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 拙稿【小説 de いながら旅】では、高田崇史さんの「古事記異聞シリーズ」を取り上げていますが(※参照)、今回は、同氏の「QEDシリーズ」からシリーズ4作目の『QED 東照宮の怨』(以下「QED」と略称します)をガイドブック代わりに、38年ぶりに日光をリアル旅してきました。<br /> QEDでは、薬局に勤める棚旗奈々が9月下旬に学校薬剤師会の親睦旅行として一泊二日のバス旅行で日光を訪れ、三十六歌仙絵連続強盗事件に絡んで東照宮拝殿に掛かる三十六歌仙絵を見に来た桑原崇や小松崎良平と出会います。奈々が日光を訪れたのは、作中に9月23日、24日の金・土とあり、同じ年の10月にカルロス・クライバーが東京文化会館で「ばらの騎士」を指揮したとあることから、1994年のことのようです。<br /> 登場人物が日光東照宮ほかを巡る場面は小説の前半の一部のため、今回は、いながら旅に仕立て直すことまではせず、『小説「QED 東照宮の怨」de リアル旅』と題するこの旅行記で、いながら旅風に登場人物の動きなども盛り込んで紹介したいと思います。<br /><br />※<br /> https://inagaratabi.com/category/%e2%97%8f-%e9%ab%98%e7%94%b0%e5%b4%87%e5%8f%b2/%e5%8f%a4%e4%ba%8b%e8%a8%98%e7%95%b0%e8%81%9e/

2025 秋旅行(日光・小説「QED 東照宮の怨」de リアル旅)

8いいね!

2025/10/27 - 2025/10/27

1961位(同エリア3449件中)

旅行記グループ 2025 秋旅行

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T.バイソン

T.バイソンさん

この旅行記スケジュールを元に

 拙稿【小説 de いながら旅】では、高田崇史さんの「古事記異聞シリーズ」を取り上げていますが(※参照)、今回は、同氏の「QEDシリーズ」からシリーズ4作目の『QED 東照宮の怨』(以下「QED」と略称します)をガイドブック代わりに、38年ぶりに日光をリアル旅してきました。
 QEDでは、薬局に勤める棚旗奈々が9月下旬に学校薬剤師会の親睦旅行として一泊二日のバス旅行で日光を訪れ、三十六歌仙絵連続強盗事件に絡んで東照宮拝殿に掛かる三十六歌仙絵を見に来た桑原崇や小松崎良平と出会います。奈々が日光を訪れたのは、作中に9月23日、24日の金・土とあり、同じ年の10月にカルロス・クライバーが東京文化会館で「ばらの騎士」を指揮したとあることから、1994年のことのようです。
 登場人物が日光東照宮ほかを巡る場面は小説の前半の一部のため、今回は、いながら旅に仕立て直すことまではせず、『小説「QED 東照宮の怨」de リアル旅』と題するこの旅行記で、いながら旅風に登場人物の動きなども盛り込んで紹介したいと思います。


 https://inagaratabi.com/category/%e2%97%8f-%e9%ab%98%e7%94%b0%e5%b4%87%e5%8f%b2/%e5%8f%a4%e4%ba%8b%e8%a8%98%e7%95%b0%e8%81%9e/

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
グルメ
4.0
交通
4.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
高速・路線バス 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  •  大宮駅に到着。今回の旅は、ここからスタート

     大宮駅に到着。今回の旅は、ここからスタート

    大宮駅

  •  大宮駅11番線。スペーシア日光は、JR新宿駅と東武日光駅を直通で結んでおり、埼京線内の遅れが影響して、到着が遅れるようです。

     大宮駅11番線。スペーシア日光は、JR新宿駅と東武日光駅を直通で結んでおり、埼京線内の遅れが影響して、到着が遅れるようです。

  •  東武特急スペーシア日光1号で大宮駅を出発。約10分遅れの発車(10:14)

     東武特急スペーシア日光1号で大宮駅を出発。約10分遅れの発車(10:14)

  •  東武日光駅前のバス停で行列に並び、ギューギュー詰めで出発

     東武日光駅前のバス停で行列に並び、ギューギュー詰めで出発

    東武日光駅

  •  神橋バス停に到着

     神橋バス停に到着

  • 神 橋<br /><br /> 日光山の入口に架かる朱塗りの反り橋。日光山を開山した勝道上人が大谷川の急流に行く手を阻まれて神仏に加護を求めた際、深沙王が現れ2匹の蛇を放ち、その背から山菅(やますげ)が生えて橋になったという伝説を持つ神聖な橋で、山菅橋とも呼ばれています。朱塗りの橋になったのは、寛永13年(1636年)の東照宮の大造替のときで、その後洪水で流され、明治37年(1904年)に再建。日本三大奇橋(山口県錦帯橋、山梨県猿橋)の一つで、重要文化財に指定されています。

    神 橋

     日光山の入口に架かる朱塗りの反り橋。日光山を開山した勝道上人が大谷川の急流に行く手を阻まれて神仏に加護を求めた際、深沙王が現れ2匹の蛇を放ち、その背から山菅(やますげ)が生えて橋になったという伝説を持つ神聖な橋で、山菅橋とも呼ばれています。朱塗りの橋になったのは、寛永13年(1636年)の東照宮の大造替のときで、その後洪水で流され、明治37年(1904年)に再建。日本三大奇橋(山口県錦帯橋、山梨県猿橋)の一つで、重要文化財に指定されています。

    神橋 名所・史跡

  •  「日光の社寺」の石段を登って、輪王寺へ向かいます。奈々たちは訪れていませんが。

     「日光の社寺」の石段を登って、輪王寺へ向かいます。奈々たちは訪れていませんが。

  •  背の高い杉の木立の中を急な石段が続きます。

     背の高い杉の木立の中を急な石段が続きます。

  •  本殿、拝殿及び神饌所が重要文化財に指定されている御旅所です。

     本殿、拝殿及び神饌所が重要文化財に指定されている御旅所です。

  •  御旅所横の広くて長い坂を上ります。

     御旅所横の広くて長い坂を上ります。

  • 勝道上人像<br /><br /> 勝道上人は、日本における山岳仏教の先駆者で、天平神護2(766年)に日光に四本龍寺を創建して開山し、782年に男体山に登頂し、中禅寺湖を発見して、二荒山神社(中禅寺)を建立するなど、日光の基礎を築いた僧侶です。QEDの作中には、『沙門勝道歴山水瑩玄珠碑井序』という文献によれば、補陀洛山(ふだらくさん=男体山)が二荒山(ふたらさん)に転訛し、更に「にこうさん」という音読みが「日光山」と変わっていったとあります。<br />

    勝道上人像

     勝道上人は、日本における山岳仏教の先駆者で、天平神護2(766年)に日光に四本龍寺を創建して開山し、782年に男体山に登頂し、中禅寺湖を発見して、二荒山神社(中禅寺)を建立するなど、日光の基礎を築いた僧侶です。QEDの作中には、『沙門勝道歴山水瑩玄珠碑井序』という文献によれば、補陀洛山(ふだらくさん=男体山)が二荒山(ふたらさん)に転訛し、更に「にこうさん」という音読みが「日光山」と変わっていったとあります。

  • 輪 王 寺<br /><br /> 天平神護2(766年)に勝道上人によって創建(四本龍寺)。傍らに「日光山輪王寺」の寺号標が立つ、黒門は、日光山総本坊であった「光明院」の正門で、17世紀初頭に建立された歴史ある門で、世界遺産に登録されています。光明院は、日光山を中興した天海大僧正が再興した、延べ床面積8,700㎡の大書院でしたが、神仏分離後の明治4年(1871年)の火災により大半が失われました。

    輪 王 寺

     天平神護2(766年)に勝道上人によって創建(四本龍寺)。傍らに「日光山輪王寺」の寺号標が立つ、黒門は、日光山総本坊であった「光明院」の正門で、17世紀初頭に建立された歴史ある門で、世界遺産に登録されています。光明院は、日光山を中興した天海大僧正が再興した、延べ床面積8,700㎡の大書院でしたが、神仏分離後の明治4年(1871年)の火災により大半が失われました。

    日光山輪王寺 寺・神社・教会

  •  本堂の三仏堂は、徳川家光の寄進により正保2年(1645年)に竣工。堂の前には、推定樹齢500年の天然記念物「金剛桜」が植えられています。<br /><br /> 今回は、宝物殿と逍遥園は外して、三仏堂と大猷院のセット券(900円)を購入しました。クレジットカード(専用券売機)でキャッシュレス購入できました。<br />

     本堂の三仏堂は、徳川家光の寄進により正保2年(1645年)に竣工。堂の前には、推定樹齢500年の天然記念物「金剛桜」が植えられています。

     今回は、宝物殿と逍遥園は外して、三仏堂と大猷院のセット券(900円)を購入しました。クレジットカード(専用券売機)でキャッシュレス購入できました。

  •  幅33m、奥行25m、高さ26mの東日本最大の木造建築。堂内(撮影不可)には、男体山、女峰山及び太郎山を神仏として崇める「日光三所権現」の本地仏である、それぞれ千手観音、阿弥陀如来及び馬頭観音の高さ7.5mの三体の本尊と、欄間に「東照三所権現」の本地仏である薬師如来、阿弥陀如来及び釈迦如来の三体の懸仏を祀っています。

     幅33m、奥行25m、高さ26mの東日本最大の木造建築。堂内(撮影不可)には、男体山、女峰山及び太郎山を神仏として崇める「日光三所権現」の本地仏である、それぞれ千手観音、阿弥陀如来及び馬頭観音の高さ7.5mの三体の本尊と、欄間に「東照三所権現」の本地仏である薬師如来、阿弥陀如来及び釈迦如来の三体の懸仏を祀っています。

  •  大護摩堂は、平成10年(1998年)に新たに造営された、幅約35m、奥行き約19m、高さ約20m、銅板葺き、入母屋造りの護摩祈祷所です。

     大護摩堂は、平成10年(1998年)に新たに造営された、幅約35m、奥行き約19m、高さ約20m、銅板葺き、入母屋造りの護摩祈祷所です。

  •  三法堂と大護摩堂の間に立つ、相輪橖は、寛永20年(1643年)に天海大僧正が世界の平和と繁栄を願って東照宮の奥院鬼門に建立した高さ16mの仏塔。その後の大地震のために二荒山神社近くに移築され、神仏分離に伴い、明治14年(1881年)に本堂北側の現在地に移されました。

    イチオシ

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     三法堂と大護摩堂の間に立つ、相輪橖は、寛永20年(1643年)に天海大僧正が世界の平和と繁栄を願って東照宮の奥院鬼門に建立した高さ16mの仏塔。その後の大地震のために二荒山神社近くに移築され、神仏分離に伴い、明治14年(1881年)に本堂北側の現在地に移されました。

  •  明治初期創業の老舗の土産店・食事処〈きしの〉で、名物の湯葉そばをいただきました。<br /> QEDの作中、親睦旅行の二日目の最後に東照宮の見学を終えた奈々が皆と食堂に入り、湯葉うどんなどを食べ、店頭で生湯葉のみやげなどを眺めます。

     明治初期創業の老舗の土産店・食事処〈きしの〉で、名物の湯葉そばをいただきました。
     QEDの作中、親睦旅行の二日目の最後に東照宮の見学を終えた奈々が皆と食堂に入り、湯葉うどんなどを食べ、店頭で生湯葉のみやげなどを眺めます。

    御土産 御食事 きしの グルメ・レストラン

  •  こちらは家内がいただいた温かい湯葉そばです。<br /> 奈々に参道で出会った小松崎良平と桑原崇も、食堂で湯葉うどんを食べます。

     こちらは家内がいただいた温かい湯葉そばです。
     奈々に参道で出会った小松崎良平と桑原崇も、食堂で湯葉うどんを食べます。

  •  私は冷たい湯葉そばをいただきました。<br /> 親睦旅行の一行が一の鳥居まで戻ったところで入り、かつ、小松崎が一の鳥居に向かわずに左手に折れたところで食堂に入ったことから、いずれも表参道から下新道に入ってすぐのお土産店を兼ねるこのお店に入ったものと思われます。

     私は冷たい湯葉そばをいただきました。
     親睦旅行の一行が一の鳥居まで戻ったところで入り、かつ、小松崎が一の鳥居に向かわずに左手に折れたところで食堂に入ったことから、いずれも表参道から下新道に入ってすぐのお土産店を兼ねるこのお店に入ったものと思われます。

  • 東 照 宮<br /><br /> 徳川家康没後300年祭を記念して建てられたという石造りの社号標が見えてきます。「東照宮」の文字は渋沢栄一の筆によるものです。

    東 照 宮

     徳川家康没後300年祭を記念して建てられたという石造りの社号標が見えてきます。「東照宮」の文字は渋沢栄一の筆によるものです。

  •  一の鳥居である重要文化財の石鳥居は、元和4年(1618年)に筑前藩主黒田長政が奉納したものです。QEDでは、鳥居に向かって上にいくほど横幅が狭く、かつ、段差が低くなる石段のことを「千人枡形」と呼ばれる石段と記述しており、そういう情報(↓参照)もあります。照降石千人枡形とも呼ばれるようです。<br /><br /> https://xn----107a39dd7nq6e48ksicsok45e.jinja-tera-gosyuin-meguri.com/category/%E6%9D%B1%E7%85%A7%E5%AE%AE-%E5%A2%83%E5%86%85/%E6%97%A5%E5%85%89%E6%9D%B1%E7%85%A7%E5%AE%AE%E3%83%BB%E7%85%A7%E9%99%8D%E7%9F%B3%EF%BC%88%E7%9F%B3%E9%B3%A5%E5%B1%85%E3%83%BB%E7%9F%B3%E7%95%B3%EF%BC%89

     一の鳥居である重要文化財の石鳥居は、元和4年(1618年)に筑前藩主黒田長政が奉納したものです。QEDでは、鳥居に向かって上にいくほど横幅が狭く、かつ、段差が低くなる石段のことを「千人枡形」と呼ばれる石段と記述しており、そういう情報(↓参照)もあります。照降石千人枡形とも呼ばれるようです。

     https://xn----107a39dd7nq6e48ksicsok45e.jinja-tera-gosyuin-meguri.com/category/%E6%9D%B1%E7%85%A7%E5%AE%AE-%E5%A2%83%E5%86%85/%E6%97%A5%E5%85%89%E6%9D%B1%E7%85%A7%E5%AE%AE%E3%83%BB%E7%85%A7%E9%99%8D%E7%9F%B3%EF%BC%88%E7%9F%B3%E9%B3%A5%E5%B1%85%E3%83%BB%E7%9F%B3%E7%95%B3%EF%BC%89

  •  高さ9m、直径1.2m、花崗岩の明神鳥居です。

     高さ9m、直径1.2m、花崗岩の明神鳥居です。

  •  畳一畳ほどの黒地に金の枠の額に太い金文字で書かれた「東照大権現」の神号は、後水尾天皇の宸筆です。

     畳一畳ほどの黒地に金の枠の額に太い金文字で書かれた「東照大権現」の神号は、後水尾天皇の宸筆です。

  •  石鳥居をくぐり抜けると、広場が広がり、この広場こそが「千人枡形」とする情報(↓参照)もあります。左手には、家康の三十三回帰である慶安3年(1650年)に若狭小浜藩主酒井忠勝が奉納し、落雷により焼失後、文政元年(1818年)に酒井忠進が再建した重要文化財の五重塔があります。極彩色で彩られた高さ約36mの塔です。心柱は、屋根から吊り下げられ、下端が礎石から浮かして、収縮により屋根を突き破ることを防いでおり、その耐震構造は東京スカイツリーにも応用されています。<br /><br /> https://xn----107a39dd7nq6e48ksicsok45e.jinja-tera-gosyuin-meguri.com/%e6%9d%b1%e7%85%a7%e5%ae%ae-%e5%a2%83%e5%86%85/%e5%8d%83%e4%ba%ba%e6%9e%a1%e5%bd%a2/note119/.html

     石鳥居をくぐり抜けると、広場が広がり、この広場こそが「千人枡形」とする情報(↓参照)もあります。左手には、家康の三十三回帰である慶安3年(1650年)に若狭小浜藩主酒井忠勝が奉納し、落雷により焼失後、文政元年(1818年)に酒井忠進が再建した重要文化財の五重塔があります。極彩色で彩られた高さ約36mの塔です。心柱は、屋根から吊り下げられ、下端が礎石から浮かして、収縮により屋根を突き破ることを防いでおり、その耐震構造は東京スカイツリーにも応用されています。

     https://xn----107a39dd7nq6e48ksicsok45e.jinja-tera-gosyuin-meguri.com/%e6%9d%b1%e7%85%a7%e5%ae%ae-%e5%a2%83%e5%86%85/%e5%8d%83%e4%ba%ba%e6%9e%a1%e5%bd%a2/note119/.html

    東照宮五重塔 名所・史跡

  •  初層の蟇股には十二支の彫刻があり、正面には徳川三代の干支(家康の寅、秀忠の卯、家光の辰)が配されています。東照宮の建物には、動物の彫刻が多用されていますが、ねずみ、蛇、馬の彫刻は五重塔にしかありません。特に「馬」の彫刻がないのは、真偽は不明ですが、家光と対立した弟の忠長の干支だったからとも。<br /><br /><br /> 表門下の石段の左側にある売場で並んで、拝観券を現金で購入(一人1,600円)。上の写真のとおり、結構な行列でした。

     初層の蟇股には十二支の彫刻があり、正面には徳川三代の干支(家康の寅、秀忠の卯、家光の辰)が配されています。東照宮の建物には、動物の彫刻が多用されていますが、ねずみ、蛇、馬の彫刻は五重塔にしかありません。特に「馬」の彫刻がないのは、真偽は不明ですが、家光と対立した弟の忠長の干支だったからとも。


     表門下の石段の左側にある売場で並んで、拝観券を現金で購入(一人1,600円)。上の写真のとおり、結構な行列でした。

  •  一の門で、総門とも仁王門とも呼ばれる表門は、切妻造りの三間一戸の八脚門です。

     一の門で、総門とも仁王門とも呼ばれる表門は、切妻造りの三間一戸の八脚門です。

  •  正面左右には大仏師法眼康音による高さ4mの仁王像が安置され、バクや麒麟など82の彫刻が施されています。

     正面左右には大仏師法眼康音による高さ4mの仁王像が安置され、バクや麒麟など82の彫刻が施されています。

  •  門をくぐると、正面には、千人武者行列の際に使用する装束を納めている、校倉造りの三神庫があります。こちらは一番左にある、上神庫です。

     門をくぐると、正面には、千人武者行列の際に使用する装束を納めている、校倉造りの三神庫があります。こちらは一番左にある、上神庫です。

  •  軒下には、狩野探幽が想像で下絵を描いたとされる、象の彫刻があります。

    イチオシ

     軒下には、狩野探幽が想像で下絵を描いたとされる、象の彫刻があります。

  •  こちらが中神庫で、下神庫は改修中のためシートで覆われていました。

     こちらが中神庫で、下神庫は改修中のためシートで覆われていました。

  •  中神庫と下神庫の間にある丹塗りの建物は、西浄といい、一度も使われたことがない、神様のトイレ(雪隠)とされます。

     中神庫と下神庫の間にある丹塗りの建物は、西浄といい、一度も使われたことがない、神様のトイレ(雪隠)とされます。

  •  QEDで、崇が東照宮の建物の中で唯一三つ葉葵ではなく三つ巴の紋が使われていると蘊蓄を披露し(55頁)、奈々はその理由を聞きそびれますが、彼女が勤務するホワイト薬局の店長の外嶋は、戦いに敗れた秀吉の紋を不浄な場所に使ったのではないかと語るのでした(459頁)。平安時代の建物にはよく見られた紋のようですが。

     QEDで、崇が東照宮の建物の中で唯一三つ葉葵ではなく三つ巴の紋が使われていると蘊蓄を披露し(55頁)、奈々はその理由を聞きそびれますが、彼女が勤務するホワイト薬局の店長の外嶋は、戦いに敗れた秀吉の紋を不浄な場所に使ったのではないかと語るのでした(459頁)。平安時代の建物にはよく見られた紋のようですが。

  •  三神庫の迎いにある、前切妻、流造りの神厩舎は、妻飾りと長押上の彫刻などのほかは彩色が施されていない境内唯一の素木造の建物です。

     三神庫の迎いにある、前切妻、流造りの神厩舎は、妻飾りと長押上の彫刻などのほかは彩色が施されていない境内唯一の素木造の建物です。

    日光東照宮 神厩舎 名所・史跡

  •  本草綱目にも「馬を養う者、厩の中に猿を飼へば、よく馬疫を避く」と書かれているように、昔から猿は馬を譲ると言われており、神厩舎長押上には、猿の一生をもとに人間の生涯を風刺した8面の彫刻が施されています。一番左には、遠くを眺めながら子猿の将来を案じる母猿が描かれています。たわわに実るビワの実は、子猿の実り多き未来を表しています。

     本草綱目にも「馬を養う者、厩の中に猿を飼へば、よく馬疫を避く」と書かれているように、昔から猿は馬を譲ると言われており、神厩舎長押上には、猿の一生をもとに人間の生涯を風刺した8面の彫刻が施されています。一番左には、遠くを眺めながら子猿の将来を案じる母猿が描かれています。たわわに実るビワの実は、子猿の実り多き未来を表しています。

  •  二番目が有名な三猿です。分別のない幼いころには悪いことは「見ざる言わざる聞かざる」であるべしという戒めを表しています。

     二番目が有名な三猿です。分別のない幼いころには悪いことは「見ざる言わざる聞かざる」であるべしという戒めを表しています。

  •  三番目は、ひとり立ちする時期の期待と不安を表しています。

     三番目は、ひとり立ちする時期の期待と不安を表しています。

  •  四番目は、心を固めた青年猿。右に、青雲の志(立身出世を願う心)を意味する青い雲があります。大きな志を持ち、友と一緒に踏み出す様子が描かれています。

     四番目は、心を固めた青年猿。右に、青雲の志(立身出世を願う心)を意味する青い雲があります。大きな志を持ち、友と一緒に踏み出す様子が描かれています。

  •  五番目は、悩み多き青春時代。挫折し落ち込んだときに励ましてくれる友達がいる様子を表しています。

     五番目は、悩み多き青春時代。挫折し落ち込んだときに励ましてくれる友達がいる様子を表しています。

  •  右サイドに回って、六番目は、恋した雌猿にいかに思いを伝えるか悩む青年猿が描かれています。

     右サイドに回って、六番目は、恋した雌猿にいかに思いを伝えるか悩む青年猿が描かれています。

  •  七番目は、結婚して、力を合わせて荒波を乗り越えていく様を描いています。

     七番目は、結婚して、力を合わせて荒波を乗り越えていく様を描いています。

  •  最後は、結婚してお腹に子ができ、もうすぐ親猿となる様子を表しており、生まれた猿は最初に戻り、人生が繰り返されていくことを暗示しています。<br /><br /> なお、平成の大修理後、猿たちの顔について、以前よりも目がまん丸で大きく描かれ、どこかゆるキャラのような愛嬌のある表情に変わり、りりしく、繊細な表情があった前の方が良かったという批判の声が多かったようです。

     最後は、結婚してお腹に子ができ、もうすぐ親猿となる様子を表しており、生まれた猿は最初に戻り、人生が繰り返されていくことを暗示しています。

     なお、平成の大修理後、猿たちの顔について、以前よりも目がまん丸で大きく描かれ、どこかゆるキャラのような愛嬌のある表情に変わり、りりしく、繊細な表情があった前の方が良かったという批判の声が多かったようです。

  •  神厩舎の左側には、重要文化財に指定されている、豪奢な彫刻が施された屋根の御水屋があります。独立した形で手水舎を設けたのはここが最初とされており、水盤は、元和4年(1618年)に佐賀藩主鍋島勝茂によって奉納されたもので、サイフォンの原理を用いて流水されており、四隅に3本ずつ合計12本の柱で唐破風造りの屋根を支えています。

     神厩舎の左側には、重要文化財に指定されている、豪奢な彫刻が施された屋根の御水屋があります。独立した形で手水舎を設けたのはここが最初とされており、水盤は、元和4年(1618年)に佐賀藩主鍋島勝茂によって奉納されたもので、サイフォンの原理を用いて流水されており、四隅に3本ずつ合計12本の柱で唐破風造りの屋根を支えています。

  •  妻部分には、金色の波の上を飛ぶように泳ぐ、翼のある龍が彫られています。

     妻部分には、金色の波の上を飛ぶように泳ぐ、翼のある龍が彫られています。

  •  QEDでは、崇がこの屋根自体についても面白い話があると言っていますが(その内容は話してくれません)、こちら(↓参照)に「御水屋の謎」として記述されている、左奥の屋根の角が切り落とされていることなのでしょうか。<br /><br /> https://xn----107a39dd7nq6e48ksicsok45e.jinja-tera-gosyuin-meguri.com/%E6%9D%B1%E7%85%A7%E5%AE%AE-%E5%A2%83%E5%86%85/%E6%97%A5%E5%85%89%E6%9D%B1%E7%85%A7%E5%AE%AE%E3%83%BB%E5%BE%A1%E6%B0%B4%E5%B1%8B%EF%BC%88%E6%89%8B%E6%B0%B4%E8%88%8E%E6%B0%B4%E7%9B%A4%E8%88%8E%EF%BC%89%E3%80%90%E9%87%8D%E8%A6%81%E6%96%87%E5%8C%96/%E6%97%A5%E5%85%89%E6%9D%B1%E7%85%A7%E5%AE%AE%E3%83%BB%E5%BE%A1%E6%B0%B4%E5%B1%8B%EF%BC%88%E6%89%8B%E6%B0%B4%E8%88%8E%EF%BC%89%E3%80%90%E9%87%8D%E8%A6%81%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B2%A1%E3%80%91/.html

     QEDでは、崇がこの屋根自体についても面白い話があると言っていますが(その内容は話してくれません)、こちら(↓参照)に「御水屋の謎」として記述されている、左奥の屋根の角が切り落とされていることなのでしょうか。

     https://xn----107a39dd7nq6e48ksicsok45e.jinja-tera-gosyuin-meguri.com/%E6%9D%B1%E7%85%A7%E5%AE%AE-%E5%A2%83%E5%86%85/%E6%97%A5%E5%85%89%E6%9D%B1%E7%85%A7%E5%AE%AE%E3%83%BB%E5%BE%A1%E6%B0%B4%E5%B1%8B%EF%BC%88%E6%89%8B%E6%B0%B4%E8%88%8E%E6%B0%B4%E7%9B%A4%E8%88%8E%EF%BC%89%E3%80%90%E9%87%8D%E8%A6%81%E6%96%87%E5%8C%96/%E6%97%A5%E5%85%89%E6%9D%B1%E7%85%A7%E5%AE%AE%E3%83%BB%E5%BE%A1%E6%B0%B4%E5%B1%8B%EF%BC%88%E6%89%8B%E6%B0%B4%E8%88%8E%EF%BC%89%E3%80%90%E9%87%8D%E8%A6%81%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B2%A1%E3%80%91/.html

  •  二の鳥居である唐銅鳥居は、横幅約5m、高さ約6mで、東照宮創建時である寛永13年(1636年)に造営された日本で最初の青銅製の鳥居です。

     二の鳥居である唐銅鳥居は、横幅約5m、高さ約6mで、東照宮創建時である寛永13年(1636年)に造営された日本で最初の青銅製の鳥居です。

  •  鳥居をくぐると、石段上に陽明門と鼓楼・鐘楼が見えます。

     鳥居をくぐると、石段上に陽明門と鼓楼・鐘楼が見えます。

  •  石段下の左側に建っているのは、元和6年(1620年)建造の輪蔵で、中には経典を収納した八角形をした回転式の大書架が納められています。

     石段下の左側に建っているのは、元和6年(1620年)建造の輪蔵で、中には経典を収納した八角形をした回転式の大書架が納められています。

  •  東照宮には、120を超える灯籠が設置され、殆どが石灯籠ですが、石段の右側に置かれたこの2基だけが鉄製のものです。伊達政宗がポルトガルから輸入した鉄材を用いて造らせた南蛮鉄灯籠と呼ばれています。

     東照宮には、120を超える灯籠が設置され、殆どが石灯籠ですが、石段の右側に置かれたこの2基だけが鉄製のものです。伊達政宗がポルトガルから輸入した鉄材を用いて造らせた南蛮鉄灯籠と呼ばれています。

  •  国宝に指定されている陽明門は、幅7m、奥行き4.4m、高さ11.1mの楼門で、銅瓦葺き、四面軒唐破風を設けた入母屋造りの三間ー戸の八脚門です。その名は京都御所の東の正門である陽明門から授かったと伝えられ、一日中眺めていても飽きないことから、「日暮門」とも呼ばれています。

     国宝に指定されている陽明門は、幅7m、奥行き4.4m、高さ11.1mの楼門で、銅瓦葺き、四面軒唐破風を設けた入母屋造りの三間ー戸の八脚門です。その名は京都御所の東の正門である陽明門から授かったと伝えられ、一日中眺めていても飽きないことから、「日暮門」とも呼ばれています。

    東照宮陽明門 寺・神社・教会

  •  全部で508体の彫刻が施されているとされており、扁額の周りには麒麟、その下には順に、龍と息(龍と違い、上唇に穴があり髭がなく、顎髭が渦を巻いています)、龍馬と目貫きの龍、そして、唐子遊び、唐獅子の彫刻が見られます。

    イチオシ

     全部で508体の彫刻が施されているとされており、扁額の周りには麒麟、その下には順に、龍と息(龍と違い、上唇に穴があり髭がなく、顎髭が渦を巻いています)、龍馬と目貫きの龍、そして、唐子遊び、唐獅子の彫刻が見られます。

  •  「東照大権現」の文字は、QEDには後陽成天皇の宸筆だとありますが、後水尾天皇の宸筆とするのが一般的です。

     「東照大権現」の文字は、QEDには後陽成天皇の宸筆だとありますが、後水尾天皇の宸筆とするのが一般的です。

  •  龍馬は、全身が鱗に覆われ龍のようですが、顔には龍のような髭がなく、馬のような蹄を持ち、体は白く、目と蹄は金色に輝き、陽明門で一番最初に陽が当たると言われています。

     龍馬は、全身が鱗に覆われ龍のようですが、顔には龍のような髭がなく、馬のような蹄を持ち、体は白く、目と蹄は金色に輝き、陽明門で一番最初に陽が当たると言われています。

  •  こちらには、唐獅子や琴棋書画の遊の彫刻があります。

     こちらには、唐獅子や琴棋書画の遊の彫刻があります。

  •  門の横にも、躍動感溢れる唐獅子が見られます。

     門の横にも、躍動感溢れる唐獅子が見られます。

  •  門の守護者として安置されている随身像の袴に桔梗紋が見られることから、随身像のモデルは明智光秀だとか、天海僧正だとする俗説もあるようです。

     門の守護者として安置されている随身像の袴に桔梗紋が見られることから、随身像のモデルは明智光秀だとか、天海僧正だとする俗説もあるようです。

  •  この陽明門の12本の柱にはグリ紋と呼ばれる渦巻き状の文様が彫られていますが、くぐって左側(北側の右から2番目)の柱だけ、文様が上下逆さになっています。これは建物は完成と同時に崩壊が始まるという考えから、不完全な状態をわざと作って災いを避けるための魔除けの役割を果たしていると言われています。この逆柱は、本殿や拝殿にも見られます。

     この陽明門の12本の柱にはグリ紋と呼ばれる渦巻き状の文様が彫られていますが、くぐって左側(北側の右から2番目)の柱だけ、文様が上下逆さになっています。これは建物は完成と同時に崩壊が始まるという考えから、不完全な状態をわざと作って災いを避けるための魔除けの役割を果たしていると言われています。この逆柱は、本殿や拝殿にも見られます。

  •  左側の狛犬は、表門と違って角がないタイプのようです。

     左側の狛犬は、表門と違って角がないタイプのようです。

  •  陽明門をくぐって左にある、神輿舎は、元和3年(1617年)に創建された素木造りの建物で、屋根の下には鶴や鳳凰、インコ、ミミズクなどの鳥の彫刻があり、正面には家康の干支である寅の彫刻があります。<br />

     陽明門をくぐって左にある、神輿舎は、元和3年(1617年)に創建された素木造りの建物で、屋根の下には鶴や鳳凰、インコ、ミミズクなどの鳥の彫刻があり、正面には家康の干支である寅の彫刻があります。

  •  中には、家康(中央)、秀吉(右)及び源頼朝(左)の3基の神輿が収められています。百物揃千人武者行列で使用されます。

     中には、家康(中央)、秀吉(右)及び源頼朝(左)の3基の神輿が収められています。百物揃千人武者行列で使用されます。

  •  天井には、狩野派によって《天女舞楽の図》が描かれています。

     天井には、狩野派によって《天女舞楽の図》が描かれています。

  •  唐門は、幅約3m、奥行き約2mの四方唐破風造りの門で、胡粉の白を基調に、黒檀や紫檀、鉄刀木などの寄木細工で装飾が施され、右の柱の昇龍、左の柱の降龍のほか、611の彫刻が施されています。<br />

    イチオシ

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     唐門は、幅約3m、奥行き約2mの四方唐破風造りの門で、胡粉の白を基調に、黒檀や紫檀、鉄刀木などの寄木細工で装飾が施され、右の柱の昇龍、左の柱の降龍のほか、611の彫刻が施されています。

    唐門 寺・神社・教会

  •  屋根には、名工椎名兵庫による、昼の守りの「鰭切れの龍」と「恙(つつが)」とも呼ばれる夜の守りの「唐獅子」が飾られています。

     屋根には、名工椎名兵庫による、昼の守りの「鰭切れの龍」と「恙(つつが)」とも呼ばれる夜の守りの「唐獅子」が飾られています。

  •  破風の下には、七福神、八仙人、竹林の七賢人の彫刻のほか、舜帝朝見の儀を描いた彫刻が見られます。舜帝は、家康公が敬愛したという紀元前の中国の皇帝で、家康公の姿に似せて造られているようです。

     破風の下には、七福神、八仙人、竹林の七賢人の彫刻のほか、舜帝朝見の儀を描いた彫刻が見られます。舜帝は、家康公が敬愛したという紀元前の中国の皇帝で、家康公の姿に似せて造られているようです。

  •  本社をコの字型で囲む回廊は、総延長220mの朱漆塗りの廊下で、蟇股には名工左甚五郎の作と伝わる有名な眠り猫など267体の彫刻があります。

     本社をコの字型で囲む回廊は、総延長220mの朱漆塗りの廊下で、蟇股には名工左甚五郎の作と伝わる有名な眠り猫など267体の彫刻があります。

  •  眠り猫は、正面からは眠っているように、左下からは威嚇しているように見えるようです。

     眠り猫は、正面からは眠っているように、左下からは威嚇しているように見えるようです。

  •  裏側には、二羽の雀の彫刻があり、子猫が安眠し雀が戯れる様子から、強い者が弱い者を虐げることのない共存共栄の平和な世の中を表現しているようです。

     裏側には、二羽の雀の彫刻があり、子猫が安眠し雀が戯れる様子から、強い者が弱い者を虐げることのない共存共栄の平和な世の中を表現しているようです。

  •  天井に長寿を表す菊や牡丹、鶴の彫刻がある坂下門をくぐります。

     天井に長寿を表す菊や牡丹、鶴の彫刻がある坂下門をくぐります。

  •  扉にも細かい彫刻が施されています。

     扉にも細かい彫刻が施されています。

  •  奥社への207段の石段を上ります。

     奥社への207段の石段を上ります。

  •  一段ごとに一枚石が使われ、傾斜部分の石柵も一枚の石をくり抜いて造られているそうです。

     一段ごとに一枚石が使われ、傾斜部分の石柵も一枚の石をくり抜いて造られているそうです。

  •  奥社鳥居をくぐります。創建当時は木造でしたが、慶安3年(1650年)に唐銅鳥居になりました。扁額の文字は、やはり後水尾天皇の宸筆を象ったものです。

     奥社鳥居をくぐります。創建当時は木造でしたが、慶安3年(1650年)に唐銅鳥居になりました。扁額の文字は、やはり後水尾天皇の宸筆を象ったものです。

  •  承応3年(1654年)に建造され、かつては朝廷から贈られた家康の位記や宣旨、家康愛用の南蛮甲冑などの宝物が収められた奥社銅神庫と、家康の遺臣で東照宮の造営に奉行として貢献した松平正綱と秋元泰朝が奉納した石狛犬の横を通り過ぎます。

     承応3年(1654年)に建造され、かつては朝廷から贈られた家康の位記や宣旨、家康愛用の南蛮甲冑などの宝物が収められた奥社銅神庫と、家康の遺臣で東照宮の造営に奉行として貢献した松平正綱と秋元泰朝が奉納した石狛犬の横を通り過ぎます。

  •  最後の石段を上ると、家康の墓所を守る奥社に至ります。重要文化財の拝殿は、銅瓦葺き、前後に唐破風が付いた入母屋造り平入りの建物です。

     最後の石段を上ると、家康の墓所を守る奥社に至ります。重要文化財の拝殿は、銅瓦葺き、前後に唐破風が付いた入母屋造り平入りの建物です。

    日光東照宮 奥宮拝殿 寺・神社・教会

  •  唐破風下の正面入口の左右には、朱色に塗られた珍しい擬宝珠、桟唐戸の内側も朱色に塗られています。

     唐破風下の正面入口の左右には、朱色に塗られた珍しい擬宝珠、桟唐戸の内側も朱色に塗られています。

  •  扉以外は1枚の鋳型から造られたという鋳抜門(唐門)の向こうに宝塔があります。

     扉以外は1枚の鋳型から造られたという鋳抜門(唐門)の向こうに宝塔があります。

  •  8角5段の石の基盤の上に青銅で鋳造した3段を積み上げ、その上に宝塔を載せています。当初は木造、その後石造りだったようですが、天和3年(1683年)の地震で破損し、鋳工の椎名伊豫により唐銅製に造り替えられました。塔の前には、鶴の燭台、唐獅子の香炉、花瓶の三具足が据えられています。<br /><br /> 宝塔の周りを一周し、207段の石段を下りて本社に戻ります。<br />

     8角5段の石の基盤の上に青銅で鋳造した3段を積み上げ、その上に宝塔を載せています。当初は木造、その後石造りだったようですが、天和3年(1683年)の地震で破損し、鋳工の椎名伊豫により唐銅製に造り替えられました。塔の前には、鶴の燭台、唐獅子の香炉、花瓶の三具足が据えられています。

     宝塔の周りを一周し、207段の石段を下りて本社に戻ります。

  •  東照宮の中心を成す本社は、本殿、石の間、拝殿が一体化した権現造りとなっており、いずれも銅瓦葺きで、本殿は桁行五間梁間五間の入母屋造り、石の間は桁行三間梁間一間の両下造り、拝殿は桁行九間梁間四間の入母屋造りで、正面に千鳥破風と三間の軒唐破風向拝を設けています。

     東照宮の中心を成す本社は、本殿、石の間、拝殿が一体化した権現造りとなっており、いずれも銅瓦葺きで、本殿は桁行五間梁間五間の入母屋造り、石の間は桁行三間梁間一間の両下造り、拝殿は桁行九間梁間四間の入母屋造りで、正面に千鳥破風と三間の軒唐破風向拝を設けています。

    日光東照宮 寺・神社・教会

  •  祈祷殿の前を横切り拝殿に向かいます(撮影不可)。63畳の中央の間の右側に将軍着座の間、左側に法親王着座の間があり、格天井には、狩野探幽によって各格毎に異なった龍が描かれた《百間百種の龍》があり、長押には、藤原公任が選び、後水尾天皇の宸筆、土佐光起の絵による三十六歌仙絵が掛けられています。<br /> QEDでは、現在飾られているのは、山下狩野家の真笑意心が絵を描き、和歌は川村清兵衛の筆によるものとあります。

     祈祷殿の前を横切り拝殿に向かいます(撮影不可)。63畳の中央の間の右側に将軍着座の間、左側に法親王着座の間があり、格天井には、狩野探幽によって各格毎に異なった龍が描かれた《百間百種の龍》があり、長押には、藤原公任が選び、後水尾天皇の宸筆、土佐光起の絵による三十六歌仙絵が掛けられています。
     QEDでは、現在飾られているのは、山下狩野家の真笑意心が絵を描き、和歌は川村清兵衛の筆によるものとあります。

  •  陽明門をくぐって戻ります。陽明門に飾られている彫刻のうち霊獣は194匹で、QEDで、崇は、見方によっては獣頭牌やシーサーのような魔除けのように見えなくもないと言っています。

     陽明門をくぐって戻ります。陽明門に飾られている彫刻のうち霊獣は194匹で、QEDで、崇は、見方によっては獣頭牌やシーサーのような魔除けのように見えなくもないと言っています。

    東照宮陽明門 寺・神社・教会

  •  陽明門に向かって左側(西側)の鼓楼。反対側の鐘楼とほぼ同形の桁行三間梁間三間の入母屋造りで、高欄付きの回廊があり、袴腰と呼ばれる下層が黒と金、朱、緑、群青を基調とした華麗な装飾が施されています。写真左は、寛永20年(1643年)にオランダ商館から奉納された廻灯籠で、上部に取り付けられた葵の紋が上下逆さであることから「逆紋の廻り灯籠」と呼ばれています。

     陽明門に向かって左側(西側)の鼓楼。反対側の鐘楼とほぼ同形の桁行三間梁間三間の入母屋造りで、高欄付きの回廊があり、袴腰と呼ばれる下層が黒と金、朱、緑、群青を基調とした華麗な装飾が施されています。写真左は、寛永20年(1643年)にオランダ商館から奉納された廻灯籠で、上部に取り付けられた葵の紋が上下逆さであることから「逆紋の廻り灯籠」と呼ばれています。

  •  同じように見えますが、こちらの鐘楼には、鼓楼の38体より多い、78体の彫刻が施されています。

     同じように見えますが、こちらの鐘楼には、鼓楼の38体より多い、78体の彫刻が施されています。

  •  陽明門から左右に伸びる回廊には、屋根の下の長押上に雲、胴羽目のには花鳥と動物、腰羽目には水鳥と、天・地・水に因んだものが透かし彫りの技法を使って描かれています。

     陽明門から左右に伸びる回廊には、屋根の下の長押上に雲、胴羽目のには花鳥と動物、腰羽目には水鳥と、天・地・水に因んだものが透かし彫りの技法を使って描かれています。

  •  陽明門から石段を下り、右に行った奥。桁行七間梁間五間の銅瓦葺き、三間の向拝のある入母屋造りの建物で、薬師如来像を本尊として祀っています。<br /> 本地堂の天井には、縦6m、横15m、34枚の檜板に狩野永真安信が描いた《鳴き龍》と呼ばれる龍の絵があります。係の方が龍の顔の下で拍子木を打つと、音が反射し残響が聞こえます(QEDでは、鈴を転がすような音と表現されています。フラッターエコーという現象ですが、「鈴なりの音」とも呼ばれます)が、それ以外の場所で打つと残響は聞こえません。それは、ちょうど龍の顔のある天井の中央部分がくぼんでいるからだそうです。

     陽明門から石段を下り、右に行った奥。桁行七間梁間五間の銅瓦葺き、三間の向拝のある入母屋造りの建物で、薬師如来像を本尊として祀っています。
     本地堂の天井には、縦6m、横15m、34枚の檜板に狩野永真安信が描いた《鳴き龍》と呼ばれる龍の絵があります。係の方が龍の顔の下で拍子木を打つと、音が反射し残響が聞こえます(QEDでは、鈴を転がすような音と表現されています。フラッターエコーという現象ですが、「鈴なりの音」とも呼ばれます)が、それ以外の場所で打つと残響は聞こえません。それは、ちょうど龍の顔のある天井の中央部分がくぼんでいるからだそうです。

  •  陽明門下の唐銅鳥居へ

     陽明門下の唐銅鳥居へ

  •  唐銅鳥居を通して、陽明門を仰ぎ見てみます。

     唐銅鳥居を通して、陽明門を仰ぎ見てみます。

  •  もう一度陽明門を振り返りました。

     もう一度陽明門を振り返りました。

  •  背面の両側に獅子と角のある狛犬が置かれている表門をくぐって、千人枡形へ

     背面の両側に獅子と角のある狛犬が置かれている表門をくぐって、千人枡形へ

  •  ここまで戻ってきた15時ころには、さすがに拝観券売機前の行列はなくなっていました。<br /> 五重塔の初層から四層までは和様の並行垂木、五層目のみ放射状に広がる唐様の扇垂木になっており、QEDでは、崇がこれも建物を完成させない魔除けのための造りだと言っています。

    イチオシ

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     ここまで戻ってきた15時ころには、さすがに拝観券売機前の行列はなくなっていました。
     五重塔の初層から四層までは和様の並行垂木、五層目のみ放射状に広がる唐様の扇垂木になっており、QEDでは、崇がこれも建物を完成させない魔除けのための造りだと言っています。

    東照宮五重塔 名所・史跡

  •  石鳥居をくぐると、杉木立の中に広くて長い表参道が見渡せます。

     石鳥居をくぐると、杉木立の中に広くて長い表参道が見渡せます。

  •  下新道を歩いて、日光二荒山神社へ向かいます。

     下新道を歩いて、日光二荒山神社へ向かいます。

  • 日光二荒山神社<br /><br /> 日光の氏神神社であり、下野国一の宮。日光三山を神体山として祀っています。

    日光二荒山神社

     日光の氏神神社であり、下野国一の宮。日光三山を神体山として祀っています。

  •  大己貴命(おおなむちのみこと=大国主命)、田心姫命(たごりひめのみこと)、味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)の親子3柱を祭神としています。

     大己貴命(おおなむちのみこと=大国主命)、田心姫命(たごりひめのみこと)、味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)の親子3柱を祭神としています。

  •  大鳥居は、「良い縁鳥居」とも呼ばれ、右側には、「むすび大国」が幸袋の上に座っており、左側には、令和元年(2019年)に天皇陛下の即位を祝して奉納された「良い縁打出の小槌」があります。

     大鳥居は、「良い縁鳥居」とも呼ばれ、右側には、「むすび大国」が幸袋の上に座っており、左側には、令和元年(2019年)に天皇陛下の即位を祝して奉納された「良い縁打出の小槌」があります。

  •  大国様の身体や宝、幸運が詰まっているという幸袋を撫でると良い縁を結ぶことができると言われています。

     大国様の身体や宝、幸運が詰まっているという幸袋を撫でると良い縁を結ぶことができると言われています。

  •  大鳥居をくぐって石段を進むと、右手に杉と楢の木が合体した「好き(杉)なら(楢)一緒」として縁結びの御利益があるといわれる縁結びの御神木があります。

     大鳥居をくぐって石段を進むと、右手に杉と楢の木が合体した「好き(杉)なら(楢)一緒」として縁結びの御利益があるといわれる縁結びの御神木があります。

  • 昭和53年(1982年)に、御神体である男体山山頂の奥宮鎮座1200年を記念して建てられた神門です。

    昭和53年(1982年)に、御神体である男体山山頂の奥宮鎮座1200年を記念して建てられた神門です。

  •  神門を抜けて右側にある、一つの根から二本の幹が伸びている姿が仲睦まじい夫婦のように見える、樹齢約700年の御神木「夫婦杉」です。

     神門を抜けて右側にある、一つの根から二本の幹が伸びている姿が仲睦まじい夫婦のように見える、樹齢約700年の御神木「夫婦杉」です。

  •  拝殿の前には、毎年9月下旬から11月下旬の間に設置される「笹の輪」がありました。良縁を祈願して、まず左回りにくぐって戻り、次に右回りにくぐって戻り、最後に正面に向かってくぐり抜け、神前に進み、参拝します。

     拝殿の前には、毎年9月下旬から11月下旬の間に設置される「笹の輪」がありました。良縁を祈願して、まず左回りにくぐって戻り、次に右回りにくぐって戻り、最後に正面に向かってくぐり抜け、神前に進み、参拝します。

  •  拝殿は、元和5年(1619年)に秀忠が造営した、間口16m、奥行き12mの入母屋・反り屋根造り、 黒漆塗りの銅瓦葺きの日光最古の建造物です。拝殿前には、勝道上人が男体山に登頂して1240年の節目を記念して、令和4年(2022年)に設置された、直径6cmのラピスラズリの玉を持つ、高さ60cm、重さ50kgの金箔仕立ての「良い縁うさぎ」の像です。

     拝殿は、元和5年(1619年)に秀忠が造営した、間口16m、奥行き12mの入母屋・反り屋根造り、 黒漆塗りの銅瓦葺きの日光最古の建造物です。拝殿前には、勝道上人が男体山に登頂して1240年の節目を記念して、令和4年(2022年)に設置された、直径6cmのラピスラズリの玉を持つ、高さ60cm、重さ50kgの金箔仕立ての「良い縁うさぎ」の像です。

    日光二荒山神社 寺・神社・教会

  •  拝殿の左側には、神楽殿があります。<br /><br /><br /> QEDでは、奈々と小松崎は、神苑内の神輿舎の前にある、夜更けに火を灯すと怪しい動物の姿に化けたとして警護の武士に斬り付けられた跡が無数に残っていることから化燈籠と呼ばれる、唐銅燈籠を見物したようですが、今回、私たちは、神苑には入らず、上新道を楼門まで戻りました。

     拝殿の左側には、神楽殿があります。


     QEDでは、奈々と小松崎は、神苑内の神輿舎の前にある、夜更けに火を灯すと怪しい動物の姿に化けたとして警護の武士に斬り付けられた跡が無数に残っていることから化燈籠と呼ばれる、唐銅燈籠を見物したようですが、今回、私たちは、神苑には入らず、上新道を楼門まで戻りました。

  •  こちらも昭和53年(1982年)に、東照宮からの参道である上新道に建てられた濃い朱色に塗り上げられた独特の楼門です。

     こちらも昭和53年(1982年)に、東照宮からの参道である上新道に建てられた濃い朱色に塗り上げられた独特の楼門です。

  •  「正一位勲一等日光大権現」の扁額が掲げられています。

     「正一位勲一等日光大権現」の扁額が掲げられています。

  •  寛政11年(1799年)に建立された、重要文化財に指定された銅製の鳥居、唐銅鳥居で、柱脚部には、仏教色の強い蓮の花の彫刻が施されており、神仏融合の名残りと思われます。

     寛政11年(1799年)に建立された、重要文化財に指定された銅製の鳥居、唐銅鳥居で、柱脚部には、仏教色の強い蓮の花の彫刻が施されており、神仏融合の名残りと思われます。

  •  「二荒山神社」の扁額が掛かり、その周りには社紋である三つ巴紋が配置されています。<br /><br /><br /> 大猷院に向かいます。

     「二荒山神社」の扁額が掛かり、その周りには社紋である三つ巴紋が配置されています。


     大猷院に向かいます。

  • 常行堂<br /><br /> 嘉祥元年(848年)に慈覚大師円仁によって、比叡山延暦寺の『にない堂』を模して建立された、純和様の宝形造りの建物で、隣の純唐様の法華堂との間に、歩廊を設け接続された珍しい形態のお堂です。

    常行堂

     嘉祥元年(848年)に慈覚大師円仁によって、比叡山延暦寺の『にない堂』を模して建立された、純和様の宝形造りの建物で、隣の純唐様の法華堂との間に、歩廊を設け接続された珍しい形態のお堂です。

    輪王寺 常行堂 寺・神社・教会

  •  こちらが法華堂です。

     こちらが法華堂です。

  • 輪王寺大猷院<br /><br /> 祖父である家康を深く尊敬していた徳川三代将軍家光の死後も家康に仕えるとの遺言に基づき四代将軍家綱によってされた家光の霊廟で、その名は家光の法号に由来します。<br />

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    輪王寺大猷院

     祖父である家康を深く尊敬していた徳川三代将軍家光の死後も家康に仕えるとの遺言に基づき四代将軍家綱によってされた家光の霊廟で、その名は家光の法号に由来します。

    日光山 輪王寺 大猷院 寺・神社・教会

  •  仁王門は、高さ約3.2mの金剛力士像が安置された、大猷院の最初の門。銅瓦葺き、切妻造りの朱色の八脚門で、重要文化財に指定されています。<br />

     仁王門は、高さ約3.2mの金剛力士像が安置された、大猷院の最初の門。銅瓦葺き、切妻造りの朱色の八脚門で、重要文化財に指定されています。

  •  こちらが阿形の「弼那羅延」の金剛力士像

     こちらが阿形の「弼那羅延」の金剛力士像

  •  こちらが吽形の「輔密迹」の金剛力士像

     こちらが吽形の「輔密迹」の金剛力士像

  •  仁王門を抜けた右側には、石灯籠が並んでいます。ここ大猷院には、315基もの灯籠があるそうです。

     仁王門を抜けた右側には、石灯籠が並んでいます。ここ大猷院には、315基もの灯籠があるそうです。

  •  また、左側には、四代将軍家綱が自ら植えたという、樹齢約400年の高野槙があります。

     また、左側には、四代将軍家綱が自ら植えたという、樹齢約400年の高野槙があります。

  •  四隅に3本ずつ計12本の御影石の柱で支える、銅瓦葺き、軒唐破風付き切妻造りの御水舎です。水面に映って生き生きと泳ぎ出す姿が見どころという、天井に描かれた狩野永真安信の筆による雲龍の墨絵は見逃しました。<br />

     四隅に3本ずつ計12本の御影石の柱で支える、銅瓦葺き、軒唐破風付き切妻造りの御水舎です。水面に映って生き生きと泳ぎ出す姿が見どころという、天井に描かれた狩野永真安信の筆による雲龍の墨絵は見逃しました。

  •  御水舎の反対側の石段を上ったところにある、入母屋造りの八脚門の二天門です。

     御水舎の反対側の石段を上ったところにある、入母屋造りの八脚門の二天門です。

  •  重要文化財に指定されており、石段上に立つと、極彩色の軒唐破風が大きく広がり、その迫力に圧倒されました。

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     重要文化財に指定されており、石段上に立つと、極彩色の軒唐破風が大きく広がり、その迫力に圧倒されました。

  •  後水尾上皇の宸筆による「大猷院」の扁額が掛かっています。

     後水尾上皇の宸筆による「大猷院」の扁額が掛かっています。

  •  正面右の南を守る守護神「増長天」。天邪鬼を踏みつけています。

     正面右の南を守る守護神「増長天」。天邪鬼を踏みつけています。

  •  正面左の東を守る守護神「時国天」

     正面左の東を守る守護神「時国天」

  •  背面左の風神

     背面左の風神

  •  背面右の雷神

     背面右の雷神

  •  石段上から、振り返った二天門

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     石段上から、振り返った二天門

  •  夜叉門は、前後左右に青面金剛に従う四夜叉の像を安置する八脚門で、四体の背後の壁面などに牡丹が彫刻されていることから、牡丹門とも呼ばれます。<br />

     夜叉門は、前後左右に青面金剛に従う四夜叉の像を安置する八脚門で、四体の背後の壁面などに牡丹が彫刻されていることから、牡丹門とも呼ばれます。

  •  夜叉門前の石段の右側にある鐘楼で、鼓楼とともに、1653年(承応2年)に造営された重要文化財で、銅瓦葺り、入母屋造り、高欄付きの回廊がある袴腰付きの桁行三間梁間三間の建物です。

     夜叉門前の石段の右側にある鐘楼で、鼓楼とともに、1653年(承応2年)に造営された重要文化財で、銅瓦葺り、入母屋造り、高欄付きの回廊がある袴腰付きの桁行三間梁間三間の建物です。

  •  こちらが鼓楼で、時を知らせるための太鼓が吊るされていましたが、現在は舎利を祀っているため「舎利殿」とも呼ばれます。

     こちらが鼓楼で、時を知らせるための太鼓が吊るされていましたが、現在は舎利を祀っているため「舎利殿」とも呼ばれます。

  •  夜叉門の正面右に安置され、金色の肩掛けと白虎の毛皮の腹巻をし、威圧感ある表情が特徴の、東を守る阿跋摩羅(あばつまら)

     夜叉門の正面右に安置され、金色の肩掛けと白虎の毛皮の腹巻をし、威圧感ある表情が特徴の、東を守る阿跋摩羅(あばつまら)

  •  正面左に安置され、煌びやかな金色の衣をまとい、ナマズの膝当てをした、毘陀羅(びだら)

     正面左に安置され、煌びやかな金色の衣をまとい、ナマズの膝当てをした、毘陀羅(びだら)

  •  背面右に安置され、右手に斧を持ち、水玉模様のブーツをはいた、西を守る&#29325;陀羅(けんだら)

     背面右に安置され、右手に斧を持ち、水玉模様のブーツをはいた、西を守る犍陀羅(けんだら)

  •  背面左に安置され、破魔矢の起源といわれる弓矢を持ち、象の膝当てをした、北を守る烏摩勒伽(うまろきゃ)

     背面左に安置され、破魔矢の起源といわれる弓矢を持ち、象の膝当てをした、北を守る烏摩勒伽(うまろきゃ)

  •  唐門は、後方に控柱を立てた二脚門で、前後の破風の下には雌雄の双鶴、平桁上には金地の波に白竜の彫刻木端には獅子頭の丸彫、門扉は金地板に浮彫が施されており、透彫金具が使用されています。両側の袖塀に彫られた百間百態の群鳩も見どころです。<br />

     唐門は、後方に控柱を立てた二脚門で、前後の破風の下には雌雄の双鶴、平桁上には金地の波に白竜の彫刻木端には獅子頭の丸彫、門扉は金地板に浮彫が施されており、透彫金具が使用されています。両側の袖塀に彫られた百間百態の群鳩も見どころです。

  •  拝殿・相の間・本殿は、多くの金箔を使い、別名「金閣殿」と呼ばれています。<br />

     拝殿・相の間・本殿は、多くの金箔を使い、別名「金閣殿」と呼ばれています。

  •  入母屋造り平入の3つの建物を、妻入の縦の棟で串刺し状に一体化した権現造りです。

     入母屋造り平入の3つの建物を、妻入の縦の棟で串刺し状に一体化した権現造りです。

  •  家光の墓所である奥の院の入口にあたる皇嘉門で、中国明朝の建築様式を取り入れた竜宮様式で造られており、極彩色で彩られた白漆喰の壁に黒と金の色使いが特徴的で「竜宮門」とも呼ばれており、家光が辰年生まれであることにちなんで採用されたとも言われています。<br /> 奥の院は、家光没後350年目の平成12年(2000年)に建立以来初めて特別公開されたきりで、原則として非公開になっています。<br />

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     家光の墓所である奥の院の入口にあたる皇嘉門で、中国明朝の建築様式を取り入れた竜宮様式で造られており、極彩色で彩られた白漆喰の壁に黒と金の色使いが特徴的で「竜宮門」とも呼ばれており、家光が辰年生まれであることにちなんで採用されたとも言われています。
     奥の院は、家光没後350年目の平成12年(2000年)に建立以来初めて特別公開されたきりで、原則として非公開になっています。

  •  灯籠群の間を通り抜けて、夜叉門へ

     灯籠群の間を通り抜けて、夜叉門へ

  •  夜叉門をくぐり抜けて戻ります。

     夜叉門をくぐり抜けて戻ります。

  •  長い石段を下りて、二天門へ

     長い石段を下りて、二天門へ

  •  二天門を振り返ります。

     二天門を振り返ります。

  •  石段下の参道から、石灯籠が並ぶ参道の向こうに龍光院の山門が見えます。非公開の寺院で、家光の幼馴染で家光亡き後も47年間霊膳を捧げながら境内の警護を続けたと伝えられる梶定良の位牌が祀られています。

     石段下の参道から、石灯籠が並ぶ参道の向こうに龍光院の山門が見えます。非公開の寺院で、家光の幼馴染で家光亡き後も47年間霊膳を捧げながら境内の警護を続けたと伝えられる梶定良の位牌が祀られています。

  •  仁王門をくぐって、外に出ます。

     仁王門をくぐって、外に出ます。

  •  法華堂まで戻ってきました。<br /><br /><br /> QEDでは、奈々と小松崎は、常行堂との間の橋廊下をくぐって細い山道を登って、南海坊天海の墓所である慈眼堂に足を延ばしたようです。崇によれば、七福神信仰を広めたのは天海僧正で、慈眼堂では、それに因んでチケット代わりに七福豆の入れ物を渡してくれるとのこと。また、護王殿の隣の古ぼけた小さい建物には、馬に股がった乃木大将のブロンズ像があるとしていますが、本当かどうか確認してみてください。

     法華堂まで戻ってきました。


     QEDでは、奈々と小松崎は、常行堂との間の橋廊下をくぐって細い山道を登って、南海坊天海の墓所である慈眼堂に足を延ばしたようです。崇によれば、七福神信仰を広めたのは天海僧正で、慈眼堂では、それに因んでチケット代わりに七福豆の入れ物を渡してくれるとのこと。また、護王殿の隣の古ぼけた小さい建物には、馬に股がった乃木大将のブロンズ像があるとしていますが、本当かどうか確認してみてください。

  •  西参道を歩いて降りて、大谷川沿いを神橋まで戻りました。写真は、国道沿いの表参道入口です。

     西参道を歩いて降りて、大谷川沿いを神橋まで戻りました。写真は、国道沿いの表参道入口です。

  •  神橋まで戻ってくると、夕焼けが綺麗でした。

     神橋まで戻ってくると、夕焼けが綺麗でした。

    神橋 名所・史跡

  •  神橋の社殿と夕日です。

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     神橋の社殿と夕日です。

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