2025/12/07 - 2025/12/07
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gianiさん
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レトロで駅舎が国の重文指定の門司港駅と、北九州市の中心である小倉駅に挟まれた地味な門司駅。実は、天皇御所があったり、江戸へ通じる大幹線の要所だったりと、意外な歴史があります。ビールのミュージアムと、関門トンネル記念館という2つの施設も穴場です。
- 旅行の満足度
- 5.0
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旅のはじまりはJR門司駅
1942年の関門トンネル開通に伴って開業した歴史的には新し目の駅です。それまで現在の門司港駅が門司駅を名乗っていましたが、関門連絡船からトンネルに代わった時点で改称されました。門司駅 駅
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1923年に旧門司市に編入されるまでは、比企郡大里町でした。大里町は、1908年に町制が施行されました。村制の頃は柳ヶ浦村という名称でした。オオサトではなくダイリと読むのは、ここに嘗て内裏が存在したからです。1185年頃、源氏に追われた平氏が奉る安徳天皇の内裏(だいり※)が存在しました。当時は柳の御所と呼ばれました。
※御所の中で天皇の私的空間を指す言葉 -
御所神社
御所の跡地に建ちます。内裏跡の聖地を村人に汚されぬよう木を植えたため、森と化していました。 -
キリメン様の石室
境内に、村人からキリメン様と呼ばれる石製の小さなお堂があります。1805年に佐野経彦の調査で、内部に安置された2体の木像は1185-97年頃の製作であり、霊を抱いている小児が安徳天皇、黒装束の公卿が平宗盛だと判明しました。 -
木曽義仲入京に伴い大宰府へ撤退した平氏は、緒方氏の裏切りに遭い、1183年に海路で柳ヶ浦へ逃れました。ここに天皇を奉って、壇ノ浦の合戦まで闘いました。
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風呂の井戸(鏡ヶ池の玉水)
柳ヶ浦上陸の際、幼帝の旅の疲れを癒すために鏡ヶ池の玉水を汲んで風呂水にしたことから、安徳帝風呂の井戸と呼ばれます。以来、風呂という地名が続きましたが、大正時代に不老に改名されました。 -
1185年に滅びた平家を弔うために大専寺が建立されましたが後代に移転し、当時の地蔵堂だけが、この場所に遺されました。
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大里宿
赤レンガ倉庫の隅に石碑が建っています。江戸幕府が東海道の延長で西国街道/長崎街道を整備すると大里は渡海の宿場町として、参勤交代が始まるととりわけ繫栄しました。写真の戸上神社大鳥居は、1711年に久留米藩御船屋敷衆が奉納したものです。 -
戸上神社は、大里の歴史が詰まった神社です。
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では、門司駅北口に面した宿場町へ移動します。
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道端に大里宿跡の石碑が建ちます。全長641mの宿場町だったそうです。
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赤レンガ倉庫の隅に長崎番所の石碑が建っています。関門海峡の幅が最も狭まるのは壇ノ浦~和布刈神社付近ですが、潮流や岩礁の存在で危険な個所でした。小倉からの渡船は距離が長すぎるということで、大里が一番メジャーなルートでした。
豊前大里宿趾 名所・史跡
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長崎番所
長崎奉行所の出張所として1799年に開設、任務は第一に玄界灘で横行した中国との密貿易の取り締まり、第二に本州諸藩から仕入れた中国への輸出品の一次保管倉庫としての役割です。
※中国との貿易は長崎港でのみ可能でした。 -
宿場を下関方向へしばらく進むと
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一里塚跡
小倉を起点とする門司往還と呼ばれる道でした。門司往還も長崎街道の一部とみなすことも度々あります。先ほどの大きな松は、一里塚の目印ではなかったようです。 -
さらに進むと右側に
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人馬継所跡
問屋場跡ともいわれます。街道の物流を司り、常時馬や駕籠、人足を取り揃え、大名行列を中心としたモノや人の移動をサポートしました。 -
後ろを振り返ると、こんな景色。
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角にファミマのある十字路を左折して、街道をはずれて海岸線へ直進すると、明治天皇上陸記念碑があります。1902年に熊本での軍事演習を謁見するために上陸しました。
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現在は長閑な漁港です。
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では引き返します。
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国道199号線を渡って、宿場へ戻ります。江戸時代の海岸線に相当する部分を走っている道路です。
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道路沿いの関門製氷の建つ場所は、藩政時代の牢屋跡です。
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御高札/南郡屋跡
御高札は幕府や藩のお触れを掲示する場所で、高札場とも呼ばれます。
郡屋は、周辺の村の庄屋といった村役人と藩の役人が打ち合わせをする場所です。参勤交代時の人足の提供や年貢の納付といったことが大きな議題です。 -
後ろを振り返ると、こんな光景です。
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重松彦之亟屋敷跡
伊能忠敬が御用(幕命)で九州を測量する際に滞在しました。 -
さらに進むと、御在番役宅/浜郡屋跡
泊(港)番所の役人宅と浜(漁村)庄屋と藩役人が打ち合わせをするための場所がありました。 -
後ろを振り返ると、こんな光景。
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街道に並行する道へ移ります。
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永野屋敷跡
宿場の脇本陣と庄屋役を務めた -
鉱滓煉瓦の塀が、土地柄を感じさせます。
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脇本陣の向かいには、400年近い歴史を持つ仏願寺が。小倉戦争の際に境内が全焼しています。写真は、門司往還から眺めた山門。
仏願寺 寺・神社・教会
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東へ進むと、左前に石碑が。
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番所跡
海の向かいは長州藩領なので、小倉藩の番所が海沿いに設置され、通行手形をチェックして人の出入りを監視していました。また荷抜けの監視も行いました。 -
八坂社の鳥居の隣には、本陣(御茶屋)があったことを示す石碑が。
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御茶屋は藩主別邸で、外出時に休憩/宿泊に使用しました。それ以外は大名本陣として、参勤交代時の大名/長崎奉行らが宿泊しました。
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八坂神社
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境内には、大里宿の地図と説明.
右から左へ進んでいます。 -
田畑川を渡って進むと、
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住吉社があります。
マンションの先に、関門トンネルの入口があります。 -
奥田街道の踏切から眺めると、線路の真ん中に海底へ潜っていく山陽本線があります。
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街道沿いの鳥居に戻ります。
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街道沿いには赤レンガ倉庫が。
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R199まで続く長い倉庫です。
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庄屋役石原家屋敷跡
大里村の庄屋として、村政に携わります。享保17(1732)年の大飢饉で門司23ヶ村で1400名を超える餓死者が出ために、石原宗祐は猿喰湾を3年かけて埋め立て、福岡ドーム5つ分(33ha) を干拓します(1759年)。84歳の時には藩命で曽根新田の開拓を命じられ、1783年に完成させました。 -
西生寺
1456年開基の古刹で、元々は本陣(御茶屋)跡に建ちましたが、宿場整備に伴い1670年頃に現在地へ移転しました。1866年の小倉戦争で全焼し、1881年に再建されました。 -
判行寺(踏絵寺)
西生寺は比企郡の判行寺として、宗門改めの一環として毎年3月に絵踏みが行われました。 -
小倉藩が細川家統治だった時代に、御茶屋として機能し、浜御殿と呼ばれました。
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藩主細川忠利が掘らせた古井戸も遺っています。
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街道は現在のR199に合流し、こんな感じで宿場町は終わります。
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R199沿いには、大里渡海口が残っています。ここから本州へ渡し船が出ていました。
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石の階段が、海面まで続きます。右側は関門製糖の工場で、海に面した蔦の茂る煉瓦家屋は、輸出用の専用税関でした。
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情緒ある赤レンガ倉庫です。
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現役で稼働しています。
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大川を渡ると
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反対側の関門ロジスティックは、久留米藩の船屋敷でした。久留米藩は、ここから瀬戸内海を近畿まで航海して参勤交代しました。現在は川向こうですが、流路が直線化される前は、川の手前に位置していました。
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その先は、ニッカウヰスキーの工場。
関門ロジスティックとニッカ工場は、以前は日本製粉、更に前は大里製粉の敷地でした。
では、小倉寄りの長崎番所へ戻ります。 -
長崎番所跡の周りは、サクラビール門司工場の跡地です。関門製糖/大里製粉も含め、第一次世界大戦期に全盛を誇った鈴木商店の系列です。
こちらは、工場事務所棟です。合併後はサッポロビール門司工場として2000年まで操業しました。八幡製鉄所の鉱滓煉瓦を使用しています。ちょっとした博物館になっています。門司麦酒煉瓦館 美術館・博物館
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向かいは倉庫棟です。当時は海に面していて、そのまま船から原料を受け入れていました。
門司赤煉瓦プレイス - 赤煉瓦交流館 名所・史跡
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事務所の隣は、工場棟です。
門司赤煉瓦プレイス 名所・史跡
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まるでイタリアの都市のような画角です。
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美しいです。
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ビールの歴史が学べます。
誕生の地エジプトでは、不純物を濾す技術が未発達で、パイプを使って飲みました。 -
修道院では、慈善(医療)活動の一環として醸造されました。当時は、薬と認識されました。
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竣工時の写真。
門司の有力者がビール工場を作ろうとしましたが、上手く行かず神戸の鈴木商店の援助の下で帝国麦酒が設立、サクラビールのブランドで販売します。 -
九州初のビール工場は規模を拡大し、輸出も手掛けます。
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サクラビールのブランドは消えましたが、サッポロビール門司工場として存続します。
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札幌ビール/恵比寿ビール/桜麦酒がサッポロビールのルーツです。
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設備の老朽化に伴い、2000年から日田九州工場にバトンタッチしています。90年代に門司工場長を務めた方から直接聞いた話では、独身寮も含めてインフラ全体が悲鳴を上げていたみたいです。
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門司駅の北口は、工場跡地が再開発され、タワーマンションや一戸建てが建ちます。
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南口には、駅前郵便局があります。鉄道郵便全盛時代、夜行列車等に手紙や小包が積み込まれました。
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国道3号線を門司港方面へ進むと、創業1885年の時計店が。
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その横には、1917年に大阪商船大陸航路の待合室だったことを示す石碑がありました。
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大分銀行
ここが豊前国であることを感じさせます。 -
門司保線区前の工事現場
九州鉄道のものらしき構築物が見えます。 -
5分ほど歩くと、関門トンネル記念館の案内が。
門司保線区の建物内に入っています。
公式サイトから予約方法を知れます。広報ではなく、保線区員がスケジュールを調整して善意で公開しているので、ルールを守り2週間前までに予約し、キャンセルはしないように心掛けたいです。 -
門司保線区付近は、関門トンネルが開通までの大里駅があった場所でした。トンネル開通に伴い、駅は小倉方向へ移動し、名称も門司駅へ改称されます。
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展示内容や映像資料を保線区員が解説してくれたりします。素敵なひと時でした。関門トンネルの凄さが分かる内容でした。
次の旅行記↓
https://4travel.jp/travelogue/11936261
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