2024/06/23 - 2024/06/23
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あおしさん
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2024/06/23
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世界のトヨタの地元、三河。
三河出身の徳川家康が天下を取ったように、三河が地元のトヨタも今は世界のトヨタ。
刈谷市を出発して、東海道の宿場町・知立によってから、トヨタ産業技術記念館へ。
初代豊田佐吉、2代豊田喜一郎により始まったトヨタの歴史を十分知ることのできる博物館でした。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 観光バス 私鉄
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
名古屋市内のホテルはずいぶん高くなりました。
コロナの時に比べて2倍くらいの感覚。
そこで名古屋から電車で20分の刈谷のこのホテルに泊まりました。
カプセルホテルのような簡素なホテルでしたが、リーズナブルなホテルでした。豪華なカプセルホテルのようなホテル by あおしさんパークホテル刈谷QS 宿・ホテル
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刈谷駅から名鉄線で知立駅へ。
名古屋本線と三河線が十字に交差する要衝駅です。
電車は真っ赤な電車。
名鉄を代表するカラーの電車ですが、最近はステンレス電車が多くなり、ずいぶん少なくなりました。通称「海線」と「山線」に分かれています by あおしさん名鉄三河線 乗り物
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知立駅は高架、建て替え工事中でした。
そのためまるで駅は迷路のような複雑な駅になっていました。
完成すれば要衝駅にふさわしい駅になるのでしょう。知立駅 駅
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駅前の駐輪場で無料のレンタサイクルがありました。
まずは図書館に併設されている歴史民俗資料館へ。
ここで知立市の歴史についてのお勉強を。
無料です。知立宿、知立まつりに関しての資料が展示されています by あおしさん知立市歴史民俗資料館 美術館・博物館
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池鯉鮒宿のジオラマがありました。
池鯉鮒宿は東海道の39番目の宿場町。
知立(ちりゅう)は当時池鯉鮒(ちりふ)と呼ばれていました。
江戸から330キロ、約10日ほどかかったようです。 -
知立市は都市部なのでほとんど当時の宿場町は市街地になっていますが、知立神社などの中心部にこれから行きます。
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現在の東海道・池鯉鮒宿の中心部。
市街地化されており、あまり当時の面影は残っていません。知立歴史資料館に資料やジオラマがあります by あおしさん池鯉鮒宿 名所・史跡
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池鯉鮒宿・本陣跡。
ジオラマでは広かったものの、今は市街地化されており、駐車場の一角に石碑が建つだけです。
なお、この本陣には明治天皇も宿泊されたようで、その石碑も立っていました。 -
旧東海道を少し行ったところが知立城跡。
知立城は今川家の家臣であり、知立神社の神官でもあった永見氏の居城でした。
今川義元が織田信長に敗死した桶狭間の合戦の時に落城し、江戸時代は将軍の宿泊所が置かれました。
永見氏は今川家が没落後、徳川家康の家臣になりました。
家康の最初の側室で、次男秀康を産んだお万の方は永見氏の娘でした。 -
知立城主の永見氏が代々神官をつとめていた知立神社です。
毎年5月2日3日に行われる知立まつりは、華やかな山車文楽とからくり人形の組み合わせが見事で、国指定重要無形文化財、ユネスコ無形文化遺産に登録されています。知立の由緒ある神社 by あおしさん知立神社 寺・神社・教会
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知立神社の見どころがこの多宝塔です。
もともとは知立神社の別当寺だった神宮寺の塔だったものとされています。
1509年の建立と伝えられます。 -
2時間ほど知立市をまわったあと、知立駅から名鉄で名古屋駅へ。
名古屋駅からは、観光ルートバス「メーグル」に乗ります。
「メーグル」は1日フリーきっぷが500円、しかも各博物館などで割引きがあるとてもお得で便利なバスです。名古屋観光ルートバス メーグル 乗り物
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名古屋駅を出て1つ目の停留所が「トヨタ産業技術記念館」。
豊田佐吉の繊維会社に始まる、今は「世界のトヨタ」のいわば歴史博物館です。「世界のトヨタ」の歴史博物館です by あおしさんトヨタ産業技術記念館 美術館・博物館
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正面ロビーには豊田佐吉が1906年(明治39年)、39歳の時、発明した「環状織機」、佐吉の息子で、トヨタ自動車の創業者豊田喜一郎が初めて世に出したトラック「トヨダG1型トラック(1935年 昭和10年)」、初めての乗用車である「トヨダAA型乗用車(1936年 昭和11年)」が展示されていました。
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「AA型乗用車」を横から見たところ。
馬車のようにドアは両開きになっています。
昭和初めの映画やドラマなどでよくみられる車です。
入館料1000円のところ、メーグルバスのフリーきっぷで200円割引かれて800円。 -
まずは豊田佐吉の創業した豊田繊維会社の歴史館から。
豊田佐吉は1967年、明治元年の前年生まれ。
三菱財閥初代の岩崎弥太郎や、今度1万円札に使われる「日本資本主義の父」渋沢栄一に比べて1世代若い生まれでした。
当時の日本の一番の産業は製糸業。
養蚕による絹(シルク)と綿花による綿だけが日本が稼げる産業でした。
渋沢栄一は大河ドラマ「青天を衝け」で「おかいこ様」と呼んでいたように養蚕農家から出発しましたが、豊田佐吉は製綿業に生涯を費やしました。 -
豊田佐吉が29歳のとき(1896年)、初めて発明した織機、豊田式汽力織機です。
まだ木製ですが、それまでの織機に比べて格段に生産性を向上させました。
時代は日清戦争(1894年~1895年)に日本が勝利した後のころです。 -
豊田佐吉が57歳のとき(1924年)、最後の発明、「無停止杼換式自動織機G型」です。
この自動織機は世界に輸出され、豊田繊維会社を世界的な会社に成長させました。
豊田佐吉はこの発明の6年後、1930年、63歳で世を去りました。 -
広い館内には佐吉の発明してきた多くの織機が展示され、それぞれ説明員の方が詳しい解説をしてくれます。
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豊田佐吉は繊維会社創設、発展の生涯でしたが、そこから先の建物は、佐吉の息子、豊田家2代、豊田喜一郎の時代です。
喜一郎は繊維会社に勤める傍ら、これからは自動車の時代ということで自動車産業へ進出します。
「トヨタ自動車」の初代創業者です。 -
こちらには、トヨタの歴史を語る多くの名車が展示されていました。
自動車が好きな人にはたまらないでしょう。 -
トヨタのみならず、現在でも日本を代表する高級車、クラウンの初代「トヨペット・クラウン」。
昭和30年(1955年)に発売されました。
翌々年、57歳で亡くなった豊田喜一郎の生涯をかけた最後の作品です。 -
クラウンは高級車でしたが、一般大衆受けに発明、販売されたカローラ。
1961年、昭和41年です。
このカローラの大ヒットにより、当時経営危機にも陥ったこともあったトヨタ自動車は「世界のトヨタ」へまっしぐらに成長していくことになりました。
ちなみに昭和43年に起きた「3億円事件」で、犯人はカローラを使ったとされ、ニュースで毎日「カローラ、カローラ」と報道されたこともカローラの宣伝になったとか。
昭和43年以降、カローラは国内の自動車の販売台数で長く首位を独走しました。 -
日本初のスーパーカーとされる「トヨタ2000GT」
昭和42年に発売開始されました。
60年近く経過した現在でも人気が高く、オークションでは1億円以上で取引されるとか。
私が子供のころ放送されていた「帰ってきたウルトラマン」の怪獣やっつけ隊のMATも車も2000GTだったようです。
子供向け番組にずいぶんとぜいたくをしたものです。
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