2020/02/05 - 2020/02/12
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2020年イタリア8日間の旅14 甦れ。ポンペイ(ナポリ・ポンペイ編2)
今回は2020年2月10日(月)6日目前回ポンペイ編の続編です。甦れ。ポンペイ。
ポンペイ遺跡から退出し、今更ながら振り返っているところです。
1時間余りの見学でしたが、大変興味深く貴重な体験をさせていただきました。
ポンペイ発掘の歴史です。
[1709年に近隣のヘルクラネウム遺跡が発見され、豪華な彫像などが見つかり、ナポリ王カルロ3世(ブルボン家)が古代遺物への関心を強めました。王の命を受けた軍事技術者ロケ・ホアキン・デ・アルクビエレが、1748年に「チヴィタ」と呼ばれていた現在のポンペイの掘削を開始したのが、組織的な発掘の始まりです。
当初の発掘は、王宮を飾るための「宝探し」的な側面が強いものでしたが、1863年にジュゼッペ・フィオレッリが監督に就任すると、現在のような科学的な考古学調査へと発展していきました。
1950年代に最後の大規模な発掘調査を行い、アボンダンツァ街道と市壁の南側の地域はほぼ完全に発掘されましたが、科学的な記録は乏しく、保存状態がよくなく、本来の遺跡と区別が難しく、考古学的な価値が損なわれたと言われています。1943年ころ第二次世界大戦では爆撃で遺跡が損傷し、1980年の大地震の後にも、大きな破壊をもたらした疑問のある復元図が作られたようです。今日、対象を絞った測深と発掘を除き、これ以上の大規模な発掘調査は計画されておらず、考古学者たちは遺跡の復元、記録、崩壊を遅らせることに重点を置いています。]
(読むのが大変だから、画像だけみて気に入ったところを飛ばし読みしてください。)
何か言った?
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
前回に遡ってですが、スタビア通りからスタビア浴場を見ているところです。(途中危険に思えるところもありました。)
[紀元62年のこと、推定震度V-VIの激しい地震がポンペイと周囲の平野を襲い、多くの損害と崩壊を引き起こしました。地震は都市生活に悪影響を及ぼし、多くの富裕層が身の安全を恐れて他の地域に移り、貿易は急激に落ち込みました。
しかし、住民が長年かけて蓄えた富によって、その後も大理石で覆われるような豪華な建物が建てられたことも事実です。短期間で、住宅密度が最も高かった第6地域と第8地域が修復され、解放奴隷の寄付のおかげでイシス神殿も修復されましたが、地震後の10年間は政治的、行政的な混乱が続き、ウェスパシアヌス帝は護民官ティトゥス・スエディス・クレメンスをポンペイに派遣し、私人による市有地の不法占拠に関連するいくつかの事態を解決せざるを得ませんでした。] -
(わたしら今どこ?)スタビア浴場からアポンダンツア通りに出てきています。
[その地震の17年後、紀元79年ヴェスヴィオ山の激しい噴火によりポンペイは決定的に終焉を迎えました。噴火活動は2日間続き、終息するの4日かかりました。約6メートルの火山物質の層に埋もれ、そこからは柱の残骸と建物の最も高い部分だけが姿を現しました。] -
アポンダンツア通りの南側の街並みです。
[ティトゥス帝は救援使節をカンパニアに派遣し、その地域の通行を禁止しました。相続人がいないすべての財産を解体し、その資材を建築に再利用するよう命じ、トンネルを掘って大理石、鉛管、彫像などあらゆる種類の財産を回収しようとしたものの、噴火直後には略奪が相次ぎました。住民の大部分はポンペイから完全に撤退したが、生き残った一部の人々は戻り、主に火山噴出物からとびでた家屋の上層階に定住した。しかし、ポンペイは居住地として復活することはなく、4世紀以降は残りの遺跡も植生に溶け込み、完全に消滅しました。]
避難できた人は、ローマ、ナポリ、近郊の街に約1万人が移住し、ポンペイ遺跡の全域を発掘する目途は立っていませんが、全域66ヘクタールのうち44ヘクタール発掘した時点で犠牲者として収容されたのは約1150人余りです。 -
今回の街歩きのルートです。(案内図がないとどこかわからなくなるので付けました。)
ポンペイ遺跡では修復作業が続けられていました。この作業は、欧州連合(EU)の資金提供を受けた「Grande Progetto Pompeiグランデ・プロゲット・ポンペイ(ポンペイ大プロジェクト)」と呼ばれる大規模な保存修復プロジェクトです。
これは2010年数カ所の建物が崩壊したのを受け、世界遺産としての登録抹消の懸念から、イタリア政府とEUが大規模なプロジェクトを立ち上げました。総額1億ユーロ(約140億円)以上が投じられています。
作業内容は紀元79年のヴェスヴィオ山の噴火で埋没したポンペイ遺跡の建物や装飾の劣化を防ぎ、保全・修復することです。
発掘されていない斜面の水理地質学的リスクの軽減。
集合住宅(インスラ)の安全確保。
石積みの補強と修復。
建物の天候からの保護、見学可能エリアの増加。
監視システムの強化。 等々 -
スタビアの浴場を出て、Via dell'Abbondanzaに出てきました。
ヴィア・デッラア.ボンダンツァと聞こえるので、アボンダンツァ通りとしていますが、アッボンダンツァ通りという方に敬意を払って両方使います。(何の意味がある?)
私は柔軟なのです。(それを無駄という。)
「アッボンダンツァ通り」にある案内板です。
REGIO VII INSULA I: 第7区画、I街区
この通りはポンペイの主要な通りの一つで、商業活動の中心地でした。
案内板には、以下のような見どころが表示されています。
↑(西)
Foro(フォロ):古代ローマ時代の公共広場
Antiquarium(アンティクァリウム):出土品を展示する博物館
←(南)
Casa delle Pareti Rosse(カーサ・デッレ・パレッティ・ロッセ):赤い壁の家
Foro Triangolare(フォロ・トリアンゴラーレ):三角広場
Quartiere dei Teatri(クアルティエーレ・デイ・テアトリ):劇場地区
Tempio di Iside(テンピオ・ディ・イシス):イシス神殿
→(北)
Casa di Sirico(カーサ・ディ・シリーコ):シリーコの家
Lupanare(ルパナーレ):古代ローマ時代の公認娼館
右折してVicolo del Lupanareルパナーレの路地に入ります。
角の壁のプレートはREG VII INS XIV (第7区画、14街区)は、1858年に考古学者のジュゼッペ・フィオレッリによって導入された「フィオレッリ・システム」というナンバリング方式に基づいた、ポンペイ遺跡における特定の区画を示す住所のような識別番号です。
例えばRegio III, Insula 4, Civico 3」は第3区域、4街区、家屋番号3となりますが、疲れてくるとIII.4.3と打ってしまいますが、いいですか。
(怒られても、そうしたら。) -
左は蛇の壁画の館です。Reg VII, Ins11、11-14( VII.11.11から14まで)は全体として宿屋(カウポナ)の跡地です。
ホスピティウム・クリスティアノルム(ラテン語: Hospitium Christianorum)?キリスト教徒と読める落書きがあったことから初期のキリスト教徒の宿だったか、単にいたづら書きか研究が進められています。 -
右はラテン語で「DOMUS SIRICI(シリクス邸)」(伊:シリーコの家)
イタリアのポンペイ遺跡内に位置し、東にスタビア通りと西のルパナーレ路地にまたがる大きな住居(ドムス)複合施設です。
79年のヴェスヴィオ山の噴火時、この家は大規模な改装中でした。
入口の床にはラテン語で「SALVE LUCRU」(ようこそ、利益よ)という銘文がモザイクで描かれており、所有者プブリウス・ヴェディウス・シリコの商業的な性格を物語っています。
(しかし、一同は左の家に夢中です。)
それはなんですの? -
(なんで蛇の壁画の家なん?)
外壁に壁画が残っています。
(わからん)
これは蛇の壁画だそうです。 -
精神を集中すると、蛇の壁画がこのようにみえてくるはず。
(見えません。)
添乗員さんが指さしているのは壁から出た怪しい突起物。
(なに)
言えません。 -
VII.11.12先
2階建ての階段そばの奥に見えるのは石のベットにみえます。現在の倫理感にそぐわないですが、cella meretrica (娼婦詰所)とも言われています。 -
当たり前ですが、振り返って南を見ると、左は東になります。私はよく方向転換するので方向を見失うのです。(それを人は挙動不審という。)
東スタビア浴室側の52から角まではshop。 -
ルパナール(公認娼館)の入口です。ポンペイには他にも多くの非公認の娼館がありましたが、ルパナールは公認施設でした。ここで働く女性たちは主に奴隷の身分で、その収益は所有者であるレノ(ポン引き?)のものとなっていました。
-
ルパナール(公認娼館)の内部です。この場所は、古代ローマ時代の生活様式を今に伝える貴重な遺跡の一つではあります。
-
壁には様々な様子を描いたフレスコ画があります。これらは当時、言葉の通じない外国からの船乗りや商人への「サービスメニュー」として機能していたと考えられます。
壁には約120例の落書きが残されており、客の感想や娼婦の名前などが刻まれています。 -
怖くて撮れないので無難なフラスコ画を写します。
(鳥でしょう?) -
建物は2階建てで、各階に小さな部屋(セラエ)が5つずつあり、それぞれに石造りのベッドが備え付けられていました。
-
USCITA(出口)のプレート:内開きだから扉の表に出口プレートがある。扉を閉めると外が出口だから内が入口?
(外開きだと出口は扉の裏に付けないとね。) -
Vicolo del Balcone Pensile(吊りバルコニーの小路)を進んでいくと、
右に名前の由来の吊バルコニーの家があります。
(上屋がとび出ているだけなんだけど。)
小路を挟んで左はshopでした。
(工事中だから路地を通り抜けられません。) -
看板が倒れているけど、折角だから何とかします。
-
パネルはForo Civileフォロ・チヴィーレ(市民広場)の修復作業の様子です。色を付けました。
-
あまり興味がないようで、平然と通りを曲がっていきますね。
別の看板は、REGII.4.3~6先にあるPraedia di Giulia Felice「日本語ではユリア・フェリクスの館」の修復前の遺跡の様子や歴史的な発掘調査の様子を示す白黒写真を掲載していますが、色を付けます。 -
プラエディア・ディ・ジュリア・フェリーチェは、紀元前1世紀にさかのぼる広大な古代複合体で、発掘中に発見された最も古い住居の一つです。
組織名: 「Soprintendenza Speciale per Pompei, Ercolano e Stabia (ポンペイ、エルコラーノ、スタービア特別監督局)」「Grande Progetto Pompei (グランデ・プロゲット・ポンペイ)」という文字も見えます。
プロジェクト: 「グランデ・プロゲット・ポンペイ」は、欧州連合(EU)の地域開発基金の支援を受けて行われた、ポンペイ遺跡の大規模な修復・保全プロジェクトです。このプロジェクトは2023年10月に完了予定でした。 -
通りを曲がると、出てきたのは
Vicolo della Maschera ヴィコロ デッラ マスケラ:
「仮面の路地」または「悲劇の仮面の小路」
(Regio VII)第7区域、(Insula 11)11インスラにある路地です。
この通りにある古代の水飲み場に、「悲劇の仮面(tragic mask)」をモチーフにしたレリーフ(浮き彫り)があることにちなんで名付けられました。 -
(前回スタビア通りにあったのは、喜劇の仮面でしたが、くらべて見るとそれっぽい。)
ポンペイ遺跡にある公共の水飲み場は約40基があり、水道システムによって都市全体に水を供給していました。
噴水は鉛のパイプでアペニン山脈のセリーノ水源から水を引いていました。渇水の時は公共物が優先されるので、市民が飲料水を得るための主要な供給源でした。下水道もありましたが、これは公共物が主で、庶民は浸透桝(井戸)で処理していました。 -
後ろの建物には暖炉と布を洗うための大きなテラコッタの壺が残されています。Ⅶ.11.3から5までワークショップ(羊毛加工の仕事場)と推測されています。
-
プレートの通り、ここはREG-VII 右INS-XIVと左INS-XI(第7区域14街区と11街区で、正面は東です。
真ん中にあるヴィコロ・デッリ・スケレトリ[スケルトン(骸骨)の路地]を行けないように工事用幕でカバーしています。この通りの名は火山灰のためか古い道路面より5メートルの高さで発見された4つの骸骨にちなんでいます。
ジュゼッペ・フィオレッリは、骸骨の路地で遺体の周りが空洞になっていることを見つけ、石膏を流し込む手法で遺体を石膏像で保存することを考案しました。その後遺体を損傷させることが分かったので、樹脂を使うように変更されました。(その数1150体あまり) -
工事用幕は「Regio III, Insula 4, Civico 3」第3区域4街区家屋番号3に位置する「モラリスタの家 (Casa del Moralista)」です。色を付けました。
ラテン語名 Domus M. Epidii Hymenaei)で邸宅です。この名前は、家の中の食堂(トリクリニウム)の壁に描かれた、食卓での行儀作法に関する銘文が壁に残されていたことから「モラリスタ(道徳家)の家」と名付けられました。
(色を付けてもよくわかりません。) -
アッボンダンツァ通り(Via dell'Abbondanza)通りに戻ってきました。
南に見えるのは、REG-VIII INS-V(第8区域5街区)先です。 -
VIII.5.10 (VIII.5.9陶器卸売業者)のshop
VIII.5.11 -
左が東です。かなり遠くまできました。
(いくよ。)
振り返ってみるのも大切なんです。 -
同じように振り返って通りを見ているツアー仲間がおられますでしょう。
左はロープを張っているところをみると、整備が不十分の状態だと思われます。 -
もう少しでフォロに着きますね。
右後方は VII.9のプレートが掛かるエウマキア館の擁壁
右手前は VII.13.1 ショップ。 -
Vicolo di Eumachia エウマキア小路
この通りには出られないようです。 -
左(南)はVIII.3.11~12 Workshop . Casa delle Grazie,
カサ・デッレ・グラツィエ、別名薬剤師の家の作業場と住居。
左の通りの奥に住居の裏口があります。 -
ここがポンペイにある公共の噴水(水飲み場)の「アッボンダンツァ(豊穣)通りの噴水 (Fountain on Via dell'Abbondanza)」として知られています。あるいは「コンコルディア女神の噴水 (Fontana della Concordia)」?
噴水の上部には、彫刻された豊かな表情を持つ女性の頭部のレリーフ石があります。これは一般的に豊穣の女神アボンダンツァを表しているとされています。女神アボンダンツァ(ラテン語: Abundantia)は、ローマ神話において豊穣と繁栄の擬人化であり(アンノーナと混同されることもある)、食料と金銭を分配する豊穣の角を持つ女神です。
豊穣の角を持つ女神としては、コンコルディア女神や他の女神と解釈する考古学者もいます。 -
1.ローマ神話のコンコルディア(ラテン語で「調和」):ギリシャ神話のハルモニア(ハーモニー)と同一視されます。(フランスのコンコルド広場で見かけました?)
2.フォルトゥナ:Napoli fortuna mia(ナポリ.フォルトゥーナ.ミイア~)と歌詞では[ナポリ、私の幸せ]と歌いますが、英語の「Fortune:幸運」の語源になった女神です。
豊穣の角を持った幸運の女神とされますが、運命を操るためのグベルナクルム(船の舵)を携えており、運命が定まらないことを象徴する不安定な球体(又はロータ・フォルトゥナ運命の輪)に乗り、幸運の逃げやすさを象徴する羽根の生えた靴を履き、幸福が満ちることのないことを象徴する底の抜けた壺を持っている本当は怖い運命の女神です。
(フォルトゥナ通りは現に北に存在するから、ここはアッボンダンツァ通りでいいでしょう。)
後ろにエウマキア館が見えます。
VII.9.67 Scale posteriori e rampa.ユーマキア・ビルディング裏手の階段とスロープ(フォロ側とはかなりの段差があるのが分かります。)
VII.9.68 Bottega o stanza con la porta che conduce alla Edificio di Eumachia.ユーマキアの建物に通じる入り口のあるショップや部屋 -
Casa del Cinghiale イノシシの家(キンギアーレ家)の床のイノシシのモザイクタイルを撮るところを
VIII.3.10~辺りCasa del Jabalíの床のモザイクタイル貼を撮ったようです。
(全然ちがうやろ)
が、大勢に影響はありません。 -
アッボンダンツァ通りの車道はここで行き止まりです。フォロには車は入れないようです。右(北)に見えるのはエウマキア館の外壁です。
エウマキアはポンペイで最も有名な女性の一人です。羊毛と織物の実業家であり、公の巫女でもあった彼女は、西暦2年から3年の間に、この巨大な長方形の建物を自費で建立しました。入口側面にラテン語の碑文が刻まれています。
「ルキウスの娘で公の巫女であったエウマキアは、自身と息子マルクス・ヌミストリウス・フロントのために、玄関ホール、屋根付き回廊、そして列柱を自費で建立させました。彼女は自ら、それらをコンコルディアとアウグスタの尊崇の道徳的価値に捧げました。」 -
振り返って東をみると、左(北)は エウマキア館の壁です。
エウマキア館で「コンコルディア・アウグスタ(Concordia Augusta)の像」が発掘されました。これは、古代ローマの和合・調和の女神コンコルディアを祀る、ローマ神話に由来する彫像です。
コンコルディア・アウグスタの名は、古代ローマ神話における協調、相互理解、婚姻の調和を司る女神コンコルディアと、初代皇帝アウグストゥスの称号「アウグスタ」を組み合わせたものです。
「コンコルディア(調和)」に、Augusta(アウグスタ=皇帝の・神聖な)を付けることで、皇帝アウグストゥスによる統治とパクス・ロマーナ(ローマの平和)を象徴する、インペリアル・カルト(皇帝崇拝)の側面を持っていました。一部の文献では、この像はリウィア(初代皇帝アウグストゥスの妻)の姿を模したものと言われています。
この像は、ポンペイのフォルム(公共広場)に面したコンコルディア・アウグスタの柱廊に設置されていました。
アウグスト・マウによる平面図とコンコルディア・アウグスタ像を貼りました。 -
Foro di Pompei
ポンペイのフォロ(公共広場)です。
(広すぎて大変)
パブリックドメインつけました。ナポリの考古博物館のサイトには芸術品のパブリックドメインがありますが、平面図はドイツの考古学者のアウグスト・マウによる平面図があったので主要な事項を入れました。 -
Edificio di Eumachia (Portico della Concordia Augusta)エウマキア館
エウマキア館のフォロの東側に面する正面玄関は、植物を描いた大理石の装飾レリーフが施された大きな出入り口が特徴的です。原毛加工に従事するフルロン(羊毛加工業者)は、ヴェールをかぶった頭部を持つ彼女の記念像を奉納し、この建物の裏手にある地下聖堂の壁龕に設置しました。
(よくわかりません。)
ガイドさんが忙しく素通りしたので、やっとの思いで撮った玄関門を見て我慢してください。 -
フォロに入ります。
ポンペイの遺跡、特に柱廊(ポルチコ)やフォロ(公共広場)周辺の柱は、ローマン・コンクリート(Opus caementicium)が使われているものもあれば、火山石や凝灰岩(タフ)の石積みも時代や場所によって混在していますが、多くの柱は、内部にローマン・コンクリート(火山灰ポゾラン、石灰、砕石を混ぜたもの)を心材に使用し、その表面にレンガや石材を貼り付け、またはスタッコ(化粧漆喰)で覆って仕上げる手法が用いられていました。
紀元62年の地震以降、復興工事が活発に行われていたため、砕石として、現地の火山石(溶岩)砕いたレンガ、ヌチェーラ凝灰岩などを組み合わせて使っていました。 -
柱そのものはレンガを積み上げたものや、石灰岩を削り出したものが一般的です。しかし、その周囲を塗り固めたり、複雑な形状の装飾を施したりする際に、ローマ・コンクリート(Opus caementicium)や漆喰が使用されていました。表面には大理石に似せた白い漆喰(スタッコ)や、彩色して見た目にはコンクリートやレンガの質感が隠されているものもあります。
-
ローマンコンクリートOpus caementicium オプス・カエメンティキウム(英:Roman concrete)について
ローマンコンクリートの耐久性には目を見張るものがありますが、現代のコンクリートのように短期間で強度が出ないため、工期が大幅に長くなります。現代のコンクリートに比べて、高層ビルなどには不向きです。無筋のため曲げや引っ張り強度が弱いです。現代の工期や鉄筋コンクリートが求める強度基準には適しません。
土木工事におけるダム、海中工作物など、特定の条件下で特徴である長期の耐久性を活かす利用に向いています。
(パンテオンは?)
基礎、下階の骨材は砕石、凝灰岩、石灰石で構造体厚みは6mですが、円蓋上部は主に凝灰岩軽石で厚みは1.5mのドームで360度円状に回っているので保てるのです。 -
古代の台座に乗った「ケンタウロス」のブロンズ像
ポーランドの彫刻家イゴール・ミトライ(Igor Mitoraj)による現代アート作品です。ミトライの作品は、ポンペイ遺跡で開催された現代アートの特別展の一部として一時的に設置されたものでしたが、今は恒久的に設置されるようです。
(古代の景観と現代アートが融合するユニークな光景を生み出したと好評だったようですが、古代のものと誤解されないように。)
おそらくネロ像の台座を流用していると、思いますが、
Opus (reticulatum) mixtum:オプス・ミクストゥム 「網目状の材料で補強され、またはレンガ帯で交差され、あるいはレンガと組み合わされた石積み。」
後ろの建屋、アーチ門は
Opus testaceum:オプス・テスタケウム「煉瓦積み・煉瓦柱」と呼ばれる工法で建てられました。 -
フォロ北
左の門がArco di Augusto (アルコ・ディ・アウグスト):アウグストゥスの凱旋門です。古代には中央のユピテル神殿を挟んで対称的に右側にも門がありましたが取り壊された跡が残るのみです。
折角ですからコンクリートの補足話を。
現代のコンクリートは主にポルトランドセメントに砂、砂利、骨材(5mm~40mm)、水でつくり、モルタルはセメントに砂、水を調合して作ります。強度は早くでて使い勝手はいいのですが、ひび割れはします。ひびわれ誘発目地にシールをしていつもお世話になっております。
ローマン・コンクリートは火山灰ポゾラン、石灰をセメント代わりに、砕石を混ぜて作ります。骨材の径が4㎝以上(10㎝を超えるものもある)もあり薄くできません。
西洋の漆喰は消石灰と砂と水です。仕上げ材にも接着剤にも使いました。これは水分が抜けて乾くと硬くなります。自己修復機能を持つのは共通して主に石灰の成分です。
Opus testaceum:レンガを型枠代わりに使い、最初にローマンモルタルを敷いて、後から骨材をいれて上からコンコンと突くとまんべんモルタルがいきわたり隙間のないローマンコンクリートが出来ます。レンガはそのまま仕上げ材になります。( Opus quadratumはレンガの代わりに石の層積にしたものです。) -
足の速いガイドさんの後を追う人や、うちの奥さんが写真をとっていたり、列が少しばらけてきました。
左奥の建屋は
opus incertum:オプス・インケルトゥム「石の乱積」
既にいっぱい見かけた不規則な形状でランダムに配置された原石または拳大の凝灰岩をローマンコンクリート(オプス・カエメンティキウム)の核に挿入する工法で建てられています -
フォロ西
びっくり、足が3本に見えた。錯覚です。私は邪魔にならないように列の最後尾にいるのですが、他に最後尾が二人いました。 -
フォロ西
アポロ神殿の入口、Mensa Ponderaria 公共計量台、メンサ・ポンデラリアの部屋が見えます。 -
フォロ北西
Granai del Foro:フォロ穀物倉庫
レンガの柱で区切られた8つの区画は、フォロの西側に北南に沿って広がり、果物と野菜の市場として使われていました。現在、この倉庫はポンペイで最も重要な考古学的収蔵庫として使われています。 -
日常生活で使用されたテラコッタ製の陶器、調理用の鍋、水差しや瓶の他、おびただしい収納数です。さすがに梯子や台車は噴火当時のものではなく、発掘用に使ったものでしょうが。そういえば儀式用の馬車が最近見つかったようです。
-
あまり見るものではありませんが・・・黙祷。テーブル皿が賽銭入れにかわっている。
-
フォロ東
ラル神殿、ヴェスパシアヌス神殿が東の方角に見えます。 -
フォロ東南
騎馬像か立像用の台座はopus quadratum:オプス・クアドラトゥム「石の層積」で作られているようです。手前の石は柱廊の桁(梁)用かと思います。 -
フォロ北
北にも域壁と開口があります。 -
フォロ東
ユピテル神殿(英:ジュピター神殿)の一部が写っています。 -
フォロ北
この神殿はポンペイの中心的な公共広場であるフォロの北端に位置しており、古代ローマ時代において最も重要な神殿の一つでした。
紀元前2世紀半ばに建設され、当初はユピテル(ジュピター)神に捧げられていましたが、後にユノーやミネルヴァと合わせて「カピトリウムの三神」として祀られるようになりました。
主神ユーピテルとその妻ユーノー、その娘である知恵の女神ミネルウァという、男性神1柱と女性神2柱の組み合わせは古代印欧系神話においては極めて特殊で、もともとエトルーリア神話の主神ティニアとその妻ユニ、その娘で知恵の女神メンルヴァからきていると考えられています。
神殿には上がれないようです。倒れそうな柱は補強しています。 -
ユーピテル(ラテン語: Jūpiter, Juppiter, 古典綴 IV́PITER, IVPPITER)は、ローマ神話の主神です。
ローマ帝国が拡大しギリシャを征服する過程で、ローマ人はギリシャの文学や哲学を「先進的なもの」として取り入れました。その結果、ギリシャの豊かな神話体系がローマの神名で再構成されました。ローマ人は自分たちの神々にギリシャ神話の神をあてていったのです。
カピトリーノの丘の三柱はローマのパンテオン(万神殿)において中核となる、最も重要な神々です。、
Jupiterユーピテル (ジュピター):主神。天空と雷の神(ギリシア名:ゼウス)
Junoユーノー (ジューノー):最高位の女神。ユーピテルの妻で、結婚や女性を司る(ギリシア名:ヘーラー)
Minervaミネルヴァ (ミネルヴァ):知恵、戦略、工芸の女神(ギリシア名:アテーナー)となりました。
-
フォロ北東
何事もないように、次の訪問コースに進んでます。 -
フォロ北
Arco onorario:オノラリオ門 は栄光のアーチですから、凱旋門なのでしょうが、ティベリウスの凱旋門か、ゲルマニクスの凱旋門か、ネロの凱旋門を移設したものか、議論があります。フォロ北東端にフォロ通り続く通りにありました。
ネロの凱旋門跡(遺跡ガイドはカリグラとなっていますが、台座の配列から考えると、研究者の言う通りネロ?)
西暦68年にネロが死去し、政敵、あるいは背後にある他のアーチの景観を良くするために撤去または移設された可能性を指摘されています。
奥に見えているのが、
Arco di Caligola:カリグラの凱旋門と言われています。
(研究者がね。)
カリグラの凱旋門は、メルクリオ通りの入り口、テルメ通りとの交差点付近に位置する凱旋門です。歴史的には、フォロとフォルトゥナ・アウグスタ神殿へと続く記念碑的な門として機能していました。
主にレンガで造られた単径間アーチで、元々は大理石で覆われていました。近くで発見された青銅製の騎馬像の破片が考古学者によって復元され、カリグラ帝(在位37~41年)のものと特定されました。ブロンズ騎馬像は現在、ナポリ国立考古学博物館(MANN) に収蔵されています。 -
ユピテル神殿東側面です。
折角ですから、特別に主要な十二神(デイ・コンセンテス)の残りのギリシア神話の「オリュンポス十二神」に対応する神を上げておきます。
(いらんけど)いつか何かのお役に立つこともあるでしょう。
Apolloアポロー(アポロ)- 予言・音楽・太陽を司る男神。アポローンに対応。
Venusウェヌス(ヴィーナス)- 愛と美の女神。 アプロディーテーに対応。
Marsマールス(マーズ)- 戦争を司る軍神。アレースに対応。
Dianaディアーナ(ダイアナ)- 月を司る狩猟の女神。アルテミスに対応。
Ceresケレース(セレス)- 農耕・大地を司る女神。デーメーテールに対応。
Vulcanusウルカーヌス(ヴァルカン)- 火を司る男神。ヘーパイストスに対応。
Mercuriusメルクリウス(マーキュリー)- 商業・盗賊・通信・旅行を司る男神。ヘルメースに対応。
Neptunusネプトゥーヌス(ネプチューン)- 海洋を司る男神。ポセイドーンに対応。
Vestaウェスタ(ヴェスタ)- かまどを司る女神。ヘスティアーに対応。 -
Macellum:ラテン語で食品市場、肉市場です。
(マセルム、マチェルム、マケルムどうかく?)
前庭通路から入場します。台座に大理石を貼っていた形跡が見うけられます。 -
ポンペイ遺跡ガイドのP6目次はマチェルムで文中はマセルムです。
「マケルム (Macellum)」でいきましょう。
(なんでやねん)
ドイツのマウの図面の凡例を訳したらドイツ語なのでそうなったんです。
日本語版公式遺跡ガイドはユピテルがジュピターになっていたりほぼ英文を訳しているようで誤字があります。P79 のMacellumの目次は畜殺場です。これは伊:macelloの訳です。他に一例をあげるとP8ポンペイの海抜はXXmと伏字になっていますが、伊版は30mとしてくれています。
(それぐらいで泣くな。) -
屋根を付けたのは壁画を守るためのようです。
屋根の下にいっぱい集まっていますが、ガイドさん、ここから動こうとしません。
(いいではないか。風が当たらないし。) -
マケルム南
マケルム (Macellum)はフォロ(公共広場)の商業の中心地の北東に位置する古代ローマ時代の食料品市場で、特に肉や魚、その他の食材が売られていました。長方形の中庭を柱廊が囲み、周囲に商店(タベルネ)が並ぶ典型的な建築様式が特徴でした。 -
マケルム東
仕方がない。平面図を付けて書き込みをいれておきます。
中央の円形の区画には、かつて木製の屋根を支えるための柱の土台があり、魚の内臓処理や洗浄のための排水設備が発見されています。
ここは生鮮食品などを扱う市場として機能しており、市民の食生活を支える重要な公共建築物でした。中央の円形にならんだ列柱(基礎)は、市場の中央にあったトロス(Tholos)と呼ばれる円形構造物の一部で、魚などを洗うための水盤があったとされています。
研究者にとって特に興味深いのは、3つの区画からなる東側にあるエリアです。中央は皇帝崇拝に捧げられていた可能性があり、1世紀にはすでに皇帝がローマ人の生活において中心的な役割を果たしていたことを裏付けています。他の部屋のうち北は宗教儀式、南は肉、魚の販売に使用されていました。 -
マケルム北
南北のファサードに沿って、一連のタベルナ(食料品店)が並んでいました。最初の12軒のタベルナへは北の通り側からアクセスし、南側に位置する11軒の店はマケルムの中庭から直接アクセスできました。西側には、フォルムのポルティコに向かって6つの部屋があり、通貨の交換に使用されていました。 -
西暦62年のポンペイ地震で大きな被害を受け、街の大部分が破壊されました。2012年の考古学的発掘調査により、西暦79年のベスビオ火山の噴火時には、マケルムが完全に修復されてないことが分かりました。
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壁画は、フレスコ画(漆喰が乾く前に水で溶いた顔料で描く技法)で描かれており、火山灰のおかげで約2000年もの間、比較的良い保存状態で残されました。
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ポンペイの壁画は、ドイツの考古学者アウグスト・マウによって4つの様式に分類されています。画像のような、パネル状に区切られた壁面装飾は、第一様式や第二様式に見られる特徴です。
「ポンペイレッド」と呼ばれる特徴的な朱色の色彩が残っています。 -
左は「Pizza POMPEII Restaurant」近代的なレストランに改造されています。
フォロ通りとフォルトゥーナ通の角まで行くと、
Tempio della Fortuna Augustaフォルトゥナ・アウグスタ神殿があります。
紀元前年13~マルコ・トゥッリオにより、フォルトゥナ・アウグスタ神殿は純粋に政治的な目的で自身の土地に建てられ、彼はこの工事に全額出資しました。
フォルトゥナはローマ神話の、幸運(と運命)の女神。英語のFortuneの語源とされ、ギリシア神話のテュケー(Tyche)に相当するコルヌコピア(豊穣の角)を左手にもつ女神です。 -
遺跡内の場所を示す「REG. VII INS. IV」(第7区画4街区)
「Vicolo degli Augustali」:
ヴィコロ・デリ・アウグスターリ(アウグスタリの小路)
アウグスタリ通りの元々の名前はこの通りにあったshopの碑文から Strada dei frutti secchi (ドライ フルーツ通り)と推測する専門家もいます。(secco→secchi形・複)
(なんでかえたん?)
大通りではなく小路ですが、他に通りが無く、フォルトゥナ通りがあるのにアウグスタリ通りがないわけにはいかなかったんでしょう。
(そんなこといっていいんかい。)
ここだけの話です。
壁に残るレリーフは、かつてその場所にあった商店の看板だったと考えられています。文字が読めない人々のために、ここではワイン壷をはこぶ運送業者を、別の場所のヤギの図柄は酪農店であるとかを絵で示していました。 -
工事をしているようで、フエンスの先にはいけません。
-
フォロ(広場)に戻ってきました。かなり不思議な壁の納まりです。
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Arco di Augusto (アルコ・ディ・アウグスト)
アウグストゥスの凱旋門を北から南に向かってみたところです。 -
倉庫の柱の高さが違うのが面白い。
-
倉庫の外から撮ると格子が写って見えますが、
-
このように格子の間から手をいれて格子が写らないように撮るといいです。
(言われなくてもそうします。余計なことを書くから疲れてきたんでしょう。) -
Mensa Ponderaria (VII.7.31) 古代ローマの公共計量台です。メンサ・ポンデラリアのレプリカが、アポロ神殿の西壁の壁龕を利用してフォロー側に設置されています。標準化された重さと測定の永続的な基準として、市場取引の規制と公正の確保に不可欠な役割を果たしました。
(ナポリ国立考古学博物館にオリジナルが収蔵されています。) -
アポロン神殿です。ポンペイ遺跡の中でも最も古い建物の一つで、紀元前6世紀頃に計画され、紀元前2世紀に現在の形になりました。
-
アポロン神殿からフォロの柱廊を見ていますが、桁など危険に思えます。
-
アポロン神殿東側面
Apolloアポロー(アポロ)は予言・音楽・太陽を司る男神です。
双子の妹にDianaディアーナ(ダイアナ)という月を司る狩猟の女神がいます。ギリシャ神話ではアルテミス神となります。
(何故双子なの?)
見かけ上の大きさが変わらなく見えるからでは? -
弓を構えるポーズのアポロン像(アポロ・サエッタンテ)のブロンズ製のレプリカが設置されています。この像のオリジナルは、ナポリ国立考古学博物館に所蔵・展示されています。
-
神殿東
アポロン像は弓を引くところを描いているようです。 -
神殿北正面
祭壇の途中から煉瓦にかわっています。
主要な十二神から外れていますが、太陽と月の神様が別にいらっしゃいます。
ソール(Sōl)は、ローマ神話の太陽神(ギリシア神話ヘーリオス)
ルーナ(ラテン語:Lūna)ローマ神話の月神(ギリシア神話セレーネー)
ソーラはソーラパネルとか、太陽に関係していますよね。
伊:ルナは月ですよね。
(何の話?) -
神殿西
アポロンの双子の妹のアルテミス像があります。
(ディアーナ像では?)
ティンタレラ ディ ルナ
ソン・レ・ラガッツェ・ケ・プレンドーノ・イル・ソール
ティン・ティン・ティン
ラッジ・ディ・ルーナ
ティン・ティン・ティン
(おだまり)
御静聴有難うございました。それではナポリでお会いしましょう。 -
Basilica Pompeiana:バジリカ
フォロを出てVia Marina (マリーナ通り)から南をみると、フォロ(公共広場)に面したバシリカの遺構が見えます。古代ローマの公共建築物、裁判所や商取引所として使用されました。 -
Via Marina マリーナ通りになんやかんやでたどり着きました。
この辺りも1943年に爆撃を受けています。
[VII.7.2 to5]Casa di Trittolemo カーサ・ディ・トリットレモ
もっと西に
[VII.7.10]Casa di Romolo e Remoカーサ・ディ・ロモロ・エ・レモ(ロムルスとレムスの家)があります。これは狼と双子のロムルスとレムスを描いたローマ誕生の絵画が家の名前の由来ですが、爆撃で焼失しました。
VII.7.1,3,4はshop -
Tempio di Venere a Pompei ウェヌス神殿の遺跡
(英語だとヴィーナスの神殿:Temple of Venusでしょう。)
この神殿は、都市と航海の守護神であるヴィーナスに捧げられた歴史的な考古学的遺跡で、紀元前2世紀にまでさかのぼります。
(ヴィーナスさんはそんなに偉い神様なん?)
ローマにウェヌスとローマの神殿(ラテン語:Aedes Veneris et Romae )があって、ウェヌス・フェリックス「幸運をもたらすウェヌス」とローマ・アエテルナ「永遠のローマ」の女神に捧げられました。愛の女神ウェヌスとローマの女神ローマを対称に配置したのはラテン語の「愛」は "AMOR" で、逆から綴ると "ROMA"(ローマ)となりまする。
(何の話?)
パブリックドメイン:キューピッドに付き添われたヴィーナスとマルス(ナポリ国立考古学博物館蔵)
Casa_di_Marte_e_Venereマルテ・エ・ヴェーネレ邸(VII 9, 47)にありました。邸宅の名前は、タブリーヌム(主人の応接間)の西壁中央にあった軍神マルスと女神ヴィーナスのフレスコ画に由来しています。
(ヴィーナスには夫のウルカヌスがいるのに、マルスさんと付き合ってはいかんでしょうが。)
いかん、いかん。そりゃいかん。
右側に見える像は、ポーランドの彫刻家イゴール・ミトライ(Igor Mitoraj)による現代アート作品ダイダロス(デダロ)像です。 -
ビジターセンター
出口/Exit(「uscita/exit」イタリア語/英語で「出口」)
(分り切ったことを言わんでもわかる。)
私は親切をモットーにしています。少しでもお役に立てば。 -
(ごちゃごちゃと)
何か言った?
(遺跡がごちゃごちゃして素晴らしいです。) -
ガイドさんは?
(お昼の時間になって、次のグループの段取りがあるから別れたでしょう。)
ガイドさん。有難う。
(聞いてないやろ。)
順路をたどると、ビジターセンターにいけるのだ。
(いけません。) -
アンティクアリアム(Antiquarium)ビジターセンターの入口だ。
-
(出口だよ、退出ゲートから出るのです。)
ここを出ると戻れませんやろ。
(怒らんから出なさい。) -
もっと居たいがな。
-
見とらんとこ、いっぱいあるで。
-
(あんた、出てきとるで。)
-
本当だ。いつの間に。私は素直だからなあ。
・・・2時間くらいあれば・・・くれぐれも余裕を持ってお越しください。
(ランチを食べないといけないから、今回はここまで。)
すいません。最後にじたばたしましたが、次回はすっきりナポリです。忙しいでしょうが合間にでもご覧ください。
(今回は有難うございました。悪い予感もしますが、構ってもらいたいようなので、次回も何とか見てください。)
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