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《2025.August》あみんちゅ風鈴の奏でる音色を探す旅大阪そのⅠ~北摂神社巡り編~<br /><br />相変わらずの暑い日が続いているものの暦の上では9月を迎えた。秋らしくなる前にマイブームの夏のテーマ〝風鈴まつり〟は開催期間を終えて、紅葉までの暫しの間〝静かな時間〟が過ぎて行く筈だ。しかし秋らしいというイメージはここ数年感じていないように思える。夏が終われば冬を迎え、再び暑い夏が来ると言った2シーズン制に変わってしまったのか?そんなことを考えてしまう今日この頃だ。しかし確実に時間は過ぎて行く。考えている間に風鈴のシーズンも終わってしまう。ならば動くしかないという結論に至り、今日も出かけることにした。<br /><br />いつも同じ〝No Plan〟だが、はるが〝郵便局に連れて行け〟と宣う。どこでも良いということだったので、大津大平郵便局迄往復してからの出発となった。<br /><br />はるを自宅前で下ろして再出発。毎度お馴染みのローソン大津大平一丁目店で一服しながらナビを設定してから目的地へと走り始める。大津インターチェンジから名神高速道路へと進む。我が家からだと京滋バイパスの石山インターチェンジの方がはるかに近いのだが、ここは高速代金の安い方を選択した。<br /><br />京都・大阪府へと進み豊中インターチェンジで一般道に降りて行く。何回利用しても慣れない場所である。ナビが間違った道を通っているとは言ってはいないので大丈夫の筈なのだが、阪神高速料金合算請求と書かれていたので不安は残る。まあ通過後に言っても仕方のないことだが…。<br /><br />取り敢えずは豊中まで辿り着いたので、時間の許す限り旅行貯金をしようかと思う。先ずは豊中南郵便局、界隈の集配局なので規模は大きい。ただ局前の通りはとにかく飛ばす車が多い。来局記録に局舎の写真を撮るために道路を渡ろうとするが、信号が赤になってから渡り始めたのに車が来るとはちょっとびっくり。意外に知られてはいないようだが、相変わらず北摂エリアの運転は怖いことを再認識する。<br /><br />無事に写真を撮り終えて車に戻り出発する。次に国道176号線沿いの豊中服部南郵便局を目指す。距離は短いがとにかく車を停めるスペースがない。仕方がないので少し局から離れた場所に駐車し、小走りに局に向かった。貯金を済ませて道路を挟んだ向かい側から局舎を写真に収め、再び小走りで車へと戻る。そのまま国道176号線を北上し、ビルの1階に入っている豊中服部郵便局に立ち寄る。やはりこちらも駐車場はなく、仕方なしに路駐をして手短に用事を済ませた。<br /><br />次に向かった豊中服部西郵便局はメイン道路には面してはいない局であった。駐車場もないのは同じだが、路駐はし易いために利用客も多いようであった。貯金を終えて出て来た時刻が15:57。4局回ることができたのでこんなものかと旅行貯金を終えることにして、いよいよメインの〝風鈴まつり〟へとシフトすることにした。<br /><br />服部天神宮、豊中服部西郵便局から650mの距離とGoogleさんは言ってはいたが、途中阪急宝塚線の踏切がある上に境内に〝服部天神駅〟がある上に、駅前広場の工事と相まって場所が非常に分かり辛かった。それに加えて駐車場探しのこともあり、天神宮を2回回った末にやっと辿り着いた。旧村社格の服部天神宮。鎮座の時期については詳らかでないものの、第19代允恭天皇の御世に帰化人である〝秦氏〟が織部司に任じられ当地を服部連の本拠とした際、外来神の少彦名命(医薬の神)を祀ったのが始まりと言われている。当時ははまだ小さな祠だったが、服部連の祖神が〝少彦名命〟ではないかという説によって少彦名命を祀る祠が〝天神祠〟と呼ばれるようになったと記されていた。奈良時代の公家である藤原魚名が延暦2(783)年に太宰府に左遷され筑前国に向かったが、途中で体調を崩し、自らの所領があったこの川辺荘で病臥した後にそのまま当地で没し、天神祠の近くに葬られたとされている。そして現在でも〝川辺左大臣藤原魚名公の墓〟が境内に残っている。その後一世紀を経て魚名と同様に大宰の権帥として左遷され任地に赴く途中の菅原道真が、当地で持病の脚気に襲われて動けなくなる。そこで里人の勧めるままに路傍の天神祠と魚名を祀る五輪塔に平癒を祈念したところ、たちまち健康を取り戻して任地へ辿り着けたとの言い伝えがある。太宰府にて道真公が亡くなられた後神霊を合祀し服部天神宮としてご社殿を造営したという社伝により、祭神として〝少彦名命〟と〝菅原道真〟が祀られることとなったと記されていた。<br /><br />菅公足病平癒の霊験あらたかな神社と聞いた全国よりの参詣人が訪れることとなり、加えて当地が能勢街道の要所であったこととから次第に門前市をなすようになり、殊に江戸時代の中期から末期にかけてはその最盛期を迎え境内外は非常な賑わいをみせたと言われている。そして今尚足の神様の崇敬は絶え間なく続いており、足の病に悩まされている、スポーツに励む多くの者が全国各地より参拝する場所は、道真公の足が治ったということから〝足の神様〟として崇められて現在に至っているのであった。<br /><br />駅が神社前にあるのではなく、神社の境内に駅があることには驚きであるが、そもそもそれだけの歴史的な逸話がある神社(天満宮)名を冠している駅の存在を〝知らなかった〟ことに疑問を感じたが、駅のことを調べると納得する事実が確認できた。服部天神駅という呼称は今から12年前の平成25(2013)年のことで、それまでは〝服部駅〟だった。そう言えば乗り鉄だった数十年前に服部緑地の最寄駅は服部駅ではない?と疑問に思っていたことを今更ながら思い出した私であった。<br /><br />因みに藤原魚名公の墓である五輪塔は、地面に立ってはいない。祖霊社内部に三基の石塔が建立されており、右から祖霊社・藤原魚名公の墓・招魂社として祀られている。そうとは知らず神社に詣るかの如く2礼・2拍手・1礼をしたがご無礼ではなかったか?と後から後悔する約1名であった。<br /><br />勿論神社・天満宮を訪れているのは承知しており、各社にはしっかりと参拝させて頂いたのでここは寛大に考えて頂くとして、今回この服部天神宮を訪れた理由は勿論〝風鈴まつり〟である。全国的に開催が周知されているものは、費用や日数の関係で〝一度〟に巡ることは出来ないものの徐々にだが参拝を兼ねて巡ることが出来ている。しかし〝風鈴〟という古来より夏の風物詩として利用されて来たものは、多分星の数ほどあるに違いない。しかし無住等様々な理由により行われていない神社仏閣もある訳で、昨年9月に訪れた群馬前橋では〝風鈴飾り〟のない場所を情報不足で転々とせざるを得なかった苦い思い出がある。しかしこの辺りの情報はローカルニュースやSNSに頼るしかないことも事実である。近場であれば現地確認を兼ねて行ってみることも出来るだろうが、泊まりで行くような場所ではそうも行かない。それ故にある程度の〝開催実績〟が記録されている場所を探してから、近隣エリアの情報を仕入れることが出来てから初めて〝旅立ち〟となるケースが続いている。よって〝旅〟としてはほんの一時のものでしかないが、計画段階ではかなりの情報を仕入れる必要がある。観光協会や地方紙のHP等旅行とは凡そかけ離れていることを調べなければいけない。そんな中〝豊中〟の風鈴まつりの情報検索の結果出て来たのがここ服部天神宮であった次第である。そこまでの事前調査の結果訪れることをした・出来たということになる。<br /><br />駅チカであると同時に天神宮近隣にも住居が建ち並んでいる。そんな立地故の服部天神宮風鈴まつり故の制約もある。夏の風物詩の音色だと私には考えられても、やはり近隣から〝騒音〟として捉えられることもあるようで、参拝そのものは24時間可能であっても〝風鈴まつり〟は17時までとなっている。それ以降は騒音防止のために緩衝材を付ける旨が記されていたので、参拝時間は厳守となる。しかし天神宮周辺を2周する程車で訪れるには難易度の高い場所である。一番の問題は駐車場なのであるが、結論から言えば天神宮境内に参拝客用の駐車場が数台分設けられていた。しかしここに至るには道路から鳥居を潜って境内に入る必要がある。勿論一度来ていればわかることではあるのだが、初訪であれば躊躇してしまうことに違いない。私自身もその一人となり、近隣のコインパーキングに車を停めた次第である。<br /><br />色々な意味で辿り着くまでの困難はあったが無事参拝することは叶えられた。参道に棚が設けられて、200個の風鈴が軽やかな音色を醸し出していた。個数だけを見れば決して大きな規模ではないが、ピンポイントに二段重ねで吊り下げられている風鈴は、風が吹くと個数以上の音色が聞こえてくる様に感じる。また青系の色で揃えられている風鈴棚は、見た感じも爽やかな感じを受け、見ているだけでも心地良さを感じるものであった。近年では〝個数勝負〟で風鈴まつりを行なっている施設もある中で、風鈴が放つ〝夏の涼しさ〟を十分に感じ取ることが出来るものとなっており、好感が持てた。期間は9月初旬迄と年によっては時期を逸脱する可能性もあるが、今年の様に残暑が〝酷暑〟のまま続いている年には、もう暫く開催していて貰いたいとふと感じた私であった。<br /><br />ただ最初に言った通りコインパーキングに駐車したためにどうしても時間が気になってしまう。もし改めて時間を取ることが出来たならば、もう少しゆっくりとしたいなぁ~と思いながら30分強で参拝を済ませ車へと戻って来た。<br /><br />次は島本へと向かう。基本本日訪れる予定の風鈴まつりの会場はライトアップがないために明るいうちに訪れたいのだが、高速を使ってもあまり時間的なメリットがない場所なので下道を走って行くことにする。中央環状から大阪府道14号線・国道171号線と走って行く。<br /><br />丁度通勤時間に重なったこともあり、道中部分部分は混雑していた。そんな中でふと思い出した〝風鈴まつりイベント〟のことを思い出す。野見神社、高槻城址付近にあり、花手水が有名な神社である。こちらでは過去に〝風鈴まつり〟が行われたとの記録が残ってはいるが、神社の公式サイトでは本年令和7(2025)年の開催情報は記されてはいなかった。そのために開催の〝可能性〟はあるが、未確認との位置付けをしていた場所である。今回国道171号線を走っていれば、すぐ近くを通ることに気付き、慌ててナビのセットをする。格安ガソリンスタンドのKSD高槻SSは立ち寄ろうと考えてはいたが、混雑していたためにそのまま通過。そして北大手西の交差点を右折してその場所を確認した。しかし近隣に駐車場らしきものが見当たらない。勿論無料などとは考えてはいないのだが、それすら見当たらない…。近くには高槻城公園もあることから、探せばあるだろうが時間がもったいないので結局高槻城公園芸術文化劇場北館の駐車場を利用した。<br /><br />スマホだけを持って小走りに向かう。野見神社は創建は不詳ながら平安時代宇多天皇の御世に疫病が蔓延し、神託により牛頭天王(ごずてんのう)を祀ったところ疫病が治まったので社殿を造営し、牛頭天王社が建立されたこととされていた。その後10世紀頃に高槻城が作られたと言われているが、歴史上の史実として出てくるのは安土桃山時代のことである。幾多の城主を迎えた後にキリシタン大名として有名な高山右近の居城となる。右近はキリスト教の布教に努め、天正4(1576)年に念願であった教会を建設、天正11年(1583年)には修学寮も建設し、領内には20ヶ所の教会、当時の高槻領人口の60%以上、1万8千人もの人々がキリスト教徒となり、宗教活動を活発にしていたようである。一説によると右近はこのキリスト教施設の建設のために神社仏閣を破却したとされている。事実野見神社由緒書きにもそのことが記されており、社領を没収されたことが書かれていた。しかしこれも創作とされている部分があり、確かに右近はキリスト教の街作りに尽力していたことは事実ではあるが、そもそも高槻城下で神社仏閣が破却された一番の原因は、領民が右近の御機嫌取りのためにキリスト教に改宗し、その結果信者が減少し無住となって荒廃していた神社仏閣を〝無〟にするよりもは〝再利用〟した方が良いと考えた結果、キリスト教施設が増えたに過ぎず、領民に改宗を強要した訳ではないという史実に基づけば〝デフォルメ〟された感が強いと考えられる。しかし天正15(1587)年に豊臣秀吉が〝バテレン追放令〟を発すると、右近も追放され小西行長や前田利家に庇護される生活を送ることとなる。そして江戸時代を迎え慶長19(1614)に徳川家康による〝キリシタン国外追放令〟を受けて、人々の引きとめる中居住していた加賀を退去し、長崎から家族と共に追放された内藤如安らと共にマニラに送られる。しかし船旅の疲れや慣れない気候のために老齢の右近はすぐに病を得て、翌年慶長20(1615)年に63歳で息を引き取った。右近が高槻を去った後城主が代わる中で、高槻藩主となった松平家信公が、城下の安全を祈願するために荒廃していた野見神社境内に牛頭王天王社社殿を新造させて復興、社領を寄贈する。そして初代摂津高槻藩主となった永井直清公によって社殿の修築や社領の寄進がなされることとなり、この頃例祭日を10月14日に執り行うこととなった。後に直清公は野見神社御祭神の一人として数えられ、摂末社〝永井神社〟が寛政5(1793)に9代藩主永井直進公により創建されている。その後嘉永元(1848)年には11代藩主永井直輝公が本殿を修復し、拝殿と唐門を建立している。後に唐門は平成22(2010)年に修理されて現在に至っている。<br />至って普通の神社の歴史を辿ってきたように見える由来だが、明治維新の〝神仏分離令〟が出たときにやらかしてしまっている。牛頭天王は祭神名を須佐之男命に変更したが、その際に野見宿禰命を合祀し、野見神社と改称する。このことにより延喜式神名帳に記載された式内社野見神社の論社のひとつとされていたが、その経緯が式内社である〝野見神社〟に擬せるための合祀という判断をされることとなる。その結果心象を悪くしてしまい、元々県社格であったものを郷社格に下げられたという出来事が記録されている。真実かどうかは不明だが、欲張っては得することはないという〝戒め〟のように聞こえてならない。そして現在野見神社には本殿・幣殿・拝殿・能舞台の他、摂社末社として永井神社・高槻戎神社・小島神社・護国神社・四社明神が境内に鎮座している。勿論本・拝殿より参った後戻ってくるのだが、この野見神社の有名なものとして〝花手水〟がある。インスタ映えする花手水は、近隣の花屋さんの奉納として続けられているようだが、その手水舎の場所こそが風鈴まつりの会場でもあるのであった。<br /><br />手水舎に風鈴を掛けて、花を飾って…とホンの一角のスペースを利用してのイベントはちょっと強引過ぎるようにも思える。多分昼間で花の勢いもあればまた印象も変わってくるだろうとは思うのだが、日暮れ前の日差しが柔らかくなっている時間故に〝映える〟ことを求めても仕方がないのであろう。駐車料金のこともあり、四方から花手水と風鈴の姿をカメラに収めて、駐車場へと向かって戻って行った。因みに野見神社参拝客用の駐車場は数台分用意されているようだ。高槻城公園とは違う方向の神社隣のスペースがそのように書いてあったようだが、24時間開いている訳ではないようだ。利用される際には注意してご利用下さい…。<br /><br />走ること20分で島本町の水無瀬神宮に到着する。〝招福の風〟風鈴と風車の広場が今年令和7(2025)年は7月1日から9月9日迄行われている。期間中7月27日から9月1日までの土日祝日はライトアップが行われているという関西エリアでもかなり〝有名処〟として知る人ぞ知る夏の風物詩を楽しめる場所となっている。それ程有名な割には初訪問かと思われるかも知れないが、実は3年前の夏に昼間とライトアップともに訪れている〝既訪問イベント〟である。ではなぜ記録がないのかと言うと、写真の整理ができておらず〝未完〟で終わっている。それを書き終えることができるかどうかはわからないが、今回は訪れたものだけを抽出して書いてみようと思う。<br /><br />水無瀬神宮は大阪府唯一の神宮で旧社格は官幣大社。現在は神社本庁の別表神社となっている境内には〝名水百選〟にも選ばれた〝離宮の水〟がある。元来この地には後鳥羽天皇お気に入りの離宮〝水無瀬殿下御所〟が建てられていたが、承久の変で後鳥羽天皇(上皇)が鎌倉幕府軍に敗れると隠岐国に配流され、その地で崩御すると水無瀬殿一帯は荒れ果てた。その後、仁治元(1240)年に後鳥羽上皇の遺勅に基づき、水無瀬信成・親成親子が水無瀬殿下御所の跡地に御影堂を建立し、後鳥羽上皇を祀った。この水無瀬御影堂が水無瀬神宮の始まりである。そして約250年後の明応3(1494)年に後土御門天皇が隠岐より後鳥羽上皇の神霊を迎え、水無瀬宮の神号を奉じた。<br /><br />安土桃山時代には豊臣秀吉が福島正則を普請奉行として客殿を建立した。そして江戸時代の寛永年間には京都御所にあった明正天皇の内侍所を移築して改築し、新たな本殿とした。江戸時代まで仏式で祀られていたが、明治維新で〝神仏分離〟が行われると、水無瀬御影堂は神社となり水無瀬宮に改称し官幣中社に列せられた。同時に承久の乱の処分で配流されそこで崩御した土御門天皇と順徳天皇の神霊も配流地から迎えて合祀している。昭和14(1939)年に神宮号を賜って官幣大社に列格すると水無瀬神宮と改称され現在に至っている。御祭神は承久の乱で配流された後鳥羽・順徳・土御門天皇となっている。<br /><br />と言った聞き覚えのある天皇が祀られている水無瀬神宮であるが〝離宮の水〟とともに夏に風鈴まつり〝招福の風〟が行われていることで一般に知られている。イベント自体いつ頃から始まったかは定かではないが、開催時期になるとSNSやブログ等で取り上げられるために開催を知ることが出来る。私自身過去の記録では〝ライトアップ〟開催中に2回訪れているので、再訪するにしてもその時期に来るべきだったとは思うがあとの祭り。ライトアップが終わってしまった9月だがイベント開催中ではあるので今回訪れてみることにした。<br /><br />こちらの駐車場は参道横にあるために、鳥居を潜る参道を歩くには一旦参道を戻るように歩かなければならない。改めて鳥居したから参拝を開始し参道を進む。神門までの参道には近隣の保育園や施設の利用者が作り奉納した風鈴が施設毎に並んでいる。格式高い神宮ではあるが、こういう景色は好感が持てる。水無瀬駒発祥の地碑を見ながら神門を潜ると左手に手水舎がある。この隣に〝離宮の水〟が汲める〝蛇口〟があるが、給水時間は決まっているので18時を過ぎた今では利用は出来ない。確かこの手水舎には〝祈願玉〟なるものが浮かんでいた筈であるが今は見ることが出来なかった。<br /><br />右手に進むと〝休憩スペース〟が設けられている。自販機と長椅子が置かれ、屋根も付いている。この屋根には花風鈴が吊り下げられており、歩き疲れた際にも休憩しながら風鈴を楽しむことが出来る。更に土蔵の壁には和傘が飾り付けられいる。確かこの場所は和傘の内側から照明が灯されて、夜に和傘が浮かび出る仕様になっていた筈だ。<br /><br />土蔵の隣には境内末社が三社。稲荷・星阪・柿本神社が横並びに鎮座する。そして正面には拝殿が聳えている。確か拝殿左手から回り込むように進むと本殿を見ることが出来る筈だが、この時間は入れなかったようで拝殿にて参拝をする。この拝殿前には風車が並べられている。暗くなると拝殿屋根に取り付けられた照明が点灯し、風車を含めて浮かび上がるようになっていた。<br /><br />参拝を済ませたので風鈴まつり散策を始める。水無瀬神宮招福の風は一部を除き〝青系〟の色のものが多いために夏の青空に良く映える。青空に映える青という表現が難しいが、空と同化しないところが素晴らしいと思う。今日は一部地域で雨が降ったようだが、水無瀬神宮界隈でも雨が降ったようだ。本来であれば風鈴上部の透明な部分が夕陽に染まる筈であるが、水分が内側に付着しくもっている。私自身初めて見た光景であったが、これはこれで趣きが違ってまたをかしであった。他にも三面に飾られた風車等見た記憶はあるのだが、何か新鮮味を感じることが出来る水無瀬神宮招福の風であった。<br /><br />ライトアップは既に終了しており、日が暮れると照明のある部分を除いて真っ暗になるために、頃合いを見計って出発する。夜の帳が下りる寸前、参道にL E Dの照明が光っていることを確認し、まだ残っていたのかとちょっと感動しつつカメラにその様子を収める。駐車場に到着すると既に参拝客らしい車は残っておらず、本日最終の参拝客となった私のmoveクンだけが残っていた。<br /><br />車に乗り込み出発する。後は自宅への向かうのみだが、途中moveクンのお食事タイムを摂るために格安ガソリンスタンドを目指す。到着したのはパワーステーション久御山S S。こちらも京都市内で上位にガソリン価格が安い店として上がる店舗のひとつである。159円/Lはやはり安い。moveクンには腹一杯食わせたかったのだが、2,000円でお釣りが来る程度であった。<br /><br />moveクンのお食事が済むと、今度は私の一服タイムのためにローソン淀際目町店に立ち寄る。飲み物を購入し一服するがあまりゆっくり出来る程空いている店舗ではなかったので、用事が済むと早々に立ち去った。<br /><br />京都府道81号線を東進し、京阪国道に入り北進するとかなりご無沙汰であったイオンモール久御山を見つけて立ち寄ってみる。以前は並レベルの行動範囲内であったためによく訪れていたのだが、最近はこの界隈を訪れること自体が稀なのでそう感じるのだろう。まあ特に欲しいものもなく車へと戻り、自宅に向かってラストランに挑む。京滋バイパスを利用すればすぐなのだが、ドライブを兼ねて一般道を走って行く。京滋バイパスは国道1号線のバイパス扱いだが、大久保バイパスとの交差点からは国道24号線になることを知る。スマホナビの示すルートは、そのまま国道24号線を北上した後外環状線を通り、東野で国道1号線に合流するルートを指していたように思うのだが、実際には京都府道3号線、つまり宇治川ラインを通るものであった。宇治川に沿って走るこのルートは私が免許を取得した数十年前には、信楽に至る国道422号線同様一般道を走り慣れるための練習路であった。川沿いの曲がりくねった道はセンターラインを超えないように手に汗をかきながら運転をした記憶が残っている。しかし国道422号線がバイパス化されて走り易くなったことに比較すると、宇治川ラインの大筋は昔のままであり、気を抜くとセンターラインを越えてしまいそうな曲がりくねった道のままである。そのような理由からできれば夜になると走りたくはない道であるのだが、ナビが指し示す以上従うしかない。仮に迂回するならば今来た道を暫く戻る選択肢しかなければ尚更である。という訳で何十年前を思い出しながら、手に汗をかきつつハンドルを握り慎重に走って行く。途中宇治川ラインあるあるのトロトロと走る車があった。こういう走りが一番気になるのだが、幸いドライバーがこの道に慣れていないことを理解しているようで道を譲ってくれマイペースで走ることができた。しかしそんな車は一台ではないためにどうしてもつながってしまう。その上にこの時間に宇治川ラインを走る車の目的地は大抵大津市街であるがために京滋バイパスの南郷インターチェンジを越えたところを左折してバイパス沿いを走る抜け道まで同じとなる。結局石山インターを超えるところまで数台の車が連なって走ることになり、ナビが示す所要時間+αで無事家に到着する。自宅に帰れば〝車の入れ替え〟という面倒なことが待っている筈であったが、幸いまーさんがまだ帰ってきておらず手間が省けたのはラッキーであった。これで今回の旅は終了となる。ただ後からデータを確認すると、Pixcelで記録していたメーターの距離と時間の写真が、なんとクラウドの容量オーバーが原因で写真が残ってなかった。少しくらいは本体メモリを活用してくれれば良いのに~とイラっとする。仕様上仕方がないことではあるのだが…。<br /><br />半日ではあったが、今回も初訪となる風鈴まつりを体験できた。日にち的にも今年に新たな風鈴まつりを体験することは出来ないと思われるので、回ることが出来なかった場所はまた来年の楽しみに取っておこうと思う。例年同じことを思って書いてはいるのだが、目的地抽出の段階で開催の有無を確認するのに時間を費やしてしまい、結局再来年回しになってしまうのだがそれもまた仕方がないことなのだろうと〝来年用の言い訳〟を考えてしまう風鈴オタク約一名であった。<br /><br />   《終わり》

《2025.August》あみんちゅ風鈴の奏でる音色を探す旅大阪そのⅠ~北摂神社巡り編~

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《2025.August》あみんちゅ風鈴の奏でる音色を探す旅大阪そのⅠ~北摂神社巡り編~

相変わらずの暑い日が続いているものの暦の上では9月を迎えた。秋らしくなる前にマイブームの夏のテーマ〝風鈴まつり〟は開催期間を終えて、紅葉までの暫しの間〝静かな時間〟が過ぎて行く筈だ。しかし秋らしいというイメージはここ数年感じていないように思える。夏が終われば冬を迎え、再び暑い夏が来ると言った2シーズン制に変わってしまったのか?そんなことを考えてしまう今日この頃だ。しかし確実に時間は過ぎて行く。考えている間に風鈴のシーズンも終わってしまう。ならば動くしかないという結論に至り、今日も出かけることにした。

いつも同じ〝No Plan〟だが、はるが〝郵便局に連れて行け〟と宣う。どこでも良いということだったので、大津大平郵便局迄往復してからの出発となった。

はるを自宅前で下ろして再出発。毎度お馴染みのローソン大津大平一丁目店で一服しながらナビを設定してから目的地へと走り始める。大津インターチェンジから名神高速道路へと進む。我が家からだと京滋バイパスの石山インターチェンジの方がはるかに近いのだが、ここは高速代金の安い方を選択した。

京都・大阪府へと進み豊中インターチェンジで一般道に降りて行く。何回利用しても慣れない場所である。ナビが間違った道を通っているとは言ってはいないので大丈夫の筈なのだが、阪神高速料金合算請求と書かれていたので不安は残る。まあ通過後に言っても仕方のないことだが…。

取り敢えずは豊中まで辿り着いたので、時間の許す限り旅行貯金をしようかと思う。先ずは豊中南郵便局、界隈の集配局なので規模は大きい。ただ局前の通りはとにかく飛ばす車が多い。来局記録に局舎の写真を撮るために道路を渡ろうとするが、信号が赤になってから渡り始めたのに車が来るとはちょっとびっくり。意外に知られてはいないようだが、相変わらず北摂エリアの運転は怖いことを再認識する。

無事に写真を撮り終えて車に戻り出発する。次に国道176号線沿いの豊中服部南郵便局を目指す。距離は短いがとにかく車を停めるスペースがない。仕方がないので少し局から離れた場所に駐車し、小走りに局に向かった。貯金を済ませて道路を挟んだ向かい側から局舎を写真に収め、再び小走りで車へと戻る。そのまま国道176号線を北上し、ビルの1階に入っている豊中服部郵便局に立ち寄る。やはりこちらも駐車場はなく、仕方なしに路駐をして手短に用事を済ませた。

次に向かった豊中服部西郵便局はメイン道路には面してはいない局であった。駐車場もないのは同じだが、路駐はし易いために利用客も多いようであった。貯金を終えて出て来た時刻が15:57。4局回ることができたのでこんなものかと旅行貯金を終えることにして、いよいよメインの〝風鈴まつり〟へとシフトすることにした。

服部天神宮、豊中服部西郵便局から650mの距離とGoogleさんは言ってはいたが、途中阪急宝塚線の踏切がある上に境内に〝服部天神駅〟がある上に、駅前広場の工事と相まって場所が非常に分かり辛かった。それに加えて駐車場探しのこともあり、天神宮を2回回った末にやっと辿り着いた。旧村社格の服部天神宮。鎮座の時期については詳らかでないものの、第19代允恭天皇の御世に帰化人である〝秦氏〟が織部司に任じられ当地を服部連の本拠とした際、外来神の少彦名命(医薬の神)を祀ったのが始まりと言われている。当時ははまだ小さな祠だったが、服部連の祖神が〝少彦名命〟ではないかという説によって少彦名命を祀る祠が〝天神祠〟と呼ばれるようになったと記されていた。奈良時代の公家である藤原魚名が延暦2(783)年に太宰府に左遷され筑前国に向かったが、途中で体調を崩し、自らの所領があったこの川辺荘で病臥した後にそのまま当地で没し、天神祠の近くに葬られたとされている。そして現在でも〝川辺左大臣藤原魚名公の墓〟が境内に残っている。その後一世紀を経て魚名と同様に大宰の権帥として左遷され任地に赴く途中の菅原道真が、当地で持病の脚気に襲われて動けなくなる。そこで里人の勧めるままに路傍の天神祠と魚名を祀る五輪塔に平癒を祈念したところ、たちまち健康を取り戻して任地へ辿り着けたとの言い伝えがある。太宰府にて道真公が亡くなられた後神霊を合祀し服部天神宮としてご社殿を造営したという社伝により、祭神として〝少彦名命〟と〝菅原道真〟が祀られることとなったと記されていた。

菅公足病平癒の霊験あらたかな神社と聞いた全国よりの参詣人が訪れることとなり、加えて当地が能勢街道の要所であったこととから次第に門前市をなすようになり、殊に江戸時代の中期から末期にかけてはその最盛期を迎え境内外は非常な賑わいをみせたと言われている。そして今尚足の神様の崇敬は絶え間なく続いており、足の病に悩まされている、スポーツに励む多くの者が全国各地より参拝する場所は、道真公の足が治ったということから〝足の神様〟として崇められて現在に至っているのであった。

駅が神社前にあるのではなく、神社の境内に駅があることには驚きであるが、そもそもそれだけの歴史的な逸話がある神社(天満宮)名を冠している駅の存在を〝知らなかった〟ことに疑問を感じたが、駅のことを調べると納得する事実が確認できた。服部天神駅という呼称は今から12年前の平成25(2013)年のことで、それまでは〝服部駅〟だった。そう言えば乗り鉄だった数十年前に服部緑地の最寄駅は服部駅ではない?と疑問に思っていたことを今更ながら思い出した私であった。

因みに藤原魚名公の墓である五輪塔は、地面に立ってはいない。祖霊社内部に三基の石塔が建立されており、右から祖霊社・藤原魚名公の墓・招魂社として祀られている。そうとは知らず神社に詣るかの如く2礼・2拍手・1礼をしたがご無礼ではなかったか?と後から後悔する約1名であった。

勿論神社・天満宮を訪れているのは承知しており、各社にはしっかりと参拝させて頂いたのでここは寛大に考えて頂くとして、今回この服部天神宮を訪れた理由は勿論〝風鈴まつり〟である。全国的に開催が周知されているものは、費用や日数の関係で〝一度〟に巡ることは出来ないものの徐々にだが参拝を兼ねて巡ることが出来ている。しかし〝風鈴〟という古来より夏の風物詩として利用されて来たものは、多分星の数ほどあるに違いない。しかし無住等様々な理由により行われていない神社仏閣もある訳で、昨年9月に訪れた群馬前橋では〝風鈴飾り〟のない場所を情報不足で転々とせざるを得なかった苦い思い出がある。しかしこの辺りの情報はローカルニュースやSNSに頼るしかないことも事実である。近場であれば現地確認を兼ねて行ってみることも出来るだろうが、泊まりで行くような場所ではそうも行かない。それ故にある程度の〝開催実績〟が記録されている場所を探してから、近隣エリアの情報を仕入れることが出来てから初めて〝旅立ち〟となるケースが続いている。よって〝旅〟としてはほんの一時のものでしかないが、計画段階ではかなりの情報を仕入れる必要がある。観光協会や地方紙のHP等旅行とは凡そかけ離れていることを調べなければいけない。そんな中〝豊中〟の風鈴まつりの情報検索の結果出て来たのがここ服部天神宮であった次第である。そこまでの事前調査の結果訪れることをした・出来たということになる。

駅チカであると同時に天神宮近隣にも住居が建ち並んでいる。そんな立地故の服部天神宮風鈴まつり故の制約もある。夏の風物詩の音色だと私には考えられても、やはり近隣から〝騒音〟として捉えられることもあるようで、参拝そのものは24時間可能であっても〝風鈴まつり〟は17時までとなっている。それ以降は騒音防止のために緩衝材を付ける旨が記されていたので、参拝時間は厳守となる。しかし天神宮周辺を2周する程車で訪れるには難易度の高い場所である。一番の問題は駐車場なのであるが、結論から言えば天神宮境内に参拝客用の駐車場が数台分設けられていた。しかしここに至るには道路から鳥居を潜って境内に入る必要がある。勿論一度来ていればわかることではあるのだが、初訪であれば躊躇してしまうことに違いない。私自身もその一人となり、近隣のコインパーキングに車を停めた次第である。

色々な意味で辿り着くまでの困難はあったが無事参拝することは叶えられた。参道に棚が設けられて、200個の風鈴が軽やかな音色を醸し出していた。個数だけを見れば決して大きな規模ではないが、ピンポイントに二段重ねで吊り下げられている風鈴は、風が吹くと個数以上の音色が聞こえてくる様に感じる。また青系の色で揃えられている風鈴棚は、見た感じも爽やかな感じを受け、見ているだけでも心地良さを感じるものであった。近年では〝個数勝負〟で風鈴まつりを行なっている施設もある中で、風鈴が放つ〝夏の涼しさ〟を十分に感じ取ることが出来るものとなっており、好感が持てた。期間は9月初旬迄と年によっては時期を逸脱する可能性もあるが、今年の様に残暑が〝酷暑〟のまま続いている年には、もう暫く開催していて貰いたいとふと感じた私であった。

ただ最初に言った通りコインパーキングに駐車したためにどうしても時間が気になってしまう。もし改めて時間を取ることが出来たならば、もう少しゆっくりとしたいなぁ~と思いながら30分強で参拝を済ませ車へと戻って来た。

次は島本へと向かう。基本本日訪れる予定の風鈴まつりの会場はライトアップがないために明るいうちに訪れたいのだが、高速を使ってもあまり時間的なメリットがない場所なので下道を走って行くことにする。中央環状から大阪府道14号線・国道171号線と走って行く。

丁度通勤時間に重なったこともあり、道中部分部分は混雑していた。そんな中でふと思い出した〝風鈴まつりイベント〟のことを思い出す。野見神社、高槻城址付近にあり、花手水が有名な神社である。こちらでは過去に〝風鈴まつり〟が行われたとの記録が残ってはいるが、神社の公式サイトでは本年令和7(2025)年の開催情報は記されてはいなかった。そのために開催の〝可能性〟はあるが、未確認との位置付けをしていた場所である。今回国道171号線を走っていれば、すぐ近くを通ることに気付き、慌ててナビのセットをする。格安ガソリンスタンドのKSD高槻SSは立ち寄ろうと考えてはいたが、混雑していたためにそのまま通過。そして北大手西の交差点を右折してその場所を確認した。しかし近隣に駐車場らしきものが見当たらない。勿論無料などとは考えてはいないのだが、それすら見当たらない…。近くには高槻城公園もあることから、探せばあるだろうが時間がもったいないので結局高槻城公園芸術文化劇場北館の駐車場を利用した。

スマホだけを持って小走りに向かう。野見神社は創建は不詳ながら平安時代宇多天皇の御世に疫病が蔓延し、神託により牛頭天王(ごずてんのう)を祀ったところ疫病が治まったので社殿を造営し、牛頭天王社が建立されたこととされていた。その後10世紀頃に高槻城が作られたと言われているが、歴史上の史実として出てくるのは安土桃山時代のことである。幾多の城主を迎えた後にキリシタン大名として有名な高山右近の居城となる。右近はキリスト教の布教に努め、天正4(1576)年に念願であった教会を建設、天正11年(1583年)には修学寮も建設し、領内には20ヶ所の教会、当時の高槻領人口の60%以上、1万8千人もの人々がキリスト教徒となり、宗教活動を活発にしていたようである。一説によると右近はこのキリスト教施設の建設のために神社仏閣を破却したとされている。事実野見神社由緒書きにもそのことが記されており、社領を没収されたことが書かれていた。しかしこれも創作とされている部分があり、確かに右近はキリスト教の街作りに尽力していたことは事実ではあるが、そもそも高槻城下で神社仏閣が破却された一番の原因は、領民が右近の御機嫌取りのためにキリスト教に改宗し、その結果信者が減少し無住となって荒廃していた神社仏閣を〝無〟にするよりもは〝再利用〟した方が良いと考えた結果、キリスト教施設が増えたに過ぎず、領民に改宗を強要した訳ではないという史実に基づけば〝デフォルメ〟された感が強いと考えられる。しかし天正15(1587)年に豊臣秀吉が〝バテレン追放令〟を発すると、右近も追放され小西行長や前田利家に庇護される生活を送ることとなる。そして江戸時代を迎え慶長19(1614)に徳川家康による〝キリシタン国外追放令〟を受けて、人々の引きとめる中居住していた加賀を退去し、長崎から家族と共に追放された内藤如安らと共にマニラに送られる。しかし船旅の疲れや慣れない気候のために老齢の右近はすぐに病を得て、翌年慶長20(1615)年に63歳で息を引き取った。右近が高槻を去った後城主が代わる中で、高槻藩主となった松平家信公が、城下の安全を祈願するために荒廃していた野見神社境内に牛頭王天王社社殿を新造させて復興、社領を寄贈する。そして初代摂津高槻藩主となった永井直清公によって社殿の修築や社領の寄進がなされることとなり、この頃例祭日を10月14日に執り行うこととなった。後に直清公は野見神社御祭神の一人として数えられ、摂末社〝永井神社〟が寛政5(1793)に9代藩主永井直進公により創建されている。その後嘉永元(1848)年には11代藩主永井直輝公が本殿を修復し、拝殿と唐門を建立している。後に唐門は平成22(2010)年に修理されて現在に至っている。
至って普通の神社の歴史を辿ってきたように見える由来だが、明治維新の〝神仏分離令〟が出たときにやらかしてしまっている。牛頭天王は祭神名を須佐之男命に変更したが、その際に野見宿禰命を合祀し、野見神社と改称する。このことにより延喜式神名帳に記載された式内社野見神社の論社のひとつとされていたが、その経緯が式内社である〝野見神社〟に擬せるための合祀という判断をされることとなる。その結果心象を悪くしてしまい、元々県社格であったものを郷社格に下げられたという出来事が記録されている。真実かどうかは不明だが、欲張っては得することはないという〝戒め〟のように聞こえてならない。そして現在野見神社には本殿・幣殿・拝殿・能舞台の他、摂社末社として永井神社・高槻戎神社・小島神社・護国神社・四社明神が境内に鎮座している。勿論本・拝殿より参った後戻ってくるのだが、この野見神社の有名なものとして〝花手水〟がある。インスタ映えする花手水は、近隣の花屋さんの奉納として続けられているようだが、その手水舎の場所こそが風鈴まつりの会場でもあるのであった。

手水舎に風鈴を掛けて、花を飾って…とホンの一角のスペースを利用してのイベントはちょっと強引過ぎるようにも思える。多分昼間で花の勢いもあればまた印象も変わってくるだろうとは思うのだが、日暮れ前の日差しが柔らかくなっている時間故に〝映える〟ことを求めても仕方がないのであろう。駐車料金のこともあり、四方から花手水と風鈴の姿をカメラに収めて、駐車場へと向かって戻って行った。因みに野見神社参拝客用の駐車場は数台分用意されているようだ。高槻城公園とは違う方向の神社隣のスペースがそのように書いてあったようだが、24時間開いている訳ではないようだ。利用される際には注意してご利用下さい…。

走ること20分で島本町の水無瀬神宮に到着する。〝招福の風〟風鈴と風車の広場が今年令和7(2025)年は7月1日から9月9日迄行われている。期間中7月27日から9月1日までの土日祝日はライトアップが行われているという関西エリアでもかなり〝有名処〟として知る人ぞ知る夏の風物詩を楽しめる場所となっている。それ程有名な割には初訪問かと思われるかも知れないが、実は3年前の夏に昼間とライトアップともに訪れている〝既訪問イベント〟である。ではなぜ記録がないのかと言うと、写真の整理ができておらず〝未完〟で終わっている。それを書き終えることができるかどうかはわからないが、今回は訪れたものだけを抽出して書いてみようと思う。

水無瀬神宮は大阪府唯一の神宮で旧社格は官幣大社。現在は神社本庁の別表神社となっている境内には〝名水百選〟にも選ばれた〝離宮の水〟がある。元来この地には後鳥羽天皇お気に入りの離宮〝水無瀬殿下御所〟が建てられていたが、承久の変で後鳥羽天皇(上皇)が鎌倉幕府軍に敗れると隠岐国に配流され、その地で崩御すると水無瀬殿一帯は荒れ果てた。その後、仁治元(1240)年に後鳥羽上皇の遺勅に基づき、水無瀬信成・親成親子が水無瀬殿下御所の跡地に御影堂を建立し、後鳥羽上皇を祀った。この水無瀬御影堂が水無瀬神宮の始まりである。そして約250年後の明応3(1494)年に後土御門天皇が隠岐より後鳥羽上皇の神霊を迎え、水無瀬宮の神号を奉じた。

安土桃山時代には豊臣秀吉が福島正則を普請奉行として客殿を建立した。そして江戸時代の寛永年間には京都御所にあった明正天皇の内侍所を移築して改築し、新たな本殿とした。江戸時代まで仏式で祀られていたが、明治維新で〝神仏分離〟が行われると、水無瀬御影堂は神社となり水無瀬宮に改称し官幣中社に列せられた。同時に承久の乱の処分で配流されそこで崩御した土御門天皇と順徳天皇の神霊も配流地から迎えて合祀している。昭和14(1939)年に神宮号を賜って官幣大社に列格すると水無瀬神宮と改称され現在に至っている。御祭神は承久の乱で配流された後鳥羽・順徳・土御門天皇となっている。

と言った聞き覚えのある天皇が祀られている水無瀬神宮であるが〝離宮の水〟とともに夏に風鈴まつり〝招福の風〟が行われていることで一般に知られている。イベント自体いつ頃から始まったかは定かではないが、開催時期になるとSNSやブログ等で取り上げられるために開催を知ることが出来る。私自身過去の記録では〝ライトアップ〟開催中に2回訪れているので、再訪するにしてもその時期に来るべきだったとは思うがあとの祭り。ライトアップが終わってしまった9月だがイベント開催中ではあるので今回訪れてみることにした。

こちらの駐車場は参道横にあるために、鳥居を潜る参道を歩くには一旦参道を戻るように歩かなければならない。改めて鳥居したから参拝を開始し参道を進む。神門までの参道には近隣の保育園や施設の利用者が作り奉納した風鈴が施設毎に並んでいる。格式高い神宮ではあるが、こういう景色は好感が持てる。水無瀬駒発祥の地碑を見ながら神門を潜ると左手に手水舎がある。この隣に〝離宮の水〟が汲める〝蛇口〟があるが、給水時間は決まっているので18時を過ぎた今では利用は出来ない。確かこの手水舎には〝祈願玉〟なるものが浮かんでいた筈であるが今は見ることが出来なかった。

右手に進むと〝休憩スペース〟が設けられている。自販機と長椅子が置かれ、屋根も付いている。この屋根には花風鈴が吊り下げられており、歩き疲れた際にも休憩しながら風鈴を楽しむことが出来る。更に土蔵の壁には和傘が飾り付けられいる。確かこの場所は和傘の内側から照明が灯されて、夜に和傘が浮かび出る仕様になっていた筈だ。

土蔵の隣には境内末社が三社。稲荷・星阪・柿本神社が横並びに鎮座する。そして正面には拝殿が聳えている。確か拝殿左手から回り込むように進むと本殿を見ることが出来る筈だが、この時間は入れなかったようで拝殿にて参拝をする。この拝殿前には風車が並べられている。暗くなると拝殿屋根に取り付けられた照明が点灯し、風車を含めて浮かび上がるようになっていた。

参拝を済ませたので風鈴まつり散策を始める。水無瀬神宮招福の風は一部を除き〝青系〟の色のものが多いために夏の青空に良く映える。青空に映える青という表現が難しいが、空と同化しないところが素晴らしいと思う。今日は一部地域で雨が降ったようだが、水無瀬神宮界隈でも雨が降ったようだ。本来であれば風鈴上部の透明な部分が夕陽に染まる筈であるが、水分が内側に付着しくもっている。私自身初めて見た光景であったが、これはこれで趣きが違ってまたをかしであった。他にも三面に飾られた風車等見た記憶はあるのだが、何か新鮮味を感じることが出来る水無瀬神宮招福の風であった。

ライトアップは既に終了しており、日が暮れると照明のある部分を除いて真っ暗になるために、頃合いを見計って出発する。夜の帳が下りる寸前、参道にL E Dの照明が光っていることを確認し、まだ残っていたのかとちょっと感動しつつカメラにその様子を収める。駐車場に到着すると既に参拝客らしい車は残っておらず、本日最終の参拝客となった私のmoveクンだけが残っていた。

車に乗り込み出発する。後は自宅への向かうのみだが、途中moveクンのお食事タイムを摂るために格安ガソリンスタンドを目指す。到着したのはパワーステーション久御山S S。こちらも京都市内で上位にガソリン価格が安い店として上がる店舗のひとつである。159円/Lはやはり安い。moveクンには腹一杯食わせたかったのだが、2,000円でお釣りが来る程度であった。

moveクンのお食事が済むと、今度は私の一服タイムのためにローソン淀際目町店に立ち寄る。飲み物を購入し一服するがあまりゆっくり出来る程空いている店舗ではなかったので、用事が済むと早々に立ち去った。

京都府道81号線を東進し、京阪国道に入り北進するとかなりご無沙汰であったイオンモール久御山を見つけて立ち寄ってみる。以前は並レベルの行動範囲内であったためによく訪れていたのだが、最近はこの界隈を訪れること自体が稀なのでそう感じるのだろう。まあ特に欲しいものもなく車へと戻り、自宅に向かってラストランに挑む。京滋バイパスを利用すればすぐなのだが、ドライブを兼ねて一般道を走って行く。京滋バイパスは国道1号線のバイパス扱いだが、大久保バイパスとの交差点からは国道24号線になることを知る。スマホナビの示すルートは、そのまま国道24号線を北上した後外環状線を通り、東野で国道1号線に合流するルートを指していたように思うのだが、実際には京都府道3号線、つまり宇治川ラインを通るものであった。宇治川に沿って走るこのルートは私が免許を取得した数十年前には、信楽に至る国道422号線同様一般道を走り慣れるための練習路であった。川沿いの曲がりくねった道はセンターラインを超えないように手に汗をかきながら運転をした記憶が残っている。しかし国道422号線がバイパス化されて走り易くなったことに比較すると、宇治川ラインの大筋は昔のままであり、気を抜くとセンターラインを越えてしまいそうな曲がりくねった道のままである。そのような理由からできれば夜になると走りたくはない道であるのだが、ナビが指し示す以上従うしかない。仮に迂回するならば今来た道を暫く戻る選択肢しかなければ尚更である。という訳で何十年前を思い出しながら、手に汗をかきつつハンドルを握り慎重に走って行く。途中宇治川ラインあるあるのトロトロと走る車があった。こういう走りが一番気になるのだが、幸いドライバーがこの道に慣れていないことを理解しているようで道を譲ってくれマイペースで走ることができた。しかしそんな車は一台ではないためにどうしてもつながってしまう。その上にこの時間に宇治川ラインを走る車の目的地は大抵大津市街であるがために京滋バイパスの南郷インターチェンジを越えたところを左折してバイパス沿いを走る抜け道まで同じとなる。結局石山インターを超えるところまで数台の車が連なって走ることになり、ナビが示す所要時間+αで無事家に到着する。自宅に帰れば〝車の入れ替え〟という面倒なことが待っている筈であったが、幸いまーさんがまだ帰ってきておらず手間が省けたのはラッキーであった。これで今回の旅は終了となる。ただ後からデータを確認すると、Pixcelで記録していたメーターの距離と時間の写真が、なんとクラウドの容量オーバーが原因で写真が残ってなかった。少しくらいは本体メモリを活用してくれれば良いのに~とイラっとする。仕様上仕方がないことではあるのだが…。

半日ではあったが、今回も初訪となる風鈴まつりを体験できた。日にち的にも今年に新たな風鈴まつりを体験することは出来ないと思われるので、回ることが出来なかった場所はまた来年の楽しみに取っておこうと思う。例年同じことを思って書いてはいるのだが、目的地抽出の段階で開催の有無を確認するのに時間を費やしてしまい、結局再来年回しになってしまうのだがそれもまた仕方がないことなのだろうと〝来年用の言い訳〟を考えてしまう風鈴オタク約一名であった。

   《終わり》

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
35いいね!

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