2024/11/13 - 2024/11/13
292位(同エリア617件中)
ポールさん
この旅行記のスケジュール
2024/11/13
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電車での移動
新神戸10:12-(ひかり)-11:06岡山
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電車での移動
岡山11:12-(マリンライナー)-11:52坂出12:00-(普通)-12:08丸亀
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丸亀城
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電車での移動
丸亀16:19-(しおかぜ)-17:45今治
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丸亀城は、1597年、生駒親正が豊臣秀吉から讃岐17万石を与えられた際に、支城として築かれたものです(本城は高松城)。
1602年、ほぼ現在の城郭が完成しましたが、1615年の一国一城令により廃城となりました。
1640年、生駒氏は不祥事により転封となり、島原・天草一揆(1637~38年)の戦後処理の実績を評価された山崎家治が1641年に天草から5万3千石で入封。丸亀藩が立藩しました。
そして、瀬戸内の島々にいたキリシタンの蜂起に備えるため、1643年、幕府の命により城の改修に着手しました。幕府は丸亀藩に銀300貫を与え、参勤交代を免除し、突貫工事をやらせました。
1658年、山崎氏が無嗣断絶したため京極高和が6万石で入封し、1660年に天守が完成しました。
建築物は、天守・大手一の門・大手二の門(以上、国指定重要文化財)・藩主玄関先御門・番所・御籠部屋・長屋が現存しています。
旅の全体日程は以下のとおりです。
1日目:新神戸駅→丸亀城→(今治泊)
2日目:今治城→大洲城、臥龍山荘→(宇和島泊)
3日目:宇和島城、天赦園、伊達博物館→大宝寺(松山泊)
4日目:松山城、萬翠荘、道後温泉本館、石手寺→松山空港→羽田空港
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 新幹線 JR特急 JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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山陽新幹線の新神戸駅です。
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10:12発ひかり501号に乗車します。
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ひかり号の入線です。
上りホームにはこだま840号が停車中ですが、車体塗装はひかりRail Starのままです。 -
岡山駅から、瀬戸大橋線の快速マリンライナーに乗車します。
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瀬戸大橋を渡ります。真下に瀬戸内海が見えます。
線路とキャットウォークとの間のスペースは、四国新幹線のために準備されているものです。 -
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坂出駅で予讃線の普通列車に乗り継ぎます。
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JR丸亀駅です。ここから丸亀城まで15分ほど歩きます。
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丸亀城のある亀山と天守が見えてきました。標高は66mです。
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丸亀市立資料館が所蔵している、桧材で造られた丸亀城の木型模型「丸亀城木図」です。(この日は展示されていませんでしたが、2日後に宇和島市立伊達博物館の特別展で見ることができました。)
江戸時代には城の再建や改修に際し、木図や紙図を幕府に提出することが義務付けられていました。この木図は、1670年に丸亀藩京極氏が城の大手を南側から北側に移し、大手一の門・二の門を建造するにあたり、許可を得るため幕府に提出した木型模型の写しと推定されていて、全国でも例を見ない1級の資料です。
天守のほか11棟の隅櫓と、それをつなぐ渡櫓や門、山下の北西部には藩主が住んだ御殿がありました。 -
正面左側が「大手二の門」(国の重要文化財)、右側が「大手一の門」(国の重要文化財)です。
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「大手枡形」です。
最初にくぐる「大手二の門」は簡略な高麗門形式、2番目にくぐる「大手一の門」は櫓門形式でより格式の高いものです。
この組み合わせは、日本の近世城郭に共通しています。
周囲には矢狭間、鉄砲狭間があり、敵が攻めてきたときに四方から攻撃できるようになっています。 -
「大手枡形」の石垣は石を隙間なく積む切込ハギで、正面に鏡石と呼ばれる2メートルを超える大きな石が置かれ、権威の象徴、見せる石垣となっています。
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右の鏡石は男石、左は女石と呼ばれており、その間に幸運のハート石と呼ばれるものが埋め込まれています。「これを触ると良縁のご利益があるとか…」
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高麗門形式の「大手二の門」を内側から見た姿で、瓦には京極氏の家紋「四つ目紋」がデザインされています。
薬医門が鏡柱と控柱を一つの大きな屋根に収める構造であるのに対し、高麗門はそれを簡略化して控柱に小屋根を設けたものです。
屋根を小ぶりにして守備側の死角を減らす効果があり、朝鮮出兵時に半島から伝わったと言われています。
内側から見た高麗門は、私の大好物です。 -
「大手一の門」です。
1670年の建築で、楼上の太鼓で城下に刻を知らせていたことから「太鼓門」とも呼ばれています。 -
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「大手一の門」は内部が見学できます。
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「石落とし」の仕掛けがあり、上から攻撃できるようになっています。
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「見返り坂」と呼ばれている、天守などへ続く急坂です。
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「高石垣」です。
緩い勾配から、次第に急になる上部で反り返る曲線は、扇を開いたような形状になっています。 -
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石垣の隅は、長い石、短い石を交互で並べる積み方、「算木積み」で石垣を強固なものにしています。
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この巨大石垣は1643年、藩主山崎家治が廃城となっていた城を改修して出来上がりました。瀬戸内の島々にいたキリシタンの蜂起に備えるため、幕府が作らせたものです。
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この石段を上った先は二の丸です。
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飯野山(別名讃岐富士)がきれいに見えます。
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二の丸番頭櫓跡です。
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二の丸辰巳櫓跡です。
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二の丸井戸です。日本一深い井戸といわれているそうです。
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丸亀城の石垣には多くの刻印が見られ、現在までに18種類約150個見つかっています。
刻印が彫られた理由ははっきりとは分かっていませんが、石を切り出した石切丁場や、そこを使用した大名家を表す印だったのではないかと考えられています。 -
二の丸から本丸への坂道は、京極坂と名付けられています。
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天守から続く多聞櫓跡から、姫櫓跡を見ています。
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天守です。三重の層塔型で、1660年に京極高和が完成させました。
この時期は、徳川幕府の武家諸法度により新たに天守を建てることはできなかったので、三重櫓を「御三階櫓」として届け出て幕府の許可をもらい、事実上の天守としました。
天守の風格を備えるために、1階の北面に出窓、2階に「向唐破風」という装飾性の高い破風、3階の窓に柿渋で黒く塗られた格子窓を設けるなどの外観装飾がほどこされています。
また、建物の長辺を入母屋屋根の妻面としています。これでは屋根が必要以上に大きくなってしまうため通常は短辺にしますが、城下町からの見栄えを良くするためにあえてこのようにしたものです。 -
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天守1階です。
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4隅には、「隅柱」に加えて2本の「添え柱」が建てられ、そこに「燧梁」が架けられています。燧梁は地震や強風で生じる水平方向の歪み防止に有効で、建物の構造補強に役立ちます。
燧梁の上には隅方向へ斜めに伸びる太い梁があり、これを隅柱、燧梁と内側の柱で受けることで、上からかかる重さを分散することができます。この構造は特に重さのかかる1階と2階の4隅で見ることができます。 -
床面から190cm程の高さにある貫から壁が盛り上がるように厚く仕上げられた壁を「太鼓壁」と呼びます。太鼓壁は外側と内側にそれぞれ別の土壁があり、その間の空間には、小石や瓦を詰め厚くする構造となっています。戦において鉄砲や大砲など威力の高い武器が使用されるようになったので、それに耐えられるようにしたものです。
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足元には非常時に打ち抜いて使用する「大砲狭間」が、2階の北壁に2箇所、東西壁に1箇所ずつ、3階の北壁、南壁に2箇所ずつ設けられています。
大砲狭間には蓋がされ漆喰で塗り固められているため、天守の外側から見てもどこにあるのかわからない「隠し狭間」となっています。非常時には漆喰を打ち抜いて使用します。 -
2階へ上るかなり急な階段です。
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2階です。
通し柱はなく、各階ごとに各々柱を立てています。 -
最上階の3階です。
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本丸方向の景色です。
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二の丸長崎櫓跡越しに、丸亀市街地と海が見えます。
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天井が張られていないので、入母屋屋根の小屋組みがよく見えます。
昭和の解体修理の時に板札が発見されたことから、天守の完成は1660年と考えられています。 -
入母屋屋根の跳ね出した庇部分を支える構造部材です。天守内部へ貫入していること、部材にかかる上部方向への力を押さえる部材が設けられていることがよく分かります。
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天守を出て、三の丸、搦手口方面へ下ります。
二の丸から三の丸への坂道は山崎坂と名付けられていました。 -
三の丸の石垣です。
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搦手口の石垣は美しく、城内で一番堅固な造りです。
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栃の木御門跡です。
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搦手門跡です。
山崎氏時代まではこちらが大手口でしたが、京極氏時代に北の瀬戸内側を守る必要性から大手口は北側に変更されました。 -
搦手門側の堀には石垣はありません。
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2018年の西日本豪雨などの影響で南西側の石垣が崩れ、復旧工事中でした。
2027年末に完了予定です。 -
復旧工事中の石垣の下からさらに古い石垣が見つかり、30mもありました。単独の石垣の高さでは、大坂城に次ぐ日本第2位となります。
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かぶと岩、京極氏の庭園の遺構です。
屋敷地の跡には丸亀市立資料館が建てられており、藩主京極家の資料を中心とした展示などを行っています。 -
資料館に展示されていた、丸亀城と城下町の変遷に関する資料です。
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御籠部屋、番所、玄関先御門です。
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門は京極氏の屋敷の入り口にあった玄関先御門、その右側の建物は番所、御籠部屋と長屋です。これらは江戸時代初期に建てられたものです。
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ここから眺める天守と石垣も美しいです。
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大手側の内堀です。
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排水のために「石樋」が設けられています。
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丸亀駅に戻り、16:19発のしおかぜ号で今治へ向かいます。
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瀬戸の夕暮れです。
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旅行記グループ 香川、愛媛の城めぐり
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