2025/07/10 - 2025/07/14
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この旅行記のスケジュール
2025/07/10
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車での移動
愛知県犬山市の博物館明治村から、岐阜県各務原市の岐阜かかみがはら宇宙航空博物館へ移動する。
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この旅行記スケジュールを元に
東京から、新東名経由で岐阜へ、さらに軽井沢を回って東京に回遊するドライブ旅行
その3は、岐阜市から愛知県犬山市の博物館明治村を観て、帝国ホテル旧館のガイド説明も聞いて、各務原へ
表紙の写真は、60周年を迎えた「博物館明治村」、背景は帝国ホテル旧本館。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
JR岐阜駅前を散策。
現在の岐阜市のシンボル、駅前の43階タワーは見上げると高い。 -
ホテル リソル岐阜の売り物は朝食バイキングで、岐阜名産の鮎の塩焼きなども含めて洋食・和食料理の取り放題が嬉しい。
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岐阜県名産の中には、五平餅や棒葉味噌など様々。
私的には、木曽谷や飛騨は、岐阜市がある美濃の平野部とはイメージが違うのだが。 -
犬山市に向かう岐阜市街地には上茜部城(かみあかなべじょう)があった。
場所は、岐阜市茜部本郷2丁目、戦国時代にあった城で、別名茜部城とも呼ばれる。
現在は石碑と案内板のみで、旧跡としてはがっかり。
1550年以前に近江国の出身といわれている堀資重により築城されたとされ、子孫の堀秀政は織田信長、豊臣秀吉に仕え重臣になったという。
堀秀政が1581年に長浜城城主、1585年に北ノ庄城城主となったころに上茜部城は廃城されたらしい。 -
入鹿池がある丘陵の丘を縫って、開園時刻には「博物館明治村」北口駐車場に到着。
北口は、券売もモギリも小規模で、まさに裏口という感じ。
正面入り口の駐車場にしなかったのは、訪問目的のメインが帝国ホテル旧館の建物で、園内を一周した後に、ボランティアガイドさんの帝国ホテル旧館建物ガイド時刻に合わせて戻ってくるため。 -
北口から入場して最初に出会うのは、運転休止中の蒸気機関車12号。
明治7年(1874)輸入で、150年も動いているとはお疲れ様。
これから静岡県の工場に運ばれてオーバーホールのよう。 -
北口から入って、最初の建物が帝国ホテル旧本館の玄関部分。
東京で育ったので、閉館前の帝国ホテル旧本館を眺めた経験はあるが、フランク・ロイド・ライトと、助手アントニン・レーモンドの設計をもう一度観てみたかった明治村訪問目的の建物。
明治期に完成でなく、大正12年(1923)の建物だが、明治村で保存さていてよかった。
ボランティアガイドによる説明が主要建物ごと一日に何回かあるので、11時半の開始時刻に合わせて、戻ってきて解説を聞いた。
説明を聞きながら回ると、内装には余り使われない大谷石の温かみが伝わってきた。
帝国ホテル旧館は、昭和42年に閉館、紆余曲折があって昭和60年に明治村で公開されたそうで、説明まで聞けたし、明治村でつくられたCG映像も見ることができて大満足。 -
帝国ホテル建物内では、ライトが建築家として活躍し始めた初期にデザインした2種類のステンドグラスが展示されている。
エヴァンズ邸とフランシス・リトル邸のステンドクラスで、ステンドクラスではあるが眺望も重視とのこと。
また、意外にも「ポーツマス条約の机」も展示されている。
帝国ホテルは大正時代であるが、ポーツマス条約は正に明治時代の日露戦争。 -
どっしりした石造りの「内閣文庫」は、明治6年(1873)、東京の赤坂離宮内に「太政官文庫」という名で開設された明治政府の図書館だという。
設計者は大熊喜邦(のち国会議事堂の建設を指揮)で、お雇い外国人が多い時期によく日本人に設計を任せたものだ。 -
今でいえば小型ビルの「川崎銀行本店」であるが、どこかで見た感じ。
川崎銀行といっても川崎市にあったのではなく、また有名な神戸の川崎財閥とも違う。
東京日本橋 に、日本火災海上保険、日本信託銀行などの開祖である東京川崎財閥によって昭和2年(1927)に建設されたという。跡地に1989年建てられた現スターツ日本橋ビルには、旧本店の意匠が継承されているという。 -
「聖パウロ教会」は、明治12年(1879)に、長崎県の伊王島に建設されたカトリック教会堂で、フランス人宣教師ブレル神父の指導で地元大工の大渡伊勢吉によって建てられたという。
木造平屋建ての入母屋造り、桟瓦葺きであるが、内部の漆喰塗などは石造りが一般的だった教会そのもの。 -
かつて隅田川に架かっていた「新大橋」の一部。
明治45年(1912)にそれまでの木橋から置き換えられた永久橋。
鉄材は米国製輸入品であるが、東京市の営繕担当による設計監理という。
大規模な製鉄所で鋼材をつくれなかった当時は、貴重な外貨を使い、膨大な輸送費をかけてつくるしかなかったのであろうと思いを馳せる。 -
京都市にあった「聖ザビエル天主堂」は、流石に立派。
明治23年(1890)に、建設図面をフランスから取り寄せ、宣教師パピノ神父が設計、信者の大阪の大工棟梁につくらせたという、本格的な石造りの教会で、信者たちの熱意が伝わってくる。 -
現存する最大の木造郵便局舎だとされる伊勢神宮外宮前に明治42年(1909)に建てられた「宇治山田郵便局舎」は親しみが湧くデザイン。
小さなドームをのせた二つの角塔が可愛らしく、外部のハーフティンバー様式の漆喰塗りと柱、下見板張りペンキ仕上げ壁が威圧感がなくて良い。 -
明治時代の元老の一人、西園寺公望(1849-1940)の別邸として、大正9年(1920)に静岡県興津に建てられたという「坐漁荘」は、重臣とは思えない質素な感じ。
興津からの太平洋の雄大な眺めではなく、入鹿池の眺めでは、西園寺公はご不満では? -
北里柴三郎博士が留学したドイツ・バロック風の瀟洒な研究所の北里研究所本館・医学館 大正4年(1915)。
コッホの研究所に比べれば百分の一規模かもしれないと感じる。
解体年は昭和和54年(1979)と遅いので、渋谷駅から田町駅への都バスに「北里前」という停留所があって、車窓から見たような記憶がある。 -
北里研究所本館・医学館内の北里柴三郎博士胸像
そういえば、東京四谷の慶應義塾大学医学部キャンパスにも北里柴三郎博士胸像があったのを思い出す。 -
幸田露伴住宅「蝸牛庵」は、東京の墨田区向島に明治初年(1868)頃に建てられた住宅を、文豪幸田露伴(1867-1947)が借りて住んでいたという地味な建物。
木造で150年もよく保存されていたものだと感心。
寺院などとは異なり、木造住宅の保全は苦労が多かろうと察する。 -
京都市に日本聖公会京都五条教会堂として建てられ、朝ドラのロケ地にもなったという赤レンガの「聖ヨハネ教会堂」 明治40年(1907)。
設計者のJ.M.ガーディナーは、アメリカ人で宣教師でもあった建築家。
立教学校の校長として教育にあたる一方で、建築家としても立教大学校校舎、明治学院ヘボン館、日光真光教会等の作品を遺したという。 -
こちらは正面入り口と、園内を走るレトロバス。
感じはよいが、一日乗車券が@500円は、高い感じ。
蒸気機関車片道700円、京都市電1回500円と併せて、3つの乗り物が一日@1,000円が妥当ではなかろうか。 -
裏口の北口から入ったためか、明治村の沿革紹介や、案内ガイドがいなかった。
こちらの正面入り口には、写真の沿革解説や、常駐ボランティアガイドなど、案内体制ができていた。
ここまで廻って、山道を急いで帝国ホテルまで戻る。 -
愛知県犬山市の博物館明治村の見学は、暑い時期は半日が限界です。
途中で昼食を取って、次ぎの目的地である岐阜県各務原市にある「岐阜かかみがはら宇宙航空博物館」に移動する。
木曽川を渡ると再び岐阜県で、各務原市は戦時中は軍需航空産業のメッカであり、現在は静かな土地に平和な博物館が建てられている。
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