2023/05/26 - 2023/05/26
257位(同エリア736件中)
赤い彗星さん
この旅行記スケジュールを元に
高塚駅でスズキ歴史館を見学した後、東海道線で再び西下。
浜名湖湖畔の新居町駅で下車しました。
駅から歩いて10分程の場所にある新居関址の訪問が目的です。
周囲には、新居宿の名残である旅籠跡や芸妓置屋なども残されており、
合わせて散策します。
- 旅行の満足度
- 4.0
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高塚駅から、東海道線で約10分の新居町駅に到着。
新居町駅 駅
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線路沿いの道を真っ直ぐに歩いて行くと、新居関跡に到着するようです。
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関所に向かっている途中で見かけた地元の消防団の詰所は、城郭風建造物。
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新居町駅から、歩いて約10分。
新居関所前に設けられている駐車場と看板にたどり着きました。 -
奥には、一本松と関所の建物が見えています。
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関所の中心的な建物となる面番所。
嘉永7年(1854)の地震で倒壊した後、3年かけて建て替えられたものが現存しており、全国で唯一、当時の関所遺構が残っている場所です。新居関跡 名所・史跡
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面番所の裏手に設けられた書院。
関所の役人が、公式の面会などを行う場所として使用されていました。 -
東海道を行き来する旅人の取り調べなどを行っていた面番所。
約40人の役人や使用人が交代制で勤務していました。
関所には、弓25張、鉄砲25挺、長柄10本の武器が常備されていたそうです。 -
徳富蘇峰が、郷里の熊本に還る途中で新居関所跡に立ち寄った際に残した書。
東海古関と書かれており、蘇峰90歳の時の書です。 -
女改之長屋。
関所で女性の確認を担当していた改女と家族が住んでいた長屋。
改女は2人いて、関所足軽の妻や母親が務めていたそうです。 -
長屋の台所は、土間ではなく板畳と呼ばれる板の間で、ここに座って台所仕事をしていたそうです。
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上の写真は、台所のみの写真ですが、こちらは桶やとっくり、七輪なども展示されていて、長屋で台所仕事をしているあらため女をイメージした展示です。
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関所敷地内から見た大御門。
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面番所の全景。
関所が開いている時は、こちらの面の襖や障子が取り払われて、通行人の確認や改めが行われていた場所です。 -
関所の排水施設の先端に置かれていた石樋。
この石樋から、浜名湖に排水していました。 -
関所の通行に関する決まりごとが記載された高札。
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大石(荷物石)。
高貴な身分の人が使用していた駕籠などの乗物を置くための石。 -
入場料を支払う入口裏に建つ新居関所資料館。
新居関所や新居宿に関する資料や当時の道具などが展示されています。新居関所史料館 美術館・博物館
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大御門横に建つ史跡新居関址の石碑。
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関所の大御門。
午前6時から、午後6時まで開門していたそうです。 -
大御門前に復元された枡形・高札場。
宿場に関する法令を掲示した宿高札と回船に関する法令を掲示した裏高札が存在したそうです。新居宿 名所・史跡
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新居関跡のほぼ斜め向かいぐらいの近距離にある、旅籠紀伊国屋資料館を訪れました。入館料は210円です。(2023年現在)
旅籠紀伊国屋資料館 名所・史跡
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大阪の浪花講など、各種講の定宿となっていたそうで、玄関には立派な浪花講の看板が掲げられていました。
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江戸時代初めに紀州出身の小野田氏(後に疋田弥左衛門)が、新居に移住し茶屋を営んだのが始まりで、後に徳川御三家の一つ紀州藩の御用宿となり、紀伊国屋の屋号を名乗る事を許されました。
昭和30年代に廃業するまで約250年もの間、旅籠として旅館業を営んできた老舗です。 -
御三家の殿様が泊る宿という事で、小さいながらも庭園が設けられています。
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現在の建物は、明治7年の大火で焼失した後に建て替えられたものが整備され、一般公開されています。
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紀伊国屋が宿泊客に提供していた食事を再現したもの。
当時から鰻の蒲焼が有名だったようで、鰻の調理方法は関東風(背開き)の南限だったそうです。(隣の豊橋は、関西風。) -
新居宿は、小さな旅籠屋がほとんどだったそうですが、紀伊国屋はその中でもかなり大きな旅籠だったそうです。
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床の間が設けられた奥座敷。
身分の高い人が宿泊した場所ということで、兜などが飾られています。 -
畳半畳分くらいしかなさそうな、小さな厠。
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ザ・風呂桶。実際、当時の状況がどうだったか分かりませんが、風呂桶一つだと大勢宿泊客がいる時は、ゆっくりと浸かる暇もなかったでしょうね。
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食器などが陳列されている台所。
お酒もたくさん並んでいますが、当時はまだ清酒ではなく濁酒だった時代かな。 -
台所の竈もきれいに復元されています。
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中央の階段を囲むように廊下が廻っていて、外郭に各宿泊部屋が並んでいます。どの部屋も採光状況が良さそうで合理的な造りに思えます。
半面、大きな鼾をかくお客さんがいたりすると、二階全体が影響を受けそうですが。。。 -
二階の部屋は、障子が多く本当に明るいですね。
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宿泊客用の枕がずらりと並んでいます。
武士用の枕は、ちょんまげが崩れない仕様の高枕ですが、脇息並みの高さがあるので慣れていないとひどい寝違えを起こしそうです。 -
旅籠紀伊国屋資料館の1ブロック裏手にある小松楼まちづくり交流館にやってきました。
小松楼まちづくり交流館 名所・史跡
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玄関から建物に入ると、すぐ目の前に現れる幅の広い二階への階段。
一階は天井も低いので、段数は10段程です。 -
小松楼は、明治末期から昭和20年代まで芸妓置屋兼小料理屋として利用されていた建物です。第二次世界大戦後に廃業した後、貸家として利用されたりもしていたそうですが、長い間空き家だった建物を平成に入り修繕・耐震補強し、無料で内部公開されています。
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お座敷として利用されていた二階には、べんがら壁が残されています。
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芸妓が使用していた三味線などの道具も展示されています。
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明治後半から、昭和前半にかけて活躍されていた芸妓さんたちの写真も展示されていました。家族の写真なども混ざっていますね。
現在のように簡単に写真を撮ることが出来る時代ではなかったでしょうから、モデルさんたちにとっても、貴重な一枚だったんでしょうね。 -
豪華なちゃぶ台といった感じの中華風の鮮やかな朱色の丸卓は派手目ですが、部屋自体は華美な装飾もなく落ち着いた雰囲気です。小料理屋として使用されていた部屋なのかもしれません。
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障子のガラス部分は、松の木に小の文字で小松を表していると思われる紋が描かれています。
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富士山に浜松城に家康くんの静岡名物が勢揃いしている織物。
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怪しいピエロとやさぐれミッキーの展示品。
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湖西市のマンホールは、新居関所と松の前に太平洋が拡がり、千鳥が飛んでいる図柄です。
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