2024/07/27 - 2024/07/27
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たびたびさん
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戸畑祇園大山笠は、博多祇園山笠、小倉祇園太鼓と並んで”福岡県の夏の三大祭り”の一つとされる祭り。2016年、ユネスコの無形文化遺産に「山・鉾・屋台行事」として登録された33件のうちのひとつでもあるのですが、ただ、博多祇園山笠、小倉祇園太鼓の方ははっきりと全国区の知名度がありますから、こうして三つを並べるのはちょっと違和感があるかなあ。小倉祇園太鼓、黒崎祇園山笠と合わせて”北九州の三大祇園祭り”の方がしっくりくるような気もします。
私も、昨年、黒崎祇園山笠を拝見して(https://4travel.jp/travelogue/11842060)、今年は戸畑祇園大山笠という具合ですからね。で、この二つを比べると山笠の派手さという意味では武者人形などで豪華に飾り立てた黒崎祇園山笠の方が圧倒的。戸畑祇園大山笠は幕類の装飾はありますが、そうしたインパクトはかなり限定的で、山笠前面に菊の花をあしらった前花があるのが特徴的くらいですね。やっぱり見どころは、祭りの華、夜の部の提灯大山笠。提灯をピラミッドのように積み上げて、それを100人200人の大集団で担ぎ上げたまま練り歩く。提灯の早積みや担ぎ上げた提灯大山笠をたまに空に向かって投げ上げるようなパーフォーマンスもひとつのアクセントになっています。筑豊の熱い男たちの祭りという性格は共通していると思いますが、どこまでも派手派手の黒崎祇園山笠に対して、静かだけど渋い男っぽさを秘めた感のある黒崎祇園山笠。けっこう趣は違うような気がします。
祭りの方は夕方からなので、それまでの時間は途中下車して新下関駅の近場と久しぶりに戸畑の向かい、若松地区の散策。前者のお目当ては中山忠光を祀る中山神社。私的な評価だと明治天皇の叔父であることをバックにしただけの鼻つまみ者の中山忠光ですが、そうは言っても、尊王を旗印にした長州としては、いったんは匿った中山忠光を死に追いやった経緯というのは神経質にならざるを得ない案件。そのあたりがどう扱われているのか気になっていたのですが、マイナスの人物評も隠すことなく紹介して、幕末からの空気感を堂々と展開していました。なるほど、やっぱり長州は私が心配しなければならないような小さな器ではないですね。むしろ、清々しい思いにもなりました。後者の方は、高塔山ですね。火野葦平を通して理解を深めた若松地区ですが(https://4travel.jp/travelogue/10830670)、この高塔山から見る洞海湾とその周辺に広がる若松地区、戸畑地区の市街の眺めはとても爽快。今大人気の皿倉山からの眺めを反対側から見ているようなことになりますが、歴史的にはやっぱり高塔山でしょう。「花と龍」の玉井金五郎とマンもこの風景を眺めていたかと思うと感慨深いものがありました。北九州は小倉や門司だけでは分からない。黒崎も戸畑も若松もがあってのもの。改めてそんな気持ちになりました。
黒崎祇園山笠のついででしたが、この二つで今回の旅の充実度がしっかり上がったような気がします。
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広島から戸畑への途中、新下関駅で途中下車して、綾羅木駅へ。
ここが中山神社の最寄り駅です。向かう道は一般道ですが、並木があってちょっと参道っぽい雰囲気もありますね。 -
ほ~
これが中山神社ですかあ。
中山神社は、幕末の急進派公家、中山忠光を祀る神社。文久3年(1863年)の天誅組の変では土佐勤王党の吉村虎太郎に担がれて大和五条挙兵の首領となりましたが、直後の8月18日の政変により天誅組は瓦解。 -
幕府から逆賊として追討される中、長州に逃れますが、最後は俗論派の台頭する長州で暗殺されたと言われます。
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享年20歳。明治維新の先駆者という評価もあるようですが、血気にはやる行動は、後に明治天皇となる祐宮睦仁親王の叔父ということもあって、周囲の扇動によって過激な思想に染まっただけと言えなくもない。その最期も悲運と取るか自業自得と取るか評価は分かれるように思います。
ただ、並木が植えられた参道風のアクセス道はけっこう長いし、神社の構えもそれなり。扱いとしては、はっきりと明治維新の功労者としてのものだと思います。
なお、もう少し付け加えると、天誅組の変の評価。幕府の代官所に堂々と討ち入るというのは画期的なことであり、五条ではこれが明治維新の端緒としていますが、私から言わせるとそうではない。過激ではありますが、これは尊王攘夷の範囲内。つまり、攘夷はあくまで徳川幕府をして実行せしめるものであり、徳川幕府の存在それ自体を否定するものではないのですね。明治維新への道は、この徳川幕府の存在を前提とした尊王攘夷から倒幕への大転換が一番重要です。それは薩長同盟なんかよりずっと大事なんですね。司馬遼太郎はこの辺りを少し軽く見ていて、私的にはちょっと不満なのですが、そこの動きは島津久光の思慮の浅さとか無責任なもろもろの勢いみたいなところもあって、司馬史観からすると面白くなかったのだと思います。しかし、敢えて言えば、鳥羽伏見の戦いを決断した岩倉具視と大久保利通がいなければ討幕は実現していない。西郷隆盛ですら、倒幕なんて半信半疑だったのではないかと思っているのですが、いかがでしょうか。 -
中山忠光墓は、中山忠光を祀る中山神社の裏手。小高い山の上にありました。中山忠光を紹介する説明板があって、「急進派公家としての行動から、最期は長府藩に幽閉されて転々とした後、長府藩保守派により暗殺」と記されていて、率直な説明ぶりにはちょっと感心しました。
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こちらが宝物殿。
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中山忠光の関係もありますが、
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展示品としては、中山忠光のひ孫で中国清朝最後の皇帝、宣統帝溥儀の弟、愛新覚羅薄傑に嫁いだ浩(ひろ)の関係の方が見応えはありますね。
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また、伊藤博文、山形有朋、桂太郎、寺内正毅、田中義一、岸伸介、佐藤栄作、安倍晋三といった山口県の重鎮たちの書も面白く拝見しました。
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なお、神社の境内にある愛新覚羅社は、中山忠光のひ孫で中国清朝最後の皇帝、宣統帝溥儀の弟、愛新覚羅薄傑に嫁いだ浩(ひろ)を祀るものです。
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では、近場をもう少し。
下関市立考古博物館は、綾羅木郷遺跡の一角に建っていて、 -
綾羅木郷遺跡から発掘されたおびただしい各種出土品を展示する施設です。
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ちなみに、綾羅木郷遺跡は、弥生時代前期から始まる複合遺跡。
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一帯には、きれいに整備された古墳とかが墓があって、
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それらは、弥生前期の集落が縮小した後、
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弥生時代の中期からまた改めて古墳時代に造られたもの。
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複合遺跡という所以です。
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土器もこんなにたくさん。
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中でも、綾羅木式土器は弥生時代前期のもので、貝殻の腹縁を使った様々な文様がほどこされた装飾性の高い土器。当時の人々の生活ぶりが偲ばれます。
土井ヶ浜遺跡?人類学ミュージアムもよかったし、山口県は考古学の関係にちゃんと向き合っているような気がします。 -
では、外の方へ。
岩谷古墳は、古墳時代後期(6世紀後半)の円墳。 -
移築したもののようですが、横穴式石室が
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きちんと確認できます。
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イチオシ
メインの若宮1号墳に
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墳丘墓も面白い。弥生時代中ごろ以降に作られたものということです。
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綾羅木郷遺跡から少し離れた梶栗浜遺跡は、細い通りの脇にポツンとある遺跡。
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箱式石棺があって、そこから多鈕細文鏡1面と細形銅剣2口が出土。それらが弥生時代に埋葬されたものであることが分かると弥生時代青銅器の研究に大きな影響を与えたという遺跡。また、埋葬形式からしても、日本と大陸との交流を物語る重要な遺跡だということです。
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そこから、今度は戦場ヶ原公園へ。
幡生駅から歩きましたが、大きく迂回していく道だし、地図で見る以上にとても遠い。そして、最後は長い坂をだらだらと上って行く。なかなか大変なところですね。 -
公園は、桜並木に囲まれた芝生の広場が中心。
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広い駐車場のところからは市街の展望ができました。
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戦場ヶ原公園を下って、下関酒造は、大正12年創業の日本酒メーカー。代表銘柄は、関娘。下関のふぐ料理店ではひれ酒のベースとして関娘が使われることが多いようです。
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敷地の中にはそれらしい建物が建っていて、雰囲気もなかなか。下関を代表する日本酒メーカーとしての勢いも感じます。
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建物の中に入ったら、
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なかなかしゃれたカフェがあって、それが酒庵 空カフェ。まだ開店前でしたが、ちょっと店内を拝見させてもらいました。外の緑を通して光が差し込む窓辺のテーブル席とか。とっても雰囲気がありますね。ここは下関の中心部ではないのですが、お客さんてちゃんとくるのかなあ。しかし、これならわざわざでも来る価値ありかも。それくらいのカフェだと思います。
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下関の方を終わって、戸畑駅に移動します。約30分で戸畑駅に到着。
戸畑駅の北側のそば処 武蔵は、この辺りでは断トツ人気のお店です。 -
早めの昼飯でいただいたのは、かも南蛮。繊細な味わいの仕上がりで、さすが人気店といった感じ。スタッフの対応もきちんとしているし、店内も清潔感があって気持ちがいい。ここは当たりでしたね。
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若宮地区に行くので北の桟橋の方へ。
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若戸大橋も現れました。
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ここが渡船乗り場。
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この船で渡ります。
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若松渡場に到着。ここから、若松地区の散策です。ただ、若松地区は基本的なところは既に押さえているので、今回はそれ以外のちょっとマイナーなスポットが中心ですけどね。(https://4travel.jp/travelogue/10830670)
最初の洲口番所跡の石碑は、若松渡場からすぐの道路端。
福岡藩が、正徳元年(1711年)、船頭取り締まりのための番所を置いたところです。ここは、豊前との境に近く、若松港、黒崎港のある洞海の入り口。福岡藩が重要な場所と考えたことは想像に難くありません。 -
市街に向かって。
明治町銀天街とエスト本町商店街は、若松地区の賑わいの中心。と言っても、活気があるかというとそうでもないのはほかの地方都市と同じです。ただ、若松地区は戸畑地区に行くのも渡船という独立した地区ですから、なんとかかんとか存続している感じかな。活気があるとは言い難い。しかし、かといってここがないと地元の人も困る存在。微妙な加減の中で存続しています。 -
さらに北に向かって、大正町商店街は、市場的な商店街。建物とか一歩間違うと廃墟のようなことになりかねない状態なのですが、海産物や野菜果物のお店が何とか営業を続けているといった感じですね。
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近隣に他にも同じような市場がありますが、
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ここが一番まともかなと思います。
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こちらもすぐのところにある大黒市場。
建物全体が古くなってしまって、もう廃止寸前といったような感じ。表通りに面して八百屋さんが一見営業していましたが、それも時間の問題かも。まあ、大きく言えば大正町商店街も大差はないんですけどね。 -
若松地区で近代的な商業施設というなら、このベイサイドプラザ若松。スーパーのサンリブ若松が入っているビルです。図書館や上階のマンションまで含めたものをベイサイドプラザ若松と呼びますから、複合施設ということになるのでしょうが、大雑把に言えば、ほとんどサンリブ若松のことだと言ってもいいのではないかと思います。
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海側のフードコートは広々としていて気持ちがいいです。
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JR若松駅の方に歩いて、南側空き地の一角にあるのが若松駅操車場跡地の石碑と説明板。
説明によると、筑豊炭田の石炭を若松港まで輸送する若松~直方間の鉄道が敷かれたのは明治24年。若松駅に運ばれた石炭は、若松港で船に積みかえられ国内外へ送り出され、最盛期の昭和15年には年間約830万t。長い間日本一の貨物取扱量を誇っていたのだとか。その若松駅の操車場がここ。35万㎡の広大なものだったということです。 -
そして、これが若松駅。明治24年、若松駅と直方駅間の鉄道開設に伴い開業。以来、筑豊炭田の石炭がここに運ばれ、繰り返しになりますが、長く日本一の貨物取扱量を誇っていたという歴史がある駅です。
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今の建物は小ぶりで往時の面影はありませんが、構内には「若松 石炭の記憶」のパネル展示や若松ジャズの紹介も。かつての花形だった時代に思いを馳せました。
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ここから高塔山に向かいますが、その前に。。
途中で目に付いたカフェ ノンタでちょっと一服。 -
ノンタは、絵本のノンタンから付けた名前のようですね。小さな子供が遊べる遊戯室を備えているようで、店内も悠々と広いし、ちょっと贅沢なコンセプトかもしれませんね。
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いただいたのは、抹茶パフェ。ミニパフェですが、これがまあなんとも本当にかなりちっちゃい。出てきた時は目を疑うくらいでした。ただ、値段もそれなりですからね。ゆっくりできるお店であることは確かです。
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元気が出てきたところで、高塔山に上り始めましたが、思ったよりきついかなあ。
ただ、途中からなかなかの絶景。 -
イチオシ
ここまでの景色は想像していなかったので、ちょっと感動ですねえ。
頂上までまだ少しありますけど、がんばりましょう。 -
最後の坂を上って、
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やっと展望台が見えてきました。
ちなみに、高塔山は、若松地区の背後にそびえる高さ高さ124mの山。かつては山城があった時代もあるようですが、 -
今では頂上付近はこうしてきれいな公園になっています。
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展望台からは
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イチオシ
洞海湾に架かる若戸大橋とその周辺に広がる市街地のスカッとした眺め。正面奥には近年、夜景が有名になった皿倉山ですね。若松地区の人にとっては自慢の公園ではないかと思います。
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若松大橋の左手側には、北九州の重工業の総本山、新日本製鉄 八幡製鉄所も。
結局、筑豊の炭田もこの製鉄所のためのものであり、日本の近代化を支えた歴史の重みは比類ないものでしょう。煙突が何本も建っていて、今でも壮観です。 -
がんばった甲斐がありましたね。
ただ、ここまで来るのはけっこう急な上り坂。住宅地を抜けて行く道もけっこうきつくて、何度か心が折れそうになりました。一般の観光客にはハードルは高いかもしれません。 -
では、高塔山を下りて、海岸沿いの道を若松渡場まで戻ります。
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途中、弁財天上陸場に
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イチオシ
旧古河鉱業若松ビル。
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若松港石垣岸壁の堅牢さも往時の賑わいの面影です。
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対岸に見える堂々とした建物は、昭和11年に建てられたニッスイ戸畑ビル、ニッスイパイオニア館。北九州都市景観賞も受賞していて、いまでもこの辺りのランドマークとしての存在感は健在です。
少し前までは企業博物館だったようですが、2023年4月1日から休館しています。 -
戸畑駅まで帰ってきて、ここから戸畑の中心部に向かいます。
戸畑駅を出てすぐの東側に建つビルは、ウェルとばた。大ホールのある市民会館棟と福祉関連の福祉会館棟がありますが、その存在は戸畑の玄関口といった感じですね。駅前通りを越えるのにまずはこの建物の二階へエスカレーターで上がって陸橋の方へ向かうという人の流れができています。
なお、2階の交流プラザに戸畑祇園大山笠の展示があるのも親しみやすさかなと思います。 -
ウェルとばたから、戸畑中本町商店街に入ります。位置からするとまさに駅前商店街ですね。アーケードの商店街で、まあまあの賑わい。この日も戸畑祇園大山笠の待機場があったりして、市民の日常生活の場としてなくてはならない存在になっています。
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戸畑中本町商店街から飛幡八幡宮への参道を進みます。
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飛幡八幡宮は、戸畑祇園大山笠を主宰する戸畑区内4地区の神社のひとつ。
ほかは、恵美須神社、中原八幡宮、菅原神社です。 -
今は、もう大山笠は出発してしまって、境内は静かなものでした。
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夕方からの祭りの会場は、ヨイトサ広場の方。
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周囲には大山笠が何基か待機しています。
前面には前花(菊の花をあしらった飾り)。 -
背面には見送りです。
ただ、規模は意外に小さいんですけどね。 -
今回は有料席を取っていて、有料席はこの左手の傾斜地です。
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大山笠付近には誰もいませんけど、
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もう少し
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イチオシ
写真を撮らせてもらいます。
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ちなみに、
これが昼の姿、幟山です。 -
隣りの方に見える立派な建物は、戸畑図書館。かつての戸畑市庁舎で、大正13年に戸畑市が発足し、昭和8年、現在の場所に新たに建てられました。昭和初期に流行した帝冠様式という和洋折衷の独特なデザイン。赤いタイル張りの外壁と白い軒・窓枠とのコントラストも洒落ていますね。
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では、早めに観客席の方に入りましょう。
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しばらくすると大山笠の集団がやってきました。
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いやいや
すごい人数ですねえ。 -
ひとつの大山笠が正面に据えられて
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全員が見守る中、祭りの始まり宣言。
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それに続いて、お囃子のご披露。
それぞれの大山笠で少しづつ違うところもあって、その微妙な違いもちょっと面白いです。 -
ここから、巡行開始。
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これだけ大勢なのは、たぶん、車が付いていなくて担ぐタイプだから。
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担ぎ手も疲れたら交替しないといけないしで、
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こうした大人数になるんでしょう。
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で、大人数だと危険ですから狭い道には入れない。
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なので、市街ではなくて、運動場のトラックみたいなところを行く形になるのは仕方ないのかな。
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まあ、ちょっと味気ないような気もするんですが、
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しかし、そうは言ってもこの人数。
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圧倒されるような迫力もなくはない。
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それぞれの地区が力を結集させ取り組んでいる伝統の心意気がなければ、やはり成り立つものではないでしょう。
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しばらくして、
ここで、巡行はストップ。 -
幟山は、提灯大山笠に変わるようです。
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その作業が、これも見どころで提灯の早積み。
幟山の飾りをきれいにした上に、提灯の土台を組み上げていく。 -
それは作業をする人の足場にもなって
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上へ上へと高くなっていきます。
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ここから
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イチオシ
提灯の塊りを少しづつ乗せていく。
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一番てっぺんの提灯も引き上げられましたよ~
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しっかり止める位置を確認して
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どうでしょう。
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うまく収まりましかね。
その間にも、中段以降の提灯の塊りが -
次々引き上げられて
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上から順番に隙間が埋まっていきます。
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はいはい、
ここからまたスピードがアップしたような。 -
ちょっと慣れてきて手際が良くなったのもあるのかな。
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もう少しです。
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最後のピースが
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これで埋まりましたね。
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完成したのは、光のピラミッド。
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ここからは、いよいよ提灯大山笠。夜の部です。
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改めて、提灯大山笠が
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イチオシ
大勢の担ぎ手によって出発。
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基本は幟山の時と変わらないのですが、
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提灯大山笠がゆっさゆっさと揺れる動きや
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滑るように進む動きは、この方がよく分かって印象的ですね。
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イチオシ
そして、提灯大山笠を支える大人数の若い衆の迫力もやっぱりすごい。
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たまあに、提灯大山笠を上に放るような動きもあって、それもちょっとした遊び心かな。
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潮に乗ったようなスムーズな流れに
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それにひょいと抗うような動き。
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単調なようでいて、
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しっかりと祭りの醍醐味も感じさせてくれるよう。
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要らないものをそぎ落として
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純粋に楽しめる部分だけを残した感じ。
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イチオシ
伝統の力って、すごいですね~
そのすごさがよく分かりました。
では、今日のうちに広島に帰るので、この辺で退散。ありがとうございました。 -
イチオシ
最後、戸畑図書館のライトアップを見ながら、戸畑駅に急ぎます。
以上。お疲れさまでした。
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この旅行記へのコメント (2)
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- くわさん 2025/07/31 07:38:16
- なつかしい場所です
- たびたびさん、去年の黒崎の祇園祭に引き続いてコメントします。
以前、戸畑と若松の渡船に乗って通勤していました。
戸畑や若松、懐かしい光景の写真をありがとうございます。
下関から若松、そして戸畑とすごい行動力ですね。しかも若松は完璧に見どころを押さえられ、効率よいルートで周られていますね。事前調査をしっかりされていたのか、もしかして地元の方なのでしょうか。
↓戸畑祇園祭(あまりにも地元だったので裏ブログです)
https://kuwa72.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-cba2.html
黒崎の旅行記でもコメントしましたが、九州北部は夏、秋にかけて勇壮な祭りが続きますね。もう一度行ってみたいです。
↓唐津は唐津くんちが有名ですが呼子近くの夏祭りです
https://kuwa72.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-6ec1.html
くわ
- たびたびさん からの返信 2025/08/15 23:38:15
- RE: なつかしい場所です
- 私は福岡市に2年半ほど住んだことがあります。
北九州は離れているのでそこまでではないですが、それでもまあまあ地元の空気は理解している方だと思います。今回は高塔山の眺めが印象的。「花と龍」の方も思い出して、感慨深かったです。
たびたび
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