2020/02/05 - 2020/02/12
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2020年イタリア8日間の旅13 まだ続きます。(ナポリ・ポンペイ編1)
久しぶりにイタリアブログに戻ってきました。イタリア8日間の旅はまだ続きがありました。前回はチヴィタからローマに入りさんざん歩き回りましたが、楽しかったです。
今日は2020年2月10日(月)6日目です。行程表は終日自由行動となっていますが、私たちはオプションツアー『ナポリ・ポンペイ終日観光』に参加します。
8:30~11:00 ホテル出発、ポンペイへ
(途中1回トイレ休憩)
11:00~11:30 カメオ工房
11:30~12:30 ポンペイ遺跡見学
12:30~13:30 昼食
13:30~17:00 ポンペイからホテル
(ナポリはバスで回ってもらって車窓観光 途中1回トイレ休憩)
17:00~ ホテル隣接のスーバで買い出し
ポンペイ(ラテン語: Pompeii)は、現在のポンペイにあたる古代都市で、その歴史は紀元前9世紀に遡ります。当時、オピチ人はまだ定住形態ではなかったが 、ヴェスヴィオ火山の溶岩流の後に形成された標高約30メートルの台地の戦略的な位置でその領域を占領していた。急峻な壁が海を見下ろし、ナポリ湾全体を見渡せ、周辺には泉が少なかったため優れた水源であるサルノ川の河口近くに位置していました。紀元後79年にヴェスヴィオ山の噴火により高さ約6メートルの火山灰と火山礫の層に覆われてヘルクラネウム、スタビアエ、そして周辺の多くの集落と共に消滅しました。1748年に始まった再発見とそれに伴う発掘調査により、 考古学遺跡が明らかになりました。
[ポンペイの語源は、ギリシア語のpémpoまたはpompé、もしくはオスク語のpompeに由来し、オスク語で数字の5を意味するpompeであると思われる。これは、この共同体が5つの村落から構成されていたか、あるいは家族集団(gens Pompeia)によって定住していたことを示唆している。]
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
今日は元気よくポンペイ観光に行きます。客室から出てエレベータに乗り込むところです。
(なにこれ。にぎやかな扉)
誰が見ても、エレベータです。
(普通、エレベータの前は広いホールになってない?)
エレベータ廊下にエレベータがあるので,スーツケースを持って数人が並んでも混雑しますが、何の問題もありません。イタリアのホテルはおおらかです。
(です?) -
(すごい)
電話ボックスみたいでしょう。 -
バスで行くぞ。片道3時間。
(その時間で若い人はローマ市内観光できる。) -
30分後早くもトイレ休憩です。
(ショップも兼ねてますが、買い物には早すぎる。トイレを借りただけでごめん。)
[ヴェスヴィオ火山について]
ヴェスヴィオ火山はイタリア、カンパニア州ナポリ湾を見下ろす成層火山です。現在の形状は、より古い火山であるソンマ山との合体によって形成されました。ソンマ山の上部が強力な爆発的噴火によって崩壊し、カルデラ内に円錐状の山が形成されました。
ヴェスヴィオ(ラテン語ではV?sŭv?us 、またはVeseviusなど)という名称は、おそらく印・欧語族「照らす」を意味するauesまたは「燃やす」を意味するeus に由来します。
ヴェスヴィオ火山は完新世(過去11,700年間)に54回の噴火が確認されていますが、西暦79年の噴火は、歴史上主要な噴火で、火山とその周辺地域の地形を大きく変え、ヘルクラネウム、ポンペイ、オプロンティス、スタビアエといった都市を破壊しました。これらの都市の遺跡は、18世紀以降に発見されました。1944年に噴火した後は休止していますが、監視は続けられています。 -
ナポリですよ。
(どこが?)道路標識が。
(ヴェスヴィオ火山は?)
山の裾野を走っているので、左に見えているはずですが。
[いこう、いこう。ひのやまへ。登山電車が出来たので。
だれもいく。フニクリ、フニクーラア~]
(なんか違う。)同じだとむしろまずい。
フニクリ、フニクラはナポリ民謡ではなく、登山電車のテーマソングでした。1880年にヴェスヴィオ火山の山頂までの登山鉄道(ケーブルカー、イタリア語では「フニコラーレ(Funicolare)の「ヴェズヴィアナ鋼索線」が敷設されたが、当初は利用者が少なかった。そこで運営会社が、コマーシャルソングを作らせました。残念なことにケーブル鉄道は、1944年に発生したヴェスヴィオ火山の大噴火によって壊滅的な被害を受け、あえなく廃線となりました。今は代替リフトは廃止されたものの、登山道路で上がれます。 -
Mida Sportは、主にイタリアのカンパニア州に複数の店舗をもつスポーツ用品店チェーンで、ここはシトロエンのディーラー併設の店舗のようです。ポンペイ遺跡までもう少しです。
-
ポンペイ地図
(参考に道筋入れておきました。)
古代ポンペイは、紀元62年大地震にみまわれ復興さなかの17年後の紀元79年にヴェスヴィオ山の噴火が起こったのです。当時の人口約1万5千人(ローマ市民、ローマ市民権を持つ自由民60%、解放奴隷、及び奴隷40%)街を囲む城壁の長さ3km、城壁外へ通じる門は8箇所でした。 -
マーレ通りエセトラ広場付近です。
駐車場からポンペイ遺跡に向かいます。
[ショップに寄りますよ。]
寄るの? -
Ristorante Suisseリストランテ・スイスはレストランですよね。
[雑念は捨てて黙ってあるく。]昼にかかっているのに雑念ですと? -
[着きましたよ。]
Cellini Gallery Cameos & Corals チェッリーニ・カメオ工房です。
旅行会社恒例のショップ立ち寄りですが、トイレ休憩も兼ねているからいいでしょう。 -
(これ買っておくれ。)
え~ええよ。小金持ちは、けちらない。肩こるといけないから一番小さいのにしようね。
(円に換算してくれている。) -
Ufficio informazioni
チケット売り場とインフォーメーション事務所
中にカフェもあるようです。 -
ポンペイ遺跡のゲートが見える。並ばずに入場できそうです。
-
(見えているのがポンペイ遺跡。わたしは写真を撮るのがうまい。)
-
Viale delle Ginestre ジェネストレ通りをしばらく歩きます。優秀な人のブログは無駄がなく的確に優雅にまとまっていますが、私は無理、無駄、ムラが身上。余計なところを見ないと、ことの本質は分からない。
(何をいっているのやら)
例えば今左を見ているが、右はどうなっていると思う? -
(思わない)
ほれこの通り。プランターと幕を張ってある。
(話は手短にね。)
とは言え、写真になんらかのコメントがほしい人のため、心を込めて入れさせていただきますので怒らないでください。 -
(来ましたね。)
Caserma dei Gladiatiri 剣闘士宿舎のアーケードに入りましたが、 -
床と内壁はご覧のようになっております。
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中庭広間は競技の練習場になっております。
-
Quadriportico dei teatri クアドリポルティコ劇場中庭柱廊は中庭を取り囲むように柱が立っています。ノチェーラ産の灰色の凝灰岩でできた74本のドリス式円柱を巡らせた大きなクアドリポルティコのフォイエ(ロビー)があって、休憩時間には観客がくつろげるようになっていました。
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紀元62年に起きた地震の後で、この建物の一部を再整備して、剣闘士たちの兵舎として使うようになりました。
-
上部ステージは上部の屋根が架かったところまであります。
(ガイドで確かめながら歩いている。あんたと違ってこの子はえらい。)
私は行き当たりバタリ。なんだと。 -
扉から部屋を覗きました。今は保管倉庫として使っている様です。
-
(早くも遅れがちですよ。)
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東側に目を向けると、あれは何の開口でしょう。気になりませんか?
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(先に行くから。)
待ちなさい。
この若い人をみらなって、噛みしめるように歩かないといけんとよ。 -
損傷が激しいので、ドリス式円柱の柱頭部貼ってみました。
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ほとんどの壁は煉瓦と石を併用しています。
奥には見学者用のトイレか休憩所があるようです。 -
補強が必要な柱は鋼製フレームを巻いています。
-
東側の柱列はイコニア式に見えるがどうでしょう。
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東に抜ける通路はスタビアナ通りに通じています。
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左の建物は仮設プレハブのようで、時期がくれば撤去されそうです。
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後を振り返るとまた違った感じです。剣闘士宿舎の屋根の上に見えるのは通りの向こう側の建物です。
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Teatro Piccolo(Odeion) 小劇場入口です。(オデオン:ギリシャ語のᾠδεῖονとὨιδεῖον文字通り「音楽競技のための建物」という意味で音楽堂です。)
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銘文によると、オデイオンあるいはテアトルム・テクトゥムとローマ人から呼ばれていたこの劇場は、ポンペイがローマの傘下に入ってすぐの時期(紀元前79年)に、地元の行政官であったマルクス・ポルシウスとカイウス・クインクトゥス・ヴァルガスの希望で建設されました。この二人は円形劇場の建設も指示しています。 この劇場では当時の流行だった無言劇が上演されたほか、音楽会にも利用されていました。
開口がもっと大きかったのか、上部壁を石で埋めているようです。 -
観覧席には上がれないようにロープで囲っています。
東から入ってくる人もいてにぎやかです。 -
建物には様々な色の大理石で豊富な装飾が施され、凝灰岩でできた大きな男性像(テラモニ)が階段を支えていました。 また、音響効果を高めるために、天井部分は屋根で完全に覆われていました。
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床は大理石貼りです。赤い傘を背中に指しているのガイドさんです。
入るときと、出るときはまた違って見えます。 -
[先を急ぎましょう。]
次の大劇場に行きます。
壁にところどころ、漆喰が残っています。壁は漆喰で化粧されていたようです。 -
Teatro Grande 大劇場入口です。
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あのあたりから壁が損傷しています。
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上部2つの開口の先は階段だと思われます。
パブリックドメイン:西立面裏です。画面に納めるため横方向が縮んでいますが、裏側はこんなになっております。 -
パブリックドメイン:大劇場平面図です。
通路段は上部になると仕様なのか、すり減っているのが分かります。下部は補修のため石を入れ替えているようです。 -
東と西では様子が違います。西にあった上部壁と開口がありませんが、上部開口と壁があったような痕跡が見うけられます。
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上からステージ側を見ています。ステージの壁は煉瓦積みです。
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舞台のステージは補修されて床ができています。
(次に行くよ。怒らんから下りておいで。)
はあい。上部観客席からス座ってテージを見るとまた違って見えるんですけど。 -
漆喰が剝がれていますね。この通路を行くとスタビアナ通りに出ます。
右側が小劇場の擁壁です。 -
階段のための開口が2か所ありました。
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いきなりスタビアナ通りに出ました。
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通路を振り返るとこんな感じです。すべてつながっているようです。
中央
VIII.7.20Teatro Grande,Teatro Piccoloへの通路です。
右端
VIII.7.21柵のむこう、スロープになっていてTeatro Grandeの階段席までつながります。 -
スタビアナ通り南詰は封鎖されています。小劇場に入る開口が見えます。
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ポンペイ遺跡における「スタビアナ通り(Via Stabiana)」は、南の「スタビア門」から北の「ヴェズヴィオ門」までを結ぶ、ポンペイで最も古い主要な南北道路の一つです。ポンペイの南西約5kmに位置した古代都市スタビア(現カステッランマーレ・ディ・スタービア)へと続く道であったことから、この名で呼ばれました。
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VIII.7.23 shop
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VIII.7.24 Casa dello Scultore
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VIII.7.25 Tempio di Asclepio e Igea o Tempio di Giove Meilichio:
エスクラピウスまたはメイリキオのジュピターの神殿
オスク語で書かれた記録によれば、冥界に属するメイリキオ(蜜のように甘い?)のジュピターに捧げられた神殿ですが、通常その礼拝所は町の中心からは離れたところにあります。より可能性が高いのは、医学の庇護者アスクレピウスを祭った神殿という説で、ここで発見されたテラコッタの構造と医薬箱のうち像の方はナポリの考古学博物館に保存されています。中央に凝灰岩でできた祭壇が残っているようですが、飛び石の話の方が重要なようで素通りしていきました。
神殿前の交差点のところで、横断歩道の話で夢中です。飛び石の隙間を馬車が通り抜ける情景を想像するだけで楽しそうです、 -
スタビアナ通りの右はREGⅠINS Ⅳ(1地区4街区)です。
通路はVICOLO DEL MENANDROヴィコロ・デル・メナンドロといい、(VICOLOはViaより狭い路地、小路をいいます)1ブロック先の南側にメナンドロスの家Casa del Menandroにちなんで名付けられました。
(この家の名はペリスティリウムにあるフレスコ画のギリシャの劇作家メナンドロスにちなんでいます。) -
スタビアナ通りとメナンドロス小路の交差点辺りで、北を見ているところです。
-
振り返って南を見るとこんな感じです。馬車では直進はともかく右折、左折は難儀でしょう。noriyosiが人力車を押して飛び石にけつまずいて鼻血を出しているところを想像してください。
(馬は石を飛び越せても、noriyosiは足が短いから。ヒヒひ)
右はREG Ⅷ INS Ⅳ(8地区4街区)です。西にあるVia Del tempio D'Iside イシス神殿通りからTempio D'Isideイシス神殿に出ます。
発掘された当時、イシス神殿は装飾や備品がほとんど当時のままに残っていました。イシス信仰はエジプト起源の非常に古い女神信仰で、紀元前3世紀頃から地中海全域に広まり、信者だけに限定された秘儀信仰でした。神話によれば、イシスはセトによって殺され解体された夫オシリスの遺体の断片を集め、魔法のように再度繋ぎ合わせて命を与えたことから、生命を支配する女神となりました。 -
パブリックドメイン:独
Römisches Fresko aus dem Tempel der Isis in Pompeji.(ポンペイのイシスの神殿のフレスコ画)神殿を飾っていた彫刻や付属品は、ナポリの考古学博物館に展示されています。
Ixion-Casa dei Vettii(ヴェッティの家のトリクリニウム東壁のフレスコ画。第4様式(西暦60~79年)
似た名前のイーリス(古希: ?ρις、古代ギリシア語ラテン翻字: Ĩris)は、ギリシア神話に登場する虹の女神です。英語読みではアイリス (Iris) となる。(日本語ではイリスとも)イーリスはギリシア語で虹を意味する。また、イーリスの聖花はアイリス(あやめ)で、この名もイーリスに由来する。ローマ神話では、アルクス(Arcus:弓状のアーチから虹の意)が対応する女神です。
(なんで)近世の絵画はありますが、イリスが登場するのは古代ポンペイではこれです。普通はヘーラー(ジュノ)、ゼウスの後ろに控えています。
Battaglia di Isso, casa del Fauno,
(紀元前333年にアレクサンドロス大王とペルシアのダレイオス3世が戦った「イッソスの戦い」は「牧神の家(Casa del Fauno)」で発見された紀元前100年頃のローマ時代の床モザイクです。)
「オプス・ヴェルミクラトゥム(ミミズ状の技法)」と呼ばれる非常に細かい技法で、約150万~200万個の小さなテッセラ(石のタイル)が使用されています。これは紀元前4世紀末のヘレニズム時代の絵画(エリトリアのフィロクセノスまたはアペレス作と推定)の模写と考えられています。
以上、私の趣味でした。 -
Casaは現代イタリア語ですが、DOMUSドムスはラテン語です。(ギリシャ語では家を意味するδóμος domosも印・欧祖語の*dem-/*dom「建てる」に由来)
古代ローマで用いられた住居の一種です。都市における私的な住居であり、城壁の外に位置する私邸である villa suburbanaヴィッラ・スブルバーナや、田園地帯に位置し農作業専用の部屋を備えたvilla rusticaヴィッラ・ルスティカとは区別されていました。ドムスは裕福な貴族の住居であり、下層階級の人々は insulaeインスラと呼ばれる小さな建物に住んでいました。
Casa del Citarista
DOMUS POPIDI
SECUNDI AUGUSTANI
チェトラ奏者の家(ドムス・ポピディセクンディ・アウグスタニ)
家の名前はここで発見されたチェトラを弾くアポロのブロンズ像に因んでいます。 家の中から発見された碑文や選挙に関する記述によると、所有者はポンペイでも最有力の家柄ポピデイ一族に属しています。 -
左の2階建ての建物はベーカリーショップだったようです。
Casa dei Cornelii
DOMUS CORNELIA
コルネリイイの家 (ドムス・コルネリア)はもうちょっと先ですが、配置図付けました。
(分らんです。)
そんなときは引用文の説明がよい。
この家の平面図は典型的ななドムスで、アトリウムの中央に大理石製のインプルヴィオがあり、かつてはその脇に獅子の脚を持つ優美なテーブルが配できます。この完全な彫刻による室内装飾は現在、フォロの穀物倉に展示されています。
家の後方にはドリス式の円柱のあるperistylium(ペリスティリウム)
があります。(ドムス (domus) の中にこしらえた中庭をperistylium と呼び、周囲を円柱や四角い柱と屋根のかかったポルチコで取り囲み中央に庭園などがあるものをさします。) -
shopの作業所で、ベーカリ用の窯があります。
(この辺りわけわからん)
パン屋さんは30軒ほどあったそうです。 -
コルネリイイ家のペリスティリウムの円柱が遺跡越しに見えます。
-
コルネリイイの家 (ドムス・コルネリア)のはスタビアナ通りの入口kです。アッボンダンツァ通りにも面している広大な建物です。
当時アトリウムの鎧戸近くに置かれていたカイウス・コルネリウス・ルフスの胸像は、現在アンティクアリウム(ポンペイ付属博物館)に展示されています。 -
Taberna D. IVNI PR.
タベルナは古代ローマの商店や居酒屋を指します。このプレートは、この商店の所有者がD. Junius Proculusであったことを示しています。 -
遺跡内の主要な通りの一つであるスタビア通り(Via Stabiana)とアボンダンツァ通り(Via dell'Abbondanza)が交わるホルコニウスの交差点にある公共の石造り給水所(噴水)です。喜劇の仮面のレリーフを彫った石は水が出る注ぎ口として機能します。古代ローマ時代、ポンペイには水道システムを通じて多くの公共給水所に水が供給されていました。
この種の給水所は市民にとって重要な水源であり、水を溜めるための槽(トラフ)が備え付けられていました。多くの給水所は、劇場用のマスクや動物(犬など)の顔の形をした彫刻的な注ぎ口で装飾されていました。ポンペイの街路の至る所に存在し、人々はここで洗濯をしたり、野菜を洗ったり、水を汲んだりしていました。
(車道にはみ出して危険なんですけど) -
VIA DELL’ABBONDANZA:アボンダンツァ通り
アボンダンツァ」とはイタリア語で「豊穣(裕福)」を意味します。通り沿いにある給水所に、豊穣の女神アボンダンティアの浮き彫りがあったことに由来します。
街の動脈として 全長は約1kmに及び、街の中心部である「フォロ(公共広場)」から東端の「円形闘技場」付近までを結んでいます。 -
アボンダンツァ通りのスタビア浴場前はあきらかに広くなっています。
(見通しがいいです。) -
Casa dei Cornelii
DOMUS CORNELIA
先ほどのドムス・コルネリアのアッボンダンツァ通りの入口aです。
ポンペイのヴィア・デッラ・アボンダンツァ(Via dell'Abbondanza)沿いにもあり、スタビア浴場の向かいに位置しています。
「コルネリウス・ルフスの家(Cornelius Rufus)」としても知られ、 紀元前1世紀頃、共和政ローマ末期に栄えたコルネリウス一族の邸宅と考えられています。
(継ぎ張りじゃね。もっとしっかり撮りなさいね。)
自分の目で見るのが一番大事。 -
工事用柵にArea archelogica di pompei(ポンペイ考古学遺跡エリア)の幕を掛けています。
Domus T. Mescini Gelonis:ドムス・T・メスキーニ・ゲロニスは、入り口付近の壁に埋め込まれた銘板(銘文)によって識別されました。この邸宅は、かつて洗濯場(ラウ・トリーナ)として使用されていたことで知られています。
プレートは表記上domvsですが、domusです。古典ラテン語はVとUをあまり区別していなかったのですが発音に差がでます。ドムスです。 -
Terme Stabiane スタビア浴場前
スタビア浴場の外の通り側に商店が並んでいたようです。(配置図参照) -
アッボンダンツァ通りに面したメインの入り口から入ると、広い中庭に出ます。
-
パブリックドメイン:配置図兼平面図付けました。
この建物は市内で最も古い熱水建築であり(紀元前2世紀)、以前の施設(前4〜3世紀)の上に建てられ、その後の修復が行われました。柱廊の東側には浴室の部屋があり、女性と男性の部屋に分かれています。フリジダリウム(冷水浴槽のある部屋)、アポディテリウム(更衣室)、テピダリウム(温室)、カルダリウム(温かい入浴室)、暖房炉です。北側には大きなトイレがあり、西側にはプール(ナタティオ)があります。内部は、79年の噴火直前の精緻な多色スタッコ装飾があり、石灰と方解石で作られた「第四様式」の具象的・神話的主題が施されており、湿気に耐えました。 -
27は使用人の待機場所だったようです。
-
2.中庭はパラエストラ(屋外運動場)でした。3.西側プール(ナタティオ)前に石の球が2個出土したことから、ボーリング場と推測しています。
東の柱廊をみると、凝灰岩剥き出しの柱、煉瓦積みの柱があります。補修の結果なのか、漆喰が取れたことによるのか興味があります。 -
パラエストラの南西の建屋に壁画があったようです。跡があるのでたどって合成するとこんな感じになります。
南柱廊を見ると厚塗りの漆喰が取れている柱があります。本体の構造柱はもっと細かったようです。 -
パブリックドメイン:パラエストラの南西隅にある漆喰壁(水彩画 1859年)を水彩画で再現したものです。ジュゼッペ・アバテ(ナポリ考古学博物館蔵)
-
柱の化粧漆喰が一部はがれて下地中塗りが見えています。エントランスから入場します。
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柱廊内部にも壁画が描かれていたようです。
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アポディテリウムの天井はドーム状でまるいです。
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アポディテリウムの天井のフレスコ画です。
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アポディテリウムの壁です。
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テピダリウムの床はレンガの束柱(サスペンシュラエ)で支えられており、その下には空間(ヒポカウストゥム)があり、炉で生じた熱気が循環し、また壁の空洞を通って部屋を暖めていました。
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屋根は煉瓦でアーチを構成していましたが、一部破壊されています。
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再現はせずに鉄骨フレームで補強したドームから光が入っるようにしています。
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[戻りますよ。]
とにかく時間に追われているようです。 -
アポディテリウムは大理石の床でした。床にスポット照明を入れているのか光りました。
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西のデストリクタリウム建屋へ柱廊を通って進みます。
-
建屋の入口から入ります。
-
4.デストリクタリウムは体操の前の準備と後始末の掃除をするための室です。
-
犠牲者の遺体をそのまま包み込んだ石膏像がガラスケースに納められています。合掌。
-
スタビアの浴場を退出します。住人のいなくなった街はことのほか寂しい。
(やれやれ、今回はここまでにしましょう。)
苦節6年、データ損失2.4回に及び、残骸を整理して記憶をたどりながらやっと公開の日が来ました。
(その割にはたいしたことないね。)
これも皆様の励ましのおかげと感謝申し上げます。
(誰もしてない。)
残っていたデータを再度手直しをしたので、ますます見にくいとは思いますが、次回もポンペイ編です。宝くじを引く感じで期待してお待ちください。
(はずれかもしれませんが、人助けだと思ってご覧ください。)
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