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《2025.July》あみんちゅ風鈴の奏でる音色を探す旅三重そのⅠ~いなべ・金井神社編~<br /><br />気が付けば沖縄旅も終わり文月を迎えた。既に令和七年も折り返し地点を過ぎた訳であるが、今年に限って言うならば〝何とかならないこの暑さ〟のひと言に尽きる。既に連日30℃越えの〝真夏日〟が続く上に雨が降らない。エアコンのないmy roomでは、気温の上昇で目が覚めると言った悪循環が続く。それ故に休みの日はぐだぐだしてして潰れることが多かったのだが、〝強制覚醒〟となり目が覚める。せっかく目が覚めたならば出掛けようというとんでもない理由が旅立つ理由となるのが、今夏の私の場合。今日もやはりそんな理由で目覚めた次第であった。<br /><br />夏の時期に於けるmy themeは〝風鈴〟である。そのため時間があれば彼方此方の〝風鈴まつり〟情報を仕入れておいた。その中に於いて昨年から始まった〝ライトアップ〟イベントがあり、それを絡めた旅に出ようと思い付きで決めた。相変わらずの場当たり計画はどうなったのであろうか?<br /><br />令和7(2025)年7月4日金曜日<br />起床時間に合わせての出発なのでゆっくりとする。いつも通りローソン大津大平一丁目店で一息入れてからナビをセットして出発する。お目当てのナイトイベントは〝とびしま宵あかり〟というもの。愛知県海部郡飛島村の村役場に昨年から開催されるようになったイベントである。我が街南淡海からだと高速利用で1時間半程で到着できるが、開催時間の絡みで一般道を利用する。国道422・307号線を経て信楽へと向かい、信楽郵便局で旅行貯金をする。その後も307号線を走り、近江日野郵便局に立ち寄る。ここで旅行貯金はタイムアップとなり、ナビに示される道を進んで行く。東近江市で国道421号線〝八風街道〟と合流して鈴鹿の山越えに挑む。そして滋賀県最後となる〝道の駅奥永源寺渓流の里〟に到着。少し前から山間部らしい雨が降ってきたので雨宿りを兼ねてひと息入れる。車だから意味ないと言われそうだが、山道ゆえに視界と路面状態の悪さが気になるレベルで敢えて安全を選択する。15分程滞在して出発し、間もなく三重県へと入って行った。<br /><br />三重県側はいなべ市になる。旧大安町だが田舎だけに凄く広い。それを横切るように走り、東海環状自動車を潜り旧員弁町に入ると間もなく第一目的地である金井神社に到着する。<br /><br />主祭神は天照大御神で、合殿神として豊受比売大神・大山津見神・大国主命・火産霊神・武甕槌神・天児屋根命・経津主神・比売神・品陀和気命となっている。旧村社格の神社で由来書によると本社の創立は承久3(1221)年2月11日の勧請と社殿の棟札に記録されていたらしい。承久年間には洪水飢饉等天災が頻繁に発生し、人民が死することが多く、安心に暮らすことが出来なかった。そのために界隈の一郷金井・西方・大泉・東一色集落にて協議し、皇太神宮・豊受神宮に参拝して五穀豊穣一郷安全を祈願。そして両宮を合して一部の祈年社としてこの村に祀り奉ったものが金井神社だとされている。<br /><br />以降年々集落より総代一名宛が両宮へ参拝し、五穀豊穣と郷中安全を祈願し来りしてきたが、戦国時代末期の永禄年間に兵火に罹って地頭別当・民家社殿社頭がことごとく焼亡し、そのため江戸期貞享年間の頃廃社となる。しかし社地たるものを失う訳にはいかないとの考えから毎年この地に於いて山神社を祀るようになった。<br /><br />寛永8(1631)年桑名藩主移封の際にこの金井神社の情報が引き継がれなかった。よって宝勝11(1761)年に幕府に対し神社収蔵の物品や古事古老の伝説とを考証して提出した。幕府側の検査役は桑名藩主松平忠刻の臣野瀬太郎左衛門・奥平惣左衛門、下役員は田中文兵衛・原喜惣八にして実地取調の上第10代将軍徳川家治に上申し、古社復興の許可を受けた。神殿拝殿を修営し界隈の集落に於ける〝氏神〟と定め、皇太神宮・豊受神宮両宮へ代拝をも復興して古来の如く行っていたが、中古に至り旧御師熊鶴三郎太夫に依頼して月参日参科を奉納して明治維新に至るといった由来があると記されていた。<br /><br />また末社の春日社は昔此地にあった真言宗永源寺の鎮守社であり、鎌倉時代末期の正応3(1290)年に霊験があり祭日を8月18日と定めたという。金巌社は昔地頭の種村家の祈願社で、金巌という所にあった社を移したものである。<br /><br />令和3(2021)年に鎮座800年を迎えた叶の宮金井神社。人々を天災や飢饉にから守るべく、豊作や日々の安全を願う神社として鎌倉時代に創建され、現在まで地元の人々の心の拠り所として親しまれてきた。加えて現在では信仰や祈願の場所としてだけではなく、初詣やお祭りといった年中行事やイベントが行われる場所として、さまざまな人が参拝に訪れる場所として今日に至っている。そんな祭りのひとつが〝かない風鈴〟、例年6月から9月中頃迄行われている〝夏祭り〟である。神社拝殿前広場で行われているために、大規模なものとは言えないが、風鈴と風車が軽やかな音を聴かせてくれる棚と、コロナ禍で手水舎から撤去した杓子の代わりに作られるようになった〝花手水〟等権禰宜さんご夫婦の手作り感溢れる〝作品〟は、見どころのあるものに仕上がっている。また金井神社ならではと言われる〝御朱印〟がある。この華やかな御朱印も手作りであり、これをコレクションするために参拝する者もいるそうだ。多分宮司さんが当時の地頭の末裔らしい方のようで、神社の参拝の仕方や御朱印授与の9:00~15:00厳守ということを強く言われており、そのことを指摘する方もいるが、神社で参拝もせずに御朱印と風鈴と風車を見て写真だけ撮って帰る不届き者も多かったのだろうと推測する。先日今後のイベント情報の確認のためにWebページを開いたらところ、外部のカメラマン禁止と記されていた。観光を含めて訪れる場所の共通の悩みかも知れないが、マナーの悪さがこういった制約を受ける原因となってしまうのが残念だ。勿論個人の撮影でも度を過ぎれば迷惑行為に当たることは理解しているが、ひとつの場所を占領せずに三脚を使うことは時と場合によっては必要不可欠になることもある。勿論このようなことは事前に許可を得ることで可能にはなるとは思うのだが・・・まあ難しいところだろう。<br /><br />まあ金井神社は実は二回目の参拝である。前回は金井神社に参拝後南宮大社へと向かった。その記録がある筈なのだが見当たらない。よって今回の再訪に繋がった訳である。2回目にも拘わらず1時間20分を費やして参拝と風鈴まつり散策を終えて戻って来た。次は今回の旅の目的地として挙げた飛島村役場を目指すことにする。距離にして30km弱だが、せっかくこの界隈まで明るい時間帯に来ることが出来たので〝撮り鉄〟に変貌しようかと考えた。三岐鉄道北勢線大泉駅。ローカル線には珍しい新駅で平成16(2004)年に開業した。同時期にいなべ市役所横から本駅舎隣に地元農産物販売施設である〝ふれあいの駅うりぼう〟が移転オープン。現在に至っている。島式ホーム一面の駅では上下線の交換ができる。丁度訪れた時に上下線の入線があり、列車の写真を撮ってみた。三岐鉄道北勢線は日本で3社4路線しかない〝ナローゲージ〟の路線で、線路間は762mmしかない。特殊狭軌とも呼ばれる路線は車両も独特だ。阿下喜駅行きの200系と西桑名駅行きの140系車両が並ぶとなんか可愛い。この大泉駅はカーライドの役割を果たすために大きな駐車場を持っており、それなりの乗降客もいるようであった。という訳で今度〝乗り鉄〟する時はここに車を停めようと、いつになるかわからない〝夢〟を見ていた私であった。<br /><br />大泉駅を出発して40分程で飛島村役場に到着した。<br /><br />   《続く》

《2025.July》あみんちゅ風鈴の奏でる音色を探す旅三重そのⅠ~いなべ・金井神社編~

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2025/07/04 - 2025/07/04

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《2025.July》あみんちゅ風鈴の奏でる音色を探す旅三重そのⅠ~いなべ・金井神社編~

気が付けば沖縄旅も終わり文月を迎えた。既に令和七年も折り返し地点を過ぎた訳であるが、今年に限って言うならば〝何とかならないこの暑さ〟のひと言に尽きる。既に連日30℃越えの〝真夏日〟が続く上に雨が降らない。エアコンのないmy roomでは、気温の上昇で目が覚めると言った悪循環が続く。それ故に休みの日はぐだぐだしてして潰れることが多かったのだが、〝強制覚醒〟となり目が覚める。せっかく目が覚めたならば出掛けようというとんでもない理由が旅立つ理由となるのが、今夏の私の場合。今日もやはりそんな理由で目覚めた次第であった。

夏の時期に於けるmy themeは〝風鈴〟である。そのため時間があれば彼方此方の〝風鈴まつり〟情報を仕入れておいた。その中に於いて昨年から始まった〝ライトアップ〟イベントがあり、それを絡めた旅に出ようと思い付きで決めた。相変わらずの場当たり計画はどうなったのであろうか?

令和7(2025)年7月4日金曜日
起床時間に合わせての出発なのでゆっくりとする。いつも通りローソン大津大平一丁目店で一息入れてからナビをセットして出発する。お目当てのナイトイベントは〝とびしま宵あかり〟というもの。愛知県海部郡飛島村の村役場に昨年から開催されるようになったイベントである。我が街南淡海からだと高速利用で1時間半程で到着できるが、開催時間の絡みで一般道を利用する。国道422・307号線を経て信楽へと向かい、信楽郵便局で旅行貯金をする。その後も307号線を走り、近江日野郵便局に立ち寄る。ここで旅行貯金はタイムアップとなり、ナビに示される道を進んで行く。東近江市で国道421号線〝八風街道〟と合流して鈴鹿の山越えに挑む。そして滋賀県最後となる〝道の駅奥永源寺渓流の里〟に到着。少し前から山間部らしい雨が降ってきたので雨宿りを兼ねてひと息入れる。車だから意味ないと言われそうだが、山道ゆえに視界と路面状態の悪さが気になるレベルで敢えて安全を選択する。15分程滞在して出発し、間もなく三重県へと入って行った。

三重県側はいなべ市になる。旧大安町だが田舎だけに凄く広い。それを横切るように走り、東海環状自動車を潜り旧員弁町に入ると間もなく第一目的地である金井神社に到着する。

主祭神は天照大御神で、合殿神として豊受比売大神・大山津見神・大国主命・火産霊神・武甕槌神・天児屋根命・経津主神・比売神・品陀和気命となっている。旧村社格の神社で由来書によると本社の創立は承久3(1221)年2月11日の勧請と社殿の棟札に記録されていたらしい。承久年間には洪水飢饉等天災が頻繁に発生し、人民が死することが多く、安心に暮らすことが出来なかった。そのために界隈の一郷金井・西方・大泉・東一色集落にて協議し、皇太神宮・豊受神宮に参拝して五穀豊穣一郷安全を祈願。そして両宮を合して一部の祈年社としてこの村に祀り奉ったものが金井神社だとされている。

以降年々集落より総代一名宛が両宮へ参拝し、五穀豊穣と郷中安全を祈願し来りしてきたが、戦国時代末期の永禄年間に兵火に罹って地頭別当・民家社殿社頭がことごとく焼亡し、そのため江戸期貞享年間の頃廃社となる。しかし社地たるものを失う訳にはいかないとの考えから毎年この地に於いて山神社を祀るようになった。

寛永8(1631)年桑名藩主移封の際にこの金井神社の情報が引き継がれなかった。よって宝勝11(1761)年に幕府に対し神社収蔵の物品や古事古老の伝説とを考証して提出した。幕府側の検査役は桑名藩主松平忠刻の臣野瀬太郎左衛門・奥平惣左衛門、下役員は田中文兵衛・原喜惣八にして実地取調の上第10代将軍徳川家治に上申し、古社復興の許可を受けた。神殿拝殿を修営し界隈の集落に於ける〝氏神〟と定め、皇太神宮・豊受神宮両宮へ代拝をも復興して古来の如く行っていたが、中古に至り旧御師熊鶴三郎太夫に依頼して月参日参科を奉納して明治維新に至るといった由来があると記されていた。

また末社の春日社は昔此地にあった真言宗永源寺の鎮守社であり、鎌倉時代末期の正応3(1290)年に霊験があり祭日を8月18日と定めたという。金巌社は昔地頭の種村家の祈願社で、金巌という所にあった社を移したものである。

令和3(2021)年に鎮座800年を迎えた叶の宮金井神社。人々を天災や飢饉にから守るべく、豊作や日々の安全を願う神社として鎌倉時代に創建され、現在まで地元の人々の心の拠り所として親しまれてきた。加えて現在では信仰や祈願の場所としてだけではなく、初詣やお祭りといった年中行事やイベントが行われる場所として、さまざまな人が参拝に訪れる場所として今日に至っている。そんな祭りのひとつが〝かない風鈴〟、例年6月から9月中頃迄行われている〝夏祭り〟である。神社拝殿前広場で行われているために、大規模なものとは言えないが、風鈴と風車が軽やかな音を聴かせてくれる棚と、コロナ禍で手水舎から撤去した杓子の代わりに作られるようになった〝花手水〟等権禰宜さんご夫婦の手作り感溢れる〝作品〟は、見どころのあるものに仕上がっている。また金井神社ならではと言われる〝御朱印〟がある。この華やかな御朱印も手作りであり、これをコレクションするために参拝する者もいるそうだ。多分宮司さんが当時の地頭の末裔らしい方のようで、神社の参拝の仕方や御朱印授与の9:00~15:00厳守ということを強く言われており、そのことを指摘する方もいるが、神社で参拝もせずに御朱印と風鈴と風車を見て写真だけ撮って帰る不届き者も多かったのだろうと推測する。先日今後のイベント情報の確認のためにWebページを開いたらところ、外部のカメラマン禁止と記されていた。観光を含めて訪れる場所の共通の悩みかも知れないが、マナーの悪さがこういった制約を受ける原因となってしまうのが残念だ。勿論個人の撮影でも度を過ぎれば迷惑行為に当たることは理解しているが、ひとつの場所を占領せずに三脚を使うことは時と場合によっては必要不可欠になることもある。勿論このようなことは事前に許可を得ることで可能にはなるとは思うのだが・・・まあ難しいところだろう。

まあ金井神社は実は二回目の参拝である。前回は金井神社に参拝後南宮大社へと向かった。その記録がある筈なのだが見当たらない。よって今回の再訪に繋がった訳である。2回目にも拘わらず1時間20分を費やして参拝と風鈴まつり散策を終えて戻って来た。次は今回の旅の目的地として挙げた飛島村役場を目指すことにする。距離にして30km弱だが、せっかくこの界隈まで明るい時間帯に来ることが出来たので〝撮り鉄〟に変貌しようかと考えた。三岐鉄道北勢線大泉駅。ローカル線には珍しい新駅で平成16(2004)年に開業した。同時期にいなべ市役所横から本駅舎隣に地元農産物販売施設である〝ふれあいの駅うりぼう〟が移転オープン。現在に至っている。島式ホーム一面の駅では上下線の交換ができる。丁度訪れた時に上下線の入線があり、列車の写真を撮ってみた。三岐鉄道北勢線は日本で3社4路線しかない〝ナローゲージ〟の路線で、線路間は762mmしかない。特殊狭軌とも呼ばれる路線は車両も独特だ。阿下喜駅行きの200系と西桑名駅行きの140系車両が並ぶとなんか可愛い。この大泉駅はカーライドの役割を果たすために大きな駐車場を持っており、それなりの乗降客もいるようであった。という訳で今度〝乗り鉄〟する時はここに車を停めようと、いつになるかわからない〝夢〟を見ていた私であった。

大泉駅を出発して40分程で飛島村役場に到着した。

   《続く》

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
グルメ
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
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