2024/07/08 - 2024/07/08
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bitoさん
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次の海外旅行までにサクッと旅行しようかと直近で申し込んでみた国内ツアー。
リサーチしていくうちに没入してしまった出雲大社。
出雲大社の発掘調査で出土された柱、高さ48m、階段の長さ109mあったという伝承から作られた巨大神殿の模型、そして弥生式土器に刻まれた巨大神殿の絵など・・・。
出雲は、ツアーの中で一番訪れたい場所でした。
こちらでは稲佐の浜、出雲大社、出雲歴史博物館をまとめた記事になります。
移動も宿も全て組み込まれた添乗員付きツアーなので、下準備は訪れる名所をリサーチするだけかと思いきや、日本の名所を知らなさすぎた私。
イザナキとイザナミの国生みから入ること、古事記の神話はかなり奥深く、神様の相関図をたどって神武天皇に至るまで没入の日々でしたが、とても有意義な時間になりました。
ここで綴られている内容は、ネットからの記事や書籍、紹介パネルを参考にしたものが殆どです。素人目線で解釈した内容もありますので、誤りがあるかもしれません。ご容赦ください。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス JALグループ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- エイチ・アイ・エス
-
ツアー2日目
この日は、訪れたい場所が盛りだくさん。気合が入ります!
朝9時。まずは稲佐の浜へ。
奥に見えるのは弁天島です。
素鵞社(そがのやしろ)で砂の交換をするために袋を持参したところ、ツアー側からもビニール袋の配布がありました。至れり尽くせりのおもてなしです。 -
稲佐の浜は、神在月に八百万(やおよろず)の神々をお迎えする神迎神事の場所のほかに、大国主命が高天原(たかまがはら)から派遣された建御雷神(たけみかづちのかみ)と国譲りの交渉をしたという場所でもあります。
*八百万の神=数え切れないほどの神。アジア文化では8は幸運の数字。
更に余談ですが、国譲りの交渉の際、大国主命が判断を息子たちに任せたところ、兄神(七福神のえびす神)はすんなり承諾。弟神の建御名方(たけみなかた)神は、国造りに反対して建御雷神と力比べをして敗退し、諏訪に鎮まり諏訪大社の祖となったとのこと。でも、劣勢の状況でも容易には屈しない、強い武威をある神ともいえ、武田信玄が崇敬した軍神でもあるそうです。
以前、諏訪大社に訪れた当時はそのような神話はつゆ知らず。
神話が解ると、神社巡りはますます面白くなりそうです。稲佐の浜 自然・景勝地
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その後、バスで移動してすぐの出雲大社へ。
出雲大社の滞在時間は昼食込で180分(9時~12時)。効率よく回って、ツアーに組み込まれていない出雲歴史博物館の見学までしなければなりません。
まずは、オプションで申し込んだ30分間のガイドツアーで、効率よく回ります。事前にリサーチしてきたとはいえ、出雲大社や神社について、全く無知な私。地元ガイドさんの説明は、とても有意義なものでした。
参道
平日の午前中。神聖な場所に足を踏み入れます。緊張しながらガイドさんに言われるがまま、左端を歩いて御本殿へと向かいます。
神様の通り道である参道は真ん中を歩いてはいけない。神様にお尻を向けないよう、本殿に対して斜めになっている神社もあるそうです。出雲大社 寺・神社・教会
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君が代に登場する「さざれ石」
さざれ石は全国各地でも見ることができるようですが、多分、初めて目にします。感動ものです。 -
奥に見えるのが、大国主大神が祀られている御本殿。
千木が8m、高さ24m。この写真のもう少し下手あたりに、今目にしている御神殿の倍の高さ、48mの巨大御神殿(平安時代)があったことを想像してみます。
え~~~っ!そんなに高いの?正直、信じられないです。出雲大社御本殿 名所・史跡
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出土された宇豆柱(直径1.4mが3本)がこちらの位置。この柱が後で訪れる出雲歴史博物館でお目にかかれます。
平安時代(~鎌倉時代)に、このサイズの巨木を束ねた柱が高さ48mにもなる御神殿を支えていたかと思うと、軽く想像を絶します。
*赤い丸以外の部分にも3本の補助材を組み合わせて円柱にして、金輪で束ねているとのこと。ただ、高さ48mの杉の木を使用したのだろうか・・・。Youtubeで梃の原理で柱を起す様は見ましたが、高さも組み合わせて束ねていたのかガイドさんに聞けばよかったです。
八足門の奥に御本殿があります。階段を上がった賽銭箱の前で二拝四拍手一礼をします。
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遷宮(せんぐう)
御神体をこれまで鎮座していた社殿から新しい社殿へ遷すこと。神殿を新しくするだけではなく、御神体の霊力を若々しく蘇らせる意味合いもあるそうです。木造建築の建物を維持していくためであるとともに、技術の継承という側面も強いらしい。
出雲大社は江戸時代から60年ごと(伊勢神宮は20年に一度)遷宮が行われてきましたが、1744年からは造営(修造?)に変わっています。 -
こちらは別の建物ですが、波の絵が施されているものは、火事除けの意味があり、江戸時代の建築物のものとのこと。(ガイドさんの説明)
このような絵が施されている建物を見つけたら江戸時代のものと理解していいそうです。 -
左回りに歩いていく途中、東側からみえる御本殿。
ガイドさんに、写真はこの角度がいいと言われ撮った写真。斜め45度から見えるご本殿の素晴らしいこと。流石です(笑) -
素鵞社(そがのやしろ)で、稲佐の浜で採取したお砂を奉納し、新たにご利益のあるお砂と交換します。
しかし、このお砂箱、どちらがどのお砂か不明。他の方々も右往左往しています。
一年間寝かせていたであろう乾いているお砂を持ち帰らせていただきます。素鵞社 寺・神社・教会
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大国主命を正面から拝みます。
大国主は西に向いてご鎮座されているので、こちらの西側から改めて参拝します。
そもそも、普段、神社に参拝するということは、その神社の御神体を崇拝すること。
ではどのような状態なんだろうと素朴な疑問から調べてみました。
かつてから御神体を伺い知ろうと頑張った記録が残っているそうですが、出雲大社の御神体は未だ正体不明なのだそうです。
御神体とは、神様が降りる為の依り代(よりしろ)とされるもので、神社神道が成立する前は木や岩、山などの自然崇拝であり、出雲大社の場合は、素鵞社(そがのやしろ)が鎮座している後ろの八雲山(やくもやま)という説があるようです。
神社神道が成立し信仰の対象が神社になってからはお社に納まるサイスの依り代に代わり、鏡、玉、剣、鉾、弓、鈴など、中には御幣が御神体とされているものも。
*伊勢神宮は八咫鏡(やたのかがみ)
出雲大社の御神体は宮司さんですら見たことが無いようなので、何が御神体なのか不明のまま終えることにしました。
こちらを向いて鎮座されている大国主命を想像して、神聖な存在としてとどめておこうかなと。
また、少し先を行った反対側には、「神在月(かみありづき)」旧暦10月に、出雲大社に神々が集まられ、お宿となる社があります。
*全国の神々が不在になるため、全国的には「神無月(かんなづき)」
・・・なるほどです。 -
大社造りの神楽殿
出雲大社といえばこの大きなしめ縄。長さ13.6m、重さ5.2t。
わくわくしながら近づきます。
神殿建築として
大社造り:神殿の屋根を三角をなす面を正面にすえる「妻入り」様式。
神明造り:神殿の屋根と平行な面を正面にすえる「平入り」様式。(伊勢神宮) -
しめ縄は、神の領域と現世を隔てる「結界」という、神聖な役割があるそうです。
本来しめ縄は「神様のおわす神域を守る(現世から神の領域へ邪悪なモノが入り込まないようにする)ための結界」なのに、出雲大社のしめ縄が逆(始めの太い方が左)って事は「神社に封印されている怨霊(この場合は大国主神)を外=地上界に出さないための結界」になっている節があるそうです。国を譲った大国主神は、すんなり国を譲ったとも思えないですから、怨霊としても見られていたのか。こちらも奥深すぎます。 -
出雲国造千家家のお屋敷。
代々宮司(ぐうじ)を務める出雲国造家は、皇室と並ぶ古い家柄とのこと。壁に引かれた5本のラインは最上位を示すものだそうです。
他の神社に訪れた際、壁のラインにも注目したいと思います。 -
こちらのしめ縄も逆(始めの太い方が左)です。
この写真ではありませんが、取りつけたばかりのしめ縄も教えてくださいました。結構、青々していました。
これで30分のオプションのガイドツアーは終了。 お土産屋に誘導されつつも、ツアーには組み込まれていない古代出雲歴史博物館へ。ランチ時間を割いて向かいます。千家国造館 名所・史跡
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イチオシ
途中、VR体験ができる「ストリートミュージアム」という無料アプリをインストールしてVR体験。(写真はスマホからスクショしたもの)
指定された場所でアプリを起動すると古代出雲にタイムトリップするというものです。
例えば、東神苑から本殿方向にスマホをかざすと、古代巨大御本殿が目の前に現れるのです。高さ48mの実寸大と書かれていましたが実際はそこまで大きくは見えなかったです。でも面白い! -
約109mとされる階段の長さは、ある程度実感できます。
(VR上で人もいれば尚良かったかも)
模型はこの後訪れる古代出雲歴史博物館で模型が見れるので更に期待は高まります。 -
夕景の巨大御本殿(西神苑から)
なんとも神秘的です。 -
巨大本殿は映っていませんが上空から巨大本殿を眺めこともできます。
(古代出雲歴史博物館 風土記の庭から)
このVR体験は、「ストリートミュージアム」のアプリ、出雲大社をリサーチしている際に偶然知ったもの。出雲大社だけではなく、他の史跡でも体験できるスポットがあるようです。
VR体験スポット場所が分かりにくいので、事前に場所を把握しておくのがお薦めです。 -
古代出雲歴史博物館
真っ先に目にするのが出土された「宇豆柱(うずばしら)」と「心御柱(しんのみばしら)」です。
平安時代の巨大御本殿の模型、弥生時代の青銅器や古墳時代の豪族を飾った金銀の大刀など、神話シアター上映まであるそうで、フリーなら半日は過ごせそう。
音声ガイダンスを聞きながら、見たいものだけを厳選して入ります。島根県立古代出雲歴史博物館 美術館・博物館
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先ほど、御本殿の前に写真を撮った場所から出土された「宇豆柱」。
鎌倉時代のもので、スギの大木3本を1組にし、直径が約3mにもなる巨大な柱が2000年頃、3カ所で発見。巨大御本殿であった可能性を裏付ける貴重な文化財とのことです。 -
平安時代、その巨大御本殿があったという学説に基づく復元模型。(1/10スケール)
階段の長さは約109m。
階段を登っている人(白いもの)もいるので、より壮大さが実感できます。
国譲りの際に大国主命が「千木が高天原まで届くような高い建物を立てて、お祀りくださるなら」として建てたもののようです。 -
「雲太」とも呼ばれ、その高さ約48m。(奈良の大仏殿より高い)
現在の御本殿は1744年造営 24m。平安時代~鎌倉時代のものがこの模型の高さで、太古の時代は現在の4倍、約96mあったという伝承があります。
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雲太(うんた) 、和二(わに)、京三(きょうさん)――。
貴族の子弟教育のために作られた『口遊(くちずさみ)』が語る、古代建築の背比べ。
和二=大和・東大寺の大仏殿
京三=京都・平安京
これらを凌ぐ巨大構造物、それが出雲大社のようでした。 -
復元建築模型が5つ展示。
5人の建築学者と共同研究を進め、推定復元したもののようです。
朱塗りの巨大御本殿。 -
イチオシ
弥生土器に刻まれた巨大神殿!
レプリカですが、どうしてもこちらも見たかった一つ。
当時、想像して描かれたとは思えないことから、弥生時代1cにこのような神殿が実在していたと個人的には信じています。
弥生時代の神殿の高さは約96mあったという伝承があります。復元模型で展示されている平安時代の御本殿の2倍の高さ。現在の御本殿の4倍の高さ。弥生時代にこれほどまでの建造物が作れたのか?
高さについては信じがたいですが、もうここは神話の世界と絡めて留めておこうと思います。 -
巨大御本殿を描いた絵図(鎌倉時代の複製)
こちらでも証拠になりうる資料です。他の建物に比べると格段に大きいです。
床が高く大きく描かれています。 当時は鳥居や柱が朱塗りだったんだなと。仏教は伝来した建築様式(伽藍様式?)を取り入れていたのでしょうか。 -
本殿の平面図「金輪御造営差図(かなわのごぞうえいさしず)」鎌倉~室町時代のもの。
当時の御本殿を支える柱、9ヶ所のうち3ヶ所がで発掘されたなら、他も発掘して欲しいとこころですが、現状は御守所と八足門が建っており、無理なのかなと。
先ほど訪れた御本殿前で、この辺りに巨大御本殿が建っていたんだと実感できただけでも良かったです。赤丸で記された柱と柱の幅から、思ったより小さい印象でした。 -
当時は納められていた銅鐸を再現したもの。
黄金色の銅鐸が入れ子になってコンパクトに納められていたようです。
当時は金色だったのですね。
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銅鐸(どうたく):弥生前期 祭祀の用具。豊作を祈り、音を鳴らしていたが古墳時代、大和政権には消滅。権力の象徴として銅鐸から銅鏡へうつる。用無しの銅鐸は埋められ廃棄。それが出土されたとか。 -
数多くの銅鐸が展示。顔の絵や、吊り手に「×」印や「顔」が刻まれた銅鐸があります。
教科書(しかもこの色)でしか見たことがなかったのですが、この地方では数多く出土されたようです。 -
銅戈(どうが)が九州、勾玉(まがたま)は北陸のものから、交流を物語っているそうで、出雲は弥生時代にも聖なる場所だったことを物語っているそうです。
また、弥生時代の青銅器や古墳時代の豪族を飾った金銀の大刀。
実用の道具としてではなく、宝器や儀式用の品物で、道具の主力は石器とのこと。
出雲にはかつて大きな力を持った国があったということを実感させてくれる展示です。
勾玉は三種の神器の一つ。
宿泊した玉造温泉では、勾玉づくりが行われていたようで、宿から一歩も出ませんでしたが勾玉のオブジェなどあるようです。 -
358本もの銅剣
こちらも実物を見たかった一つ。ずらりと展示された銅剣に圧倒されます。
国内で発掘された銅剣の総数は約300本に対し、1か所からこれを越える数が出土したことで、考古学の常識をくつがえす大発見となったようです。
出雲歴史博物館は、40分ほどの滞在でしたが、かなり満足しました。 -
最後は、畳75畳分47m、50kもある日本国旗と奥に見えるのは神楽殿。
こうして180分間に出雲大社>VR体験>歴史資料博物館の見学を終えてツアーバスへ戻り、足立美術館へと向かいます。
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旅行記グループ 山陰山陽3県3日間の初国内ツアー滞在記2024
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