2025/12/29 - 2026/01/01
171位(同エリア740件中)
ハンマークラヴィーアさん
- ハンマークラヴィーアさんTOP
- 旅行記136冊
- クチコミ1635件
- Q&A回答70件
- 426,192アクセス
- フォロワー48人
【旅程】
12月28日 10:35 羽田→ 17:25 デリー(ANA)
デリー泊
12月29日 14:00 デリー→15:20 バラナシ(インデ
ィゴ航空) バラナシ泊
→今ココ ★12月30日 バラナシ観光 バラナシ泊
12月31日 バラナシ観光 バラナシ泊
1月1日 16:50バラナシ→翌6:35アグラ
(Marudhar express)
1月2日 6:35 アグラ着 アグラ伯
1月3日 17:35アグラ→19:30デリー
(Gatimaan express) デリー泊
1月4日 18:55デリー→翌5:55羽田(ANA)
いよいよ旅の本命、ワラーナシー(バラナシ)です。
ここには3泊、計4日間滞在しましたが、長すぎるという感覚はなく、もう少し滞在したいな、という絶妙なところで移動することになりました。
よく「インドに来ると死生観が変わる」といわれますが、40年以上生きてきて身についたものが、短期間の旅行でそうドラスティックに変わるはずもありません('Д')
でも、インドから帰って「なんだか角が取れたね」といわれることが増えました。
死が生のすぐ身近にあり、終わりではなく恐れるべきものでもないという、インド人が持つ「死」に対する輪廻感が共有されたせいなのか、この街の持つ、ゆるーい時間に身を浸したせいなのか。
ともあれ、この街での4日間の滞在は私にはあまりにも刺激的な体験でした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- バイク
- 航空会社
- インディゴ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- Agoda
-
12月29日。昨日は新市街に泊まったが、今日からガンガー沿いのゲストハウスに移動する。
-
昨日到着した時にも思ったが、バラナシがこれほど都会だとは予想外だった。
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バラナシはインド最古の町のひとつ。このような、地図があまり役に立たない路地を抜けていく。
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路地のあちこちに、牛と犬の姿が。
犬は、人間を(正しくは路地を爆音で駆け抜けるバイクを)恐れているのだろう、どこかおどおどした感じが印象的。 -
宿までは、人がすれ違うのもやっとの路地を抜けていく。
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小さなチャイの屋台、生活必需品を売る商店が並ぶ小路を抜けて、本日の宿を目指す。
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こちら、2泊する予定のゲストハウス。オーナーは日本語ペラペラのインド人だが宿泊者は日本人ばかりで、さながら日本人宿だった。だけど、たまにはこういうのも楽しい。インドで一人旅となると、みんなそれなりに同郷との接触が欲しくなるのかも。
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トイレ、そしてシャワーは下にバケツを置いて水をため、最後に流すオールドスタイル。
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外には神の使いがいるので、あんまり乱暴にドアを開けられない。
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宿から歩いて5分で、ガンガー沿いに出た。今日は観光のために目指す目的地はない。ただひたすら、ガートを散策するための日だ。
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この時期はスモッグの影響で視界があまりよくないと聞いていたが、太陽が出てきたこともあり、視界はまずまず。
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日中の体感気温は18度くらいだろうか。ダウンやボア付きのインナーでは少々暑いと思われる。
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ガートは84あり、全部名前を覚えるのは難しいが、雰囲気のあるお気に入りのガートを探しながら歩くのが気持ちよい。
ちょっとだけご紹介できれば・・ -
インド人、ヒンドゥー教徒にひときわ人気。カラフルな階段と、特徴的な建物が目を引く、ケンダール・ガート。
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さらに北に進んで、ハリシュチャンドラー・ガート。84あるガートの中で、マニカルニカー・ガートと並んで、火葬が行われている現役のガート。ここで図らずも、火葬を目の当たりにすることになりました。
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運ばれてきたのは、まだ高齢というには若い年齢のご婦人。
身近で人の亡骸を見たことは幾度となくあるが、肌が白い日本人と違って、浅黒い肌のインド人は、命の火が消えてもまだ生きているような血色を保っている。
体に布を巻き付け、何らかの化学薬品をまぶされると、祈りの後、薪を積み上げられて炎を身にまといます。
ご婦人には家族と思しき若い女性が二人ほど短い別れの挨拶をし、すぐに火葬の準備に入った。 -
ここは死と生が隣り合わせの時間が流れる、不思議な街。
火葬場の内部は写真撮影が禁止という情報もありましたが、それはマニカルニカーガートだけだったのか、特に止められることもなく、みな写真を撮っていました。
たぶんスモッグのせいで、遠くのガートはうっすらと見える程度。 -
ガンガーの向こうは、何もない砂地が続いているらしい。明日明後日のうちに時間があれば、渡ってみようかと思いいたる。
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上流のほうに位置する、プラーブー・ガート。
ガートは要するに沐浴所だが、ムガル帝国の力が衰え、ヒンドゥー教徒の藩王が力を握ってから、己の勢力を誇示するためにこぞって作ったものが残っているのだとか。 -
文字が消えかけているバダイニー・ガート。
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ピンクの色が鮮やかなニシャドラージ・ガート。
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各ガートには、その由来が丁寧に英語で書かれている。
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チョウキー・ガート。
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地元の人もお気に入りのガートがあるのだろう。
これはリーワー・ガート。 -
ガートの上にも上がってみる。このような感じになっている。
建て増しを繰り返して、よくわからない構造になっているガートも多い。 -
ラージャ・ガート。
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トゥルシー・ガート。あの一大叙事詩「ラーマーヤナ」を分かりやすく口語化してい普及させたトゥルシーダースにちなんでいるらしい。
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パーンデー・ガート
ガートの奥にも足を踏み入れてみる。 -
ガートを覗いて回っていると、こんなかわいい本屋さんにも出会える。
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ひときわカラフルで女子ウケしそうなハヌマーン・ガート。
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さらに歩いて、まとまった場所にあるガートとしては最も北に位置するアッシー・ガートにたどり着いた。
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ここではしつこく日本語で話しかけてくるインド人がいる。
どんなに無視しても日本語で話しかけてくる。
英語で「I'm busy right now」と言えば「I don't ask for money!」と返してくる.
試しに韓国語で切り返してみたが、向こうの方が韓国語も上手だ。
ぐぬぬ(>_<)
相手をしている時間がもったいないので、完全無視でいくことにする。 -
アッスィー・ガートの鐘楼の上には老婆が座っていて、先には進めない。
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どうやらこの日、アッスィー・ガートの周辺では、レスリングの大会が開かれるらしい。
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ガートから裏路地に入ってみるが、特別、店がありそうな雰囲気もなかった。
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ガンガーの水質検査には、オーストラリアの援助が寄与しているようだ。
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火葬を終えたハリシュチャンドラー・ガートに戻ってきたら、火葬人たちが遺灰をガンガーに撒いていた。
薪や燃えかすが残された後は、犬にとっても暖かくて居心地のいい空気なのに違いありません。
【写真撮影・掲載は了解済み】 -
ガンガーといえば、バラナシといえば、ガートと同じくらい重要なモニュメントがある。
今は営業していない、伝説のゲストハウス「久美子の家」である。 -
ちょっと覗いてみたが、今は韓国人と日本人の共同経営なのだろうか。
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気が付けば14:00になっていた。遅い昼ご飯に行きましょう。
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けっこう評判のよい日本食の店らしい。
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バラナシでは「ブルーラッシー」と並ぶ名店、ババラッシー。ここにはあとで来よう。
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裏路地を抜けて、評判の良いアーダアーダカフェに向かう。
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おいしいターリーと,kesara badam(アーモンドミルクのドリンク)で500ルピー。
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ランチを終えて店を出たら、日本語達者なガイド?に声をかけられて、彼の店に連れていかれた。
バラナシの名産、シルクで衣類を仕立てる店だという。
私は何も買っていないが、買いたい人は良く品定めをして買いましょう。 -
こんなシルク商品が所狭しと並ぶ。
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ランチ後は、先ほど通った、日本人にも大人気のバラナシの名店、「ババラッシー」で一休み。
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ラッシーは1杯100ルピー。
ここでは日本人の一人旅の方によく会う。
バラナシは、本当に一人旅の日本人が多い。
日本人が憧れる独特の空気を持つ街だし、私も同類だからよくわかる。 -
17時を過ぎたので、マーン・マハル天文台の方へも行ってみたが、日没後だからなのか、すでにクローズであった。残念。
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こういうスペースでも床屋ができるのが感心する。
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ガートに行ったら、一緒に見て回りたい場所があったのを思い出す。
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旨そうな屋台のデザート。
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こういう屋台も、お腹の心配がなければぜひトライしてみたいものだが・・
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最初、これがヴィシュワナート寺院と勘違いした。どうやらこれは、地元のヒンドゥー寺院らしい。
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人込みを追うようについて行って、たどり着いたのはひときわきらびやかな寺院。
これがシヴァ神のおひざ元、バラナシでもヒンドゥー教徒が焦がれてやまない黄金寺院、その名も「ヴィシュワナート寺院」です。
ヒンドゥー教をイメージさせる、独特のリズム、独特の音色のBGMが心地よい。 -
寺院に近づくにつれてセキュリティが厳しくなり、荷物を持っていると「その荷物をロッカーに預けろ!」と守衛が寄ってくる。
しかし、その守衛の脇をインド人の大学生のグループがすり抜けようとすると、
「うおお(# ゚Д゚)お前ら待たんか!」
とコントのような追いかけっこが始まる。
そのすきに私は本堂に近づく。 -
しかし、観光客がここから最深部に入る方法は、どうやらヒンドゥー教のバラモンに当たる方に案内してもらうよりほかにないみたい。
何度周りの観光客に聞いても、「外国人は4番ゲートまで行ってチケットを買うように」といわれるが、その4番ゲートが分からない状態。
順路に従って歩いていくと、いつの間にか黄金寺院の敷地から出てしまう。 -
ということで、遠目で仰ぎ見るだけにしておいた。
-
このバラナシの路地を象徴する光景がある。
どこからか、「どけどけ!」というような掛け声の輪唱が聞こえてくると、通行人がさっと道を空ける。
男性たちが担ぐ神輿のようなものの上には、金色の布をかぶせられた人型の物が。
そう、ご遺体運搬人である。
特にマニカルニカー・ガート周辺はひっきりなしに行きかう。
この瞬間だけは、どんな悪ガキも手を合わせて仏を見送る。 -
既に18:30を過ぎているので、プージャを見に行くには遅い時間。クルーズ船もすでに出ている。
ということで、今日も夕食まで、ガートを眺めて時間をつぶすことにした。 -
昼間とは全く違う夜の表情を身にまとうガート達。
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昨日とは別のガートで、打って変わったように静かなプージャの儀式をやっていた。
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各ガートには、地元の若者もたまっている。
昼はずいぶんとガートを見たような気がするが、ダシャーシュワメード・ガートを起点に、まだ北半分が残っていたのだったな。 -
ガンガー・マハル・ガート。
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日本でもおなじみの名前、ガネーシュ・ガート。
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ボーンサラー・ガート。
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ラーム・ガート。
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うーん、やっぱり本場の現地でも人気なんだなぁ。
シヴァ様のご尊顔がガートに。 -
満潮の時間なのか、ガンガーの水が岸まで押し寄せてきた。
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じっとガンガーの対岸を眺めながら、物思いにふけるのも乙な時間である。
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やっと見ることができた。
北に位置するパンチガンガー・ガート。 -
ここはガンガーを含む5つの川が合流する聖地らしい。この竹竿は、死者の魂を導く道しるべらしい。
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パンチガンガー・ガートから北に向かうと、最高神の名を冠したブラフマー・ガート。
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ガートの階段を上ってみると、小さなヒンドゥー教の寺院も。
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マニカルニカー・ガート。
相変わらずここには嫌な人種しかいない。 -
バラナシで困るのは、とにかく夕食。
バラナシはそれなりに都会なので、「美味い店」「おススメされる店」は山のようにある。
問題は、ほとんどの店が「アルコールを提供しない」ということである。
ということで、昨日と同じ店にお邪魔してビリヤニの夕食にすることにした。 -
この日はホテル近くの屋台で、おばあさんが1杯10ルピーで出してくれるチャイを飲んでお開き。
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翌朝は12月31日の朝。
今日はガンガーの日の出を拝もうと、5時に起床した。
まだ芯まで寒い中を、ガンガー目指して歩く。 -
5:30のガンガー。太陽が昇るまでにはまだあと1時間はありそうだが、それでも観光客や地元民など、人の姿はちらほらと。
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この時間に外の空気を包んでいるのは濃霧。
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朝靄のガートは、なかなか神秘的ですらある。
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5:49、続々と観光客やインド人が集まってきた。
手漕ぎボートの勧誘も増えてきた。
しかし、誰も船に乗って出る気配がない。 -
船が出る気配がない理由はもちろん、この霧だと思われる。
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そして、ガートからガートへ歩くうち、どうやら昨日訪れたヴィシュワナート寺院まで迷い込んだらしい。
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ライトアップと朝の濃霧が相まって、何とも幻想的な美しさだ。
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6:30を過ぎて、一人のインド人が話しかけてきた。
日本語が堪能ながら、あまり押しが強くなく、好感が持てたのでしばらく話する。
どうやらこの日は霧が濃く、綺麗な朝日は拝めなさそうとのこと。
ボートに乗りたいか?と聞かれたので
「乗りたいけど高い。1000ルピー以上するんでしょう」と答えると
「ちょっと待って。100ルピーで行けるように交渉してみる」と交渉してくれ、なんとインド人ばかりの乗り合いボートに乗れることになった。 -
このボートはあくまでインド人専用。
外国人が100ルピーで乗ろうと交渉しても絶対に無理な奴なので、このインド人の方のおかげ。
そして・・・この計らいが無償なはずはなく、きっとこの後、何らかのプレゼンがあるのだろうなー('ω') -
外国人であろうか。すでに沐浴している人もいる。
-
深い霧の中、ボートはガートを離れる。時間は既に7:00過ぎ。
-
ボートはあちこちで泊まっては、乗客が何かを流す。乗る前に幼い子が売っていた花のこともあれば、持参した家族の遺品らしきものを流す人もいる。
-
おそらく散骨中。
朝の霧の中、インド人がこうして死者の弔いをしている様子を見られるとは思っていなかったので、たいそう印象深い。
このガンガーに還るというのが、ヒンドゥー教徒の独特の死生観。 -
この辺りは、何百年も続いたインド独自の価値観を垣間見た思いだ。
「わしゃー死んだら富士山に骨撒いとくれ」というのは、おそらく日本では許されないだろう。
ところで、私も、こっそり持参してきたとあるものを、このガンガーに沈めさせていただくことにした。 -
ボートは音楽も派手なアトラクションもなく、岸に近づく。しかし、霧深いので船からガートはうっすらとしか見えない。
-
ようやく出港したダシャーシュワメード・ガートに戻ってきた。
-
霧の中、100ルピーに値切ってくれたインド人が手を振っている。
彼は、この近くで店をやっているといっていた。
仕方ない、その店を訪問するのは礼儀というものだ('Д') -
おや?この通りは見覚えがある・・・
-
牛と路上にたたずむ家族、なんとも冬のインドらしい光景ではある。
-
彼の案内について、店に行く。行く前からだいたい予想がつく。
そう、シルクを売るあの店だ。 -
昨日、路地で案内してくれた男性と同じ店に到着。
-
「君は肩ががっしりしてるし、日本人にはこんなジャケットが似合うよ。インド人の女の子、メロメロになっちゃうよ」
といわれて薦められたのがこちら。
いったいどこで、オンステージを披露しろというのか(*'ω'*) -
いつもの路地をすり抜けて、朝食をもらいにゲストハウスへ。
朝食は9:00~という遅い時間。 -
朝食はこんな感じです。
なかば日本人宿だけあって、日本人の旅行者が多く、しばらく旅行談議に花を咲かせてもらった。
オーナーのrajさんに、デリーで酷い目にあったことを話すと
「インド人も同じだよ。デリーは大嫌い。インド人がインド人を騙すんだから」
ということらしい。 -
朝食を食べ終わると10:30過ぎ。今日は大みそか。
そして、今日の目的地は、仏教の4大聖地のひとつ、サールナード。
仏陀(釈迦)が初めて説法をしたといわれる、初転法輪の地だ。
宿でオーナーに「どのくらいですか」と聞いたら、往復+現地2時間観光で1200ルピーで交渉してあげる、とのことだった。
相場が分からないので、いったん自力でゴドゥーリヤ通りまで出てドライバーを探すことにしたのだ。 -
ところで、細い路地を抜けていく途中、ショッキングな光景を見た。
この街の路地は、バイクが所かまわずクラクションを鳴らして走る。
人間はそれが分かっているので、バイクが近づいてくる気配を感じたらすぐ横に寄って道を空ける。
歩いていると、横をバイクがすり抜け。
その先で、「キャウンッ」という悲痛な犬の鳴き声が聞こえる。
今まで聞いたことがないくらい、痛々しい、悲鳴といっていい声だ。 -
私の横を、犬が鳴きながら走り去っていく。
足を3本しか使っていない。
見れば、右の前足が、あり得ない方向へ大きく曲がっている。
間違いなく折れている。
どうやら、先ほどのバイクが気づかずに寝ている前足を轢いていったようだ。
バイクはそのまま走り去った。
「お前・・・人の心とか無いんか・・・」思わず口をついて出る。
抱きあげて病院に連れて行ってやりたいが、異国に来た観光客である自分にはどうしてやることもできない。
こういうのを無常感というのだろうか。 -
恒例のオートリキシャ探し。
見積もりは複数取るが、敵?のほうが上手。
おそらく協定でもしているのか、誰に聞いても同じ値段する。サールナートまで、往復で1300がいいところ。
これなら、宿のオーナーのrajさんに頼めばよかった。 -
片道600で行くというドライバーみっけ。
英語がそこそこしゃべれるのでこの点は心強い。
往復で、サールナートで2時間待ちだと1400だとのことだが、「とりあえず片道で行って、向こうで考えたらどうだ」という提案をされる。
うん、バラナシから10km程度の距離の場所だし、それもあり、かな・・・ -
ちなみに、私は外国で料金の交渉をするとき、相手の目をじっと見ながら
「行先」・「トータルの料金」・「向こうでの待機時間」をゆっくり英語で説明して、「Is everything clear?」と最終確認をすることにしています。
この日の相手にも同じ確認作業をした。
大丈夫だという返答だったのでそのまま出発。 -
オートリキシャが通るのは、意外と近代的な大通りだ。
-
バラナシはガンガー沿いが旧市街として景観が維持されているだけであって、きちんとハイウェイらしい通りもある。
-
結局、45分ほどでサールナート到着。
ドライバーに、戻ってくる時間を紙に書いて念押ししたところ、
「待ってるから心配するな」
とのこと。
信用して後にする。 -
チケット売り場に並ぶ。ただ、そこはインド。キャッシュレス決済が普及しているので、通信に問題がない人は絶対にオンラインがおススメ。
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おなじみ二重価格、外国人は300ルピー。そして、キャッシュレス決裁なら50ルピー値引きなのだ。
並ぶ時間の節約のためにもキャッシュレスがベター。 -
結局通信環境が悪く、現金で買って中へ入る。
-
サールナートの一番の目玉は、なんといっても巨大なダメーク・ストゥーパ。
それを遠目に、まずは僧院跡地から見学していく。 -
僧院跡は無数に残っているが、説明がほとんどないので、どれがいつごろのものかははっきりとは分からない。
-
しばし、ここで釈迦の説法を聞いたであろう僧たちの姿を思い浮かべてみる。
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これは、どうやらインド最初の統一王朝、マウリヤ朝の3代目、アショカ王時代に作られた石の円柱らしい。
保存状態がやけに良いので、本当かどうかは不明。 -
奥には野生のシカが放し飼いされた鹿公園も。100ルピーかかるらしい。
-
ダメーク・ストゥーパは特徴的な形状。表面の彫刻は今もきれいに残っている。
-
これは復元工事を始めた当時の略年表と写真。
-
ところで・・・ここで斬新なシステム。
看板の下に、看板の裏手に潜む物乞いが差し出すトレイが見えるでしょうか。
ここでは、顔を見せずに物乞いが可能なのである。 -
仏教の聖地ではあるが、地元家族連れにとっては、大きなオブジェがある格好のピクニックの場所、ということなのだろう。
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ダメーク・ストゥーパは6世紀の建立らしい。保存・再建工事を繰り返しているが、これだけの保存状態なのは素晴らしい。
-
敷地内にはたっぷり50分はいたので、次の目的地へ移動。
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説明が十分ではないけど、こういう史跡も多数。
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屋台が並ぶ一角を抜けて、ムールガンダ・クティー寺院へ向かう。
-
この寺院は比較的新しい。なんでも1931年建立とかで、建立したのは仏教徒でもスリランカ人。この寺院の信奉者はスリランカ人が多いようです。
-
さっそく中へ。
-
この仏陀の一生「釈尊一代記」を描いたのは日本人画家の野生司香雪氏。
生誕から成道まで、見ごたえのある壁画がびっしりと。 -
壁画に囲まれた中心には、お釈迦様を祀ったと思われる立派な玉座がある。
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ダメーク・ストゥーパが300ルピーでこちらが無料というのはなんだかちょっと不思議な感じ。
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日本語での石碑も見受けられる。
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こちらが鹿公園への入場口のようで、家族連れの行列。
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周辺をぶらぶら散策していたら、チベット仏教の寺院も発見。
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チベット仏教寺院は、この後に訪問した日本寺に比べてかなり豪華な作りであった。
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そhして、サールナートに来たらぜひ寄っておきたい、日本寺。
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日月山法輪寺というらしい。見慣れた日本寺で、佐々木鳳定上人が資金難を乗り越えて開山した、日蓮宗のお寺。
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敷地内には洗濯物が干してあり、どうやら勤行を条件に宿泊も可能のようだ。
-
平成6年ということは1994年ですか。
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つづいて、考古学博物館にも足を伸ばしてみる。
こちらはあまり一般の方には認知度が高くない破壊の神、バイラヴァ。 -
ここに展示されている神々の中に、さまざまな時代、さまざまな造形のヒンドゥー教の主神、シヴァとヴィシュヌがいる。
この2神は特に人気なので、女性的なフォルムで描かれたイメージが後世まで残っているが、最高神である創造神ブラフマーに関してはあまり目にすることはない。
一応、髭を蓄えた3面の老人のイラストがあるにはあるのだが、どうしたってシヴァ派、ヴィシュヌ派で人気が二分されている感は否めない。 -
ヴィシュヌ神のお姿。
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邪を穿つシヴァ神の雄姿。
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シヴァ様、息子のガネーシャ神、妻のパールヴァティ神の3名のレリーフ。
インド神話がある程度わかると、「これは誰だろう?」と思う楽しみ方ができる。 -
シヴァ神とヴィシュヌ神が融合した合一神、ハリハラ神。
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日本でもちょっとインド神話に詳しい人ならご存じと思われる、シヴァ神の息子の一人、カルティケーヤ神。
-
仏陀の法輪に関する像の展示が多い。
-
最後のほうになって気が付いたが、これはもしや、アショカ王の石柱の上にあったとされるライオンの像であろうか。
-
鑑賞を終えて出てきたのは14:10。
私を乗せてきたドライバーの姿は見えなかった。
まあ、これは時間を超過したこちらのせいかもしれない。
バラナシまではさほど遠くないので焦る必要はない。 -
ということで、バラナシまで行ってくれるドライバー探し。
・・・が、サールナートのドライバーは極端に英語を話す人が少ない。
バラナシまでの値段を聞くと、みなそろって300ルピー。
(バラナシからの料金の半額・・えらく安いな。競争が激しくないからかな?)
などと勘違いしていたが、言葉の合間に微かに「junction」という単語が聞こえたような気がしたのが気になった。
そして、この点をちゃんと確認したかったが、いかんせん先方はほぼ英語を話さず、ジェスチャーのみ。
仕方がないので300ルピーで合意して出発することにする。 -
行きと同じく、大きめの幹線道路を進むオートリキシャ。
-
20分ほど走って、オートリキシャは停車し、運転手が顎をしゃくる。
嫌な予感は的中した。
バラナシ・ジャンクション駅じゃないか!安いわけだ。
「NO! Varanasi city area! Near Ganga ,or Ghat・・・Did you get it?」
必死に英語で説明するが、まったく英語を解さないようだ。
身振りで「この駅の向こう側へ行きたい」といい、地図を見せてマニカルニカーガートのあたりを示すが、首を振って拒否。
仕方がない、ここで下車か。
300ルピー払うべきか迷ったが、相手が約束を破ったわけではない。
契約の条件を明確にしておかなかったこちらも悪い。
そう言い聞かせて300ルピーをやむなく渡す。
「バイバーイ!(^^)!」
元気よくドライバーは去っていった。 -
そういえば、バラナシジャンクション駅は次の日に寝台列車に乗る駅だ。
ということで、ちょっと下見をするいい機会だと思って、しばらく駅周辺をさまよう。 -
乗車予定のホームまで足を伸ばしてみる。
-
なるほど、こういう駅なのか。
-
ジャンクション駅で見つけたドライバー。
彼も英語はほぼ話さない。「Varanasi city」という単語でうなずき走り出したが、まるで見当違いの方角。
そう、彼が向かっているのは「バラナシシティ駅」だ。
「違う違う!」大声で止め、地図を見せながらガートの方向を指さすが、英語が全く通じない。 -
3人目。運転手と意思疎通できないのを見かねて声をかけてきた、英語ができるドライバー。
マニカルニカー・ガートの位置を指示して、ようやく通じて行ってくれることになった。
先の2人目のドライバーが「200ルピーよこせ」というジェスチャーをするが、納得できず、100ルピーだけ渡して乗り換える。 -
3人目のドライバーは、最初500ルピーを譲らなかったが、300しかないといったところ、最終的に400で応じてくれた。
なかなかいい人だった。 -
ようやくバラナシの中心部に戻ってきた。
結局往復で1400ルピー使ったので、最初から宿に手配してもらった方がよかったかもしれない。 -
結局、昼ご飯も食べないまま時刻は間もなく16:00。
何か食べようとぶらつく。 -
遅い昼ごはんとして、黄金寺院の敷地のフードコートでパニプリとラッシーをいただく。
レンチンなのか、ちょっと冷たい。
ところで、このフードコートでカバンを置いて席を取り、食べ物を取りに行くと、席にインド人の家族が座っていた。
気にせず自分の席に座って食べようとすると、強烈に「何でここで食べてんだ?俺ら家族が使ってんだろ。どけよ」という圧を出してくる。
腹立たしい限りだが、大騒ぎになるのも嫌だったので、思いっきり舌打ちをして英語で文句を言ってほかの席へ移動。
我ながら器が小さい、とは思う。 -
16:30にはガンガーに出た。今日はバラナシ最終日。となると、参加しておきたいアクティビティがある。
-
薄暮のガート。
-
インド人ばかりのボートは、外国人観光客が載せてもらえない仕様。
「ボートに乗らないか?」と声をかけてくる呼び込みに、「高すぎる」と返すと
「いくらなら出せる?」と聞かれたのでダメもとで「100」と返答。
そうすると、
「200ならあの船に乗せてやれる。ただし、いつ出発するかは客の集まり方次第だ。1000払うならすぐ出航できる船に乗せてやれる」
ときた。なるほど、ようやくシステムが分かった。
実際には何人かで乗る場合交渉すれば安くなるのだろうが、
「この大型船なら200でいいんだよね?」ということを確認して、乗り込むことにした。 -
既に何組も先客がいるし、割とすぐ出るのでは?と思ったが、甘かった。
-
スモッグの中、少しずつ日が落ちていくガンガー。
-
イチオシ
今回の旅行で、最もインドらしい瞬間が取りたいな、と思ったら、結局この写真になった。
2025年12月31日17:00、薄暮のバラナシ。 -
気が付くと1時間経過した。しかし、まだ船は出ない。
-
18:00過ぎ、ようやく満席に近い状況になって、船は岸を離れる。実に1時間15分ほど待った計算になる。
-
船は岸を離れてガートをゆっくりと南下していく。
-
そして、たどり着いたのはダシャーシュワメード・ガート。
そう、この船はプージャをガンジス川から眺めるための船なのだ。
ということで、乗り込むのをもう少し遅くしてもよかったな。 -
遠くにはなるが、プージャの全体像がじっくりよく見える。
舞踊が印象的だが、特に驚愕したのが、永遠に続くのではないかと思わせるほど長時間の発声で歌い上げる浪曲。
喉、どうなっているのだろう。 -
この船には、名物船頭の男性が乗っている。
ヒンディー語だが、各ガートに差し掛かるたびにガートの名前と、由来を話してくれるのだ。 -
大晦日だけあって、どのガートも大賑わい。
ヒンドゥー教徒は、自分のお気に入りのガートで、思い思いにゆく年を振り返っているようだ。 -
乗り場とは別のガートに降ろされるのかと思ったが、一応各ガートを巡った後は元の場所に戻るらしい。
-
岸からかなり離れると、夜のガンガーの悠然とした流れがとても情緒たっぷりである。
-
初日に外から見るだけにしたマニカルニカー・ガート。
ここは24時間、ひっきりなしに運ばれてくるご遺体を焼く炎が消えることはない。 -
ライトアップされたガートは、何ともいえない見ごたえがある。
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こちらはマーンマンディル・ガート。
私は全く夜景フェチではないのだが、このガートの煌々と光を放つ夜景は、一見の価値があると思う。 -
このナイトクルーズは、時間があれば一度体験することをお奨めしたい。
初日に会った日本人男性は1000ルピー払ったと言っていた(宿の手配では900ルピー)が、タイミングが合えば、そして多少の不便を我慢すれば、100~200といった格安で乗ることもできるようです。 -
ボートから降りてしばらく、夕食の店を探して回る。
しかし、紹介してもらった名だたる店に足を運ぶが、どこもビールを置いている店がない。
この有名店も、せめて1回くらいは味見してみたかったけどなあ。
この混雑ぶりだと断念せざるを得ない。 -
結局、3日間とも同じレストランへ。
実はリバーサイドにもう1件、外国人観光客向けのアルコール提供アリのレストランを発見していたが、結局、料理にハズレのない、「1916レストラン」へ戻ってきてしまった。
ビールを飲まなくてもいい人はもっと選択肢があると思うけど、酒飲みの辛いところである。
この日はタンドリーチキンとバターチキンカレーを頼んだ。
アグラでもそうだが、一人旅の人は基本的にターリー(定食)を頼む方がベター。基本的にレストランのカレーやタンドリーはすべて2人前仕様だと思う。 -
この公園、絶えず人が溜まっていて賑やかな公演だ。
デッシュバンドゥ・チッタランジャン・ダス・パークというらしい。 -
こちらの「ホテル・ニュー・スター」も肉のおいしい有名店らしい。
ビールが飲めれば、こういうところでの食事も捨てがたいのだが。 -
大晦日なので、22時過ぎまでガートをぶらつく。
時折、若い大学生ぐらいのグループがこちらを見て
「ねえ、ヒンディー語、話せる?」と聞いてくるが、
「ごめん、英語しか話せない」というと、残念そうに手を振って去っていく。
顔立ち的に日本人が珍しいのもあるだろうけど、こうして興味を持って話しかけてくれるのは旅行者としては本当にうれしい(*^▽^*) -
結局この日は22:30くらいまでぶらぶらし、ゲストハウスに戻ってシャワーを浴びていたらオーナーが声をかけてくれ、屋上から年越しの花火を鑑賞することができた。
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バラナシ最終日。今日から2026年だ。
昨日とは打って変わって、太陽を拝むことができる。 -
朝9:00のガンガー。後で聞いたところによると、この日はきれいな日の出が拝めたそうだ。
残念ながら見る時間がなかった。 -
朝食を終えて、いつも通りリキシャの集う通りへと向かう。
何かの屋台が出ていた。 -
今日は16時ごろにバラナシ・ジャンクション駅に着けばいいので、昼過ぎまで観光ができる。
行こうと思っていた場所は、ラムナガール要塞だ。
昨日同様、リキシャのドライバーを探す。 -
何人かに見積もりを取っていくうちに、なんとなく見分け方が分かるようになってきた。
その中に、地元の家族連れとの値段交渉を煩わしそうにスルーして、
「おい!お前はどこへ行きたいんだ?」と私に聞いてきたドライバーがいた。
目を見る。嘘をつきそうな目には見えない。
値段を聞く。往復+待ち時間1時間で1000ルピー。他の見積と同じか、少し安い。
まずは800を提案してみる。
「だめだ。他をあたってくれ」と即答。
たった100か200ルピーのために交渉で無駄な時間を使うのも嫌気がさしたのもあるが、妙に正直そうなその人柄が信用できるような気がして、彼に乗せてもらうことに決めた。 -
リキシャは市街地を南下して橋を渡り、ガンガーの反対側へ。
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約20分ほど走って、ラムナガール要塞に着いた。
ここで1時間後に戻ってくることを約束して、中へ入る。
料金は後払いでいいそうだから、安心できる。 -
こちらも外国人200ルピー、インド人80ルピー。
相変わらず、インド人お得意の割り込み入場が頻発する('◇')ゞ -
広い中庭。お客さんはカップル、家族連れが大半。
ちなみに要塞内部はムガル帝国時代に使用された馬車、武具、日用品の展示が中心。要塞内部の写真撮影は厳禁のようです。 -
城壁からガンガーを仰ぎ見て。天気もいいし、来てよかった。
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ここで散策している間、インド人のグループに話しかけられた。
出身を聞かれたので日本からだというと、英語が堪能できちんとした身なりの一人が、「少し話したいのだけど、いい?」と遠慮がちに聞いてきたのでOKする。 -
私より少し下の、おそらく30台後半らしい年代の男性だ。
彼の英語はとても聴き取りやすい。
「僕はいつも日本人を見ると驚く。
君たちは、戦争で酷く痛めつけられた。東京も破壊された。
しかし、今、日本は世界でもトップクラスの経済大国だ。
君たちの国に行くと、いつも驚かされる。素晴らしい道路、素晴らしいレストラン。素晴らしいもてなし。東京は、美しい街だ。
デリーを見た君たちがどう思ったか、想像するのは簡単だ。
僕たちに足りなくて、君たちが持っているものは何か、僕は知りたい」
おおっと。いきなり答えにくい質問来たねぇ('Д')
世界最大の人口を抱えるインド。
混沌や貧困のイメージがつきまとう一方で、法律やコンピューター、金融、医学といった分野で、今も世界トップレベルの人材を輩出するインド。
こういう人たちがいるおかげなのだろうか。 -
拙い英語ながら、こう返す。
「君たちは知らないだろうが、日本にはたくさんの解決しなければならない問題がある。人口は減り続け、政治に無関心の人が増えた。今の日本の通貨には、ドルやユーロに対抗できる価値がない。低い収入に惨めな思いをしている国民が増えた。観光がなければ生きていけない国になった。
正直に言って、君は日本を過大評価していると思うよ」
意図が伝わったらしく、神妙そうにうなずく彼。
「日本を世界トップの国にしたのは、僕たちの父親よりも年上の人々だ。
僕は、彼らが大事にしたものが二つあると思ってる。
一つ、僕たちは宗教に助けを求めない。仏教徒は数多くいるが、神との契約を心から信じている人はほとんどいない。彼らも現実しか見なかった。
二つ、僕たちはルールを何より重要視する。君たちの国と違って、車を逆走させる人、順番を守らない人を決して許さない。ルールは、人が自由に活動するために大切なものだ。違いは、それだけだと僕は思う」
ゆっくり話したせいか、だいたいの意図は伝わったようだ。
彼は、にっこり笑って「いい話が聞けた。話せてよかった。また日本に行けるのを楽しみにしている」
と、握手を求め去っていった。
-
本当は、日本が奇跡的な復興を遂げた大きな原因は、当時の冷戦構造と、日本を極東軍事拠点にしたいアメリカの思惑があったというのがたぶん模範解答だ。
しかし、彼が聞きたいのはそういうことではなさそうだった。
私の答えは、彼の望む答えになっていたのだろうか?
わからんが、そろそろオートリキシャと約束した時間だ、戻ろう。
ところで、この要塞も家族連れやカップルに大人気である。
うーん、カップルでこんなところにきて楽しいのかね('ω')?
-
ドライバーは「早かったな」という顔で待っていてくれた。
あとは帰るだけなのだが、帰りにドゥルガー寺院を見ていきたいと考えてドライバーに申し出る。
「ルートが変わる。時間がかかる」と渋るので、
「追加で200ルピーなら?」と聞くと
「それならOK」ということなので、ちょっと寄ってもらうことにする。 -
こちらがドゥルガー寺院。外国人は入場禁止なのかと思ったが、どうやらヒンドゥー教徒しか入れないのは本堂だけで、敷地内には入れるらしい。
全てが赤に塗装された、珍しい寺院。 -
ドゥルガー寺院の周辺は、ちょっとした観光地めいた様相を醸し出している。
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13:00前には旧市街に帰ってこれた。
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しばし、イスラム街を散策してみる。
酒はタブーだが、イスラム街にもおいしい店はたくさんあるそうだ。 -
やはりここでもバイクが我が物顔である。
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イスラム街の有名店、ラランホテルがこちら。
一度はこちらで食べてみたかったなぁ。 -
この日のランチは、評判の良いShree cafeで最後のランチを取る予定で目指すことに。
ところが、店の前の通りはすさまじい大行列!
「なに~( ゚д゚)、まさか正月なのでどの店も開いてなくて大混雑なのか!?」と思ったがそんなはずはなく。 -
ずらりと列をなすインド人。そう、この小路の先にあるのは、例のヴィシュワナート寺院。
要するに、インド式初詣の大行列なのである。 -
ということで、美味しいと評判のShree cafeターリーと、ココナッツラッシーをいただく。いやー、聞いてはいたが確かに美味。
しかし、量がかなりあり、結局この日は夜までお腹が空かなかった。 -
15:00、ゲストハウスに帰る。
オーナーが300ルピーで駅まで送るようオートリキシャと交渉するということだったが、どうやら道が混んでいるので350じゃないと行かないとごねられたらしく、結局350で妥結した。
観光客としては50ルピー程度をケチったところで、という気もするし。 -
旧市街の路地は確かに混んでいて、結局25分ほどかけてバラナシジャンクション駅に到着することになった。
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15:25、予定時刻の1時間30分前に到着。
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思ったより早くつきすぎたので構内をぶらぶら。
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1杯ルピーのチャイでもしばいて、一服する。
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VIPラウンジのようなものがあったが、利用方法が分からず、まったくVIP用っぽい様子がないのでスルーした。
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一応、ホームを駅のスタッフに確認する。
ここにはデリーと違って、「このチケットは偽物だ」などという連中はいないようだ。
まあ、仮に偽物だと言われたところで、こちらはインド鉄道の公式サイトから直に購入したQRコード付きなので、何ら慌てる必要はないのである。 -
駅構内に荷物を置いて散策している間に、私の荷物横に寝ている客がいた。
外国でキャリーケースを置き去りのまま移動とは我ながら不用心だが、こんな重いものを担いで逃げるほどギリギリな人生の奴もいないだろう、という慢心からである。
しかし、振り返ってみると、一人旅を始めたころに比べて、かなり行動が不用心になってきている自覚がある。
海外で気を緩めていると、いつか大火傷するような気がしてならない。気をつけねば。 -
インドの鉄道で気を付けなければならないのはむしろこちら。
何しろ、日本やイギリスでおなじみの電光掲示板があるにはあるのだが、まったく正確ではない。
そして、アナウンスがない。
つまり、自分が乗る列車が正しいものかどうか、判断する材料が心もとないのである。 -
到着したMarudur Express アグラ行き。
こういう時は、周りのインド人や欧米人に聞きまくる。
そして、この列車は、最終的に乗り場が3番→5番→4番と、3転した。
しかし、IXIGOアプリは本当に優秀で、最初から「4番から出発」という予定をアナウンス。結局、IXIGOアプリが一番信用できるということなのだろうか。 -
やっと電車に乗り込めた。安心感でほっと一息。隣の寝台には日本人の女性二人旅。
インド人のガイドさんを雇って、ガイドさん家族とインドの観光をしているらしい。 -
足を伸ばしたのもつかの間、隣の女性から
「ガイドさんと席が離れ離れになってしまったので、申し訳ないけど座席を変わってもらえませんか」
とお願いが来た。
こういう時は、マイルールとして交代先の座席を確認してから応じるようにしている。
今回は同じSIDE LOWER(通路と平行に並ぶ寝台の下段)なので了承した。
飛行機でせっかく通路側を取ったのに「家族と離れてしまって、隣の席がいいから交代してほしい」と言われた時も、交代先が中央の席なら、きっぱり断るようにしている。
お互いしこりが残るのは嫌ですから。
インド人のガイドさんにはいたく感謝され、
「アグラはよく知ってるから、着いたら起こしてあげます。駅の出口まで案内します」と言われる('ω')
でも・・・・
申し訳ないのだけど、経験上、こういう熱心なフォローほどあてにならないことを知っているので、あまりあてにはしていない。たぶん、この人は忘れるだろうな、という予感がする。 -
交代した座席ではインド人の家族が大騒ぎしていたが、自分の席なのでどいてもらい、どっかりと体を横たえると、いつの間にか眠ってしまったらしい。
気が付くと、18:30だった時計が22:40になっていた。
回ってくる車内販売はチャイとお菓子ばかりだったので何も買わなかった。
夕飯ももちろん食べていない。 -
車内販売があるかと思ったが、22時を過ぎるともうチャイの販売すら回ってこない。
幸い(?)、昼に食べたターリーが意外と腹にたまっていて、夜中になっても腹は減ってない。
さもしいことだが、異国の寝台列車で夕食抜きということになってしまった。 -
トイレも洗面台も、汚れてはいるが使用に耐えられるものではある。
-
結局この電車で口にしたのは3杯のチャイだけだった。これから夜行に乗ろうという人は、食料の調達だけは真面目に考えておいた方がベター。
-
アグラフォートの駅に到着するまでに短い停車時間。
停車している時間が読めなかったので外をちらっとのぞいただけだったが、ここで何か口にするものを買えばよかった('Д') -
9:20過ぎ、ヤムナー川を渡って、電車はアグラに間もなく到着するらしい。
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となりの家族連れはボリウッド映画を見始めた。
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予定より3時間遅れの9:30、電車はアグラフォート駅に到着。
「起こして出口までついていく」と言っていたインド人のガイドさんは、結局声をかけてくれなかった。
まあこちらもあてにはしていないので、何とも思わない。
平常運転と行こう。 -
がらーんとしたアグラ・フォート駅。
-
寂しい駅の構内を出口に向かって歩いていると、とにかくリキシャやタクシーの客引きがしつこい。「要らない」と言ってるのに、あきらめずに引っ付いてくる。
-
外に出て一服している間も、ずっとこちらに話しかけてくるドライバー。
スマホでUBERを起動させると、ホテルまでの料金は150ルピーと出た。
それを見たドライバー、「100ルピーで行ってやる!」と申し出る。 -
「本当に100ルピーなんだろうね?追加料金は払わないよ」
と念押しして、車に乗り込む。
まあこういうのも一興。
時刻はまだAM10:00。慌てずゆっくり、アグラ観光といこう。
結果的に、この人は信用できる人でした。 -
最後に、ガンガーの想い出。3泊では物足りず、もう少しいたかったな、というのが本当のところ。
観光名所を回るよりも、路地に入り、カフェに座り、土産物屋を冷かして、雰囲気を楽しむ街だと思う。
今回、ガンガーで沐浴をするか最後まで悩んだ挙句、水着までもっていきながら沐浴は断念した。
現地で会った日本人旅行者に「ところでガンジス川に入りますか?」という質問をしましたが、みな一様に「まさか。入るわけないでしょ('Д')」という反応だった。
私も結局、入らなかった。
想像以上に汚れた水質や体調との兼ね合いももちろん大きいが、もういい歳だし、性格的にも、聖地まで来て
「ウェエエイ(*^▽^*)記念にガンジス川入ったったぜいっ!」
みたいなノリがどうにも性に合わなかったからだった。
そして、いい情報を聞きました。
ガンガーで沐浴をしたいのなら、インド人が迷わず推すという場所。
それはリシュケシュ。
ビートルズが1968年にアシュラムで修行したことでも知られる「ヨーガの聖地」。
この街は、ヒマラヤから流れ込む美しく青きガンガーで身を清めるのにうってつけだそう。
写真を見せてもらったが、「ここならゆっくり潜れそう」と思うほど美しい川であった。
ということで、何年先になるか分からないが、楽しみに取っておこう。
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この旅行記へのコメント (1)
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- furyosanさん 2026/02/08 11:21:51
- 懐かしい~
- 40年ほど前に。当時は国が旅行を管理していて11日間のコースを短くして貰って9日間の仏跡参拝の旅で同じ場所を訪問したことを懐かしんでいます。出発前に25年前にインド訪問をしたお方に話しを聴きに行って来ました。その時の25年前のお話のインドの姿と私が訪ねた時とほとんど同じだったことを覚えています。今も写真を見てあんまり変化が無いなと思うところと、アレッと思うところもありますが、ほとんど変わっていないのがインドですね。その後、中国へ行く時に別の方ですが、当時の5年前に訪中した話を聴いて私が同じところを訪ねたのですが、まるっきり変わっていて変化の激しさを実感してきました。中国の変化はものすごいが、インドは時間が違い過ぎです。中国は私が初めて訪問した時は、私が10歳くらいの日本と同じ感覚でしたが、2回目の中国訪問時はそんなことあったかと言った変化がありました。インドの、臭い・喧しい・汚いはそれを克服することに価値があると思っている日本人に人間の生き方がそんな所にあるのではないよと、生きることの本質を問われている感じがして、好きでした。大切な”もの”を求める進歩発展と言う便利さだけの姿でなく、大切な”こと”を求める生き方を教えられた気がしました。
また、インドへ行きたいと思っていますが、40年前の同行者の84歳の年齢まであと少しになってしまった。年金生活では簡単に行くことが出来ない、残念。宝くじでも買うかな。
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