2025/09/20 - 2025/09/23
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ミータさん
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久し振りに三陸地方を訪れた(旅行記は書いていないが、確か今年の2月以来の訪問)。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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9月20日の土曜日、仕事を終えると新幹線で盛岡に向かう。
盛岡駅前のホテルで1泊。盛岡駅 駅
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翌朝、龍泉洞行のバスは9時過ぎ発なので少し時間があった。
駅ビルのカフェでスコーンセットを頼む。
スコーン2個とコーヒーで600円。 -
龍泉洞行のバスは道の駅三田貝分校でトイレ休憩。
何か食べ物を買おうかとも思ったが、時間もあまりないので止めておいた。道の駅 三田貝分校 道の駅
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11時半前に龍泉洞に到着。
リュックサックはコインロッカーに預ける。龍泉洞 温泉
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鍾乳洞内は12.2℃と涼しいので、上着は必需品。
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足元は少し濡れていたので滑らないように気を付けて歩く。
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地底湖’(多分第一地底湖)。
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順番的には第二地底湖で良いのか?
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第三地底湖だったか?
この後、狭い階段を上ったり、降りたりする。 -
長い年月をかけて、様々な形の鍾乳石が形作られる。
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龍泉洞から道路を渡ったところにもう一つの鍾乳洞「龍泉新洞科学館」がある。龍泉洞のチケットはこちらの鍾乳洞の入場券も含まれているが、あまり時間がないので止めておく。何しろバスの便が少なく、1時間10分しか滞在出来ない。
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お腹が空いていたので、イワナ(確か)と焼みそ餅を購入。
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ソフトクリームも購入。
それでも少し時間があったので、龍泉新洞の方も入ろうと思ったが、チケットを紛失してしまった。まあ、見学したことはあるから良いか。そちらの方は確か写真撮影は禁止だったはず。 -
龍泉洞前の休憩所や売店などが入った建物。
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12時半過ぎのバスに乗って次の目的地に向かう。
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三陸鉄道に乗り換え。
岩泉小本駅 駅
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新田老駅で下車して道の駅たろうに立ち寄る。
道の駅 たろう 道の駅
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何度か道の駅たろうは訪れているが、この食堂には入ったことがなかった。少し遅めのランチをここでとることにする。13時半過ぎだったはそこそこお客さんはいた。
善助屋食堂 グルメ・レストラン
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どんこ丼とわかめスープ。
どんことは「 河川の上~下流域の淵や淀み及び湖沼で 一生を過ごすスズキ目の純淡水魚」とのこと。 -
震災遺構「たろう観光ホテル」。
震災の語り部ガイドツアーのコースになっていて、以前訪れたことがある。その時、震災当時この建物にいたホテルの主人が撮影した津波のビデオなどを観た。震災遺構 たろう観光ホテル 名所・史跡
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東日本大震災後に新しくできた防潮堤。
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高台からの眺め。
本州最東端の「魹ヶ崎」が見えるはず。 -
三王岩。
三王岩 自然・景勝地
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遊歩道で海岸まで降りてきた。
左から女岩、男岩、太鼓岩。 -
津波に耐えた「不屈の三王松」
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不屈の三王松の説明板。
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津波によって30内陸側に運ばれた岩。
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襲来した津波の高さを示したプレート。
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現地で見ると、より津波の恐ろしさを感じる。
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JF(漁協)の製氷貯氷施設。
ちょうど震災の語り部ツアーの人たちがいた。
2011年の東日本大震災の津波はこの建物の屋根の近くの高さまで達した。 -
再び、新しい防潮堤からの眺め。
震災遺構「たろう観光ホテル」方面。 -
新しい防潮堤からの眺め。
港やJF(漁協)の製氷貯氷施設方面。 -
新しい防潮堤。
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田老は何度も津波の被害を受けた。
昭和の大津波(1933年、高さ10m)の後、「万里の長城」と呼ばれる防潮堤が造られた。土地がかさ上げしてあるので低いように見えるが、元々は10mの高さがあった。しかし、東日本大震災の津波は17m以上の高さまで達したので、この防潮堤も乗り越えられ、町は壊滅的な被害を受けた。この防潮堤に登って津波見物していた人たちは犠牲になった。それで、東日本大震災後にさらに大きな防潮堤が造られたのだ。 -
田中菓子舗でお買い物。
ここのかりんとうは、以前参加した被災地ツアーのバスガイドさんに勧められたので、田老を訪れる度に購入している。田中菓子舗 グルメ・レストラン
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久し振りに田老を訪れたら、いつの間にか災害資料伝承館ができていた。
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宮古市災害資料伝承館。
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定礎が「令和7年6月」なので、2025年6月に開館したらしい。
だから私が知らなかったのか。 -
津波で変形した道の駅の看板。
津波の映像の上映や係員の説明などがあったが、時間があまりなかったので、さらっとしか見学できなかった。 -
関口松太郎村長の胸像。
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関口村長は昭和の大津波(1933年)の後、「万里の長城」とも呼ばれる防潮堤建造を決定したのである。
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津波防災の町宣言の碑。
昭和の大津波から70年の2003年に造られた石碑。
この時は宮古市に合併される前なのか田老町になっている。
この石碑ができた8年後の2011年に東日本大震災が発生した。 -
新田老駅に災害資料伝承館のポスターがあった。2025年6月6日から一般公開が始まったとある。
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三陸鉄道に乗り、宮古を目指す。
新田老駅 駅
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宮古駅。
この日は釜石のホテルに泊まるので、宮古では30分くらいしか時間が取れない。
後から考えたら、もう1本後の便にして宮古で夕食を取っても良かったかも(釜石駅前には食堂がない)。宮古駅 駅
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駅近のケーキ屋に立ち寄る。
パティスリー レ・ド・シェーブル グルメ・レストラン
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田老の田中菓子舗と都のケーキ屋と三陸鉄道の売店で購入したもの。
右端が田老のかりんとうで真ん中がケーキ屋でなぜか売られていたチーズせんべい、左下が田中菓子舗の焼ドーナツで左上が同じく田中菓子舗のおすそ分けのお菓子(クッキーの切れ端)。
三陸鉄道の売店ではビールを購入。 -
ビールを飲みながら三陸鉄道で移動。
続く。
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