2005/04/25 - 2005/04/25
1位(同エリア9件中)
jijidarumaさん
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<2005年“北ドイツ周遊”>
期間 :2005年4月21日(木)~5月5日(木)15日間 (1982年から数えて 23年ぶりの北ドイツ)
目的地:ドイツの誇る世界遺産の町々(ブレーメン、リューベック、ヴィスマール、ヒルデスハイム、更にクウェートリンブルグ、ゴスラー)や、ハンザ諸都市・Alte Salzstraße塩街道(エリカ街道)・ハルツ山地(魔女伝説)・メルヘン街道を巡った盛りだくさんの旅。
<使用レンタカー>
Renaut Espace R157-ディーゼル2200cc Automatic、
<塩の道(エリカ街道 Lübeck=>Celle)>
2005.4/25 (月) 快晴 197km
8:20Lübeckを出発し、Alte Salzstraße塩街道(エリカ街道)をCelleに向かう。B207=>30km、Ratzeburg9:00着、人口1万3千人。“Inselstadt---島の町”の異名を持つ。市内観光;Dom大聖堂ラッツェブルクを9:45にスタート。B207=>9km、Möllnメルン 10:00着、人口1万6千人。市内観光;Marktplatz、Till Eulenspiegelの像、St・Nicolai-Kirche、Rathaus;メルン10:50出発。B207=>Schwarzenbek B209=>32km、Lauenburg/Elbe 11:45着;Elbstrasse・Post.108=>Zollhaus.26
*8℃と徐々に春めいた暖かさ。8:20リューベック・ホルステン門を出て、リューネブルクまで、B207を距離凡そ100kmあるSalzstrasseザルツストラッセ(塩の道)或いはエリカ街道と称される道を走る。
写真は2005.4.25.Möllnメルン:ドイツ中に知られた愉快ないたずら者、Till Eulenspiegelティル・オイレンシュピーゲルのゆかりの地メルンで(3度目の訪問)。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
<Alte Salzstraßeアルテ ザルツストラッセ(塩街道(エリカ街道)>
Alte Salzstraße塩街道(エリカ街道)は、ドイツFerienstraße観光街道の一つで、Lüneburg リューネブルクとLübeckリューベックを結ぶ昔の商業路である。ドイツ語の直訳では「昔の塩街道(95km)」である。
ハンザ同盟の時代、リューネブルクの岩塩はその大半が北海の水産加工業で、ニシンの塩漬けの材料として北方ドイツに輸出されていた。
その主要積出港がリューベックで、この町がハンザ同盟の首都にして、バルト海沿岸の最も重要な商業港でもあった。
今日では、塩街道というと、リューネブルクとLauenburg/Elbeラウエンブルク / エルベとの間の国道209号とリューベックからRatzeburgerseeラッツェブルク湖を経て、フレデブルク、メルンというラウエンブルク方向のルートにほぼ相当する。
塩街道は、自然公園ラウエンブルク湖エリアの中を横切って通っている。
・・・・・
3度(A・B・C)のMöllnメルン訪問は
A)
1982年4月9日~12日、家族旅行「北ドイツの旅4日間」でDüsseldorfデュッセルドルフ=>Burgdorfブルクドルフ=>Celleツェレ=>Lüneburgリューネブルク、そしてMöllnメルン=>Lübeckリューベック=>Hamburgハンブルク=>Bremenブレーメンと、観光して回った。
B)
1985年4月27日~29日、出張(業務引継ぎ)で4月27日(土)LH018(14:00=>14:55)でデュッセルドルフ空港からハンブルクに出張(後任者との業務引継ぎでハンブルク支店、傘下合弁企業などを訪問)。28日(日)に4人でハンブルクからメルンと古メルンの“カフェ・レストランWindmühle風車”、リューベックのホルステン門、市庁舎を回遊した。29日(月)ハンブルク発LH278(19:15=>20:05)でデュッセルドルフに帰社した。
参考写真はドイツ全図:北半分 -
C)
2005年4月21日(木)~5月5日(木)には前述したドイツ感傷旅行“北ドイツ周遊15日間”ということで、ハンザ諸都市を巡り、Schwerinシュヴェリーンから南下し、RatzeburgラッツェブルクからMöllnメルン、Lüneburgリューネブルク、Celleツェレと1982年とは逆に巡り、更にハルツ山地(魔女伝説)、メルヘン街道を走ってデュッセルドルフに戻った。
【Mölln・die Eulenspiegelstadtメルンはオイレンシュピーゲルの町と称している】
メルンは人口19.5千人の町である。この町はNaturpark Lauenburgische Seenラウエンブルク湖沼自然公園 の中にあり、現在は保養地としても知られている。
参考写真:Mölln_Blick auf die Altstadt vom Stadtseeシュタット湖から見たメルンの旧市街(塔は聖ニコライ教会) -
Möllnメルンの観光スポットは保存状態の良い旧市街にあり、多くがマルクト広場に集中している。
一つにロマネスク様式、レンガ造りのゴシック様式の聖ニコライ教会であり、西の切妻にはTill Eulenspiegelティル・オイレンシュピーゲル(1300年~1350年)のGedenkstein記念碑(Grabstein墓碑と書くのは正しくない)があることだろう。
ティル・オイレンシュピーゲルが<1350年にメルンで亡くなったとしばしば間違って云われている碑文>があると云う。
(後述の岩波文庫本ではLüneburgリューネブルクで死去したとある)
二つ目にTill Eulenspiegelティル・オイレンシュピーゲルの像(泉)がマルクト広場に立っていることだ。
マルクト広場にはオイレンシュピーゲル博物館や旧庁舎の郷土博物館もある。
1373年に建てられたゴシック様式のメルン庁舎はリューベック市庁舎と並んで、シュレスヴィヒ・ホルシュタイン州でこの様式を示す唯一のものだそうだ。
参考写真はWappen von Möllnメルンの紋章・・・楯の下部に「赤の地に銀の風車(=車輪)」、上部は「銀色の地に赤い風車の鉄」。 -
イチオシ
このTill・Eulenspiegelbrunnenティル・オイレンシュピーゲル像(噴水)はメルンの町の中心、マルクト広場に道化姿で立っている。
1950年9月17日に完成したオイレンシュピーゲルの像(噴水)は花崗岩のベースにオイレンシュピーゲルのブロンズ像、その前に長方形の水盤とドイツの彫刻家、彫像家Karlheinz Goedtkeカールハインツ・ゲトケ(後述)によって作成された。
メルンで1350年に亡くなったと云われているものの、聖ニコライ教会傍にあるオイレンシュピーゲルのGedenkstein記念碑!とあり、Grabstein墓碑ではない。
彼はあまりに悪戯が過ぎて、絞首刑になったとも、病死したとも、稀代のいたずら者らしい話があって錯綜する。
(200年以上もいろいろと学者が調査したようだが、結論には至っていないようである)
ともあれメルンの町は観光シーズンに飛び切り話題性のあるオイレンシュピーゲルの道化姿の銅像(噴水)を立て、博物館まで作ってしまった。
町の観光局のスタッフが観光シーズンになるとオイレンシュピーゲルの道化姿に扮装して、街中に出てくると云う。
尤も、3度とも4月訪問だったから、観光シーズンでもない所為で、この姿を見たことが無い。
写真は1982.04.10. Lauenburg Elbe&Mölln:ドイツ中に知られた愉快ないたずら者、Till Eulenspiegelティル・オイレンシュピーゲルのゆかりの地Möllnメルンで(初めての訪問)・・・上はエルベ川を挟んで Hohnstorf an der Elbeから対岸のLauenburg/Elbeラウエンブルク(エルベ川)を望む、下はメルンのマルクト広場のオイレンシュピーゲルの像、赤レンガの旧市街。マルクト広場 (メルン) 広場・公園
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ティル・オイレンシュピーゲル像の手の指と足を触ると幸福になると昔から云われていて、訪れた人々が触る所為か、道化姿の銅像は地が出てきていて、金色になっている。
私共も変わりばんこに横椅子の上に立って背を伸ばし、手の指と足を掴んで擦り、旅の平安を祈った。
(一説によると、尖った親指と足の先を<同時にこする>と幸運が訪れると云われているとは知らなかったが・・・)
写真は1982.04.10. Möllnメルン:Till Eulenspiegelティル・オイレンシュピーゲルの像(娘が撮った写真はティルの首が無い)、左下に古メルンにある風車が見える。カフェ・レストランになっていた。 -
Wikiによると、
Till Eulenspiegelティル・オイレンシュピーゲルは、14世紀の北ドイツに実在したとされる、伝説の奇人(トリックスター)。様々ないたずらで人々を翻弄し、最期は病死、もしくは処刑されたとされる。
<Richard Straussリヒャルト・シュトラウスの交響詩>
彼を題材とした芸術作品としては、リヒャルト・シュトラウス(1864年~1949年、ドイツの作曲家・指揮者。後期ロマン派を代表する作曲家の一人)の交響詩『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』(1895年)が良く知られる。
民衆本では絞首刑を言い渡されたティル・オイレンシュピーゲルがとんちを利かせてまんまと逃れてみせるが、シュトラウスの交響詩では伝承の別の形に従い、絞首刑が執行され終曲となる。
<親方への仕返し>
ティル・オイレンシュピーゲルは当時の下層民、遍歴職人や大道芸人、道化としてドイツ国中を渡り歩いて様々な都市に現れ、いろいろな職業に従事する。
ティル・オイレンシュピーゲルに命令する尊大な親方の気取った言い回しや、ティル・オイレンシュピーゲルの使う低地ドイツ語との方言の行き違えを逆手に取った、ティルの仕返しが毎回の見所となっている。
描写も詳細でリアルであり、伝承主体と思われる当時の遍歴職人たちの実体験に基づいていると見られている。親方にいじめられた遍歴職人達は、このティルの仕返しを方々で語り継いで、溜飲を下げていたのである。
この原典は大評判となり、オランダ、フランス、イギリス、デンマーク、ポーランドでも翻訳され、「狐のラインケ」や「司祭アーミス」など他の民衆本からのとんち話が数編組み込まれていった。
<病死と死後>
ティル・オイレンシュピーゲルは様々ないたずらの旅を繰り広げた末に、病を得て終焉を迎えるが、最後の床でもいたずらを繰り返す。
埋葬された際も、手違いで棺が垂直に墓穴に落ち、人々も「へそ曲がりな奴さんのことだ、死んでても立っていたいんだろう」と放置、墓標には「オイレンシュピーゲル、ここに“立つ”(「眠る」ではない)」と刻まれる、という落ちまで付いている。
参考写真はマルクト広場に作られたティル・オイレンシュピーゲル像の手の指と足を触ると幸福になると云われていて、訪れた皆が触る所為か、道化姿の銅像は地が出てきていて、金色になっているのがすごい。 -
メルンは小さいながらも中世の街並みが残り、町の周囲にStadtseeシュタット湖やSchulseeシュール湖といった小さな湖があって、美しい景観がある。
メルンは何故か「地球の歩き方:ドイツ」(2003~04版の455頁)にブラウンシュヴァイク、ツェレ、リューネブルク、リューベック、ラッツェブルクなどと共に掲載されていたが、いたずら者オイレンシュピーゲルの事を知らないと、日本人観光客には殆ど訪れない町になってしまうだろう。
私には隣町のRatzeburgラッツェブルクの大聖堂や独特の作風が好ましい彫刻家Ernst Barlach Museum江ルンスト・バーラッハ博物館、社会風刺画のPaul Weber Museumパウル・ヴェーバー博物館もあって、これらの町々は比較的身近であったかも知れない。
参考写真:2005.06.11.メルンのマルクト広場にあるオイレンシュピーゲル像が右手の聖ニコライ教会の壁際にあるのが見える。 -
参考写真:Am_Markt_Möllnメルンのマルクト広場前にあるオイレンシュピーゲル博物館は当地方のレンガを利用した木組みの家。
オイレンシュピーゲル博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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参考写真:Am_Markt_Möllnメルンのマルクト広場前にあるオイレンシュピーゲル博物館の入り口に道化姿のオイレンシュピーゲル像も見える。
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メルンの聖ニコライ教会の創建は12世紀後半、若しくは13世紀初めと云われている。最も古い部分にBacksteinromanikレンガ造りのロマネスク様式が見られ、塔と南の中(柱)廊はBacksteingotikレンガ造りのゴシック様式である。
15世紀後半、19世紀後半に改装されている。
参考写真: Möllner St. Nicolai Kircheメルンの聖ニコライ教会ザンクト ニコライ教会 寺院・教会
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参考写真: Möllner St. Nicolai Kirche メルンの聖ニコライ教会
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参考写真: Möllner St. Nicolai Kircheメルンの聖ニコライ教会の内陣
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聖ニコライ教会の西の切妻にはTill Eulenspiegelティル・オイレンシュピーゲル(1300年~1350年)のGedenkstein記念碑(Grabstein墓碑と書くのは正しくないからだろう)がある。
ティル・オイレンシュピーゲルが<1350年にメルンで亡くなったとしばしば間違って云われている碑文>があると云う。
(後述の岩波文庫本ではLüneburgリューネブルクで死去したとある)
Lüneburgリューネブルクで死去して、埋葬された際も逸話が残っている。
墓堀人足の手違いで棺が垂直に墓穴に落ちてしまったのだ。葬儀に参列した人々も「へそ曲がりな奴さんのことだ、死んでても立っていたいんだろう」と口々に言いながら、そのまま棺をそのまま放置してしまった。
(普通の棺は寝棺といって、死人は寝たままで葬られるのだ)
その墓標には「オイレンシュピーゲル、ここに“立つ”(「眠る」ではない)」と刻まれた。しっかり”落ち”まで付いてしまったわけだ。
この逸話は【ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら:第95話(埋葬にあたって、奇妙な形で葬られた)、第96話】に書かれている。
参考写真:Eulenspiegel-Gedenkstein_Möllnメルンのティル・オイレンシュピーゲルの記念碑・・・聖ニコライ教会の外壁に -
参考写真:Grabmal Till Eulenspiegels in einer Nische an der Außenseite der Möllner St. Nicolai Kircheメルンの聖ニコライ教会外壁にあるティル・オイレンシュピーゲルの墓碑=>記念碑(立った姿)
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参考写真:Mölln_Eulenspiegel_Gedenksteinメルンのこの記念碑に書かれたティル・オイレンシュピーゲルは手にフクロウと鏡を持っている。このフクロウはドイツ語でEule(オイレ)、鏡はSpiegel(シュピーゲル)の意味なので、絵自体が語呂合わせのようなものだ。
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参考写真:Tafel_vom_Eulenspiegel-Gedenkstein記念碑の石盤・・・16世紀半ばの記念碑に記された韻を踏んだ中低ドイツ語の碑文によると、ティル・オイレンシュピーゲルは1350年にメルンで亡くなったと書かれているようだが。
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<Kunst im Besitz der Stadt町が所有する芸術作品 01.12.2024>
Karlheinz Goedtkeカールハインツ・ゲトケ(1915年~1995年)は、Katowiceカトヴィツェ(かつてドイツのシュレージエン地方:現ポーランド)に生まれ、メルンで死去した。ドイツの彫刻家、彫像家である。
以下に代表的なゲトケの作品:
Eulenspiegelbrunnen in Mölln, 1951、
G. Bernard Shaw in Mölln,1952
Der Rufer in Lauenburg, 1956
Wassertor in Mölln, 1962
Der Segler in Kiel, 1962
参考写真:Shaw_Gedenktafel_auf_dem_Möllner_Marktplatzメルンのマルクト広場の壁に作品バーナード・ショーの記念碑が見られるが、何故か3度も訪れたにも拘わらず、私にはこの記念碑を見た記憶がないし、写真も無い。
【Möllns Ehrenbürger George Bernard Shawメルンの名誉市民 ジョージ・バーナード・ショーのこと】
1950年にKarlheinz Goedtkeカールハインツ・ゲトケがGeorge Bernard Shaw ジョージ・バーナード・ショー (1856年~1950年) のBronzereliefブロンズレリーフを作った理由と、それが現在St.Nicolaikirche聖ニコライ教会への階段際の石壁を飾っている理由はおそらく知られていることでしょう。
1950年はティル・オイレンシュピーゲルの没後600年となる年でした。
それを記念してメルンの町はアイルランドのユーモラスな作家バーナード・ショーに手紙を書き、ショーに「Ehreneulenspiegels名誉オイレンシュピーゲル」の称号を授与する式典に御出席願いたいと、メルンに招待しました。
オイレンシュピーゲルが何者かを知らなかったバーナード・ショーは、自らの老齢(当時94歳)を理由に式には出席できない旨と、メルンの名誉市民になったことをありがたく感謝しました。 この答えを受けた町の有力者たちはショーをおもんばかって、町の唯一の名誉市民にするしかありませんでした!
・・・・・ -
メルンのWassertor水門には、1962年にカールハインツ・ゲトケが製作したブロンズの銘板があり、13世紀から16世紀にかけての複合施設の歴史的表現が見られる。
かつての木造の橋、実際の門、城壁などが表現されている。
ゲトケはまた、漁師を象徴的に描いている。
参考写真:Wassertor in Mölln, 1962メルンの水門1962年制作 -
参考写真:メルンと古メルンの図
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古メルンの紋章は1994年の村の創立800周年から使用されている。
紋章に見られる風車は1985年に火事で完全に焼失してしまったが、1995年にはほぼかつての風車に再建された。
参考写真:Wappen der Gemeinde Alt-Mölln古メルンの紋章・・盾の上部に見られる金色の風車、左右のFass樽、Sack袋はこの地域の風車を利用した製粉業の豊かさを表現したものだ。
盾の下部は1398年から古いシュテックニッツ運河が古メルンの市街地を通っていた事を示し、この地域の豊富な水を象徴したものである。 -
イチオシ
Alt-Mölln古メルンはドイツのシュレースヴィヒ・ホルシュタイン州ラウエンブルク地区にある村である。 Alt-Mölln古メルンは1194年の文書で初めて言及された。
人口は人口800人。
国道B207号線を走った際に、目についた風車で、わざわざ国道から横道には行ってみた。こんな格好のカフェ・レストラン風車があって子供たちも大いに喜んだ。
3時の開店まで待って、店内に入った。
店内にはティル・オイレンシュピーゲルの絵が幾つか飾られていた。
写真:1982.04.10. Alt-Mölln古メルン:Café Restaurant“Windmühle"カフェ風車(現在は経営者が変わり、Wesseller Mühle)
D-23881 Alt-Mölln、Alte Bundesstr. 17 -
藁ぶきの屋根、大きな石臼のようなもの、暖炉の近くに席を設けてもらう。
暖かな特等席で体中が暖まった。
店内は私共だけが御客で、気楽である。サービスも良く、何が軽食で良いかと聞くと、当地の名物*「Bauernfrühstück農家の朝食」だという。
多分、この時が始めて食べたと思う。この料理は量も多く、大変美味しくて家族全員が気に入ってしまった。
食後のデザートも美味しくて、実に満足した。
*ドイツでは家庭料理、「おふくろの味」として親しまれている。また、家庭料理であるため材料や作り方、味付けなどは家庭ごとに異なり、前夜の残り物が使用されることも多い。 ジャガイモ、肉、その他の材料を炒め、溶き卵を流し込んでオムレツやスクランブルエッグのように作る料理である。
元々、農家の人々が早朝から働いた後に食べる食事として、ボリュームのある料理が必要とされたことからできたとされているが、今日では農家以外の食事としても人気があり、朝食やランチのメニューとしてレストランでも提供されている。
写真は1982.04.10. Alt-Mölln古メルン:Café Restaurant“Windmühle”カフェ風車 -
イチオシ
1985年4月27日~29日、出張(業務引継ぎ)で4月27日(土)LH018(14:00=>14:55)でデュッセルドルフ空港からハンブルクに出張(後任者との業務引継ぎでハンブルク支店、傘下合弁企業などを訪問)。28日(日)に4人でハンブルクからメルンと古メルンの“カフェ・レストランWindmühle風車”、リューベックのホルステン門、市庁舎を回遊した。29日(月)ハンブルク発LH278(19:15=>20:05)でデュッセルドルフに帰社した。
写真は1985.04.28.(日)ドイツ中に知られた愉快ないたずら者、Till Eulenspiegelティル・オイレンシュピーゲルのゆかりの地Möllnメルンで(2度目の訪問)。 -
イチオシ
<塩の道(エリカ街道 Lübeck=>Celle)>
2005.4/25 (月) 快晴 197km
ラッツェブルクを9:45に発つ。9km先のMölln メルンには20分で到着。
3度目の訪問となる、此処も同じラウエンブルグ湖沼公園内にある保養地だが、ドイツ人に良く知られた伝説的悪戯者、Till Eulenspiegel;ティル・オイレンシュピーゲルのゆかりの地です。
高台のティルの記念碑がある聖ニコライ教会に登り、目の下のStadtseeシュタット湖やSchulseeシュール湖を望む。周辺の緑豊かな景色は気持ちが良い。
小さなマルクト広場に面して、レンガ造りのティルの博物館や旧庁舎の建物などが並び、教会の敷地の壁に面して、名高い道化師、ティル・オイレンシュピーゲルの像(噴水)が立っている。
遠足の子供達が像(噴水)の前で騒いでいる。一通り、子供達が像に触って、行ってしまうと2、3の観光客が像の周りに近付いてくる。
次は私共が触ろう。
写真は2005.4.25.Mölln:ドイツ中に知られた愉快ないたずら者、Till Eulenspiegelティル・オイレンシュピーゲルのゆかりの地Möllnメルンで(3度目の訪問)。 -
Till Eulenspiegelmuseum in Mölln - YouTube
写真は2005.4.25.Mölln:ドイツ中に知られた愉快ないたずら者、Till Eulenspiegelティル・オイレンシュピーゲルのゆかりの地 -
10:50にMöllnメルンを発ち、先を急ぐ。
Alt-Mölln古メルン地区にある、風車を改造したCafé Restaurant「Windmühleカフェ・レストラン風車」が国道B207沿いに見えていた。
以前、家族で昼食に訪れたことがあって、大変このレストランを気に入ったのだが、時間的にまだ開いていないので、今回はそのまま、通過する。
知らなかったことだが、この時の風車は火事で全焼した後に再建されたものだ。
写真は2005.4.25.Alt-Mölln古メルン:Café Restaurant「Windmühleカフェ・レストラン風車」と、ドイツで普通にみる林立する風力発電の景色。 -
<カフェ・レストランWesseller Mühleヴェッセラー風車(ヴェッセルの風車)>
Café Restaurant「Windmühleカフェ・レストラン風車」は1980年4月1日、風車は新しい経営に代ったが、施設改造、敷地拡大といった再投資に失敗し、1985年2月25日に風車は銀行の管理物件になり、オークションでさらに所有者が変わった。それでもカフェ・レストランは営業を継続していたと云う。
1985年11月27日から28日にかけての夜、風車は火事で全焼し、経営は完全に止まった。火災の原因はまだ明らかにされていない。
紆余曲折の後、1995年4月22日にかつてのような姿に再建された。
1996年以来、この施設は結婚式や誕生日パーティー、会社のプレゼンテーションや展示会のために再び一般に公開されている。1999年以来、結婚式と同時に結婚登記も1階で出来るようになった。
オーナー:Nicholas Wessel
D-23881 Alt-Mölln、Alte Bundesstr. 17
Tel. (04542) 23 33
Willkommen in der Wesseller Mühle (wesseller-muehle.de)
2005年4月25日に訪れた時は、「Windmühleカフェ・レストラン風車」は既に「Wesseller Mühleヴェッセラー風車」と名前は変わっていたようだ。
参考写真:現在のカフェ・レストランWesseller Mühleヴェッセラー風車と名前も変わっている。 -
国道B207をSchwarzenbekシュバルツェンベクでB209に入り、約30km走ると、チェコ・ドイツ国境に源流を発し、チェコ国内を横切り、プラハ、ドレスデン、マクデブルグを通り、ハンブルグで北海に注ぐ、大河“Elbeエルベ川”にぶつかる。
エルベ川は全長約1,091km、ヨーロッパでは14番目に長く、このうち727kmがドイツ国内を流れる。
今まで、リューベックからこの地Lauenburg/Elbeラウエンブルク/エルベまでは、エルベ・リューベック運河沿いを走ってきたわけで、此処で本物のエルベ川に対面することになる。
街中で足の悪いお爺さんに、川岸に近いElbstrasseエルベ通りに行く道を尋ねると、ご本人は『車に乗らないので良く分からぬ。ともかく、此処は高い所にあるので、下に下る道を探しなさい』とアドバイスされる。
車を其のまま停めて歩いていく事にする。マリア教会を目指して、下っていくとお目当てのHotel Möllerホテル メラーに行き着く。
13世紀に遡る旧市街のエルベ通りにはレンガ造りの市庁舎、税関、塩の運送博物館などの歴史的建物が並んでおり、水運を利用して、繁栄した当時の町の様子が見受けられる。
ホテル メラーの裏手はエルベ川になっており、雪解け水を運んできているのか、水量も多く、とうとうと流れている。その流れを見ていると、“美しき青きドナウ”と言うよりも、“美しき青きエルベ”の方がぴったりの表現と思う。
エルベ鉄橋を渡り、対岸から振り返って見てみると、エルベ通りの辺りに連なるレンガ色の家々と前を流れるエルベの青さが映えて、素晴らしい景色になっている。
ラウエンブルクから25kmのLüneburgリューネブルクには12:45に到着となる。
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写真は2005.4.25.Lauenburg/Elbeラウエンブルク/エルベの町 -
【ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら】
阿部謹也氏 訳、全96編、452頁・・・内64頁に及ぶ訳注と48頁にわたる解説が作品の理解に役立つ。
阿部謹也氏の専門はドイツ中世史、元一橋大学学長、ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずらの作品で、1990年に 日本翻訳文化賞を受賞。
1990年7月30日に購入したが、ついに完読は出来なかった。
労作だが、少々分かりにくい部分もあって、浅学の身には完読できずにいつしか本箱の中に埋もれていた。
埃をかぶっていた文庫本を今回、引っ張り出して、幾つか再読した。
以下の数編はスキャンしやすいページを選んだもので、特別の意図はない。
御興味あれば、ちょこっと!のぞいて見てください。
写真はティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら:1990年6月第2冊発行・岩波文庫表紙(同年7月30日購入) -
写真はティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら:第2話前半(村人に悪たれ小僧と云われて、自分の尻を拝ませた)
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写真はティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら:第2話後半、第3話前半(ザーレ川で綱渡り)
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写真はティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら:第3話後半
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写真はティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら:第22話前半(塔の上で見張り、敵兵を見張るラッパ手をしたが・・・)
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写真はティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら:第22話後半
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写真はティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら:第70話前半(農婦たちからミルクを買い集めて、一波乱)
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写真はティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら:第70話後半、第72話前半(お客に出す焙肉(火であぶった肉)に、自分の尻からバターを垂らして)
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写真はティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら:第72話後半
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写真はティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら:第95話前半(埋葬にあたって、奇妙な形で葬られた)、文庫本批評
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写真はティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら:第95話後半と第96話最終話(墓に刻まれた碑と銘)
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【2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅】
期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木) 15日間
<使用レンタカー> Ford Focusフォード・フォーカス・2000cc 灰色 5T、
オートマチック・エアコン・ナビ付き
9月27日(金) 240km、晴れ、13℃
Einbeckアインベック:
アインベックはバート・ガンデルスハイムと同じく、ニーダーザクセン州南部のノルトハイム郡に属す30.8千人のかつてのハンザ都市だ。
南のゲッティンゲンに約 30 km、北のヒルデスハイムに約 35 kmと近い距離にある。東に約 20 km行くとハルツ山地となる。
Stadt der Brau-und Fachwerkkunstつまり、ビールと木組みの家建築芸術という言い方をしているように、旧市街の景観は150棟以上の中世後期の木組み建築によって特徴付けられる。また、数世紀にもおよぶビール醸造の伝統から「ビールの町」として知られていると云う。
アインベックの事はほとんど知らなかった。通過した事さえない。だが、思っていた以上に旧市街には中世後期の木組み建築の街並みがほぼ完全に遺されていた。
1990年にアインベックを通る「ドイツ木組みの家街道」が設立されたというのも当然だろう。
<Till Eulenspiegel-Brunnenティル・オイレンシュピーゲルの像(噴水)>
ニーダーザクセン州のEinbeckアインベック市の中心にあるマルクト広場にティル・オイレンシュピーゲルの像(噴水):1941年がある。
旧市庁舎とブロートハウスの真ん中に立っているティル・オイレンシュピーゲルの泉はまだ第二次世界大戦中に建てられたものだ。
泉の記念碑とも呼んでいるようだが、何故記念碑かというと、ティル・オイレンシュピーゲルは一時アインベックに住んで、町の醸造家にいたずらをしたと云われている。
ティルはビール醸造所に雇われていて、「Hopfenホップ(ホップとはビールに苦味や香りを添える植物のこと。ビール造りに欠かせない原料)」を茹でることになっていた。(多分、醸造家の対応が気に食わなかったのだろう)
これを機にHopfホップという名の醸造家の飼い犬を、肉が骨になるまで煮込んでしまったと云う。
そんないたずら者を記念して、Eulenfestオイレンフェスティバル(ティル・オイレンシュピーゲルの祭り)が毎年開催されているそうだ。
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(2025年03月15日Wiki・HP参考、訳・編集追記)
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