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与謝野晶子<br />『かまくらや御仏なれど釈迦牟尼は 美男におはす夏木立かな』

鎌倉の大仏さまは美男かな。久しぶりのデートです。

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2025/03/24 - 2025/03/24

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与謝野晶子
『かまくらや御仏なれど釈迦牟尼は 美男におはす夏木立かな』

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
同行者
家族旅行
交通手段
私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 久しぶりの鎌倉大仏。

    久しぶりの鎌倉大仏。

  • おかわりないご様子。

    おかわりないご様子。

  • 高徳院(鎌倉大仏) 寺・神社・教会

    鎌倉の人気観光スポットです。 by nomonomoさん
  • 胎内に入りました。

    胎内に入りました。

  • 胎内の説明<br />鎌倉大仏は、鎌倉時代の中頃に造られました。 今から750年も前のことです。 胎内に<br />入ると、驚くべき高度の技術を駆使した造像技法が分かります。像が大きいので、30回<br />以上に分けて鋳造しているのですが、 内壁の大きな格子模様は、そのために 「鋳型」を<br />多数並べ、 重ねたことを示しています。 そして、分けて鋳造した個所を強固に鋳継ぐために、<br />「鋳繰り」という他に見られない工夫を凝らした技法が使われています。 「鋳繰り」は、<br />大きく分けて3種類あります (図参照)。<br />1960年(昭和35) 文化財保存の見地から 「昭和の大修理」が行われ、頭部を補強するた<br />めに頸部に強化プラスチック ERPが塗布され、地震に対する対策として、本体と台座の間に<br />ステンレス製の板が敷かれています。<br /><br />銅壁の継ぎ合わせ方 (鋳繰り) にみられる三技法<br />技法 1 (Technique 1)<br />平坦な背部や腹部にみられる技法<br />技法2 (Technique 2)<br />胴部や味にみられる技法<br />技法 3 (Technique 3)<br />肩部にみられる技法<br />

    胎内の説明
    鎌倉大仏は、鎌倉時代の中頃に造られました。 今から750年も前のことです。 胎内に
    入ると、驚くべき高度の技術を駆使した造像技法が分かります。像が大きいので、30回
    以上に分けて鋳造しているのですが、 内壁の大きな格子模様は、そのために 「鋳型」を
    多数並べ、 重ねたことを示しています。 そして、分けて鋳造した個所を強固に鋳継ぐために、
    「鋳繰り」という他に見られない工夫を凝らした技法が使われています。 「鋳繰り」は、
    大きく分けて3種類あります (図参照)。
    1960年(昭和35) 文化財保存の見地から 「昭和の大修理」が行われ、頭部を補強するた
    めに頸部に強化プラスチック ERPが塗布され、地震に対する対策として、本体と台座の間に
    ステンレス製の板が敷かれています。

    銅壁の継ぎ合わせ方 (鋳繰り) にみられる三技法
    技法 1 (Technique 1)
    平坦な背部や腹部にみられる技法
    技法2 (Technique 2)
    胴部や味にみられる技法
    技法 3 (Technique 3)
    肩部にみられる技法

  • ぐるっとひとめぐり。

    ぐるっとひとめぐり。

  • 国宝鎌倉大佛因由<br /><br />この大佛像は阿弥陀仏である。源頼朝の侍女であったといわれる<br />稲多野局が発起し、僧浄光が勧進(資金集め)して造った。零細な<br />民間の金銭を集積して成ったもので、国家や王侯か資金を出して<br />作ったものではない。初めは木造で暦仁元年(1238)に着工し<br />六年間で完成したが、宝治元年(1247)大風で倒れたので、再び資金を<br />集め、建長六年(1292)に至つて現在の青銅の像を鋳造し、大仏殿を<br />造って安置した。原型作者は不明であるが、鋳工として大野五郎右ェ門や<br />丹治久 の名が伝へられる。 大仏殿は建武元年(1334)と應安二年(1369)<br />とに大風に倒れ、その都度復興したが、明應七年(1498)の海潮に<br />流失以来は復興せず、露像として知られるに至った。大正十二年(1923)の大震災<br />には台座が崩れ、仏像は前に傾いたが倒れなかった。大正十四年(1925)台座を補<br />強し仏像を台座に固定せしめる耐震構造の修復かなされた。昭和三十五・三十六年(1960-61)<br />の修理では、前傾してる頸部を支える頸部の力を、強化プラスチックで<br />補強し、大正修理でなされた耐震構造を改め、大地震の際は、台座<br />と佛体が離れる免震構造が施された。この強化プラスチックの利用<br />と台座の免震構造は、日本の文化財としては最初のものである。<br /><br />総高(台座共)		13.35m<br />青銅佛身高		11.33m<br />面長			2.35m<br />眼長			1.00m<br />眉長			1.24m<br />口広			0.82m<br />耳長			1.90m<br />眉間白豪径		0.18m<br />眉間白豪高		0.15m<br />螺髪(頭髪)高	0.18m<br />螺髪(頭髪)径	0.24m<br />螺髪数		656<br />佛体重量		121t<br />

    国宝鎌倉大佛因由

    この大佛像は阿弥陀仏である。源頼朝の侍女であったといわれる
    稲多野局が発起し、僧浄光が勧進(資金集め)して造った。零細な
    民間の金銭を集積して成ったもので、国家や王侯か資金を出して
    作ったものではない。初めは木造で暦仁元年(1238)に着工し
    六年間で完成したが、宝治元年(1247)大風で倒れたので、再び資金を
    集め、建長六年(1292)に至つて現在の青銅の像を鋳造し、大仏殿を
    造って安置した。原型作者は不明であるが、鋳工として大野五郎右ェ門や
    丹治久 の名が伝へられる。 大仏殿は建武元年(1334)と應安二年(1369)
    とに大風に倒れ、その都度復興したが、明應七年(1498)の海潮に
    流失以来は復興せず、露像として知られるに至った。大正十二年(1923)の大震災
    には台座が崩れ、仏像は前に傾いたが倒れなかった。大正十四年(1925)台座を補
    強し仏像を台座に固定せしめる耐震構造の修復かなされた。昭和三十五・三十六年(1960-61)
    の修理では、前傾してる頸部を支える頸部の力を、強化プラスチックで
    補強し、大正修理でなされた耐震構造を改め、大地震の際は、台座
    と佛体が離れる免震構造が施された。この強化プラスチックの利用
    と台座の免震構造は、日本の文化財としては最初のものである。

    総高(台座共) 13.35m
    青銅佛身高 11.33m
    面長 2.35m
    眼長 1.00m
    眉長 1.24m
    口広 0.82m
    耳長 1.90m
    眉間白豪径 0.18m
    眉間白豪高 0.15m
    螺髪(頭髪)高 0.18m
    螺髪(頭髪)径 0.24m
    螺髪数 656
    佛体重量 121t

  • 大仏様の足のサイズは。。。。

    大仏様の足のサイズは。。。。

  • さくらが

    さくらが

  • さいていました。

    さいていました。

  • また会う日まで。

    また会う日まで。

  • ちょっと小腹を満たしましょう。

    ちょっと小腹を満たしましょう。

  • 力餅。

    力餅。

    力餅家 グルメ・レストラン

    長谷駅からあるいてすぐ。力餅は、季節により、草餅です。 by nomonomoさん
  • 鎌倉名物。

    鎌倉名物。

  • そして、

    そして、

    長谷駅

  • 江ノ電に乗り、ホテルへ。

    江ノ電に乗り、ホテルへ。

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