2017/09/17 - 2017/09/17
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frau.himmelさん
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国境の町ブラウナウは独裁者アドルフ・ヒトラーの生まれた家が残っています。
熱狂的なヒトラーの信奉者ネオナチにとっては、この家は特別な意味をもっています。
ここでは世界中のナチス共感者が集まり建物の前でヒトラー式敬礼をする場となっているそうです。
また、毎年ヒトラーの誕生日には建物周辺では反ファシストの抗議行動も展開されています。
地元住民はこのような形で町が注目されることは大変迷惑なことなのです。
オーストリア政府は、ヒトラーの生家を極右勢力に悪用されるのを防ぐため、所有者からその家を強制的に買い取って国有化しました。
そして負の遺産を消し去るために家を取り壊す決定をくだしました。
ところが極右勢力とは別に、かってナチスを歓迎したオーストリアの負の歴史と真摯に向き合い、未来を冷静に考えるための場としてこの家を残すべきという、もう一つの活動も大きな輪を広げています。
2016年12月、オーストリア政府は、当初予定していたヒトラーの生家の取り壊しは行わず、改修して社会福祉施設として使用すると明らかにしました。
◆
私たちが実際に目にしたヒトラーの生家は、空き家になったままで壁なども汚れ放題。近くに寄ると霊気さえ感じられるほどです。
ホロコーストで亡くなった何百万と言うユダヤ人の怨念なのか・・・。
そういう暗い気持ちでブラウナウを去ろうとする私たちの前に、とても親切な地元の女性が現れました。
-
ブラウナウでまず私たちを出迎えてくれたのは、橋の袂の女神像。
なんだか顔が怖いです。
あのヒトラーのイメージを思い、ちょっと構えて街に入ったからでしょうか。 -
ところでブラウナウはどこにあるか?
地図で示します(ブラウナウ観光局冊子より)。
オーストリアのオーバーエスターライヒ州の北西部に位置するブラウナウ・アム・イン(Braunau am Inn)はイン川を挟んでドイツ国境に接しています。
私たちが宿泊しているリンツからは約115キロメートル。
ザルツブルクやドイツのパッサウまで約60キロメートルです。 -
ブラウナウは、ナチス・ドイツを率い、ユダヤ人大虐殺(ホロコースト)などで世界を揺るがせた独裁者アドルフ・ヒトラーの生まれ故郷として知られています。
橋を渡ってロータリーのすぐはブラウナウの街の中心シュタット・プラッツ(市の広場)です。
その入り口付近の重厚な建物は地方裁判所、その横には観光案内所があります。
今日は日曜日ですから観光案内所はお休みです。 -
通りなのにPlatz(広場)?。
まさにシュタットプラッツは広場のように広い通りなのです。
通りには歴史的な建造物が並ぶ落ち着いた雰囲気。
この街でアドルフ・ヒトラーは1889年4月20日、税官吏の父親アロイスとその3人目の妻クララとの間の4番目の子として誕生しています。 -
少年時代のヒトラーは成績が不良で落第を繰り返す劣等生だったそうです。
ところが、第一次世界大戦でドイツ帝国軍の志願兵として参加した彼は、優秀な成績を残し勲章をもらったほどでした。
その後1933年にはドイツの首相となり、1934年にはついに国家元首として独裁体制を確立したのでした。
その後のヒトラーの飛ぶ鳥を落とす勢いは皆様ご存じの通り。
◆◇
シュタットプラッツとフィッシュ・ブルンネン(泉)。
後ろはブラウナウ市庁舎。 -
街のあちこちにブラウナウの歴史パネルが展示してあります。
あの写真の市庁舎のバルコニーに立っているのは、もしかしてヒトラー?
いえ違いました。
1903年にブラウナウを訪れたフランツ・ヨーゼフ1世と時のブラウナウ市長でした。
このころはヒトラーはブラウナウにいませんでしたね。 -
現在のブラウナウのラートハウス。
世界で最も忌み嫌われている独裁者とはいえ、ブラウナウは、世界中に名高いヒトラーが生まれた街。
もう少し彼のことをいろいろ知ることができるかと思っていました。
ほとんどヒトラーの足跡は見つかりませんでした。 -
しかし、ヒトラーは、ドイツ総統となり、祖国オーストリアを併合した後の1938年3月12日、ブラウナウに足を踏み入れているのです。
ヒトラーにとっては少年時代を過ごした懐かしい町、感慨深かったでしょうね(写真はヒトラーがブラウナウに凱旋した時の写真。ネットより) -
そして、広場を埋め尽くす全市民の熱狂的な大歓声の中、この市庁舎のバルコニーで立ちました。
その時の市民の気持ちは、我が故郷が生んだ大ヒーローを大変誇らしく思ったことでしょう。
(追加)
ヒトラーはブラウナウの後、リンツに移動し、リンツで演説をしました。 -
向こうに見えるは「市の塔」。
ヒトラーの生家はあの先のようです。 -
市教区教会、マルチン教会の横を通り、さらに進むと・・・。
-
ここにもブラウナウの歴史を物語るパネルが・・・。
ここで初めてAdlf Hitlerの名前を目にしました。
この先のザルツブルガー通り15番地がアドルフ・ヒトラーの生まれた家という案内です。 -
大きくします。
ではこの写真は?
もしかしてこの中にヒトラーがいる?
目を皿にして探しました。
ヒートアップしている私と違い、妙に醒めた夫が一言。
「この写真は1916年のもの、ヒトラーは1889年生まれだからこの時は27歳だよ。どう見てもこの学生たち27歳のおじさんには見えないだろう?。」 -
パネルはこの市の塔の近くにありました。
本当に繰り返しますが、この町でヒトラーの文字を目にしたのはここだけでした。
ヒトラーが子供のころ、この付近で遊んでいたのかしら。 -
この塔の近くにはこんな可愛い礼拝堂があったり、下を覗きこむと清らかな流れの小川。
あのユダヤ人大虐殺(ホロコースト)やファシズムなど、世界中を恐怖に陥れたヒトラーとは似つかわしくない静かな風景です。 -
その時この落書きを見つけました。
何気なく書いてありますが、「Hitler stinkt!」。
ヒトラーは「臭い」「怪しい」?。
ドイツ語初心者の私にはうまく訳せません。
何にしてもヒトラーを侮蔑する言葉ですね。 -
市の塔を背にして歩きだします。
ブラウナウの住民にとっては、ヒトラーが生まれた街として有名になるのは我慢がならないところでしょう。 -
ナチス礼賛、ヒトラー崇拝は法律で禁止されており、ドイツ国内では大っぴらに口にするのもはばかられる風潮にあります。
ブラウナウ市民にとっては、ヒトラーがこの街で生まれたことなどできれば隠したい心境なのです。
◆◇
近くの建物の歴史的な壁画。
1806年にブラウナウで何か歴史的出来事があったのでしょうか。 -
素敵な看板のワイン・シュトゥーベ。
近くには洋服屋さん、自然食品やさん、あそこはパン屋さん?
なかなか落ち着いた雰囲気の界隈ですよね。
さきほどのシュタットプラッツを含めたこの街並み全体が1993年、近代産業勃興期の郊外都市として歴史遺産に指定されているそうです。 -
そんな街並みの中でこれを見つけました。
大きな石に何やら文字が刻んであります。 -
FUER FRIEDEN FREIHEIT UND DEMOKRATIE
・・・・・・・・・
「平和と自由、民主主義のために。ファシズムを二度と繰り返してはならない。数百万人の死者が警告する」 -
そして裏側には「この石はマウトハウゼン強制収容所から運ばれた」とあります。
マウトハウゼン強制収容所、ナチスにより約20万人のユダヤ人含む政治犯などが強制労働させられた収容所です。ここでも多くの犠牲者がでました。
花崗岩が産出する土地で、ブラウナウにもここの花崗岩が運ばれました。 -
この石がここにあるということは、ここがヒトラーの生家?
そうです。ヒトラーの「ヒ」の字もどこにもありませんが、この石が置かれている黄色い建物こそがアドルフ・ヒトラーが生まれた家なのです。
彼はここの3階で、税官吏の父親アロイスとその3人目の妻クララとの間の4番目の子として誕生しています。 -
父アロイスはヒトラーが3歳の時にパッサウに転勤しましたので、ヒトラー自身はそんなに長くは住んでいませんでした。
ちなみに父アロイスはこの家を借りて住んでいました。
しかし、熱狂的なヒトラーの信奉者ネオナチにとっては、この家は特別な意味があるのです。
ここでは世界中のナチス共感者が集まり建物の前でヒトラー式敬礼をする場となっているそうです。
また、毎年ヒトラーの誕生日には建物周辺で反ファシストの抗議行動も展開されています。
地元住民はこのような形で町が注目されることは大変迷惑なことなのです。 -
ヒトラーが総統だった当時の写真をネットから探しました。
全く現在の家と変わりませんね。
1938年、ヒトラーの個人秘書がこの家をヒトラーの記念館とする目的で購入しました。 -
終戦後、元の所有者に返却され、1972年からオーストリア政府はこの家を借りあげて、障害者福祉施設などに使用していました。
しかし2011年に所有者が建物の改修を拒否、また買い取り交渉にも応じなかったため、それ以来空き家になっていました。
しかし、オーストリア国は、ヒトラーの生家ということでネオナチの聖地になってはたまらんと、所有者から強制的に買い取る法案を裁定しました。 -
今、ヒトラーの生家を巡って大論争が起こっています。
ヨーロッパではイスラム教徒、難民・移民の排斥を望む極右勢力が勢いを活発化させています。
その中にはヒトラーを英雄視してナチスドイツの思想を再び起こそうとするネオナチと呼ばれる集団も含まれています。
それら極右勢力は、ヒトラーの生家を聖地にという動きもあります。
オーストリア政府は極右勢力に悪用されないため所有者からその家を買い取って国有化しました。
そして負の遺産を消し去るためにこの家を取り壊す決定をくだしました。
ところが極右勢力とは別に、かってナチスを歓迎したオーストリアの負の歴史と真摯に向き合い、未来を冷静に考えるための場としてこの家を残すべきという、もう一つの活動が大きな輪を広げています。 -
それにしても、この家に立っただけでもヒャッとする霊気を感じるのは私の気のせい?。
ホロコーストで亡くなった何百万のユダヤ人の霊がこの家の周りに漂っているとか・・・。
そんな怖い想像もしたくなる雰囲気がこの家にはあります。
汚れたままに放置された壁。
せめて国有地なのだからもう少しきれいにすれば雰囲気も良くなるのに・・・。 -
この家をきれいにすると、ネオナチの聖地になる恐れがあり敢えてそのままにしてあるという。
それどころかこの家の回りに集団で集まったりしないように、家の前をバス停にしたり、駐車場にしたりと苦慮している様が見てとれます。 -
家の裏手に周ってみました。ここも駐車場になっています。
-
地図で確認してみましょう。
生家はSalzburgerstrasseですからこの位置です。下方の真ん中付近に黒い矢印が見えるでしょうか? -
ブラウナウの航空写真です。
ほんとにきれいな町ですね。
私たちはイン川の上の町ジンバッハから橋を渡って広い通りのシュタットプラッツを通ってきました。
ラートハウスや噴水がありました。
そしてザルツブルガーシュトラーセに抜ける市の塔をヒトラーの生家へやってきました。
ヒトラーの生家(黒い○)。
家の後ろに駐車場があるのがわかりますね。 -
さて、徒歩での国境越えとヒトラーの生家訪問、この二つの目的をクリアしましたので、これからリンツに戻りましょう。
ヒトラー生家前のバス停から駅行きのバスは走っているかしら。 -
バスの時刻表を見ていた夫、大変なことに気が付きました。
時刻表には月~金曜日のバスの時刻しかありません。
土・日は運休なのです。
そして今日はその日曜日! -
地図を見て別なバス停にも行ってみたけど、ここも土・日はない。
こんな田舎ではタクシーなんて見つからないし、どうやって駅まで行ったらいいの・・・。
それを考えたらもう私の足は一歩も前へ進みません。
夫が地図を見て、このちょっと先にZOB(中央バスターミナル)があるから、そこまで行けば1本くらい駅に行くバスは出ているよ。
そこまで頑張ろう!と私を鼓舞奮闘させます。 -
私、心の中で(まるで小学生を励ますみたいね)と冷ややか。
でも夫の気持ちに免じて頑張って歩きました。
ZOBと言っても、田舎の小さなバス停に毛が生えたようなもの。
ガラーンとしています。途方に暮れる私たち(特に私)
そこに自転車に乗った地元の中年の女性が通りかかりました。
夫は今日はバスは走っていないのかと聞いたら、そうだ、という返事。
では駅に行くにはどうやって行けばいい?と聞いたらその女性、どうやって説明していいか考えあぐねているようでしばらくして、
「ここを左に行って広い道に出るから、道なりに歩いているとバーンホーフ通りに出る、それをまっすぐ行けばいい」と言って立ち去りました。 -
そちらの方に歩きだそうとしたら、その女性が自転車で戻ってきました。
「私今時間があるから途中まで案内するわ、ついていらっしゃい」と。
そしてさっきは左へと言ったはずなのに、女性は反対の右の方に行こうとします。
え、おかしいなーと思いつつ、その女性は優しそうな人で悪い人には見えなかったので、私たちはついていくことにしました。 -
その女性は必要なことしかしゃべらない本当に寡黙な人。
黙々と私たちを案内しながら先へ行く。
夫だけが気を使っていろいろその女性に話しかけるけど、短い返事しかしないで先へ進む。
さっきは広い道をと行ったのに、近所の人しか通らないような狭い道を行く。
私は足の痛みを忘れて付いていく。 -
団地のお庭を通り抜けたり、駐車場の中を通ったり、農道のようなあぜ道を通ったり。
もうここまで来れば大丈夫だと思ったのか、これをまっすぐ行けば駅前通りに出るから気を付けて、って。
ここでやっと彼女の意図を理解した。
私が足が痛そうにしていたのを見て、最初に説明した広い道は遠すぎると考えたのでしょうね。そしていつも地元の人しか知らないような近道を連れてきてくれたのです。 -
私は涙が出るほどうれしかった。
何かお礼を!
リュックの中に、お腹が空いた時の非常食用にいつも入れている日本から持ってきたお菓子を思い出しました。
虎屋の一口羊羹と小布施の栗落雁。
それを急いで紙に包んで「大変親切にしてくださってありがとう。これ小さなプレゼントです」と渡しました。 -
その親切な女性、包みを開けて、これは何ですか?と。
私と夫、ドイツ語で羊羹と落雁の説明をします。
日本のクーヘンとか羊羹は豆でできた固いゼリーで、日本の伝統のズースとか。
それまで余計なことは一切しゃべらなかった女性だったのに、やっと笑みがこぼれました。日本のシニア夫婦に心を開いてくれたのです。
そして、反対方向に自転車で去ろうとしていたのに、ここまで来たら駅まで一緒に行きましょうと。
とうとう駅まで案内してくれました。 -
駅に着いたらリンツ行きは出発したばかり。
次は1時間ほど待たなければならないけれど、私たちはあの女性の親切に、心がホッコリしていました。
あの女性が案内してくれなかったら、次の列車にも乗れたかどうか。 -
駅には芸術作品とも言える見事な落書きをした列車が停まっていました。
-
-
列車に乗り込んで間もなく、大粒の雨が降ってきました。
よかったわねー、ブラウナウを見学しているときじゃなくて、あの女性に駅に案内してもらっている途中でなくて。
今日はついているわね。 -
リンツまでの直通列車。
初めは乗客もまばらだったけど・・・。 -
リンツに到着する頃には立っている人も大勢います。
3時過ぎにリンツに到着。
ヒトラーが生まれた街で受けたあの女性の親切は、ヒトラーの生家が取り壊されて人の口にのぼらなくなっても、私たちはいつまでも忘れないでしょう。
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この旅行記へのコメント (11)
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- 大和の住人さん 2017/11/09 16:05:13
- オーストリーの旅も深いですね
- ヒトラーというテーマの旅、大変興味深く見せていただきました。ありがとうございました。ヒトラーの生家保存の是非や、ヒトラーで街が有名になることへの複雑な心境も伝わって来ました。負の遺産をどうすべきか?翻って日本も今、ヒトラーとは質量共に圧倒的に違うとはいえ、各地の慰安婦の像の問題に向き合っています。戦争経験世代が少なくなり、そのひとびとから直接話を聴いた世代もまたいなくなる今、どんな形で伝えて行くべきなのか。考えさせられます。
- frau.himmelさん からの返信 2017/11/10 19:56:58
- RE: オーストリーの旅も深いですね
- 大和の住民さん、お久しぶりです!
ヒトラーという、華やかなヨーロッパの旅とは全く異なる、地味な旅行記に目を留めてくださりありがとうございます。
このヒトラーの生家のことは、BSニュースで知りました。
旅のテーマに本場で現代史を勉強したいと思っている私としては、これはぜひ行ってみなければと・・・。
本当に、あの家に関してはヒトラーのヒの字も見えず、見事に表に出るのを隠しているように思えました。
日本も慰安婦の像が大きな問題になっていますね。
日本人である私からしたら、もう70年以上も前の、しかも世界中が正常ではなかった戦争時代のことを今更取り上げるなんてと、憤りさえ感じていましたが、これもブラウナウの住民と相通ずるところがあるのだろうなと思いました。
コメントありがとうございました。
-
- ねもさん 2017/11/07 12:04:18
- 勉強になります+
- himmelさん
さすがの旅路ですね。私もこういう深い旅をしてみたい。
私もオーストリア人は優しくて親切な人が多いと思います。ホテルではもちろんですが……
観光初日、まだウィーンの街に慣れずにホテルからベルベデーレ宮殿に歩いていたら(ホントはウロウロ、笑)、尋ねる前に中年の女性が、宮殿はこっちと教えてくれました。
私も訪日した外国人にはできるだけ親切にしなきゃと思います。
- frau.himmelさん からの返信 2017/11/07 21:03:29
- RE: 勉強になります+
- ねもさん、こんばんは。
まずお礼が遅くなりましたが、フォローしてくださりありがとうございます。
拙いグダグダの旅行記ですが、どうかよろしくお願いいたします。
オーストリアやドイツ人は本当に優しい人が多いですね。
今回の旅でも何度も助けられました。
私は道を尋ねるのも現地の方とのコミュニケーションだと考えていますので、ちょっとわからなくなるとすぐ聞く派です。せっかく外国に来ているのに、一日中夫としかしゃべらなかったなんて悲しいですもの。
ねもさんもベルベデーレで親切な女性に遭われたのですね。旅行記で拝見しました。
うれしいですよね。
それにしても、お嬢様は、ねもさんご夫妻の有能なブレーンですね。羨ましい。
また続き拝見させていただきます。
himmel
-
- 横浜臨海公園さん 2017/11/06 09:59:42
- 生家は隠蔽
- frau.himmelさま、こんにちは。
旅行記を拝見させて頂きました。
小生がブラウナウを訪れたのは、今から40年も昔でしたが、地元は恥辱を隠蔽したいと言う空気が濃厚な雰囲気で感じられました。
今より荒れ放題な状態で、さぞやヒトラー・ユーゲントの亡霊達に手助けされ修復されては、と、ふと思ったものでした。
横浜臨海公園
- frau.himmelさん からの返信 2017/11/06 15:44:37
- RE: 生家は隠蔽
- 横浜臨海公園さま、いつもありがとうございます。
40年前には既にブラウナウを訪れていらっしゃるのですか。さすがですね。
ヒトラーの生家を隠ぺいしたいという住民の気持ちはよくみて取れました。
良くも悪くも世界で最も名高いヒトラーの家なのですから、しかるべき案内表示はあると思っていましたが、なにもありませんでした。
モーツアルトやベートーベン、ゲーテなどは、ほんの数日滞在しただけで、建物の壁に誇らしげに立派な案内板を掲げるくらいなのにね。
ブラウナウ観光局が発行している観光案内書みたいな小冊子にも、ヒトラーのことはおろかあの家のことも一言も触れていませんでした。
あの建物は数年前までは福祉施設として使われていたようなのですが、きっとその時、建物をきれいにして、それ以来は何も手つかずで残っているのではないでしょうか。
あの壁の汚れ、それくらいどうにかしたらいいのに、と思いました。
ありがとうございました。
himmel
-
- ぶどう畑さん 2017/11/05 21:01:57
- お疲れ様(^^) 続き
- スミマセン、途中で送信されてしまいました…。
徒歩でブラウナウに来たまではよかったけれど、そこから駅まで、どうやって行けばいいの?
私も秋の旅行で同じような体験をしました。
親切な方に「ココで降りるといいよ」と教えていただいて、目的地の目の前でバスで降りて助かったものの、そこから駅への道がわからなかった。
途中で出会ったマダムたちに、駅の方向を教えていただいて、どうにか到着できました。
旅先での「困ったぁ」は、思い出に残りますね。(^^)
道を案内してくれた女性が、虎屋の羊羹と落雁を気にってくれたら嬉しいなぁ。
- frau.himmelさん からの返信 2017/11/06 15:30:33
- RE: > 日本もこんな再現がないことを祈りばかりですーーー。(^^) 続き
- ぶどう畑さん、こんにちは。
最近、コメントの方法が新しくなって使いにくくなりましたね。
文章を見返すところがなく、そのまま送ったら余計なものがくっついていたりと、私も何度か経験しました。
>お疲れさま
ぶど畑さん、私が苦労していたの見ていたのね〜。
まさにその通りなのです。
最近華麗じゃなかった加齢のせいか、頭脳も停滞気味でなかなか旅行記がまとまりません。
いつもながらダラダラと・・・。
今回も1篇にまとめるつもりが結局2編になってしまってしまいました。
>道を案内してくれた女性が、虎屋の羊羹と落雁を気にってくれたら嬉しいなぁ。
本当に親切なおばちゃんでした。
田舎の朴訥なおばちゃん。きっと外国人(アジア人)に話しかけられたことは今までなかったのではないかしら。
きっとあの日家に帰ってから家族に「きょうね、外国人に話しかけられてね・・・!」なんて話題に上ったのではないかしらね。
ちゃんと日本人だと理解してくれていたらいいんだけど、
「それでね、こんな中国のお菓子をもらったのよ!」なんてことになっていなければいいけど。
私も夫もちゃんと「日本人」って言ったのですけど、あまりそう言うのに縁のない人はアジア人はみんな一緒だと言いますから。
ぶどう畑さんはそろそろ5月の旅行記は終わりますね。
今度は私が追われる立場です(笑)。
himmel
-
- ぶどう畑さん 2017/11/05 20:39:04
- お疲れ様(^^)
- himmelさん
ぶどう畑です。
ヒトラーはオーストリア出身だったのですね。知らなかった。
生家を壊すか、残すか、確かに微妙な問題ですね。
私としては残して、亡くなったたくさんの方々のことを後世に伝えてほしいかな。
-
- norisaさん 2017/11/05 20:38:46
- 好対照
- frau himmelさん
こんばんわ。
ヒトラーの生家、何とも探すのが大変ですね!
道しるべも展示もないーー。
いかにここの住民が忌み嫌っている、もしくは隠したがっているかが垣間見えます。
それに比べてアムステルダムのアンネの隠れた家の人気があること!
長い行列にうんざりました!
どちらも非業の死を遂げたわけですが、死後の扱われ方は雲泥の差がありますね。
為政者と被害者。
日本もこんな再現がないことを祈りばかりですーーー。
海外での人の親切、これも旅の宝ですね!
norisa
- frau.himmelさん からの返信 2017/11/06 15:10:23
- RE: 好対照
- norisaさん、こんにちは。
いつもありがとうございます。
>ヒトラーの生家、何とも探すのが大変ですね
そうなんです。
一応出発前に建物の写真を撮って、おおまかな住所は調べていましたが。
あの石の前にあったから、これではないかしら?と言ったのですが、夫が、何も表示がないから違うんじゃない?って言うんですよね。
そこでipadに撮っておいた写真を見せて、ホラ!って黄門さまの印籠です。
後から考えれば、周りはみんな手入れのされたきれいな家ばかり、あの一軒だけ薄汚れていましたから当然だったんですけどね。
それに比べると、アンネの家は行列ができるほど人気がありますから、なんという大違い。
あの日は日曜日で、お店も全て閉まり、ヒトラーの家の見物者2,3人以外は、ほとんど人影を見ませんでした。
ちょっと家の周りは異様な雰囲気でしたね。私の先入観もあるのかもしれませんが。
> 日本もこんな再現がないことを祈りばかりです
ほんとおっしゃる通りです。
ありがとうございました。
himmel
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