2024/11/06 - 2024/11/06
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wabisabi2さん
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「東の宮」からの引き続きとなります。
今回は「西の宮」、本社(里宮)と東の宮・西の宮(奥宮)の猿投三社大明神巡拝はコンプリートとなります。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- 交通
- 2.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
-
東の宮の参拝を終え、社頭に降りてきました。
周囲の樹々の影も長くなり、明るいうちの下山を考えると西の宮は諦め、左に進むべきか悩みました。 -
14:55
暗くなる不安を抱きながらも、西陽も入るので社頭の右の細い道を西の宮に向け歩き出しました。
山の日没は早い、歩く速さが心なしか早くなってきます。 -
15:01
舗装された林道を5分前後下っていくと、西の宮の社頭が見えてきます。 -
社頭全景。
右手に「猿投神社 西の宮」の社標(1969)、左手にコースマップと西の宮解説が立てられています。 -
「西の宮
猿投山の西の峯にあたる山頂付近の大字鷲取にあり、猿投神社を本社とする西方の奥の宮です。
創建は東の宮と同じ記録を残すところから、ほぼ同じ時期の平安時代後期と推定されます。
このお宮には、南朝方の忠臣児嶋高徳が寄進した木の葉丸という長巻(太刀)があったと伝えられています。
境内に観音を本尊とする寺が建っていました。
ここから約200m先
御墓所(大碓命の墓)
大碓命は景行天皇の皇子で小碓命(日本武尊)の兄弟と言われています。
猿投山で蛇に噛まれて亡くなったと伝えられ、これが縁で猿投神社の祭神として祀られています。
墓所は西の宮と隣接しており、石垣に囲まれており、中は土盛の半円型になっています。
土盛は七色の土を使って築かれ、棺は土器で作られたと云われています。
なお、小碓命は日本武尊として有名です。
西の宮から約70m先
猿投地域会議」 -
道標も整備され、所要時間も併記されており、コースは分かりやすいけれど、距離や時間はどこまでも目安。
帰途は東を歩くか、西を歩くか、はたまた登山道を戻るかは、お天道様と相談です。
石の神明鳥居をくぐって参拝道を登りはじめます。 -
15:11
鳥居から境内までの距離は比較的短く、10分程で上の視界が開けてきます。
参拝道は一部に手摺も用意されており、東の宮と比較すれば登りやすいかもしれません。 -
登り切ると境内が開け、正面に石の宮社殿が現れます。
境内社こそないものの、礎石や社殿の造りは東の宮と同じです。 -
15:15
ベンチに腰掛け息を整えます。 -
社殿正面全景。
鰹木6本、外削ぎ千木で、軒側に向拝が付くものです。
西の宮の創建も定かではなく、社頭の解説では「東の宮と同じ記録を残すところから、ほぼ同じ時期の平安時代後期と推定されます」
とありますが、未詳のようです。
西加茂郡誌によれば西の宮正殿の左間に大碓尊、中間に活目入彦五十狭茅尊(垂仁天皇)、右間には大足彦忍代別尊(景行天皇)を祀り、本地仏の観世音菩薩を安置した本地堂と社を神主一人、社家一人が奉仕したとあります。 -
右から社殿側面の眺め。
-
社殿右側の大碓命墓への石段。
-
15:18
「景行天皇皇子 大碓命墓 宮内庁」とあります。
大碓尊について「景行天皇第一皇子、景行天皇50年美濃に封じられ、景行天皇52年(122)に猿投山に登られ、蛇毒で42歳で亡くなり山上に葬られた。」とも書かれます。
一方で亡くなり方は毒蛇ではなく、小碓命(日本武尊)に討伐されたとか諸説あります。
どこまでいっても真実は分からないが、この高みの大碓命墓所は、「古来から垣があり御廟所として崇敬され、そのなかには土器の破片が散乱していた」という。
この内容からすると、古くから古墳としてここにあったようです。
明治8年(1875)に調査が行われ、大碓命の墓所であるとが治定され、周囲の玉垣など整備され、守部一人が置かれたようです。
何が治定の決め手になったのか分かりませんが「景行天皇皇子 大碓命墓 宮内庁」の現実から、小碓命(日本武尊)による討伐説や蛇毒説は、もうひとひねり必要なのかな。
大正9年(1919)、付近の宮山の火災で延焼し域内樹木や玉垣を焼失、翌年石垣やコンクリート製の玉垣に改築されたのが現在の墓所の姿です。
現在はこの看板が示す様に宮内庁管理となっており、石段や手摺が整い、東の宮と少し違った様相です。 -
登り始めるとすぐに道標が現れます、ここは直進です。
-
15:20
1~2分程で大碓命墓所に至ります。
しっかりした石垣と玉垣が墓所を囲んでいます。 -
その玉垣の門の先には鳥居が建てられています。
-
鳥居の先は、こんもりとした円墳状になっており、ここが大碓命の葬送地、県内にある2カ所の陵墓のひとつになります。
-
15:24
さあ、下山しよう。
この日一人で登ってくるとき、小学生の低学年の集団が駆け下りてきた。
その時はとても心強く感じたが、それ以降は休憩所以外、東の宮を含めてハイカーに出逢う事は少なく心細かった。
ここ西の宮でもそれは同じでした。 -
社頭が見えてきました。
この林道、車でも走ってこれるだけに、罰ゲームのように歩いてくる必要はないのかもしれない。
しかし、時短と称して早送りやショートカットするこのご時世、時には無駄な労力も必要な事だと思う。 -
15:35
ここからの下山は先程下ってきた林道を東の宮まで登り、そこから登山道か林道で駐車場まで戻るか、この社頭から右手に下って本社まで戻るかの選択です。
陽が傾いた樹々の中の登山道を、疲れた足で下ればろくな事はない。
西側に当たる右側を下り、猿投七滝方向から下りてもいいが、本社まで戻る事になります。
ここは東の宮まで林道を上り、そのままクネクネ道の林道を下り御門杉に出る我慢のルートを選択しました。
東の宮の分岐から林道を10分ほど下ったところで、私より年配で上を目指す二人組にすれ違いました。
この時間に上を目指す人に出逢うのはトレイルランナーくらいだろうと思っていましたが、帰りを考えると高齢者(いくつを指すのか不明ですが)のハイカーにはお勧めしません。
ルートも整備され、歩きやすい629㍍の低山ハイクかもしれませんが、ここは神の鎮まる山です、毒蛇に噛まれるやもしれません、油断は禁物です。 -
17:03
山陰の薄暗いクネクネ道の林道を歩き、獣に出会うこともなく、大悲殿東昌寺に戻った頃には本堂に灯りが入り、満車だった駐車場も数台のみとなっていました。
ほんとこの時期は動ける時間が少ない事。
今回は三角点は諦め、本社・東の宮・西の宮を訪れましたが、陽が長くなった頃に三角点まで訪れたいと思います。
三河国三之宮 猿投神社 「西の宮・大碓命墓所」
創建 / 未詳
祭神 / 大碓尊、大足彦忍代別尊(景行天皇)、活目入彦五十狭茅尊(垂仁天皇)
境内社 / ・・・
所在地 / 豊田市猿投町
東の宮社頭から西の宮社頭徒歩 / 約450m6分
御門杉から東の宮・西の宮・駐車場まで徒歩 / 距離11km・約3時間
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