2024/11/15 - 2024/11/16
-位(同エリア7108件中)
ポールさん
この旅行記のスケジュール
2024/11/15
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電車での移動
宇和島12:55-(宇和海)-14:17松山
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車での移動
タクシー
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大宝寺
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徒歩での移動
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電車での移動
松山駅-(トラム)-勝山町
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東横INN松山一番町
2024/11/16
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徒歩での移動
松山城経由
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萬翠荘
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電車での移動
大街道-(トラム)-道後温泉
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道後温泉本館
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バスでの移動
道後温泉駅前ー石手寺前
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石手寺
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バスでの移動
石手寺前ー大街道ー松山空港
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飛行機での移動
松山空港18:55-(JAL)-20:15羽田空港
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この旅行記スケジュールを元に
旅の全体日程は以下のとおりです。
1日目:新神戸駅→丸亀城→(今治泊)
2日目:今治城→大洲城、臥龍山荘→(宇和島泊)
3日目:宇和島城、天赦園、伊達博物館→大宝寺(松山泊)
4日目:松山城、萬翠荘、道後温泉本館、石手寺→松山空港→羽田空港
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- タクシー JALグループ JR特急 私鉄
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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宇和島で乗車した宇和海号は、14:17に松山駅に到着しました。
今年9月に高架駅化されたばかりです。 -
よって、現状はこのような仮説通路を通って東口へ出ます。
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松山駅東口からタクシーで大宝寺へやって来ました。
写真は参道入口ですが、タクシーだったので上方の境内に横付けしてもらいました。 -
大宝寺は、大宝年間(701~704年)越智玉興による創建と伝えられています。現在は真言宗です。
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本堂は、平安時代末期の阿弥陀堂形式を用いた鎌倉時代初期の建築と考えられており、簡素ながらよく均整がとれ、国宝に指定されています。
様式は和様で、桁行(正面)3間、梁間4間、一重、寄棟造り、二軒、本瓦葺です。柱はすべて円柱で、柱上には斗きょうを用いず、四隅の柱上にのみ簡素な舟肘木を置いています。
屋根はもと茅葺であったのを1745年の修理の際に瓦葺に改めたと推測されています。 -
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空襲で大宝寺の建造物の多くが焼失してしまいましたが、幸いにも本堂は無事でした。その際近くに落ちた焼夷弾の破片が、今も本堂の西壁に突き刺さったままです。
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本堂内には、3体の仏像が安置されており、いずれも国指定重要文化財です。
堂内で拝観できるのは、年に1日のみとのことです。 -
木造阿弥陀如来坐像です。
大宝寺の本尊としてもともと本堂の正面厨子に安置され、秘仏として開扉せず寺では薬師如来として信仰されてきました。像高137.9cm、寄木造りの大形坐像です。伏目半眼に丸顔、ゆるやかに流れるノウ衣の波、低い両膝ひざをつつむ浅い刀法の衣紋など、よく定朝風の刀法を表しており、藤原時代末期の作とみられています。 -
木造釈迦如来坐像です。
頭部の肉髻と地髪の境があまりはっきりしないところや、厳しい顔貌、豊満な胸部や、厚い膝や衣紋の彫法など全体的に地方作らしい粗豪な作風は迫力があります。像高83.6cm、一木造りで、藤原時代初期の作品と見られています。 -
木造阿弥陀如来坐像です。
像高68.2cm、一木造りで、頭部の形や顔貌、豊満な胸、衣紋の翻波式彫法や厚い両膝など、密教的な貞観様式を多く盛った作風であり、藤原時代初期のものとされています。 -
大宝寺本堂の前にある桜の木、「うば桜」です。
この木にまつわる説話は、小泉八雲の「怪談」にも収められています。 -
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徒歩で松山駅へ戻り、駅前の電停からトラムで宿泊先の「東横イン松山大街道」へ向かいました。
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夕食は、ホテル近くの「居魚屋 網元 別邸」です。
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造りです。
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かんぱちと鯛のかま焼です。
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朝食後松山城を見学し、県庁近くの大通りに出ました。
松山城の旅行記は、[香川、愛媛の城めぐり ⑥松山城]をご覧下さい。
https://4travel.jp/travelogue/11949000
徒歩で、萬翠荘に向かいます。 -
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この場所は、夏目漱石が1895年に松山中学の英語教師として赴任した折に下宿していた「愛松亭」のあったところです。
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現在は「漱石珈琲店・愛松亭」が建っています。
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「愛媛のフルーツパフェ」です。
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「チーズケーキと紅茶のセット」です。時計の砂が落ちたら紅茶の飲みごろという仕組みです。
いい値段はしますが、美味しい店でした。 -
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萬翠荘は国指定重要文化財で、陸軍武官として長く欧州に駐在した松山藩最後の藩主久松定昭の嗣子定謨が、退役後フランス・ルネッサンス様式の別邸として建築しました。
設計は、欧米外遊から帰朝直後の建築家・木子七郎が担当し、本格的な鉄筋コンクリート構造の建物を初めてこの地方に導入しました。
地上3階、地下1階、中央に重厚な車寄を置き、屋根は頂部を緩勾配の銅板で、下部を急勾配の天然スレートで葺いています。フランスではよく見られる「鱗瓦」です。中央の屋根はマンサード屋根、右隅は尖塔、避雷針の先端には松山藩の金を使っています。
外装にはタイルを用い、車寄・玄関扉・窓・手摺・屋根窓に至るまで欧風の薫り高い意匠でまとめられています。
内部も玄関ホールの左右に建つ万成石の独立柱をはじめ、チーク材の階段手摺、大型のステンドグラス、マントルピースなどがロココ調の家具と相まって優美な雰囲気を醸し出しています。
建物は、予定を繰り上げて1922年11月に竣工し、陸軍大演習の後に松山を訪れた皇太子(後の昭和天皇)の宿泊所に充てられました。 -
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バルコニーの連続アーチです。
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車寄せの彫刻も見事です。
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玄関ホールの柱は、岡山産の万成石、通称紅桜、頂部にギリシャ建築に見られる飾りがあります。
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正面、階段の手すりは世界三大銘木の南洋チーク材(継ぎ目のない一本木)を使っているので、つやつやで滑らか。
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1階、中央階段のある広間を右に入ると、「謁見の間」です。白を基調とした落ち着いた部屋です。
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大理石でできているマントルピースと呼ばれる暖炉です。
暖炉の上にベルギー製の大きな鏡があります。 -
二枚の絵画が嵌め込まれています。
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「台場が築造された神奈川湾」
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「三坂峠からみた松山平野」
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隣の「晩餐の間」に入ります。こちらは黒が基調になっていて、食堂として使われていました。
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天井のシャンデリアは水晶で作られています。
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階段踊り場の、木内真太郎の制作のステンドグラスです。
縦444cm、横311cm、1か所9枚組のパネルで、海の風景、雲、帆船、カモメ、波。秋山好古と一緒にフランスの陸軍士官学校に入校するために、海原を渡ったイメージを描いたと言われています。 -
階段を上ると正面は居間です。
全体が白を基調とした内装で落ち着いた雰囲気です。 -
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書斎です。
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各部屋に暖炉が備え付けられていて、色やデザインの異なる大理石です。暖炉の上にはベルギー製の大きな鏡が取り付けられています。鏡があることで奥行きが生まれ、部屋を大きく見せる効果があります。
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萬翠荘見学後、トラムで道後温泉駅へやって来ました。
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道後温泉本館です。
国指定重要文化財で、北に神の湯本館、東に又新殿・霊の湯棟、南に南棟、西に玄関棟が互いに接続して建ち、複雑な屋根をもつ外観に特徴があります。
神の湯本館が1894年、又新殿・霊の湯棟が1899年、南棟及び玄関棟が1924年の建築です。
神の湯本館及び又新殿・霊の湯棟は、ともに棟梁坂本又八郎が手がけました。 -
神の湯本館です。
木造3階建で入母屋造の大屋根に宝形造の塔屋を設けています。 -
写真左は又新殿・霊の湯棟です。
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銅板及び檜皮葺の木造2階建一部3階建で正面に御成門を配し、皇族の入浴に備えて建てたられたものです。
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写真左は南棟です。
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玄関棟です。
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皇族専用の御召湯、又新殿の見学をサイトから予約しておきました。
この部分は桃山時代の書院造りを模して建てられ、随所に銘木を使用し、壁には障壁画を用いるなど華麗な造りです。材料は精選され、仕上げも洗練されて、木造建築の最高水準を示すものと評価されています。また、この1階の御召湯のみがこの温泉の古い階段式浴槽の形態を留めています。
道後温泉本館入口の入場券売り場で予約している旨を告げ、料金を支払うと、2階の受付へ行くよう言われました。
展示室の前に受付があり、1組ずつ案内してもらえます。韓国人の若い男性と我々の3名でした。
奥が天皇陛下のみ使用できる「玉座の間」、手前の部分は「御居間」で、湯上がりにお休みになる所です。 -
玉座の間の壁は、金箔地に鳳凰、菊、桐の絵が描かれていて豪華絢爛です。
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手前の部分は「御居間」。湯上がりにお休みになる所です。
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置き畳は「繧繝縁」です。最も格の高い畳縁で、神仏や天皇・三宮(皇后・皇太后・太皇太后)・上皇が用いました。
雛人形にも用いられています。 -
「大紋高麗縁」です。親王・摂関・大臣が用いました。
現在では神社や寺院の座敷や茶室の床の間などで見ることができます。 -
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階段をおりて1階にある「御湯殿」へ。
「洞の間」、高貴な人が入浴する際に着る「湯帷」の着脱をするためのお部屋です。 -
ここの襖は銀箔が貼られていて、修復されたばかりの銀の襖はまだピカピカです。
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昔は湯を引き上げる技術が無かったので、配管より深くに地面を削って湯船を作ってあります。
だからこの湯殿だけでなく、霊の湯と神の湯も湯船が深めになっています。 -
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道後温泉駅前のバス停で石手寺方面行のバスを待っていると、目の前に坊っちゃん列車がやって来ました。
周囲の皆さんもたいへん喜んでいました。 -
道後温泉駅前からバスで4分、石手寺です。
728年に聖武天皇の勅願に応じ、伊予の太守・越智玉純が、熊野十二社権現を祀る道場として創設されました。 -
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仁王門は国宝で、河野通継が1318年に建てたものです。日本全国のなかでも均整がよくとれた門として評価されています。
仁王門に安置されている金剛力士像は、国指定重要文化財で、運慶派の仏師が1240年に造りました。 -
右側の阿形の高さは2.53m。
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左側の吽形の高さは2.51m。
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本堂、国指定重要文化財です。
二王門とほぼ同じ時期の建築とされています。
建物は、和様で、桁行(正面)5間、梁間5間、一重、入母屋造、二軒、本瓦葺です。たびたび修理が行われていますが、各所の手法は力強く、鎌倉時代末期の建築の特徴をよく残しています。 -
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詞梨帝母天堂、国指定重要文化財で、一間社流見世棚造、桧皮葺です。訶梨帝母天は、別名鬼子母神ともいいます。
鎌倉時代後期、河野一族が勧請した十六王子社の遺構とも考えられていて、組物や妻飾の懸魚に優れた技法を見せていること、特に正面の水引貫上の蟇股が二王門と手法を同じくしていることが、これと同時期の創建とする根拠となっているとのことです。 -
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護摩堂、国指定重要文化財です。
創建の時期を明確にする史料を欠いていますが、全体の容姿及び構造・表現の技法からして、室町時代前期の建築と推定されています。
桁行・梁間とも3間の建物で、一重、屋根は宝形造、銅板葺(元は桧皮葺)。様式は和様で、面取り方柱の上に舟肘木を置くだけの簡素な造りであるが、柱ごとに一本の垂木を用いる大疎垂木(間配垂木)の手法が見られます。 -
内部の床は総て拭板張りで、護摩木を投じて修法する火炉は見られず、奥に来迎柱・来迎壁を設けて須弥壇を置きますが、転用材を用いるなど仮設的です。これは藩政時代に大師堂と呼ばれていたこととも符節します。
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三重塔、国指定重要文化財です。(改修工事中でした。)
全体の容姿はよく均整が取れ、鎌倉時代の特色を伝える建物です。 -
路線バスで大街道へ戻り、ホテルで荷物をピックアップして、リムジンバスで松山空港へ。
空港ターミナルビル内の「かどや」で夕食にします。 -
当然のように鯛飯をチョイスしました。
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JAL便で帰京します。
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旅行記グループ 香川、愛媛の城めぐり
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