2024/08/21 - 2024/08/22
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ソロモン諸島では首都ホニアラのあるガダルカナル島で太平洋戦争の戦跡を見て回りました。
「ガダルカナル島の戦い」は旧日本軍と連合国軍で激戦となり、日本側は多数の死者と軍艦や輸送船、飛行機等の損害を出しました。死者の多くは飢えとマラリアなどの病気が原因だったようです。それまで連戦連勝だった旧日本軍が大敗し、アメリカとの攻勢が逆転するきっかけとなった戦いとされます。
今でもソロモン諸島には両軍の戦跡が残ります。兵士の遺骨も残ったままで、旧日本軍生存者や遺族らが戦没者遺骨帰還事業を行っています。
訪問した時もキタノメンダナホテルには日本人の大規模な団体御一行様がいました。
島内の見どころをいくつもめぐるにはタクシーかツアーとなりますが、あまりいいのがなかったためキタノメンダナホテルにメールで相談。
一週間以上待ってようやく返信が来たと思ったら、パートナーの旅行会社を紹介されました。その旅行会社は返信なし・・・。
現地でどうにかすることになりました。
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ガダルカナル島が見えてきました。
中央部は山が高く、手つかずと思われる森林がかなり広範囲に広がっています。
左の川はムバリスナ川です。
1942年8月、旧日本軍が上陸したのはこの少し東(写真左方向)の地点のようです。ちょうど飛行機が上空を通過してしまって見られませんでした。 -
写真中央の丸く突き出ているのがコリ岬。
旧日本軍が上陸した翌日、一木支隊将校斥候群がこのあたりで連合軍の攻撃により全滅し、階級章から日本陸軍部隊が上陸したことに気付きます。 -
ホニアラ国際空港が見えてきました。
飛行機はいったんホニアラ市内まで向かってからUターンして西からの着陸でした。
旧ヘンダーソン飛行場です。1942年8月5日に旧日本軍により滑走路工事が完了し、その2日後に米軍により占領されます。 -
空港にほど近いこの丸く突き出しているのがルンガ岬。
中央を流れるのがルンガ川。アメリカ海兵隊員が上陸した地点です。 -
国立競技場が見えてきました。
座席にSOLOMONと書いてあります。 -
ホニアラ国際空港に到着。
入国カードは機内で配られたのを書いていました。
入国審査も簡単に終了。 -
ATMは到着ロビーにありましたが故障中。
外に出たところのは使えました。
今回宿泊したキタノメンダナホテル内にもATMがあったので、故障してなければ送迎を頼んでいる場合はホテルでキャッシングしても問題なさそう。
SIMも近くの青空デスクから購入可能です。
キタノメンダナホテルにWifiがあり、外出時にネットを使わないのであれば買わなくてもいいかもしれません。今回はeSIMを事前に買っていたので購入していません。
SIMにしろWifiにしろだいぶ遅いです。 -
空港からはタクシーで移動。
言い値はSI$150(SI$=ソロモンドル)。機内で客に聞いた金額と一緒でした。
タクシーは車のメーターで1km SI$10とのこと。空港からホテルまでは11kmなので計算上SI$110なはずで、空港駐車料金がかかったとしても少しぼられているのかも。
タクシー
17:51 ホニアラ国際空港→18:26 キタノメンダナホテル
SI$150 -
ソロモン諸島旅行は中1日しかないので、翌日はガダルカナル島郊外の見どころに出かける予定。車内で翌日の行程を交渉しました。
ホテルから25km離れたビル戦争博物館、その途中にあるボネギビーチ、米国記念碑・日本平和記念碑(アウステン山)・Bloody Ridge(ムカデ高地)・アリゲータークリーク(一木支隊奮戦の碑)・メモリアルガーデン(空港脇)で約計95km。言い値はSI$1500でしたが、負けに負けさせSI$900で決着。
ただ、結果そういうわけにはいきませんでした。 -
日本の北野建設により建てられたキタノメンダナホテルにチェックイン。
サッシが完全に閉まらず、蚊が何匹も飛び交う部屋でした。。
さすがに古すぎて改修が必要なのでは。。
感想は口コミで。
https://4travel.jp/os_hotel_tips/15190266 -
初日の夜はホテルの人のおすすめで隣接するPalm sugarへ。
ただ、みんなが行くから勧めた、自分は行ったことがないとのこと。。
近距離とはいえ、夜の暗い公道を歩くのはそれなりに緊張感があります。
地元の方は地黒なので闇にまぎれてしまうのでわかりにくいのですが、案の定どうかなという方も見かけました。
機内食が16時台にがっつりでてしまい、そんなにお腹が空いていなかったのでチキンのスイートチリとフライドポテトなどで済ませました。SI$70-80程度だったと思います。外国人向けで、言うほど安くありません。 -
2024/8/21
朝!すばらしい天気で暑くなりそう!
32度くらいで、蒸しますが湿気は東京より少ない感じ。 -
予定の8時少し前に、すでにタクシーが来ていました。
当初出発は6時にするとか言っており、拒否して8時にしてもらいました。
そもそもビル戦争博物館は9:30からで(Googleでは7:30になっていますが誤り)、いくらなんでも早すぎます。
このドライバーは他にも、隙あらば早く帰ろうとしたり、午前中で切り上げたいと言ってきたり、必要ない入場料をとろうとしたり、とにかく要注意でした。ドライバーのペースに乗らないのが重要です。 -
ドライバーのビンロウストップ。
モーニングコーヒーみたいなもんですかね。
買ったそばから店頭で食べだしていました。 -
途中、Tamboko地区近くの丁字路では、ドライバーが窓を閉めるように言ってきました。そのうえで鍵もかけていました。
後から聞いた話では、日中は大きな問題は少ないですが、道がでこぼこしてゆっくり走るため、外国人とみると窓からスマホなどを盗んだり、ドアを開けて鞄を盗んだりということがあるそうです。
しかし日よけが黒すぎ。こんなに黒いのは見たことがありません。 -
9:33
出発して1時間40分、ビル戦争博物館に到着です。
途中の道は状態が良くなく、大型バスだったらもっと時間がかかりそう。
記帳して中に入ります。
看板によると月-土9:30-16:00、日曜は予約のみで、ちょうど開いたばっかりです。
ビル戦争博物館
SI$ 100(当然現金のみ) -
ここでは実際の戦車や戦闘機などの残骸が展示されています。
とても親切なガイドがいろいろ説明してくれました。
なぜかドライバーも一緒になって回ってきてスマホで撮影。初めて来たのかな。
入ってすぐ4つ並ぶ高射砲はすべて日本のもの。 -
弾の跡がついています。
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写真ではわかりにくいですが、弾を2つ入れていたため、温度が上がって中央部分(写真左下あたり)がふくれたんだとか。
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九六式十五糎榴弾砲 昭和十五年製 大阪工廠と読めます。
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ぬかるみなどのためにタイヤに巻き付けていたチェーン。
結構細かい展示品もありました。 -
米軍の飛行機で、地上にいたときに旧日本軍に射撃されたもの。
パイロット1人、銃を使っていたクルー2人が乗りこむ仕様でした。 -
丸い穴にはカメラがついていたとのこと。
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こちらも米軍機。Corsairです。
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こちらの崩壊著しい戦闘機はP-38ライトニング。
海中から引き揚げたため、状態が非常に悪くなっています。
その際のロープが残っていました。 -
こちらはプロペラの中央から弾を飛ばしていたようです。
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アメリカ軍の水上機の残骸。
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アメリカの爆撃機の羽。
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これはボネギビーチに沈んでいる日本の輸送船鬼怒川丸にあったもので、一方は山に向けて、もう一方は後方に向けて撃てる仕様だったそうです。
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日本のゼロ戦(零式艦上戦闘機)のエンジン。三菱重工業の開発です。
とても静かなエンジンで、アメリカ軍としては油断できなかったという説明でした。 -
こちらもボネギビーチにある鬼怒川丸にあった日本のマシンガン。
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こちらの慰霊碑はかつて日本人が慰霊をしていたようで、その当時は表面があったそうですが、取り外されてから数十年にわたりまったく修復されないという話でガイドは少し寂しがっている様子でした。
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裏面はまだ残っていました。
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アメリカ軍の飛行機です。乗っていたアメリカ軍人は戦争を生き延び、1990年代になってここまで見に来たんだとか!
別の島から来てヘンダーソン飛行場に降りようと思ったが状況が悪くてできず、島に戻ろうとしたら燃料がなくて、草原に着陸したため生き延びられたそうです。もしヘンダーソン飛行場に降りたら旧日本軍にやられていたかもしれなかったわけで、彼にとってはラッキーでした。 -
慰霊碑が並んでいます。
手前から日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、フィジーです。 -
日本のものは表面は英語なのですが、裏に日本語がありました。
仏様の絵も描いてあります。 -
傍らに鬼ころしが置いてありました。
誰かが日本から持ってきて置いて行ったのかな。
アメリカのものが多い印象でしたが、見ごたえ十分でした。 -
車に戻り、来た道を戻ります。
途中バナナを購入。1房SI$5で、交渉不可。
小さいけどねとっとしていて濃い味でおいしかったです。
食べきれないので返したら、それくれとドライバー。別にいいですが、SI$2.5分(約40円)おごったようなものです・・・。
写真はドライバー曰く米軍が遡上した川。旧日本軍は奥の山にいたのですが、遡上して山の裏に回り込み急襲した、という説明でした。(真偽は未検証です) -
次はボネギビーチ。
入るとき、ドライバーから一人SI$100必要だと言われましたが、看板にはそのような記載がありません。
おかしいと言ったら交渉するとか言ってゲートの人のところにいき、SI$50に「負けて」もらいました。
恐らく入場料はなく、駐車料金SI$40だけと思われます。
これまで薄々感じていましたが、このドライバーは信用できないとこのとき確信しました。SI$10の損。 -
とてもきれいなビーチです。
早速沈没船が見えています。 -
輸送船の鬼怒川丸です。
博物館の資料(許可を得て撮影)によると当初は船の半分が水上に見えていたようですが、だいぶ沈んでしまっています。 -
この角度の方が船っぽく見えます。
写真は掲載しませんが、ドローンで上から見たら船の形がよくわかりました。 -
横から見ると当時のパーツがかろうじてまだ見えます。
ちなみに襲撃により大規模輸送作戦は失敗となります。 -
12:48
ホニアラ市内に戻ってきました。 -
コースト・ウォッチャーズ(沿岸監視員)の像があります。
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沿岸監視サービスはオーストラリア海軍が南太平洋で開始したもので、ここでは旧日本軍の動きを無線で報告するようになった、ソロモン諸島の人々が協力しなければ不可能だっただろう、最終的に敵(=旧日本軍)を破るうえで決定的な役割を果たし、第二次世界大戦の転換点となった、といったことが書かれています。
詳細はパネルで。 -
13:22
ノンストップで次に向かいます。
米国記念碑です。ここは入場無料で、ドライバーもそう言っていました。 -
赤御影石には戦績が細かく書かれています。
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ここは高台にあるのでとても眺めがよいです。
暑くなければこうしたパネルを見ながら景色を見るのもよさそうです。 -
チャイナタウンが見えています。
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サボ島がよく見えます。
この間の海峡は「鉄底海峡」ともいわれ、旧日本軍・連合国軍とも多くの艦船が沈没しています。 -
次に行く日本側の平和記念公園はこの方角の山にあるものと思いますが・・・
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矢印を入れてみました。ここに一応見えています。
下には日米が交戦したマタニカウ川が流れているはずですが、角度的に見えなさそう。 -
13:41
米国記念碑では15分ほどの滞在でした。
車に戻るとドライバーが急に不機嫌になり、めんどくさがって早く終わりたいという態度を出したり、入場料がたくさん必要になるなどと言ってきたりして、やや言い合いに。。
入場料が必要だから自分に払えと言って差分をとってやろうという魂胆はもうばれているのですが、とんでもない輩です。最初の交渉でもっと買いたたきつぶしておかないといけませんでした。
そうはいってもこんな場所で取り残されても困るので、ここからは駆け足で見学することに。
日本側の平和記念公園です。
火-土9:00-17:00、日9:00-16:00、月休み。16歳以上SI$50です。
日本人のコミュニティにより管理されているようです。 -
敗戦側ということもあるのか長々と戦績などは書かれておらず、祈りをささげるスペースとしてのすっきりとしたレイアウトです。
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簡単な説明はありました。
ここアウステン山が最後の戦いの場所の一つなんですね。 -
傍らには「潮音」という像があります。
ガダルカナル島で戦死した彫刻家の遺作です。 -
ここからもサボ島がよく見えました。
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アウステン山にあるため眺めはとてもよいです。
ドライバーの機嫌問題のため、見学は5分で終了。
さっさと車に戻ります。 -
14:31
早く終わろうとしているのか変に抜け道をしようとしてかなり時間がかかってブラッディー・リッジ(ムカデ高地)に到着しました。道中日本の方がいたようですが、気付きませんでした。
ここは空港奪還のための川口支隊の突入地点です。アメリカはEdsonの丘と呼んでおり、訪問時Google mapsもEdsons Ridgeになっていました。 -
連合軍側の石碑はBloody Ridgeと書いてありました。
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ここにも何か書いてあったものと思いますが、パネルは取り外されていました。
ブラッディー・リッジには川口支隊慰霊碑と第二師団慰霊碑が建立されているそうですが、どちらかでしょうか。 -
ここからは日米が交戦したルンガ川が見えます。
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ここは3分で見学終了にしました。
車に戻ると、またドライバーが見学料が必要だと言って金をせびります。
この辺りにいた現地人を車に乗せて近くの建造物まで運んでいたのですが、おそらく折半したのだろうと思われます。
SI$50。無駄な出費がまた増えました。 -
15:03
次はアリゲーター・クリーク。
アリゲーター・クリーク・ロードの最初の丁字路を左に曲がり、どん詰まりまで進むとあります。
周囲は工事現場のようで、個人旅行で来るのにはあまりにもわかりにくいです。 -
正面はこちら側でした。
一木支隊奮戦の地と書かれています。 -
向かって右には日本語で、左は英語で記載がありました。
後ろは何も書かれていません。 -
国立博物館にアリゲーター・クリークの写真(左下)が展示されていました。(こちらも許可を得て撮影)
一木支隊のほとんどが一夜で戦死した場所で、記念碑があるのは支隊長の遺品が発見された場所なんだとか。 -
15:18
最後はホニアラ国際空港脇にあるメモリアル・ガーデンです。
入場無料。
ドライバーは空港に入るときに料金がかかると言って、またお金かと思ったら窓を開けるよう言われました。普通にゲートを通過。。
結局お金はかかりませんでした。 -
小さいエリアですが、この円形の広場を中心に木が立ち並ぶきれいな公園です。
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木の足元には一人一人のネームプレートがありました。
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空港の敷地内にも戦争遺産がありました。
こういう空港は世界的にも珍しいと思います。 -
16:06、ホテルに戻りました。8時間かかりましたが、1日でだいたい戦跡を見られてよかったです。
最後に追加料金などと言われることもなくSI$900で下車。本来不要な入場料として余計にとられた分を合わせてSI$960かかった計算です。
夕食はキタノメンダナホテルのビュッフェSI$300。レストランの人は水曜はグランドメニューではなくてビュッフェだと言っていました。他に何曜日にやっているのかは不明です。。
全てを食べてはいませんが、味は問題なかったです。 -
牡蠣はちょっと勇気いりますね。
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豚は切り落としてくれます。
トロトロでおいしい部分をいただいちゃいました。 -
ちょうど民族楽器の演奏をしていました。
コミカルに動くのがどこか愛嬌があります。 -
また、キタノメンダナホテルのレストランではなんとバスクチーズケーキ(SI$70)が置いてありました。
ビュッフェメニューではないので、別に注文しました。
これが東京で食べるのと遜色ない味でびっくり。
チーズはもったりと濃厚でおいしかったです。 -
2024/8/22
8:58
あっという間にソロモン最終日。
午後便の出発までホニアラ市内を軽く散策。
まずはセントラル・マーケットに来てみました。
この目の前はミニバスの発着場になっていることもあり、人が多くてカオスな雰囲気。 -
朝6時から午後5時まで開いているようです。
ナッツなど丁寧に小分けして並べているのが印象的。 -
巨大オクラ!
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魚のコーナーもあります。結構なにおい。
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小物なども売られていましたが、基本的には野菜が多かったです。
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奥の金具はキャッサバの皮むき。
手前はココナッツ切りだったと思いますがうろ覚え。 -
マーケットの裏手は海になっていました。
マーケットはスリなどに注意と言われますが、確かにそんな感じ。
地元民からも、ローカルと行った方がいいという意見も聞きました。 -
9:15
隣に教会があったので覗きに行きました。
Wesley United Church Honiaraという名前です。 -
ちょうど教会の人がいて、内部撮影OKいただきました。
ミサではなく、会議のようなものをやっているようです。
教会の人曰く、1980年代にできたUnited Churchで、ホニアラでは最高レベルの教会の一つとのこと。 -
9:53
続いては国会議事堂に行ってみました。
ちょうど警察官の列が通りかかったのですが、外観撮影であればと敷地内に入れてくれました。 -
キタノメンダナホテルを建設した北野建設が建てました。
丸い屋根はソロモン諸島先住民族の伝統家屋にインスパイアされたものだとか。 -
高台にあるため眺めがとてもよいです。
ホニアラ中心部がよく見えます。 -
奥に見える平屋はキタノメンダナホテル。
手前にスーパーのbulkshopも見ています。 -
この日もサボ島が見えました。
-
10:03
坂を下りて、ホニアラ最後の観光は国立博物館。
入場無料です。 -
展示館は2つありますがどちらも一部屋だけ。
こちらは先住民族や戦争の展示室。 -
戦争関係では、「桐一葉」の伝単の展示がありました。
表面には「落つるは軍権必滅の凶兆なり 散りて悲哀と不運ぞ積るのみ」と書かれています。
博物館の係員はなんだかわからないようだったのですが、後で調べたらアメリカで製作されたもので、旧日本軍の戦意喪失を目的として配布されたビラでした。
裏にも「春再び来る前、降るアメリカの爆弾は、梧桐の揺落する如く、悲運と不幸を来すべし」と書かれていたそうですが、裏を確認することまで頭が回りませんでした。。 -
民俗関係では、こちらが印象に残りました。
なんとお金だそうです。
鳥をつかまえて頭周辺の赤い毛をとって製作したもの。
鳥は殺さず、毛を取ったら放していたそうです。
完成までいったい何年かかったのでしょうか。。 -
もう一つの展示室はRAMSI(Regional Assistance Mission to Solomon Island)関係。
ソロモン諸島で民族紛争が激化した際、治安安定のためにはじまったオーストラリア、ニュージーランド、周辺国などによる地域支援活動で2017年に終了しています。2003年から2017年の活動内容が展示されていました。 -
別の建物では生演奏で歌が披露されていました。
詳細は不明。。 -
そろそろ飛行機の時間ということでホニアラ国際空港に戻ってきました。
キタノメンダナホテルの送迎車でSI$90です。 -
新しい建物で、日本の協力で建てられたそうです。
チェックイン→セキュリティチェック(機器に日本の国旗マークあり)→イミグレ→ゲートで、かなり効率的な動線。 -
ソロモン諸島出国!
ちなみにチェックインカウンターに置いてある出国カードの提出が必要です。 -
ソロモン諸島旅行、無事おしまいです!
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2024/8 バヌアツ・ソロモン諸島・フィジー
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