2025/06/02 - 2025/06/02
10位(同エリア748件中)
旅猫さん
旅の最終日は、佐渡金山と相川の町を訪れる。佐渡金山は、昨年の夏に世界遺産に登録されてしまったため、多くの観光客で混みそうである。最後は、景勝地尖閣湾に面した尖閣湾揚島遊園に立ち寄り、この旅を締め括ることにした。
(2025.06.27 投稿)
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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朝風呂の後、朝食を食べる。内容は、和洋折衷である。干物が無いのが残念であった。
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食後、宿の車で相川支所まで送ってもらう。佐渡金山へのバスまで50分ほどあるので、相川の町を歩いてみる。相川の市街地は、海成段丘上の高台に造られた上町と、埋め立てなどにより形成された下町からなる。歩いているのは、下町である。古い町並みが残っているかと思っていたが、思いのほか新しい町並みであった。
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その下町と上町を結ぶ長坂を観に行くと、その登り口に洋風の木造の建物があった。旧相川税務署とある。なかなか洒落た建物で、昭和6年(1931)に建てられたものだそうだ。下見板張りの外壁に、とても風情を感じる。
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その建物の前から続く長坂を少し登ると、左手に歴史案内板があった。何でも、ここに牢獄があったそうだ。案内板があるのは、その北東の角に当たり、牢獄の北側に沿って西坂と言う坂が通っている。その坂を登ると、奉行所に出るそうだ。
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西坂の入口で引き返し、相川支所の前に戻る。その隣の消防署の前に、昔の護岸の跡があった。羽田の浜と言う場所で、かつては風光明媚な場所だったそうだ。昭和から平成に掛けて埋め立てが行われ、その景色は失われている。それでも、僅かに残された記憶に嬉しくなる。
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再び裏道に入り、街並みを観て歩く。連続した風情のある町屋は無いが、どこか趣のある佇まいである。近くには、歌人山田花作の生家もあった。
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『きらりうむ佐渡』に辿り着いた。すると、斜向かいに、大きな屋敷があった。松榮家住宅と言うもので、鉱山や廻船業で財を成した豪商の邸宅だそうだ。個人の家なので、外から窺うしかない。
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バスの時間まで15分ほどあるので、『きらりうむ佐渡』を見学することにした。入館料を払って入ってみたが、映像が主体で、15分ではどうにもならなかった。
佐渡金銀山ガイダンス施設「きらりうむ佐渡」 名所・史跡
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8時48分発のバスに乗り、金山へと向かう。世界遺産へ向かうので、バスは混み合うかと思ったのだが、何と乗客は私だけであった。おかげで、金山までの間、運転手さんが見所で停車し、色々と説明をしてくれた。まるで、観光バスである。
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10分ほどで佐渡金山バス停に着いた。降りてみると、拍子抜けするほど人がいない。入口で尋ねると、入場料1,500円で、ふたつの坑道を観ることが出来るそうだ。
佐渡金山遺跡 美術館・博物館
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係の方のお勧めに従い、まずは、江戸時代に使われていた『宗太夫間歩』から回ることにする。見学通路はほぼ平坦だが、見どころは、上下左右に作られている。
宗太夫間歩(佐渡金山遺跡) 名所・史跡
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坑道の入口では、不正に鉱物などを持ち出すことが無いように、検問所が置かれていたそうだ。
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坑道では、狭い場所で金穿大工たちが、採掘を行っていた。
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奉行所の発注により、間切りと呼ばれる探鉱坑道が請負により掘られていたとある。発注通りに行われているかを検査する間切り改めと言う役目もあったそうだ。
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坑道内では、金山独自の『やわらぎ』と呼ばれる神事も行われていたそうだ。山の神の心を和らげるとか、硬い岩盤をやわらげるなどから来ているとも云われているらしい。それにしても、世界遺産とは思えないほど静かである。途中、ほとんど人に出会わなかった。
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坑道を出ると、資料館があった。館内では、『佐渡金山絵巻』に描かれている採掘から小判の作成までの工程を、模型を使って展示している。
佐渡金山 展示資料館 美術館・博物館
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江戸時代の相川の町も再現され、上町と下町の様子が良く分かる。
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展示室は二つあり、奥の方には、小判などが展示されている。その中に、一億円以上の価値があると言う金の延べ棒も置かれていた。
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大判や小判が展示されているが、本物なのだろうか。金の延べ棒なども置かれているのに、警備員などはまったくいない。
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続いて、明治以降に採掘が始まった『道遊坑』を見学。こちらは機械掘りなので、坑道も広い。ちなみに、世界遺産に登録されているのは『宗太夫坑』で、こちらは構成資産ではない。
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坑道内に、お酒の保管場所があった。低い温度で保たれているため、お酒の熟成にはちょうど良いのだそうだ。
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少し歩くと、行き止まりとなった。そこが、佐渡金山の象徴とも言える『道遊の割戸』の真下に当たるそうだ。
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地上に出て、その『道遊の割戸』を観に行く。上り坂をしばらく歩くと、山の中にぽっかりと穴が開いていた。ここが中腹部で、発破で鉱石を落としていたそうだ。
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戻って広場から眺める。山に、斧で切れ込みを入れたような風景だが、江戸時代に手掘りで鉱石を掘り出した跡である。人力で行われていたとは思えない光景である。
道遊の割戸 自然・景勝地
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明治以降の施設には、重要文化財の高任粗砕場やトロッコもある。トロッコの線路際からは、眼下に、高任貯鉱舎やベルトコンベアヤードなども僅かに見えた。これらも世界遺産構成要素ではない。
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金山を出て、京町通の方へ歩いて行く。歩き始めてすぐ、右手に無宿人小屋跡があった。その手前に工事車両が停まり、簡易的な柵が設けられていた。その支柱には、朱鷺の可愛い絵が付けられていた。
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その先の左手には、先ほどトロッコの線路わきから見えた高任貯鉱舎やベルトコンベアヤードなどが立っている。その脇に、草に埋もれた石橋が見える。明治期に架けられたもので、上橋と下橋があり、これは下橋だそうだ。上橋は、現在も使われていた。
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さらにその先の右手には、搗鉱場跡と言う場所もあった。搗鉱場とは、低品位の鉱石から、水銀を用いて金を回収する施設だそうだ。今は、大正14年(1925)に再建された施設の基礎部分だけが残っている。木や草に埋もれているので、まるで古代遺跡のようである。
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第三駐車場の脇から散策路に入る。すぐに左手に分かれる道があった。鶴子銀山跡へ至る古道だそうだ。草の生い茂る季節は避けたい道である。こちらは、相川市街地へ向かう道へと入る。
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道の両側には、かつて集落があったようだ。
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右手の車道脇には、トロッコの軌道や隧道の跡も見える。
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その先の古びた石段を登ると、万照寺と言う寺があった。その脇を左手に登る道があり、道標に無宿人の墓とある。気になったので行ってみると、高台にそれはあった。金山の労働力を確保するため、江戸や大阪などから無宿人たちが数多く送られ、水替人足として過酷な労働に従事した。そのほとんどが、相川で亡くなったそうである。墓には、彼らの生国と名前が刻まれていた。
佐渡金山を支えた人たちの墓 by 旅猫さん無宿人の墓 名所・史跡
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無宿人の墓から下ると、鉱山労働者が住んでいたと言う次助町の跡があった。その一角に、亡くなった多くの労働者を鎮魂するための『普明の鐘』と言うものがあった。無宿人たちも含め、多くの亡くなった方を偲び、鐘を撞かせていただいた。
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未舗装の山道を下り切ると、大工町と言う場所に出た。明治23年に佐渡で起こった米騒動の際に活躍した久蔵と言う炭鉱夫が生まれた町だそうだ。古い石垣や町屋が残り、なかなか風情がある。
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車が通るにはやっとの細い道を歩いて行くと、共同炊事場跡と言う場所があった。昭和13年以降、多くの鉱山労働者用の住居が建てられ、そこに住む人向けの食事が作られていた場所だそうだ。この界隈には、朝鮮半島出身の労働者が多く住んでいた。ある意味、この国の負の遺産とも言える。
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その先の新五郎町には、かつての労働者用の社宅が残されている。その一部は、最近よく見かける白い暖簾の宿泊施設にされてしまっていたが、ほぼ当時のまま残されている建物もあった。
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さらに下って行くと、蔦の絡まる塀に囲まれた施設があった。かつての独身寮であった第一相愛寮の跡であり、昭和29年からは拘置所が設置された場所である。
旧相川拘置支所 名所・史跡
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昭和47年まで使われていたそうだが、内部には、独房などがほぼ当時のまま残されていた。
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江戸時代に活躍した山師新五郎の名を冠した町を抜ける。振り返れば、風情のある街並みが佇んでいる。金山の第三駐車場からここまで、結局、誰にも出会わなかった。やはり、ほとんどの観光客は、金山と奉行所などをちらりと観るだけなのだろう。
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さらに下ると、京町地区となる。江戸時代、佐渡奉行所と金山を結ぶ目抜き通り沿いに開けた町である。かつては、鉱山関係者の住宅や商店が軒を連ねていたそうだ。途中には、鉱山長の住居も残されていた。
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『きらりうむ佐渡』でもらってきた地図に、『かくれ石うす』と言う印が付いている。鉱石を磨り潰すのに使われていた石うすを、石垣などに転用したものだそうだ。探しに裏道へ入ると、連光寺と言う寺があった。年始には、佐渡奉行が訪れるほどの格式を持った寺で、境内には佐渡奉行本目隼人親英の墓もあった。
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その先の慶民坂にも石うすがあるようだが、良く分からなかった。
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京町通に戻り、さらに下って行くと、下京町となる。道沿いにぼんぼりが並べられ、祭りの準備でもしているようだ。ぼんぼりには、『宵乃舞』とある。調べてみると、ちょうど五日後から二日間に渡り、『相川音頭』に合わせ、ぼんぼりの仄かな灯りの中、京町通などを優雅に踊りながら流すそうである。観てみたかったが、今日で帰らなければならない。
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下京町の中に、旧副鉱山長住宅もあった。役員の住居とあって、かなりの大きさがある。鬼瓦には、三菱の刻印も残っていた。
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町の外れで道は大きく折れ、佐渡奉行所跡へと下って行く。その途中に、時鐘楼が立っていた。明治元年まで時を知らせていたその鐘は、正徳3年(1713)に佐渡産出の銅を使って鋳造されたものだそうだ。鐘楼は、万延元年(1860)に改築されたもので、共に世界遺産構成要素となっている。
時鐘楼 名所・史跡
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坂の途中に、横井戸と書かれた案内板があった。気になったので脇道に入ると、降りた先に横に掘られた井戸があった。八百屋町の横井戸と呼ばれるものである。上町台地から流れ出す清水が湧いているそうだ。
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表通りに戻りさらに下ると、長い煉瓦塀が続いている。旧相川裁判所の塀のようだ。絵になる場所である。
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旧相川裁判所は、現在、佐渡版画村美術館となっていた。かなり立派な建物である。明治9年に建てられたものだが、明治時代の公共機関の建物にしては、洋風ではないのが珍しい。立ち寄ってみたが、美術館は休館であった。後で気付いたのだが、この日は月曜日であった。
佐渡版画村美術館 美術館・博物館
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そのすぐ隣が、佐渡奉行所跡であった。敷地の一角には、奉行所の建物が復元されていたので、見学することにする。
佐渡奉行所 名所・史跡
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復元されているのは、『御役所』と呼ばれる部分だけだが、それでもかなりの広さがあった。罪人を吟味した御白州も再現されている。
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一段下がった場所には、金銀を精製していた『勝場』と言う建物も復元されている。中には、精製などで使われる道具などが展示されていた。奉行所内にこのような施設があるのは、佐渡奉行所の特徴なのだそうだ。
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『勝場』のある場所からは、下町越しに日本海が望めた。
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海岸段丘を下町の方へと降りて行く。すると、降り切る手前の谷のような場所に、明治から昭和にかけての佐渡金山の拠点であった北沢地区施設群がある。その要であった旧御料局佐渡支庁の建物は後に回し、まずは奥にあった劇場のようなシックナーを観に行く。直径50mもあると言う円盤状の建物で、金銀を含んだ泥状の鉱物から水分を分離させる施設だそうだ。
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その対岸には、明治期に建設された旧北沢青化・浮選鉱所の跡が、古代遺跡のように佇んでいた。
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対岸に渡り、旧北沢青化・浮選鉱所の隣に残る北沢浮遊選鉱場を見学。鉱石から金や銀を分離・抽出するために建てられた施設で、往時は東洋一と言われたそうである。今は廃墟となり躯体だけが残っている。緑に包まれた廃墟は、古代文明の巨大な神殿の跡のようであった。
北沢浮遊選鉱場 名所・史跡
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お昼をどこで食べようかと考えていると、ちょうど、北沢地区工作工場群に『北沢Terrace』と言う店があったので、そこに入ってみる。店内は、小奇麗で洒落た装いであった。
金山カレーのご飯が道遊の割戸に by 旅猫さん北沢terrace グルメ・レストラン
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『佐渡島黒豚金山カレー』と言うのがあったので、注文。出てきたカレーは、ご飯が『道遊の割戸』を模していて、金箔が載っていた。味も悪くない。肉も柔らかく、旨味があって美味しかった。
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食後、バス停のある相川郷土博物館に立ち寄る。その建物は、明治20年(1887)に建てられた鉱山本部事務所と、明治26年(1893)年に増築された御料局佐渡支庁からなり、それらを渡り廊下が繋いでいた。統一された赤みのある石州瓦が美しい。
相川郷土博物館 美術館・博物館
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館内には、金山関係の資料などが展示されている。その中に、金を含む鉱石が展示されていた。なお、北沢地区は、明治以降の施設で構成されているため、世界遺産の構成要素には入っていない。
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まだ時間があったので、近くの『相川技能伝承展示館』にも立ち寄ってみる。展示の中に、裂織と言う古い布を使った織物があった。素朴だが、落ち着いた色遣いが美しく、興味深かった。
相川技能伝承展示館 美術館・博物館
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13時32分発のバスに乗り、最後の訪問地である尖閣諸島揚島遊園へと向かう。バスは、地元の方たちで、思ったよりも混んでいた。バスは外海府沿いに走り、20分余りで尖閣諸島揚島遊園バス停に着いた。少し海の方へ歩くと、土産物のような施設があり、そこが入口であった。入園料を払って中へ入ると、すぐに荒々しい岩場の風景が現れた。
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佐渡島有数の景勝地である尖閣湾のうち、ここは、『揚島峡湾』と呼ばれる場所である。眼下に遊覧船の乗り場がある入り江があり、船に乗れば、海上からその景色を観ることも出来る。
尖閣湾揚島遊園 名所・史跡
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園内を歩いて行くと、狭くて短い海峡のような場所があった。ここが、揚島峡海の名の所以だろうか。
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そこに橋が架かり、渡った先が揚島である。振り返れば、小さな佐渡大埼灯台が見えた。
佐渡大埼灯台 名所・史跡
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その揚島の上はほぼ平らで、浜甘草などが咲いている。
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島からは、荒々しい岩場が望めた。
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揚島から戻り、園内にある『あげしま海のでじたる館』に立ち寄る。一階には、映像などを鑑賞できる施設があり、二階は休憩所となっていた。そこに、古い写真が飾ってあり、かつて、多くの観光客が訪れ賑わっていたことがわかる。
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バスの時間まで一時間近くあるので、入口の施設で時間を潰す。その中にあった喫茶で、『佐渡の塩ミルクソフトクリーム』とコーラを注文。ソフトクリームは、塩の味は感じられなかった。
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15時31分発のバスに乗り、相川支所で乗り換え、両津港へと向かう。そして、両津港には、17時10分に着いた。乗り換え時間を利用し、お土産を選ぶ。すると、『御船印』と言う文字に目が留まった。最近、色々な印ものが多くあるが、船にもあるとは知らなかった。せっかくなので、記念に、今回利用したジェットフォイルの『つばさ』と『銀河』を購入した。17時55分発の船に乗り、佐渡島を離れる。
佐渡汽船 ジェットフォイル 乗り物
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乗船中に日が暮れ、新潟港に着いた時には夜の帳が降り始めていた。バスで新潟駅へと向かい、19時42分発の『とき342号』に乗車。車内はガラガラであった。三泊四日の初めての佐渡への旅も、これで終わり。今回の旅で、佐渡島の魅力を感じ、また訪れてみたいと思う。それにしても、佐護島は広かった。
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この旅行記へのコメント (4)
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- ポテのお散歩さん 2025/06/28 20:22:06
- 佐渡の風景
- 旅猫さん こんばんは。
白い暖簾の宿泊施設。。。に反応してしまいました。
この様な場所にもあるのですね。
至る所に、人が住んでいた形跡や歴史が感じられるのですが
今 住まれている地元の人の姿が あまり見られないのが気になりました。
観光客が少ないぶん、当時の姿をとどめている場所が多く、
観光客が増えると佐渡の風情が消えるので難しいです(*^-^*)
ポテ
- 旅猫さん からの返信 2025/07/01 12:49:33
- RE: 佐渡の風景
- ポテさん、こんにちは。
いつもありがとうございます。
週末、秋田へ行っていたので、遅くなりました。
白い暖簾のあの宿、佐渡にも点在していました。
儲かっているのですね(笑)
佐渡島は、日本最大の島ですが、街もかなり大きいです。
史跡や田圃なども多いですけど、ある意味、市街地が道沿いに続いています。
島とは思えないほどです。
私の写真が、人気の無いところばかり撮っているので(^^;
観光地として名の知れた金山、大野亀、ゴールデンパーク、たらい舟、宿根木にはたくさん観光客がいますが、あとはガラガラです。
金山が世界遺産に登録されたので、観光客が急増しています。
羽田からの飛行機が復活するそうですし、入島税も検討されているくらい、観光客が増えているみたいです。
とは言え、若い人は都会に出てしまうので、全体的には寂れていますね。
島外からの資本が多く入って来ると、風情が無くなってしまうでしょう。
旅猫
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- pedaruさん 2025/06/28 06:28:50
- 世界遺産 佐渡金山
- 旅猫さん おはようございます。
世界遺産ながら意外と観光客がすくないとお感じになったそうですが、ほとんどの
観光客は、金山の一部と奉行所を見ただけで、あー、見た見たと帰ってしまうからでしょうか?
そして知人に佐渡はどうだった?などと訊かれると、つまらない所だよ。などと
悪い感想が広まりやすい、こんところですかね。
私は旅猫さんの旅行記にあまり期待はしていませんでしたが、驚きました。
こういう観光地の見方をするとは。 運営する自治体でさえこれまで克明に、すべてを注目し、レポートされるとは思ってもいなかったと思います。
旅猫さん個人が観光するのでなく、それを関心を持って見る多くのファンがいることを自治体は知るべきです。ゆめゆめいい加減な歴史の検証は許されませんぞ。
厳しい目で見ている旅猫さんがいることをお忘れなく、です。
事故など危険と背中合わせの鉱山作業では、神仏頼りのところもあり、一抹の感傷もありますね。無宿者とかいって、人権意識のない時代は弱肉強食の時代ともいえますね。日本の財閥も、このような底辺の人たちの血と汗の上に築かれた富であると自覚すべきですね。
直接関係がないとはいえ、今の世界は力のある国が、無力の国を蹂躙して反省するところがない気がします。旅行をとおして真実を知ることは大切ですね。
pedaru
- 旅猫さん からの返信 2025/06/28 07:43:06
- RE: 世界遺産 佐渡金山
- pedaruさん、おはようございます。
書き込みありがとうございます。
佐渡島の旅で思ったことは、ほんの一部の観光地だけに人が集中していることですね。
佐渡島の魅力は多岐にわたり、特に里山の景色は素晴らしいと思いました。
そこかしこに社もあり、日本らしい景色にほっとっしました。
もっと、あちこち見て回ればよいのにと思います。
とは言え、短い時間で主要な観光地を車で訪れるのが、今の観光ですので仕方が無いと言えばそうですが。。。
それほど厳しい目で見ているわけでも無いのですが(^^;
歴史にはこだわっていますっけど(笑)
それにしても、改めて現地で歴史を見つめると、佐渡金山での労働の過酷さには驚かされました。
そこに従事させられた無宿人や朝鮮半島の人たちのことを考えると、手を合わさずにはいられませんでした。
無宿人の墓が、思いのほか立派で、一人一人の名が刻んであったのは、せめてもの慰めかと。
明治から昭和初期までの財閥などのやり方は酷かったですからね。
やはり力と金で無力な人たちに恐怖を与えるのはいけません。
旅猫
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