2025/10/24 - 2025/10/24
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T.バイソンさん
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拙稿【小説 de いながら旅】では、現在、高田崇史さんの「古事記異聞シリーズ」を取り上げていますが、次回旅のガイドブックとなる『鬼統べる国、大和出雲 古事記異聞』の作中に登場する、特異な形の鳥居の「三ツ鳥居」と「三柱鳥居」が向島にもあるということで、10月の旅行の機会に見てきました。
また、向島を訪ねるついでに近くにある浅草寺にも久しぶりに行ってみることにして、同じ高田崇史さんの連作短編集『QED~flumen~九段坂の春』の「浅草寺の秋」(『QED浅草寺の秋』と略称します)を参照し、登場する待乳山聖天などのスポットも加えてみました。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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新神戸駅から新幹線に乗車
新神戸駅 駅
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東京駅で山手線に乗り換え
東京駅 駅
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神田駅に到着
神田駅 (東京都) 駅
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銀座線に乗り換え
東京メトロ 銀座線 乗り物
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浅草駅の出口3から地上へ
地下鉄浅草駅出入口 名所・史跡
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出口3から地上に上がってずぐのところにある〈神谷バー〉です。高田崇史さんのQERシリーズに時々登場する、日本初のバーです。ちょうどお昼時なので、ここでランチにしました。
神谷バー グルメ・レストラン
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あえて2階のレストランではなく、1階のバーの方に入ったからかもしれませんが、平日の正午過ぎにもかかわらず、ガラガラでした。素朴な木のテーブルと椅子がレトロな雰囲気を醸しだしていますね。『QED浅草寺の秋』の中では、萩原朔太郎がここで「一人にて酒をのみ居れる憐れなる となりの男なにを思ふらん」と詠んだと紹介されています。
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壁には、神谷バーの看板メニューのデンキブランの広告が出ていました。
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バーのカウンターにも、デンキブランと思われる琥珀色の液体が注がれたグラスが見えました。
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テーブルには、初代神谷傳兵衛が作ったという葡萄酒のチラシも置かれていました。
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私は、ハンバーグをいただきました。焼き具合が絶妙で、かつ、昔ながらの味わいでした。
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家内は、ミンチカツをチョイス。ジューシーで、デミソースがグッドでした。
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通りの向かいから外観を撮影
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吾妻橋方向には、東京スカイツリーとアサヒビール本社ビルが見えました。
このころから、雨がパラパラと降ってきました。 -
浅草のシンボルで、正式名を「風雷神門」という雷門。度々焼失し、慶応元年(1865年)に浅草田原町の大火で焼失していましたが、昭和35年(1960年)に松下幸之助の寄進により再建されました。タイミングよく、わたせせいぞうさんのイラスト『暦を巡る冒険~東京こよみ~8月 夏走る』(↓参照)と同じように人力車が停まってくれたのですが、交差点内にもかかわらず駐車して動かない車がフレームに入ってしまいました。
https://seizo-watase.com/wp-img/daimaru2024.png雷門 (風雷神門) 名所・史跡
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浅草寺は、正式には「金龍山浅草寺」と号する都内最古の寺で、聖観音宗の本山です。
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外国人観光客で溢れる、宝蔵門まで長さ約250mの仲見世通りの商店街を抜けます。
仲見世通り 名所・史跡
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現在の宝蔵門は、昭和39年(1964年)に再建された鉄筋コンクリート造、入母屋造の二重門
宝蔵門 名所・史跡
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2007年の改修により、屋根瓦に全国で初めてチタン製のものが採用されました。
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門の左右には、高さ4.5mを超える金剛力士像が安置されています。
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昭和39年(1964年)に完成したものです。
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高さ3.75m、幅2.7m、重さ450kgの大提灯がぶら下がっています。
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裏側には、高さ4.5m、幅1.5m、重さ500kgの大わらじが下げられています。
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現在の本堂は、昭和33年(1958年)に再建された鉄筋コンクリート造、入母屋造、間口34.5m、奥行32.7m、棟高29.4mのもの。こちらも平成22年(2010年)にチタン製の瓦に葺き替えられています。
浅草寺 寺・神社・教会
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正面に掛かる大提灯は高さ4.5m、幅3.5m、直径4.5m、重さ約600kgあります。
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天井には、中央に川端龍子の「龍之図」、左右に堂本印象の「天人之図」と「散華之図」が掛かっています。
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昭和48年(1973)に再建された、鉄骨・鉄筋コンクリート造りの五重塔
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高さは、48.32m(地上53.32m)です。
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境内には、キンモクセイが香っていました。
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令和元年(2019年)に鉄筋コンクリートで再建された六角形のお堂で、江戸時代の貨幣「寛永通宝」が埋められているといわれる銭塚地蔵尊です。
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浅草神社は、推古天皇36年(628年)に浅草寺の御本尊である聖観世音菩薩を隅田川から引き上げた檜前浜成・竹成の兄弟と私邸を寺とした土師真中知を主祭神として祀り、旧名を「三社権現社」といい、毎年5月に行われる例大祭「三社祭」で知られています。
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国の重要文化財に指定されている社殿は、本殿と拝殿を幣殿(石の間)で繋ぐ権現造りです。
浅草神社(三社さま) 寺・神社・教会
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社殿は、平成8年(1996年)の改修によって鮮やかな色彩が蘇りました。
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体が魚で翼を持つ水の守護獣「飛龍」は、浅草寺の山号「金龍山」に因む浅草の守護神です。
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二天門は、慶安2年(1649年)に浅草寺の東門として再建された本瓦葺き切妻造りの八脚門で、明治の神仏分離に伴い、随身像を浅草神社に移して二天門となり(当初奉納された広目天・持国天像は戦災で焼失)、昭和32年(1957年)に上野の寛永寺の厳有院から拝領した増長天と持国天の像を安置しています。「二天門」の額は、三条実美の宸筆です。
二天門 名所・史跡
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二天門から歩いて3分のところにある、花川戸公園(北側)。中央に大木を囲んだ大規模な複合遊具があり、周囲を銀杏が取り囲む大きな公園です。『QED浅草寺の秋』において、男女の心中遺体が発見された現場で、出雲谷老人が昔見たという庚申塚を探して入ろうとして警官と揉めた公園はここではないかと撮影しました。
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昔、浅茅ヶ原に旅人の頭を石枕で叩き殺すという老婆がおり、ある夜、その娘が旅人の身代りになって天井から吊るした大石の下敷になって死んでしまい、悪行を悔んだ老婆が身を投げたという伝説から、姥ケ池と呼ばれた池があったそうです。
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姥ケ池は明治に埋められ、現在、公園には人工の池が造られて、姥ヶ池福寿稲荷大明神の祠が設置され、「姥ケ池之旧跡」の石碑が立っています。
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「助六にゆかりの雲の紫を 弥陀の利剣で鬼は外なり」という9代目市川団十郎揮毫の助六歌碑が立っています。歌舞伎十八番の一つ「助六」は代々の団十郎が伝えた演目で、この歌碑は、明治12年(1879年)に9代目が中心となって日本橋の須永彦兵衛を顕彰してその菩提寺である仰願寺に建立され、関東大震災で崩壊埋没していたものを昭和33年(1958年)に再建されたものです。
北西方向に歩いて待乳山聖天へ -
入口近くには、『鬼平犯科帳』などの時代小説で知られる池波正太郎誕生地の記念碑があります。正太郎は、大正12年(1923年)、浅草区聖天町(現在の浅草7丁目)で生まれました。
池波正太郎生誕地碑 名所・史跡
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『QED浅草寺の秋』で、出雲谷老人と鴨志田翔一が訪ねた、待乳山聖天(本龍院)です。
本龍院(待乳山聖天) 寺・神社・教会
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山号は待乳山といい、浅草寺の支院に当たります。
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精巧な木彫りの龍が見られます。
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境内への石段横の側壁には、待乳山聖天の寺紋である巾着と二股大根が彫り出されています。
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石段を上って左には、子育てのお地蔵様として信仰されている歓喜地蔵尊があります。
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常香炉も巾着の形になっています。
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本堂前の石段の脇に控える狛犬です。
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昭和32年2月に建てられたもののようです。
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梵名をナンディケーショヴァラといい、出雲谷老人が魔王中の魔王と説明した歓喜天(聖天)を本尊とし、十一面観音菩薩を本地仏とする聖観音宗の寺院です。
本龍院(待乳山聖天) 寺・神社・教会
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本堂入口上部にも二股大根と巾着の彫刻が見られました。『QED浅草寺の秋』の作中では女性の象徴と説明されますが、大根は身体を丈夫にし、良縁を成就して、夫婦円満一家の和合を、巾着は商売繁盛などの御利益を象徴しています。
また、浅草七福神のうち毘沙門天が祀られています。 -
歓喜天は、象の頭を持つ単身像又は抱き合う形の双身像とされていますが、秘仏のため、本堂の横に立ってより本尊に近い場所から参拝される方もいらっしゃいます。
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本堂と反対側には、待乳山から隅田川を見渡した織田一磨の石板画パネルが設置されています。
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天狗坂と呼ばれる場所で、現在、ここから東京スカイツリーがよく見えます。
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築地塀(土塀)の前に、三猿などが刻まれた庚申塔を含む7基の石仏が並んでおり、出雲谷老人が探していた庚申塚はここではないかと撮影しましたが、『QED浅草寺の秋』の作中に言及がなかったので、違ったようです。
歩いて言問橋を渡って牛嶋神社へ -
橋の袂には、昭和20年3月10日の東京大空襲等によって亡くなった方々の仮埋葬をした場所ということで、追悼記念碑が置かれています。
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在原業平の「名にしおば いざ言問はむ都鳥 我が思ふ人は ありやなしやと」という歌に因んで名付けられた、言問橋(ことといばし)を渡ります。『QED浅草寺の秋』の出雲谷老人は、「特牛(こっとい、又はことい)」すなわち特に力強い牛、暴れ雄牛からきているのではないかと話します。この橋を渡るとあるのが牛嶋神社で、その祭神が素戔鳴尊(須佐之男命)、牛頭天王と、全て牛に繋がるからと。
言問橋 名所・史跡
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隅田川河口方面です。
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牛嶋神社は、貞観2年(860年)、慈覚大師円仁が須佐之男命を勧請して創建された、本所の総鎮守の神社です。
牛嶋神社 寺・神社・教会
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鳥居の左右にある狛犬です。
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ごつごつした岩のようなものに載った変わった形のもので、江戸時代・文政10年(1827年)に奉納されたもののようです。
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『QED浅草寺の秋』で、事件解決後、出雲谷老人が厄落としにお参りすると言っていた神社です。
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続いて、こちらの狛犬が置かれています。
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昭和7年(1932年)に奉納されたもののようです。
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拝殿の前には、三つの明神鳥居を横に組み合わせた、三ツ鳥居と呼ばれる鳥居があります。拙稿【小説 de いながら旅】第9シーズンの第1部で紹介した(↓参照)島根県出雲市の長浜神社にも、同様のものを見ることができます。
https://inagaratabi.com/takada-takafumi-kojikiibun-1-2/#:~:text=%E9%B3%A5%E5%B1%85%E3%82%92%E4%B8%89%E3%81%A4%E9%80%A3%E3%81%AD%E3%81%9F%E4%B8%89%E7%A4%BE%E9%B3%A5%E5%B1%85%E3%82%92%E8%A6%8B%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8C%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82
同じく第9シーズン第3部で紹介した(↓参照)奈良・桜井市の大神神社にもあります。
https://inagaratabi.com/takada-takafumi-kojikiibun-4-1/#toc21 -
身体の悪い部分をなで、牛の同じところをなでると病気が治ると伝わり、また、よだれかけを奉納して子供の成長を祈願する撫で牛の像で、病気平癒や学業成就に御利益があるとされています。
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文政8年(1825年)ころに奉納されたもので、それ以前は牛型の自然石だったようです。
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拝殿は、千鳥破風に軒唐破風向拝が付いた入母屋造り。天之穂日命と、次いで清和天皇第七皇子の貞辰親王命を相祀している。後奈良院から牛御前社の勅号を賜っていましたが、神仏分離令後に現在の名称に改名しました。
牛嶋神社 寺・神社・教会
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社殿の左側には、狛犬ならぬ狛牛があります。なかなか厳めしい顔つきです。
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一の鳥居の外側(参道東側)には、昭和37年(1962年)に建立された包丁塚があります。
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最後に、西側の鳥居をくぐって外に出ます。
隅田川沿いに歩いて約5分北上します。『QED浅草寺の秋』で、出雲谷老人が牛嶋神社の次に巡ると言っていた三囲神社に向います。 -
三囲神社の草創は不明ですが、平安初期に遡り、弘法大師が勧請したという田中稲荷が起源とされ、穀物の神である宇迦之御魂命を祭神としてお祀りしています。
三囲神社 寺・神社・教会
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文和年間に近江国の三井寺の僧源慶が荒廃していた社殿を再建しようとした際、土の中から右手に宝珠を左手に稲を持ち白狐に跨った神像が掘り出され、どこからともなく現れた白狐が像の周りを三度回って姿を消したという縁起から「三囲」の名が付けられたようです。
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元禄・享保年間、江戸に進出していた三井家(越後屋)が、この場所が日本橋の鬼門(東北)に当たり、「囲」が三井の「井」の字を囲んでいることから、三井を守ることに繋がるとして三井家の守護神として庇護するようになった神社で、現在も日本橋三越本店や銀座三越の屋上には、同神社の分霊が祀られています。
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二の鳥居です。向こうに立つ柱も元は鳥居だったようです。この神社は、池波正太郎の鬼平犯科帳にも登場し、近くはドラマ「ミステリと言う勿れ」の「episode5 雨は俎上に降る」のロケ地ともなったようです。
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二の鳥居をくぐってすぐ右手にある、「三つ穴灯籠」と呼ばれ、火袋の部分に丸い穴が三つ開いた独特の形状をした石灯籠で、藤堂高睦が宝永3年(1707年)に奉納した、この神社で最古の石造物です。
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続いて参道の両脇には、延享2年(1745年)に奉納された、尻尾が平べったく、肩にかかる巻毛と体全体の筋肉や骨格が強調された立派な狛犬が控えています。
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更に左側にあるこのライオン像は、池袋・三越の店頭に置いてあったもので、平成21年(2009年)の閉店に伴い、奉納されたものです。
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三越のライオン像は、三越呉服店を率いた日比翁助によってロンドンのトラファルガー広場のライオン像をまねて、大正3年(1914年)から三越本店をはじめ各支店の店頭に設置されました。
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こちらがトラファルガー広場のライオン像です。ちょっと古い画像ですが、2003年にロンドンに出張したときに撮ったものです。
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ライオン像の奥には、三越の商標である「丸に越の字」が彫られた銅壺の台石が置かれ、一つの枝に白とピンクの花が咲く酔芙蓉が覆っていました。
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花の色が開花時の白からピンクに変わり、酔っていくように見えることからその名があるようです。
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元禄6年(1693年)の江戸の旱魃の際、松尾芭蕉門下第一の高弟として知られる俳人宝井其角が能因法師などの雨乞の故事にならって「ゆふだちや 田を見めぐりの 神ならば」の句を詠み奉納すると翌日大雨が降って人々を救ったと伝えられ、安永6年(1777年)に建立(明治6年(1873年)再建)された雨乞いの句碑です。
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こちらの由緒書に、其角の献句による雨乞いや三井家による支援などが記されています。
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拝殿前の狛狐は、享和2年(1802年)に奉納されたもので、目尻の下がった温和な表情から「三囲のコンコンさん」と呼ばれ親しまれてきました。
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墨田区有形文化財に登録されている社殿は、文久2年(1862年)に建てられた権現造りで、入母屋造りの拝殿正面の千鳥破風に付いた軒唐破風向拝の板蟇股には、鳳凰(ほうおう)の彫刻が施され、本殿の虹梁や海老虹梁にも江戸時代末期らしい文様が彫刻されています。
三囲神社 寺・神社・教会
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拝殿を左に回ったところにある、文久3年(1863年)に三井家によって造成された、隅田川七福神の恵比寿神・大国神を祀る月読社です。
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流造りの本殿の横には、野崎車応追善や朱楽菅江辞世、其角惜春などの句碑が立っています。
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句碑の向かいに、神明鳥居が立つ境内社、富士見稲荷社
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三柱の手水舎があり、蟇股の中に三井家の「四ツ目結紋」が見られます。
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奥に突き当たると、「大日本俳優 澤村子訥之碑」と「大日本少年俳優長 助高屋小傳次之碑」という大きな石碑が立っています。
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右手に回る角に立つ、川柳中興の祖である阪井久良伎の「広重の雪に山谷は暮かゝり」という句碑です。
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三井邸から移設された、諸願成就のパワースポットともされる三柱鳥居です。
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原形は、京都・太秦の木嶋坐天照御魂神社にあるとされ、拙稿【小説 de いながら旅】第9シーズンの第4部で紹介した(↓参照)の奈良・桜井市の大神教本院にもあります。
https://inagaratabi.com/takada-takafumi-kojikiibun-4-1/#toc12 -
本殿の後方に位置する場所にも石碑群があり、中央に包丁塚のほか、俳人富田木歩の句碑「夢亦みれば 死もなつかしや 冬木風」などがあります。
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本殿右側に回り、神明鳥居が立つ、こちらの一間社は、福寿神社
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そのすぐ右側には、明神鳥居から朱塗りの鳥居が続く、白狐祠があります。
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少し奥に進むと、老翁老嫗像があり、この後方に2つの白狐祠があります。元禄の頃、三囲稲荷にある白狐祠を守っていた老夫婦の像で、願い事を老婆に頼むと、呼ばれた狐が現れ、願い事を聞いて姿を消すと云われており、その徳を慕って元禄14年(1701年)に建立されたもので、俳人其角も「早稲酒や 狐呼びだす 姥が許」と詠んでいます。
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更にその右側には、神明鳥居と細い朱塗りの鳥居に続き、狛狐が控える、広富神社があります。
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最後に、立っていたのは、五世川柳の「和らかくかたく持ちたし人心」の句碑と九世川柳の「出来秋もこころゆるむな鳴子曳」の句碑
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東京スカイツリーへ歩いて向かいます。
『QED浅草寺の秋』では、出雲谷老人は、この後、五條天神から花園稲荷へと回ると言っていました。 -
言問橋東の交差点から見たスカイツリー
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次の予定があったので、スカイツリーを訪れるのは次回に延ばし、東武橋から写真だけ撮影し、押上駅へ
東武橋 名所・史跡
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