2025/04/15 - 2025/04/19
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2025/04/15
2025/04/19
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義母の13回忌に京都に行きます。それならば、長年行きたいと思っていた長篠、設楽原、桶狭間古戦場、清洲城、岐阜城、坂本城、安土城、関ヶ原…。今まで行きたいと思っていた所をぜーんぶ回ってくるのはどう?
近頃といえば、夫ともども、どうにも年齢を感じずにはいられない。新幹線じゃなくて車で行くなんて、ここらで行っておいた方がいいんじゃない?
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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朝5時10分に千葉の自宅を出発して10時40分、愛知県新城市の鳥居強右衛門(とりいすねえもん)のお墓(胴塚)に着きました。
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新東名高速近くの畑の中を歩いて、
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鳥居強右衛門磔死(たくし)の碑へ来ました。
鳥居強右衛門磔の跡 名所・史跡
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牛渕橋から長篠城のあった場所を眺めます。
ここから見ると豊川と宇連川が合流する断崖上にあって、天然の要害であったということが理解できます。長篠城址 名所・史跡
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長篠城跡に行く途中で馬場信房(信春)のお墓に寄りました。武田信虎、信玄、勝頼と武田家3代に仕え、鬼美濃と言われた馬場信房でしたが長篠の戦いで、織田・徳川連合軍から敗走する武田軍の殿(しんがり)を務めて亡くなりました。
その働きぶりは『信長公記』に「馬場美濃守手前の働き、比類なし」と評されているそうです。
馬場信房は深志城(ふかしじょう)の城代でした。
深志城を何度か改修し、今の姿になったものが松本城です。
秀吉の時代には石川数正が松本城を治め、天守を造りました。NHKの大河ドラマ、「どうする家康」では松重豊さんが演じていました。馬場信房、石川数正が治めた松本城を今度じっくり見てみたいと思っています。馬場信房の墓 名所・史跡
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長篠城本丸跡に来ました。
鳥居強右衛門は長篠城城主・奥平信昌に仕えた足軽です。武田軍に攻められた長篠城から岡崎城にいる徳川、織田軍に応援を求めて、豊川と宇連川の合流地点近くから川に潜ぐりました。そして3日間で岡崎と長篠間を往復しました。今の時代ならトライアスロンに出られそうです。長篠城を目の前に武田軍に捕らえられた強右衛門は援軍が来ることを叫んで、磔(はりつけ)にされました。鳥居強右衛門磔の跡 名所・史跡
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長篠城址史跡保存館、設楽原歴史資料館は定休日なので、長篠の戦い決戦場に向かいました。
長篠城址 名所・史跡
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途中、道の傍に甘利虎泰の息子、信康のお墓がありました。武田勝頼はこの戦いで多くの忠臣を失いました。
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連吾川沿いに馬防柵が再現されています。
馬防柵 名所・史跡
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長篠設楽原パーキングエリア内の長篠陣屋食堂で昼食にしました。新城インターから高速に乗りパーキングに停めて食事をするつもりだったのですが、Google map検索をしたら一般道で案内されました。一般道からも、高速道路からも利用することが可能です。
長篠設楽原パーキングエリア(下り) 道の駅
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信長本陣跡に抜ける通路に火縄銃などが展示されていました。
長篠設楽原パーキングエリア(下り) 道の駅
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信長の本陣跡には長篠設楽原パーキングエリアから歩いて行けます。
織田信長戦地本陣 名所・史跡
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パーキングエリア自体が高い場所にあるので、茶臼山頂上にある本陣へもすぐに着きました。
織田信長戦地本陣 名所・史跡
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新城インターに戻って高速道路で名古屋の熱田神宮へ来ました。
信長塀です。桶狭間出陣の際に熱田神宮で戦勝祈願した信長が大勝したお礼に寄贈したものです。熱田神宮 寺・神社・教会
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今日のホテルはマイステイズホテル名古屋栄です。上下別のパジャマなのが嬉しいです。
ホテルマイステイズ名古屋栄 宿・ホテル
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朝食にはあんこがありました。トーストを焼いて名古屋名物餡トーストにしました。
ホテルマイステイズ名古屋栄 宿・ホテル
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2日目。桶狭間古戦場公園です。
左端の石碑に「今川義元戦死之地」と刻まれています。
左の石には「今川義元公」と刻まれ裏面に昭和8年建立と書かれています。右の石には「駿公墓碣(すんこうぼけつ)」と刻まれています。墓碣とは埋葬箇所に建てる目印の石や木の柱のことだそうです。説明板には昭和28年に偶然に出土したと書かれていました。桶狭間古戦場公園 公園・植物園
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今川義元が水を飲むために馬を繋いだというねずの枯れ木です。
桶狭間古戦場公園 公園・植物園
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昭和初期のこの辺りの写真です。写真後方の森がおけはざま山であり、その手前に広がる田園が義元最後の地であったという説明は説得力があります。
桶狭間古戦場公園 公園・植物園
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桶狭間古戦場公園から車で5分はどの所に桶狭間古戦場伝説地はあります。
こちらは国の史跡に指定されています。桶狭間古戦場伝説地(国指定史跡) 名所・史跡
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塚だった所に明治9年に義元の墓が建てられました。
桶狭間古戦場公園と古戦場伝説地はどちらも今川義元最後の地を謳っています。桶狭間古戦場伝説地(国指定史跡) 名所・史跡
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清洲城に来ました。平成元年に再建されたものです。
信長は清洲城で10年ほどをすごしたそうです。桶狭間の戦いには、この城から出陣しています。清洲城 名所・史跡
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信長が桶狭間の戦いに臨んで舞ったという幸若舞について説明されています。
展示された何枚もの戦国中スポ新聞が楽しいです。残念ながら、撮影禁止。掲載されている広告までもが、戦国時代風です。
例えば、
読めば強くなる。
時代のリーダーフェア
全国戦国大名名鑑
などなど。清洲城 名所・史跡
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天守閣からの眺め。実際の天守閣は大手橋を渡った左側にあったのだそうです。
清洲城 名所・史跡
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五条川右岸で発掘された当時の石垣の一部が移設復元されています。
清洲城 名所・史跡
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岐阜市です。ロープウェイで岐阜城に向かいます。関ヶ原の戦いの後廃城になってたそうで、現在のお城は1956年に再建されたものです。
信長が清洲城、小牧山城の次に居城としたのが、岐阜城です。元々は姑の斎藤道三が居城としていた稲葉城です。道三と息子の義龍は折り合いが悪く、道三は義龍によって殺されました。その後、義龍の急逝によって、義龍の子、龍興が城主となります。信長は龍興から稲葉城を攻略し、天守閣の前身である高層の楼閣などを新たに作って、岐阜城と名付けました。岐阜城 名所・史跡
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信長は鵜飼をおもてなしとして活用したそうです。
むかし、長良川に鵜飼を見に行ったことがあったのですが、信長が愛し、保護したことを知っていたら、もっと感動したのにと思います。岐阜城 名所・史跡
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信長が用いた天下布武の印章。「天下に武を布(し)く」、つまり「武力で天下を治める」というように読めると思います。しかし、その真意は中国の史書からの引用で「七徳の武」という為政者の徳を説く内容であったといいます。
七徳の武
1.暴力を禁ずる
2.戦いを収める
3.大国を保つ
4. 功を定める(功績を正しく評価する)
5.民を案じる
6.人心を和ませる
7.財物を豊かにする
この七徳の武を備えた者が天下を治める。
信長の理想とする社会。信長にとって、戦はそれを実現するための必要悪だったのでしょうか。岐阜城 名所・史跡
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岐阜城からは眼下に長良川を眺めることができます。
岐阜城 名所・史跡
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岐阜城資料館。岐阜城のチケットを見せれば入館できます。資料館と謳っていますが、特に見るべき資料はありません。
大河ドラマ「麒麟が来る」で斎藤道三を演じた本木雅弘さんの蝋人形がそっくりです。岐阜城資料館 名所・史跡
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宿泊は「ホテルピアザびわこ」です。
明智光秀が坂本城から見たであろう景色を味わってみたくて、本当は「KKRホテルびわこ」に泊まりたかったのですが満室でした。坂本城とは離れてしまうのですが、こちらのホテルに決めました。
夕食は義兄夫婦にプリンスホテルのディナービュッフェをご馳走になりました。とてもおいしかったです。
夜景の写真を撮るために琵琶湖のほとりへ来ました。
ジョギングや夜釣りをしている人がいました。暗いのですが、治安が良いのでしょう。ホテルピアザびわ湖 宿・ホテル
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3日目。
部屋から朝日を見ることができました。ホテルピアザびわ湖 宿・ホテル
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部屋の中から見る琵琶湖です。
ホテルピアザびわ湖 宿・ホテル
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坂本城跡公園に車を停めて、坂本城の石垣を見に行きます。こんな細い道を琵琶湖に向かって歩きます。
坂本城址公園 公園・植物園
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大河ドラマ「麒麟が来る」が放送されていた頃には観光客が来たのかもしれません。今は道案内の文字も消えていました。
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琵琶湖の水位が低くなった時だけ、ここに石垣の遺構が現れるそうです。残念ながら、見ることができませんでした。
坂本城は水城で、城内から直接舟に乗って安土城へ向かうことができたと考えられています。
ホテルピアザびわこのすぐ近くに義仲寺というお寺があります。木曽義仲と巴御前、松尾芭蕉のお墓があります。今日は義母の法事があるので、行くことができず、残念でした。 -
法事のあと、「ザ ホテル東山」の中にある「ナナノイチ」で会食です。ランチコース8,400円が開業記念価格で7,200円。割引価格とはいえ結構な値段です。こんな機会でなければ絶対に食べません。
前菜はカンパチのカルパッチョか豚ロース肉のしゃぶしゃぶ仕立てから選べます。
焼きたてのパンもとても美味しいです。THE HOTEL HIGASHIYAMA KYOTO TOKYU, A Pan Pacific Hotel 宿・ホテル
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こちらはポタージュスープ。
THE HOTEL HIGASHIYAMA KYOTO TOKYU, A Pan Pacific Hotel 宿・ホテル
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オマール海老のロースト。
THE HOTEL HIGASHIYAMA KYOTO TOKYU, A Pan Pacific Hotel 宿・ホテル
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国産牛の網焼き、ワサビ仕立て。最後にデザート。
どれもこれも、本当に美味しかったです。THE HOTEL HIGASHIYAMA KYOTO TOKYU, A Pan Pacific Hotel 宿・ホテル
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会食の後、すぐに京都を離れ安土城城郭資料館に来ました。開館時間は17時までで16時半が最終入館時間ですが、ギリギリでした。
安土城が20分の1のスケールで再現されています。安土城郭資料館 美術館・博物館
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安土城の復元図屏風などがありました。
安土城郭資料館 美術館・博物館
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コンフォートイン近江八幡です。僅かな金額の差なのでツインハイクラスの部屋にしました。ツインエコノミーの2倍の広さがあります。
コンフォートイン近江八幡 宿・ホテル
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お風呂も洗い場が別です。
コンフォートイン近江八幡 宿・ホテル
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4日目。朝食は900円。
コンフォートイン近江八幡 宿・ホテル
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安土城跡。8時半、一番乗りです。ここから405段の階段が始まります。入り口で杖を持って行くように言われました。
大手道の幅は6m。道の両脇に側溝があります。安土城跡 名所・史跡
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前田利家の屋敷跡と伝わる所です。ここは虎口(玄関口)だそうです。
安土城跡 名所・史跡
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大手道を挟んで向かい側は秀吉の屋敷跡です。
安土城跡 名所・史跡
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杖が助かります。
安土城跡 名所・史跡
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階段には石仏も使われています。
安土城跡 名所・史跡
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この石には祀?祖?と見える文字が刻まれています。
安土城跡 名所・史跡
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天守台跡です。
安土城跡 名所・史跡
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摠見寺三重塔。室町時代の建物で、棟札に1454年建立で、信長公が甲賀から移築したものと記されているそうです。
総見寺 寺・神社・教会
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西の湖(にしのこ)が見えます。西の湖は琵琶湖の内湖(ないこ)です。もともとは琵琶湖の一部だったそうです。沿岸流や土砂の堆積などで本湖と隔てられたものを内湖というのだそうです。かっては琵琶湖の周りにいくつもの内湖があり、中でも1番大きな大中湖に安土城は接していたそうです。
琵琶湖の東を信長が抑え、西側の抑えを明智光秀に任せたのでしょうね。安土城跡 名所・史跡
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摠見寺仁王門です。門の中の金剛力士像は頭部内側の造像銘から1467年に作られたものであることがわかるそうです。
総見寺 寺・神社・教会
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安土城天主信長の館に来ました。
織田信長が明智光秀に饗応役を命じ、武田勝頼討伐に功をなした徳川家康や穴山梅雪を安土城にもてなした時の饗応メニューが展示されていました。
家康が安土城に到着してまもなく出された「おちつき膳」の説明は印刷された物でしたが、晩御膳はレプリカの乗ったお膳がいくつも並べられていました。
山海の珍味の並んだいくつものお膳。これらを翌日と合わせて、4回も出したそうです。それは支度が行き過ぎているとして信長の怒りを買ってしまいました。安土城天主信長の館 美術館・博物館
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信長の館には1992年に開催されたスペイン・セビリア万博へ出展された原寸大の安土城天主(5・6階)が展示されています。ここは天主、最上階です。
安土城天主信長の館 美術館・博物館
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屋根には金の鯱。外壁に使われた金箔は10万枚だそうですが、それがどれくらいの量なのか見当がつきません。
安土城天主信長の館 美術館・博物館
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内部は黒漆塗で、豪華絢爛な金壁画で飾れています。
安土城天主信長の館 美術館・博物館
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彦根城へ向かいます。私には記憶が無いのですが、夫は石段が長くて大変だったと言っています。
彦根城 名所・史跡
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太鼓門櫓に着きました。
彦根城 名所・史跡
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天守閣が見えます。現存12天守のうちの一つです。
徳川家康四天王の1人、井伊直政の息子である井伊直次が築城しました。幕末に桜田門外ノ変で暗殺された井伊直弼は彦根城の13代当主です。彦根城 名所・史跡
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彦根城から見た佐和山です。石田三成の佐和山城があったところです。佐和山城は北国街道や東山道、南方の犬上郡の一帯を見渡す監視哨としても重要な役割を果たしていたとのことです。近年の研究で佐和山城の石垣が彦根城の正面部分に使われていることがわかっているそうです。政権交代を誇示する意味があったと見られているようです。
彦根城 名所・史跡
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天秤櫓と廊下橋です。天秤櫓は左右が対称で天秤のような形をしているところから、この名があり、日本の城郭でこの形をした櫓は彦根城にしか見られないそうです。
橋はいざという時の落とし橋です。彦根城 名所・史跡
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米原市に大谷吉継の首塚があるので寄っていきたかったのですが、時間が無いため諦めて関ヶ原へ急ぎました。古戦場記念館も歴史民俗資料館も入館時間の4時を過ぎてしまっていました。
島左近の陣地です。島左近陣跡 名所・史跡
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すぐ近くに石田三成の本陣跡があります。広い場所に東軍、西軍の各武将の陣地が点在しています。
石田三成陣跡 名所・史跡
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島津の退き口として、その撤退の武勇を知られる島津義弘陣跡です。
島津義弘陣跡<島津の退き口ゆかりの地> 名所・史跡
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関ヶ原では数羽のキジがお互いの存在を知らしめるように鳴き声をあげていました。
関ケ原古戦場 開戦地 名所・史跡
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名古屋市に戻りました。名古屋城が目の前のKKR名古屋です。
KKRホテル名古屋 宿・ホテル
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5日目、最終日です。
名古屋城に来ました。
名古屋城天守閣は江戸時代の姿に戻す木造復元工事をするため天守閣には入れません。空襲で消失した後、1959年に鉄筋コンクリートで再建された現在の天守閣は築後60年が経過して耐震性に問題があるのだそうです。2018年から閉館になっている天守閣工事の完了は最短でも2032年以降になる見込みだそうですが、まだ再建工事は始まっていません。名古屋城 名所・史跡
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本丸御殿は復元工事が完了しています。
本丸御殿の正式な玄関である一之間は「虎之間」とも呼ばれています。名古屋城 名所・史跡
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壁一面に虎が描かれています。
名古屋城 名所・史跡
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権力の象徴として訪問者を圧倒し、尾張徳川家の威光を示す意図があったと考えられているのだそうです。
名古屋城 名所・史跡
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上洛殿一の間。上洛殿は本丸御殿が建った約20年後に、三代将軍・家光が京都に向かう途中で名古屋城に宿泊するために増築された部屋だそうです。
一の間は将軍が家臣や親族と対面したりする時に使われた部屋で隣の将軍の座る上段の間より一段低くなっています。名古屋城 名所・史跡
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こちらが上洛殿の上段の間です。
名古屋城 名所・史跡
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廊下にも至る所に意匠が凝らされています。
名古屋城 名所・史跡
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釘の頭を隠すための「釘隠し」にも細かな細工。
名古屋城 名所・史跡
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加藤清正は名古屋城の石垣普請だったそうです。
場内最大の巨石は加藤清正が巨石を運んだという伝承に基づいて清正石(きよまさいし)と呼ばれています。
ですが、本当はこの石垣の持ち場は黒田長政だったそうです。名古屋城 名所・史跡
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二の丸庭園では名古屋おもてなし武将隊が演舞を披露していました。
名古屋城 名所・史跡
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KKR名古屋ホテルに戻ってレストランで昼食をいただきました。
KKRホテル名古屋 宿・ホテル
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KKRホテル名古屋 宿・ホテル
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帰りは新東名ではなく東名高速で帰りました。
お目当てはここ、富士川サービスエリアから見る富士山です。
でも、せっかくの富士山が黄砂の影響で霞んでいます。
残念( ; ; )富士川サービスエリア 道の駅
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歴史に全く興味の無かった私が退職後に夫の影響で少しづつ歴史に興味を持つようになりました。
信長、光秀、三成、家康の足跡を辿った今回の旅は、私たち夫婦にとって、とても楽しい充実したものでした。
海老名付近で大渋滞。全く進む気配がありません。
旅の終わりにはまだ少し時間がかかりそうです。
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