2024/11/04 - 2024/11/04
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かくちゃんさん
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四日目。
午前十時十五分、秋らしい陽気の小菅の湯を出発し大菩薩峠を越え大菩薩の湯を目指す。田元橋まで下った後、左折して小菅の集落へ。洒落た庁舎の小菅村役場前を通過し、小菅川に沿った上り道を進み、大菩薩峠への登山道の入口である赤沢に到着。
細くも歩きやすい上り道をピッチ良く進むが、寄る年波には勝てず途中二度休憩。山道をひたすら1時間20分程上ると桟道が現れる。そこをしばらく行くと視界が開け野原が見える。フルコンバである。ベンチで休憩した後、再び上りとなった道を進み、森の中に突如登場するニワタシバを通過し、しばらく上り道を行くと頭上が明るくなり人の声が聞こえてくる。大菩薩峠である。結構な人込みで、介山荘や隣接するトイレは人でごった返している。給水のためのスポーツドリンクでも購入しようかと思い、店を覗いて見るものの、お土産品やビール、軽食ばかり。給水は福ちゃん荘まで我慢することにして何も買わずに出発。
岩場の多い道を進み、賽の河原に到着。かつての峠はここで、旧青梅街道はここから福ちゃん荘方面に下って行くようだが、現在は主要な道ではないようで人が通っている気配もない。遭難を避ける意味でも通らないこととし、よじ登るような岩場を越えて雷岩に到着し休憩。遠くに大きな山が見える。富士山だ。11月なのに雪を被っていない。
水墨画のような富士山を堪能して雷岩を出発。想定よりかなり遅れていたため、急ぎ福ちゃん荘を目指す。急ピッチで唐松尾根の岩場道を下り、福ちゃん荘に到着。ここで給水。ここからは車道と登山道があるが、登山道を選択。とはいえ、車道はほぼ並行して走っている。大菩薩嶺登山口である上日川峠では甲斐大和駅行のバスが到着していたが、すでに満員で次のバスを待つ人の列ができている。それを尻目に塩山方面に向い、再び登山道に入り、ひたすら下り坂を転げるように下りていく。急ぎ過ぎたか、足をくじいた上に、実際に転ぶ。「遭難」の文字が一瞬頭をよぎったが、一度ご夫婦を追い越して来たので助けは後から下りて来るであろうお二人に頼べば何とかなると気を取り直す。ぶつけたところは痛かったが、身体を捻っただけで大きな怪我もなかったので、服に付いた土を払って再び走り出す。果たしてバスに間に合うか。心配しながら慎重に登山道を駆け下りていたところ、沢の音が聞こえはじめ、思ったより早く千石茶屋に到着。短時間で大菩薩の湯に入るくらいなら茶屋で休憩の方が良いとダメ元で名物の桃ジュースを注文すると「まだありますよ」との返答。2個で100円と破格の値段の力餅も注文。桃ジュールはネクターで昼食を取っていなかった体にはまるで食べ物のよう。沢の音を聞きながら、清々しい気持ちで食事を終え出発。登山道の下りは比較的緩やかになっていたが、舗装道に入ってからは坂の下りが急になり、いやが上にもスピードが上がる。坂の途中で枝分かれした上り道を行くと雲峰寺である。
参拝後、仁王門をくぐり、参道を通って大菩薩峠登山口のバス停に到着。すでにバスを待つ人達がいるが、並ばなくても座れそうな人数である。予定どおり大菩薩の湯まで走れる時間はあったが、温泉に入らないのにそこで止まっても仕方がない。ということで、次のバス停の黒門まで走り、ここで止まることにする。本日の走行距離、四里二十七町也。四日目は予定を変えて締めくくったのでした。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス JR特急 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
小菅の湯までは猿橋経由で向かうことにし、猿橋駅から遊歩道を経由して猿橋まで歩きました。
写真は桂川渓谷。秋らしく色づいています。桂川渓谷 自然・景勝地
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猿橋の全景
甲斐の猿橋は、木曽の桟(かけはし)、周防の錦帯橋とともに日本三奇橋とされ、刎木(はねぎ)という部材を下段から少しずつ伸ばして重ねせり出して橋桁を支える刎橋(はねばし)と呼ばれる橋で、徳川の御代には甲州街道として九回の架け替えと十数回に及ぶ修理が行われ維持されて来たのだそうです。
現在の猿橋は、嘉永4年(1851年)の出来形帳に従って造られ昭和59年(1984年)に架け替えられました。木製に見えますが、構造は鉄筋で表面に木皮を張り付けたものなのだそうです。猿橋 名所・史跡
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江戸側から見た猿橋
高いところに架けられているようには見えませんが、橋の真ん中に行くと足がすくむほどの高さがあります。徳川の御代はこんな感じだったのでしょうが、明治以降、昭和初期に新猿橋が完成するまでは道路として利用されていたこともあり、戦前の絵葉書の写真を見るとこれより幅が広く橋の中央の盛り上がりもありません。猿橋 名所・史跡
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本日のスタート地点である小菅の湯
紅葉シーズンだけあってそれなりに人がいました。多摩源流 小菅の湯 温泉
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田元橋
この辺りの小菅川は小菅村村営の釣り場となっています。 -
小菅の集落
写真では多くの旅館が見えますが残念ながら宿場町ではありません。 -
丹波山方面との分岐点
車はここで右折して丹波山、柳沢峠を経由しないと甲州には抜けられません。標識は大菩薩峠とは案内していますが、別の標識では「この先7㎞交通不能」とも案内しています。
また、小菅と丹波山の森林は東京都の水道水源林として管理されている区域が多いため、山梨県であるにも関わらず東京都水道局の水源管理事務所が置かれています。 -
大菩薩峠赤沢登山口
登山口と言っても標識以外にベンチもトイレもありません。トイレはこの手前にある白糸の滝駐車場の次は大菩薩峠までありません。 -
山道の分岐点
小菅林道の終点である日向沢から山道に入るとここで合流します。 -
フルコンバ
写真右が小菅への道。左の道を行くと丹波山。かつてはここに山小屋があったようです。三叉路の標識の文字が消えつつあります。 -
ニワタシバ
本当にここで塩山と小菅、丹波の人々が荷物の交換をしていたのか若干疑問には思いますが、ここで待ち合わせをしていたわけではなく、それぞれ荷物を置いて決まった荷物を持って帰る形で交換していたのだそうです。 -
大菩薩峠
碑と標識が新しくなっています。つい最近、交換した感じです。ここまで碑や標識を持ってきた人たちもさぞかし大変だったでしょうね。大菩薩峠 自然・景勝地
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大菩薩湖
平成に入ってから出来た人造湖ですが大菩薩峠からの美しい風景に見事にマッチしています。 -
賽の河原
かつての峠の頂上です。標識の横には石が積まれています。この寂しい名前は周りの殺風景から来ているのでしょうかね。 -
旧道入口
人が通っている気配はありませんが、標識でちゃんと道案内はしてあります。 -
大菩薩嶺
雷岩の手前。私はこの景色が一番大菩薩らしい風景と思っています。 -
福ちゃん荘
上日川峠と大菩薩嶺、大菩薩峠をつなぐ拠点のような場所で、午後2時30分時点でそれなりにお客もいました。福ちゃん荘 宿・ホテル
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千石茶屋
私は外で食事しましたが、中にも席がありお客も入っていました。こんなお店が峠の途中にあると嬉しいなという感じの店です。建物は新しい感じがしました。ずっと続けて欲しいところです。 -
ももジュースと力餅
あともうちょっとでゴールする人間が力餅を食べるのも変なんですがいただきました。暑からず寒からず。秋らしい陽気の中、沢の音をBGMに聞きながらの食事は最高でした。 -
雲峰寺(うんぽうじ)
天平17年(745年)に行基が開創したと伝わるお寺で、天文年間(1532~1554年)の火災により諸堂を焼失しますが、武田信虎が印判状を与え再建されたのだそうです。また、天正10年(1582年)武田家滅亡の折には、家臣が再興を期して武田家の重宝を山伝いに運んだといわれ、現在も寺宝として保存されています。雲峰寺 寺・神社・教会
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雲峰寺仁王門
雲峰寺再建時に造営された門で、国の重要文化財にも指定されています。 -
雲峰寺黒門
青梅街道はかつてはここを通っていたようですが、舗装道は右にカーブしています。 -
黒門から見たかつての青梅街道。
かつてはこの下を左折していたようです。廃道にはなっていますが、この先、その面影が残っています。
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福ちゃん荘
3.22
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