2024/07/19 - 2024/07/21
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まつじゅんさん
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この旅行記スケジュールを元に
2021年から毎年通っている、大相撲名古屋場所の観戦記Ver.3です。
大相撲、プロ野球とスポーツ観戦の名古屋旅、最終日決めていたのは、いつもの岐阜羽島 魚勝で夕食を頂き、レンタカーを20時までに返却し帰宅する、という事だけです。
そこまで何しようかと奥様と相談、チェックアウトを済ませ、私が名古屋出張の際利用して、気になっていた喫茶店でモーニングを頂き、清州城を見てから魚勝に向かう事としました。
喫茶店は、名古屋でも有名なお店の様で、面白い体験が出来ました。
今回の旅は3部構成です。
Ver.1 大相撲名古屋場所六日目 編↓
https://4travel.jp/travelogue/11957889
Ver.2:感想戦の夕食会から、巨人vs中日戦 編↓
https://4travel.jp/travelogue/11960721
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
-
名古屋の喫茶店文化は有名ですが、その中でも中村区で長年愛されている「喫茶ツヅキ」に伺いました。
奥様に、私が出張で名古屋に来た際に利用して、行きたいと言われていたお店ですが、写真に収まり切らない、インパクトの強すぎる名物メニューが人気の喫茶店です。喫茶ツヅキ グルメ・レストラン
-
お店に駐車場は無いので、近くのコインパーキングに車を預け、細い通路を2階に登って行きます。
1946年10月オープンとの事ですので、80年近い歴史がある珈琲にも拘りのあるお店のようです。 -
先ずはモーニング、私は餡バタートーストにカフェオーレ(パフォーマンス付)を発注。
奥様は、サンドイッチと珈琲を発注。
カフェオーレの提供に脚立を持った名物お兄さん、両手に年季を感じるミルクとコーヒーのポットを持って登場です。
噂通り、カフェオーレーのパフォーマンスは、凄かったです。
https://youtube.com/shorts/PsWjjVTEZaA
仕上がったカフェオレは、カップから山盛りに溢れるほどフワッフワの泡。
あの高さから落とすからこそのもので、飲もうとすると口の周りにヒゲのような泡が・・・・。
たっぷりのミルクがマイルドで美味しいです。 -
奥様の目的はこちらのパフェ、ボリュウムが凄いですね。
朝からお腹一杯です。 -
喫茶ツヅキから、県道190号を走る事30分位で、キリンビール名古屋工場にあった「工場見学」の幟に反応した私。
予約制らしいので、ダメ元で聞いてみましたが、丁寧に確認して頂きましたが、私達の希望時間は満席との事で、次回の楽しみにします。
気持を切り替えて、少し走ると5分程で、清州城に到着です。清洲城 名所・史跡
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尾張国の中心部に位置し、織田信長公の天下取りの出発点であり、尾張国の守護所、京・鎌倉往還と伊勢街道が合流し、中山道にも連絡する交通の要所で、重要拠点であった清洲城です。
実際は、現在の清洲公園の位置にあったと言われていますが、1989年に旧清洲町の町制100周年を記念して、金色に輝く鯱を屋根に頂く4層の天主閣が再建されました。 -
城内には、戦国時代の清洲城下の喧騒や武将達の暮らし等、清須での生活や火縄銃、甲冑等、戦国時代を身近に感じる、仕掛けが用意されています。
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この壁新聞は、面白かったです。
織田信長公は、1555年に那古野城から清州城に移り本拠とし、約10年間居城としている間に、躍進の第一歩を踏み出す事となったようです。
桶狭間の戦いには、この城から出陣したことから、天下取りの出発点と位置付けられているようです。 -
1562年に清州城において、信長と徳川家康の間で清州同盟が結ばれ、天下統一への足固めとなりました。
1582年、本能寺の変で信長が倒れると、清州城で織田家家臣の柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉、池田恒興の4人が集まり、信長の跡目を決める清州会議が開かれ、織田信長の嫡孫 織田秀信が織田家を継ぎ、織田信長の次男 織田信雄が清洲城に入城することが決まりました。
しかし、信雄は1590年の小田原の役の後、秀吉から徳川家康の旧領に移るように命じられながら、拒んだために除封されてしまい、城主は織田家から豊臣秀次、福島正則へと変わります。
1600年の関ヶ原の戦いの際には、東軍の最前線城として、重要な軍事拠点になり、以降城主が松平忠吉、徳川義直へと承継され、当時の城下の人口は60,000人に達し、天下の名城と称えられていたようです。 -
城内には、大河ドラマ「江~姫たちの戦国」で使われた、衣装や小道具、出演者のサイン等が展示され、映像と共に楽しめるようになっていました。
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大河ドラマって、戦国時代を描いたものが人気の様で、これまで数多くの作品がつくられているようです。
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大河ドラマで使用された衣装等も、sつ園舎のパネルと共に展示されていました。
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1610年に徳川家康が清洲城の廃城、名古屋城の築城を命令したことで、町の建物や機能が移転する事になりました。
これは清洲越しと呼ばれ、約60,000人と約100の寺社、67の町全てが名古屋へと移転し、200年余り続いた清洲城の役割を終えました。
清洲城は解体され、名古屋城に転用されたようで、名古屋城の「御深丸」の西北櫓は「清洲櫓」と呼ばれていて、清洲城の天守の古材が使われた、と伝わっているようです。 -
天守から見た城域です。
五条川の対岸に本丸等の主郭があったようですが、敷地は明治時代に東海道本線によって分断され、かつての本丸のほぼ中央を、東海道新幹線が通り、他も市街化されて遺構は殆んど残っていないようです。 -
清州城は、創建当時の絵図等、記録が残っていないため、規模等は不明のようです。
再建された天守は、外観、規模等は実在した当時を想像して設計されたもので、桃山時代の城を再現するデザインとなっていて、江戸時代の漆喰塗廻の白い城とは異なる、装飾に富んだ姿となっています。 -
コンクリート造の天守では、木部を再現する際もコンクリートで型取りして、茶色に着色する等の、雑な造作が少なくありませんが、こちらの城は、下見板や窓、真壁の柱、軒裏等は木材で再現され、白い壁面はペンキでなく漆喰で塗り上げられています。
瓦も出土した瓦の模様が再現され、金箔瓦も伝統的な工法で金箔が押されているな等、結構考えられてはいるようです。
ただ、瓦等の一部を除いて、史料的な根拠はなく、正しい歴史を知る妨げになっている、という意見もあるようです。
名古屋城の木造再建論争等、観光資源と鱈得るか歴史遺産と考えるか、難しい所ですね。 -
天守前の五条川を渡ると、清洲古城跡公園、清洲公園があります。
清洲古城跡公園は、清州城が実際に立っていた場所にあり、「清洲古城跡」の石碑と、天守跡には織田信長を祀った社が鎮座しています。
清須公園には、織田信長とその正妻 濃姫の銅像があります。
濃姫の銅像は、織田信長像に寄り添っているかのように建っているのが印象的です。清洲公園 公園・植物園
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清須を後に魚勝に向かいますが、魚勝はPM4時まで休憩時間のため、時間調整で「道の駅 クレール平田」で、買物と休憩です。
案内所で、近くに「千代保稲荷神社」というのがある事を知り、面白そうな神社なので立ち寄る事になりました。道の駅 クレール平田 道の駅
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道の駅から10分程で、千代保稲荷神社に到着。
岐阜県西濃地方や愛知県尾張地方では、お千代保稲荷と呼ばれ、年間二百万人もの参拝者で賑わっています。
京都の伏見稲荷、愛知の豊川稲荷と共に日本三大稲荷の一つ、とも言われていますが、3社についての定説はなく、日本一数が多い稲荷社(約32,000社)だけに、候補に挙げられる神社も多く、確定しているのは伏見稲荷大社だけのようです。
参道にはお店が並び、賑やかです。千代保稲荷神社 寺・神社・教会
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創建は平安時代まで遡る、歴史のある神社のようです。
源八幡太郎義家の六男の義隆が分家する際、森の姓をもらいうけ、義家より「先祖の御霊を千代に保て」と、祖神と共に宝剣と義家の肖像画を受け、「千代代々に保っていけ」と賜わったのが始まりと伝えられています。
その後、文明年間に義隆の子孫 森八海がこの里を開墾し、義家から伝わる霊璽を祀ったのが神社としての始まりで、社名は「千代に保て」の言葉に由来しているようです。 -
社殿の入口近くには、お供え用のお酒と油揚げを売る店があります。
藁に通された、三角の油揚げをお供えして、商売繁盛等のお願いごとをするようですが、そのお供え物の油揚げを入れる箱が拝殿の前に並べられていて、一寸変わった雰囲気となっています。 -
お供えの油揚げは、狐さんの好物とかではなく、全く関係は無いようで、「イナリのナリは、物や生命を生み出す神」の事で、農業や商売繁盛に関係しているようです。
油揚げをお供えするのは、揚げ物には蛋白質や脂肪が含まれていて、身体に良いという理由からだそうです。 -
祭神は大祖大神、稲荷大神、祖神です。
こちらでは、古伝により御札や御守の授与、朱印帳の記帳がないという、今の時代で一風変わった神社です。 -
参道には、草餅、串カツ、漬物、川魚料理等、70軒を超える商店が道の両側に並んでいます。
匂いも相まって、美味しそうです。
?黄金を基調とした内装が特徴のお店「串かつ 玉屋」で、食べ歩き様に3本購入、美味しい串かつでした。
ゲン担ぎで店内を一目見ようとする人も多く、賑わっていました。 -
では、時間が来たので、名古屋場所帰りの定番「魚勝」に向かいます。
PM4時の再開店を待っていた人で、直ぐに満席となる人気店です。魚勝 グルメ・レストラン
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1年振りですが、お店の中やメニューは変わっていませんが、駐車場が広く綺麗になっていました。
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奥様はいつもの「ひつまぶし」、ご飯も多く食べられないので、私は鰻と鮎の塩焼きを発注、変わらぬ味とリーズナブルな価格に、今年も満足です。
また来年。。。。 -
駐車場は綺麗になっても、調理場から出ている鰻を焼く煙は同じでした。
鰻は匂いで食わすと言われますが、本当ですね。
岐阜羽島ICから名神経由で帰路につきます。
今回は渋滞も無く、順調かと思っていると草津IC辺りで事故情報。。。。
途中で京滋バイパス経由にルート変更しましたが、同じような考えの人が多く渋滞に巻き込まれ、またもや返却時間間際となってしまいましたが、何とか無事に帰着しました。
今回、これまで。
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