2024/09/27 - 2024/09/27
19位(同エリア908件中)
松本伸雄さん
三重五階の御三階櫓が象徴した徳川御三家の城
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みぎの門柱にみられる弾痕は、明治元年(1868)に水戸藩内の保守派(諸生党)と過激派(天狗党)の戦いで生じたものです
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天保12年(1841)の創建時に建てられた弘道館の正門。本瓦葺四脚門という建築様式で総欅造りです。藩主の来館や諸儀式をおこなうときにのみ開門しました
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此処でスタンプをいただきます
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玄関
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便所 小用
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便所 大用
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湯殿 サウナ式
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御座の間の畳の縁は三つ葉葵です
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至善堂、藩主の御座所(休息所)。第15代将軍徳川慶喜が明治元年に恭順謹慎した部屋
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ながもち
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大日本史。水戸光圀が始めた歴史書、200年以上かけ明治時代に完成した
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斉昭書の「弘道館」扁額。尊攘は尊王攘夷の略です
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正門の裏側
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徳川斉昭像。鎌倉時代に常陸大掾馬場資幹がこの地に最初の館を築いた
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市毛水戸線(県道232号)が走る二の丸西側の堀と土塁
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大手門、令和2年復元。天正18年(1590)、佐竹義宣が入城して近代城郭に改修、佐竹氏が秋田へ移った後に徳川家康の11男、頼房が入る。
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安積澹泊像。江戸で朱舜水から儒学を学び、彰考館の総裁を務めた。水戸黄門漫遊記に登場する「格さん」のモデル
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二の丸角櫓は、見学時間を過ぎました
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大手橋を渡る。水戸城は、那珂川と千波湖にはさまれた大地の先端に典型的な連郭式の縄張りで築かれた城。
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本城橋。徳川家では水戸城に大幅に手を加え、徳川御三家の居城として東北諸藩に睨みをきかせる存在とした。
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水郡線が走る本丸西側の堀切と土塁。台地を掘削して堀をつくり、石垣を一切用いず、土塁によって城は築かれた
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水戸第一高等学校
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薬医門
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もともとは本城橋を渡ってすぐの本丸入口に建てられていた橋詰門で、、佐竹氏時代の遺構と考えられる。明治の廃城時に城下の祇園寺に移築されたが1981年(昭和56)に現在の場所に再移築された
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屋根を前に出して大きく見せる
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学校入口は桝形になっている。ヒガンバナが咲いてます
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杉山坂。寛永2(1625)年に初代藩主徳川頼房が行った水戸城大改修により整備された坂
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宇都宮ライトレール
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水戸駅ビルは、餃子屋さんばかりです
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水戸駅の餃子像 おわり
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