2025/01/13 - 2025/01/14
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nichiさん
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母の卒寿のお祝いで、ハーヴェストの高級バージョンであるVIALA鬼怒川を予約しました。
一生に一度の卒寿ですので少し豪華にしてみました。
母に「ホテルにチェックイン前に栃木県内で行ってみたいところある?山沿いは雪があるからだめだよ~」
と言ったら、母は、「一度足利学校に行ってみたい」とのこと。
私たちシニア夫婦は、遠い昔の歴史の授業や受験で触れたことがある程度の足利学校。
知識も興味もなかったところです。
母はずっと興味はあったけどなかなか行けなかったとのこと。
足利学校の創建の正確なことはわかっていません。
論争になっているようです。
奈良時代からあった?
平安時代に小野篁が始めた説が有力のようです。
鎌倉時代かも?
そのあとの室町時代に当時の関東管領であった上杉憲実が学校を整備した様々な記録が残っているので、室町時代に存在していたことは確実です。
江戸時代にはフランシスコ・ザビエルによって海外にも紹介されています。
母はザビエルに関する本を読んでいて、足利学校に興味を持ったようです。
明治元年年まで存続していましたが、明治5年に廃校になってます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
-
朝早く家を出て、母を迎えに行ってから、首都高~東北道~北関東自動車道を経由して、2時間半ぐらいで足利学校のすぐ近くにある太平記館に到着!
ここは足利の観光拠点で、駐車は無料。
ここでいくつかパンフを頂いてから散策開始です。
ネット情報である程度分かりことは多いのですが、アナログなブロッシャーにはネットに出てない情報もあったりするのですよね~ -
足利の地図。
JR両毛線の足利駅と伊勢崎線の足利市駅は渡良瀬川をはさんで北と南に分かれています。
今回は足利学校と足利屋敷があったところにある大日尊鑁阿寺に行ってみます。
鑁阿寺(ばんなじ) よめない・・・・ -
太平記館の目の前にある歩道橋の上から足かが学校を見下ろします。
お堀に囲まれた敷地内に茅葺の屋根が見えます。 -
歩道橋を渡ったところにあった案内板。
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足利学校行く前に、母の希望でお堀沿いを少し歩いてみることに。
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きれいに整備されていますね~
-
そもそも学校にお堀があったの?
ここにはその昔に足利家の政所があって、領地を管理する役所があったという説。
学習のための日常と距離を置いた環境を作ったとか複数の説があるようです。 -
客観的な事実として、度重なる町の大火の中でも、このお堀のおかげで大切な書物は延焼を免れたようです。
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お堀沿いに歩いて最初に右に現れた門は、足利学校裏門。
ここからは入れません。 -
「入口」の表記に従ってグルッと廻って正面にやってきました。
ここが足利学校の「入徳門」です。 -
足利学校に入る最初の門です。
-
門には「入徳」という扁額がかかってます。
-
「入徳」とは、「徳に入る」という意味で、
道徳心を習得するところ。
という意味なんだそうです。 -
入徳門をくぐって奥に進むと、左側に孔子立像。
パット見るとケンタッキーのカーネルおじさんみたいに見える。。。(爆)
孔子が始めた儒教はここ足利学校で勉強されていたのですね。 -
ここでチケット購入。
480円×3名 -
チケット購入したら、
「ご入学おめでとうございます。」
と言われ、チケットは「入学証」でした。 -
3人は、
「足利学校 学生証」
というシールを服に貼りました。 -
さあ奥へ。
-
これが「学校門」です。
寛文八年(1668年)に創建された門です。
足利学校のシンボルとして受け継がれてきた門です。
「学校」という扁額がかかっていますいます。
これは日本で唯一とのこと。 -
「学校」という言葉は、儒学の教科書の一つである、「孟子」の中にある言葉だそうです。
それまでは「寺子屋」や「藩校」「学問所」だったのが、明治以降はこの「学校」に統一されていったのですね。 -
「学校」
日本人にとっては当たり前の言葉ですが、改めて語源を知ると、この変額に重みを感じます。
孟子ね~ -
学校門をくぐってさらに奥へ。
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左に見えてきたのは足利学校遺蹟図書館です。
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建物は大正時代の建物なのですね。
蔵書は約3万2000冊であり、古書だけで約1万7000冊もあります。
その古書と言うのが、貴重な宋版(南宋時代の刊本)や室町時代の写本を多く含み、4点77冊が国宝、8点98冊が重要文化財に指定されています。 -
中へ。
戦国時代にキリスト教布教のために日本を訪れた宣教師たちは、足利学校で勤勉で礼儀正しい日本人に出会いました。
彼らは様々な大学で仏教や儒教を学んでおり、大学の中で最も大きく有名だったのが足利学校でした。
宣教師が訪れた訪れた鹿児島や山口、京都や大分には多くの足利学校出身の僧侶がたくさんいたようです。
やはり宣教師であったルイス・フロイスの「日本史」によると、「もっとも重要な足利の大学でキリスト教を広めることができれば、日本人のキリスト教への改宗は簡単になるだろう。」と記しています。 -
我が国にキリスト教布教のために訪れたフランシスコ・ザビエルは、足利学校を日本国中最も大きく有名な学校と紹介しています。
2019年11月26日、ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇が来日された際、上智大学での講演で足利学校についてふれました。
ザビエルによる言及以来、470年ぶりに足利学校の価値が全世界に向けて発信された記念すべき瞬間でした。
上智大学と足利学校の連携は今現在でも継続されています。 -
足利学校遺蹟図書館を出て奥へ。
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背の高い木があって、立て札がありました。
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字降松?
足利学校の庠主(校長)九華和尚の頃のお話です。
学生が読めない文字に出会った際、紙に書いてこの松の枝に付けておくと、和尚がふり仮名や注釈をつけてくれたとのこと。
よって字降松と呼ばれるようになったそうです。
優しい校長先生ですね~
校長と学生の関係が偲ばれますね~
私の小学校や中学校の校長は、偉い先生で自分たちとは距離があって遠い存在でした。 -
ここは、孔子廟の入口にある杏壇門です。
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儒学の祖である孔子を祀っています。
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孔子廟に入る門(杏壇門)をくぐります。
門の扁額は「杏壇」。
紀伊徳川家第10代藩主大納言徳川治宝の書です。
杏壇?
どんな意味?
そもそも緇林杏壇という、学問を教える場所、講堂を示す言葉です。
「緇林」は木々が生い茂っていて暗い林。 「杏壇」は杏の木の下にある小高い土の上の壇のこと。
孔子は、木々の生い茂った薄暗い林で遊んで、杏の木の下の壇で休んだという故事からこの名前が付けられました。 -
杏壇門をくぐって孔子廟の中へ。
奥の建物が「大成殿」です。
寛文8年(1668)足利学校第13世庠主伝英元教の時に造営されたものです。
中国明代の聖廟を模してつくられています。 -
大成殿の中には、
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正面の奥に孔子座像。
よく見たら、頭巾かぶってらっしゃる! -
室町時代である天文4年(1535年)の作です。
日本最古の孔子の彫像です。 -
振り返ると、杏壇門、その向こうに学校門と、入口から孔子座像までまっすぐであることが判ります。
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右のこのお方はどなた?
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小野篁坐像です。
江戸時代である延享3年(1746年)の作です。
小野篁は平安時代の公卿で歌人で学問に優れた方だったようで、足利学校の創建者との説があります。 -
孔子廟の中に何方かがお手植えの木が??
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海軍大将だった東郷平八郎??
明治39年の12月にここに植えていらっしゃいます。
日露戦争が明治38年(1905年)ですから、ロシアのバルチック艦隊を破って勝利して凱旋したあとのお手植えですね。
当時は日本中が勝利に沸いたことでしょう。
でも、月桂樹の木って育つの遅いのですね。
明治に植えているのに令和でこんなに小さい。。。。 -
孔子廟を出て、隣りの方丈へ。
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方丈は学生が勉強した建物です。
明治5年 (1872)廃校と同時に取り壊されました。
この建物は、平成2年 (1990)12月に復元されたものです。
間口17m、奥行11m、寄棟造りで屋根は茅葺き、禅宗寺院の方丈形式の建物です。 -
方丈の前には大きな庭園があります。
築山や池もあって、、、、 -
南庭園というのですね。
江戸中期の姿に復元されています。 -
ここが方丈の玄関(左の屋根付き)と脇玄関(右)です。
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私たち一般人は隣のこちらの庫裡から中に入ります。
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方丈、庫裡、書院があります。
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建物の入口にこんなものが??
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欹器図(ききず)?
そもそも読めない!!
「座右の戒めをなす器」とは?
この器、水が無くて空の時は傾き、ちょうどいいときはまっすぐ。水を一杯入れるとひっくり返ります。
孔子曰く「いっぱいに満ちて覆らないものはない」と慢心や無理を戒めているのだとか・・・ -
空のバケツが斜めになってます。
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相方が水を入れます。
下から1/3ほど入れるとバケツはまっすぐに安定しましたが、これ以上入れるとバケツはひっくり返ってしまいました。
ふ~~~ん。
慢心や無理はいけません、。 -
入口は庫裡。
竃がある土間から中に入りました。
ここは台所ですね。
ここで靴を脱いでお邪魔します。 -
庫裡からお邪魔します。
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脇玄関に像が5つ。
右から子思、顔子、孔子、曾子、孟子。
孔子と孟子しか知らない…
子思は孔子の孫、顔子、曾子は孔子の弟子なのですね。 -
これが脇玄関。
十分に立派ですね。 -
脇玄関を入ると正面に孔子を中心とした5つの像が迎えることになるのですね。
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ここが玄関です。
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お客様はココから入ります。
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ここが方丈。
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目の前には先ほどの南庭園が見えます。
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方丈から見た方が高さがある分、庭園が綺麗に見えます。
そこは計算されて作られているのでしょうね。 -
方丈から玄関方面を見るとこんな景色。
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で、再び方丈の中へ。
大きな畳の部屋ですね。 -
多くの位牌があります。
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徳川将軍15代のうち、3代から13代までの位牌なんですね。
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方丈の仏殿の間です。
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左は葵の紋が入った鋳銅の燈篭です。
「下野国足利学校」との刻印が入っているそうです。
右は東照宮大権現の位牌です。
つまり徳川家康の位牌ですね。 -
この大きな大きな椅子は、曲彔(きょくろく)という大椅子です。
禅僧の導師がこれに座って説法や法要を行うのですね。 -
こちら側の庭園は、
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北庭園です。
奥の庭として、南庭園より格式が高いのだとか・・ -
湧き水を貯えた池。
池には亀の形をした中島。
中島には祠があります。 -
右には築山。
この奥には鑁阿寺の森が借景になってます。
この北庭園も江戸中期の姿に復元された庭です。 -
この奥には書院があります。
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書院は足利学校の庠主(校長)が接客の間として使用していた所なのですね。
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中には入れません。
書院の入口からパシャッ! -
グルっと回って庫裡に戻ってきました。
上を見上げるとすごい小屋組みですね。 -
この小さな建物は?
衆寮という学生寮です。 -
学生が泊まったり、遠くから通う学生が写本をするためにココに泊まったりしたようです。
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部屋の中には小さな部屋に座りづくりが並んでます。
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そうだよな~~
当時は勉強するのに正座だもんな~
きっついな~ -
江戸時代の宝暦年間の頃の姿に復元されています。
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さらに奥へ。
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こちらは木小屋。
薪や農具などの置き場のほか、漬物などの食料品を保管した建物です。 -
こちらも江戸時代の宝暦年間の頃の姿に復元されています。
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その奥には白い土蔵。
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大切なものを格納する耐火建築として建てられました。周囲は漆喰仕上げで屋根は栗板の柿葺きです。
こちらも江戸時代の宝暦年間の頃の姿に復元されています。 -
奥に廻って、
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北庭園の築山の横を通って、
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グルっと回ってきました。
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じっくり足利学校を拝見しました。
つづく
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