2024/10/18 - 2024/10/30
650位(同エリア17021件中)
ばねおさん
オリンピック開催前にフランスを離れ、大会終了後に舞い戻ってきたパリの街は、以前と変わらぬ姿のように思えた。
それでも街を歩くと、小さな変化はそこかしこに見られ、オリンピックの興奮の痕跡もまだ余韻のように残っていた。
わずか11泊の短い滞在ではあったけれど、新たな出会いもあり、自分なりの発見もあった。
2024年10月のパリ滞在を振り返ってみた、とりとめのない印象記。
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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今回の滞在先は、モンパルナス駅近くのシタデイーヌ・モンパルナス。
ささやかなキッチン付きのホテル。
建物は古いが、交通の便はすこぶる良い位置にある。
ロビーの掲示には、まだオリンピックの名残が見られた。 -
宿泊した部屋から眺める風景の奥にパンテオンのドームが頭を出していた。
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ホテルはモンパルナス駅にもほど近いが、目と鼻の距離にあるのがメトロ13号線の「Gaîté ゲテ」駅。
今回の渡航の主目的であるサロン・ド-トンヌ展の会場がある「シャンゼリゼ=クレマンソー」駅まで乗り換えなしに行けるのは、とても好都合だった。
ゲテ駅には、Joséphine Baker ジョセフィン・ベーカーの名がサブタイトルにつけられている。 -
ここにジョセフィン・ベーカーの名が記されているのは、近くにあるボビノ劇場 Théâtre Bobino での公演半ばで彼女が急逝したことに因んでいる。
さらにエドガーキネ通り沿いには、「 ジョセフィン・ベーカー広場」もあるが、こちらは広場と呼ぶには少々狭く、近くのカフェの前庭のようにしか見えない。 -
1975年4月にボビノ劇場で開催された J・ベーカーの特別公演の初日には、ドゴール元大統領、モナコ公とグレース妃、ソフィア・ローレン、アラン・ドロン、ジャンヌ・モロー、ピエール・バルマンなど各界の有名人が招待され、たいへんな盛り上がりだったことが伝えられている。
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エンターテイナーとして成功した J・ベーカーの一生は、あらゆる差別と不正との闘いでもあった。
人種隔離のあった米国で、彼女が受けた不当な仕打ちを目撃したグレースケリーが、それまで一面識もなかったにもかかわらず彼女と行動を共にし、以来、公妃になった後も交友と援助を生涯続けたことはよく知られている。
人種の異なる12人の孤児を引き取り育てたが、その最初のひとりは日本からであった。人種の異なる、と書いてしまったが、彼女にとって人種とは「世界人」という一つだけであった。
フランスで功績を残した偉人として国葬となり、その後、署名運動が起きて黒人女性としては初めてパンテオン入りしている。
写真は、パンテオンに眠るジョセフィン・ベーカーの棺。(2022年3月撮影) -
劇場通りとも呼ばれるゲテ通り Rue de la Gaité とその周辺には、ボビノ劇場だけでなく数多くの劇場が建ち並んでいる。
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歴史的建造物の指定も受けているテアトル・モンパルナス Théâtre Montparnasse & Petit Montparnasse は、今でも風格ある往時の佇まいを残している。
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モーリス・シュヴァリエやジュリエット・グレコが、その芸能活動を始めたゲテ・モンパルナス劇場 Théâtre de la Gaîté-Montparnasseも健在である。
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コメディーイタリアン La Comédie Italienneは、その名の通りイタリア語劇の演目に由来しているが、上演はフランス語でされている。
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その時々の社会のメッセージを表示するモンパルナスタワーにもまだオリンピックの痕跡が残っていた。パラリンピックも1ヵ月以上前に終えたパリ大会だが、まだ名残惜しさがあるとみえる。
(写真はブールデル美術館から見たタワー) -
街角で今回初めて目にした生ごみ用の回収箱。
フランスでは有機性廃棄物のリサイクルを推進するため、生ごみなどを堆肥化する規制が新たに定められた。
一般家庭では、生ごみを自分たちで堆肥化するか、または自治体の回収場所に出すことが義務となった。回収した廃棄物はその後、バイオガスや堆肥に生まれ変わるという。 -
2024年1月にフランスを離れる時点では、まだ普及していなかったが、こうして街中に回収箱が置かれるまでになったようだ。
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他国に先駆けて、プラスチック製品の規制も実施したフランスでは、廃品の回収リサイクルにさまざまな努力と工夫を凝らしているように思う。
びん類などは独特な形をした投入型の回収ボックスが街角に置かれているのをよく目にする。
こちらはちょっと珍しい衣類専用の回収ボックス。 -
モンパルナス駅横には大量の落ち葉の吹き溜まりが出来ていた。これも有機性廃棄物と言えそうだ。
落ち葉の舞い散る停車場と言えばいかにもロマンチックだが、この界隈、昔は人間の吹き溜まりにもなっていた。 -
モンパルナスの頂上部にあたるたカタローニュ広場 Place de Catalogne は、オリンピック前から大掛かりな工事を始めていたが、すっかり一新して中央に緑地帯が出来上がっていた。
ただ、背の高い植栽によって広場全体を見通すことはできなくなってしまった。 -
ホテルの近くには、以前から見知っている場所に安売りスーパー「Lidl」が新たに開業していた。
Lidlという格安店の存在を知ったのは、フランスでの生活を始めて間もない頃だった。当時住んでいたパリ第1大学(パンテオン-ソルボンヌ)前のアパートの部屋にいると、時折、パンを焼く香りがしてくるのだが、近くにパン屋はない。
不思議に思っていたら、ある時大学の裏手にLidlというスーパーを見つけ、その店内でパンを焼いていることが分かった。 -
とにかく値段だけでいえば、このスーパーは圧倒的に安い。マイナスのついている値段表示を初めて見たときは驚いた。
店内で焼いているパンも、バゲットからヴェノワーズまで多種類あって、値段は市価の半額かそれ以下のものもある。市中のパン屋と比べると、味はやはり値段相応と言わざるを得ないが、懐具合の思わしくない者にとっては貴重な存在だ。 -
スーパーと言えば、今回、インターマルシェというスーパーマーケットのテレビCMを見て腹を抱えて笑ってしまった。
そういえば最近、日本のCMで笑ったという記憶がない。
多分、レナウンか桃井かおりの放送禁止になったCMあたりが最後のような気がする。 -
インターマルシェは、売り場のレイアウトが日本のスーパーに似ている。
パリ市内では店舗数が少ないが、15区のコンバンションに住んでいた頃に近くにあったので度々利用した。
ある時、BGMで "Je ne veux pas travailler" が流れだしたら、店員が皆ハモっていた。すると居合わせた客たちが、またそれに合わせて歌っていたのを可笑しく思い出す。 -
日本ではあまり見ないTVも、フランスでは番組が多彩なのでホテルの部屋ではよく観た。
いつも楽しく見ていた「Affaire conclue」という番組は、司会者が魅力的なソフィー・ダヴァンから若手に代わってしまったのが少し残念だが、依然として続いていた。
日本の「〇△鑑定団」という番組に似ている点もあるが、仕組みはだいぶ違っていて、こちらは鑑定評価額は出すものの、最終的には鑑定眼のあるバイヤーたちの競りで落着するというものである。
TVなので、どちらも「やらせ」の部分はあるだろうが、競落するまでのやり取りはなかなかに面白い。それにしても日本の鑑定値とはずいぶんと違うな、と毎度思ってしまう。 -
10月はハロウィン。
カトリック教会のフランスにはあまり馴染まないだろうと思っていたが、今では商業ベースではすっかりパリにも定着した観がある。 -
商魂たくましく、ケーキにも登場していた。
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外観を造花で飾り立てるカフェの装飾も相変わらず流行りのようだ。
「花のカフェ」を演出する専門の業者がいて、引っ張りだこのようである。 -
いかに目立たせるかに力点が置かれ、ゴテゴテした装飾を競い合っているようで、これだけはどうも理解できない。
シックな雰囲気だった店が、ある日、装飾で一変しているのを見ると本当にガッカリする。 -
さて、121年目を迎えたサロン・ド-トンヌの会場は3年ぶりにシャンゼリゼ大通りに戻ってきたが、パリ五輪の残置物の影響で従前のプチ・パレ側ではなくクレマンソー広場側になった。
おやおや、こんなところにもまだオリンピックの影響が残っていたか。 -
120年記念展ではフランソワ・ポンポンを取り上げたが、今回の121年展の特別展示は批評家、風刺漫画家 のJean Maurice Jules Cabut ジャン・モーリス・カブ-通称 Cabu カブ-で、ジャズシーンを描いた作品等が展示されていた。
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2015 年 1 月7日、パリのシャルリー・エブド紙社が襲撃された事件をご記憶だろうか。この時の襲撃によって殺害された12人のひとりがCabu カブ-だった。
2015 年 3 月 11 日の法令により、彼の死亡診断書には「テロの犠牲者 」という記述 が追記されたという。
医学的記述である診断書にわざわざこうした表現を加えるというところが、いかにもフランスだ。 -
サロン・ド-トンヌの歴史をポスターで辿ってみると、その時代の雰囲気がそれなりに伝わってくるように思える。
1903年第一回のポスター。
この時の会場はプチ・パレだった。 -
1905年には会場がグラン・パレに変わり、その後は長い間続いた。
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1906年の第4回展。
この時はギュスターヴ・クールベとポール・ゴーギャンの回顧展も行われている。 -
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時代の背景も感じられるポスター。
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1958年のポスター絵はジョルジュ・ブラック(Georges Braque)によっている。
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そして2000年代になるとシャンゼリゼ大通りの特設会場となり、パリ五輪による影響でヴィレット公園大ホールでの2回を除いて今日に至っている。
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今年のサロン・ド-トンヌ展は、自分たちにとってたいへん記念すべき事柄があって、モンパルナス墓地に眠る村山密画伯の墓を詣でてきた。
村山密画伯は、日本人で初めてサロン・ド-トンヌ絵画部門の長を務めた人物。
隣の日本風の墓は、やはりサロン・ド-トンヌ会員であった関口俊吾画伯。
こちらは、ご遺族がパリに居るようで花が絶えないが、村山画伯の墓はいつも簡素で何も置かれていない。
今回は小さなシクラメンの鉢を手向けてきたが、風が吹けば飛ばされてしまいそうだ。 -
フランスではトゥッサン(Toussaint)と呼ばれる諸聖人の日が近いため、花屋の店頭には菊の鉢が並び始めた。
ついでといっては、はなはだ失礼であるが、せっかく来たので気になるお墓をいくつか訪れてみた。 -
正門近くのサルトルとボーヴォワールの墓はちょっとひどい状態になっていた。
石碑一面に口紅のような赤い記号やら文字が書き込まれ、これではまるで落書きだ。 -
2022年2月に撮った時は、このようであった。
墓石の上に数多くの小石やメトロの切符などが置かれていたが、石碑にはいくつかの印書きがあるだけであった。 -
2021年3月は、コロナの影響もあってか、小さな花鉢と数えられるほどの小石などが載せられているだけだった。石碑は地肌をきれいなまま保っていた。
墓石に書き込む思いはいろいろあるのだろうが、やはり死者に対する敬いは忘れてほしくない。 -
日本でもヒットしたフランス・ギャルの『夢見るシャンソン人形』など、数多くのヒット曲を生み出し、作詞・作曲、歌手、俳優、映画監督など多才ぶりを発揮したセルジュ・ゲンズブール(Serge Gainsbourg)の墓は相変わらずの人気だ。
2023年7月に亡くなったジェーン・バーキンJane Birkin の元パートナーとしてもあらためて話題となった。 -
そのゲンズブールが22年間住んでいたパリ7区のヴェルヌイユ通り5番地。
この落書きだらけの家は、向かい側の14番地と合わせて2023年9月にミュゼとして公開された。
バーキンとの間に生まれた娘のシャルロット・ゲンズブールが運営に関与している。 -
Tristan Tzara
この墓を眺めていたら、近くにいたフランス人が、これはトリスタン・ツァラの墓だよと、わざわざ声を掛けてきた。
そしてダダイズムやシュールリアリズムの話を始めた。
研究者かあるいは専門家かと思い、画家のピカビアとの関係に話題を振ってみたが、あまり嚙み合わないやりとりで終わってしまった。 -
ブランクーシ (Constantin Brâncuşi ) の彫刻作品『抱擁』があるウクライナ女性の墓は、依然として封印された状態のままであった。
近づくと周囲の監視カメラが自分をとらえていることを感じる。
ウクライナが戦になってしまったため、すべてが中断されているのだろうか。
再び作品を見ることができる日が来ることを願わずにはいられない。 -
モンパルナス墓地で最も目立つ存在ともいえる、ニキ・ド・サンファル Niki de Saint Phalle の作品がある墓。その1「リカルドの猫」。
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ニキの作品その2。「鳥」
こちらも周囲にお構いなく、強烈な存在感を与えてくれる。 -
折しも、パリでは映画『NIKI』が上映されていた。
六本木の国立新美術館での展覧会は盛況だったので、いずれ日本でも公開されるだろうか。 -
彫刻家ザッキン。
近くにあったアトリエが美術館に仕立てられて公開されている。 -
モンパルナスには、やはり元アトリエを美術館にしているブールデル美術館があるが、そちらと比べるとこちらははるかに規模が小さい。
古今東西の名作を集め、有名建築家の手になる美術館も魅力があるが、こうした制作者の息吹が感じられる個人美術館には、やはり独特の味わいがある。 -
楢崎頼三の墓にも立ち寄ってみた。
墓石には、まだ新しさが感じられるロウソクや数珠が置かれていた。
念のため前年に撮った画像と比べてみるとやはり変化があるので、最近訪れた方がいるようだ。 -
パリの代表的なパッサージュのひとつギャラリー・ヴィヴィアンヌ。
このベルエポック調の美しい通りが、古代ガロ・ローマ時代の墓地の上に建てられていることを最近初めて知った。 -
以前、この中の古書店で探していた本を見つけて以来、二匹目のどじょうを狙って立ち寄るのだが、その後の釣果はない。
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それでも、来ると必ず足を止め、しばらく見上げていくガラスの丸天井。
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以前に、文化遺産の日でも訪問した国立図書館(通称BnF)リシュリュー 館もあらためて訪問した。
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「文化遺産の日」では見学するだけであったが、今回は美しい大図書室 La salle Ovale で実際に本を手に取って利用した。
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とはいっても、平日なのに、あるいは平日ゆえか閲覧室も空席は少なく、席の確保にはだいぶ手間取った。
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国立図書館(BnF)リシュリュー 館内にあるミュゼ musée de la BnF。
美しい天井絵の続くギャラリーマゼラン。
こちらも再訪し、ゆっくりと鑑賞した。 -
2024-2025年の2種のリーフレット。
収集展示品は古代から現代まで、地域も東西南北、分野も多様で、例えていうのも変だが、ルーブルをデパートとすればこちらはコンビニか。
あくまで規模の話ではあるが。 -
このクドゥルには、父から娘への土地の譲渡記録が記されているという。
バビロン、メソポタミア 紀元前1100~1083年。 -
紀元前20~1世紀 南ガリア。
説明文には、ギリシャの商人のための一種のパスポートであると書かれている。
商取引に機能するのだろうが、どのように用いられるのか何度読み返してもよくわからなかった。 -
紀元前4世紀ごろの雄牛のリュトン。
上部の絵柄は馬を襲うグリフィン。
先端に穴があって、ワインが流れるようになっている。 -
母親の膝の上に居る小さなミノタウロス。
紀元前375~350頃。
セッテカ イタリア。 -
魅力的なテラコッタの像2体。
左側は「ダンサー」紀元前3-2世紀。
右側の像はギリシャ神話に登場するニンフで、ディオニュソスの献身的な従者メナ-ド(Ménade)紀元前3世紀頃。
いずれもイタリア。
これを見てパリ市庁舎の扉にあったのが、たしかメナ-ドであったと思い出した。 -
リュイネスのヴィーナス Venus de Luynes。
紀元前1世紀頃、ギリシャ。 -
7歳で亡くなったティべリウス・クラウディウス・ヴィクトル Tiberius Claudius Victor の骨壺。
41-68年頃 ローマ。 -
数多くの人物像、胸像やレリーフを製作したダヴィッド・ダンジェ(David d'Angers 1788-1856)のメダリオンから2点。
若き日のアルフレッド・ミュッセ。
横顔が多いメダリオンの中で斜め前から描いているのは珍しい。 -
フランスを代表する歴史家ジュール・ミシュレ。
「ルネッサンス」という言葉は、ミシュレが生んだとされている。 -
19世紀後半の日本の影響が顕著に出ているロートレックの有名なポスター「Divan Japonais 」。
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館内には、ちょっと一休みするには最適な「ローズベーカリー」がある。
パリ発祥の店ということもあってか、あちらこちらのミュゼ内で出会うが、「ロマンチック美術館」も「バルザックの家」も満席で順番待ちだったのに、なぜかこちらはガラ空き。 -
この時期パリの各所では「韓国博 K-Expo」が開催されていた。
パリに暮らしていた頃から日本よりも勢いがあるように感じていたが、今ではGDPでも日本を抜いている。
長く続いている円安は、海外へ出るとより痛く肌で感じる。
円安は政策的なものという理屈を聞くが、それは単なる強がりで、日本経済の凋落を実質的に反映しているのだろうと最近は思えるようになってきた。
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