2024/10/01 - 2024/10/03
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bunkichiさん
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この旅行記のスケジュール
2024/10/01
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電車での移動
フランクフルト中央駅 9:25→イトシュタイン駅 10:05
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電車での移動
イトシュタイン駅 12:10→リンブルク駅 12:40
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電車での移動
リンブルグ駅 15:50→フランクフルト中央駅 17:00
2024/10/02
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電車での移動
フランクフルト中央駅 9:25→ダルムシュタット東駅9:50
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電車での移動
ダルムシュタット東駅 14:10→フランクフルト中央駅 14:40
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飛行機での移動
フランクフルト 20:45→東京・羽田 10/3 16:45
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この旅行記スケジュールを元に
ブダペストより、日本への直行飛行便のあるフランクフルトに移動しました。
このまま日本に帰国するのも勿体ないので、ちょこっとフランクフルト周辺をウロウロしてみました。
イトシュタイン、リンブルク・アン・デア・ラーンで木組みの家を拝み、そして最後は、ドイツのアールヌーヴォー建築も拝もうとダルムシュタットのマチルダの丘にも行ってみました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 鉄道 徒歩 飛行機
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ハンガリー・ブダペストに別れを告げ、ドイツ・フランクフルトに移動しました。
来る時も飛行機乗換えで、一泊だけしたフランクフルトですが、このまま日本に帰国するのは余りにも寂しい(勿体ない)と2泊3日ながらフランクフルト周辺をウロウロしてみました。 -
フランクフルト中央駅周辺は治安が悪いと云われているので、宿泊先は、駅すぐ近くの「トウヨコ イン」を取りました。
嬉しいことにトイレがウォシュレットでした。
但し、換気扇システムが悪いのか、バスタブを使用する際には、換気扇を最大レベルにして、室外に蒸気が漏れないようキッチリ閉めないといけません。
ロビーで『蒸気の漏れが原因で火災報知器発報、消防車発動の場合、450ユーロ申し付ける』との紙を渡されました。トウヨコ イン フランクフルト アム マイン ハウプトバーンホフ ホテル
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ハンガリーでは(マジャール)アールヌーヴォー建築を中心にウロウロしましたが、ここでは少し違う建築見てまわろうと『ドイツ木組みの家街道』の街、イトシュタイン(Idstein)へ向かいました。
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ローカル線に乗って、約40分程でイトシュタイン駅に到着しました。
イトシュタインは人口約2万6千人ほどの小さな街です。 -
駅から15分程歩くと清掃人のおじさん像に出会います。
この像に出会えば、まもなく旧市街入口です。
ちなみに、この像のモデル、「ハリー・フォン・デ・ガス」さんは、いつも陽気に歌う街路清掃人(あるいは教会の祭壇奉仕者)として、この町の人に愛された有名人でした。2005年に亡くなられましたが、町の人によって像が建てられたそうです。 -
カラフルな色の木組みの家々が立ち並ぶ、街の中心部「ケーニヒ・アドルフ広場」に
到着しました。
これらの家の殆どが15 世紀から 18 世紀に建てられ、今も現役使用中なのは驚きです。イトシュタイン旧市街(Idsteiner Altstadt) 散歩・街歩き
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「キリンガーハウス」
現在は観光案内所と市立博物館として利用されていますが、1615年に伯爵の書記官キリング夫妻によって建てられたイトシュタインの木組み家の中で、最も美しい建物の一つと云われています。
全体の色合いも然る事ながら、壁や柱、梁の木彫り細工には見とれてしまいます。 -
隣家は、赤・橙色の暖色系を基調にした木組みの家が建ってました。
こちらの家にも見とれてしまいます。 -
「傾いた家」
ここでは珍しい1727年に建てられた4階建ての木組みの家です。
構造上の欠陥により建物は「傾いてしまった」ようです。
1995年から1997年にかけて全面改修された後、市庁舎の一部となっているそうです。
流石に改修しないと危険だったのですかね。 -
「市庁舎」
「傾いた家」の隣にあるオレンジ色の建物が市庁舎です。
元々は道路にかかる橋として建設されたそうです。
可愛らしいお城の絵の紋章が壁に掲げられてました。 -
市庁舎の隣には、旧市街(手前)と城塞地区(奥)とを分ける「楼門」があります。
1497 年に伯爵の官庁として建てられ、警備室、監獄室、拷問室、穀倉、使用人の宿泊施設にも利用されたそうです。
しかし今は何事もなかったように、1階は広々とした結婚式場になっているようです。 -
門の先には細長い城の建物が続いています。
写真では分かりませんが、城壁の上にはオシャレな木組みの建物が建てられていました。 -
その先には、黒い切妻屋根の「旧裁判所」と「魔女の塔」と呼ばれる、古くから街のランドマークとなっている建物があります。
(1170年、1240年、1500年頃段階に分けて建設。1810年に現在の姿)
市のホームページによれば、《「魔女の塔」という通称は19世紀の一般的な流行に従ったもので、魔女狩りとは何の関係もない》とのことです。イトシュタイン魔女の塔(Hexenturm Idstein) 建造物
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但し、17世紀にイトシュタインで魔女罪で死刑判決を受けた女性35人と男性8人の名前を刻んだ追悼プレートが魔女の塔の下に設置されてました。
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「ヘールホーフ」
再び旧市街に戻り、街をウロウロします。
この建物は、宮廷建築家のハインリヒ・ヘールによって1620年に建設された木組みの家です。
現在は、ホテルおよびレストランが営業しています。レストラン&****ホテル フエホフ ホテル
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建物装飾の素晴らしさも然る事ながら、付随の看板も面白い建物です。
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「ユニオン教会」
外観は簡素なゴシック様式の教会です。 -
しかし教会内に入ると、天井、側面にびっしり絵画が描かれています。
w(°o°)w おおっ!! -
17世紀のルーベンス派の画家、「Michael Angelo Immenradt」と「Johann von Sandrart」による聖書のテーマに基づいたキャンバス画が 38 枚あるそうです。
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この街には、レストランやホテルなどとして使われている家も一部ありますが、ここの木組み家の多くは、現役の民家です。
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その民家の付随装飾には、しばしば目を奪われてしまいました。
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混雑した所が嫌いな私には、快適な場所でした。
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さて、次に向かったのは、同じく木組みの家が建ち並ぶ、リンブルク・アン・デア・ラーン (Limburg an der Lahn )です。
イトシュタイン駅からは4 駅、30 分弱でリンブルク駅に到着です。
リンブルクは人口約3万6千人で先のイトシュタインよりは少し大く、またここも『ドイツ木組みの家街道』の街です。 -
リンブルク駅から徒歩で5分程で「コルンマルクト広場」に到着しました。
この先からは、カラフルな木組みの家が建ち並ぶ旧市街です。
13世紀から19世紀にかけて建設された木組みの家が、戦災を免れて、今も多く残されいます。 -
路地沿いには、見事な木組みの家が並び続いていました。
このカフェに使用されている木組みの家も立派な装飾が施されていました。 -
更に進むと木彫りのお魚をぶら下げている家がありました。
明らかに魚屋と分かる所謂、「看板建築」です。 -
アップにするとこんな感じです。
この他にも銀色に輝くお魚の飾り(看板?)を付けた家もありました。 -
リンブルクでは本当に面白い飾りを付けた家が多く並んでいました。
上は1500年頃に建造され、かつては旅館であった「ツーム・ゴルデネン・ヒルシュ(金の鹿亭)」のファサードに取り付けられていた飾り(看板)です。
下は、「龍屋」の屋号だったりして・・・・・・ -
更に変な妖怪らしき物が付く壁の家もありました。
実はこの近くには、「ジーベン・ラスターの家」というキリスト教の7つの悪徳を描いた彫刻装飾のある木組みの家があったのですが、間違えて、この家の写真を撮りまくってしまいました。 -
人が龍?に飲み込まれている不気味な飾りもありました。
この地方に伝わる伝説があるのですかね? -
一方では紋章のような飾りを施している家もあり、飾り装飾を見て廻るだけでも楽しめました。
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旧市街を抜け、ラーン川に架かる橋からは、リンブルクの大聖堂を眺めます。
まるでお伽噺に出てくるお城のような光景です。 -
「リンブルク大聖堂」
高台に建つリンブルク大聖堂に到着しました。
残念ながら改修で一部覆われていますが、そのカラフルな姿にお目にかかれました。
13世紀前半のロマネスク様式からゴシック様式への過渡期に造られたため両様式の特徴が混在している建物です。大聖堂(リンブルク) 寺院・教会
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なんともカラフルな入口から内部を覗いてみました。
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天井、内壁には13世紀のフレスコ画が描かれてますが、シンプルな室内でした。
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こちらは教会隣の13世紀初めに建設されたリムブルク城です。
但し、背後の塔はリンブルク大聖堂の塔です。 -
高台下の広場にワインを樽から一気飲みする「酔っぱらいの噴水」というい像がありました。(羨ましい.....)
この像のモデルのハットシュタインは、元々強盗で、彼がリンブルクを訪れた際に、自宅を襲撃され、帰るところがなくなり街に残ることになりますが、(今後彼に襲撃をされないようにするという思惑もあって)商人たちに頼られるようになり、町長まで上り詰めた人物です。一気飲みができたら、憧れのワイン樽をプレゼントするという誘いに乗ったという話から、「酔っ払いの泉」が生まれたそうです。 -
フランクフルト最終日となりました。
帰国の飛行機(20:45)までには十分時間があるので、ドイツのアールヌーヴォー(ユーゲント・シュティー)建築も見ようとダルムシュタットの「(芸術家村)マチルダの丘」に行ってみました。
朝、フランクフルト中央駅よりマチルダの丘のあるダルムシュタット東駅(Darmstadt Ostbahnhof)に向かいます。(乗車時間:23分)フランクフルト中央駅 駅
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「(芸術家村)マチルダの丘」は、ダルムシュタット東駅からは、徒歩10分程の場所にあります。
ヘッセン・ライン大公であった「エルンスト・ルートヴィヒ(Ernst Ludwig)」により1914年までの4回の博覧会が開かれたこの場所には、今も様々な建築物が残されています。マチルダの丘 博物館・美術館・ギャラリー
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その博覧会開催までの経緯について少し記すと、
芸術に造詣の深いE.ルートヴィヒ大公が、ヘッセン地方の芸術と工芸の振興を図るには、外国の有名芸術家に任せた方が早いと考え、大公が自ら口説き落とした「オルブリッヒ(ウィーン分離派の創立メンバー)」を総責任者として、多くの芸術家を招聘しました。そして1899年、この場所に芸術家村を設立し、1901年に第1回の博覧会のための建築物を完成させて、開催させたようです。 -
但し、この「ロシア礼拝堂【1897-99】」だけは、芸術家村とは別にロシア皇帝一家が来訪した時のために建設された建物だそうです。
(エルンスト・ルートヴィヒ大公の妹は最後のロシア皇帝、ニコライ2世と結婚しました)ロシア教会(ダルムシュタット) 寺院・教会
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博覧会とは関係ないとはいえ、ビザンチン様式をモデルにデザインされた装飾には目を奪われてしまいます。
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「エルンスト・ルートヴィヒ・ハウス(Ernst Ludwig-Haus)」【1900-01】
本来の目的の博覧会用建築廻りを始めました。
この建物は1901年の博覧会の中心的な建物で、芸術家たちのコロニースタジオハウスとして建設されたものです。(現在は美術館)
正面入口前には「力」と「美」を象徴する巨大な1対の男女像(Ludwig Habich作)が立ち並び、壁面をえぐったようなアーチ型の庇の下には、豪華に装飾された入口があります。芸術家コロニー美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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更に近づいてみると、
扉の両脇にはリングを抱えたブロンズ像(Rudolf Bosselt作)が並び、背後の壁には、
「ヘルメスの樹」をモチーフとした金箔の装飾が施されています。
まさにオルブリッヒのウィーン分離派の本領発揮のような建物です。
(ウィーンの郵便貯金局、分離派会館を思い出してしまいました。) -
上:金箔装飾の壁
下:軒下の装飾 -
「ハウス オルブリッヒ【Haus Olbrich)】(1900-01)
建築家、オルブリッヒのかつての邸宅で、1901 年の博覧会の総合施設の一部として、エルンスト・ルートヴィヒ・ハウスのすぐ下に建てられました。
青と白の植物模様のタイルによる装飾が、とてもオシャレです。 -
門扉のデザインも凝っています。
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建物の後には、「酒を飲む若者」(Ludwig Habich作)のレリーフ壁面噴水がありました。
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ハウス ダイタース(Haus Deiters)【1900-01】
1901年の博覧会の事務局長を務めたヴィルヘルム・ダイタースの家屋です。
マチルダの丘の芸術家村のなかでは最も小さい建物ですが、第2次世界大戦を無傷で生き延び、戦後の増築部分が撤去された後、1990年に修復されたそうです。 -
(幾何学的にデザインされた鉄格子のフェンス)
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(アール・ヌーヴォー装飾の扉)
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グローセス・ハウス・グリュッケルト(Großes Haus Glückert)【1900-01】
宮廷家具製造業者のユリウス・グリュッケルトによって購入された家屋で、ここで自らが制作したモダンなインテリアを披露していたそうです。
四面がそれぞれ異なるデザインというのが、この家の大きな特徴です。 -
門扉のデザイン・装飾の素晴らしさには、絶賛してしまいました。
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イチオシ
更にその奥の入口は、まさにアール・ヌーヴォー!
アーチ形の入口扉のデザインも然る事ながら、周りの漆喰の壁の装飾が凄い!!
\(◎∠◎)/ビックリ -
ハウス ベーレンスHaus Behrens【1900-01】
設計:ピーター・ベーレンス
1901 年の博覧会のために建てられたマチルダの丘の家屋で、唯一オルブリッヒが設計していない家です。
画家でグラフィック アーティストのピーター ベーレンスの最初の建築作品でもあり、オルブリッヒの建物と比べると重厚さ感じさせます。 -
深緑色の細かいタイルで細い棒の柱を束ね、扉に張られた鷲の翼の装飾は、『ニーチェの哲学』を表しているそうですが、凡人の私にはサッパリ分かりません。
┐(´-`)┌ -
「彫刻家のスタジオ(Bildhauer-ateliers)」【1904】
1904年の2回目の博覧会のために、オルブリッヒが設計した彫刻家のための作業用の建物です。
ちなみに博覧会そのものは不評で、多額の赤字が残り、また性急な進め方の反発から博覧会が終わるとオルブリッヒを除くメンバーは去り、博覧会のたびに入れ替わってしまったようです。
それでもルートヴィヒ大公は失敗にもめげずに、博覧会を計4回開いたそうです。 -
「展示棟(Aus-stellungs-gebäude)」【1907-08】
1908年の第3回博覧会のため、1880年に建設された旧貯水池の上に建設された建物です。
(下のレンガ済みの建造物はかつての貯水池で現在は技術記念碑。赤い屋根の建物が展示棟) -
この展示棟の踊り場にある花崗岩の柱に支えられた東屋の天井には、芸術的なモザイク装飾が施されていました。
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美しいモザイク装飾の縁には、
『古きを敬い 新しいものに挑戦する勇気を持つ 自分の本質に忠実であること 愛する人々に忠実であれ 芸術のパトロン、エルンスト・ルートヴィヒ大公のモットー(Deepl訳)』との碑文が記されています。 -
「ウェディングタワー(Hochzeits-turm)」【1907-08】
宣誓する手にたとえられるこの塔は、ここで最も目を引く建物です。
1908年の第3回博覧会のためにオルブリッヒによって計画され、ルートヴィヒ大公の再婚を記念して建てられた塔です。またオルブリッヒのマチルダの丘での最後の仕事となりました。結婚記念塔 モニュメント・記念碑
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高さ約50メートルの塔には、展望台まで209段の階段があります。
でも、エレベーターもあるので足腰の弱い爺さんでも安心して上がれました。
塔内には 2 つの王室の部屋があり、現在は結婚式の会場としても使用されています。 -
入口の壁には、結婚を記念した美しい2のモザイク画が描かれていました。
上:「接吻」
下:「フォルトゥナ」 -
5階の大公女の部屋(婚礼の間)
南ヘッセン州の行政区と新郎新婦を描いた一連の絵画が展示され、気品溢れる「婚礼の間」です。 -
4階の大公の部屋
この部屋は、先の部屋とは大違いに、アバンギャルドな壁画が丸天井いっぱいに描かれています。
私には、サイケデリックな部屋でした。 -
「マチルダの丘」の建物を一通り見て廻りましたので、近くのレストランで休憩です。
ビールを頼んだら、グラスにしっかり目盛りが記されています。
さすがは厳密・正確な国、ドイツでした。
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