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鉄道旅行を題材に多くの作品を残した紀行作家・宮脇俊三さんの著作に「ローカル路線バスの終点へ」という作品があります。<br />終点まで片道1時間以上のローカルバスで様々なところへ訪問した紀行文です。<br />その中に鹿児島県・野間池まで行く話がありました。<br /><br />今回はその野間池に向かい「聖地巡り」をしてみました。<br />本当はバスで行きたかったのだけど、当時(昭和62年ごろ)と異なって、民間バスは廃止になり、コミュニテイバスとなって旅行者には使えなくなってしまったので、やむなくレンタカーでのドライブです。<br /><br />

薩摩半島めぐり① 「ローカルバスの終点へ」の聖地巡り・野間池

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2024/11/30 - 2024/11/30

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あおし

あおしさん

鉄道旅行を題材に多くの作品を残した紀行作家・宮脇俊三さんの著作に「ローカル路線バスの終点へ」という作品があります。
終点まで片道1時間以上のローカルバスで様々なところへ訪問した紀行文です。
その中に鹿児島県・野間池まで行く話がありました。

今回はその野間池に向かい「聖地巡り」をしてみました。
本当はバスで行きたかったのだけど、当時(昭和62年ごろ)と異なって、民間バスは廃止になり、コミュニテイバスとなって旅行者には使えなくなってしまったので、やむなくレンタカーでのドライブです。

旅行の満足度
3.0
観光
3.0
ホテル
3.0
交通
3.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
レンタカー JALグループ
旅行の手配内容
個別手配
  • 東京羽田から鹿児島空港までたった2時間。<br />正午の到着。<br />早いのものです。<br /><br />鹿児島空港は霧島連邦の下にあり、山々が見えます。<br />ただ、今日は天気はいま一つ。雲に隠れていました。<br /><br />鹿児島空港でレンタカーを借りて出発。

    東京羽田から鹿児島空港までたった2時間。
    正午の到着。
    早いのものです。

    鹿児島空港は霧島連邦の下にあり、山々が見えます。
    ただ、今日は天気はいま一つ。雲に隠れていました。

    鹿児島空港でレンタカーを借りて出発。

    鹿児島空港 空港

    鹿児島市街地からはやや離れています by あおしさん
  • 鹿児島空港からは鹿児島市内を通らず、薩摩半島の入り口である伊集院へそのまま直行します。<br /><br />途中、「大警視」というバス停に寄りました。

    鹿児島空港からは鹿児島市内を通らず、薩摩半島の入り口である伊集院へそのまま直行します。

    途中、「大警視」というバス停に寄りました。

  • ここには「日本警察の父」川路利良の生家がありました。<br /><br />川路利良は身分の低い郷士の出身でしたが、西郷隆盛に見いだされて、明治維新後は西郷から警察を作ることを任されました。<br />川路にとっては、西郷は大の恩人でしたが、西郷が薩摩に下野した後も明治政府に残り、薩摩の先輩である大久保利通とともに西南戦争で西郷を滅ぼしました。<br />鹿児島県では、今でも「恩知らず」として極悪人扱いです。<br /><br />一方で、初代大警視(現在の警視総監)として警察制度を作った功績は大きく、警察の在り方を示した川路の語録は『警察手眼』(けいさつしゅげん)として編纂され、警察官のバイブルとしても広く読み継がれています。

    ここには「日本警察の父」川路利良の生家がありました。

    川路利良は身分の低い郷士の出身でしたが、西郷隆盛に見いだされて、明治維新後は西郷から警察を作ることを任されました。
    川路にとっては、西郷は大の恩人でしたが、西郷が薩摩に下野した後も明治政府に残り、薩摩の先輩である大久保利通とともに西南戦争で西郷を滅ぼしました。
    鹿児島県では、今でも「恩知らず」として極悪人扱いです。

    一方で、初代大警視(現在の警視総監)として警察制度を作った功績は大きく、警察の在り方を示した川路の語録は『警察手眼』(けいさつしゅげん)として編纂され、警察官のバイブルとしても広く読み継がれています。

  • 周辺は山の中の畑があるだけの農村。<br />薩摩藩の武士は、鹿児島城下に住む「城下士」と農村に住む「郷士」との間で厳しい身分差別があり、川路はこの低く貧しい身分から出世したのでした。<br /><br />大河ドラマ「西郷どん」では泉澤祐希さんが演じていました。<br />

    周辺は山の中の畑があるだけの農村。
    薩摩藩の武士は、鹿児島城下に住む「城下士」と農村に住む「郷士」との間で厳しい身分差別があり、川路はこの低く貧しい身分から出世したのでした。

    大河ドラマ「西郷どん」では泉澤祐希さんが演じていました。

  • 鹿児島空港から約2時間弱、JR伊集院駅に到着。<br />平成の大合併で薩摩半島西部は町村が合併して「日置市」となり、その中心駅となっています。<br /><br />駅前にはこの地で生まれた島津義弘の銅像があります。<br />関ヶ原の合戦で、徳川家康軍の中を「敵中突破」したときのイメージでつくられたとか。

    鹿児島空港から約2時間弱、JR伊集院駅に到着。
    平成の大合併で薩摩半島西部は町村が合併して「日置市」となり、その中心駅となっています。

    駅前にはこの地で生まれた島津義弘の銅像があります。
    関ヶ原の合戦で、徳川家康軍の中を「敵中突破」したときのイメージでつくられたとか。

    伊集院駅

  • 伊集院駅から昭和59年まで薩摩半島を南下する「鹿児島交通」というローカル私鉄がありました。<br />伊集院駅から約10キロ、南下した吉利というところに「吉利駅」がありました。<br />

    伊集院駅から昭和59年まで薩摩半島を南下する「鹿児島交通」というローカル私鉄がありました。
    伊集院駅から約10キロ、南下した吉利というところに「吉利駅」がありました。

  • 吉利駅は当時の鹿児島交通の主要駅だったようで、当時のホームや駅名標が保存され、線路は撤去されましたが、サイクリングロードとして整備されています。

    吉利駅は当時の鹿児島交通の主要駅だったようで、当時のホームや駅名標が保存され、線路は撤去されましたが、サイクリングロードとして整備されています。

  • この吉利は幕末、2600石の領主でもあった、薩摩藩家老・小松帯刀の地元だったところです。<br /><br />小松帯刀は若くして薩摩藩の筆頭家老=「首相」となり、幕末の薩摩藩をリードしました。<br />また小松は西郷隆盛や大久保利通を重用し、さらには同い年の坂本龍馬とも親友の間となりました。<br />下級武士に過ぎなかった西郷、大久保、一介の浪人に過ぎなかった坂本龍馬が幕末あれだけの活躍ができたのも小松のバックアップがあったからです。

    この吉利は幕末、2600石の領主でもあった、薩摩藩家老・小松帯刀の地元だったところです。

    小松帯刀は若くして薩摩藩の筆頭家老=「首相」となり、幕末の薩摩藩をリードしました。
    また小松は西郷隆盛や大久保利通を重用し、さらには同い年の坂本龍馬とも親友の間となりました。
    下級武士に過ぎなかった西郷、大久保、一介の浪人に過ぎなかった坂本龍馬が幕末あれだけの活躍ができたのも小松のバックアップがあったからです。

  • 小松の領主屋敷跡は小学校になっていました。<br />ただ、その小学校も最近閉校したようでした。<br /><br />坂本龍馬が西郷たちと新政府の人事を話し合っていたときには、西郷、大久保、木戸の「維新の3傑」を抑えて小松を筆頭に挙げていました。<br />長生きしていれば、初代内閣総理大臣になっていたかもしれない人でしたが、明治初め、35歳の若さで病死してしまいました。<br />そのため小説やドラマではあまり取り上げられず目立たない人でしたが、大河ドラマ「篤姫」では実質副主役として描かれ(演じたのは瑛太さん)、「西郷どん」でも町田啓太さんが演じるなど最近は知名度を上げています。

    小松の領主屋敷跡は小学校になっていました。
    ただ、その小学校も最近閉校したようでした。

    坂本龍馬が西郷たちと新政府の人事を話し合っていたときには、西郷、大久保、木戸の「維新の3傑」を抑えて小松を筆頭に挙げていました。
    長生きしていれば、初代内閣総理大臣になっていたかもしれない人でしたが、明治初め、35歳の若さで病死してしまいました。
    そのため小説やドラマではあまり取り上げられず目立たない人でしたが、大河ドラマ「篤姫」では実質副主役として描かれ(演じたのは瑛太さん)、「西郷どん」でも町田啓太さんが演じるなど最近は知名度を上げています。

  • このあたりの海岸線は45キロにもわたる「砂丘」でもあり、日本3大砂丘の1つ、吹上浜と呼ばれます。<br />天気が良ければ、砂丘めぐりをしたかったけど、雲は厚く、風は強くてでとても散策できるような状況ではなかったのは残念。

    このあたりの海岸線は45キロにもわたる「砂丘」でもあり、日本3大砂丘の1つ、吹上浜と呼ばれます。
    天気が良ければ、砂丘めぐりをしたかったけど、雲は厚く、風は強くてでとても散策できるような状況ではなかったのは残念。

    吹上浜 自然・景勝地

    日本3大砂丘の1つ by あおしさん
  • さらに南下していくと、日置市から南さつま市に入ります。<br />道の駅「きんぽう木花館」で一息。<br />かつてここは金峰町という町だったのですが、平成の大合併で「南さつま市」となりました。<br />平成の大合併では「南さつま」とかなんともそっけない市名になり、古くからの地名が失われるのは残念なことです。

    さらに南下していくと、日置市から南さつま市に入ります。
    道の駅「きんぽう木花館」で一息。
    かつてここは金峰町という町だったのですが、平成の大合併で「南さつま市」となりました。
    平成の大合併では「南さつま」とかなんともそっけない市名になり、古くからの地名が失われるのは残念なことです。

    道の駅 きんぽう木花館 道の駅

    旧金峰町の道の駅です。 by あおしさん
  • JR伊集院駅から約30キロ南下したところにある「加世田バスターミナル」へ到着します。<br />平成の大合併までは加世田市で、今は南さつま市の中心になります。<br />ここには鹿児島交通の中心駅である加世田駅がありました。<br />当時の鹿児島交通の機関車や駅名標が置かれていました。

    JR伊集院駅から約30キロ南下したところにある「加世田バスターミナル」へ到着します。
    平成の大合併までは加世田市で、今は南さつま市の中心になります。
    ここには鹿児島交通の中心駅である加世田駅がありました。
    当時の鹿児島交通の機関車や駅名標が置かれていました。

  • このバスターミナルには、鹿児島交通、旧名南薩鉄道の記念館がありました。<br />昭和59年に廃線になったときの資料などが展示されていました。

    このバスターミナルには、鹿児島交通、旧名南薩鉄道の記念館がありました。
    昭和59年に廃線になったときの資料などが展示されていました。

    南薩鉄道記念館 美術館・博物館

    昭和59年に廃止されたローカル鉄道・鹿児島交通線の記念館です by あおしさん
  • 営業当時の駅に設置されていた駅名看板なども保存されています。

    営業当時の駅に設置されていた駅名看板なども保存されています。

  • 車庫には当時の鹿児島交通の車両も保存されていました。<br />「丸い顔」の独特の車両でした。<br />イベントなどで走らせてくれないかな。

    車庫には当時の鹿児島交通の車両も保存されていました。
    「丸い顔」の独特の車両でした。
    イベントなどで走らせてくれないかな。

  • 旧加世田駅前の大通り。<br />かつては駅を中心に町が形成されたことがうかがわれます。<br /><br />宮脇俊三さんは鹿児島からまずバスでここまで来て、野間池行のローカルバスに乗り換えています。<br /><br />「この加世田バスターミナルは旧鉄道の駅前広場である。鉄道は廃止されても、依然として旧駅が町の交通の中心なのだ。黒ずんだ木造の駅舎もバスの営業所になって残っている(現在は残っていません)。」<br /><br />今回、「聖地巡り」なので同じくバスに乗りたかったのですが、今では1日1本、しかも夕方6時過ぎしかなく、真っ暗になってしまうので断念。<br />地方のバス路線は平成の30年の間にますます不便になってしまっています。

    旧加世田駅前の大通り。
    かつては駅を中心に町が形成されたことがうかがわれます。

    宮脇俊三さんは鹿児島からまずバスでここまで来て、野間池行のローカルバスに乗り換えています。

    「この加世田バスターミナルは旧鉄道の駅前広場である。鉄道は廃止されても、依然として旧駅が町の交通の中心なのだ。黒ずんだ木造の駅舎もバスの営業所になって残っている(現在は残っていません)。」

    今回、「聖地巡り」なので同じくバスに乗りたかったのですが、今では1日1本、しかも夕方6時過ぎしかなく、真っ暗になってしまうので断念。
    地方のバス路線は平成の30年の間にますます不便になってしまっています。

  • 「バスは干拓地を南から西へと迂回しながら旧海岸線を走る。ここが元のままの海だったら景色がよかろうにと思う。しかも海を埋めて農地に変えたのに休耕地が多い。失政と断ずるほどの知識も気力もないけれど、干拓などしなかったほうよかったのではないかという気がする」<br /><br /> 宮脇さんがバスの乗った平成の初めと同様、殺風景な干拓地と休耕地の中を道路は走っています。 <br /> ところどころに干拓の記念碑がありました。

    「バスは干拓地を南から西へと迂回しながら旧海岸線を走る。ここが元のままの海だったら景色がよかろうにと思う。しかも海を埋めて農地に変えたのに休耕地が多い。失政と断ずるほどの知識も気力もないけれど、干拓などしなかったほうよかったのではないかという気がする」

     宮脇さんがバスの乗った平成の初めと同様、殺風景な干拓地と休耕地の中を道路は走っています。 
     ところどころに干拓の記念碑がありました。

  • 「大浦は入江の奥の漁港だったところで干拓によって海と縁が切れた今日でも、思いなしか潮の香を漂わす家が多い。その大浦で3人の客がおり、1人乗った」<br /><br /> 旧大浦町役場前です。<br /> 平成の大合併で今は南さつま市に編入され、役場も南さつま市役所支所になっています。<br /> しかし市街地らしきものがなく、お店もほとんどなくとても1つの自治体の中心地とは思えないところでした。<br />

    「大浦は入江の奥の漁港だったところで干拓によって海と縁が切れた今日でも、思いなしか潮の香を漂わす家が多い。その大浦で3人の客がおり、1人乗った」

     旧大浦町役場前です。
     平成の大合併で今は南さつま市に編入され、役場も南さつま市役所支所になっています。
     しかし市街地らしきものがなく、お店もほとんどなくとても1つの自治体の中心地とは思えないところでした。

  • 「ここからが野間池行のバスのハイライトで、断崖の上の際どい所を走る。すでに集落はなく、時に家が一軒ないし数軒が山肌に張り付くようにあるだけだ」<br /><br /> 平成の30年の間に道路は整備されて、快適な道路になっていましたが、ここだけは新しい道路はトンネルになり、宮脇さんが「断崖の上の際どいところ」と表現した道路が残っていました。<br /> こんな貧弱な道路を大きなバスが通っていたとはちょっと信じられないほどの悪路でした。<br />

    「ここからが野間池行のバスのハイライトで、断崖の上の際どい所を走る。すでに集落はなく、時に家が一軒ないし数軒が山肌に張り付くようにあるだけだ」

     平成の30年の間に道路は整備されて、快適な道路になっていましたが、ここだけは新しい道路はトンネルになり、宮脇さんが「断崖の上の際どいところ」と表現した道路が残っていました。
     こんな貧弱な道路を大きなバスが通っていたとはちょっと信じられないほどの悪路でした。

  • 「崖っぷちに沿う道が下りになると、右前方に野間池が見えてきた。『池』の名がふさわしいほどの入り口の狭い小さな湾で、神が恵んでくれたような絶妙な漁港である」<br /><br /> ようやく野間池が見えてきました。<br /> 薩摩半島の先端で、僻地感のある場所です。

    「崖っぷちに沿う道が下りになると、右前方に野間池が見えてきた。『池』の名がふさわしいほどの入り口の狭い小さな湾で、神が恵んでくれたような絶妙な漁港である」

     ようやく野間池が見えてきました。
     薩摩半島の先端で、僻地感のある場所です。

  • 「バス停の前にあった郵便局の軒下で雨宿りをしたが、雨が横殴りにふきつけるので、向かいの雑貨屋に駆け込み、『民宿やました』の所在を訪ねる」<br /><br />終点の野間池のバス停の前に郵便局は残っていましたが、雑貨屋は見当たりませんでした。<br />それでも漁港として栄えたらしく、先ほど旧大浦町役場に比べると民家が多いように感じられました。

    「バス停の前にあった郵便局の軒下で雨宿りをしたが、雨が横殴りにふきつけるので、向かいの雑貨屋に駆け込み、『民宿やました』の所在を訪ねる」

    終点の野間池のバス停の前に郵便局は残っていましたが、雑貨屋は見当たりませんでした。
    それでも漁港として栄えたらしく、先ほど旧大浦町役場に比べると民家が多いように感じられました。

  • 港から野間集落の岬へ。<br />天気が良ければ夕陽の美しいところだそうです。<br /><br />今日は残念なことに雲が多くて夕陽は見られませんでした。

    港から野間集落の岬へ。
    天気が良ければ夕陽の美しいところだそうです。

    今日は残念なことに雲が多くて夕陽は見られませんでした。

  • 「強風に吹かれながら小学校の裏手の『民宿やました』にたどりつく。看板がなければ普通の民家にしか見えない」<br /><br />宮脇さんの宿泊した民宿の前にある小学校は建物はありましたが、すでに閉校になっていました。<br />その裏手には民家が数軒あり、「これかな?」と思わせる民家はあったもののすでに民宿は廃業したようで、「看板」もありませんでした。

    「強風に吹かれながら小学校の裏手の『民宿やました』にたどりつく。看板がなければ普通の民家にしか見えない」

    宮脇さんの宿泊した民宿の前にある小学校は建物はありましたが、すでに閉校になっていました。
    その裏手には民家が数軒あり、「これかな?」と思わせる民家はあったもののすでに民宿は廃業したようで、「看板」もありませんでした。

  • 野間池からは枕崎へ抜けて、今晩の宿泊先である頴娃という町へ向かいます。<br />この枕崎への道がすさまじく、まさに「崖っぷちに沿う道」<br />景観はいいのですが、運転しても怖いほど。<br />それでも信じられないことに民家が点在し、人が住んでいるようで、バス停もありました。<br />おそらくボックスカーを使った小さなバスでしょうけど、よく人が住んでいるものだ、と思うような道でした。

    野間池からは枕崎へ抜けて、今晩の宿泊先である頴娃という町へ向かいます。
    この枕崎への道がすさまじく、まさに「崖っぷちに沿う道」
    景観はいいのですが、運転しても怖いほど。
    それでも信じられないことに民家が点在し、人が住んでいるようで、バス停もありました。
    おそらくボックスカーを使った小さなバスでしょうけど、よく人が住んでいるものだ、と思うような道でした。

  • 今日の宿泊先は頴娃という小さな町の「えい寿ホテル」<br />かつては結婚式なども行われるような豪華ホテルだったようですが、今は町も寂れてしまい、ささやかなホテルになっていました。

    今日の宿泊先は頴娃という小さな町の「えい寿ホテル」
    かつては結婚式なども行われるような豪華ホテルだったようですが、今は町も寂れてしまい、ささやかなホテルになっていました。

    えい寿ホテル 宿・ホテル

    旧頴娃町にある旅館ホテル by あおしさん
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