2024/06/01 - 2024/06/01
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milalanさん
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この旅行記のスケジュール
2024/06/01
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自転車での移動
1時間くらい
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自転車での移動
15分くらい
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自転車での移動
30-40分くらい
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自転車での移動
30分くらい
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自転車での移動
20分くらい
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自転車での移動
2時間くらい
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岡山旅行に行きました。
鬼ノ城や吉備津神社など、全体的に桃太郎伝説の聖地巡礼のようになってしまいました。
今回は岡山駅から自転車で総社市にある神社や古墳をめぐりました。
また、岡山城を散策しました。
1.とにかく歩いた鬼ノ城編
2.サイクリングで吉備路の神社と古墳、岡山城の石垣めぐり ←いまここ
注釈:
今回は桃太郎のモデルとされる吉備津彦命にまつわる伝説の地を廻っていきます。
伝説では鬼ノ城に温羅(うら)と呼ばれる鬼がおり、鬼の釜で人を煮るなど残虐非道な行いをしていたため、吉備津彦命が退治します。
温羅は姿を変えて逃げますが、最後には捕らえられます。
退治の過程で吉備津彦命が射た矢が温羅の目に当たり、温羅の流した血が「血吸川」になったとされます。
また、逃げる温羅は雉や鯉に姿を変えて逃げますが、吉備津彦命も同じように姿を変えて追いかけます。鯉になった温羅を追いかける為に吉備津彦命は鵜になって遂に捕らえますが、捕らえた地が「鯉喰神社」として残っています。
首を晒されても温羅は生きており、吉備津彦命は地中深くに埋めますが、色々あってその上で釜を炊きます。この釜が「吉備津神社」にあります。
この他にも戦いに出てくる場所や出来ごとが神社や地名などに残されており、総社市一帯に伝説が残っています。
吉備津彦命は孝霊天皇の皇子の一人で、温羅退治を任じられた将軍の一人とされます。
三人のお供を連れていたと書かれていたり、書かれていなかったり、犬猿雉のモデルとされていたり。
温羅は鉄を伝えた渡来人や百済の王子とする説もあるそうですが、身長4mの巨体は当時の平均身長が低くて、実際よりも大きく見えたとしてもさすがに人間離れしていますね。
また、鬼ノ城はヤマト王権の防衛の為に築かれた城とされるので、温羅に乗っ取られたのか?温羅の城を吉備津彦命が手に入れて防衛拠点にしたのか?と疑問が尽きません。
温羅が人間を茹でたとする鬼の釜も江戸時代頃に作られた湯釜とされるので後付けで増えた要素かな。
とはいえ、地名は何かしら由来があるはずなので、脚色が強くなっただけで実際に似たような討伐譚はあったのではないかと思います。
なお、桃やきび団子は伝説に出てきません。
桃は滋養強壮の効果があるので、桃「によって」桃太郎が生まれたとする説を読んだことがありますが、どちらにせよこの伝説には出てこないので、きび団子と共に名産品が物語に織り込まれて伝えられていったのではないかと推測します。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 交通手段
- 自転車 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
朝、ホテルの窓から。
後から調べたら隣には日清製粉の岡山工場がありました。
こんな駅チカに工場があるとは。 -
一秒でチェックアウトして、今日はサイクリングをします。
アパホテル<岡山駅前> 宿・ホテル
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イオンモール岡山。
大きすぎて昨日は遠回りしてしまったけど、実はアパホテルの隣にありました。
10時の開店に合わせて沢山の人が入り口前で待っていました。 -
自転車を借ります。
ももちゃりも検討しましたが、向かう途中で見かけた駅前のレンタサイクルの方が料金体系がシンプルで身分証だけですぐ借りることができたので良かったです。
坂があまり無さそうなので普通の自転車を一日借ります。駅リンくん (岡山駅東口店) 乗り物
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さて、駅を越えてひたすら東へ、総社方面に向かいます。
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田園風景が広がります。
あそこに見える山は矢板山かな。
富山城跡があります。 -
岡山西バイパスを潜ります。
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分かりにくいけど、田植えを準備している田んぼに鳥がいました。
特徴からアオサギかな? -
川を渡ります。
笹ヶ瀬川です。 -
多分この橋は此丘尼橋。
富山城のお殿様の側室で出家した尼僧が架けた橋が由来らしい。 -
しばらく川に沿って走っていきます。
土手焼きをやっていました。 -
旧山神公會堂。
調べても何も出てこないけど、昔の公民館みたいな感じかな?
右側には安政三年と書かれた灯籠がありました。
安政3年は1856年ですが、168年前からここにあるのでしょうか。 -
吉備路自転車道の地図がありました。
北が下を向いているので少し分かりにくい…。
左端の岡山駅から来たので、今日はどんどん右方向に向かっていきます。
総社駅まで行けるかな?
本格的なロードバイク乗っている人も見かけました。 -
池が出てきました。
吉備津彦神社の神池です。
池の中に亀島神社と鶴島神社という島、神社があります。 -
駅から自転車で50分、吉備津彦神社です。
吉備津彦命の屋敷跡に建てられたとされ、吉備津彦命などを祀っています。吉備津彦神社 寺・神社・教会
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階段を登ると拝殿があります。
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拝殿。
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平安杉。
樹齢千年以上とされますが、昭和初期にあった火事の影響で片面には何も生えていません。
木に梅鉢紋のようなものが見えますが、調べても正体は分かりませんでした。 -
左は渡殿、右は本殿。
本殿は17世紀に完成したそうで、流造りという吉備国伝統の建築様式らしい。 -
祭文殿と拝殿。
奥には平安杉があります。 -
天満宮がありました。
菅原道真が太宰府に向かう途中で寄ったことがあるそうです。 -
さざれ石がありました。
硬貨が大量に供えられていました。
実際にはさざれ石(砂利)ではなく、巌になったものです。 -
車のお祓いをやっていました。
初めて見ました。
左には日本一大きな燈籠がありました。 -
さて次は吉備津神社に向かいます。
自転車道に沿って進みます。
途中で案内板がありました。
吉備の中山は横を走っているとよく分からなかった…。 -
自転車で10分くらいで吉備津神社に着きました。
吉備津神社の字は犬養毅が書いたそうです。
なんでだろと思ったら吉備津彦命が連れていたお供で桃太郎の犬のモデルとされる犬飼部犬飼健命の子孫らしい。
確かに犬養は「いぬかい」と読む…。吉備津神社 寺・神社・教会
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境内に入ります。
思ったよりずっと広くて色々見れて楽しかったです。 -
白馬がいました。
どうも神馬みたいです。
流鏑馬が行われているみたいなのでそれも関係があるかもしれません。
口が開いていて何か言いたげに見えます。 -
電子案内板があって最先端。
絵馬の形になっているのがかわいい。 -
奥の方に進んでいきます。
千社札が結構貼ってある。 -
装飾が見事。
波かな?
千社札も凄い貼ってあるけどどうやって貼っているんだろう。 -
隣には駐車場がありますが、庭が見えています。
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後ろを振り返ると結構傾斜がありました。
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えびす宮。
恵比須様が祀られています。 -
吉備津神社の庭と宇賀神社が見えます。
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水車がありました。
水車から流れ落ちた水は川となりやがて池となりましたが、何のための水車かは分かりませんでした。 -
御竈殿。
温羅の首が釜の地下に埋まっているとか、埋まっていないとか…。
鳴釜神事が行われる直前だったので中をチラッと見るだけになってしまいましたが、確かに釜があって火がくべられていました。 -
御竈殿の近くにも鳥居、入口がありました。
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吉備の中山遊歩道がありました。
サイクリングの一日なのでここまでにしますが、歩いて行くと御陵(中山茶臼山古墳)があるそうです。
吉備津彦命の前方後円墳があるらしい。吉備の中山御陵 名所・史跡
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「吉備中山(細)谷川古跡」の碑がありました。
細谷川というのは御陵の方から流れている小さい川らしいですが、古跡って何でしょう?まだ川は枯れている訳じゃなさそうです。 -
にゃんこがいました。
ちょっと眠そう。 -
入口の方に戻ってきました。
おみくじが置いてありました。
ここに描かれているのは温羅伝説の方ではなく、昔話の桃太郎。 -
池がありました。
鯉が優雅に泳いでいましたが、それより気になるのは池の水が白いこと。
でも調べても白いことに言及している情報はおろか写真も見つからず、何故こんなに白いのか全く分かりません。
一時的な現象なら温泉では無さそうだし、鯉が普通に泳いでいたことから藻とかプランクトンでしょうか。 -
吉備津神社の近くにはお土産屋さんが数軒とキッチンカーがあって、賑わっていました。
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さて、吉備津神社から自転車で20分程、鯉喰神社に着きました。
温羅が逃げる為に変身した鯉とそれを追いかける為に吉備津彦命も変身した場面が由来でよく紹介されていましたが、
あまりにも住宅街に溶け込んだとてもこじんまりとした神社で一度は通り過ぎてしまいました。鯉喰神社 寺・神社・教会
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18世紀に造られたそうです。
観光客は誰もいませんでした。 -
無人で小さいながらも梵鐘がありました。
神社なのに?と思ったけど、神仏習合とか時報の役割だったのかもしれません。 -
鯉喰神社から自転車で15分程で造山古墳に着きました。
ビジターセンターに自転車を停めます。
中には古墳の説明や発掘の様子が展示されていました。造山古墳ビジターセンター 名所・史跡
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後ろに見えているのが造山古墳です。
金色の像は「吉備の大王」とありました。
これまで伝説を辿ってきた吉備津彦命かと思いましたが、大王なので為政者です。
ただ、造山古墳は発掘調査がされていないそうで誰が埋葬されているかは分からないそうなので、想像上の大王の姿。 -
ハニワがいました。
かわいい。 -
地図がありました。
目の前の造山古墳以外にも古墳が周囲にあるようです。
でも造山古墳が群を抜いて大きい。
その大きさからヤマト王権に匹敵する国だったのではないかと考えられているそうです。 -
さて造山古墳の中に入っていきます。
ルートが整備されていました。造山古墳 名所・史跡
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ビジターセンターがあんなに遠くに。
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上の方には荒神社がありました。
お墓の上に神社があるの不思議な感じがします。
空っぽの石棺もあってちょっと不気味でした。 -
さて造山古墳から自転車で20分、こうもり塚古墳に着きました。
こうもり塚古墳 名所・史跡
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ここも前方後円墳です。
石室への見学道があって、他には特に何もありませんでした。 -
檻見たいなのが石室。
それよりもよくこんなに大きな岩が天井の形を保っているなと感心しました。 -
石室の中には石棺がありました。
1つの石灰岩から切り出しているそうで、当時の技術でどうやって切り出してここまで据えたのだろうと思います。 -
石室の中はだいぶ暗かったです。
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周囲には田んぼ。
この先に備中国分寺があり、ここから五重塔の一部が見えました。 -
さて、疲れたので岡山駅まで戻ります。
1時間半ほどかかりました。
川を二つ渡ります。これは足守川。 -
2つ目の川は笹ヶ瀬川。
雰囲気が違う。
遠くに新幹線の線路があります。 -
途中で凄い建物を見かけました。
なんと岡山西警察署。
巨大な柱が並んでパルテノン神殿みたいですが、岡山のクリエイティブなプロジェクトでユニークなデザインになっているそうです。 -
少し時間があるので岡山城にも行ってみます。
途中で見かけたモダンなデザインの岡山県庁。
かつてここには岡山城の二の丸があったそうです。 -
岡山県庁の向かいには岡山県立図書館がありました。
凄く大きくて立派な造りでした。 -
岡山城に着きました。
岡山城はその外観から烏城とも言われています。烏城公園 (岡山城) 公園・植物園
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お堀にかかるこの橋は内下馬橋(目安橋)。
亀が泳いでいました。 -
池田家の家紋である備前蝶が描かれた灯籠が置いてありました。
夜になったら照らされるのかな。 -
屋根の上にアオサギがいました。
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入ると分かれ道、右に曲がると天守閣や備前焼工房があるみたいです。
でもまずは一周してみようと思います。 -
入ると早速石垣がありました。
岡山城は宇喜多家、小早川秀秋、池田家と代々当主が改修整備してきたことから石垣の博物館と言っても過言ではない程、様々な石垣があるそうです。
これは大納戸櫓の跡。
上の建物は残ってませんが、石垣が残っています。
この石垣は小早川秀秋が築いて、池田利隆が大規模改修したとされるらしい。
加工していない自然石を使っているのが特徴らしく、確かに大小様々な石が組み合わされている。 -
中の段南西部の石垣。
小早川秀秋が築いて、池田忠継が改修したらしい。
大納戸櫓と同じで自然石を使っているのが特徴らしいが、こっちの方が傾斜が緩やかな気がする。
落石注意の看板がありますが、手前にあるような石が落ちてくると思うと恐ろしい。 -
中の段南西部の石垣と月見櫓の間の石垣。
さっきと打って変わって直線的な雰囲気。
同じくらいの大きさに整えられた方形の石が積まれています。
解説が無いので分からないけど、月見櫓の石垣と似ているので池田忠雄が築いたものかな? -
月見櫓の石垣。
池田忠雄が築いたそうで、犬島で採れたとされる花崗岩が積まれています。
大納戸櫓の隅部と比べてエッジが際立っているように感じます。
ここまでに出てきた三人の池田は全員、池田輝政の息子たちです。
小早川秀秋亡き後城主となった池田忠継、忠継が幼いので監国となった兄の池田利隆、忠継の跡を継いだ弟の池田忠雄です。 -
月見橋。
この橋を渡ると後楽園があります。月見橋 名所・史跡
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間を流れる旭川。
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スワンボートがありました。
隣にはピンクの桃ボート。
どんぶらこ、どんぶらこ。碧水園 グルメ・レストラン
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岡山城がよく見えます。
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廊下門。
ここを上がっていくと天守閣の方に行けるようです。 -
このまま一周散策を続けます。
家紋が彫られた石碑がありました。
全て宇喜多家の家紋でした。
左上に“兒”の字の紋、右側に剣酢漿草、左下に五七桐。
右側にひっそりと佇む像は笠井信一、戦前の岡山県知事です。 -
本段南東の高石垣。
宇喜多秀家が築いた石垣で、下の方が埋まっているせいで本当はもっと高いらしい。 -
一周してきて、供腰掛(とものこしかけ)に辿り着きました。
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凄いおっきい岩と思ったら露出した岩盤。
その上に大小様々の石が積まれています。 -
不明門の下の石垣。
小早川秀秋か池田家が宇喜多秀家の作った石垣に被せて築いたそうです。
色が一部明るいのは不明門を作るときに積み足したかららしい。 -
不明門(あかずのもん)。
城主の住む家に当たる本段の門なので普段は閉まっており、あかずのもんと呼ばれたらしい。 -
入るとすぐのところに岡山城が見えます。
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あいにく到着した時間が遅くてもう閉まってしまいましたが、日中は中に入ることができます。
黒と金がシックでかっこいい。岡山城 名所・史跡
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天守の礎石。
この上に柱が乗っていたらしい。 -
小窓みたいのがありました。
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覗いて見ると後楽園方面が見えます。
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瓦には宇喜多家の五七桐がついています。
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表書院跡。
間取りが描かれていて、当時への想像が膨らみます。 -
例えば祐筆部屋。
祐筆部屋に限らず全体的に部屋が狭く感じました。 -
玄関。
やっぱりお城の玄関は広い。 -
築城当時の石垣。
宇喜多秀家が城を築いた時の石垣だそうで、改修に際して埋め込まれてしまったそうです。 -
泉水。
表書院の中庭にあった泉水だそうです。 -
月見櫓。
内側から鉄砲で狙えるようになっている銃眼石があります。 -
台所にあった流し。
石造りとはどうやって加工して据え付けたんだろう? -
穴蔵。
石の梁に驚きました。
香川県の豊島で採られた凝灰岩だそうです。 -
きのこ。
潰れた干し柿かと思いました。 -
さて、良い時間なので岡山駅に自転車を返しに行きます。
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新幹線まで時間があるのでご飯を食べます。
海の穂まれ 岡山店 グルメ・レストラン
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海鮮丼として食べて、お茶漬けとして食べて、色々楽しめて美味しかったです。
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さて、岡山駅から新幹線で帰ります。
岡山駅 駅
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蒜山ジャージーの牛乳を使ったスフレスイーツ、甘くておいしかった。
蒜山は岡山と鳥取に跨る山です。 -
お土産に塩チョコきびだんごを買いました。
美味しかったです。 -
東京駅に着きました。
おわり東京駅 駅
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