2024/09/27 - 2024/09/27
123位(同エリア1335件中)
mistralさん
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出雲縁結び空港に降り立ってから、足立美術館、出雲大社、出雲の遺跡巡りと
レンタカーで走り周り、肝心の松江の街を歩いてみるのは最後になってしまった。
最終日の27日、フライトも19時25分なので、まる一日をかけて松江の街歩きをします。
まずは松江城近くの駐車場へレンタカーを停めてお城見学、
そのまま散歩コースをたどって小泉八雲記念館などを見学して
八雲ワールドに浸ってみます。
八雲さんがこよなく愛したという松江の街のすばらしさを、少しでも味わえたらと願いつつ。
(表紙写真は、松江城そばにある興雲閣内部)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- レンタカー JALグループ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- ジャルパック
-
27日は夕方の便で松江を発つ日。
ホテルからも近そうな「彩雲堂」に朝一番で立ち寄った。
今年は創業150年を迎えたというお店。
あれこれと迷いながらお土産をゲットした。 -
不昧公の春のお茶席菓子「若草」を松江で最初に復活させたお店だそうだ。
すでに食して跡形もなくなってしまったので
お店のパンフより撮影しました。 -
お店の入口に飾られている和菓子の見本。
もしかしたら実演されるところも窓越しに見学ができるのかも。 -
レンタカーは市営大手前駐車場に駐車。
特定の施設で確認印をもらうと
最大料金が適用されたと思う。(800円だった?)
松江城に入る前
華やかなマンホールの蓋を撮影。 -
すでにこのあたりから天守閣が見渡せる。
-
石垣は
穴太衆(中世からの優れた石垣造築の集団)が
招かれて構築したと云われる。 -
「興雲閣」
市内に残る数少ない擬洋風建築。
松江城へ行く手前に案内表示がある。
松江市が明治36年に市の工芸品陳列所として建築したもの。
当初の建築の目的は明治天皇の行在所だったため、
華やかな装飾が用いられているそうだが
天皇の巡幸は実現しなかったそう。 -
入場料は無料。
入って左手には「亀田山喫茶室」がある。 -
-
ドアノブがガラス製?
-
「貴顕室」(きけんしつ)との案内板があった部屋。
明治40年、皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の山陰道
行啓の際、御座所、御寝所として使われた部屋。
建具とシャンデリア本体は現存するものを修復して
使用しているそうだ。 -
ペンダントとシャンデリア
-
淡いペパーミントグリーンの建具の色が爽やかで
当日は風が通り抜けて心地よい空間だった。 -
大広間
有料で貸切使用ができるそうだ。
(1時間あたり4364円) -
外部も内部と同じ色彩。
-
「松江神社」
興雲閣のすぐ横手にある。
松江藩、初代藩主、松平直政を御祭神とする
楽山神社が由来。 -
「松江城城主の変遷」
関ケ原の戦いで活躍した堀尾忠氏。それまでの浜松から出雲・隠岐両国を与えられ移ってきた。富田城に一旦入るが、統治上の勝手が悪かったため、移転を計画。宍道湖東岸の松江で新たな城を建設した。当時の松江は湿地帯が広がり、建設には困難な土地だったそうだが、実戦向きな城郭と城下町を慶長16年(1611)完成した。
後を継いだ堀尾忠の子、忠治、死去(1633年)。
嫡子がなかった為、若狭小浜藩から京極忠高が移ってくるが、やはり嫡子に恵まれず改易(1937年)
信濃松本藩から松平直政が移ってくる(1938年)
矢や銃を撃つ狭間や、石落としを数多く配置、地下には籠城戦に備えて食糧庫や井戸を用意し、実戦向きの城郭を築いた。
堀は湿地帯の排水用でもあり、防衛や水運の機能も併せ持っていた。
全国に12城しか残っていない、現存天守の一つで、国宝に指定されている。 -
松江城の「鬼瓦」は
角のないユーモラスな表情が特徴だとか。 -
「鯱鉾」
木造銅張りだそう。
高さは2m8cm。
現存する木造のものとしては最大。 -
城内には井戸がある。
籠城用物資のある地下(実際は地上1階になる?)に造られた、
籠城に備えた飲用水用の井戸だそう。
松江城が実戦に備えて造られていることが
このことからもわかるようだ。 -
井戸周辺の様子。
-
「祈祷札」がもともと2枚打ち付けられていたそうだ。
しばらくの間、所在がわからなくなっていたようだが
平成24年、松江神社で再発見。
天守落成の際、天台宗、真言宗の二宗による祈祷が行われた
可能性があるそう。
地階の二本の通し柱に打ち付けられていたことが
札と柱に残る釘穴の位置が一致したことから明らかとなった。
そこから天守完成は慶長16年(1611年)以前であることが
確定し、国宝指定の要因の一つとなった。
(展示品はレプリカ)
この祈祷札も天守とともに国宝に指定されているそうだ。
この11月10日まで、松江歴史館で展示されているようだ。 -
「旧鯱」
昭和の解体修理工事の際、使われなかった鯱が展示
されている。
内部が木であることがわかる。 -
昭和の解体修理工事の説明。(書き写しました。)
昭和25年の文化財保護法施行のよる重要文化財指定にあわせ、全解体による修理工事が起工された。
創建当時の姿への復元を目指し、明治の大修理で加えられていた5階の竿縁天井の撤去やガラス戸を板戸に戻すなどの修理も行われた。工事では極力古材の再用に努めたそうだが、全体では約6割が新材に取り換えられたそう。
工事は総事業費5,375万円をかけ、昭和30年に竣工した。 -
「塩蔵」だった場所
地下には領内から納められた塩が蓄えられていた。
昭和の解体工事の際、ここから塩札が発見されている。
荷札用の片面には郡名と浦名、更に庄屋名や年寄名が記され、
もう一面には塩の重さと生産者名が記されている。
井戸とともに有事に備えたもので、実戦を重視した松江城の
特徴を示している。 -
「鬼瓦」
天守の屋根の大棟や降棟(くだりむね)・隅棟などの
側端に葺かれていた鬼面の鬼瓦。
鬼面でないものも鬼瓦と呼ぶが、松江城天守には現在も
鬼面のものが載っている。
鬼面を用いる鬼瓦は珍しいそうだ。
それにしても角のない鬼の表情はどことなくユーモラス。 -
松江城天守は、平成27年に天守建築として5件目の国宝に指定された。
その理由として、平成24年に「慶長16年」と記された2枚の祈祷札が再発見され、その後、地階の柱に打ち付けられていたことが確認。天守の完成時期が明確になったこと。
さらに平成22年松江市が設置した松江城調査研究委員会によって取り組まれた学術調査から、2階分の通し柱を用いながら上階の荷重を分散させて下階へ伝えるという松江城の特徴が明らかとなったことなどから
国宝指定へとつながっていったそうだ。 -
松江城パンフより
2階分の通し柱を各階に相互かつ均一に配し、
更に上層の荷重を下層の柱が直接受けずに
梁を通して横方向にずらしながら伝えていることの
説明。 -
「包板」
地階から4階の柱には、柱の周囲を板で包んだものがあるとの説明。
柱の一面だけ、あるいは3面、4面に板を張ったもので、包板と呼ばれる技法。
天守内の柱308本のうちの103本にこの技法が使われている。
板は柱にかすがいで固定、更に鉄輪で絞められている。
現存天守では松江城だけに見られる技法だそうだ。 -
上り下りともに急な階段。
-
「大阪の陣で初陣を飾る松平直政」 の像
真田丸を攻める14歳の直政の初陣姿で、信繁は、その勇ましい姿に軍扇を与えたという。
堀尾氏の後に藩主となった京極氏には跡継ぎがいなかった。
当時、島原・天草一揆が起こり、政情不安定ななか、中国地方には外様大名しかいないことから、徳川家康の孫にあたる松平直政が寛永15年(1638年)出雲へ入国した。
天領となっていた隠岐も預けられた。
江戸後期の大茶人としても有名な、不昧公、松平治郷(晴郷)公は、松平家7代藩主。17歳で藩主となり18歳から茶道を学んだ。書画や和歌、陶芸もたしなむ風流人だった。
逼迫していた藩財政を立て直したと評価される一方で、茶道に没頭し政治を疎かにしたとのいわれ、評価は分かれるようだ。 -
望楼への最後の階段。
-
「望楼」
最上階の物見台
松江市街や城山公園が360度見渡せ
風が通り抜ける。 -
-
改めて外からお城を眺めてみると、
一、二階は全面黒い板(雨覆板)で覆われており、
どっしりとした安定感が感じられるお城だった。 -
お城の裏手から武家屋敷のある塩見縄手方面を目指して散策。
途中にあった「馬洗池」 -
「城山稲荷神社」
藩の繁栄を願い松平直政が創建。
小泉八雲が通勤途上に、ここ城山神社によく立ち寄ったそうだ。
当時2000以上あった狐の石像に八雲はたいそう興味をもった
そうだ。
中でも門前にあった耳の欠けた大きい狐像が特にお気に入り
だったようだ。 -
八雲がお気に入りだった狐像は
現在では境内に移されているようだ。 -
当時の様子を示す写真。
2~3000体の狐さんがずらりと並んでいたようだ。 -
堀川巡りの遊覧船がやってきた。
-
松江城を取り囲む約3.7キロの堀川を
全長8メートルの船が運行している。
運航時間は約50分だそう。
時間があったら乗船してのんびりと水上から
移り変わる景観を眺めてみるのも楽しそうだった。 -
八雲記念館へ入る前にお昼をいただこうと2,3軒お店を
当たってみたけれど、適当なところがみつからず
少し離れたところにあり、お店の外にも数人の人が入店を待っている
お店へ行ってみた。
店内の待ち席に空きができると入店していくようだった。
やがて店内に入ることができたが、しばらくは入り口近く
の椅子席で待機。
すぐ脇の、ガラスで仕切られた作業場でそば打ちをされる
様子を見ながら時間が過ぎていった。
店名は「神代そば」という。
昭和27年の創業から石臼挽きと生粉打ちを徹底している
そば店。そば粉と水だけで打ったそば。
見ていると水を少しづつ加えながらも、段々まとまっていく
様子が良くわかる。 -
待っている間にいくつかのメニューは売り切れてしまったようだ。
残っていたのは、一番基本の?割子そばだった。
実は出雲大社の参道沿いのお店でも一度食べているが、
その折のおそばとはこしの強さ、香りなども違った別物!
そばつゆにも手間ひまがかけられているそうで
本枯節と出雲特有の料理酒「地伝酒」を使用しているそうだ。 -
「小泉八雲記念館」
松江を愛した作家、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の
生涯にふれられる記念館。 -
松江城の入場券とのセット券で入場。
-
「九月二十六日は小泉八雲の命日です」とあり
お線香を手向けた。 -
遺髪塔
小泉八雲の三男・清が亡くなった後の1971年、彼のアトリエで八雲の遺髪が入った封筒が見つかったそうだ。そこには、セツ夫人の筆跡で、この遺髪を大切に残したいと書かれていた。その後、遺髪は清の遺族によって松江に運ばれ、この塔の中に安置された。塔の形は、八雲が著書「知られぬ日本の面影」の中で興味深く記している古式五輪塔を模して造られているそう。 -
パトリック・ラフカディオ・ハーン
ファーストネームは敢えて使わなかったそうだ。
1850年、ギリシャのレフカダ島でアイルランド人の父と
ギリシャ人の母の間で生まれた。
7歳の時両親が離婚、その後両親と一度も会うことはなかった。
16歳の時、イギリスの寄宿学校で、遊んでいるときに
ロープの結び目が左目に当たって失明。
失明した目を恥じてか、写真などでは俯いて左目を隠すように
していたそうで、この像もそんな様子を表しているようだ。
1890年、特派員記者として来日。
その後、文部省の紹介で、島根県で英語教師となった。
1891年、風邪の為にしばらく寝込み
その間、士族の娘・小泉セツが住み込みでハーンの世話を
することとなり、やがて結婚。 -
「小泉八雲旧居」(ヘルン旧居)
小泉八雲がセツ夫人とともに約5カ月住んでいた家。
庭のある侍の家に住みたいという八雲が
士族 根岸氏より借りて住んでいた屋敷。
庭は当時のまま残されているそうだ。
自然の山水を生かした庭は、八雲の著書
「知られざる日本の面影」の中で、魅力たっぷりに
描かれているそう。 -
八雲はセツの両親とも仲が良く、4人の子供にも
恵まれた。
1904年、東京の自宅で狭心症で亡くなったそう。
享年54歳。
お墓は東京の雑司ヶ谷霊園にある。
戒名は「正覚院殿浄華八雲居士」 -
すっくと立ちあがった美しい姿の花は
「ルリヤナギ」というそうだ。 -
塩見縄手の
武家屋敷街をそぞろ歩き -
「武家屋敷」
松江城の入場券にセットで入っていた。
松江藩の上級・中級武士の住まいだった。
塩見縄手の名前の由来ともなった塩見小兵衛も住んでいた屋敷で
500~1000石程度の藩士が屋敷替えにより入れ替わり
住んでいたそう。 -
台所
-
座敷
当主が来客を迎える部屋。
書院や柾目の長押、九曜紋の釘隠しなど
格式を重んじた造りになっている。 -
当主の居間
当主が来客を迎える部屋とは対照的に
木の丸みを残した木材や長押の鳥の形が
ふくら雀の釘隠しだったり、
遊び心のある造りとなっているようだ。 -
ふくら雀の釘隠し
-
-
-
塩見縄手のまっすぐに伸びる通り。
-
縄手とは、縄のようにまっすぐ伸びる通りのことをいうそう。
松江城築城の際に、北の内堀にそって整備された通り、
屋敷塀が連なり、上級・中級武士の屋敷が並び、江戸時代の
風情がそのままに残る。 -
-
宇賀橋を渡って、駐車場のスタート地点に
戻ってきた。 -
レンタカーを空港近くの店舗でチェックインして
空港の展望デッキでしばらく夕焼け空を眺めていた。
フライトは JAL286便 19時25分発
羽田着 20時50分 -
折からオレンジ色の可愛らしい飛行機が着陸してきた。
FDA (フジドリームエアラインズ)という会社の
飛行機だった。
安来、出雲、松江と回ってみてどこものどかで静かな良い街だった。
もう一度機会があったなら、再訪してみたい。
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この旅行記へのコメント (14)
-
- 唐辛子婆さん 2024/11/12 21:54:12
- 不昧公
- mistralさん
おひさしぶりです。
>江戸後期の大茶人としても有名な、不昧公、松平治郷(晴郷)公は、松平家7代藩
>主。17歳で藩主となり18歳から茶道を学んだ。書画や和歌、陶芸もたしなむ風流人
>だった。
>逼迫していた藩財政を立て直したと評価される一方で、茶道に没頭し政治を疎かに
>したとのいわれ、評価は分かれるようだ。
若かりし頃習っていた茶道(裏千家)で先生からよく不昧公のことを聞かされました。
とても素晴らしい方として習っていたので、
政治を疎かにしていたとは知らず、あらあら、です^^。
ももであさんのカスレのお話みたいなのも大好きです、うふふ^^。
大陸からやってきた人の話はワクワクしますね。
このたびウズベキスタンでソグド人というゾロアスター教の人々の壁画を見ることが出来ました。ソグド人は五島列島の福江島に住み、鑑真や空海の航海の手助けをしていたとか。
ラフカディオ・ハーンがギリシア人とアイルランド人とのハーフだと言うのも初めて知りました。ギリシャのコルフ島に行きたいとしつこく夢見ている唐辛子婆にとってハーンがより近くなった瞬間です。
唐辛子婆
- mistralさん からの返信 2024/11/13 09:07:07
- RE: 不昧公
- 唐辛子さん
おはようございます。
ご無沙汰しておりました。
やっと涼しくなってきたと思ったら、すぐ寒さ対策の時期となりました。
我が家には年代物の胡蝶蘭やカトレアがあって、大慌てで室内に運び込んだりしました。
> 若かりし頃習っていた茶道(裏千家)で先生からよく不昧公のことを聞かされました。
> とても素晴らしい方として習っていたので、
> 政治を疎かにしていたとは知らず、あらあら、です^^。
唐辛子さんもでしたか。
私も若かりし頃(母と同じ茶道の先生に、中学生の頃からお稽古に通っていました。同じく裏千家でした。)
不昧公のお名前を聞いていましたが、詳細は知らずに大きくなってしまいました。
公がどれほど政治を疎かにされたのかはわかりませんが、お茶のお道具はかなりお買い求めになったとか。
> ももであさんのカスレのお話みたいなのも大好きです、うふふ^^。
ももであさんの後にコメントくださったしにあの旅人さん、ももであさんとカスレにまつわるコメントでもりあがりました。カルカッソンヌあたりはカスレが有名ですが。あれは豚の食べ物だと、フランス人は言うんだ、などなど。
その続きが、ももであさんからの創作話でした。
なかなか愉快な、怖いお話ですね。
> 大陸からやってきた人の話はワクワクしますね。
> このたびウズベキスタンでソグド人というゾロアスター教の人々の壁画を見ることが出来ました。ソグド人は五島列島の福江島に住み、鑑真や空海の航海の手助けをしていたとか。
ゾロアスター教、というと松本清張さんの小説を思い出します。
確か「火の路」というタイトルでした。明日香の石造物からやがてゾロアスター教とのつながりを紐解いていく、という内容でした。
ゾグド人が福江島に渡来していた、というお話も興味深いですね。
> ラフカディオ・ハーンがギリシア人とアイルランド人とのハーフだと言うのも初めて知りました。ギリシャのコルフ島に行きたいとしつこく夢見ている唐辛子婆にとってハーンがより近くなった瞬間です。
旅のきっかけはふとしたところから、現実的になっていきますね。
いつの日かコルフ島に旅たたれることでしょうね。
mistral
- 唐辛子婆さん からの返信 2024/11/13 21:55:09
- RE: RE: 不昧公
- mistralさん
> ゾロアスター教、というと松本清張さんの小説を思い出します。
> 確か「火の路」というタイトルでした。明日香の石造物からやがてゾロアスター教とのつながりを紐解いていく、という内容でした。
教えてくださってありがとうございます。
松本清張の「火の路」さっそく検索してみました。(あらすじだけ読んだ^^)
日本では大和の時代のゾロアスター教の研究をしている方々が
一定数いらしゃるということがわかり。
ソグド人に関しては1件だけ見つけることが出来ました。
もう一度上野の博物館に行ってソグド人らしい人のお顔を見てみたいと思います。
> いつの日かコルフ島に旅たたれることでしょうね。
それだけの時間が残ってるといいんですけど・・・。
唐辛子婆
- ももであさん からの返信 2024/11/19 16:22:33
- Win-Win
- 唐辛子さん、mistralさん お邪魔します m(__)m
それは今年の5月。ご近所を散策していた時のこと... 巨大なタブノキの下の長~いベンチの上にポツンと丸々と太ったご立派な長財布
(↓以下、市原悦子調でお願いします)
市原「あ~ら、おまいさん。一人でどうしたんだい」
長助「しくしく。はい。ご主人様とはぐれてしまいました」
市原「まぁ、人さらいにでも遭ったら大変」
市原「これも他生の縁、いっそうちの養子におなりなさい」
長助「あ~れ~」
(市原モード解除)
というわけで、長助は無事オラの養子になったのでした。
めでたし。めでたし。(おしまい!?)
--------------------------------------------------------
イヒヒ。さて、自宅で中を見てみると、出るわ出るわ。札束、硬貨、クレカ、ATMカード、診察券、そしてそしてえっ在留カード。これがなけりゃ国外退去の刑!? さぞかし困っていることざんしょ。持ち主は、なんとウズベキスタン国籍でした!!
養子縁組したばかりだけど、ここは先行投資とするか! そう思い最寄りの交番へと向かったのでございます。で、その前にふと気になり元のタブノキの下へ。するといるいる。いかにも意気消沈した外国人。生みの親と育ての親のご対面!? 「名前は? 国籍は?」確認すると bingo!! 長介は、無事に親もとへと帰ったのでした。ユスポフくん飛び跳ねて喜んでました。「やっぱりここは日本だ~っ!」って
--------------------------------------------------------
さてさてお婆さまのお話で、ゾグド人には、鑑真や空海さん、最近では福江で川口春奈ちゃんがお世話になったことを知りました。時空を超えて世の中持ちつ持たれつなんですねぇ。
え? ってことは…!?
ウズベキスタン大統領府から英雄勲章とタシケント行ファーストクラス航空券がそろそろ送られてくるハズなので、ポストの前で寝泊まりする日々なのです !(^^)!
- 唐辛子婆さん からの返信 2024/11/19 16:52:58
- RE: Win-Win
- ももであさん
びっくらこのお話、たのし~~い!でも
> ウズベキスタン大統領府から英雄勲章とタシケント行ファーストクラス航空券が
>そろそろ送られてくるハズ
これって、と蒼白になる唐辛子婆。
なぜってワタクシもウズベキスタン(サマルカンド行き特急列車内)でスマホを置き忘れたのが仕事熱心なおまわりさんのおかげで戻ってきたんです。
石破首相に頼んでおまわりさんと探してくれた関係者のみなさまに英雄勲章授けてもらって日本行きファーストクラス航空券用意せな😅
逃げも隠れもいたしたい唐辛子婆
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
> 唐辛子さん、mistralさん お邪魔します m(__)m
>
> それは今年の5月。ご近所を散策していた時のこと... 巨大なタブノキの下の長~いベンチの上にポツンと丸々と太ったご立派な長財布
>
> (↓以下、市原悦子調でお願いします)
> 市原「あ~ら、おまいさん。一人でどうしたんだい」
> 長助「しくしく。はい。ご主人様とはぐれてしまいました」
> 市原「まぁ、人さらいにでも遭ったら大変」
> 市原「これも他生の縁、いっそうちの養子におなりなさい」
> 長助「あ~れ~」
> (市原モード解除)
>
> というわけで、長助は無事オラの養子になったのでした。
> めでたし。めでたし。(おしまい!?)
> --------------------------------------------------------
> イヒヒ。さて、自宅で中を見てみると、出るわ出るわ。札束、硬貨、クレカ、ATMカード、診察券、そしてそしてえっ在留カード。これがなけりゃ国外退去の刑!? さぞかし困っていることざんしょ。持ち主は、なんとウズベキスタン国籍でした!!
>
> 養子縁組したばかりだけど、ここは先行投資とするか! そう思い最寄りの交番へと向かったのでございます。で、その前にふと気になり元のタブノキの下へ。するといるいる。いかにも意気消沈した外国人。生みの親と育ての親のご対面!? 「名前は? 国籍は?」確認すると bingo!! 長介は、無事に親もとへと帰ったのでした。ユスポフくん飛び跳ねて喜んでました。「やっぱりここは日本だ~っ!」って
> --------------------------------------------------------
> さてさてお婆さまのお話で、ゾグド人には、鑑真や空海さん、最近では福江で川口春奈ちゃんがお世話になったことを知りました。時空を超えて世の中持ちつ持たれつなんですねぇ。
> え? ってことは…!?
>
> ウズベキスタン大統領府から英雄勲章とタシケント行ファーストクラス航空券がそろそろ送られてくるハズなので、ポストの前で寝泊まりする日々なのです !(^^)!
- ももであさん からの返信 2024/11/19 21:06:57
- 類は友を呼ぶ
あいや~!
なんと お婆さまも特急列車へのスマホの置忘れ事件やっちゃいましたか! そしてしっかり戻って来たと!! 痛快この上ない武勇伝ですね♪ すばらすぃ~!
>逃げも隠れもいたしたい唐辛子婆
いえいえ「情けは人の為ならず」。そのおまわりさんだって、スマホを無事に持ち主に届けられて感謝されれば、とても清々しい気持ちだったと思いますよ。お婆さまは立派に日本とウズベキスタンの交流に貢献されたのだと思います♪
もちろんオラもしっかりやりました。スマホ置忘れ事件。中国で。
https://4travel.jp/travelogue/11496449
その時は、焦りまくりでも楽しいものですね!?
- mistralさん からの返信 2024/11/19 21:15:52
- RE: RE: Win-Win
- 唐辛子さん
ファーストクラスの航空券を用意して、お礼に差し上げるくらいでしたら
大急ぎで旅の支度をしてウズベキスタンへ飛び立ってしまった方がよさそうです。
それにしても唐辛子さんのスマホの置き忘れ事件、極秘情報のはずなのに、、、
ももであさん、感度抜群のおヒゲでキャッチしたのかしら?
mistral
> びっくらこのお話、たのし~~い!でも
>
> > ウズベキスタン大統領府から英雄勲章とタシケント行ファーストクラス航空券が
> >そろそろ送られてくるハズ
>
> これって、と蒼白になる唐辛子婆。
>
> なぜってワタクシもウズベキスタン(サマルカンド行き特急列車内)でスマホを置き忘れたのが仕事熱心なおまわりさんのおかげで戻ってきたんです。
>
> 石破首相に頼んでおまわりさんと探してくれた関係者のみなさまに英雄勲章授けてもらって日本行きファーストクラス航空券用意せな😅
>
> 逃げも隠れもいたしたい唐辛子婆
>
> 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
>
> > 唐辛子さん、mistralさん お邪魔します m(__)m
> >
> > それは今年の5月。ご近所を散策していた時のこと... 巨大なタブノキの下の長~いベンチの上にポツンと丸々と太ったご立派な長財布
> >
> > (↓以下、市原悦子調でお願いします)
> > 市原「あ~ら、おまいさん。一人でどうしたんだい」
> > 長助「しくしく。はい。ご主人様とはぐれてしまいました」
> > 市原「まぁ、人さらいにでも遭ったら大変」
> > 市原「これも他生の縁、いっそうちの養子におなりなさい」
> > 長助「あ~れ~」
> > (市原モード解除)
> >
> > というわけで、長助は無事オラの養子になったのでした。
> > めでたし。めでたし。(おしまい!?)
> > --------------------------------------------------------
> > イヒヒ。さて、自宅で中を見てみると、出るわ出るわ。札束、硬貨、クレカ、ATMカード、診察券、そしてそしてえっ在留カード。これがなけりゃ国外退去の刑!? さぞかし困っていることざんしょ。持ち主は、なんとウズベキスタン国籍でした!!
> >
> > 養子縁組したばかりだけど、ここは先行投資とするか! そう思い最寄りの交番へと向かったのでございます。で、その前にふと気になり元のタブノキの下へ。するといるいる。いかにも意気消沈した外国人。生みの親と育ての親のご対面!? 「名前は? 国籍は?」確認すると bingo!! 長介は、無事に親もとへと帰ったのでした。ユスポフくん飛び跳ねて喜んでました。「やっぱりここは日本だ~っ!」って
> > --------------------------------------------------------
> > さてさてお婆さまのお話で、ゾグド人には、鑑真や空海さん、最近では福江で川口春奈ちゃんがお世話になったことを知りました。時空を超えて世の中持ちつ持たれつなんですねぇ。
> > え? ってことは…!?
> >
> > ウズベキスタン大統領府から英雄勲章とタシケント行ファーストクラス航空券がそろそろ送られてくるハズなので、ポストの前で寝泊まりする日々なのです !(^^)!
- 唐辛子婆さん からの返信 2024/11/19 22:39:30
- RE: RE: RE: Win-Win
- mistralさん ももであさん
> それにしても唐辛子さんのスマホの置き忘れ事件、極秘情報のはずなのに、、、
> ももであさん、感度抜群のおヒゲでキャッチしたのかしら?
帰国後ちょっと体調崩して、まだまだ旅行記アップに時間がかかりそうなのに
この部分だけがすでに独り歩き◎◎^^
mistralさんのおかげで楽しい方とおしゃべりできてうれしいです。
ももであさんてはじめ女性かと思ったわ。(お名前がDear Peachみたいで)
そしてお顔はスマホなくした時にムンクの「叫びのこだま」になった時のまま
唐辛子婆の脳裏に焼きついてしまって、ほほほ。
ソグド人のいた福江島が意外と大きくて、移住人気が高いとも初めて知りました。
唐辛子婆
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- しにあの旅人さん 2024/11/05 20:27:27
- ハーンと出雲
- 小泉八雲旧居は行きました。
そうそう、こんな感じの天井の低い日本家屋でした。
「知られざる日本の面影」は出雲旅のガイドブックでした。19世紀末の出版ですから、130年前の出雲と現代を比べながら旅行できました。
明治23年、ハーン40才、ハーンを松江に招聘した西田千太郎は28才、ハーンを外国人として初めて出雲大社本殿に招待した出雲国造千家尊紀30才、このころはこんな若い人が出雲を運営していたのです。明治ってすごい時代だと思いました。
もしよろしかったら、こちらをどうぞ。
https://4travel.jp/travelogue/11573228
出雲そばはいかがでしたか。
固いですよね。
私は一時期そば打ちにこったことがあります。私の分担はそばを育てて、脱穀して、そば粉にするまで。そば打ちは友人がやりました。
「神代そば」では所謂十割そばみたいです。あれはそばがつながらなくて難しいのです。写真で見るとちゃんと白いそばですね。あれはもっとむずかしい。
宇賀橋を渡る自転車の娘さん、高校生ですかね。
なぜか胸がキュンとなる、いい風景です。
- mistralさん からの返信 2024/11/06 19:53:16
- RE: ハーンと出雲
- しにあの旅人さん
こんばんは。
お返事が遅くなりました。
その前に、しにあさんの出雲の旅行記、拝見しました。
当時の旅行記は、拝見した旅行記、未訪問の旅行記など虫食い状態でした。
多分、自分で行ったところは興味深く拝見できるけれど、未知の地ですとそのままに
なっていたのかもしれません。
今回出雲へ行ってみて(一応は再訪でしたが)その地の空気感など味わってきてみると
例え未訪問だったとしても、関心の持ち方が違うなあ、と思ったことでした。
> 小泉八雲旧居は行きました。
> そうそう、こんな感じの天井の低い日本家屋でした。
八雲さんはお侍の済んだ日本家屋に住みたかったそうですね。
実際にそこで生活されることで、日本人の感覚を味わったことでしょう。
> 「知られざる日本の面影」は出雲旅のガイドブックでした。19世紀末の出版ですから、130年前の出雲と現代を比べながら旅行できました。
いつもしにあさんの旅のガイドブックは、当時の人の書かれたご本ですね。
当時の人が感じたことを読み取って、旅をなさるから、現代のガイドブックを見ての旅とは別物の旅ができることでしょう。
> 明治23年、ハーン40才、ハーンを松江に招聘した西田千太郎は28才、ハーンを外国人として初めて出雲大社本殿に招待した出雲国造千家尊紀30才、このころはこんな若い人が出雲を運営していたのです。明治ってすごい時代だと思いました。
本当にそう思いますね。
琵琶湖の水を京都まで運ぶ隧道をつくる難工事をしたのも、当時大学を卒業したばかりの若者でした。そんな若者に大工事を任せた当時の政府要人も肝が座っていたことでしょう。
千家さんといえば、高円宮家の典子さんが嫁がれたお家でしたね。
> もしよろしかったら、こちらをどうぞ。
> https://4travel.jp/travelogue/11573228
たっぷりと拝見してきました。
今回旅に出る前に、下調べをしていたときに、かなりの神社が地図に載っていることがわかりました。さすが出雲、と思いましたが、実際には訪問できませんでした。
しにあさんの旅行記を拝見しますと、石段の様子や境内の佇まいなどなど、さすが出雲の地にある神社だなあ、と思いました。
当時はしにあさんは、石段をちゃんと登っておられたご様子でしたね。
> 出雲そばはいかがでしたか。
> 固いですよね。
> 私は一時期そば打ちにこったことがあります。私の分担はそばを育てて、脱穀して、そば粉にするまで。そば打ちは友人がやりました。
そばを栽培されたのは、以前の地の畑ですか?
そば粉までを作られる・・・それだけでも大変な労力だったことでしょう。
さぞかし美味しいおそばが出来上がったことでしょうね。
ももであさんが、同じ旅行記にコメントを下さいました。
ももであさんも蕎麦打ちをご自分でなさっておられたとか。
皆さま、こだわりのある方々は、自ら蕎麦打ちをなさるんですね。
カルカッソンヌとカスレと耳なし芳一とのお話しをミックスされた怖いお話しを創作されて送ってくださいました。
> 「神代そば」では所謂十割そばみたいです。あれはそばがつながらなくて難しいのです。写真で見るとちゃんと白いそばですね。あれはもっとむずかしい。
神代そばさん、十割蕎麦とうたっていました。
多分店主の方の息子さん(お顔が良く似ていましたので)がそば粉に水を少しずつ打たれながら、まずはまとめておられました。最初は粉でしたが、やがて纏まってきて丸くなっていました。つなぎがないから纏めるのも大変なんですね。
> 宇賀橋を渡る自転車の娘さん、高校生ですかね。
> なぜか胸がキュンとなる、いい風景です。
おそらく高校生でしょうね。
通学路があのような橋だなんて風情がありますね。
そこを女子高生がペダルをこいで渡っていく風景なんて、どこでも見られるものではありませんね。
mistral
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- ももであさん 2024/10/31 20:26:42
- 本当は怖い「耳あり芳一」
- こんばんは
松江も美味しいものがいろいろありますが、あ~割子蕎麦がおいしそ~!! 自分でも蕎麦を打つ蕎麦好きなので、このエッジ感がたまりません。香りを嗅ぐとまた絶品なのでしょうね♪
「耳なし芳一」や「雪女」。南蛮人のラフカディオ・ハーンが、何故ここまで日本的な会談が描けたのか不思議でしたが、セツさんや家族の深い支えがあったのですね。
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昔、カルカッソンヌの阿弥陀寺に盲目の琵琶法師「芳一」が住んでいました。彼は琵琶の名手で、「平家物語」を弾き語ることで評判でした。
ある夜、芳一は見知らぬ武士に声をかけられ、「主があなたの琵琶を聴きたがっている」と誘われます。芳一は連日武士に連れられ、豪華な屋敷で「平家物語」を語りますが、ある晩住職が芳一の後を追います。すると、芳一が墓地で豚の幽霊に取り囲まれているのを見つけました。彼が訪れていたのは豚の集会所だったのです。
住職は芳一を守るため、全身に豚が嫌いなカスレを塗りつけて豚を寄せ付けないようにします。しかし、うっかり者の住職は芳一の耳にだけカスレを塗り忘れてしまいます。しかも住職はカスレが豚の餌だということを知らなかったのです。
その夜、また芳一を訪ねた豚の幽霊は、美味しそうなカスレを見つけすべて食べてしまいました。残ったのは、カスレを塗り忘れた耳だけでした…。お後が宜しいようで!?
- mistralさん からの返信 2024/10/31 21:57:56
- Re: 本当は怖い「耳あり芳一」
- ももであさん
こんばんは。
ご自分で蕎麦打ちをされるんですか!
そんな方には、写真だけで違いがわかるんですね。
確かに香りは際立っていました。
エッジ感が・・・となると良くわからない世界です。
それでも美味しいものは実に美味しかった、です。
耳なし芳一のももであ版
このストーリーは、昨夜の横レスありのしにあさんへのコメントがないと
わかりにくいですね。
場面はカルカッソンヌ、体中にお経を書きつけたのではなくて
カスレを塗りまくった。それは豚だったらカスレが大嫌いだと思っていたから。しかし本当は豚さんはカスレが大好物だったというお話し。
耳だけカスレを塗り忘れたために、芳一の耳だけが食べられずに残っていた
という怖~いお話し。
こんなお話しを瞬時に考えつかれるももであさんって、AIさんですか?
情報をほうりこんで、ストーリーは耳なし芳一でと言うと
即座に新ストーリーが出来上がってくる、なんてとても普通の人間わざ
とは思えません。
まいりました。
mistral
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- マリアンヌさん 2024/10/30 19:27:27
- 古代浪漫の地
- mistralさん こんばんは。
松江の旅、良いですね。関東からは遠くて興味がありながら一度、大阪本社の研修帰りに弾丸旅行しただけです。
銅剣、銅鐸の出土現場を見に行かれるなんてすごいです。
古事記にも登場する地なのに島根県は、青銅器の出土例や遺跡等の発見もほとんどなかったのですね。ミステリーですよね。
僭越な話題ですが、長年お世話になった会社関係の泉屋博古館は青銅器コレクションがあり、総資産◯兆円突破記念の時、全職員に15cm大の銅鐸レプリカが配られたんです。
置物としても微妙で、捨てるのもと実家にあったと思います(笑)
また、カズレーザーと学ぶ・・というTV番組で見たのですが、縄文人は一般にバイカル湖方面から北海道へやって来たと思われてきたが、研究により縄文人の遺伝子が現在のラオス周辺に住んでいた古代人と近いことが判明したそうで、縄文人は東南アジアからやって来たようです。
興味深いことに縄文遺伝子は、東北、関東一部、九州などの地域の人に引き継がれているそうです。(渡来人が多かった関西周辺は弥生人遺伝子)
北海道は、本州から入植したので調査が難しいそう。
東北や九州の人は、縄文遺伝子の影響で酒に強く、中性脂肪を蓄えやすい傾向があるそうです。
古代ミステリー不思議で楽しいですね。
表紙の擬洋風建築、西欧オタクな私好みです。いつか訪れてみたいなぁ。
不昧公の春のお茶席菓子「若草」当時、茶道を盛んに稽古していたので、土産に買っていきました。
足立美術館や小泉八雲etc.旅のヒントになりました。
マリアンヌ
- mistralさん からの返信 2024/10/30 23:18:44
- RE: 古代浪漫の地
- マリアンヌさん
こんばんは。
いつも有難うございます。
私も松江は数十年ぶりの旅でした。
> 銅剣、銅鐸の出土現場を見に行かれるなんてすごいです。
たまたま今回はレンタカーを借りていたので、遺跡めぐりをしてみました。
現地には車がないとなかなか辿りつくのがやっかいそうな所でしたから、おあつらえ向きとなりました。
> 僭越な話題ですが、長年お世話になった会社関係の泉屋博古館は青銅器コレクションがあり、総資産◯兆円突破記念の時、全職員に15cm大の銅鐸レプリカが配られたんです。
> 置物としても微妙で、捨てるのもと実家にあったと思います(笑)
記念品が銅鐸のレプリカでしたか・・・
確かに微妙なお品ですね。
泉屋博古館さんには青銅器のコレクションがおありとか。
きっとすばらしい青銅器があることでしょうね。
> また、カズレーザーと学ぶ・・というTV番組で見たのですが、縄文人は一般にバイカル湖方面から北海道へやって来たと思われてきたが、研究により縄文人の遺伝子が現在のラオス周辺に住んでいた古代人と近いことが判明したそうで、縄文人は東南アジアからやって来たようです。
私も何かで見た記憶があります。
東南アジアから渡ってきたということは、南方から小さな舟でやってきたんでしょうね。
> 興味深いことに縄文遺伝子は、東北、関東一部、九州などの地域の人に引き継がれているそうです。(渡来人が多かった関西周辺は弥生人遺伝子)
興味深いですね。
関西方面は縄文時代には丁度空洞状態で、そこに渡来人が移りすんだのかしら?
卑弥呼はどうだったんでしょうね。
> 北海道は、本州から入植したので調査が難しいそう。
> 東北や九州の人は、縄文遺伝子の影響で酒に強く、中性脂肪を蓄えやすい傾向があるそうです。
> 古代ミステリー不思議で楽しいですね。
縄文人の特性、不思議ですね。
マリアンヌさん、一度ご覧になったテレビ番組の情報を
とても整理されて記憶されていてすごいです。
私は、その時にチラっと見ていても、すぐに忘れさってしまいます。
> 表紙の擬洋風建築、西欧オタクな私好みです。いつか訪れてみたいなぁ。
> 不昧公の春のお茶席菓子「若草」当時、茶道を盛んに稽古していたので、土産に買っていきました。
> 足立美術館や小泉八雲etc.旅のヒントになりました。
松江は、古くからの歴史と、擬洋風建築物などなどが織り交ざった不思議な雰囲気のある街でした。
不昧公以来のお茶の文化から、洗練された和菓子も種類が多くて、お土産を選ぶのにも多いに迷いました。
行きたい地は数多くあれど、
又、年々その数は増えてきますが
健康で、自らの足で歩いて旅ができるのはあとどのぐらいか?と考えてしまう
今日この頃です。
mistral
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