豊田旅行記(ブログ) 一覧に戻る
「東の宮」からの引き続きとなります。<br />今回は「西の宮」、本社(里宮)と東の宮・西の宮(奥宮)の猿投三社大明神巡拝はコンプリートとなります。

三河国三之宮 猿投神社「西の宮・大碓命墓所」

4いいね!

2024/11/06 - 2024/11/06

584位(同エリア748件中)

wabisabi2さん

「東の宮」からの引き続きとなります。
今回は「西の宮」、本社(里宮)と東の宮・西の宮(奥宮)の猿投三社大明神巡拝はコンプリートとなります。

旅行の満足度
3.0
観光
3.0
交通
2.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
自家用車 徒歩
  • 東の宮の参拝を終え、社頭に降りてきました。<br />周囲の樹々の影も長くなり、明るいうちの下山を考えると西の宮は諦め、左に進むべきか悩みました。

    東の宮の参拝を終え、社頭に降りてきました。
    周囲の樹々の影も長くなり、明るいうちの下山を考えると西の宮は諦め、左に進むべきか悩みました。

  • 14:55<br />暗くなる不安を抱きながらも、西陽も入るので社頭の右の細い道を西の宮に向け歩き出しました。<br />山の日没は早い、歩く速さが心なしか早くなってきます。

    14:55
    暗くなる不安を抱きながらも、西陽も入るので社頭の右の細い道を西の宮に向け歩き出しました。
    山の日没は早い、歩く速さが心なしか早くなってきます。

  • 15:01<br />舗装された林道を5分前後下っていくと、西の宮の社頭が見えてきます。

    15:01
    舗装された林道を5分前後下っていくと、西の宮の社頭が見えてきます。

  • 社頭全景。<br />右手に「猿投神社 西の宮」の社標(1969)、左手にコースマップと西の宮解説が立てられています。

    社頭全景。
    右手に「猿投神社 西の宮」の社標(1969)、左手にコースマップと西の宮解説が立てられています。

  • 「西の宮<br />猿投山の西の峯にあたる山頂付近の大字鷲取にあり、猿投神社を本社とする西方の奥の宮です。<br />創建は東の宮と同じ記録を残すところから、ほぼ同じ時期の平安時代後期と推定されます。<br />このお宮には、南朝方の忠臣児嶋高徳が寄進した木の葉丸という長巻(太刀)があったと伝えられています。<br />境内に観音を本尊とする寺が建っていました。<br />ここから約200m先<br /><br />御墓所(大碓命の墓)<br />大碓命は景行天皇の皇子で小碓命(日本武尊)の兄弟と言われています。<br />猿投山で蛇に噛まれて亡くなったと伝えられ、これが縁で猿投神社の祭神として祀られています。<br />墓所は西の宮と隣接しており、石垣に囲まれており、中は土盛の半円型になっています。<br />土盛は七色の土を使って築かれ、棺は土器で作られたと云われています。<br />なお、小碓命は日本武尊として有名です。<br />西の宮から約70m先<br />猿投地域会議」

    「西の宮
    猿投山の西の峯にあたる山頂付近の大字鷲取にあり、猿投神社を本社とする西方の奥の宮です。
    創建は東の宮と同じ記録を残すところから、ほぼ同じ時期の平安時代後期と推定されます。
    このお宮には、南朝方の忠臣児嶋高徳が寄進した木の葉丸という長巻(太刀)があったと伝えられています。
    境内に観音を本尊とする寺が建っていました。
    ここから約200m先

    御墓所(大碓命の墓)
    大碓命は景行天皇の皇子で小碓命(日本武尊)の兄弟と言われています。
    猿投山で蛇に噛まれて亡くなったと伝えられ、これが縁で猿投神社の祭神として祀られています。
    墓所は西の宮と隣接しており、石垣に囲まれており、中は土盛の半円型になっています。
    土盛は七色の土を使って築かれ、棺は土器で作られたと云われています。
    なお、小碓命は日本武尊として有名です。
    西の宮から約70m先
    猿投地域会議」

  • 道標も整備され、所要時間も併記されており、コースは分かりやすいけれど、距離や時間はどこまでも目安。<br />帰途は東を歩くか、西を歩くか、はたまた登山道を戻るかは、お天道様と相談です。<br /><br />石の神明鳥居をくぐって参拝道を登りはじめます。

    道標も整備され、所要時間も併記されており、コースは分かりやすいけれど、距離や時間はどこまでも目安。
    帰途は東を歩くか、西を歩くか、はたまた登山道を戻るかは、お天道様と相談です。

    石の神明鳥居をくぐって参拝道を登りはじめます。

  • 15:11<br />鳥居から境内までの距離は比較的短く、10分程で上の視界が開けてきます。<br />参拝道は一部に手摺も用意されており、東の宮と比較すれば登りやすいかもしれません。

    15:11
    鳥居から境内までの距離は比較的短く、10分程で上の視界が開けてきます。
    参拝道は一部に手摺も用意されており、東の宮と比較すれば登りやすいかもしれません。

  • 登り切ると境内が開け、正面に石の宮社殿が現れます。<br />境内社こそないものの、礎石や社殿の造りは東の宮と同じです。

    登り切ると境内が開け、正面に石の宮社殿が現れます。
    境内社こそないものの、礎石や社殿の造りは東の宮と同じです。

  • 15:15<br />ベンチに腰掛け息を整えます。

    15:15
    ベンチに腰掛け息を整えます。

  • 社殿正面全景。<br />鰹木6本、外削ぎ千木で、軒側に向拝が付くものです。<br />西の宮の創建も定かではなく、社頭の解説では「東の宮と同じ記録を残すところから、ほぼ同じ時期の平安時代後期と推定されます」<br />とありますが、未詳のようです。<br />西加茂郡誌によれば西の宮正殿の左間に大碓尊、中間に活目入彦五十狭茅尊(垂仁天皇)、右間には大足彦忍代別尊(景行天皇)を祀り、本地仏の観世音菩薩を安置した本地堂と社を神主一人、社家一人が奉仕したとあります。

    社殿正面全景。
    鰹木6本、外削ぎ千木で、軒側に向拝が付くものです。
    西の宮の創建も定かではなく、社頭の解説では「東の宮と同じ記録を残すところから、ほぼ同じ時期の平安時代後期と推定されます」
    とありますが、未詳のようです。
    西加茂郡誌によれば西の宮正殿の左間に大碓尊、中間に活目入彦五十狭茅尊(垂仁天皇)、右間には大足彦忍代別尊(景行天皇)を祀り、本地仏の観世音菩薩を安置した本地堂と社を神主一人、社家一人が奉仕したとあります。

  • 右から社殿側面の眺め。

    右から社殿側面の眺め。

  • 社殿右側の大碓命墓への石段。

    社殿右側の大碓命墓への石段。

  • 15:18<br />「景行天皇皇子 大碓命墓 宮内庁」とあります。<br />大碓尊について「景行天皇第一皇子、景行天皇50年美濃に封じられ、景行天皇52年(122)に猿投山に登られ、蛇毒で42歳で亡くなり山上に葬られた。」とも書かれます。<br />一方で亡くなり方は毒蛇ではなく、小碓命(日本武尊)に討伐されたとか諸説あります。<br />どこまでいっても真実は分からないが、この高みの大碓命墓所は、「古来から垣があり御廟所として崇敬され、そのなかには土器の破片が散乱していた」という。<br /><br />この内容からすると、古くから古墳としてここにあったようです。<br /><br />明治8年(1875)に調査が行われ、大碓命の墓所であるとが治定され、周囲の玉垣など整備され、守部一人が置かれたようです。<br />何が治定の決め手になったのか分かりませんが「景行天皇皇子 大碓命墓 宮内庁」の現実から、小碓命(日本武尊)による討伐説や蛇毒説は、もうひとひねり必要なのかな。<br /><br />大正9年(1919)、付近の宮山の火災で延焼し域内樹木や玉垣を焼失、翌年石垣やコンクリート製の玉垣に改築されたのが現在の墓所の姿です。<br />現在はこの看板が示す様に宮内庁管理となっており、石段や手摺が整い、東の宮と少し違った様相です。

    15:18
    「景行天皇皇子 大碓命墓 宮内庁」とあります。
    大碓尊について「景行天皇第一皇子、景行天皇50年美濃に封じられ、景行天皇52年(122)に猿投山に登られ、蛇毒で42歳で亡くなり山上に葬られた。」とも書かれます。
    一方で亡くなり方は毒蛇ではなく、小碓命(日本武尊)に討伐されたとか諸説あります。
    どこまでいっても真実は分からないが、この高みの大碓命墓所は、「古来から垣があり御廟所として崇敬され、そのなかには土器の破片が散乱していた」という。

    この内容からすると、古くから古墳としてここにあったようです。

    明治8年(1875)に調査が行われ、大碓命の墓所であるとが治定され、周囲の玉垣など整備され、守部一人が置かれたようです。
    何が治定の決め手になったのか分かりませんが「景行天皇皇子 大碓命墓 宮内庁」の現実から、小碓命(日本武尊)による討伐説や蛇毒説は、もうひとひねり必要なのかな。

    大正9年(1919)、付近の宮山の火災で延焼し域内樹木や玉垣を焼失、翌年石垣やコンクリート製の玉垣に改築されたのが現在の墓所の姿です。
    現在はこの看板が示す様に宮内庁管理となっており、石段や手摺が整い、東の宮と少し違った様相です。

  • 登り始めるとすぐに道標が現れます、ここは直進です。<br />

    登り始めるとすぐに道標が現れます、ここは直進です。

  • 15:20<br />1~2分程で大碓命墓所に至ります。<br />しっかりした石垣と玉垣が墓所を囲んでいます。

    15:20
    1~2分程で大碓命墓所に至ります。
    しっかりした石垣と玉垣が墓所を囲んでいます。

  • その玉垣の門の先には鳥居が建てられています。

    その玉垣の門の先には鳥居が建てられています。

  • 鳥居の先は、こんもりとした円墳状になっており、ここが大碓命の葬送地、県内にある2カ所の陵墓のひとつになります。

    鳥居の先は、こんもりとした円墳状になっており、ここが大碓命の葬送地、県内にある2カ所の陵墓のひとつになります。

  • 15:24<br />さあ、下山しよう。<br />この日一人で登ってくるとき、小学生の低学年の集団が駆け下りてきた。<br />その時はとても心強く感じたが、それ以降は休憩所以外、東の宮を含めてハイカーに出逢う事は少なく心細かった。<br />ここ西の宮でもそれは同じでした。

    15:24
    さあ、下山しよう。
    この日一人で登ってくるとき、小学生の低学年の集団が駆け下りてきた。
    その時はとても心強く感じたが、それ以降は休憩所以外、東の宮を含めてハイカーに出逢う事は少なく心細かった。
    ここ西の宮でもそれは同じでした。

  • 社頭が見えてきました。<br />この林道、車でも走ってこれるだけに、罰ゲームのように歩いてくる必要はないのかもしれない。<br />しかし、時短と称して早送りやショートカットするこのご時世、時には無駄な労力も必要な事だと思う。

    社頭が見えてきました。
    この林道、車でも走ってこれるだけに、罰ゲームのように歩いてくる必要はないのかもしれない。
    しかし、時短と称して早送りやショートカットするこのご時世、時には無駄な労力も必要な事だと思う。

  • 15:35<br />ここからの下山は先程下ってきた林道を東の宮まで登り、そこから登山道か林道で駐車場まで戻るか、この社頭から右手に下って本社まで戻るかの選択です。<br />陽が傾いた樹々の中の登山道を、疲れた足で下ればろくな事はない。<br />西側に当たる右側を下り、猿投七滝方向から下りてもいいが、本社まで戻る事になります。<br />ここは東の宮まで林道を上り、そのままクネクネ道の林道を下り御門杉に出る我慢のルートを選択しました。<br /><br />東の宮の分岐から林道を10分ほど下ったところで、私より年配で上を目指す二人組にすれ違いました。<br />この時間に上を目指す人に出逢うのはトレイルランナーくらいだろうと思っていましたが、帰りを考えると高齢者(いくつを指すのか不明ですが)のハイカーにはお勧めしません。<br />ルートも整備され、歩きやすい629㍍の低山ハイクかもしれませんが、ここは神の鎮まる山です、毒蛇に噛まれるやもしれません、油断は禁物です。

    15:35
    ここからの下山は先程下ってきた林道を東の宮まで登り、そこから登山道か林道で駐車場まで戻るか、この社頭から右手に下って本社まで戻るかの選択です。
    陽が傾いた樹々の中の登山道を、疲れた足で下ればろくな事はない。
    西側に当たる右側を下り、猿投七滝方向から下りてもいいが、本社まで戻る事になります。
    ここは東の宮まで林道を上り、そのままクネクネ道の林道を下り御門杉に出る我慢のルートを選択しました。

    東の宮の分岐から林道を10分ほど下ったところで、私より年配で上を目指す二人組にすれ違いました。
    この時間に上を目指す人に出逢うのはトレイルランナーくらいだろうと思っていましたが、帰りを考えると高齢者(いくつを指すのか不明ですが)のハイカーにはお勧めしません。
    ルートも整備され、歩きやすい629㍍の低山ハイクかもしれませんが、ここは神の鎮まる山です、毒蛇に噛まれるやもしれません、油断は禁物です。

  • 17:03<br />山陰の薄暗いクネクネ道の林道を歩き、獣に出会うこともなく、大悲殿東昌寺に戻った頃には本堂に灯りが入り、満車だった駐車場も数台のみとなっていました。<br />ほんとこの時期は動ける時間が少ない事。<br /><br />今回は三角点は諦め、本社・東の宮・西の宮を訪れましたが、陽が長くなった頃に三角点まで訪れたいと思います。<br /><br />三河国三之宮 猿投神社 「西の宮・大碓命墓所」<br />創建 / 未詳<br />祭神 / 大碓尊、大足彦忍代別尊(景行天皇)、活目入彦五十狭茅尊(垂仁天皇)<br />境内社 / ・・・ <br />所在地 / 豊田市猿投町<br />東の宮社頭から西の宮社頭徒歩 / 約450m6分<br />御門杉から東の宮・西の宮・駐車場まで徒歩 / 距離11km・約3時間

    17:03
    山陰の薄暗いクネクネ道の林道を歩き、獣に出会うこともなく、大悲殿東昌寺に戻った頃には本堂に灯りが入り、満車だった駐車場も数台のみとなっていました。
    ほんとこの時期は動ける時間が少ない事。

    今回は三角点は諦め、本社・東の宮・西の宮を訪れましたが、陽が長くなった頃に三角点まで訪れたいと思います。

    三河国三之宮 猿投神社 「西の宮・大碓命墓所」
    創建 / 未詳
    祭神 / 大碓尊、大足彦忍代別尊(景行天皇)、活目入彦五十狭茅尊(垂仁天皇)
    境内社 / ・・・ 
    所在地 / 豊田市猿投町
    東の宮社頭から西の宮社頭徒歩 / 約450m6分
    御門杉から東の宮・西の宮・駐車場まで徒歩 / 距離11km・約3時間

4いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

この旅行記の地図

拡大する

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP