローマ、ミラノに次ぐ第3の都市で、ナポリ湾に面した港湾都市です。古代ギリシャ人によって建設された植民都市に起源を持ち、その後ローマの支配下におかれた時代には温暖な気候と風光明媚な自然から歴代皇帝の避暑地になりました。ビザンチンの時代を経て13世紀以降はナポリ公国の首都として南イタリアの政治・経済の中心地となっていきました。
ゲーテの”ナポリを見て死ね”とはヴェスヴィオ山を臨むここからの景色を言ったもので、あの時代はもっと素朴な美しさだったのでしょう。 -
丘に向けて住宅街が広がっていますが、右端にくっきり見えるのは旧市街を東西に走っている ”スパッカナポリ” 。旧市街地は ”ナポリ歴史地区” として世界遺産に登録されています。
-
この場所を知っている人はけっこういて、景色を眺めながらのんびりしていました
-
帰りはF3線で ”Augusteo”へ下りたかったの”Morghen” まで戻りFunicolare Centrale駅へ向かったのですが、途中で道がわからなくなり何度も尋ねてようやくたどり着きました。瀟洒なフニコラーレの駅、上は一般の住居みたいです。
-
この線は途中はトンネルで景色もあまり見えませんでした・・・
-
”Augusteo” の駅も堂々とした建物、出たところにあるお土産物屋さんでナポリの絵葉書を何枚か買い、少し肌寒くなってきたのでホテルにダウンを取りに帰りました。
トレド通りのホテルにしたのはこういうふうに観光の途中に帰ることができるからで、ここから5分もかからなかったのでほんとうに助かりました。 -
チェックインを済ませスーツケースをもらって部屋に行くと、エコノミーダブルのお部屋はベッドも広く使いやすい感じです
-
シャワーブースも狭くはなかったです
-
洋服だけ出してハンガーにかけ下に下りたら、なんとさっきは開いていた門が閉まってる!フロントまで戻ろうかと思いましたが、”AUGUSTUS” の裏口から入ってお店の方に聞くと、午前中寄った時にいらしたおじさまが付いてきてくれて ”この赤いボタンを押すと開くよ”、じゃあ帰る時は?と聞くと外に出てインターフォンを押すようにと言われました(そういえばフロントの方はPCで防犯カメラを見ていたわ)。お礼を言うと私に気づいて、”ここに泊っているのか”って(笑)。
アジア人はあまり歓迎されないので何とも思わなかったのですが、そういえば対応がすこし冷たかったかも -
予定ではこの後王宮前のプレビシート広場からサンタ・ルチア通りへ出て卵城が見えるあたりまで行きたかったのですが、かなりかかりそうだったのでキアイア通りを通ってお目当てのお店に行くことにしました。
その前にトレド通り沿いにある”ウンボルト1世のガッレリア”に寄りました。このアーケードは1887年から90年にかけて建設されたもので高さが57mもあり、ブランドショップが並び堂々とした風情でした。 -
中央部のクーポラの下にはモザイク画で描かれた星座の装飾があり、自分の星座の上で写真を撮るのが定番の写真スポットとなっているそうです。男の子たちが動かないので全部は見れなかったけど、これはおうし座?
-
ガッレリアから南方面に出ると ”サン・カルロ劇場” の正面に出ました。
サン・カルロ劇場は1737年に創設された世界最古のオペラハウスで、ミラノのスカラ座、ヴェネチアのフェニーチェ座と並ぶイタリア三代オペラハウスです。18世紀にナポリ派と呼ばれるオペラが人気となり、この歌劇場が建設されました。当時ナポリを支配していたスペインのブルボン家のカルロ7世の名にあやかり、サン・カルロ劇場と命名されたそうです。
イタリアに何度も行きながら、時差ボケで開演時間の頃には起きていられないことなどからまだ一度も見たことがないのですが、今回はガイドツアーだけでも体験したいと思っていました。 -
プレビシート広場手前にあるカフェ ”Gambrinus” の手前の通りがキアイア通りで、この通りもブティックが並ぶショッピングスポットですが、通りから入る庶民的なエリアにはトラットリアなどが並んでいました。
-
キアイア通りを抜けてマルティーレ広場に着きました。中央には18世紀後半から19世紀半ばにかけてブルボン家の支配に対し戦った殉死者の記念碑が建っていますが、雲行きが怪しくなってきました・・・。
この先に ”SSC NAPOLI” のオフィシャルストアがありサッカー好きな友人と孫へのお土産のTシャツを探しに行ったのですが、オフィシャルというのは名ばかりで品ぞろえが少なく孫の白Tを買ったのみ。仕方なくキアイア通りにあったお店へ。 -
”NAPOLI FANSHOP”
お店に入ると商品であふれていましたが、最新の商品は並んでなくてアウトレットのような感じ?それでもTシャツコーナーに今シーズンから加入しているベルギー代表のデ・ブライネ選手のものがあり、Lサイズは売り切れていたので仕方なくXLと1枚だけ残っていたMも購入しました!
安堵してお店を出たらとうとう雨が降りだしていました。 -
この通りの先にあるレストランに行く予定でしたが、あと1時間以上もぶらつく元気はなかった・・・
-
ナポリの街にはピッザやパニーニなどテイクアウトのお店がとても多く、そしてこの物価高(ナポリも旅行者も同じに違いありません)。若者だけでなくたくさんの人が利用していたので、お客さんも多くお店も有名な ”Zia Sorbillo”の揚げピザを夕食にすることにしました。
店内で料金を支払って目の前で揚げるのを見ていたらお店の責任者の方がバイトの人を叱り始め延々と続いたので写真も撮れず、熱々を受け取って外にある小さなテーブルで食べようかと思っていたら雨脚が強くなり、食べかけを持ったままホテルへ急ぎました。 -
フロントの若い女性に、”今日の晩御飯”と揚げピッザを見せたらGood!と言ってもらえ、部屋に帰ってまだ温かいピッザをいただきました。柔らかいピザ生地にトマトソースを塗ってチーズとベーコンをトッピングして包んで揚げた ”Pizza Fritto”は、早い晩御飯にじゅうぶんなボリュームがあったのですが食べる端からチーズが出てきてそれだけが困りました。
-
孫に買ったTシャツ、子供用のいい柄がなくこれは大人用のXSとSサイズ
-
こちらがデ・ブライネのTシャツ。秋冬用で生地がすこし厚めでした。
6時前にはもうホテルに帰っていたので荷物を片付けてシャワーを浴び、肌着だけお洗濯をして大きなバスタオルで水分をとり部屋のあちこちに干すともうすることがなくなったのですが、8時過ぎに寝るわけにはいかないので翌日の天気を調べて予定を組みなおしたり、サッカーの動画を見たりしてなんとか9時過ぎまでは起きていました。翌日はまた地元サンフレッチェのチケット発売が4時から(サマータイムではないので8時間の時差・・・)あるので、3時半にアラームをかけてやっと眠りにつきました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
ナポリから南イタリアの街へ
-
前の旅行記
ナポリから南イタリアの街へ 4日目はあこがれのマテーラへ
2026/02/14~
マテーラ
-
次の旅行記
ナポリから南イタリアの街へ 2日目は”アトラス”のいる博物館からスパッカナポリへ
2026/03/16~
ナポリ
-
ナポリから南イタリアの街へ 4日目はあこがれのマテーラへ
2026/02/14~
マテーラ
-
ナポリから南イタリアの街へ 1日目 ナポリ到着 カポディモンティ美術館へ
2026/03/16~
ナポリ
-
ナポリから南イタリアの街へ 2日目は”アトラス”のいる博物館からスパッカナポリへ
2026/03/16~
ナポリ
-
ナポリから南イタリアの街へ 3日目はおとぎの国、アルベロベッロへ
2026/03/16~
プーリア州
-
ナポリから南イタリアの街へ 5日目は陽光のバーリへ
2026/03/16~
バーリ
-
ナポリから南イタリアの街へ 6日目は船でアマルフィへ
2026/03/16~
アマルフィ
-
ナポリから南イタリアの街へ カプリを断念した7日目から最終日へ
2026/03/16~
ナポリ
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ナポリ(イタリア) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ ナポリから南イタリアの街へ
0
71