2019/03/16 - 2019/03/23
61位(同エリア107件中)
noriyosiさん
- noriyosiさんTOP
- 旅行記42冊
- クチコミ0件
- Q&A回答0件
- 12,368アクセス
- フォロワー3人
2019年3月ドイツ・オーストリアハイライト周遊8日間の旅10 ゼメリング鉄道編
2019年3月16日から3月23日の予定でドイツ・オーストリアの旅に出かけました。
3回目の海外旅行です。年に一度の骨休み。もう一度二人で行こうと思い立ちました。
今回は5日目午後 オーストリア・ゼメリング鉄道編です。
グラーツからミュルツツシュラークまではバス、ミュルツツシュラークからウィーナー・ノイシュタットまでは鉄道、ウィーナー・ノイシュタットからウィーンはバスで移動します。
5日目 3月20日(水)
午前
8:30 ホテル出発 グラーツ市内散策
10:30~12:00
グラーツ~ミュルツツシュラーク(バスで移動)
午後
12:00~13:30 レストランで昼食
13:30~14:30 ミュルツツシュラークからウィーナー・ノイシュタット
(ゼメリング鉄道乗車)
14:30~16:00 ウィーナー・ノイシュタット~ウィーン(バスで移動)
16:00~ホテル到着 (ノーヴム カバリエ ウィーン)いったんホテルでチエックイン。
18:00 外のレストランで夕食
19:30 ホテルに戻りました。 (お休みなさい。)
グラーツからウイーンまでのサザン線にゼメリング鉄道区間も含まれるので全域鉄道でいけるのですが、ミュルツツシュラークからウィーナー・ノイシュタットまでを鉄道、その他の区間はバスで移動します。重いスーツケースもバスに置いたまま身軽に移動できるので、思いの外快適でした。
(グラーツからウィーンまで鉄道で行けば距離は144km、平均所要時間は2時間36分で、1800円でいけて、ウィーンに15時10分に着くぞ。)
それは77日前の予約で、当日最速便は40ユーロだから、約6700円だぞ。とは言え、それもありだね。企画ツアーだから残念です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
12:12
椅子に腰かけた時にみえました。
こんにちは、「にゃ、みゃ、ぎゃ」
反抗的でかわいいにゃ。
(すごい。猫なら、置物でも話せるの。)
出来るわけがありません。フォースの力で感じとるのです。 -
13.07
(ここは、どこ?)レストランですね。
「お客様へ
水曜日から土曜日まで、16時から22時まで営業します。
注意...(その下はたぶん「団体客は予約してね、」かと?)」 -
13:08
GASTHAUS Edlacherhof (ガストハオス エートラッハホーフ)
探し回りました。なぜ駅の近くに昼食会場をセットしなかったのか?街の東というよりも、街のはずれにありました。これは納屋ですね。
dream it wish it do it
夢み、願え、実行
孫の名前にいいぞ。「ゆめみ、ねがえ、じっこ」か、「ゆめみ郎、ねがえ郎、じっこ郎」の二択
(いいわけない。おくれるよ。) -
時刻は13時17分。
(逆方向なのに、バスで駅まで送ってくれた運転手さん。ありがとう。)
運転手はバスでスーツケースを運んで東のウィーナー・ノイシュタットで待ってくれることでしょう。
駅の掲示板です。
Abfahrt(発車時刻 英:Departure)ÖBB(エーベベ=Österreichishe Bundesbahnen)
13:33 ÖBB RJ78 Praha hl.n. uber Brno(ブルノ経由プラハ行)3番乗り場から出発です。(インフォーメーション:定刻から変更があります。)
SeehÖhe(海抜)681.304m
ÖBBレールジェット:最高時速230kmのレールジェット(RJ)は、オーストリア全土からドイツ、イタリア、ハンガリー、チェコ共和国、スロバキア、スイスまでを運行しています。
「サザン鉄道線
レールジェットはウィーンからグラーツまで1時間ごとに運行しています。プラハまたはウィーン国際空港からウィーン経由でグラーツまで直通のレールジェットは2時間ごとに運行しています。また、オーストリア連邦鉄道(ÖBB)のレールジェットを利用すれば、ウィーンからクラーゲンフルト経由でフィラッハまで行くこともできます。」 -
(駅のプラットホーム側からチケット売り場へ?)
改札口は無いようです。駅舎西からプラットホームに入れました。
ミュルツツーシュラーク駅は改築されているようですが、2019年当時はこんな感じでした。
( 船のスクリューに似たカプラン水車(発電用の水車)を発明したヴィクトル・カプランはこの駅舎で生まれました。彼の父親はここの駅長でした。) -
Fahrkarten(切符売り場)
自動販売機がありますが、団体券は窓口で販売しているようです。代表者が持っているだけなのか、最後までどんな切符か見られませんでした。 -
こちらが出入口でした。
(独: Mürzzuschlag)ミュルツツーシュラークはオーストリア・シュタイアーマルク州にある人口7,819人(2025年1月1日現在)のグラーツから北東へ85㎞はなれた小さな町です。標高670メートルのミュルツ川沿いに位置しています。
ムール川(Mura)はゲルマン語で「沼地」を意味するmōraに由来します。ミュルツツーシュラークはその支流の「小さいムール川」をあらわすMürz(ミュルツ川)・zu・schlagでミュルツ川がミュルツ渓谷下流に向かって曲がっていることに由来すると思っておりましたが、 -
それは民間語源の解釈で、実際にはスラヴ語の野原名「ムリザ・スラカ」に由来する可能性が高いというのです。それはむりざンショ。どない思います?(あんたがむり。分からんのなら、やめときなはれ。)ごめんなさっておくれんさい。
ちょっと一服。外に出てみました。 -
Drücken:押せ はい、扉を押して戻りました。
(そろそろ語源を探るのはやめたら。)
案外面白くて日課になっておりました。今回で最後になるでしょうから、怒らないでください。
(鉄道も詳しくないようです。)お役に立てるように頑張りますので、おおらかな気持ちで我慢してごらんください。 -
3番プラットホームに行くには、地下通路を通ります。
-
地下通路への階段です。
荷物を持っていると、大変です。私はバックサックも持たず、手ぶらです。 -
地下通路です。
地下街だとよく迷うんだよね。(何の話?) -
2・3番ホームに上がる階段です。
-
プラットホームから見たミュルツツーシュラーク駅舎です。
-
2番ホームから、グラーツ方面を見渡します。
-
時刻は13時25分。
2・3番ホームからウィーン方面を見渡しました。
ミュルツツーシュラーク駅はゼメリング鉄道の終点で、ウィーンまで116.7㎞(海抜681.304m)の位置です。 -
3番ホームに列車が入ってきました。
不思議なことに、サザン鉄道線はÖBBですが、ÖBB編成のレールジェットは往復2便づつで、他の便はなんとČD(チェコ鉄道)編成となっています。
ゼメリング鉄道経路図
SemmeringからGloggnitzまでの区間は歪曲迂回しなければならないほど特に難関です。 -
ČD(チェコ鉄道)所属の客車です。
Economy(2等) 乗客数98名・自転車11台収容 -
(プラットホームに犬がいる。)
地下通路をどのようにして、ここまで来たか分からないですが、身障者のために登録していれば、入れます。改修工事ではバリアフリー化が図られたようです。 -
客車内部です。荷物置き場も整備されています。
-
Spital am Semmering(シュピタール・アム・ゼンメリング) 駅を通過していきました。パブリックドメイン:周辺写真
駅には、パイエルバッハ=ライヒェナウ方面とミュルツツーシュラーク方面への地域列車が、停車します。通勤客向けは、朝はウィーン行き、夕方はミュルツツーシュラーク行きの地域急行列車も運行しています。 -
Spitalは病院という意味ですが、ここは鉄道施設のようです。地図上に史跡とも、病院のマークともありません。
シュピタール・アム・ゼンメリングは、オーストリア、シュタイアーマルク州の自治体であり、司法区はミュルツツーシュラーク、政治区はブルック=ミュルツツーシュラークに属し、人口は1,424人(2025年1月1日現在)の町です。この町の名称は、 1160年にオタカル3世によってゼメリング峠を越えようとする人々のために設立された巡礼宿に由来します。最古の文献は1165年から1166年にかけてのもので、「hospitalem」と記されています。これは古ドイツ語の「 hospitalem」(宿屋)に由来しています。 -
鉄道施設184
「ゼメリング鉄道」
1825年にイギリスで世界初の商用鉄道が開業し、1820~30年代にアメリカ、フランス、ドイツで次々と開通した。オーストリアでも1841年にウィーン-グロッグニッツ間、1844年にはミュルツツーシュラーク-グラーツ間が開通し、1849年にはリュブリャナ(ライバッハ)まで延伸された。
残る難所は標高436mのグログニッツと677mのミュルツツーシュラーク間だが、この間には標高895mのゼメリング峠があり、鉄道の敷設は不可能とさえいわれていた。神聖ローマ皇帝フランツ2世(オースリア皇帝フランツ1世)は鉄道計画を弟のヨハン大公に任せ、大公は鉄道技師カール・リッター・フォン・ゲーガに依頼した。ゲーガはアメリカの鉄道を調査し、ゼメリング峠を研究して敷設可能なルートを探索すると同時に、勾配に強い蒸気機関車の開発を行った。S字やΩ字・螺旋形のループ線を駆使し、計4kmに及ぶ14のトンネルや全長1,477mに達する16の高架橋、11の鉄橋と118を超える石橋を用いて勾配を緩和し、最急勾配25パーミル・最小曲線半径190mまで抑えることに成功した。また、700m間隔で57棟もの2階建て監視小屋が設置された。 -
Semmering Bahnhof
(トンネルを抜けると、そこはゼメリング駅。着いたよ。)
2分の停車ですが、何人か乗降されました。
ウィーンまで103.4㎞(海抜896m)
左はHaus Stefanie(ハオス・ステファニー):高齢者用のケアハウスのようです。 -
ためしにここまでの鉄道勾配を計算しました。
(鉄道は一般的に道路のように勾配をきつくできないため、パーセント表示ではなく、パーミル表示で表現することが多い。)1‰パーミル(per mille)=0.1%
896-681=215m 116.7-103.4=13.3km=13300m
215/13300≒0.016約16‰(パーミル)
(実際は測量点の差と地形が凸凹しているのでこうはなりませんが。)目安です。 -
ゲーガは無謀な計画をしたのではありません。海外での経験から、25パーミルの勾配であれば機関車にとって問題にならないことを知っていました。ゼメリング線を直進すれば40パーミル以上の勾配になるので、難工事になろうと、迂回路を開発して25パーミルで収まるようにコースを模索しました。
しかし、トレーラーの積載量をどの程度まで許容できるかという問題も依然として残っていました。(ノリス社の「セーブ」は牽引荷重は85トン、平均速度は時速20キロメートル)
入札としましたが、応募したのはわずか4社、延期して1851年8月になって入札された4両の機関車は「ババリア」「ゼラン」「ヴィンドボナ」「ウィーナー・ノイシュタット」。(「ババリア」は優秀で賞金も取りましたが、審査の結論は不思議なものでした。)
「どの機関車もゼメリングで継続的に列車を牽引するのに適していません。」
試運転の結果を受け、4両とも買い取り、 通商産業省技術評議会議長のヴィルヘルム・フォン・エンゲルト男爵は、 新型機関車開発計画に着手し、新型機関車の設計図を政府に提出した。政府は既に「ゼラン」を製造していたコッカリル社とケスラー社に、エンゲルス蒸気機関車26両の製造を発注しました。 -
1852年11月に納入されたケスラー社製の「カペレン」とコッカリル社製の「グリュンシャッハー」の2両の試運転により、ゼメリング峠で140トンの荷重を容易に牽引できることが確認されました。これに、ゼメリング峠で旅客列車を牽引し、平地では貨物列車を牽引するために、より大きな動輪にする改良が施されました。これは、ゼメリング線を確実に運行できる機関車が利用可能になったことを意味しました。
Denkmal für den Triebwagen 5144 001はゼメリング駅のゲーガ記念碑のための記念車両です。(オーストリア連邦鉄道(ÖBB)5144型の気動車で001~005まであります。)
1951~1993年まで運行されましたが、1957~59年にかけて電線が配備されて電気機関車に移行していきました。 -
WAGEN(英:CARRIAGE)21:チェコ所属の客車はブルー基調です。 ÖBB編成ではグレー基調でバンケットが赤くなります。
-
撮影可能エリアだと早とちりしましたが、キッドコーナだったようです。
奥の右側デッキからビデオを撮ることにしました。
客車は、WAGEN(英:CARRIAGE)21から25までがエコノミー、26がファーストと身障者車椅子対応、食堂車。27がファーストとビジネスクラスの7両編成に機関車が1両です。 -
トンネル入り口です。
ここだけのはなし、Semmeringをどう日本語で表現するか難しいです。
センメリング、セメリンク、ゼンメリング、標準ドイツ語ではSは濁音でゼメリングになるはずですが、オーストリア現地の発音はどうかなど。
(どうでもわかる。)ありがとう。辞書のゼメリングで統一しました。 -
高架橋もトンネルも増えてきます。
(落書きはいけません。)
ゼメリング峠(または単にゼメリング)は、北はラックスアルプス山脈、南はヴェクセル山脈に挟まれたオーストリア東部北部石灰岩アルプスにある峠で、元々脆い地層のうえに古い岩石が新しい岩石の上に突出するというタウエルン・ウィンドウに似た地層の標高984 メートルの峠です。
(たぶん太古は海の底でした。)え。
語源はスラブ語のsmrk(スムルク=Ficheは唐桧トウヒ )+nik(=berg 山)または「ツェメリカ」 (ヘレボルス属のスノーローズ:キンボウケが生育する土地)あるいは、
10世紀頃の ゼメリング川のドイツ語名(ツェレヴァルト=松林)からとの説もありますが、長い年月を経てSemmeringと定着したようです。
(なんですか?)
私が言うのではなく、そんな記載があったと紹介しているのです。 -
ゼメリング峠からグロニッツまでの区間は歪曲迂回しなければならないほど特に難関でした。
さらに本当の難関は、鉄道反対運動でした。建設協会:「ゼメリングを越える鉄道の場合、短い路線でのケーブルカー運行が、科学に基づき経験によって正当化された唯一の運行方法で、無意味に延長された蛇行線での機関車運行に比べて大きな利点がある。機関車運行は最大の間違いである。」 -
ウィーンまで100.6㎞
マスコミ:「公共事業省が過去9年間の経験を完全に無視して採用したシステムに、現場の人々は驚愕している。海外の専門家は、最大許容勾配が1:100であると証明している。既に導入されている1:40と1:30の勾配は例外的なケースで模倣に値せず、人間の精神の逸脱行為の一つと言えるだろう。」 -
しかし、1849年3月1日、フランツ・ヨーゼフ1世皇帝は断固たる声明を発しました。「ゼンメリングを越える鉄道建設は継続されねばならない!」
最高権力者からのこの命令は無視できませんでした。 -
BREITENSTEIN(ブライテンシュタイン)地域に入りました。
-
BREITENSTEIN(ブライテンシュタイン)の鉄道施設
ウイーンまで97.7km 標高791m -
ÖBB Sanierung Viadukte Semmering(ゼメリング高架橋再開発)
-
BREITENSTEIN駅を通過しました。
工事事務所、関係車両がみえます。 -
トンネルの入り口です。トンネルの中は暗くなりますね。
(照明で明るくなりますけどね。) -
(落書きはいかんとよ。)
「ヴァインツェッテルヴァントトンネル」95.9㎞
全長695メートルで、実際には3つのトンネルと2つの坑道から構成されています。ヴァインツェッテルヴァントは、難関区間でした。アドリッツグラーベンからほぼ垂直に300メートルの高さまで伸びており、緩く脆い岩で構成されています。当初の計画では、ヴァインツェッテルヴァントの上に回廊を建設する予定でしたが、この案はあまりにも危険であることが判明しました。代りに岩を爆破して柱で固定しようと考えました。しかし、緩い岩が問題を引き起こしました。何度も崩落と落石が発生しました。 -
ゲーガの安全対策にもかかわらず、1850年10月27日、壁の大部分が深みに崩れ落ち、14人の作業員が死亡しました。ゲーガは計画を断念し、山に3つのトンネルを掘削させました。こうして、岩が後退した地点では、アーチ型の開口部を持つ不思議なヴァインツェッテルトンネルが誕生しました。
(開口部があってトンネルなんですか?)
なんと言おうと名前がトンネルです。地上に出ても地下鉄ですもん。
(それはちょっと違う。) -
ところどころ鉄道施設が点在しています。
Streckenwärterhaus (ゼメリング鉄道の監視建家) -
(切りがないのでその辺で。)
-
高架橋が見えてきました。
-
改修工事も大変です。
-
信号待ちの間に、元の席に戻りました。
-
ずっと右側のデッキで立ちっぱなしでした。よいしょ。
-
ウィーンまで76.6m
グログニッツ駅まであと、1.7㎞の地点です。 -
グログニッツは、オーストリア南部のノインキルヒェン県にある海抜442m、人口5,834人(2025年1月1日現在)の町です。ゼメリング山脈の麓に位置し、ゼメリング鉄道の起点です。地名の由来は、スラヴ語の「せせらぎの小川」を意味する「klokotnica」から派生した「Glocniza」によるとの説がありますが、確かではありません。
-
(こんなに傾いているわけではありません。)
みるみる建物が増えてきました。 -
グログニッツ駅に到着しました。ウィーンまで74.9㎞(海抜441m)
貨物列車、機関車が俄然増えました。 -
ためしにゼメリング駅からグログニッツ駅までの鉄道勾配を計算しました。
103.4-74.9=28.5㎞ 896-441=445m 445/28500≒0.0159約15.9‰(パーミル)
実際には地形は凸凹して最も急な勾配で25パーミルになる地点もありますが、ゲーガは海外での経験から、25パーミルの勾配であれば機関車にとって問題にならないことを知っていました。犠牲者もでましたが、難工事になろうと、ゼメリング鉄道営業距離41㎞のうち28.5㎞も使って迂回路を開発した成果がでたのです。
今再開発工事中で、バイパスを建設中です。うまくいけばグラーツ~ウイーン間が30分短縮されるはずです。 -
ウィーンまで73.4mの地点。
グログニッツ駅を通過中です。 -
ウィーナー・ノイシュタットエリアに入りました。
ウィーンまで49.6㎞の地点。
このまま汽車に乗って、ウィーンまで行ける距離ですね。
(電車でしょ。)電車? -
イフ、ユーミスド、ざトレィン、アィムオン
ユゥィルノーざ、アィムゴん~
ア、ハンドレッドまいる、ア、ハンレッマイル(ボカ)
(あんたが、この電車を乗り過ごしたら、
わたしがいなくなったのに気がづくよ。
10キロさきで警笛を聴きことになるよ。
10キロミタ
10キロミタ
10キロさきで警笛を聴きことになるよ。)
汽笛じゃないのか。
(電車だから警笛でしょ。そのうえ、警笛が聞こえるのはわたしでなくあなただから。) -
バックサックにおいてきた。着替えもない。
(スーツケースでしょ。)
クレジットもない。
(日本の貨幣じゃ、行先変更できないね。)
この汽車で街まで行けない。
(電車でしょ)
この線路で、
この線路で、
この電車では街まで行けない。 -
ウィーンまで49.2㎞の地点。
(あんたが、この電車を乗り過ごしたら、
わたしがいなくなったのに気がづくよ。
10キロさきで警笛を聴きことになるよ。
10キロミタ
10キロミタ
10キロさきで警笛を聴きことになるよ。)
気動車でなく、電動機関車だと、電車というのだろうか。(うん。) -
ウィーナー・ノイシュタット駅に着きました。
行先変更は出来んのかのう?
(降りましょう。団体券は添乗員さんが持っている。) -
向こう側のホームに見えるのが、ÖBB編成のレールジェット。
-
添乗員さん、一応みんなを点呼したほうがいいよ。あの列車に乗り続けていても気づかないよ。
「それはアナタが悪い。その場合、自己責任でウィーンまで行きなさい。」そうだよね、人生はそういうもんだよね。 -
乗ってきた列車の最後尾は電動になった機関車1216でした。
-
あっという間に通り過ぎて過ぎていきました。
-
時刻は14:35、Wien Hauptbahnhof(ウイーン中央駅)15:05
(通り過ぎた電車の情報は表示しなくていい。)
たぶん次にホームに入ってくるウイーン中央駅行きの列車が15:05到着ということで、あの列車がWien Hbfに着くのは15:10のはずです。
(そうかな?タイムラグで表記が残っているかもね。)そうかもですね。 -
この駅はエスカレータが付いています。
-
エレベータも付いているのがみえます。
Bahnhof・platz(駅広場)は右側です。 -
キックボードでエスカレータを上がるつもりらしい。キックボードは自転車扱いですか?
(とにかく降りて運んでくださいね。) -
駅の地下構内です。
-
添乗員さんが魔法でバスを呼びつけている。
(違う。添乗員さんがバスの運転手と連絡を取っている間に、 -
そのまま、トイレに向かいましよう。)
-
ストールはそのまま使えましたが、ブースはどうなっているのやら。
有料なのかハンドル錠がすごい。防犯のためか上部に透明スクリーンが付いていますね。 -
ÖBB Ticketschalter(ÖBB切符売り場)前
バスが来てくれていました。
独: Wiener Neustadt (ウィーナー・ノイシュタット:旧称ノイシュタット、ハンガリー語Bécsújhelyベッツーイヘイ )は、人口49,156人(2025年1月1日現在)でウィーンから南へ約50kmの工業地区に位置しています。ウィーナー・ノイシュタット=ラント郡の法定都市および行政庁所在地で、オーストリアで11番目に大きな都市です。
1938年のオーストリア併合(アンシュルス)後、ウィーナー・ノイシュタットには重要な軍事産業が設立されました。1940年までに、ウィーナー・ノイシュタット航空機工場はメッサーシュミット109戦闘機の総生産量の4分の1を生産していました。兵器工場が集中していたことに加え、重要な鉄道の結節点であったことから、第二次世界大戦中、約5万発の爆弾によってこの都市はほぼ完全に破壊されました。当時3000棟あった建物のうち、無傷で残ったのはわずか18棟でした。 -
Bahngasseバーン通りの
右:TAXI STERN タクシー会社
中央:bank99 銀行
左:WIEDESCHITZ Wirtschaftsprüfung GmbH - Steuerberatung und Wirtschaftsprüfung ヴィーデシッツ監査有限会社-税務コンサルティングと監査
(税理士の事務所ですか。) -
Anglo-Elementar 教育機関
-
AKZENTE Personal リクルート業者(いわゆる派遣会社)
-
バーン通りを右折して、Ferdinand-Porsche-Ring(フェルディナント-ポルシェ環状線はポルシェの名前が付いた環状線道路)に入りました、ここから迂回して高速に入り、ウィーンを目指します。
フェルディナント・ポルシェ(Ferdinand Porsche, 1875年9月3日-1951年1月30日)は、オーストリア=ハンガリー帝国出身の工学技術者、自動車工学者。自動車メーカーポルシェの創設者でした。 -
ウィーンに着きました。
(いつの間についたの。)
大辞典の語源欄には「ウィーン(標準ドイツ語: Wien ヴィーン)は、パンノニア地方にあったローマ軍の駐屯地ヴィンドボナ(現在のオーストリア・ウィーンにあたる)」とあります。(ガリア語の windo-「白い」とbona「底」に由来します。) -
ところが、別の文献ではこうです。「ウィーンという名称は、ウィーン川に由来する。この名称が初めて記録されたのは881年の『ザルツブルク年代記』で、そこにはヴェニア川での戦闘(ad Uueniam)が記されているが、集落を指しているか川を指しているかは不明である。現在の名称の由来となった古高ドイツ語のヴェニア(Wenia )は、ウィーン川のケルト・ローマ語名ヴェドゥニア(Vedunia:森の川)に由来する。」
(まあ、語源とはそんなもんよ。) -
ウィーンではトラムに乗るつもりです。
(楽しみです。) -
この辺りは当時と変わっています。右が即現金PAUL EIN店(車、バイク、宝石、金など) 左はレストランLedin
(その情報欲しい人いる?)
道路の扱いが面白いのでこれだけ残しました。 -
リンツァー通り
レストランの左はタトゥー屋さん。
(何か、あやしい雰囲気のお店) -
リンツァー通りとロット通りの角で下車。ここでバスと運転手さんにお別れです。ミュンヘンからここまでこき使われながら、よくついて来てくれました。
一同(ありがとうございました。)パチバチ。 -
宿泊先のホテル、ノーヴム カバリエ ウィーン前です。バスから下りて、スーツケースを転がしてここまで来ました。トリムが走っているから、ホテルの前まで来られなかったようです。
(夕食はどこかのレストランですが、いったんホテルに入って休憩です。)
今回はここまで、見ていただいて有難うございました。次回はいよいよウィーン編です。
(時間がいくらあっても足りないくらい。盛り沢山の体験をしました。)
うまく伝わればいいのですが、いま精力的にまとめているところです。ご期待ください。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
noriyosiさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
その他の都市(オーストリア) の人気ホテル
オーストリアで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
オーストリア最安
478円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
0
82