2024/12/29 - 2024/12/29
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morisukeさん
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オッサンネコです。
―花街―
京都には、古くより芸と遊びの粋を極めた街がいくつもありました。
祇園甲部、祇園東、先斗町、上七軒、宮川町
五つの花街はそれぞれの灯を絶やさず、今も京都の花街文化を紡ぎ続けていますが、
その光の陰には、もうひとつの“禁じられた花街”があったのをご存知でしょうか。
その名前、五条楽園と云ふ。
高瀬川のほとりに生まれ、長らく禁忌(タブー)として君臨した京の裏の華。
かつては遊郭として栄え、売春防止法の後にはお茶屋街に姿を変えて生き延び、
平成の中頃までまで欲と夢を呑み込んできた場所。
現在は静かな町家宿が並ぶだけですが、紅殻格子や唐破風屋根など、
今でも遊郭建築の面影は残されており、独特な景観を紡ぎ出しているそうな。
観光都市・京都において、そんなアンチテーゼを聞いてしまったからには…
行かねばならぬでしょう。
果たして“楽園”と呼ばれたその街は、令和の今、どのように生まれ変わったのか。
その時の記録です。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
どうもどうも、オッサンネコことモリネコです。
24年は関西で仕事納めだったので、そのまま延泊して観光しちゃおうと。
と言っても、普通の街歩きではワタクシの流儀に反するので(笑)
今回はあまり知られていない京都の裏っぽいところを案内します♪
今回のテーマは「かつて京都に存在した花街の面影をたどってみる」
京都で”花街”と言えば、最も思い浮かぶのは祇園で間違いないでしょう。
しかし、京都駅から歩いて10分程度にある高瀬川の辺りに、
祇園とは明らかに一線を画す、複数の歓楽街が存在していました。
それが、かつての京都最大の遊郭「五条楽園」というわけになりんす。
まずは凛とした空気が心地よい、早朝の高瀬川から。
此処から五条楽園跡地への核心に入っていきます (¯∀¯*) ムフー -
所々で見られる古い町づくり。
京都好きです (´∀`о)
夏は暑いから嫌いだけど。
冬も寒いから嫌いだけど。 -
さて、楽園の跡地に入る前に、五条楽園を語っちゃいましょう。
五条楽園は元々、五条新地とか七条新地という名称で呼ばれておりました。
「五条楽園」という名称が使われ始めたのは昭和30年代初頭。
ちょうど売春防止法(1958年施行)直前から直後 の時期になります。
五条新地には戦前から遊廓・芸妓街が軒を連ねていたのですが、
売春防止法によって「遊郭」などの名称が公に使えなくなったため、
遊興の場として再出発するために、新しい”称号”を掲げたのです。
これは五条楽園だけに限った話ではなく、戦後の赤線地帯では、
全国的に”楽園”とか”新天地”みたいな名称が好まれて使われたそうです。 -
この辺りが五条楽園だった場所の中心地。
どの建物が遊郭だったのかを正確に把握する術はないのですが、
紅殻塗りの壁や格子は遊郭建築の名残ではないかと思います。
現在は古い建築を改修し、宿泊施設へとリノベが進んでいる模様。
キャッチフレーズは”旧色街で昔ながらの風情が楽しめる町屋宿”。
実際、宿泊するのは外国人ばっかりなんですが… ( ゚Д゚) -
雲町屋 小川というお宿。
出張でビジホばっか使ってると、こういう宿に無性に泊まりたくなる。 -
イチオシ
屋根の上には鍾馗(しょうき)様の像。
鍾馗は中国の伝説上の人物で、魔除けの神として信仰されています。
雑に言うと、沖縄のシーサーみたいな存在ですわ (`∀´*)
京都は古くから鬼門を意識して、町や建物を配置してきた歴史があり、
鬼門方向の屋根には魔除けを置く文化が根付いてきた所以になります。
いや、ホントに鬼門の方角にあるかは知らんけど。
昨今は、単なる屋根の装飾みたいな位置付けなのかもしれまへん。 -
Google Map上は”岩滝町小径”と呼ばれる細い細い小径。
トタン壁に描かれたのは梅の花でしょうか。
京都にストリートアートってあんまり合っていない気がするのですが、
まぁコレはコレで味があるとでも言っときましょうか ( ゚Д゚) -
小径に描かれた壁絵はこんな感じ。
誰がいつ描いたのかは不明。
正直、何を描きたかったのかもよく分からねぇずら ( ´ω` ) -
改装中の古い家屋。
唐破風玄関と幅広い長屋窓は、遊郭建築(妓楼)の特徴と一致しますな。
大和郡山の遊郭跡地でも古い建物はほとんど取り壊されていたのですが、
負の遺産とは言え、時代を語る上で貴重な建造物であることは事実。
解体せずに末長く残して欲しいと思わせるほどの見事な建築なのである。 -
京都っぽい町並みをてくてく歩いていると、急に視界が開けまして。
おお… なんか凄いのがある ( ゚Д゚)…。 -
五條會館(旧五条楽園歌舞練場)
時代の波に抗うかのように聳える巨大な木造三階建て建築。
周囲の町家が肩を寄せ合うように並ぶ中に佇む桁違いのスケール感。
もはやラスボス級の存在感であるっ(゚ロ゚;三;゚ロ゚)!!
五條会館はもともと花街「五条楽園」の中心施設であり、
芸妓や舞妓が芸を稽古し、披露するための舞台歌舞練場でした。
ただ、祇園などの正統派花街の歌舞練場とは状況が違っていたようで…
先に述べた通り、五条楽園は遊郭地帯から転じた花街なので、
芸を磨く場でありながら、遊興の中心でもあったわけなのです。
会館では舞や三味線の稽古が行われ、芸妓の披露会も開かれましたが、
夜には宴席の余興や、遊郭的な見せ場の機能も担っていたと言われてます。 -
五条會館のすぐ近くにある元お茶屋の「梅鉢」。
昔は”梅鉢”の看板も残っていたのですが、
今では遊郭建築の意匠である唐破風玄関だけが一際存在感を放ってます。
さて、五条楽園における”お茶屋”というキーワードですが、
1958年の売春防止法によって、遊郭・赤線は全国的に廃止されます。
その際に、五条楽園の店舗たちは法の網目を掻い潜るために、
営業形態を遊郭から”お茶屋”へと名目変更しました。
要は、客が芸妓・舞妓を呼んで遊興する場所に生まれ変わったのですが、
その実態は、遊郭が看板を付け替えて存続しただけの話なのです。
そんな合法化された非合法の街にも、遂に終焉の時が訪れます。
2010年に京都府警による抜本的な取り締まりが実施され、
お茶屋や置屋の経営者たちが売春防止法違反で逮捕される事に。
華の京の禁忌とされた楽園は、現実の光の中に溶けていったのです。 -
お茶屋の名残を残す看板。
今ではこの看板が光を取り戻す事もないのであります ( ゚Д゚) -
イチオシ
高瀬川のほとりにあるサウナの梅湯。
明治創業の銭湯なので、華やかな時代の五条楽園を見てきた現役の施設。
かつては遊郭で働く人々が一日の疲れを癒した場所だったのでしょう。
五条楽園という歓楽街・色街としての歴史を持つ地域環境の中に、
梅湯という地域住民の日常施設である銭湯が存在していた事実。
当時の往来を思い浮かべるのもまた浪漫なのでしやう (*´-`) -
この日はたまたま朝も営業していたので、お湯にふやけてきました。
のれんを潜って受付で入浴料550円をお支払い。ちゃりーん。
古き良き時代の銭湯という感じで、心も体もぽかぽかでござる。
ホンマに近所に欲しい (`∀´*) -
Unknown Kyoto
五条楽園の旧妓楼をリノベして宿泊施設として生まれ変わった遊郭建築。
煉瓦造りやタイル、当時のモダンを取り入れた意匠になっとります (`∀´*) -
イチオシ
こちらもかつての遊郭に宿泊できると口コミで話題の「宿や平岩」。
こちらは完全なる正統派?の和風遊郭建築ですな。
リーズナブルに宿泊できるという事で、外国人に超絶人気になっています。 -
京都の町屋でよく見かける消火用バケツ。
何気ない日常のひとコマが限りなくエモい ( ゚Д゚) -
この辺りは昭和初期に建築された独特なデザインの建物が残っています。
真ん中の赤いタイル張りが美しいリノベ建築は、
少し前まで「にこみ屋六軒」というお洒落居酒屋があった跡地です。
京都在住の先輩イチオシのお店だったのですが、結局行く機会もなく…
原因はやっぱりコロナだったのかなぁと寂しくなるシマツ (*´д`) -
今では屋根の上の鍾馗様はご健在。
家屋によって鍾馗様のスタイルが全然違うのが面白いトコロ。
それを眺めながら町を練り歩くのも粋ぢゃないかと (σ゚∀゚)σ -
五条楽園のもう一つの側面、カフェー建築様式を追っていきましょう。
カフェー建築とは?
明治末~昭和初期の時代、日本各地で都市のモダン化が進みました。
社会が「西洋の文化」を憧れのまなざしで受け止めた時代、
この波が遊興産業にも押し寄せ、様々な娯楽を生み出しました。
その中の一つが、大阪のミナミで爆誕したカフェーという社交場。
カフェーとは現代の喫茶店とはまったく別物でありまして…
その特徴はこんな感じでした。
・女性が接客する
・洋風の内装(オサレ)
・軽食・洋酒・珈琲などを提供(オサレ)
・男性客が女性と談笑しながらお茶・酒を楽しむ場
当時、女性が男性と対等に談笑しながら給仕する職はほとんど無く、
西洋風の女性接客は“文明開化の象徴”として刺激的だったそうです。
故に、カフェーとは都会の知識人や若者たちのたまり場であり、
良く言えば、会話・交流・情報交換ができる都市サロンだったわけですな。 -
タイル張りの装飾、丸窓、これがカフェー建築の名残ですな。
ここ五条楽園でも若者たちのカフェーの人気に乗っかり、
洋風モダンの建築様式を積極採用したという時代背景があったりします。 -
五條製作所。
旧五条楽園の外れにある元カフェー建築。オサレ。
名物「モミポン」の販売所でもあります (´∀`。)
わかりますかね?何となくモダーンな装い。
当時は確かに時代の最先端をいくオサレな雰囲気だったのでしょう。 -
タイル張りの外装と丸窓がとってもキレイ。
モミポン…買って帰りたかった 。・゚・(ノД`)・゚・。 -
さてさて、そんな文明開花のど真ん中をいくカフェー文化でしたが、
第一次衰退の時期が訪れます。
言わずもがな、昭和初期の戦時統制で多くの娯楽が禁止になったことで、
華やかだったモダン都市文化は全て退廃の道を辿ることになります。
しかし、戦後間も無く、カフェーは一時的に復活するのですが…
ただ、この戦後カフェーは戦前のカフェー文化とは全くの別物で、
売春を伴う“赤線的カフェー”が混じるようになります。
結果的に文化的カフェーは消え、建物だけが残る事になったのですが、
売春防止法以降、五条楽園はカフェー建築や妓楼建築を利用しながら
表向きはお茶屋・旅館として営業し、裏側に赤線的な営業が潜在しました。
そのオサレな外観も客を誘致しやすかったという理由もあって、
五条楽園でカフェー建築が取り壊されずに残された所以でもあるのです。 -
五条楽園跡地で見かけた古い建築。
2階が板張りになっているが、おそらく出格子があったのではないかと。
それは「べらぼう」にみる吉原の町並みが一番イメージしやすいかと。
遊郭建築は窓から妓女を見せる事が基本なのですが…
道路側に女性を“直接”見せることは禁止、でも完全に閉ざすのはNG…
その規制のスキマを突いたのが格子越しの見世という形でした。
格子が間接的な視線になることで、取締りの対象外になっていたそうで。 -
京都ではよく見かける南天の木。
”難を転じる”の語呂から、縁起木として植える習慣が根付いたのだとか。 -
五条楽園の外れで一際目を引くアールデコ様式の建築。
任天堂創業地の旧社屋をリノベした高級ホテル「丸福楼」ですな。
丸福楼の名前は、初代任天堂の屋号が丸福だった事に由来してます。
任天堂がこの地に本社を構えたのは1933(昭和8)年頃。
五条楽園の周辺には印刷所や玩具製造等の商業地が軒を連ねていたので、
初期任天堂が取り扱うカルタや花札の制作に合理的だったと言われてます。
内部の見学は宿泊者に限定されるので、外観のみ楽しむのみですが、
宿泊棟である新築棟は、我が敬愛する安藤忠雄氏が手がけたもの。
モリネコごときが易々と宿泊できるOYADOではありませんが…
こんなホテルに宿泊できる余裕のある大人になりたいものである (ノД`) -
五条楽園とは関係ないのですが、お土産を買いに行きました。
みなとや幽霊子育飴本舗
誰もが子供の頃に耳にした少し怖くも美しい話。
夜な夜な現れる女が飴を買っていく。
不審に思った店主が後をつけると、女は墓場の方へ…。
そこでは、墓の中の赤子に母親の幽霊が飴を食べさせていたというお話。
その話の舞台がこのみなとやなのである。
すごいことなのである (`∀´*) -
こちらが幽霊子育飴。おひとつ500円なり。
中身はべっこう飴のような見た目でしたが、麦芽糖が主成分でした。
砂糖の強烈な甘さではなく、素朴で親しみ深い味わいの甘さ。
なるほど、コレなら坊やも食べられる… と飴に癒された年の瀬でした。
この話、もう少し続きます。
それではまた~。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- mistralさん 2025/11/17 12:06:19
- 遊郭建築旅
- morisukeさん
こんにちは。
いつもいつも探訪の旅を楽しませていただいています。
今回は京都の遊郭建築旅、
珍しく昨年年末の旅だったんですね。
遊郭建築といえば独特の雰囲気を漂わせているんですね。
たまたま大津で、街歩きをガイドさんのご案内でしたことがありましたが
その折の最後のご案内は遊郭建築でした。
宿場町には昔は遊郭建築があったとか。
東海道五十三次最後の宿場町、大津には当然のごとくあったんでしょう。
オーナーのご了承を得て、内部を見学させていただきました。
オーナー自らご説明もしていただきました。
コーナーがおっしゃっていましたが、遊郭建築は、どんどん取り壊されていってしまうため自らが買い取ることで保存にもつながる、との想いだったとか、話されていました。
場所柄、あまり公表されていないような遊郭建築を、随分沢山取材されていて驚いています。
morisukeさんの取材力には本当にびっくりしますが、こうして旅行記を拝見しますと、確かに遊郭建築には独特の特徴があることがわかりますね。
とても興味深かったです。
軒の上にのっている鍾馗さま、私もいつもいらっしゃるかな?と思いながら街歩きをしていますので、同じような視点のmorisukeさんの街歩き旅行記、嬉しいです。
mistral
- morisukeさん からの返信 2025/11/19 01:03:25
- RE: 遊郭建築旅
- mistral 様
こんばんはー。書き込みありがとうございます♪
今回は五条楽園を取り上げましたが、私が中学生の頃(90年代)にはまだ健在?でした。ちょうどJR京都駅から四条河原に行く途中にある明らかに入っちゃいけないと分かる場所‥ 当時の仲間内の中でもあそこは立ち入り禁止である事が暗黙のオキテになってました(´∀`о)
そして大津の遊郭建築ですが、最近までその存在にまったく気付いていませんでした。言われてみれば… 大津は東海道五十三次の宿場町だったので、そういった需要は確実にあったのでしょうね。大人になって改めてあの辺りをふらっと歩いてみると、宿場町の面影や、建物に宿る“土地の呼吸”のようなものが感じられるような気がしています。
遊郭建築はどちらかといえば負の遺産なので、積極的に残そうと思ってくれる方は少ないかと思います。でも歴史の事実として残さないと消えてしまう領域なので、建物を保存して繋げていこうというムーブメントには賛同しています。遊郭でしか生まれなかった日本独自の建築体系や、搾取の歴史を“無かったこと”にしないとか、過去から学べることはまだまだたくさんあって興味は尽きないのです(^_^*)
鍾馗さま探し、同じ視点で楽しんでいただけて嬉しい限りです。そして、京都→大津に入るには、JRと京阪の他にもう一つの”鉄道”ルートがありまして… 今回年末に京都にいたのはそれをやってみたかったからなのです。その紹介はまた次回にて(ΦωΦ)フフフ…
今後ともよろしくお願いします。
Mori Neko
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