2026/03/01 - 2026/03/05
3425位(同エリア4009件中)
araさん
この旅行記のスケジュール
2026/03/01
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飛行機での移動
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羽田空港国内線ターミナル
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電車での移動
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電車での移動
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新横浜駅
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電車での移動
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先斗町「おうち割烹月をみ」
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タクシー
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バスでの移動
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バスでの移動
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ベッセルホテルカンパーナ京都五条
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徒歩での移動
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京都駅前酒場聚楽第
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徒歩での移動
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電車での移動
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電車での移動
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ビアレストランミュンヘン
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徒歩での移動
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MOVIX京都
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「M&Maison KYOTO」
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京都は美の拠点でもある。天才絵師長谷川等伯の豪華絢爛な金碧障壁画(表紙・国宝)に感嘆したり、日本画家東山魁夷の心象風景画や加山又造の卓越した才能に感心したり。日本の美に触れたいと寺院や美術館をたずねた。京都に先立つ東京では北斎を堪能した。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- タクシー ANAグループ 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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3月1日午前、羽田空港から「すみだ北斎美術館」へ直行した。ここは葛飾北斎が墨田区生まれだったことを祝して同区が開設した美術館。3月は隅田川両岸景色図巻と北斎漫画が展示中だった。
図巻は明治期にフランスで競売に付されたが、同館が寄付を募ってロンドンのオークションで買い戻した。浅草の柳橋・両国橋から吉原遊廓までの両岸の景色が描かれている紙本着色絵巻で、北斎の肉筆画では最長の716センチだそうだ。
展示されているのは高精細複製画だが、北斎の巧みな筆さばきが分かり、見応え十分だった。一方、北斎漫画は解説によるとよく売れたので何回も版を重ねたとある。展示されている各版ともレプリカだが手に取って見ることができる。人の表情、職業、動植物、名所、妖怪などさまざま対象をユーモラスに活写した絵手本で、江戸の人たちは興味津々、面白がって買い求めたのだろう。すみだ 北斎美術館 美術館・博物館
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隣の「北斎を学ぶ部屋」は複製画やデジタルなどで構成されていて、写真が撮れた。写真は富嶽三十六景から「神奈川沖波裏」。
すみだ 北斎美術館 美術館・博物館
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北斎と作画を手伝う三女応為の様子が再現されていた。
すみだ 北斎美術館 美術館・博物館
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その後、市川市で長男一家と会食。ホテルR9プレミアム市川駅前に宿泊した。
HOTEL R9 Premium 市川駅前 宿・ホテル
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翌2日、新横浜の次男夫婦宅に寄って初孫と対面、健やかな成長を願った後、京都に向かった。ホテルは京都駅から近いベッセルホテルカンパーナ京都五条。コスパとサウナ付き大浴場、フリードリンクが決め手だった。
コスパ サウナ、ウェルカムドリンクよし by araさんベッセルホテルカンパーナ京都五条 宿・ホテル
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部屋はスーペリアツイン。25m2あり、3泊ゆっくり過ごせた。
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ホテルに着いたのは夕方。早速、先斗町のお目当て「おうち割烹月をみ」へ。写真はおばんざいセット。
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おばんざいの次はお造りを楽しんだ。和食に銘酒などと旨い酒食が味わえるのも京都の魅力かな。
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翌3日、大浴場の朝風呂でスッキリし、小雨のなか四条界隈をぶらついた。連れ合いは昼間は別行動。昼食は「ごはん処 矢尾定」。さわらの西京焼き定食(写真)は実にうまかった。
ごはん処 矢尾定 グルメ・レストラン
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10年前、長谷川等伯の一代記を描いた安部龍太郎の「等伯」(直木賞)に感心した。しかし、テーマとなった国宝松林図屏風が東京国立博物館にあることばかり気になって、等伯が京都の絵師だったことをすっかり失念していた。遅きに失したが、国宝が保管されているという「智積院」(写真)を訪ねた。ここはいわゆる観光寺院ではなくお坊さんの学問の場。あまり知られていないのか、訪れる人は少なかった。
智積院 寺・神社・教会
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金堂にお参りし、宝物館へ。等伯の「楓図」や息子久蔵の「桜図」など桃山時代を象徴する豪快な金碧障壁画の国宝や重文が展示されている。暗い証明の中にソファが置かれてゆっくり鑑賞できた。元々は襖絵だったそうだが、お坊さんらが火災や盗難から守り、今に伝えたとある。感慨深い。
智積院 寺・神社・教会
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宝物館は撮影禁止だが、大書院の大広間で障壁画が再現されていた。複製画だが、当時の豪華絢爛ぶりが伝わってくる。写真は等伯の「楓図」。素晴らしい。
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等伯の息子久蔵の国宝「桜図」。彼はこの絵を仕上げた後に夭折したそうでこれが遺作ともなった。
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部屋全面が等伯父子の国宝で飾られていた。黄金色がまぶしかった。
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大書院の大広間前には見事な庭園が広がっていた。千利休好みだそうだ。国指定名勝。
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京都国立近代美術館で陶芸家河井寛次郎の作品が展示されていると知り、智積院の後に訪ねた。昨年、河井寛次郎記念館で多彩な作品と人柄に感心していたのでもう一度見たくなった。写真の壺も独創的。
夕食は地元の佐々木酒造が出すホテル近くの「京都駅前酒場聚楽第」へ。日本酒が旨かったが、合流した連れ合いは「たんなる居酒屋じゃない」とややご不満だった。京都国立近代美術館 美術館・博物館
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翌4日は嵐山の福田美術館に向かった。写真は渡月橋。連れ合いは知人に会いに滋賀県へ。
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福田美術館では今年が昭和100年になることを踏まえて、「あの頃は」と題した日本画展を開いていた。戦前・戦中、戦後という激動の昭和に画家たちはどう向き合ってきたのか。それぞれの作品が展示されていた。作品解説はわかりすく、いい勉強になった。何点かを紹介しますが、ぜひ美術館で実際の日本画を見てほしい。同展は4月12日まで。
パンとエスプレッソと福田美術館 グルメ・レストラン
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第1章 昭和の風 ~戦前・戦中~
解説は「画家たちは、自身の創作で風を起こしつつ、昭和という風を受けて生き抜きました。しかし、その風向きは戦前・戦中では、相当に趣きを異にしています」と指摘していた。 -
昭和4年(1929)、速水御舟の「嫩芽(どんが)」。嫩芽とは生え出たばかりの草木の若くて柔らかい芽(新芽)のこと。解説は御舟は日本画の革新に挑んだ画家でこの絵では伝統的な意匠をモダンに配置していると評している。
昭和4年はNY株式市場が大暴落して世界恐慌が起き、日本も不景気が深刻化、昭和恐慌、軍部台頭へと繋がっていく。ただ、そうした暗い世情も御舟の作画にまでは及んでいない。 -
同じく昭和4年(1929)作、川合玉堂の「古城春雨」。解説にはかつて武士が往来した彦根城の一角に傘をさした村娘(右下)を配することで、時代の変遷に思いをはせる作品に仕上がっている、とある。
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昭和11年(1936)、洋画から日本画に転じた川端龍子の「鯉彩」。解説は昭和7年の満洲国建国のスローガン五族協和を意識してか、5匹の鯉を同じ方向に泳がせ、真ん中の鯉の頭に赤い斑点を描いた。五族協和の隠喩と指摘している。
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昭和17年(1942)、横山大観の「蓬莱神山」。
解説によると、中国から伝わった蓬莱山は神仙思想とともに吉祥の図像として広く描かれた。大観はその蓬莱山の左の旭日を描き、さりげなく日本を讃えている。大観は戦中、このような絵を多数描いた。
昭和17年は日本本土が初空襲され、、ミッドウエー海戦で大敗。戦局が大きく敗戦へと傾いていった。 -
第2章 昭和の風 ~戦後~
解説では、戦後の日本画には、戦前の画家たちが思ってもいなかった逆風が襲いかかりました。「花鳥風月のような、旧来の価値観を払拭できていなかった日本画を珍重してしていたから戦争に負けたのだ」という日本画滅亡論が声高に唱えられたのです。青年、壮年の画家たちは、この逆風に立ち向かうことを余儀なくされました。
絵の具を厚く塗り重ねて描くスタイルは、この時代に洋画に対抗して工夫された。厚塗りだからこそ可能な、重厚な色調を駆使して、東山魁夷は欧州風景を、杉山寧はスフィンクスを描き、画壇に新たな風を吹き込みました。琳派などの伝統美に着目した加山又蔵も自ら新しい風を吹かせ、時代の旗手となった。 -
昭和21年(1946)、東山魁夷の「夕月」。解説によると、描かれたのは千葉県・鹿野山の冬枯れ九十九谷。夜の闇に沈む部分は青紫、陽に照らされた部分は茶を用い、刻々と変わりゆく眺めを表現している。「風景画家・魁夷の始まり」と題した。
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昭和37年(1962)、東山魁夷の「静けき朝」。解説によると、魁夷は昭和37年に北欧を周遊した後、現実と心象の風景を融合させた作品を多く制作しました。本作もそのひとつで、代表作の白い馬のシリーズに通じる作品と言えるでしょう。
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3億円事件が起きた昭和43年(1968)、東山魁夷の「夕涼」。解説によると、本作は「京洛四季シリーズ」の1点で昭和43年に日本人初のノーベル文学賞を受賞した川端康成から「京都はいま描といていただかないとなくなります。京都のあるうちに描いておいて下さい」と助言を受けて制作されました。
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昭和38年(1963)、杉山寧(やすし)の「悠」。杉山は昭和37年、初めての海外旅行で念願のエジプトを訪れました。本作は、悠久の時を越えてきた古代美術の力強い美しさへの感動を表した「エジプトシリーズ」の記念すべき最初の1点ですと解説。「エジプトに吹く悠久の風」と題した。
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昭和40年(1965)、加山又造の「紅白梅」。解説によると、日本画壇において、伝統美が必ずしも重要視されなかった戦後を生きた又造。しかし、彼は「琳派」の装飾美こそ日本の美の本質であると感じ、強く惹(ひ)かれていました。
本作は尾形光琳筆「紅白梅図屏風」へのオマージュです。表題には「琳派へ愛を込めて」とあった。 -
昭和61年(1986)、加山又造の「おぼろ」。解説によると、本作に描かれた桜は弘前城にあるしだれ桜。花びら1枚1枚のしっかりとした質感に画家の筆さばきの妙が感じられます。満月にかかる宵の雲の、墨と胡粉(ごふん)の対比も見事な造形感覚を示しています。
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制作年不明、加山又造の「静物」。
解説によると、苺のみは辰砂、種は黒に金、ヘタは緑青と白緑で鮮やかに描き出しています。ガラスの鉢は群青をさらに細かく砕いて精製した白群で色調を変えて表現しました。それまでの西洋にも東洋にもなかった静物画を完成させた、又造の恐るべき才能が光ります。 -
昭和46年(1971)、福田平八郎の「若鮎」。解説によると、福田平八郎は京都市立絵画専門学校で学び、要素を単純化した大胆な表現で昭和の日本画に大きな影響を与えた画家です。
本作でも群れ泳ぐ鮎の動きで波立ち揺らめく水面と、そこに輝く陽の光を、大胆かつ動的に描き出しています。昭和の京都画壇が到達したひとつの頂点を示しているでしょう。表題を「鮎をデザインパターンのように」とした。
午後は河原町まで戻って「ビアレストランミュンヘン」へ。生ビールで昼食を楽しんだ後、時間があったので「MOVIX京都」で映画「木挽町のあだ討ち」を鑑賞、実に爽快な時代劇だった。
夕食は連れ合いと合流して連れ合い希望の「割烹 凪」へ。上々の和食のコースだった。女将さんから祇園祭のことなどを教わった。 -
翌5日は帰宅の日、ホテル近くの「M&Maison KYOTO」というおしゃれな和食店で遅い朝食(写真)をいただいた。若い女性たちで運営しているようで京都には数軒ある。
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帰路は伊丹から夜の最終便。たっぷり時間があるのでホテルにスーツケースを預け、広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像(国宝)に会いに行った。ちょうど1年前にもお会いしたが、あの方を拝むと気持ちがとても安まる。穏やかになる。なのでつい行きたくなってしまった。
広隆寺 寺・神社・教会
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ブログ「観仏日々帖」によると、広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像が広く知られるようになったのは大正末期に撮られたこの1枚のモノクロ写真だったという。仏像写真家の小川晴暘氏が弥勒像の上半身を斜め向きに撮影した。真っ暗な闇に浮かび上がる弥勒菩薩。鼻筋が通るお顔にか細い指を添えて、人々をどう救おうかと深く瞑想していらしゃる。見事に弥勒菩薩半跏思惟像の魅力を捉えた1枚だと思う。
広隆寺の薄暗い新霊宝殿に中央のいらしゃる実物は写真ほど近くでは拝めない。それでも神々しいさ、美しさが伝わってきて、心が和んでくるのだ。 -
帰路につく前、ホテル近くの東本願寺を訪ねた。写真は御影堂門。高さ27m。木造建築の山門としては世界最大級だそうだ。
東本願寺(お東さん) 寺・神社・教会
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写真は広い境内の真ん中に建つ御影堂。これも世界最大級だそうだ。ただ西本願寺と比べると、東はやや権威主義的かなと感じた。
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