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国立慶州博物館は、ソウルの国立中央博物館に次いで韓国で2番目の規模の博物館です。<br />「新羅歴史館」「新羅美術館」「月池館」「野外展示場」の4エリアに別れており、先史時代から新羅にいたるまでの遺物や仏教美術の工芸品、墓から発掘された金冠や冠飾りなど10万点以上の遺跡物を所蔵し、約3千点が常設展示されています。<br /><br />旅の全体日程は以下のとおりです。<br />1日目:成田空港→釜山金海空港→(慶州泊)<br />2日目:石窟庵、仏国寺、国立慶州博物館(慶州泊)<br />3日目:南山石仏群(慶州泊)<br />4日目:金冠塚、大陵苑、芬皇寺、皇龍寺跡、瞻星台→(金海泊)<br />5日目:大成洞古墳群、国立金海博物館→釜山金海空港→成田空港<br />

慶州、金海 ②慶州:国立慶州博物館

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2025/03/12 - 2025/03/12

559位(同エリア663件中)

旅行記グループ 慶州、金海

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この旅行記のスケジュール

2025/03/12

  • 路線バス

  • 路線バス

この旅行記スケジュールを元に

国立慶州博物館は、ソウルの国立中央博物館に次いで韓国で2番目の規模の博物館です。
「新羅歴史館」「新羅美術館」「月池館」「野外展示場」の4エリアに別れており、先史時代から新羅にいたるまでの遺物や仏教美術の工芸品、墓から発掘された金冠や冠飾りなど10万点以上の遺跡物を所蔵し、約3千点が常設展示されています。

旅の全体日程は以下のとおりです。
1日目:成田空港→釜山金海空港→(慶州泊)
2日目:石窟庵、仏国寺、国立慶州博物館(慶州泊)
3日目:南山石仏群(慶州泊)
4日目:金冠塚、大陵苑、芬皇寺、皇龍寺跡、瞻星台→(金海泊)
5日目:大成洞古墳群、国立金海博物館→釜山金海空港→成田空港

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.5
グルメ
4.5
交通
4.0
同行者
一人旅
交通手段
高速・路線バス
旅行の手配内容
個別手配
  • 国立慶州博物館です。<br />仏国寺から10番のバスに乗れば博物館の前のバス停を通るのですが、11番のバスが来たので、まずはこれに乗って途中で乗り換えることにしました。<br />「Pal-Ujeong」というバス停で降り、道路の反対側のバス停に移動しました。なお、一つ手前のバス停で降りてもよかったようです。<br />最初に来たバスの運転手に、&quot;National Museum?&quot;と尋ねました。<br />通じませんでしたが、バスの系統番号が博物館の前を通りそうなものであることを事前にバス停で見ていたので、そのまま乗車しました。<br />すると、時間調整のためか数分間このバス停に停車している間に、運転手がスマホの翻訳画面で「どこに行きたいのですか?」と聞いてくれました。<br />旅程表の博物館の部分のハングル表記を見せたところ、即理解してくれました。最初からそうしておけばよかったです。<br />ちなみに、降車時に&quot;National Museum&quot;と音声アナウンスがありました・・・。

    国立慶州博物館です。
    仏国寺から10番のバスに乗れば博物館の前のバス停を通るのですが、11番のバスが来たので、まずはこれに乗って途中で乗り換えることにしました。
    「Pal-Ujeong」というバス停で降り、道路の反対側のバス停に移動しました。なお、一つ手前のバス停で降りてもよかったようです。
    最初に来たバスの運転手に、"National Museum?"と尋ねました。
    通じませんでしたが、バスの系統番号が博物館の前を通りそうなものであることを事前にバス停で見ていたので、そのまま乗車しました。
    すると、時間調整のためか数分間このバス停に停車している間に、運転手がスマホの翻訳画面で「どこに行きたいのですか?」と聞いてくれました。
    旅程表の博物館の部分のハングル表記を見せたところ、即理解してくれました。最初からそうしておけばよかったです。
    ちなみに、降車時に"National Museum"と音声アナウンスがありました・・・。

  • 月池館は工事のため休館です。

    月池館は工事のため休館です。

  • まずはカフェで休憩です。

    まずはカフェで休憩です。

  • 新羅美術館です。

    新羅美術館です。

  • 新羅美術館は新羅のきらびやかな美術文化と歴史をご覧いただける展示館です。<br />1階の仏教彫刻室では、新羅の仏教彫刻の美しさと多彩な視覚的特徴を「歴史」「伝説」「浄土」の3つのテーマで紹介しています。仏教の力で国を守るという思想や、新羅の人々の暮らしに寄り添って伝説となった仏と菩薩の物語、仏教の理想郷である浄土からの希望と慰めのメッセージを伝えます。

    新羅美術館は新羅のきらびやかな美術文化と歴史をご覧いただける展示館です。
    1階の仏教彫刻室では、新羅の仏教彫刻の美しさと多彩な視覚的特徴を「歴史」「伝説」「浄土」の3つのテーマで紹介しています。仏教の力で国を守るという思想や、新羅の人々の暮らしに寄り添って伝説となった仏と菩薩の物語、仏教の理想郷である浄土からの希望と慰めのメッセージを伝えます。

  • エントランスホールに、石窟庵の十一面観音菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩、梵天、帝釈天の複製が展示されています。

    エントランスホールに、石窟庵の十一面観音菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩、梵天、帝釈天の複製が展示されています。

  • 栢栗寺から発掘された異次頓殉教碑です。<br />新羅の仏教公認のために命を賭した異次頓僧侶の殉教する姿を描いた絵が彫られています。

    栢栗寺から発掘された異次頓殉教碑です。
    新羅の仏教公認のために命を賭した異次頓僧侶の殉教する姿を描いた絵が彫られています。

  • 異次頓の物語が投影されていました。

    異次頓の物語が投影されていました。

  • 八部衆像:慶州昌林寺址 / 統一新羅9世紀

    八部衆像:慶州昌林寺址 / 統一新羅9世紀

  • 四天王像:慶州邑城 / 統一新羅8世紀

    四天王像:慶州邑城 / 統一新羅8世紀

  • 金剛力士像:慶州九皇洞寺址 / 統一新羅7世紀

    金剛力士像:慶州九皇洞寺址 / 統一新羅7世紀

  • 金剛力士像の破片(顔、腕、手):慶州石窟庵 / 統一新羅751年頃

    金剛力士像の破片(顔、腕、手):慶州石窟庵 / 統一新羅751年頃

  • 千佛小塔:慶州石窟庵 / 統一新羅751年頃

    千佛小塔:慶州石窟庵 / 統一新羅751年頃

  • 獅子像:慶州芬皇寺 / 統一新羅8世紀

    獅子像:慶州芬皇寺 / 統一新羅8世紀

  • 【博物館公式サイト】<br />弥勒三尊仏:慶州南山 / 新羅 / 高さ160.0㎝ (本尊弥勒仏)<br />1925年、慶州南山長倉谷のある石室から移されてきた。真ん中の本尊の姿勢が特異だが、このように椅子に座っている姿勢[倚子座]は三国時代の仏像の中で唯一である。中国の6~7世紀の仏像の中にもこのような姿勢をした仏像があるが、大部分弥勒仏なので、『三国遺事』の記録と中国の例から推察して本尊仏も弥勒仏と推定する。左右の菩薩は4頭身の小さな体格で蓮華を手に握って立っている。頭には三つの花装飾がある宝冠を被り、身体に比べて大きな顔にはあどけない微笑が見られる。丈夫な材質の花こう岩を利用して彫刻したにもかかわらず、あたかも生きているような温もりが感じられる新羅の代表的な石仏である。

    【博物館公式サイト】
    弥勒三尊仏:慶州南山 / 新羅 / 高さ160.0㎝ (本尊弥勒仏)
    1925年、慶州南山長倉谷のある石室から移されてきた。真ん中の本尊の姿勢が特異だが、このように椅子に座っている姿勢[倚子座]は三国時代の仏像の中で唯一である。中国の6~7世紀の仏像の中にもこのような姿勢をした仏像があるが、大部分弥勒仏なので、『三国遺事』の記録と中国の例から推察して本尊仏も弥勒仏と推定する。左右の菩薩は4頭身の小さな体格で蓮華を手に握って立っている。頭には三つの花装飾がある宝冠を被り、身体に比べて大きな顔にはあどけない微笑が見られる。丈夫な材質の花こう岩を利用して彫刻したにもかかわらず、あたかも生きているような温もりが感じられる新羅の代表的な石仏である。

  • 石像仏立像:慶州南山王井谷 / 統一新羅8世紀

    石像仏立像:慶州南山王井谷 / 統一新羅8世紀

  • 石像薬師仏立像:慶州南山Osan-gye / 統一新羅9世紀

    石像薬師仏立像:慶州南山Osan-gye / 統一新羅9世紀

  • 石像薬師仏座像:慶州狼山 / 統一新羅

    石像薬師仏座像:慶州狼山 / 統一新羅

  • 石像仏立像:慶州邑城 / 統一新羅8世紀

    石像仏立像:慶州邑城 / 統一新羅8世紀

  • 【博物館公式サイト】<br />十一面観音菩薩:慶州狼山 / 統一新羅 / 高さ200.0cm<br />『朝鮮古蹟図譜』によれば、この仏像は慶州狼山の衆生寺に伝わる寺跡付近で三尊形式石仏の右側の脇侍菩薩と確認されたが、現在、本尊と左側の脇侍菩薩の所在は不明である。<br />頭の上に中央の化仏を中心に前後に回りながら11体の化仏が一列に彫刻されており、このような配置は中国や日本では見られない特異なものである。浄瓶を握っている左腕と左足は最近推定復元したものである。

    【博物館公式サイト】
    十一面観音菩薩:慶州狼山 / 統一新羅 / 高さ200.0cm
    『朝鮮古蹟図譜』によれば、この仏像は慶州狼山の衆生寺に伝わる寺跡付近で三尊形式石仏の右側の脇侍菩薩と確認されたが、現在、本尊と左側の脇侍菩薩の所在は不明である。
    頭の上に中央の化仏を中心に前後に回りながら11体の化仏が一列に彫刻されており、このような配置は中国や日本では見られない特異なものである。浄瓶を握っている左腕と左足は最近推定復元したものである。

  • 【博物館公式サイト】<br />「薬師如来の浄土」では、ドーム型の天井をもつ八角形の聖所のような空間を作り、栢栗寺薬師如来像を展示しています。高さ180㎝にのぼる栢栗寺薬師如来像は造形的な完成度が高く、新羅の仏教彫刻を代表する名品と評されています。薬師如来の美しい姿は悟りと清浄な瑠璃光世界(薬師如来の浄土)を表し、新羅の人々だけでなく現在の私たちにも慰めと安らぎを与えてくれます。

    【博物館公式サイト】
    「薬師如来の浄土」では、ドーム型の天井をもつ八角形の聖所のような空間を作り、栢栗寺薬師如来像を展示しています。高さ180㎝にのぼる栢栗寺薬師如来像は造形的な完成度が高く、新羅の仏教彫刻を代表する名品と評されています。薬師如来の美しい姿は悟りと清浄な瑠璃光世界(薬師如来の浄土)を表し、新羅の人々だけでなく現在の私たちにも慰めと安らぎを与えてくれます。

  • 【博物館公式サイト】<br />薬師仏:慶州栢栗寺 / 統一新羅 8世紀後半 / 高さ179.0㎝<br />この薬師仏は仏国寺の阿弥陀仏、毘盧遮那仏と共に統一新羅時代を代表する金銅仏像に数えられる。等身大の大きさであるにもかかわらず、鋳造と彫刻が優れ全体的な比例も優秀である。しかし、量感が節制された仏身と形式化された衣服のしわ表現などから、量感が豊かで身体の屈曲を強調した8世紀中盤の盛唐様式の仏像とは異なり、8世紀後半のものと推定される。

    【博物館公式サイト】
    薬師仏:慶州栢栗寺 / 統一新羅 8世紀後半 / 高さ179.0㎝
    この薬師仏は仏国寺の阿弥陀仏、毘盧遮那仏と共に統一新羅時代を代表する金銅仏像に数えられる。等身大の大きさであるにもかかわらず、鋳造と彫刻が優れ全体的な比例も優秀である。しかし、量感が節制された仏身と形式化された衣服のしわ表現などから、量感が豊かで身体の屈曲を強調した8世紀中盤の盛唐様式の仏像とは異なり、8世紀後半のものと推定される。

  • 【博物館公式サイト】<br />半跏思惟像:慶州松花山 / 新羅 / 現在高さ125.0㎝<br />慶州松花山にある金庾信将軍墓斎室である金山斎に伝えられてきた。現在、頭と両腕は破損して残っていないが、椅子に座った姿勢で右足を左膝の上に上げた半跏思惟像である。上半身は裸で装飾のない首飾りが陽刻で施されている。台座は、下部は円形で上部は四角形であり、下段の円形台座から続いている蓮華の上に左足を上げている。この像は慶北大学校博物館所蔵の慶北奉化北枝里出土の半跏思惟像と共に出土地が確かな新羅の代表的な半跏思惟像である。

    【博物館公式サイト】
    半跏思惟像:慶州松花山 / 新羅 / 現在高さ125.0㎝
    慶州松花山にある金庾信将軍墓斎室である金山斎に伝えられてきた。現在、頭と両腕は破損して残っていないが、椅子に座った姿勢で右足を左膝の上に上げた半跏思惟像である。上半身は裸で装飾のない首飾りが陽刻で施されている。台座は、下部は円形で上部は四角形であり、下段の円形台座から続いている蓮華の上に左足を上げている。この像は慶北大学校博物館所蔵の慶北奉化北枝里出土の半跏思惟像と共に出土地が確かな新羅の代表的な半跏思惟像である。

  • 皇龍寺九重塔想像復元模型です。<br />2階の仏教寺院室では、新羅最大の寺だった皇龍寺のほか、芬皇寺、感恩寺、四天王寺などから出土した舎利荘厳具、瓦、煉瓦[塼]などを展示しています。

    皇龍寺九重塔想像復元模型です。
    2階の仏教寺院室では、新羅最大の寺だった皇龍寺のほか、芬皇寺、感恩寺、四天王寺などから出土した舎利荘厳具、瓦、煉瓦[塼]などを展示しています。

  • 【博物館公式サイト】<br />鴟尾:慶州皇龍寺址 / 新羅7世紀 / 高さ182.0㎝<br />鴟尾は屋根の大棟の両端につけられているもので、建物に入ってくる邪悪な気を追い払う辟邪と安全を渇望する願いから製作されるが、装飾性を加えて権威や威厳を象徴したりもする。古代宮殿と寺院建築に鴟尾が本格的に使われた時期は中国の漢代であり、朝鮮半島では三国時代から製作された。<br />この鴟尾は全体的な姿が古代投球形態で皇龍寺址の講堂付近から破片を収拾して復元した。製作年代は統一新羅時代の鴟尾と形態が異なり、また蓮華文の表現から見て新羅時代と推定される。

    【博物館公式サイト】
    鴟尾:慶州皇龍寺址 / 新羅7世紀 / 高さ182.0㎝
    鴟尾は屋根の大棟の両端につけられているもので、建物に入ってくる邪悪な気を追い払う辟邪と安全を渇望する願いから製作されるが、装飾性を加えて権威や威厳を象徴したりもする。古代宮殿と寺院建築に鴟尾が本格的に使われた時期は中国の漢代であり、朝鮮半島では三国時代から製作された。
    この鴟尾は全体的な姿が古代投球形態で皇龍寺址の講堂付近から破片を収拾して復元した。製作年代は統一新羅時代の鴟尾と形態が異なり、また蓮華文の表現から見て新羅時代と推定される。

  • 【博物館公式サイト】<br />皇龍寺木塔址舎利具(刹柱本記):慶州皇龍寺址 / 統一新羅872年頃 / 高さ22.5㎝ 幅94.0㎝<br />皇龍寺木塔址心礎石にあった。刹柱本記は舎利具の内函であり、塔を修築した872年頃制作された。内函は蝶番で結びついた金銅板が四角形の箱の各面を成すが、一面は門のように開けることができるように取手がついている。門の表、裏面には仏と仏法を守護する仁王像と神将像がそれぞれ2体ずつ線彫法で装飾されている。門を除いた3枚の金銅板の表、裏面には皇龍寺9層木塔を建てた経緯、修築に参加した官吏と僧侶の名簿などが記録されている。

    【博物館公式サイト】
    皇龍寺木塔址舎利具(刹柱本記):慶州皇龍寺址 / 統一新羅872年頃 / 高さ22.5㎝ 幅94.0㎝
    皇龍寺木塔址心礎石にあった。刹柱本記は舎利具の内函であり、塔を修築した872年頃制作された。内函は蝶番で結びついた金銅板が四角形の箱の各面を成すが、一面は門のように開けることができるように取手がついている。門の表、裏面には仏と仏法を守護する仁王像と神将像がそれぞれ2体ずつ線彫法で装飾されている。門を除いた3枚の金銅板の表、裏面には皇龍寺9層木塔を建てた経緯、修築に参加した官吏と僧侶の名簿などが記録されている。

  • 翌々日に訪れた「皇龍寺歴史文化館」に、復元品が展示されていました。

    翌々日に訪れた「皇龍寺歴史文化館」に、復元品が展示されていました。

  • 【博物館公式サイト】<br />感恩寺址西塔舎利具:慶州感恩寺址 / 統一新羅682年頃 / 高さ28.0㎝ (外函)<br />1959年に感恩寺址西塔3層塔身石の上面で発見された舎利具である。1996年、東塔からもこれと類似した舎利具が発見された。感恩寺は682年頃、神文王が父の文武王のために建てた寺である。感恩寺で発見されたこの舎利具は、統一新羅の最も優れた金属工芸技術を示している。長方形の外函の中に家形の舎利器があり、舎利を入れる容器の水晶瓶は舎利器の真ん中にある火焰宝珠の中に安置された。舎利外函の四面には四天王像が装飾されていて、舎利器の基壇上面の四隅には楽器を演奏する奏楽像がある。

    【博物館公式サイト】
    感恩寺址西塔舎利具:慶州感恩寺址 / 統一新羅682年頃 / 高さ28.0㎝ (外函)
    1959年に感恩寺址西塔3層塔身石の上面で発見された舎利具である。1996年、東塔からもこれと類似した舎利具が発見された。感恩寺は682年頃、神文王が父の文武王のために建てた寺である。感恩寺で発見されたこの舎利具は、統一新羅の最も優れた金属工芸技術を示している。長方形の外函の中に家形の舎利器があり、舎利を入れる容器の水晶瓶は舎利器の真ん中にある火焰宝珠の中に安置された。舎利外函の四面には四天王像が装飾されていて、舎利器の基壇上面の四隅には楽器を演奏する奏楽像がある。

  • 【博物館公式サイト】<br />青銅製風鐸:慶州感恩寺址 / 統一新羅/高さ27.8cm、口部直径14.7cm/13cm<br />慶州の感恩寺址から出土した統一新羅時代の遺物。原形のまま残っており、上部には風鐸を吊り下げる為のものと思われる小さな穴が開いている。中央には蓮花文が施されている。

    【博物館公式サイト】
    青銅製風鐸:慶州感恩寺址 / 統一新羅/高さ27.8cm、口部直径14.7cm/13cm
    慶州の感恩寺址から出土した統一新羅時代の遺物。原形のまま残っており、上部には風鐸を吊り下げる為のものと思われる小さな穴が開いている。中央には蓮花文が施されている。

  • 【博物館公式サイト】<br />芬皇寺石塔舎利具:慶州芬皇寺 / 新羅634年頃 / 高さ74.0㎝ (石函)<br />芬皇寺は善徳女王の時の634年頃に建てられた寺で、石塔も同じ時期に作られたと推定される。1915年、石塔からで舎利具と各種供養品を入れた石でできた函が発見された。舎利具の中で緑色の琉璃舎利瓶の破片は石塔が初めて作られた当時のものと推定されるが、舎利が入っている銀盒は一緒に発見された銅銭と共に高麗時代に再び入れたと見られる。その他に、水晶、金針、銀針、針筒、はさみ、玉、ピンセット、貝などの供養品が一緒に納入されていた。

    【博物館公式サイト】
    芬皇寺石塔舎利具:慶州芬皇寺 / 新羅634年頃 / 高さ74.0㎝ (石函)
    芬皇寺は善徳女王の時の634年頃に建てられた寺で、石塔も同じ時期に作られたと推定される。1915年、石塔からで舎利具と各種供養品を入れた石でできた函が発見された。舎利具の中で緑色の琉璃舎利瓶の破片は石塔が初めて作られた当時のものと推定されるが、舎利が入っている銀盒は一緒に発見された銅銭と共に高麗時代に再び入れたと見られる。その他に、水晶、金針、銀針、針筒、はさみ、玉、ピンセット、貝などの供養品が一緒に納入されていた。

  • 四天王寺址から出土した緑釉神将像壁塼です。679年のもので、細部がみごとです。<br />四天王寺は高麗初期まで栄えましたが、高麗末期から衰退し、朝鮮時代に廃寺となりました。<br />綠釉神將像は、1915年最初の発見当時、何であるかを把握するのが難しいほど壊れて、破片だけが旧慶州四天王寺の場所に埋もれていました。<br />国立慶州文化財研究所が2006年から2012年まで体系的かつ精密な発掘を行い、200点余りの破片を3次元立体(3D)スキャンし、これを参考に3種類の神將像を復元しました。また、これらが四天王寺の東・西木塔の基壇壁面を飾ったことも明らかになり、3種類の神將像が1組で、東・西木塔の基壇の1面に2組ずつ配置され、総数は48点であることも分かりました。

    四天王寺址から出土した緑釉神将像壁塼です。679年のもので、細部がみごとです。
    四天王寺は高麗初期まで栄えましたが、高麗末期から衰退し、朝鮮時代に廃寺となりました。
    綠釉神將像は、1915年最初の発見当時、何であるかを把握するのが難しいほど壊れて、破片だけが旧慶州四天王寺の場所に埋もれていました。
    国立慶州文化財研究所が2006年から2012年まで体系的かつ精密な発掘を行い、200点余りの破片を3次元立体(3D)スキャンし、これを参考に3種類の神將像を復元しました。また、これらが四天王寺の東・西木塔の基壇壁面を飾ったことも明らかになり、3種類の神將像が1組で、東・西木塔の基壇の1面に2組ずつ配置され、総数は48点であることも分かりました。

  • 新羅歴史館です。

    新羅歴史館です。

  • 新羅歴史館は、紀元前57年から紀元後935年まで朝鮮半島南東部にあった国家、千年王国・新羅に触れることができる展示館です。新羅千年の胎動を紹介している第1展示室、新羅の黄金文化にスポットを当てている第2展示室、三国統一と大いに隆盛した統一新羅の文化を紹介している第3展示室(3a、3b)からなります。また、文化遺産の美しい共有を自ら実践した菊隠・李養璿博士の寄贈文化財を展示している菊隠記念室もご覧いただけます。

    新羅歴史館は、紀元前57年から紀元後935年まで朝鮮半島南東部にあった国家、千年王国・新羅に触れることができる展示館です。新羅千年の胎動を紹介している第1展示室、新羅の黄金文化にスポットを当てている第2展示室、三国統一と大いに隆盛した統一新羅の文化を紹介している第3展示室(3a、3b)からなります。また、文化遺産の美しい共有を自ら実践した菊隠・李養璿博士の寄贈文化財を展示している菊隠記念室もご覧いただけます。

  • 琵琶型銅剣:紀元前8~7世紀

    琵琶型銅剣:紀元前8~7世紀

  • 首飾り:慶州月城路 / 新羅4~5世紀

    首飾り:慶州月城路 / 新羅4~5世紀

  • 【博物館公式サイト】<br />首飾り:慶州味鄒王陵C地区4号墓 / 新羅5世紀 / 長さ41.6㎝<br />墓の主人の胸部から出土した。一つの紐で縛られているが、材質、形態、大きさ、色で相当な違いが見られる。瑪瑙製の勾玉、多面玉、丸玉、碧玉製の管玉、水晶製の棗玉、琉璃製の丸玉が一つに結びついている。色も赤色、青色、緑色など多様である。特に琉璃製丸玉の中には直径が1.8㎝に達する大型玉も含まれているが、その表面に青・黄・赤・白の色琉璃で人の顔と鴨、花紋などを精巧に作って付けた。

    【博物館公式サイト】
    首飾り:慶州味鄒王陵C地区4号墓 / 新羅5世紀 / 長さ41.6㎝
    墓の主人の胸部から出土した。一つの紐で縛られているが、材質、形態、大きさ、色で相当な違いが見られる。瑪瑙製の勾玉、多面玉、丸玉、碧玉製の管玉、水晶製の棗玉、琉璃製の丸玉が一つに結びついている。色も赤色、青色、緑色など多様である。特に琉璃製丸玉の中には直径が1.8㎝に達する大型玉も含まれているが、その表面に青・黄・赤・白の色琉璃で人の顔と鴨、花紋などを精巧に作って付けた。

  • 直径が1.8㎝の琉璃製丸玉の表面に付けられている、青・黄・赤・白の色琉璃で作られた人の顔、鴨、花紋などです。<br />驚嘆すべき技術と思います。

    直径が1.8㎝の琉璃製丸玉の表面に付けられている、青・黄・赤・白の色琉璃で作られた人の顔、鴨、花紋などです。
    驚嘆すべき技術と思います。

  • 【博物館公式サイト】<br />装飾宝剣:慶州鶏林路14号墓 / 新羅5世紀 / 長さ36.0㎝<br />慶州鶏林路14号積石木槨墓から出土した。本来は取っ手がついた柄や鞘に木が付着していたが腐ってなくなった。鞘と柄には薄い金版を全面に着せて、再び小さい金版をたてて付け、波・木の葉・円・楕円・太極紋などを作って組み合わせた。このような紋には赤い瑪瑙製と材質不明の宝石がちりばめられている。全体的に幾何学的な紋の美しさと共に宝石の赤色と灰色および金版の金色が交わって派手ながらも高級な感じを与える。

    【博物館公式サイト】
    装飾宝剣:慶州鶏林路14号墓 / 新羅5世紀 / 長さ36.0㎝
    慶州鶏林路14号積石木槨墓から出土した。本来は取っ手がついた柄や鞘に木が付着していたが腐ってなくなった。鞘と柄には薄い金版を全面に着せて、再び小さい金版をたてて付け、波・木の葉・円・楕円・太極紋などを作って組み合わせた。このような紋には赤い瑪瑙製と材質不明の宝石がちりばめられている。全体的に幾何学的な紋の美しさと共に宝石の赤色と灰色および金版の金色が交わって派手ながらも高級な感じを与える。

  • 【博物館公式サイト】<br />曽獣形土器:慶州、鄒王陵第3墳C区画/新羅5世紀/高さ14.0cm<br />須恵器の足の上部に想像上の動物が描かれた形土器で、須恵器の胴部は亀の形、頭部と尾部は龍の形をしている。 この動物の形をした壺は、高句麗の古墳壁画に描かれた四神の玄武を想起させることが多く、古墳を守る特別な意味を持つ土器として作られたとする説が一般的である。 壺の内部は空洞で、背面には漏斗状の注ぎ口があり、胸からノズル状の取っ手が垂れ下がっていることから、当時は釜型の道具として使われていたと考えられている。

    【博物館公式サイト】
    曽獣形土器:慶州、鄒王陵第3墳C区画/新羅5世紀/高さ14.0cm
    須恵器の足の上部に想像上の動物が描かれた形土器で、須恵器の胴部は亀の形、頭部と尾部は龍の形をしている。 この動物の形をした壺は、高句麗の古墳壁画に描かれた四神の玄武を想起させることが多く、古墳を守る特別な意味を持つ土器として作られたとする説が一般的である。 壺の内部は空洞で、背面には漏斗状の注ぎ口があり、胸からノズル状の取っ手が垂れ下がっていることから、当時は釜型の道具として使われていたと考えられている。

  • 金冠:慶州校洞 / 新羅5世紀

    金冠:慶州校洞 / 新羅5世紀

  • これまでに、新羅の金冠は6個発見されています。<br />左:慶州校洞、右:皇南大塚北墳

    これまでに、新羅の金冠は6個発見されています。
    左:慶州校洞、右:皇南大塚北墳

  • 左:金鈴塚、右:瑞鳳塚

    左:金鈴塚、右:瑞鳳塚

  • 左:金冠塚、右:天馬塚

    左:金冠塚、右:天馬塚

  • 皇南大塚南墳の副葬品の配置を再現したものです。

    皇南大塚南墳の副葬品の配置を再現したものです。

  • 【博物館公式サイト】<br />高杯:慶州皇南大塚北墳 / 新羅5世紀 / 高さ9.1㎝<br />貴金属製高杯は土で焼いたものと非常に類似している。これらは蓋が別途にない形態で、全て貴金属板を叩いて作った。口は鋭くなく外へ少し畳んで枠を作り、枠の下に七個の瓔珞を付けた。脚は下から上まで互いに交錯するように四つずつ四角形の穴をあけ、上下穴の間に金板を折って二列の突帯を表現した。脚の下部には別途にU字形に畳んだ枠を挿し込んだ。皿と脚は、脚の上部を尖らせて皿に穴をあけてから、互いに挿し込んで組み立てた。

    【博物館公式サイト】
    高杯:慶州皇南大塚北墳 / 新羅5世紀 / 高さ9.1㎝
    貴金属製高杯は土で焼いたものと非常に類似している。これらは蓋が別途にない形態で、全て貴金属板を叩いて作った。口は鋭くなく外へ少し畳んで枠を作り、枠の下に七個の瓔珞を付けた。脚は下から上まで互いに交錯するように四つずつ四角形の穴をあけ、上下穴の間に金板を折って二列の突帯を表現した。脚の下部には別途にU字形に畳んだ枠を挿し込んだ。皿と脚は、脚の上部を尖らせて皿に穴をあけてから、互いに挿し込んで組み立てた。

  • 【博物館公式サイト】<br />肱甲:慶州皇南大塚南墳 / 新羅5世紀 / 高さ34.9㎝ 重量181.0g(左側肱甲)<br />真ん中の付属具は前腕を保護し、肘側が広くて手首側が狭い。この付属具には中心線に沿って蕾紋を浮き彫りにして刻んだ。手首を覆う付属具は真ん中の付属具の両側に蝶番を付け、手首の内側から紐をかけてはめられるように三つ並べて付けた。鎧の付属具である肱甲は新羅の墓から金銅製、銀製、鉄製が出土し、その形が概して類似している。

    【博物館公式サイト】
    肱甲:慶州皇南大塚南墳 / 新羅5世紀 / 高さ34.9㎝ 重量181.0g(左側肱甲)
    真ん中の付属具は前腕を保護し、肘側が広くて手首側が狭い。この付属具には中心線に沿って蕾紋を浮き彫りにして刻んだ。手首を覆う付属具は真ん中の付属具の両側に蝶番を付け、手首の内側から紐をかけてはめられるように三つ並べて付けた。鎧の付属具である肱甲は新羅の墓から金銅製、銀製、鉄製が出土し、その形が概して類似している。

  • 金冠と帯:慶州天馬塚 / 新羅6世紀

    金冠と帯:慶州天馬塚 / 新羅6世紀

  • 【博物館公式サイト】<br />金冠:慶州天馬塚 / 新羅6世紀 / 高さ32.5㎝ 重量1,262.6g(冠)<br />新羅の典型的な「金製帯冠」である。 金冠塚の出土品と類似しているが、出字形立飾りの節が四つであり、幹と枝の間が狭くて過密な点が異なる。この「金製帯冠」は材料を非常に効率的に利用して出字形立飾りを作り、どんなものよりも瓔珞と勾玉がたくさんついている。この「金製帯冠」は後の段階に制作された形式であり、デザイン的に完成度が高く華やかなものと評価されている。

    【博物館公式サイト】
    金冠:慶州天馬塚 / 新羅6世紀 / 高さ32.5㎝ 重量1,262.6g(冠)
    新羅の典型的な「金製帯冠」である。 金冠塚の出土品と類似しているが、出字形立飾りの節が四つであり、幹と枝の間が狭くて過密な点が異なる。この「金製帯冠」は材料を非常に効率的に利用して出字形立飾りを作り、どんなものよりも瓔珞と勾玉がたくさんついている。この「金製帯冠」は後の段階に制作された形式であり、デザイン的に完成度が高く華やかなものと評価されている。

  • 帯:銙板と腰佩で構成された典型的な新羅の帯飾で、銙板は三葉紋を透かし彫りにし、バックルと連結した最初の装飾板にだけ瓔珞を付けました。腰佩には長い六面体をはめたキャップ、勾玉、円筒形キャップ、琉璃玉、毛抜き、竜模様を刻んだ小さな刃物、香や薬を入れた袋や魚などがついています。

    帯:銙板と腰佩で構成された典型的な新羅の帯飾で、銙板は三葉紋を透かし彫りにし、バックルと連結した最初の装飾板にだけ瓔珞を付けました。腰佩には長い六面体をはめたキャップ、勾玉、円筒形キャップ、琉璃玉、毛抜き、竜模様を刻んだ小さな刃物、香や薬を入れた袋や魚などがついています。

  • 【博物館公式サイト】<br />冠装飾:慶州天馬塚 / 新羅6世紀 / 高さ45.0㎝ 重量270.1g<br />金冠塚の出土品と非常に似た鳥の翼の形をした冠装飾である。前板と両側の翼には変形した竜模様が刻まれているが、金冠塚のものよりはるかに抽象化され、唐草文に似ていて全て非対称である。瓔珞は前面にだけ付いており、頭巾に挟む部位には金釘が打ち込まれている。

    【博物館公式サイト】
    冠装飾:慶州天馬塚 / 新羅6世紀 / 高さ45.0㎝ 重量270.1g
    金冠塚の出土品と非常に似た鳥の翼の形をした冠装飾である。前板と両側の翼には変形した竜模様が刻まれているが、金冠塚のものよりはるかに抽象化され、唐草文に似ていて全て非対称である。瓔珞は前面にだけ付いており、頭巾に挟む部位には金釘が打ち込まれている。

  • 【博物館公式サイト】<br />金冠帽:慶州天馬塚 / 新羅6世紀 / 高さ19.0㎝ 重量398.0g<br />この金冠は本来有機質で芯を作ってその表面を金版で覆い重ねた「頭巾形態の冠帽」である。現在は表面を飾った金版だけ残っている状態である。頭巾はいくつかの薄い金版を組み合わせて整えたが、正面部位にだけ金版を当て重ねていない。これは冠装飾を挟む五角形の板によって頭巾の正面部位が遮られているためである。覆い重ねた金版は多様な文様を透かし彫りで刻み、芯の有機質の頭巾が見えるようにした。純金で頭巾全体を整えた「頭巾形態の冠帽」は、これと慶州金冠塚の出土品が代表的なものである。

    【博物館公式サイト】
    金冠帽:慶州天馬塚 / 新羅6世紀 / 高さ19.0㎝ 重量398.0g
    この金冠は本来有機質で芯を作ってその表面を金版で覆い重ねた「頭巾形態の冠帽」である。現在は表面を飾った金版だけ残っている状態である。頭巾はいくつかの薄い金版を組み合わせて整えたが、正面部位にだけ金版を当て重ねていない。これは冠装飾を挟む五角形の板によって頭巾の正面部位が遮られているためである。覆い重ねた金版は多様な文様を透かし彫りで刻み、芯の有機質の頭巾が見えるようにした。純金で頭巾全体を整えた「頭巾形態の冠帽」は、これと慶州金冠塚の出土品が代表的なものである。

  • 【博物館公式サイト】<br />冠装飾:慶州天馬塚 / 新羅6世紀 / 高さ23.0㎝ 重量138.6g<br />鳥の翼と蝶の模様を合わせたような独特の形態の冠装飾である。一枚の金版を利用して左右対称になるように作った。瓔珞は針仕事をするように金糸でいくつかをつなげてぶら下げた。

    【博物館公式サイト】
    冠装飾:慶州天馬塚 / 新羅6世紀 / 高さ23.0㎝ 重量138.6g
    鳥の翼と蝶の模様を合わせたような独特の形態の冠装飾である。一枚の金版を利用して左右対称になるように作った。瓔珞は針仕事をするように金糸でいくつかをつなげてぶら下げた。

  • 金銅製鞍橋装飾

    金銅製鞍橋装飾

  • 【博物館公式サイト】<br />胸飾り:慶州天馬塚 / 新羅6世紀 / 全長64.0㎝<br />墓の主人の胸部から出土した。胸側はU字型にぶら下げて、両端の一部は背中の後ろに垂らした。青色の丸玉と中が空いた金製玉をつなげて六列に構成し、四角の柱の金装飾を中間に入れて胸側は五列、背中側は三列になるように固定した。胸側と背中側の先には碧玉製勾玉を一点ずつぶら下げて装飾性を高めた。このような胸飾りは新羅の支配階層の象徴的な副葬品としてよく愛用された。

    【博物館公式サイト】
    胸飾り:慶州天馬塚 / 新羅6世紀 / 全長64.0㎝
    墓の主人の胸部から出土した。胸側はU字型にぶら下げて、両端の一部は背中の後ろに垂らした。青色の丸玉と中が空いた金製玉をつなげて六列に構成し、四角の柱の金装飾を中間に入れて胸側は五列、背中側は三列になるように固定した。胸側と背中側の先には碧玉製勾玉を一点ずつぶら下げて装飾性を高めた。このような胸飾りは新羅の支配階層の象徴的な副葬品としてよく愛用された。

  • 【博物館公式サイト】<br />垂飾:慶州味鄒王陵C地区4号墓 / 新羅5世紀 / 長さ16.8㎝ 重量35.6g(左側垂飾)<br />瓔?で飾った金玉を付けて作った垂飾だが、墓に埋められた後、玉の特性上、乱れて本来の形を完全に復元するのが難しい。貴金属製の玉は主に首飾りによく使われるが、意外にも垂飾に使われた。垂飾の一番下には勾玉を付けた。今までは一般的な垂飾と違って環がないものだと知られてきた。しかし、発掘状況から見て、一緒に出土した太環耳飾と合わさって一つの垂飾を成した可能性が高いと判断される。

    【博物館公式サイト】
    垂飾:慶州味鄒王陵C地区4号墓 / 新羅5世紀 / 長さ16.8㎝ 重量35.6g(左側垂飾)
    瓔?で飾った金玉を付けて作った垂飾だが、墓に埋められた後、玉の特性上、乱れて本来の形を完全に復元するのが難しい。貴金属製の玉は主に首飾りによく使われるが、意外にも垂飾に使われた。垂飾の一番下には勾玉を付けた。今までは一般的な垂飾と違って環がないものだと知られてきた。しかし、発掘状況から見て、一緒に出土した太環耳飾と合わさって一つの垂飾を成した可能性が高いと判断される。

  • 壬申誓記石:慶州錫杖洞 / 6世紀から7世紀<br />新羅国内で漢字を使用するのは高句麗や百済よりかなり遅れ、6世紀とみられます。真興王代に新羅の辺境に建てられた4個の巡狩碑(真興王拓境碑)には、漢字を音借した人名や地名がみられ、1934年に慶州の北郊で発見された「壬申誓記石」と呼ばれる独特の朝鮮漢文から儒教教育の実情と独自の文体を知ることができます。545年には新羅で初めて国史が編纂され、漢学が新羅に定着したことを伝えています。

    壬申誓記石:慶州錫杖洞 / 6世紀から7世紀
    新羅国内で漢字を使用するのは高句麗や百済よりかなり遅れ、6世紀とみられます。真興王代に新羅の辺境に建てられた4個の巡狩碑(真興王拓境碑)には、漢字を音借した人名や地名がみられ、1934年に慶州の北郊で発見された「壬申誓記石」と呼ばれる独特の朝鮮漢文から儒教教育の実情と独自の文体を知ることができます。545年には新羅で初めて国史が編纂され、漢学が新羅に定着したことを伝えています。

  • 【博物館公式サイト】<br />十二支像-亥:伝慶州金庾信墓 / 統一新羅8世紀 / 高さ40.8cm<br />金庾信墓と伝えられている墓の周りから出土した十二支像である。現在、金庾信墓には平服姿の十二支像が彫られた石が墓の護石に囲まれているが、このように蝋石製の十二支像一体を墓の周囲に別に埋めて二重に配置したのは珍しい例である。<br />十二支像の中で豚を描写したもので、この他に馬と兎像がさらに発見された。猪の頭形状に鎧をかけて武器を持ったまま岩形の岩座の上に立っている武将形の像である。長方形の前面に繊細に彫刻した量感が際立っている。頭は右に向いていて、口を若干開けて、尖った犬歯が見える。長袖となびく天衣が躍動感にあふれている。

    【博物館公式サイト】
    十二支像-亥:伝慶州金庾信墓 / 統一新羅8世紀 / 高さ40.8cm
    金庾信墓と伝えられている墓の周りから出土した十二支像である。現在、金庾信墓には平服姿の十二支像が彫られた石が墓の護石に囲まれているが、このように蝋石製の十二支像一体を墓の周囲に別に埋めて二重に配置したのは珍しい例である。
    十二支像の中で豚を描写したもので、この他に馬と兎像がさらに発見された。猪の頭形状に鎧をかけて武器を持ったまま岩形の岩座の上に立っている武将形の像である。長方形の前面に繊細に彫刻した量感が際立っている。頭は右に向いていて、口を若干開けて、尖った犬歯が見える。長袖となびく天衣が躍動感にあふれている。

  • 【博物館公式サイト】<br />面文円瓦当當:慶州霊妙寺址 / 新羅 / 現在長さ11.5㎝<br />面文円瓦当當は分厚い唇と上に上がった口元、こけた頬、少し突き出た瞳が互いに交わって純真な微笑を浮かべている。顔の形状をした軒瓦を屋根の上に上げた理由は邪悪な気を追い払おうとする意図で製作したと見られる。<br />この瓦は日帝強占期に霊妙寺址から出土したと伝えられる。瓦の製作年代は外側に広い枠を設けて高い温度で焼いた点、顔の量感がそのまま生きている点から推測して三国時代と推定される。

    【博物館公式サイト】
    面文円瓦当當:慶州霊妙寺址 / 新羅 / 現在長さ11.5㎝
    面文円瓦当當は分厚い唇と上に上がった口元、こけた頬、少し突き出た瞳が互いに交わって純真な微笑を浮かべている。顔の形状をした軒瓦を屋根の上に上げた理由は邪悪な気を追い払おうとする意図で製作したと見られる。
    この瓦は日帝強占期に霊妙寺址から出土したと伝えられる。瓦の製作年代は外側に広い枠を設けて高い温度で焼いた点、顔の量感がそのまま生きている点から推測して三国時代と推定される。

  • 鴨形土器:慶州校洞 / 原三国

    鴨形土器:慶州校洞 / 原三国

  • 野外の展示物です。<br />【博物館公式サイト】<br />聖徳大王神鐘:統一新羅771年頃 / 高さ365.8㎝ 口径223㎝ 重量18.9トン<br />聖徳大王神鐘は771年恵恭王の時に作られた梵鐘で奉徳寺鐘ともいう。統一新羅時代の梵鐘の模範といえる優れた傑作の聖徳大王神鐘は、当時の優秀な金属工芸技術を示している。鐘をかける環は龍鈕であり、竜の首の後には音筒がある。鐘の上、下には派手で流麗な牡丹唐草文帯を施し、九つの蓮華を取り囲んでいる四つの蓮廓帯にも同じ牡丹唐草文を満たした。蓮廓帯の下には互いに向かい合って座って取っ手の付いた香炉を持っている供養天人像2組がある。供養天人像の間には鐘を製作することになった理由と鐘の制作に参加した人々の名前などを示す1,000余字の銘文が彫られた。

    野外の展示物です。
    【博物館公式サイト】
    聖徳大王神鐘:統一新羅771年頃 / 高さ365.8㎝ 口径223㎝ 重量18.9トン
    聖徳大王神鐘は771年恵恭王の時に作られた梵鐘で奉徳寺鐘ともいう。統一新羅時代の梵鐘の模範といえる優れた傑作の聖徳大王神鐘は、当時の優秀な金属工芸技術を示している。鐘をかける環は龍鈕であり、竜の首の後には音筒がある。鐘の上、下には派手で流麗な牡丹唐草文帯を施し、九つの蓮華を取り囲んでいる四つの蓮廓帯にも同じ牡丹唐草文を満たした。蓮廓帯の下には互いに向かい合って座って取っ手の付いた香炉を持っている供養天人像2組がある。供養天人像の間には鐘を製作することになった理由と鐘の制作に参加した人々の名前などを示す1,000余字の銘文が彫られた。

  • 羅漢像:慶州邑城 / 統一新羅8~9世紀

    羅漢像:慶州邑城 / 統一新羅8~9世紀

  • 【博物館公式サイト】<br />石槽:慶州興輪寺址 / 統一新羅 / 高さ177.0cm 幅392.0cm<br />石槽は寺院で水を入れて蓮華を植える容器に使われたと推定しているが、その用途は正確に知られていない。概して長方形または半円形の形態である。この石槽は新羅最初の寺院である興輪寺にあったもので幅が392㎝であり、韓国内で知られているものの中で最も大きい。石槽の上面と側面には朝鮮時代に刻んだ文字が陰刻されている。

    【博物館公式サイト】
    石槽:慶州興輪寺址 / 統一新羅 / 高さ177.0cm 幅392.0cm
    石槽は寺院で水を入れて蓮華を植える容器に使われたと推定しているが、その用途は正確に知られていない。概して長方形または半円形の形態である。この石槽は新羅最初の寺院である興輪寺にあったもので幅が392㎝であり、韓国内で知られているものの中で最も大きい。石槽の上面と側面には朝鮮時代に刻んだ文字が陰刻されている。

  • 高仙寺は新羅第31代、神文王の時代に創建された寺です。元々は暗谷洞という場所にありましたが、ダム工事のため地域が水没してしまうことになり、1975年博物館へ移設されました。三層石塔、金堂(本堂)址、亀趺などが残されています。

    高仙寺は新羅第31代、神文王の時代に創建された寺です。元々は暗谷洞という場所にありましたが、ダム工事のため地域が水没してしまうことになり、1975年博物館へ移設されました。三層石塔、金堂(本堂)址、亀趺などが残されています。

  • 【博物館公式サイト】<br />高仙寺三層石塔:慶州高仙寺址 / 統一新羅 / 高さ1020㎝<br />高仙寺三層石塔は感恩寺東西三層石塔と共に統一新羅時代の一般型石塔の始原様式と評価されている。複数の石材を互いに組み合わせて積む方式を適用して、二重の基壇部と三層の塔身部を表現した。一層塔身石の四面には門扉が彫られていて、表面には金銅板などを付着するための小さな穴がある。石塔移転当時に三層塔身石から舎利孔が確認されたが、舎利具は発見されていない。

    【博物館公式サイト】
    高仙寺三層石塔:慶州高仙寺址 / 統一新羅 / 高さ1020㎝
    高仙寺三層石塔は感恩寺東西三層石塔と共に統一新羅時代の一般型石塔の始原様式と評価されている。複数の石材を互いに組み合わせて積む方式を適用して、二重の基壇部と三層の塔身部を表現した。一層塔身石の四面には門扉が彫られていて、表面には金銅板などを付着するための小さな穴がある。石塔移転当時に三層塔身石から舎利孔が確認されたが、舎利具は発見されていない。

  • バスでホテルに戻り、休憩後この店で夕食にしました。

    バスでホテルに戻り、休憩後この店で夕食にしました。

  • 今夜もクッパです。

    今夜もクッパです。

  • 指さしで、1番上の10,000wonのものを注文しましたが、後でスマホの翻訳機能で見てみると、10,000 wonのものは鶏肉のみ、13,000 wonのものはそれに鮑か蛸が加えられているものでした。メニュー写真よく見ると蛸があります。鮑のを食べてみたかったです。

    指さしで、1番上の10,000wonのものを注文しましたが、後でスマホの翻訳機能で見てみると、10,000 wonのものは鶏肉のみ、13,000 wonのものはそれに鮑か蛸が加えられているものでした。メニュー写真よく見ると蛸があります。鮑のを食べてみたかったです。

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