2024/03/01 - 2024/03/01
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キャンサー50さん
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蔵前には昭和25年(1950)から昭和59年(1984)まで国技館があり、東京での大相撲の本場所が開かれていました。
国技館が両国に移って以降、個人的には何かをイメージできづらい町になっていました。
そんな中、ネットでたまたま見つけたのが蔵前神社。
春に早咲きの桜とミモザが境内を彩り、それは美しいとのこと。
UPされている写真を見て、どうしても実際に見てもたくて出かけてみました。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄
-
JR総武線浅草橋駅からぶらぶら寄り道しながら都営大江戸線蔵前駅まで散歩してきました。
最初に見つけたのは、浅草橋駅から北へ400mほど行ったところにあった「甚内橋跡」の石碑。
甚内橋は鳥越川にかかっていた橋です。
不忍池から忍川をへて、三味線堀に落ち隅田川に注ぐ川で、今の蔵前通りと並行して流れていました。
大きさは「長六間、両袖間壱間つゞ共一幅弐間」とあります。甚内橋跡 名所・史跡
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「甚内橋跡」の石碑のやや北にある鳥越神社。
孝徳天皇白雉2年(651)創立と伝えられています。鳥越神社 寺・神社・教会
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鳥越神社拝殿。
日本武尊を御祭神としています。鳥越神社 寺・神社・教会
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鳥越神社の東、「蔵前一丁目」交差点角にあった「天文台跡」の説明板。
江戸時代後期に、幕府の天文・暦術・測量・地誌編纂・洋書翻訳などを行う施設として、天文台がおかれていました。
正式の名を「頒暦所御用屋敷」といいます。
その名の通り、本来は暦を作る役所「天文方」の施設であり、正確な暦を作るためには観測を行う天文台が必要でした。 -
「蔵前一丁目」交差点から東へ進むとある東京都下水道局蔵前庁舎の前に建つ、蔵前水の館。
下水が地下で流れている様子を見ることのできる、東京23区では唯一の場所です。
ただし、見学するには事前予約が必要です。
無料です。蔵前水の館 美術館・博物館
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蔵前橋の西の袂にある「蔵前橋碑」。
蔵前橋の由来が記されています。 -
「蔵前橋碑」の隣にあるのが「首尾の松」の石碑(説明板あり)。
かつてこの辺りの隅田川沿いに、枝が川面にさしかかるように枝垂れていた「首尾の松」がありました。
名前の由来は諸説あるようです。首尾の松跡碑 名所・史跡
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説明板の後ろにある松は七代目のものだそうです。
首尾の松跡碑 名所・史跡
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首尾の松から車道を挟んで反対側にあるのが「浅草御蔵跡」の石碑(説明板あり)。
浅草御蔵は、地租が金納となったのちは米廩、または米蔵と呼ばれ、明治11年(1878)、大蔵省の常平局が管理し、浅草御蔵の地に本局をおきました。
常平局は大阪など全国の米蔵を掌握し、米価の調節など貯蓄米にかかわるすべての事務を行いました。浅草御蔵跡碑 名所・史跡
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蔵前橋下の隅田川沿いに整備されている遊歩道が隅田川テラスです。
じつはこの遊歩道、蔵前あたりだけではなく、隅田川の両岸約47㎞のうち、約32㎞の区間に整備されています。
蔵前あたりの隅田川テラスは「なまこ壁」が風情があり、浮世絵が点々と展示されています。隅田川テラス 名所・史跡
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浮世絵の例をいくつか挙げます。
こちらは安藤広重作、名所江戸百景のうちの「隅田河橋場の渡かわら竈」。隅田川テラス 名所・史跡
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同じく広重作、名所江戸百景の「浅草川首尾の松御雁厩河岸」。
隅田川テラス 名所・史跡
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こちらは葛飾北斎作、「榧寺の高灯籠 御馬屋川岸乗合」。
隅田川テラス 名所・史跡
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同じく北斎作、「首尾の松の鉤船 椎木の夕蝉」。
隅田川テラス 名所・史跡
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隅田川に架かる蔵前橋。
前述の「蔵前橋碑」の記述によると、江戸時代には橋は無かったものの、蔵前には米蔵が立ち並び、。ここに関東各地から舟運によって米が集積されていました。
大震災復興事業の一環として、新しい構造の橋が、昭和2年(1927)に完成して、今日に至っています。蔵前橋 名所・史跡
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蔵前橋の欄干には相撲のデザインが施されていました。
かつて国技館があった蔵前から蔵前橋を渡れば、現在の国技館のある両国です。蔵前橋 名所・史跡
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蔵前橋から北へ、都営地下鉄大江戸線蔵前駅に向かう途中にある蔵前神社。
五代将軍・徳川綱吉によって元禄6年(1693)に創建された神社で、江戸城鬼門除けの守護神・徳川将軍家祈願所の一社です。
かつては大変広い社領を有する江戸を代表する一社でした。蔵前神社 寺・神社・教会
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蔵前神社社殿。
戦後に再建された木造建築です。蔵前神社 寺・神社・教会
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蔵前神社社殿向かって右手には犬の像があります。
蔵前神社は古典落語『元犬』の舞台になった場所で、像は落語愛好者から送られたものです。蔵前神社 寺・神社・教会
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「元犬」像の隣にある錦絵のプレート。
蔵前神社は勧進大相撲発祥の地と伝えられ、それにちなんだ歌川國安が描いた「力持」の錦絵です。蔵前神社 寺・神社・教会
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蔵前神社は春の河津桜とミモザでも有名。
こちらは河津桜。
2024年3月初頭、ほぼ満開でした。蔵前神社 寺・神社・教会
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こちらがミモザと河津桜の競演。
これを見たくて、狭い境内にはカメラ片手の観光客が押し寄せていました。
とても美しい風景でした。蔵前神社 寺・神社・教会
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蔵前神社のすぐ北、蔵前駅出口隣の榧寺です。
天正年間(1575頃)から草庵として創始、慶長4年(1599)に開山しました。
境内に鬱蒼と茂っていた榧の木が、寺宝を火災から護っていたことから、江戸時代から榧寺と称されていました。榧寺 寺・神社・教会
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榧寺本堂。
正面扉に葵紋がしるされています。榧寺 寺・神社・教会
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榧寺山門前に建っていた「石川雅望墓」の説明板。
石川雅望(1754~1830)は江戸時代後期の狂歌師、国学者、戯作者です。
狂名は宿屋 飯盛、国学方面では石川雅望を名乗りました。榧寺 寺・神社・教会
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本堂脇にあった石灯籠。
寛永寺の文恭院(徳川11代将軍家斉)殿尊前奉献石燈籠です。
天保12年(1841)の日向国延岡藩第7代藩主内藤政義による奉献です。榧寺 寺・神社・教会
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榧寺境内にあった「初代竹本綾之助之碑」。
初代竹本綾之助(1875~1942)は女義太夫の太夫です。
明治時代の国民的アイドルで、その熱狂的な追っかけは「堂摺連(どうするれん)」と呼ばれました。榧寺 寺・神社・教会
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境内の一角にはお地蔵様が集まっているエリアがありました。
2体のお地蔵様には名前がついていました。
1つは「お初地蔵尊」。
榧寺檀徒の娘お初(10歳)が養子先の虐待を受け、隅田川で死体で見つかった事件を受けて建てられたものです。
もう1つが「飴なめ地蔵尊」。
百日咳の平癒を願いお供えした飴を舐めると咳が癒えたと伝えられています。榧寺 寺・神社・教会
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ガラスケースに入った「榧寺縁起碑」。
ケースの外からは文言が読み取れませんが、後で調べたところ、寛政4年(1792)の造立です。榧寺 寺・神社・教会
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「榧寺縁起碑」の隣に鎮座していた厄除け地蔵尊。
何気に置かれていますが、高村光雲の作です。
蔵前は、かつての相撲の町の痕跡はほとんど感じませんでした。
しかし、蔵前神社の早春のミモザと河津桜の競演は眼福。
狭い境内に皆が訪れるのも納得でした。
花を求める散歩は開花状況とお天気を見ながら訪問日を決めなければなりませんが、今回のタイミングがバッチリでした。榧寺 寺・神社・教会
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