2024/11/16 - 2024/11/16
785位(同エリア1658件中)
ポールさん
この旅行記のスケジュール
2024/11/16
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東横INN松山一番町
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徒歩での移動
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その他での移動
リフト 山麓→山頂
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松山城
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この旅行記スケジュールを元に
1602年、伊予国正木城主10万石の大名であった加藤嘉明が、関ヶ原の戦いでの戦功により20万石に加増され、松山城の築城に着手しました。
1627年、嘉明は松山城の完成前に会津藩へ転封となり、蒲生忠知が24万石で松山藩主となりました。
1634年に蒲生家が無嗣断絶すると、1635年に松平定行が15万石で藩主となり、1642年、創建当初5重であったという天守を3重に改築しました。
1784年天守を含む本壇の主な建物が落雷により焼失しましたが、1854年12代藩主勝善が再建しました。
1873年の廃城令により、主に麓の城門・櫓・御殿などは解体されましたが、多くの建物は残り、現在、以下の21棟が国の重要文化財に指定されています。
戸無門、隠門、隠門続櫓、乾櫓、野原櫓、紫竹門、紫竹門東塀、紫竹門西塀、一ノ門、一ノ門南櫓、一ノ門東塀、二ノ門、二ノ門南櫓、二ノ門東塀、三ノ門南櫓、筋鉄門東塀、三の門、三の門東塀、仕切門、仕切門内塀、天守
旅の全体日程は以下のとおりです。
1日目:新神戸駅→丸亀城→(今治泊)
2日目:今治城→大洲城、臥龍山荘→(宇和島泊)
3日目:宇和島城、天赦園、伊達博物館→大宝寺(松山泊)
4日目:松山城、萬翠荘、道後温泉本館、石手寺→松山空港→羽田空港
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ロープ―ウェイ・リフト乗り場です。
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乗車券売場です。案内係はマドンナさんですね。
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リフトを選択しました。左は登城路です。
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リフトから降りました。長者ヶ平、8合目です。
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石垣の上の建物は、隠門続櫓、国指定重要文化財です。
この櫓は、隠門2階の渡櫓の東側に接続する単層櫓で、長者ヶ平からの登城道を監視する目的で、揚木戸門前の本丸石垣の上に建っていて、石垣の下の敵を横から狙い撃ちする「横矢掛り」の罠が施されています。
隠門と同様に慶長年間(1596~1615年)の建築といわれ、創建当時の技法が残されている貴重な遺構です。 -
待合番所跡です。
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大手門跡です。黒門口登城路との合流地点となっています。
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大手門跡を、本丸から見下ろしています。
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天守が見えてきました。手前の櫓は太鼓櫓です。
まっすぐ進むと天守に向かえそうですが、搦手の乾門あたりで行き止まりになっています。これは敵を攪乱するためと言われています。 -
回り込むと、戸無門があります。国指定重要文化財で、本丸の大手入口の最初に設けられている高麗門です。
建築年代は詳らかではありませんが、寛永から正保年間(1624年~1648年)と推定されています。 -
一間一戸で、両脇の寄掛柱を石垣にもたせています。
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藩政時代から戸無門の名で呼ばれ、鏡柱に扉を吊る肘壺の痕跡もないので、創建当初から扉を持たなかったものと思われています。
敵をおびきよせるため、わざと戸がないように作られました。 -
筒井門です。城内で最も堅固な門で、東西に続櫓があります。1949年に放火により焼失し、1971年に復元されました。
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筒井門の奥に、隠門があります。
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隠門、国指定重要文化財です。
この門は、正門である筒井門の奥の石垣の陰に秘匿された、埋門形式の櫓門で、戸無門を通過して筒井門に迫る寄手の側背を急襲する策謀が秘められていました。 -
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2階は筒井門東続櫓と隠門続櫓とを結ぶ渡櫓となっています。
慶長年間(1596年~1615年)の建築と考えられ、城内の建造物のうち、最古の乾櫓・野原櫓に次ぐ、築城当時からの貴重な遺構です。 -
内側から見た隠門と、先ほど石垣の下から見上げた隠門続櫓です。
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巽櫓です。戦災で焼失し、1986年に復元されました。
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太鼓門です。戦災で焼失し、1972年に復元されました。
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太鼓櫓です。戦災で焼失し、1973年に復元されました。
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馬具櫓です。戦災で焼失し、1958年に本丸の防災ポンプ操作室として鉄筋コンクリート造で外観復元されました。
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天守から本丸を見ています。
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本丸に入ると、中央に天守が聳えています。
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正面に紫竹門東塀があります。国指定重要文化財です。
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目の前に天守が現れます。
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これから、一ノ門、二ノ門、三ノ門、筋金門を抜け、天守、小天守などの建物群の内部に入ります。
帰りは、内門、仕切門を抜け、天神櫓を通ります。 -
ロープ―ウェイ・リフト乗り場にあった本壇の模型です。
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右に折れると一ノ門、国指定重要文化財です。
本壇入口の虎口に西面して建つ最初の門で、脇戸付高麗門です。南端及び北端の妻はそれぞれ一ノ門南櫓及び三ノ門南櫓下の石垣に取り付いています。 -
天守とともに1784年の落雷で焼失。扉の墨書によると、天守の再興に先だち、天明6年(1786年)には再建された。この門だけがいち早く再建されたのは、本壇内に自由に往来が出来ないようにするために取り敢えず再興したものと考えられています。
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正面に見えるのは二ノ門南櫓、国指定重要文化財です。
1784年に焼失。櫓内部の柱に嘉永5年(1852年)の祈祷札が残されており、この年の再建と考えられています。 -
一ノ門を抜けると石段の桝形があります。
これは攻勢防御の築城思想から、出撃帰塁の兵員数を計る仕組みとされ、一ノ門の扉の格子はそのとき隙間から頭数・脚数を計測する目的があったといわれています。
また、一ノ門の前面及び桝形に対しては、小天守をはじめ四周の櫓から銃火が集中され、本壇防衛上最も堅固に築かれた箇所ということができます。 -
一ノ門南櫓、国指定重要文化財です。
1784年に焼失し、二ノ門南櫓と同時期の1852年再建と考えられています。 -
桝形を左に折れて9段の石段を登ると、本壇の地盤面に達し、その入口に南面して、脇戸付薬医門の二ノ門があります。国指定重要文化財です。
一ノ門のように再建年号を確定するものはありませんが、番付墨書・部材の風化等から、二ノ門南櫓と同時期の1852年の再建と考えられています。 -
二ノ門を抜けて左に折り返すと、天守穴蔵石垣添いに、三ノ門があります。国指定重要文化財です。
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脇戸を省略した高麗門で、1852年の再建と考えられています。
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三ノ門を抜けると、正面に三ノ門南櫓があります。国指定重要文化財で、1852年の再建と考えられています。
一ノ門南櫓・二ノ門南櫓・三ノ門南櫓は、いずれも天守にいたる曲折した進入路に沿って設けられており、武器・弾薬・米塩の貯蔵を主目的にしながらも、桝形や本丸広場に対して格子窓・狭間・石落しを備え、本壇最後の防衛手段としての機能も併せもっています。 -
筋金門東塀です。国指定重要文化財で、嘉永年間(1848年~1854年)の再建と考えられています。
三ノ門南櫓と筋鉄門を結ぶ渡塀で、その射界は、一ノ門前の本壇入口から、さらに遠く本丸広場の大手方向に備えています。 -
筋金門です。1933年、放火により焼失し、1968年に復元されました。
その右は天守、左は小天守です。 -
筋金門の内側です。
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筋金門を抜けると内庭で、中に入ると四方八方から狙われる造りになっています。
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天守です。全国に12件現存する天守の一つで、国指定重要文化財です。
加藤嘉明が1602年に築城を開始した当初の天守は、5重の偉容を誇ったと伝えられていますが、1642年に3重に改修されました。
それは、地盤が弱かったからとも、武家諸法度の意を受けて江戸幕府に配慮したためともいわれています。
その天守は、1784年に落雷で本壇の主要建物とともに焼失し、現存のものは、1852年に再建された、連立式3重3階地下1階構造の層塔型天守です。
幕末に親藩大名松平(久松)家により復興されたものであるためか普請の精度は高く、建築材料には樟や欅また栂など一級と呼ばれる木材が使用されています。 -
3階建の木造部分は、最上階の外周(桁行6間、梁間4間半)の柱及び間仕切をそのまま2階から1階に降ろしてこれを基本軸組とし、その隅柱には欅材が用いられています。
基本軸組の四方外周に、1階には幅1.5間の、2階にはその半分幅の武者走り(廊下)を設け、その各層ごとに屋根を架けて、上ほど逓減する天守の威容が演出されています。各階を通じて基本軸組の内側は天井を張り、畳を敷き、床の間を設けるなど時代の平和相が見られますが、武者走りについては随所に狭間さまを設け、天井を張らずに梁を化粧に顕し、窓には塗籠角格子の外部に突揚げ板戸が、内部には引き土戸が備えられています。
外壁も最上階は漆喰塗の白壁ですが、下の2つの階は下見板張墨塗とするなど、慶長の武装建築の面影をよく留めています。 -
本来の入口は玄関多聞ですが、現在は、まず穴蔵に入り、そこから見学用に後から作られた急な階段で天守へ上ります。
石造穴蔵は、外壁・内壁とも切込ハギの石積で構築され、内庭に面する入口には、鉄板張りの厚手の扉が吊り込まれ、その上部には重量約6tのまぐさ石が5本並列して渡されています。
防腐力の強い樟材を使用し、床には敷瓦を敷きつめており、約二千俵の米が貯蔵可能といわれています。
樟材の柱、大梁で上部の3層3階の天守を支えています。 -
天守内部に展示されている「本壇諸櫓平絵図」です。
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天守2階です。
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天守3階(最上階)です。
各階とも、基本軸組の内側は天井を張り、畳を敷き、床の間が設けられています。 -
天守から、本丸、松山市街地方向の眺望です。
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左から、小天守、多聞櫓、南隅櫓、十間廊下です。1933年放火により焼失し、1968年に復元されました。
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左から、十間廊下、北隅櫓、玄関多聞櫓、内門です。1933年放火により焼失し、1968年に復元されました。
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仕切門、国指定重要文化財です。一間一戸脇戸付高麗門で、嘉永年間(1848年~1854年)の建築と考えられています。
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天神櫓です。戦災で焼失し、1979年に復元されました。
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券売所まで戻り、紫竹門、乾門方面へ向かいます。
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紫竹門です。国指定重要文化財で、嘉永年間(1848年~1854年)の再建と考えられています。
本丸上の大手と搦手を仕切る門で、本壇上の小天守の南真下に北面して建つ、一門一戸の脇戸付高麗門です。 -
ここを出た直後の小天守の石垣下に土壇があり、紫竹が植えられ、その茂みに隠れて、逆に本丸広場方面を観察する仕組みも持つのでこの名があります。
このため扉は横板張りの上下を堅格子としてあり、築城時の弾力的な兵力運用の配慮が偲ばれます。 -
紫竹門から先は見学者がぐっと少なくなりますが、見所が多いので時間を確保して是非足を運んで欲しいと思います。
この先の乾門を出た所からの本丸の眺めは素晴らしいです。 -
本壇石垣上に、北隅櫓、南隅櫓が聳えます。
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野原櫓、国指定重要文化財です。
松山城最古の建物で、加藤嘉明が慶長年間(1596年~1615年)に築城した当時に建築した建物と伝えられています。
豪放な木割り、礫詰めの太鼓壁、化粧屋根裏などの構造と、石落し・狭間の備えを含め、築城当初の面影をよく留める貴重な建物です。
更に、日本で唯一現存する望楼型二重櫓としてもたいへん貴重です。
1階の大入母屋屋根の中ほど上に、2間半角の2階をのせており、通柱は見られません。これは天守が、大屋根上の物見櫓から発達したとする天守望楼起源説の根拠として注目されています。 -
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扇型の石垣の上に建つ野原櫓の姿です。
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写真正面は乾櫓、左は乾門・乾門続櫓です。
乾櫓は、慶長年間(1596年~1615年)の造営と考えられており、国指定重要文化財です。
北麓の北の郭からの登城道が本丸に達する要地に築造されており、乾門続櫓とともに搦手を防衛する重要な構えです。
内部構造は木割りが大きく、壁は太鼓壁として中に礫を詰め、天井は張らず化粧屋根裏とするなど、武装建築の豪放で素朴な手法がみられます。
乾門・乾門続櫓は、戦災で焼失し、1982年に復元されました。 -
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石垣上の、乾櫓、乾門・乾門続櫓です。
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乾門から外へ出ます。
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乾一ノ門跡です。
ここでUターンして、松山城の雄姿を眺めることにします。 -
石垣の上、手前が乾櫓、奥が野原櫓です。
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乾櫓、乾門・乾門続櫓、南隅櫓、小天守が望めます。
ここから望む松山城の眺めは代表的なビュースポットです。
日本有数の高石垣も見られます。 -
紫竹門を出て、本壇、乾櫓方面を眺めます。
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本丸にある井戸です。深さ44mあると言われています。
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大手門跡から、黒門口ルートで下城します。
これは、江戸時代には松山城に登る正式ルートで、当時の登城路の気分を味わえます。 -
尾谷門跡まで下りてきました。
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左の石垣の上に持弓櫓、右の石垣の上に土蔵群がありました。
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二ノ丸史跡庭園が見下ろせます。
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左は四足門、二ノ丸の正式な門ですが、二ノ丸史跡庭園の入口はここではありません。
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写真の左端が槻門跡です。
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復元された二之丸多聞櫓です。二ノ丸史跡庭園の入口や展示室になっています。二ノ丸は松山城の中枢で、藩主の生活の場であり、御殿や庭園、茶室などがありました。
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林泉庭です。
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早くも色付き始めています。愛媛県各地の紅葉情報を見ても、同じ標高の地では例年ここが最も早く色付くようです。
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水琴窟です。耳を近づけると綺麗な音が聴こえました。
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大井戸遺構です。
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山上に見えているのは、恐らく本壇の小天守と南隅櫓だと思います。
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栂門跡です。
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黒門跡です。
わずか100mほどの間に、黒門、栂門、槻門の3つの門があり、槻門を抜けるまでに5度クランクしています。 -
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石垣上の二ノ丸と、その背後の山上には本丸の建物群が見えます。
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堀之内(三ノ丸)東御門櫓台石垣跡です。
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堀まで来ました。
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本丸の売店で購入した、松山城のペーパークラフトです。
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