2024/10/22 - 2024/10/22
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wabisabi2さん
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これまで猿投山周辺の神社を巡って来ましたが、今回から籠川以東の矢作川方面の神社を巡ります。
訪れたのは10月22日、少しは紅葉が始まっているものと期待したものの、まだ山々は青々としていました。
- 旅行の満足度
- 2.5
- 観光
- 2.5
- 交通
- 2.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
-
四郷八柱神社の鎮座地はマーカーの位置になります。
四郷は江戸時代、名古屋と飯田方面を結ぶ飯田街道(中馬街道)や矢作川の水運など物流の要衝で、古くから城も築かれた地域。
神社は四郷町東畑地区の県道58号線南側に鎮座します。 -
西参道全景。
境内へ続く参道は県道沿い、社地西側、同南側の三か所あります。
ナビが西参道へ誘導したため、車は参道脇に駐車させて頂きました。
西参道は石の明神鳥居があり、境内手水舎脇に繋がっています。
社地南側に正参道がありますが、境内へは石段を登る必要があるので、石段を避けたい向きにはこちらか、県道沿いから訪れるといいかもしれません。 -
西参道鳥居扁額は「八柱神社」
-
西参道の「四郷八柱神社と棒の手」
「以前は八王子神社と称して、籠川左岸の宮下河原にあった。
その辺りの籠川はたびたび氾濫をおこしていたため、明暦5年(1656)に神社は一旦四郷村予茂田の八幡神社に仮に移されていたが、天保4年(1833)になって現在地に移った。
御神体が天忍穂耳命を始め、八柱であることから、明治7年に名称が八柱神社となった。
慶長5年(1600)に、尾張岩崎村の城主が伊保村の城主に移った際、岩崎村を発祥地とする棒の手が、伊保村に伝わり四郷村へと伝わった。
毎年八柱神社の祭礼には、盛大に奉納されている。」
自分はここから社地沿いに正参道へ向かいました。
後から紹介しますが、県道58号線の四郷町東畑交差点を平戸橋方向に進むと右側に北参道があり、車で境内に入れるようです。 -
社地南側の正参道全景、こんもりとした杜の入口に明神鳥居を構え、石段が境内に続きます。
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鳥居から石段の眺め。鳥居右に八柱神社の社標がある。
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石段を上りあがると広い境内が広がります。
当日は祭礼を控えていたのか、正面に資材が置かれていました。 -
境内左の手水舎と社殿全景。
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手水鉢。
写真から昭和の元号は読めますが年度が飛んでしまい分からなかった。 -
手水舎脇の四郷「棒の手之碑」と社務所。
豊田市内では猿投地区や足助地区、藤岡地区にも伝わり、県の無形民俗文化財に登録されている地区もあります。
棒の手は、戦国時代に農民が自衛のために身に付けた武術が起源とされ迫力ある演武が特徴。
四郷地区では5自治区に3流派が伝わっており、保存会員により毎年10月に神社に奉納されます。 -
社務所から東方向の境内の眺め。
社地周囲は鬱蒼とした杜に包まれていますが、社殿に対しとても広い境内を持っており、ここで棒の手警固祭りが奉納されるのだろう。 -
社殿は南西を向いて建てられており、一段上がって拝殿、更に一段上がって本殿域があります。
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入母屋瓦葺で近年補修されているのか比較的綺麗な拝殿です。
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拝殿は入母屋瓦葺で、平成に入り建立されたことから全体に綺麗な印象を受けます。
鬼板には八柱の文字が入り、蟇股には波と左巴紋が彫られています。 -
拝殿内から中門方向の眺め。
【愛知県神社】庁の八柱神社解説は以下。
「氏子地域 豊田市四郷町
例祭日 10月第2日曜日
祭神 天忍穂耳命、天穂日命、天津彦根命、活津彦根命、熊野櫲樟日命、滝津姫命、田心姫命、市杵島姫命」とつれない回答でした。
【西加茂郡誌(1926)】の四郷八柱神社記載内容は、祭神 八王子、創建 不詳としか記載がなかった。
西参道の解説にある当初の鎮座地の「宮下河原」、現地は確かに籠川が氾濫をおこせばすぐに影響を受ける立地でした。
「明暦5年(1656)に四郷村予茂田の八幡神社に移された」とありましたが、この八幡神社の所在が掴めませんでした。
付近の八幡神社としては、伊保町宮本に八幡神社があり、創建も応安2年(1369)となっていたので、年代的にはおかしくはないが少し西に離れており、四郷八柱神社は創建どころか、予茂田の八幡神社も分からなかった。
機会をみて、四郷町予茂田交差点付近を探して見るかな。
因みに御神徳は五穀豊穣、無病息災、家内安全、商売繁盛、縁結び、厄除け。 -
中門前を守護する狛犬は昭和11年(1936)に寄進されたもの。
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本殿域左側の眺め。
本殿は三つの大きな扉が付く神明造で、5本の鰹木と内削ぎの千木が付くものです。
左側に5社祀られていますが社名は不明です。 -
本殿域右側の眺め。
こちらには4社祀られていますが社名は不明です。 -
拝殿左から回り込んで本殿域の眺め。
-
拝殿から正参道方向の眺め。
毎年10月に棒の手が奉納されるとあるので、祭礼用の資材が置かれていました。 -
境内右の忠魂碑。
左の碑文は以下。
「昭和6年(1931)9月。
満州国奉天市(現中国瀋陽市)郊外柳条湖の南満州鉄道爆破事件から満州事変が勃発、その後、日中戦争、太平洋戦争へと戦火は拡大していった。
この戦争に、当時の猿投村より、859名の方が召集されされ極寒の満蒙、広漠果てしない中国大陸をはじめ北太平洋、東南アジア、インド洋を転戦され、ひたすら祖国の興隆と同朋の安泰を念じながら奮戦されたが、悲しいかな234柱の方が武運つたなく散華された。
惜しみても余りある痛恨の極みである。
この碑はこれらの霊に対し衷心より感謝の誠を捧げ、永遠に鎮まり賜えと祈念するために建立されたものである。
現在平和にして幸せな社会はこうした尊い犠牲によってもたららされたことを深く認識し、ここに子々孫々に至るまで、手を携えて平和への努力を続けることを誓うものである。
この碑は昭和13年、前田栄次郎氏を以って旧猿投村役場地内に建立され、この度の豊田市猿投コミュニティセンター増築に伴い遺族会と協議し四郷区出身戦没者の英名を録し、この地に移築した。」 -
忠魂碑から広々とした境内・社殿の眺め。
稲刈りも終え、空はすっかり秋の様相です。
右手に写り込んでいる鳥居が県道から直接出入りできる北参道です。 -
境内から北参道の眺め。
鳥居は平成5年に寄進された白い鳥居、舗装も新しく新たに造られた参道なんだろうか。 -
個人的な印象ですが、猿投山周辺には八柱神社が多く見られます。
この神社の歴史は良く分かりませんが、こうした八柱神社の多くは、神仏分離・廃仏毀釈以前は八王子と呼ばれ、社地には古い社標も残されている場合があります。
自分で見た限り、当社でそうしたものは見かけなかった。
今年は猿投山一帯の八柱神社を巡っていますが、まだまだありそうです。
豊田市 四郷町東畑 八柱神社
創建 / 不明
祭神 / 天忍穂耳命、天穂日命、天津彦根命、活津彦根命、熊野櫲樟日命、滝津姫命、田心姫命、市杵島姫命
境内社 / 本殿域に不明社9社
所在地 / 豊田市四郷町東畑192
参拝日 / 2024/10/22
車アクセス / 猿投グリーロード八草から一般道で保見方向へ約25分。
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