2025/04/12 - 2025/04/12
38位(同エリア525件中)
pedaruさん
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- 旅行記443冊
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小金井公園は一週間前に満開を迎えた桜が、辛うじて咲き残り、訪れる人を愛想よく迎えてくれる。満開もいいけど、蕾の時も希望を与えられるし、花吹雪のときは潔ぎよさを教えられる。でも何と言っても満開がベストだ。
公園のスピーカーは迷子のお知らせを流していた。どんなにかわいい子でも拾われてサーカスに売られてしまうという事は
今ではほとんど聞かない。角兵衛獅子に売られてしまうことも少なくなった。少なくなった?じゃあ少しはまだあるんかい?
美空ひばりを御覧なさい、小さいときは角兵衛獅子だったよね。
笛にうかれて 逆立ちすれば
山が見えます ふるさとの
わたしゃ孤児(みなしご) 街道ぐらし
ながれながれの 越後獅子
この歌を聞くと涙が止まらない、可哀そうでたまらない。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自転車 JRローカル 私鉄
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
https://youtu.be/lkUO3AGnBXo
奄美の高倉
奄美大島にあった高床式の倉庫です。湿気や鼠の害から穀物を守るために、建物本体を地面から高く上げています。
お寺の鐘つき堂のようなシンプルな形です。
鹿児島県大島郡宇検村 江戸時代末期ごろ -
倉庫は屋根の中にあり、梯子をかけて上ります。
柱はアカモモと呼ばれる硬い木でできています。
元は保谷市にあった民俗学博物館にあったが、同館の閉鎖にともない
ここに移築されたという悲しい運命をたどっています。 -
吉野家(牛丼屋さんではありません、農家です)
江戸時代後期に建てられた民家です。 -
吉野家は江戸時代に野崎村の名主役を務めた家と言われ、式台付きの玄関や(付け書院)のある奥座敷に格式を見ることが出来ます。(式台とは玄関の床と土間との間に段差を解消し上がりやすくした板です)
三鷹市野崎二丁目 江戸時代後期 -
おや、屋根の上に小さな屋根が見えますね。お勝手の煙抜きじゃないか?
-
「正解です、さすがですね、タモリさん」
土間には大きな火鉢というか囲炉裏のような物があり、木の丸太が椅子として使われいます。農作業姿で、座敷に上がらずに暖を取ったと思われます。 -
板の間のお勝手です。土間のとは別に上に囲炉裏や藻かまどがあります。
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このあたりは幕府および尾張徳川家の鷹場となって江戸時代中期ごろから開発がすすめられたと言う。
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神棚があります。
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大きな囲炉裏です。使用人も含めて大勢の人が働いていたと思われます。
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座敷を覗いて見ましょう、部屋数も多く、上層の農家であることが窺がえます。
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床の間には仮名混じり文の額が掛かっています。当家の物かは分かりません。
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薄暗い部屋には日本人形が置いて行かれたように飾られています。
なんとなく不気味です。 -
ぎゃーっ 顔が光りました。・・・・外の光が写っただけでした。
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綱島家 (農家)
多摩川をのぞむ崖線上にあった広間型の間取りを持つ茅葺屋根の民家です。
広間と土間堺の長方形断面の大黒柱や、オシイタと言う古い形式の板などから
建物の歴史が感じられます。 -
時期によっては軒下に大根などを干しています。
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建物の案内板です。
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木造の大きな家屋が枝越しに見えています。ちょっと、普通の家ではあるまい。
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こちら側の正門からお邪魔します。
公共機関の門柱のようです。 -
凝った造りの玄関です。欄間、窓枠、扉の透かしなど。
三井八郎右衛門邸です。
名前からして凄い。 -
見学者が多いせいか、下駄箱が、いや、今ではそう呼ばないか、靴入れが用意されています。
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部屋に入るとき、ふと見ると上がり框に象嵌を施した床がさりげなくありました。
これだけでも、大変な手間をかけて工作しています。 -
幅1mはあろうかと思われる自然木の一枚板を使用した絵のかかれた戸があります。
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美術館にあるような水墨画が壁を飾っています。
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長押の釘隠しが素晴らしい。大名の御殿でよく見かけますね。
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ドアの透かしです。
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二階に上がるための階段の部屋、柱の間隔がせまくて、あたかも城のようです。
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豪壮な棟、
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一枚板に描かれた飛ぶ鳥の図。
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嫁入りの時に持参したかもしれない豪華な漆塗りの行李です。行李?
行李といえば柳行李しか知らないので、呼び名に自信はありません。 -
茶道具をいれる箪笥、長持ち、
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階段はやはり庶民の家とは違い重厚です。傷もついていないので、あまり利用してなかったのですかね。
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食堂でしょうか?欄間が瀟洒で素敵です。
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壁、襖、置物など贅を尽くしています。しかし、お金をかけるのと
センスの良さを表現するのは別物です。 -
センスのいい窓
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廊下からは自慢の日本庭園が見渡せます。
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また出ました、一枚板にクジャクの絵が描かれています。
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外の緑が見える素敵な日本間です。
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置く場所に困った鹿のブロンズ像
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庭の入り口にこのような物が建っています。一個の天然石を削り出したものと
思われます。
日本庭園の入り口を飾るにふさわしいか?この石の塊そのものがどれだけの
価値を有するのか、どこがいいのか私には解りません。 -
この径は庭の中央へと誘います。
-
港区西麻布に1952年(昭和27)に建てられた邸宅です。
客間と食堂部分は1897年頃京都に建てられ、戦後に港区へ移築されたものです。
港区西麻布三丁目 -
植え込みをカリカリ(刈り刈り)刈り込んで、円い坊主のようなのがたくさん並んでいる大名庭園よりはおおらかでいいですねー。
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パンフレットにも使われる素敵なアングルです。
-
レトロなバスが保存展示されていました。
中村メイコが歌っていた「田舎のバス」の歌を思い出します。
この歌を知っているのは全国民の0.2%くらいでしょうか? -
常盤台写真場
健康住宅地として開発された郊外住宅地常盤台に建てられた写真館です。
スタッフが感じよくようこそと出迎えてくれました。 -
照明設備が発達していない当時、最も安定した照度を得るために、二階写場の北側に大きな窓を設け、一定の光量となるようにすりガラスがはめこまれています。
板橋区常盤台一丁目 1937年 -
これがその写場です。大きな窓です。
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館内には新しいエレベーターが設置されています。「どうぞ、ご自由にご利用ください」と私にだけ言ってくださいましたが、気恥ずかしくて利用しませんでしたが、
折角だからと思い、下りは乗ってみました。 -
居間や食堂など生活の場もあります。
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ここは台所、昔の釜もなつかしいガスコンロもありました。
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おなじみの長火鉢
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おしゃれな床の間
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園内にはピンクいろの八重桜が咲いていました。
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ふと見ると、むこうに お祭りのお神輿のような建物がありました。
-
旧自証院霊屋 きゅうじしょういんおたまや
尾張藩主徳川光友の正室千代姫が、その母お振の方(三代将軍徳川家光の側室)を供養するために建立した霊廟建築です。
新宿区富久町 1652年 -
子宝湯 足立区千住にあった銭湯です。
玄関には神社仏閣を思わせる唐破風が乗っています。 -
開業は1929年(昭和4年)、建物は施主が出身地の石川県から職人を連れてきて造らせたと言います。
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まず女湯から覗いて見ます。こらこら、覗いてはいけません!!
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銭湯らしく高い天井、女湯らしく赤ちゃんに着替えさせるベビーベッドがあります。
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火照った体で見上げる絶景の絵に癒されます。
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入浴料金の表が掲げてあります。
大人 12歳以上 金十五円
小人 五歳以下 金六円
婦人洗髪料 金十円 -
脱いだ着物はこの篭に入れて棚に上げます。
そうそう、着物を入れる前に、この籠を逆さまにしてトントンと床に当てました。
みんなそうしていました。中のゴミが落ちると思ったのでしょう。単に気分の問題
ですね。
体重計もあります。今日は十五貫もあったわよ。なんてね -
番台です、男の憧れの場所です(笑)。
おかみさんが座っていたり、ご主人がいたりします。ときには看板娘の
里美ちゃんが座っています。
お金を払うとき、ちらっと番台越しに向こうの脱衣場が見えたりします♪ -
さて、こちらは男湯です。お風呂屋の定番、富士山の景色です。
雪を頭に被り、松原がみぎわを飾っています。
きれいに再現されていますが、実際は絵の下部に帯状に何軒もの広告があるのです。
坂名鮮魚店、夏冬薪炭氷店、噂新聞店、たたき大工工務店、塩味漬物店、男前理髪店
いろいろありましたね。
この地域の特徴でしょうか?女湯と男湯の境の壁が低いですね。立ち上がれば
すっかり見渡せます。千住まで出かけたかったー。
(実際に傍に立って見たわけではありませんので、意外と隣は見えないのかもしれません。なんだ、pedaruの言っていることは信用ならん、などと叱られないように予防線を張ります。) -
浴室部分には大正から昭和にかけて東京の先進的な銭湯が取り入れたといわれるタイル絵がはめ込まれています。
-
男湯側の脱衣場には趣向をこらした坪庭がついていました。
私の頃には湯上りにこの庭を見ながら、片手を腰に当て、コーヒー牛乳などを
飲んだものです。 -
近ごろは急速に銭湯がなくなっています。単に体を洗うだけでなく、娯楽の場として
繁栄してもらいたいと思いました。
つづく
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この旅行記へのコメント (19)
-
- hot chocolateさん 2025/06/04 22:41:44
- 江戸東京たてもの園
- pedaruさま
こんばんは。
江戸後期や明治時代の住まいには、何か懐かしいものを感じますね。
地方に行くと、こういうお宅に出会ったりします。
(保存されているものかな)
茨城県にある、母の実家が、農家ではないのですが、黒光りした
土間と馬の住まい、人間の住まう家に馬もいたような記憶があります。
はるか昔の記憶ですが・・・記憶違いかな・・・?
三井八郎右衛門邸の玄関、和の玄関のようでもあり、洋風を取り入れている
雰囲気も感じられますね。
歴史が感じられる立派なお宅です。
下駄箱・・・今でも下駄箱って言っているような、いないような・・・
子供のころ、銭湯に行っていた記憶があります。
当時は自宅にお風呂がある家は珍しかったような。
お風呂上りはなぜかコーヒー牛乳!
そういえば、市川の菅野に銭湯がありましたが、今でもあるのかな。
hot choco
- pedaruさん からの返信 2025/06/06 06:39:54
- RE: 江戸東京たてもの園
hot chocolateさん おはようございます。
パソコンが壊れてから電源を切ったままに、パソコンなしでいましたが、今朝
試しにコンセントを指してみると、なんと、治っていました。
やはり、普段慣れたものがいいですね。
そこでhoto chocoさんのコメントを見つけました。
私の母の実家は栃木県にあります。子供のころは何度もいきました。行って家の人に
ちやほやされるのが嬉しかったのです。やはり広い土間と黒光りする大黒柱がありました。
結婚してから子供たちを連れて行くと、牛小屋から発生したハエが顔に止まったりして、子供たちは恐怖におののいていました。
昔は田舎でも銭湯は賑わっていました。子供たちは銭湯に遊びに行っていましたね。
2階が畳敷きになっていてよく遊んだものです。
菅野には菅野湯というのがあり、私も入ったことがあります。永井荷風も入っていたと何かに書いてありました。菅野湯がやめてからもう10年近くたつかもしれません。
銭湯も日本の文化ですが、外国人は嫌がりますね、裸を見られるのが恥ずかしいと言ってました。銭湯も知っているだけでも、何軒かは廃業しています。市川では、私が知っているのは国分の石の湯位なものです。ではこの辺で・・・
pedaru
-
- yamayuri2001さん 2025/05/30 13:58:03
- 銭湯・・・
- pedaruさん、こんにちは。
奄美の高倉に時折、散りかかる花びらが、
とても情緒がありますね。
三井八郎右衛門邸は、門構えからして、すごい豪邸ですね。
田舎のバスの歌は、田舎のバスはおんぼろ車と言う歌詞ですか?
その部分だけだけれど、幼い頃に聞いたことがあります。
0.2%ではなく、12%ぐらいではないでしょうか。
女の人は髪を洗ったら、染髪料を取られたんですね。
お湯をたくさん使っちゃうからと言う理由なんでしょうか。
測りの上にかごが載っているのは、
多分赤ちゃんの体重を量るものなんでしょうね。
各家庭に、赤ちゃんの体重計なんてなかった時代ですよね。
銭湯はある意味、社交場のような役割もあったんでしょうね。
現代もお風呂の王様のような娯楽施設があるけれど、
そこで、知らない人と喋る機会は全くないですよね。
もともとシャイだった日本人が、
もっとシャイになってしまったのか。
それとも、スマホが、
日本人の他人に対する興味を奪ってしまったのか?
私はやっぱり直接喋る派なので、
スマホを見つめている人生には、寂しさを感じてしまいます。
yamayuri2001
- pedaruさん からの返信 2025/05/31 15:42:28
- RE: 銭湯・・・
yamayuri2001さん こんにちは
先日テレビで中村メイコさんをお見掛けしました。
私でももう古い人間の部類に入るのに、メイコさんはまだお元気でおしゃべりをしていました。五月生まれなのでメイコと名付けたそうですね。
誰でもそうですが、小さい子は母親が銭湯に連れて行きましたから、男の子でも平気で女湯に入っておりました。恥ずかしさを知らないなんて、あんな時代なんですね。
永井荷風は市川市の菅野というところに住んでいましたから、お風呂も銭湯で菅野湯というところに通っていたようです。
時代は大分ずれますが、私の店も菅野にありましたので、菅野湯には入ったことがあります。荷風が最後に食事をした食堂の大黒屋も駅の近くにありました。一度はいって食事をしておくんだったなぁ、とおもっています。
私の次兄は出版関係の仕事をしていましたので、本が好きでしたが、電車の中で本を読んでいる人を見かけない、などと嘆いています。
スマホでも小説を読んだりできますが、若い人はほとんどゲームだという
情報もありますね。いいのか、わるいのか?youtubeを見過ぎると馬鹿になるという人がいますが、実際、私もyoutubeを見ていると、止められなくなり、このごろ馬鹿になった気がします(笑)。
pedaru
-
- jijidarumaさん 2025/05/30 02:03:04
- 名主の家、三井さん、銭湯文化を連想する
- Pedaruさん、
今晩は。
私の方はだらだらと2008年の古いドイツの旅を書き出し、記憶が薄れた旅を思い出すのに時間がかかり四苦八苦したものですが、Pedaruさんは早々と4編の内3篇を投稿されてしまわれていました。
さて、江戸東京たてもの園の2、気になった建物だけについて、順に感想を述べます。
吉野家は江戸時代に野崎村の名主役を務めた家だとか、江戸後期の建物ながら、式台付きの玄関など、格式を感じました。
青梅の実家も元禄時代からの古文書も残り、村三役(名主、組頭、百姓代)を務めたとありましたからこのような建物だったのか?!ダルマ家も本家は衰退し、分家が力を付けて、その後村長や市長となっています。我が家の昔話に生糸相場で失敗し、農地解放で土地を無くしてしまったと聞き及びます。私が育った頃、父は貧乏な教師(父は師範学校出ですから、奉職と共に直ぐに管理職でしたけど)でした。同じ分家で力のあった家は長屋門を構えていたそうで、家内はその門前を歩いて中学に通ったと言います。
薄暗い部屋には日本人形が置かれていますが、同じ人形が実家の掛け軸をかけた座敷にヌシ然としてありましたね。
三井八郎右衛門邸はすごいですが、三井財閥の総帥の家にしては意外に地味な感じをうけました。
八郎右衛門はWikiによると、三井家総領家である北家の当主が代々名乗った名前だそうで、港区西麻布(旧・麻布笄町)にあった総領家三井八郞右衞門高公邸(11代たかきみ・・1895~1992年、1952年築)を東京都小金井市にある「江戸東京たてもの園」に移築し、一般公開されているとあります。
妻の鋹子(としこ:1901年-1976年)は旧福井藩主・越前松平家第18代当主・松平康荘の長女だったので、嫁入り道具を長持に入れて運んだのでしょう。
三井家は三井十一家もあるそうで、うろ覚えの昔の記憶では三井高??さんと言う方が食糧部だった?かにおられた。
子宝湯は千住にあった銭湯の由、これは入りにくいような、立派な銭湯ですね。
新婚時代を青梅線の中神や中央線の小金井で過ごしましたが、借家の部屋に風呂が無くて、時に応じて銭湯通いをしました。だが銭湯がどのようなものだったか、全く覚えていない。
雨の日や寒い時期はお互いに外で一人待つのは嫌で、そそくさと風呂に入り、銭湯の雰囲気を楽しむ事も無く、出てきてしまった覚えがあります。
それもあって、短い期間を居住した後、横浜の社宅(風呂付)に引っ越してしまった。
だから銭湯文化が分からないのです。
写真を拝見すると、なんとも立派過ぎて!畏れ多い銭湯に見える。Pedaruさんは坪庭を見ながら、片手を腰に当て、コーヒー牛乳を飲んだ由、そんな優雅な事をしていたとは!!
それではまた。
jijidaruma
- pedaruさん からの返信 2025/05/31 14:55:40
- RE: 名主の家、三井さん、銭湯文化を連想する
jijidarumaさん こんにちは
ご自分の旅行記の記憶をたどるのに四苦八苦していると仰せですが、記憶をたどるだけでなく、完全主義者のjijidarumaさんのことですから、資料なども完全でなければ気が済まない性格で、私とは真逆かと思われます。
私の場合メモや日記などはほとんどなく、写真の日付、時間などのデータのみを熟読して、あの時の状況を思い出します。フィルムのデータはすごいですね、かなりの情報を含んでいます。時系列も含んでいるのはもちろん、
ホテルで失敗した経験も手に取る様に思い出させてくれますね。
古い建物裏側にはその家の歴史が厳然として控えておりますね。私の実家でもどこにでもあるようなものを大切にして、良いように想像して家の歴史など語ります。家に家系図などないのに、仏壇のなかには元和元年の位牌などがあり、間違って紛れ込んだものかもしれないのに、先祖は大阪夏の陣で活躍したかもしれない、などと語っております。
お寺は榊田康政の墓のある由緒正しい寺らしいですが、長兄が最近亡くなってから、その長女が何を思ってか、墓じまいしたいなどと言ってきました。男子がいないこともあって、我が家はこれまでかと、思った次第です。
市内に住んでいることだし、墓じまいの必要が無いと思うのですが、流行の波に乗ろうとしているのかもしれません。
銭湯の思い出は子供の頃のことになりますが、群馬の平野部でも、冬は空風の吹く寒い夜など、濡れ手ぬぐいを広げて歩くと、ぱりぱりの板のように凍ってしまったものです。
風呂屋には二階があって、大人は湯上りに将棋をさしたり、昼寝をしたり、子供はかくれんぼをしたりしていました。安い湯銭で遊べました。
父などは自宅に内風呂が出来ても、おしゃべりしたくて、銭湯に毎日いっていましたね。のどかな時代でした。
pedaru
- pedaruさん からの返信 2025/05/31 16:30:14
- RE: RE: 名主の家、三井さん、銭湯文化を連想する
- 榊原康政の間違いでした。お詫びして訂正いたします。
- jijidarumaさん からの返信 2025/06/01 01:00:45
- 館林藩10万石と榊原康政の菩提寺
- pedaruさん、
今晩は。わざわざの御訂正了解です。
勿論、あの名前は徳川家康の4天王の将・榊原康政であるのは分かりました。
というより榊田を普通に榊原と読んでしまっていた。
その榊原康政の墓は館林の善導寺にあると、調べてみると城址にも近く、すごい墓石が残る名刹ですね。御実家の墓がこの寺にあるのも多分歴史と格式あるお家なのでしょう。家の歴史はどこの家でも語り部がいて、ずっと語り継がれてきています。御先祖が大阪夏の陣で活躍したといった事も存外真実かもしれませんよ。
我が家も父の実家を遡ると武田の武将が帰農したとの話も残ります。
ともあれ、名刹での墓じまいはpedaruさんも何やら残念に思われている様子、私もそれを感じます。
昔の人は養子制度をうまく利用して、家や墓も代々守ってきました。私の実家は母が曽祖母の家に養女に入り、父を婿に迎えています。過去帳や戸籍を見ると、そうしたケースが度々見受けられました。(こうした事を知ったのはなんと70代になって、母の日記や古文書を読み、戸籍を調べたからでした)
我が家(私は次男坊)は娘二人を嫁に出してしまったから、孫5人のうちの一人でも良いから養子にと思うのですよ。
さて、榊原家館林藩は10万石の町ゆえ、良い町ですね。
何故か、入社したての頃、彼女(今の家内)と2人で有名な、広大な「つつじが岡公園」のツツジ見物に行ったことがあります。
ここのツツジと、「証城寺の狸囃子」のモデルになったお寺として知られた茂林寺に加えて館林城跡を見た記憶があります。
その時の若い若い背広姿!の写真もアルバムにあるのですが・・・(笑)。
旧秋元別邸、足尾鉱毒事件田中正造記念館などもあったようですが、訪れていません。
先日、家内の母の17回忌で青梅に帰った際に、茨城の古河公方の町、平将門の遺跡など巡りました。考えてみれば、館林藩は古河藩にも近いではないですか!寄ってみればよかった。
それではまた。
ちょっとはずみで、また調べてしまいました。時間がかかるはずです。
jijidaruma
- pedaruさん からの返信 2025/06/01 13:24:42
- RE: 館林藩10万石と榊原康政の菩提寺
jijidarummaさん
ちょっとはずみを提供してしまいました(笑)。こんなに反応の良い人はまれです。館林も城下町ですので、多少は記念碑になるものもありましたが
文化の程度が高くないので、江戸時代の箱火の見櫓、三の丸をはじめとする堀、武家屋敷、その他は破却されました。私の青年期にはまだありました。
善導寺はもともと館林駅前にありましたが、寺の老朽化のため檀家に経済的負担をかけないよう、現在地、つまり東北道の舘林出口付近に移転しました。あまり話題にはなりませんが、墓を掘って移転するときに、ある豪商の家の墓に、その家の奥様が埋葬されていましたが、まだ若い女性だったためか、全身を和紙で包み漆を多用して埋めたため、発掘時には死んだときのままだったそうです。空気に触れた途端腐食がはじまり、埋葬許可をとって
焼却したそうです。
NHKスペシャルなどで放送して欲しかったですね。貴重な記録になりそうです。
現在でも寺の土地は広大で街の一等地を所有しているため、檀家はあまり寄付などしないで済んでいるようです。できれば我が家など、経済的支援を
希望していますが、さすがこれは叶いません。お布施を値切るくらいしか
支援はありません(笑)。
つでに余談ですが、寺が移転した時、葵の紋のついた巨大な瓦を無断で頂いております。今となっては単に邪魔になるだけですので、庭の石の後ろに置いてあります。住職は兄の同級生の子供ですから、叱られる恐れはありません。私もはずみで余計な話をしてしまいました。お邪魔しました。
pedaru
-
- しにあの旅人さん 2025/05/20 20:12:21
- なつかしの銭湯
- 「田舎のバス」知っている0.2%の一人です。
知っている、あるいは使っていたモノがいっぱい出てきます。こういうモノが晴れて展示の対象になるということは、私たちそのものがもはや古き良き時代の忘れ物ということです。
ナンマイダブ。
こういう土間も見たことあります。
我が家は農家ではなかったのですが、どうして知っているのだろう。
一時期親戚のおばさんの家に預けられていたことがあります。あそこがこんなだったかもしれません。東京のすぐ近くでした。
板の間のお勝手も、なにやら記憶の底に揺らめいています。もうちょっとで鮮明に思い出しそうです。
漆塗りの豪華な箱。担ぐための棹を通す金具がないので、嫁入りようの長持ではないみたい。だいいちこんなでかいもの、担げますかね。
見たことありません。こういうものが必要なお金もちは近くにいなかった。
立派な銭湯ですね。
もっと貧弱な銭湯なら行ったことがあります。
ご幼少のみぎりは、祖母に連れられて女湯に入っていました。こんなりっぱなベビーベッドがあったかな。
奥の出入り口から三助さんが堂々と女湯に入ってきて、おばさんたちの背中を流していました。
三助というのは、銭湯の従業員でも最も格上の職種だったそうです。
だれもなんにも言いませんでした。
みなさんそういうものだと思っていたみたい。
間の仕切りはもうちょっと高かったかもしれませんが、多少のぞいたところで問題なかったのかもしれません。
のどかな時代でした。
銭湯ではどうして風呂上がりにコーヒー牛乳を飲むのでしょう。
記憶にあるのです。
中庭もこんなあつらえだったような気がします。
- pedaruさん からの返信 2025/05/21 05:42:14
- RE: なつかしの銭湯
しにあの旅人さん おはようございます。
昔のことを話すと、どうしてこんなに楽しいのでしょう?チコちゃんに訊いてみたいですね。
銭湯がきっかけで、しにあさんの記憶の糸口が開いてきましたね。
「田舎のバス」これはヒット曲でした。 懐かしいですね。
農家の土間は、母の実家が農家でしたので良く知っています。文字通り土の土間ですが、コンクリート並みの堅さになっていて、どんな物理現象か理解できませんが、必ず表面が五十円玉くらいのつぶつぶ状になっていたのです。
実家は中二階の部屋があって誰も入らないところに黒く煤けた長持ちがありました。祖母か母の嫁入り道具の一つだと思いますが、中に何が入っているのか、怖くて開けられませんでした。ちょうどミイラが入るのにちょうどいい大きさでした(笑)。
いつのまにか三助さんは絶滅したようですが、当時、えーっ?いいのー?と思うくらいの時代錯誤の風習でしたね。私は見たことありませんが、投書などによると、三助が入ってくるとぞっとする、というご婦人の意見があったのを記憶しています。
ご婦人の裸体に囲まれて、男が背中を流す光景があったとは、昭和という時代も歴史の時代でしたね。
pedaru
-
- 旅猫さん 2025/05/20 07:59:45
- 銭湯
- ねもさん、こんにちは。
銭湯、どんどん無くなっていますね。
上野桜木にあった銭湯も、いつの間にかギャラリーになっていました。
あと、気に入っていた函館の大正湯も、2022年に閉業してしまい。。。
寂しいですね。
旅先では、古い民家を観るのが好きで、色々と観ていますが。
考えてみれば、多くは保存されているもの。
人が住んでいる建物は、どんどん数を減らしています。
時代の流れでしょうが、最近の建物は、時を経ても味は出て来ないと思います。
東京タワーとスカイツリーも、東京タワーは文化財として残りそうですが、スカイツリーは古くなれば取り壊されるでしょう。
旅猫
- pedaruさん からの返信 2025/05/21 05:10:49
- RE: 銭湯
旅猫さん おはようございます。
東京にしばらく住んでいましたが、昔のことですので、下町はお風呂のある家が少なくて、いやある家を知りませんでした。そこで、仕事が終わると近所の銭湯に行ったものです。
一緒に行った同僚は銭湯で働いている女の子が好きで、かならず牛乳をかって、きゅっと音を立て蓋をあけてもらっていました。
田舎でも大体は子宝湯のような立派な造りで、銭湯が地域の娯楽施設だったようです。
先日実家で法事があり、昔の町の写真を見ましたが、家は整然と並び、
江戸時代からの箱火の見やぐらもあって、美しい街でしたが、今見ると
取り壊したまま、跡地は駐車場になっていました。
pedaru
-
- フィーコさん 2025/05/19 08:08:07
- 見所多し
- pedaruさん おはようございます。
江戸東京たてもの園
見どころ多い建物達ですね。
桜も咲いて時期はバッチリ。
破風が立派だったり皆お金持ちのおウチばかり。
保存されるのだから当たり前ですね。
気になったのは銭湯の
「婦人洗髪料 10円」
女性が髪を洗うのに別料金ですか。
そう言えば、祖母は1ヶ月に一度
パーマ屋さんで髪を洗ってもらい
椿油でコテコテに固めていました。癖っ毛だったので今みたいな性能のいいドライヤーなどなかったし。日本髪が結えなくて苦労したようです、そんなことを思い出しました。
フィーコ
- pedaruさん からの返信 2025/05/19 11:41:33
- RE: 見所多し
フィーコさん こんにちは
女性の洗髪料の決まりは今はないのですか?今どき銭湯も珍しいので
「ないのですか?」と聞かれても困ると思いますが・・
女性の髪は長い物、と決まっていましたから、女性だけがお金をとられたのでしょうね。日本髪時代の決まりだったのでしょう?
そういえばオードリーヘップバーンが人気の時、ヘップバーンカットというのが流行って皆短くしていましたが、それでも女性は洗髪料をはらっていたようです。(私の記憶です)
日本髪といえば、土曜日に実家で法事があり、家にあった枕が話題にのぼりました。塗りものの木の箱の上に、ちくわを太くしたような枕がついている、日本髪には必須のいわゆる箱枕があったという話です。その他、矢立もあったよね、写真では日露戦争に行った祖父の軍服の姿がありました。
建物園で昔の物を見たので、古い物の話題になりました。
そうそう、古い物の代表はpedaruそのものだと気付きました。
pedaru
-
- pedaruさん 2025/05/19 06:48:20
- 潤沢な市民税を生かして古民家再生
- ElliEさん おはようございます。
寝て起きたら夜中に小人さんがお便りを書いておいてくださいました。
ご実家が近くなんですね、そういえばやつれた物件は見ることが出来ない新しい街に思えました。市民税もみなさん正直に申告して、その一部でたてもの園を維持しているのですね。65歳以上は半額だったと思います。
お好きな家があるそうですが、たぶんそれも写真に収めていると思います。
あまりにも楽しくて克明に写真を撮ってしまいましたから。たった一か所の園で膨大な写真の数、我ながらあきれて大分削除しましたが、4編にわけて編集しました。
人生は短いというのに、こんなことしていていいのでしょうか?(笑)。
後半にいくほどつまらなくなる旅行記ですが、期待せずにお待ちください。
pedaru
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- norisaさん 2025/05/19 06:01:42
- 下駄箱
- pedaruさん
おはようございます。
こんな施設があるのですね。
古民家から三井さんのお宅、さらには銭湯まで保存されているのですね。
それにしても下駄箱という言い方。
私もおんなじ単語を使ってしまいます。
下駄など小学生で大人の下駄を借りてはいた記憶しかないのにーー(苦笑)
今はまだそこらに多数ある銭湯ですが、あと数十年で死滅しそうですね。
残るのは大手のXXX温泉物語とかXXの湯などの娯楽施設のみでしょう。
そう考えるとこの銭湯が最も貴重な建物かもしれませんね。
続きはどこへ行かれるのかな??
norisa
- pedaruさん からの返信 2025/05/19 07:15:12
- Re: 下駄箱
- norisaさん おはようございます。
norisaさんも早起きなんですね、私の場ありわがままな猫が無理に起こしに来るので仕方なく早起きしています。
早く起きてもパソコンを覗けば、も一つの世界があって、知り合いのあの人もこの人も旅行に出かけてその報告を見ることが出来て楽しみです。
下駄箱、庶民的な響きですねー。板の上には乾いた土が落ちていそうです。
それに比べて靴入れ、などというのはお坊ちゃん、お嬢ちゃんしか利用しない感じです。例えばnorisa坊ちゃん、などという。
私の子供の頃は、ほんとに下駄を履いていたのです、田舎ということもあり
靴を履いている子はわずかでした。「あのやろう、靴なんか履きやがって、」などと言っていじめたものです(笑)。あっ これは捏造でした。
銭湯といえば、我が町に住んでいた永井荷風が良く通ったという菅野湯が近年までありましたが、なんどか入ったことがあります。
市川市でも私が知っているだけでも何軒も閉店になっています。
(閉店と言う言葉でいいのでしょうか?)
pedaru
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- ElliEさん 2025/05/19 02:46:05
- 楽しみ!
- こんにちは!
実家方面なので、子供のころはよく小金井公園へ行ったし、たてもの園も何度か行っています。
建物萌には、うれしく見応えのあるところですよね。
じっくり見てたら1日中遊べそうです。
旅行記1、2 と見てきましたが、私のお気に入りの「あの建物」は、出てこないなあ。って思ってたら、つづきがあるんですね!
楽しみにしてます!
西武新宿駅。そういえば、初めての人には見つけにくいかな。
駅っぽい感じしないし、人もお店も多いし。いろんな行き方があるし。
無事見つけられてよかったですね。
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