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札幌で甥の結婚式があって、念願のアルデピアッツァ美唄(安田侃彫刻美術館)まで足を運んでみた。<br />安田 侃(やすだ かん、1945年1月5日 - )は、北海道美唄市出身で、イタリアを主な拠点に活動している世界的な彫刻家。<br />1973年 北イタリア・フィレンツェ郊外のピエトラサンタ(白大理石の産地として有名)にアトリエを設ける(現在もここで活動中)<br /><br />旅の同行者は「今までみてきた美術館の中で一番良かった」と言っていた。<br />特に緑と白大理石のコラボが、、、

北海道美唄・安田侃彫刻美術館を訪れて2024.7 1/4

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2024/07/14 - 2024/07/14

1位(同エリア64件中)

旅行記グループ 安田侃さんの作品巡り

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sakatomo

sakatomoさん

札幌で甥の結婚式があって、念願のアルデピアッツァ美唄(安田侃彫刻美術館)まで足を運んでみた。
安田 侃(やすだ かん、1945年1月5日 - )は、北海道美唄市出身で、イタリアを主な拠点に活動している世界的な彫刻家。
1973年 北イタリア・フィレンツェ郊外のピエトラサンタ(白大理石の産地として有名)にアトリエを設ける(現在もここで活動中)

旅の同行者は「今までみてきた美術館の中で一番良かった」と言っていた。
特に緑と白大理石のコラボが、、、

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
10万円 - 15万円
交通手段
タクシー JALグループ ANAグループ JR特急
旅行の手配内容
個別手配
  • ギャラリー(木造校舎)入口<br />

    ギャラリー(木造校舎)入口

    安田侃彫刻美術館 アルテピアッツァ美唄 美術館・博物館

  • ギャラリー(木造校舎)<br />入場は無料

    ギャラリー(木造校舎)
    入場は無料

  • ご寄付のお願いのプレート

    ご寄付のお願いのプレート

  • ギャラリー(木造校舎)

    ギャラリー(木造校舎)

  • ギャラリー(木造校舎)

    ギャラリー(木造校舎)

  • ギャラリー(木造校舎)

    イチオシ

    ギャラリー(木造校舎)

  • ギャラリー(木造校舎)

    ギャラリー(木造校舎)

  • ギャラリー(木造校舎)

    ギャラリー(木造校舎)

  • ギャラリー(木造校舎)

    ギャラリー(木造校舎)

  • ギャラリー(木造校舎)

    ギャラリー(木造校舎)

  • ギャラリー(木造校舎)

    ギャラリー(木造校舎)

  • ギャラリー(木造校舎)

    ギャラリー(木造校舎)

  • ギャラリー(木造校舎)から大理石の池

    ギャラリー(木造校舎)から大理石の池

  • ギャラリー(木造校舎)から

    ギャラリー(木造校舎)から

  • ギャラリー(木造校舎)から

    ギャラリー(木造校舎)から

  • 芸術の広場<br />「アルテピアッツァ」はイタリア語で「芸術の広場」の意味

    芸術の広場
    「アルテピアッツァ」はイタリア語で「芸術の広場」の意味

  • 芸術の広場

    芸術の広場

  • ギャラリー(木造校舎)

    ギャラリー(木造校舎)

  • 芸術の広場<br />大理石の池

    イチオシ

    芸術の広場
    大理石の池

  • 安田 侃<br />私は鉄道員の息子として美唄駅前で生まれ育った。<br />山から下りてくる膨大な量の石炭を台車で内地(本州)に毎日送るため、遊び場だった駅の引き込み線はいつも殺気立つほどの緊張に満ちていた。石炭の匂い、蒸気機関車の雄叫び、線路の熱さや震え、それらをまだ身体のどこかで記憶している。夜に鉄道官舎の窓から見える三井の山は、炭住の「あかり」がダイヤモンドかと思われるほど山々を美しく覆い尽くした。とくに白い冬の山にあざやかさが際立っていた。あの「あかり」のひとつひとつの下に人々の大切な日々があったのに、国のエネルギー政策の名のもとに時代の流れは石炭から石油へ。市役所の前を埋め尽くした赤い 旗の波もむなしく三井、三菱とも閉山し、激動のなか多くの人々が断腸の思いで山を下りた。<br />時を経て、私はイタリアで彫刻の勉強をしていた。ミケランジェロがあの至宝ロンダニーニのピエタの原石を自らの手で切り出した石切場のある山の麓町、大理石の産地で有名なピエトラサンタで毎日石を彫っていた。この若い彫刻家に最初にきたモニュマン制作の依頼は、故郷美唄からだった。閉山になった炭山(ヤマ)に毎年お盆になるとたくさんの離山者が戻るという。しかし、人の住まなくなった山の自然回帰エネルギーの力は驚くほどたくましく、あの思い出の詰まった炭住も、駅舎も病院も、ほとんどの小中学校も、朽ちて木々に飲み込まれてしまった。何もなくなってしまったこの地に、かつて大きな炭鉱があり、たくさんの人々の毎日命をかけた真摯な労働があり、盆踊り・雪祭りなど楽しい日々が営まれていたこと、そして多くの炭鉱事故の犠牲者がまだこの山の地底に眠っていること---その記憶・思いを、形にしてほしいというのが美唄市からの依頼だった。大変難しい仕事になり、毎日夢中で石を彫った。地底に深く眠る魂に空気を送れないか、御魂を闇から吸い上げ家族のところに返せないか。そんな願いを込めてカタチ、白い大理石の三本の柱『炭山の碑』が、自然に戻った山並みを借景に建ったのは1980年のことだった。<br /><br />この『炭山の碑』の基礎設計、建立を担当した当時の建設課長堂田賢治氏(故人)から、日本でのアトリエ探しをしていた私に、廃校にされたままの栄小学校の体育館を使ってみないかと持ち掛けられたのは1985年頃のことだ。体育館の外周りは雑草と高いヤブで覆われていたが、内部は 戦前独特の丸屋根木造構造で、どこか人を惹きつける素朴さを残していた。しかし床は腐りはじめ、天井から雨漏りし、このまま時が経てば他の建物同様朽ちていくのは目に見えていた。この元栄小学校の一部が残っていたのは、すき間だらけの寒く凍える古い校舎に通い続けた幼稚園児がいたお陰だと思う。通園する園児も減り、閉園寸前だったが、体育館のなかにポツンポツンと置かれ出した彫刻を時折、摩訶不思議なものを発見したように窓からのぞき込む子供たちの姿が見られるようになった。この子供たちがアルテピアッツァ美唄メイキングの大きな存在となってゆく。一面真っ白な雪に覆われた山の中の幼稚園に、どんな吹雪の日も色とりどりのアノラックを着て元気に通ってくる子供たちの姿が、私に何かを訴えかけていた。この子供たちが喜ぶ広場にしよう。この思いがアルテピアッツァ美唄創生の火種となった。<br />美唄市と市民有志のこのプロジェクトへの懸命な挑戦は、町の過疎化、財政難のなか山の光を、人々の思い出を残そうと、ひとつひとつゆっくりだが積み重ねられていった。さらに数年をかけ、さわやかな夏風に葉ざめくポプラの音と光、360度の紅葉の山に囲まれた移りゆく四季のなか、広場に一点一点と彫刻がイタリアから運ばれてきた。彫刻が大地に置かれるその瞬間、ここアルテピアッツァの空気を吸うことが出来るかどうかで、この彫刻がこの地で生きていけるかどうかの分かれ目になるような気がしてドキドキした。<br />彫刻たちが子供たちとも仲良く遊べるか、厳しい吹雪のなか毅然と立ち続けることが出来るかどうか、不安と暗中模索の10年だった。広い緑の芝生に現れた彫刻を遠巻きにして睨みつける人、通りがかりにそっと手で触れる人、何かを確かめるように抱きつく人、よじ登って遊ぶ子供たち、彫刻にそっと耳を当てて石の声を聞こうとする老人、やさしく頬ずりする人、大人も子供も一人ひとりの想いは違ってもそれぞれの素敵な感性で無口な彫刻たちと話し始めた。<br />体育館と校舎の間には水の広場をつくった。山の斜面に置いた「天聖」と、対になる「天」を基軸に石舞台をつくり、その先に丸い池を掘った。石舞台と一体化した垂直の動かぬ石「天」の下を水が流れ、時を刻む。石と水のほんのわずかな隙間に天と地の間(はざま)ができ、不可視のものを宿した。ミケランジェロの石切り場から出た白い大理石の玉石を運んでつくったこの小 川のせせらぎや丸い池は、流れる雲や見る人の気持ちまでも映し出す。やがて、小さな子供たちを遊ばせ、親は近くの芝生に寝転んでいるというほほえましい光景が生まれた。<br />柵も入場料もなく、野外は24時間開放の自然体、読書する人、一人でのんびりと散策を楽しむ人の姿がある。改装された校舎の一枚一枚の壁板は、半世紀の歳月を刻んで懐かしい記憶が沈み込んでいるせいか、床板のミシミシという音とともに、何故かやさしい空気を創り出す。冬はストーブを焚いて部屋を暖め、訪れる人を待つ。校舎の窓からは雪景色。本当に真っ白な雪は人の気持ちまで白くしてくれるようだ。ただ存在するという以上でも以下でもない白い石に人の心や思いが宿り、託された時、はじめて時を越え過去と現在と未来を同時に結ぶ場に変わるだろう。そんな形のない大切なものを育んでくれる空間にアルテピアッツァ美唄が育っていくことを私は願っていた。<br /><br />この場所は今、優しく静かな精神性を湛え、一人ひとりの心の故郷のようにかけがえのない空間へと育ち始めている。<br /> <br />心は形を求め<br />形もまた心を求める<br /><br />思い思いに過ごした、豊かな時を胸に帰ってゆく人々の「また来ます」という言葉のひとつひとつは、<br />この場所を未来へと繋いでくれるかのように響く。<br /> <br />形ないものが<br />形ある彫刻と共に<br />確かに存在しうるということ<br /><br />この地に内包された過去という時間、そして永遠に繰り返される新たな自然が彫刻によって結ばれ、<br />何ものからも解放された真に自由な感性を育む場所として、世代を超えて愛され続けてくれることを私は心から願っている。<br /><br />『安田侃の芸術広場 アルテピアッツァ美唄(北海道新聞社)』(2002年)に加筆修正(美術館HPより)

    イチオシ

    安田 侃
    私は鉄道員の息子として美唄駅前で生まれ育った。
    山から下りてくる膨大な量の石炭を台車で内地(本州)に毎日送るため、遊び場だった駅の引き込み線はいつも殺気立つほどの緊張に満ちていた。石炭の匂い、蒸気機関車の雄叫び、線路の熱さや震え、それらをまだ身体のどこかで記憶している。夜に鉄道官舎の窓から見える三井の山は、炭住の「あかり」がダイヤモンドかと思われるほど山々を美しく覆い尽くした。とくに白い冬の山にあざやかさが際立っていた。あの「あかり」のひとつひとつの下に人々の大切な日々があったのに、国のエネルギー政策の名のもとに時代の流れは石炭から石油へ。市役所の前を埋め尽くした赤い 旗の波もむなしく三井、三菱とも閉山し、激動のなか多くの人々が断腸の思いで山を下りた。
    時を経て、私はイタリアで彫刻の勉強をしていた。ミケランジェロがあの至宝ロンダニーニのピエタの原石を自らの手で切り出した石切場のある山の麓町、大理石の産地で有名なピエトラサンタで毎日石を彫っていた。この若い彫刻家に最初にきたモニュマン制作の依頼は、故郷美唄からだった。閉山になった炭山(ヤマ)に毎年お盆になるとたくさんの離山者が戻るという。しかし、人の住まなくなった山の自然回帰エネルギーの力は驚くほどたくましく、あの思い出の詰まった炭住も、駅舎も病院も、ほとんどの小中学校も、朽ちて木々に飲み込まれてしまった。何もなくなってしまったこの地に、かつて大きな炭鉱があり、たくさんの人々の毎日命をかけた真摯な労働があり、盆踊り・雪祭りなど楽しい日々が営まれていたこと、そして多くの炭鉱事故の犠牲者がまだこの山の地底に眠っていること---その記憶・思いを、形にしてほしいというのが美唄市からの依頼だった。大変難しい仕事になり、毎日夢中で石を彫った。地底に深く眠る魂に空気を送れないか、御魂を闇から吸い上げ家族のところに返せないか。そんな願いを込めてカタチ、白い大理石の三本の柱『炭山の碑』が、自然に戻った山並みを借景に建ったのは1980年のことだった。

    この『炭山の碑』の基礎設計、建立を担当した当時の建設課長堂田賢治氏(故人)から、日本でのアトリエ探しをしていた私に、廃校にされたままの栄小学校の体育館を使ってみないかと持ち掛けられたのは1985年頃のことだ。体育館の外周りは雑草と高いヤブで覆われていたが、内部は 戦前独特の丸屋根木造構造で、どこか人を惹きつける素朴さを残していた。しかし床は腐りはじめ、天井から雨漏りし、このまま時が経てば他の建物同様朽ちていくのは目に見えていた。この元栄小学校の一部が残っていたのは、すき間だらけの寒く凍える古い校舎に通い続けた幼稚園児がいたお陰だと思う。通園する園児も減り、閉園寸前だったが、体育館のなかにポツンポツンと置かれ出した彫刻を時折、摩訶不思議なものを発見したように窓からのぞき込む子供たちの姿が見られるようになった。この子供たちがアルテピアッツァ美唄メイキングの大きな存在となってゆく。一面真っ白な雪に覆われた山の中の幼稚園に、どんな吹雪の日も色とりどりのアノラックを着て元気に通ってくる子供たちの姿が、私に何かを訴えかけていた。この子供たちが喜ぶ広場にしよう。この思いがアルテピアッツァ美唄創生の火種となった。
    美唄市と市民有志のこのプロジェクトへの懸命な挑戦は、町の過疎化、財政難のなか山の光を、人々の思い出を残そうと、ひとつひとつゆっくりだが積み重ねられていった。さらに数年をかけ、さわやかな夏風に葉ざめくポプラの音と光、360度の紅葉の山に囲まれた移りゆく四季のなか、広場に一点一点と彫刻がイタリアから運ばれてきた。彫刻が大地に置かれるその瞬間、ここアルテピアッツァの空気を吸うことが出来るかどうかで、この彫刻がこの地で生きていけるかどうかの分かれ目になるような気がしてドキドキした。
    彫刻たちが子供たちとも仲良く遊べるか、厳しい吹雪のなか毅然と立ち続けることが出来るかどうか、不安と暗中模索の10年だった。広い緑の芝生に現れた彫刻を遠巻きにして睨みつける人、通りがかりにそっと手で触れる人、何かを確かめるように抱きつく人、よじ登って遊ぶ子供たち、彫刻にそっと耳を当てて石の声を聞こうとする老人、やさしく頬ずりする人、大人も子供も一人ひとりの想いは違ってもそれぞれの素敵な感性で無口な彫刻たちと話し始めた。
    体育館と校舎の間には水の広場をつくった。山の斜面に置いた「天聖」と、対になる「天」を基軸に石舞台をつくり、その先に丸い池を掘った。石舞台と一体化した垂直の動かぬ石「天」の下を水が流れ、時を刻む。石と水のほんのわずかな隙間に天と地の間(はざま)ができ、不可視のものを宿した。ミケランジェロの石切り場から出た白い大理石の玉石を運んでつくったこの小 川のせせらぎや丸い池は、流れる雲や見る人の気持ちまでも映し出す。やがて、小さな子供たちを遊ばせ、親は近くの芝生に寝転んでいるというほほえましい光景が生まれた。
    柵も入場料もなく、野外は24時間開放の自然体、読書する人、一人でのんびりと散策を楽しむ人の姿がある。改装された校舎の一枚一枚の壁板は、半世紀の歳月を刻んで懐かしい記憶が沈み込んでいるせいか、床板のミシミシという音とともに、何故かやさしい空気を創り出す。冬はストーブを焚いて部屋を暖め、訪れる人を待つ。校舎の窓からは雪景色。本当に真っ白な雪は人の気持ちまで白くしてくれるようだ。ただ存在するという以上でも以下でもない白い石に人の心や思いが宿り、託された時、はじめて時を越え過去と現在と未来を同時に結ぶ場に変わるだろう。そんな形のない大切なものを育んでくれる空間にアルテピアッツァ美唄が育っていくことを私は願っていた。

    この場所は今、優しく静かな精神性を湛え、一人ひとりの心の故郷のようにかけがえのない空間へと育ち始めている。

    心は形を求め
    形もまた心を求める

    思い思いに過ごした、豊かな時を胸に帰ってゆく人々の「また来ます」という言葉のひとつひとつは、
    この場所を未来へと繋いでくれるかのように響く。

    形ないものが
    形ある彫刻と共に
    確かに存在しうるということ

    この地に内包された過去という時間、そして永遠に繰り返される新たな自然が彫刻によって結ばれ、
    何ものからも解放された真に自由な感性を育む場所として、世代を超えて愛され続けてくれることを私は心から願っている。

    『安田侃の芸術広場 アルテピアッツァ美唄(北海道新聞社)』(2002年)に加筆修正(美術館HPより)

  • 芸術の広場<br />「天聖」

    芸術の広場
    「天聖」

  • 芸術の広場<br />「天聖」

    イチオシ

    芸術の広場
    「天聖」

  • 芸術の広場

    芸術の広場

  • 芸術の広場

    芸術の広場

  • 芸術の広場

    芸術の広場

  • 芸術の広場

    芸術の広場

  • 芸術の広場

    芸術の広場

  • 芸術の広場

    芸術の広場

  • 芸術の広場<br />赤い屋根の建物は旧体育館(コンサートの準備中)

    芸術の広場
    赤い屋根の建物は旧体育館(コンサートの準備中)

  • 芸術の広場

    芸術の広場

  • アクリルの寄付投入箱<br />安田侃の世界を堪能。最後に御礼を投入して美術館を後にした

    アクリルの寄付投入箱
    安田侃の世界を堪能。最後に御礼を投入して美術館を後にした

  • 注;ここからは東京でみられる主な作品<br />東京都庭園美術館の「風」

    注;ここからは東京でみられる主な作品
    東京都庭園美術館の「風」

    東京都庭園美術館 庭園 名所・史跡

  • 東京都庭園美術館の「風」

    東京都庭園美術館の「風」

  • 六本木・東京ミッドタウンの「妙夢」<br />安田さんによって2006年に制作されたブロンズ作品。作品の中央に開いた円環は、人々が夢を描き、願いを込めるためのもの。また、刻々と移りゆく太陽の光と影によって、彫刻の姿、見え方が変化するとか。(説明文より)

    六本木・東京ミッドタウンの「妙夢」
    安田さんによって2006年に制作されたブロンズ作品。作品の中央に開いた円環は、人々が夢を描き、願いを込めるためのもの。また、刻々と移りゆく太陽の光と影によって、彫刻の姿、見え方が変化するとか。(説明文より)

    東京ミッドタウン ショッピングモール

  • 東京ミッドタウンの「妙夢」

    東京ミッドタウンの「妙夢」

  • 「意心帰」<br />2006年に安田さんが制作した作品で、東京ミッドタウンのプラザB1Fに設置されている。数十億年の時を経て生まれた大理石を、滑らかな曲線で削り出し、太古の地球の息遣い、人間の温もりを表現したとか。(説明文より)

    「意心帰」
    2006年に安田さんが制作した作品で、東京ミッドタウンのプラザB1Fに設置されている。数十億年の時を経て生まれた大理石を、滑らかな曲線で削り出し、太古の地球の息遣い、人間の温もりを表現したとか。(説明文より)

  • 「意心帰」

    「意心帰」

  • 【浜町】翔生<br />2005年に竣工した住宅・オフィス・商業施設を備えた複合施設「トルナーレ日本橋浜町」の、オフィス棟正面入口前設置された作品です。白大理石による有機的な形状が二つに割られ、対に配置されています<br />

    【浜町】翔生
    2005年に竣工した住宅・オフィス・商業施設を備えた複合施設「トルナーレ日本橋浜町」の、オフィス棟正面入口前設置された作品です。白大理石による有機的な形状が二つに割られ、対に配置されています

    トルナーレ日本橋浜町 ショッピングモール

  • 翔生<br /><br />最後までご覧いただきありがとうございました。

    翔生

    最後までご覧いただきありがとうございました。

    トルナーレ日本橋浜町 ショッピングモール

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この旅行記へのコメント (4)

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  • オレンジママレードさん 2024/07/22 22:51:19
    安田侃さんの作品
    sakatomoさんこんばんは!

    アンテピアッツァ美唄、自然に囲まれて素敵な所ですね!
    どこかで見たことがある~そういえば・・
    東京庭園美術館の庭で!ミッドタウンの中で!
    瀬戸内海に浮かぶ離島、直島の地中美術館で!!
    白くてツルっとして、白玉団子のようで(笑)誰でも触っていいし
    寝転がってもいいし、ヒヤッと堅くて冷たい! 大理石の作品だったんですね
    sakatomoさんの、安田侃さんの記事の紹介のおかげで、初めての海外旅行の
    イタリアで見たミケランジェロのピエタ!思い出しました☆彡
    そして、ここ3日位時間を見つけては、ロンダニーニのピエタ、ピエトラサンタ
    白い大理石の産地、旅の思い出がつながって感動しました(*´▽`*)
    ラベンダーに季節に、北海道にのんびり行きたくなりました♪
        
                              オレンジママレード

    sakatomo

    sakatomoさん からの返信 2024/07/31 18:18:22
    Re: 安田侃さんの作品
    オレンジママレードさん こんにちは
    いつもありがとうございます。
    コメントに気が付くのが遅くなって申し訳ございません。

    おいの結婚式の前日、念願の彫刻美術館を見たくて
    美唄まで足を延ばしてみました。
    安田さんは北海道民らしく自慢するのが好きではないようで
    どの作品にも案内板がなく、同じ道民として色々調べてみました。
    「どこかで見たことがある~そういえば・・」です!
    緑の中での白大理石の彫刻は素晴らしい一言でした。(笑)

    「初めての海外旅行のイタリアで見たミケランジェロのピエタ!
    思い出しました・・・旅の思い出がつながって感動しました」とは
    投稿した甲斐がありました。ありがとうございます。

    これからもよろしくお願いします。
    機会があったら美唄まで足を運んでみてください。
    また、安田さんの作品を探して触ってみてください。

    早々の円高とロシア上空の解禁を願っています。
    コメントありがとうございました。
    4トラの更新を楽しみにしています。

                          sakatomo
  • さおともさん 2024/07/18 18:39:59
    素敵ですね
    是非、機会があれば、北海道美唄の
    美術館訪れてみたいです!

    ご紹介ありがとうございます。

    sakatomo

    sakatomoさん からの返信 2024/07/19 08:08:21
    Re: 素敵ですね
    さおともさん こんにちは
    いつもありがとうございます。
    機会があれば是非訪れてみてください。

    これからもよろしくお願いします。
    円安の是正とロシア上空の解禁を願っています。
    4トラの更新を楽しみにしています。

                      sakatomo

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