2024/04/26 - 2024/04/26
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j-ryuさん
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★2009年以来、なんと15年振りに南会津町の旧・舘岩村と旧・田島町に
行ってきました。
旧・田島町の北隣りの会津下郷町までは毎年のように訪れていますが、
旧・田島町はまだしも旧・舘岩村はさらに山のまた山向こうって感じで
隣り村はもう桧枝岐村と言う会津地方でも最奥の地域です。
我が家から距離的には遠いですが道路は全て国道なので
道路じたいは良く整備されていて快適に行けます。
ただ時間的には片道3時間もかかるので、
とても同じ福島県内とは思えない遠さです(^-^;。
しかし南会津(=奥会津)には都市部では失われた
貴重な日本の原風景がまだ残っていて
オジオバには郷愁を若者には古くて新しいDISCOVER JAPANを
もたらしてくれます。
東京東武浅草駅からなら 特急リバティ会津号で会津高原尾瀬口まで
最短2時間55分なので我が家からと変わらぬ時間で行くことができ、
想像よりは案外近い穴場です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
-
◆春らんまんの南会津紀行・ルートMap (※Google mapに加筆)
https://www.google.co.jp/maps/@37.2745284,139.8849158,37183m/data=!3m1!1e3?hl=ja&entry=ttu
我が家から南会津町の舘岩地区や田島地区へは車で
国道118→国道121→国道352と走り3時間ちょっとの距離です。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村ルートMap (※Google mapに加筆)
https://www.google.co.jp/maps/@37.1092261,139.5918034,15668m/data=!3m1!1e3?hl=ja&entry=ttu
終始、国道を通るルートなので迷うことは無いと思います。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村森戸ルートMap(※Google mapに加筆)
https://www.google.co.jp/maps/@37.0976136,139.5810351,800m/data=!3m1!1e3?hl=ja&entry=ttu
最初に訪れたのは旧・舘岩村の森戸地区にある『森戸の雨屋』です。
専用の駐車場はないので空いていれば農道の左端に寄せて駐車します。
今回は国道352号から森戸の雨屋へ曲がる角の空き地に
地主さんの許可をもらって駐車しました。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村森戸~森戸の雨屋
今回の目的の一つは『森戸の雨屋』と
オオヤマザクラのコラボ写真を撮ることです。
中通りの我が家周辺の桜は遅咲きの八重桜も既に散ってしまいましたが
舘岩村森戸地区は標高が約750mもあるので
福島県の中では桜の開花が最も遅い地区の一つです。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村森戸~森戸の雨屋
予想通り、雨屋そばの濃いピンクのオオヤマザクラは
満開でした。
理想的には背後を流れる舘岩川から朝霧が立ち上れば
幻想的になるのですが、贅沢を言えば切りがありません。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村森戸~森戸の雨屋
雨屋は、明治初期に建設された木造茅葺き屋根の簡素な建物で、
屋敷から離れた場所に建っており、雨天の際の作業小屋として使われていた。
舘岩川向この佐倉山や西側の立岩山を背景にして、
一面が田園風景の中、茅葺の小屋が建ち、
周辺の景観との一体感やタイムスリップしたような空間となっており、
地区のシンボルとして良好な景観形成に重要な役割を果たしていることから
南会津町の景建第2号に指定されています。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村森戸~森戸の雨屋
この森戸の雨屋は国道352号を桧枝岐村方面に向かって
左手の水田地帯に建っているので
国道352からも見えますが、知らない人ならまず通り過ぎてしまうでしょう。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村森戸~森戸の雨屋
この日はオオヤマザクラとのコラボ写真を撮ろと
私以外にも栃木県から2組の写真好きが訪れていました。
雨屋は、明治初期に建てられたそうで家屋も茅葺屋根も相当傷んでいます。
特に茅葺屋根は簡易的に補修した痕が痛々しく、
南会津町の景建第2号に指定されているんですから
町の援助でもっときちんとした補修をして欲しいものです。
雨漏りが進むと建物自体が一気に崩壊する恐れがあり
この郷愁をよぶ景観は見られなくなってしまうかも知れません。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村森戸~森戸の雨屋
雨屋の傍らには素朴な石仏も安置されていて
まるで『日本むかし話』の世界が
そのまま残っています。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村森戸~森戸の雨屋
向こうの秀麗な山は佐倉山。
標高は1073mとそう高い山ではありませんが
舘岩のマッターホルンとも呼ばれる舘岩のシンボリックな山です。
登山道があるので山頂まで登れるようですが
急峻でロープ場が多い難しい山だそうです。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村森戸~森戸の雨屋
こちらは国道沿いから望んだ雨屋や佐倉山。
水田に水があればなお映えると思いますが
水田に水が入る頃には桜は散っているでしょう。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村森戸~森戸の雨屋
佐倉山をマッターホルンとするのは少々オーバーな表現ですが
言わんとするところは良く分かります。
ちなみに只見町には会津のマッターホルンとも呼ばれている
蒲生岳(がもうだけ)(828m)があり、やはり標高の割には急峻です。
奥会津の人はマッターホルン好き??(^^ゞ。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村森戸~森戸の雨屋
奥会津や南会津には森戸の雨屋の他にも
大内宿や前沢曲家集落、水引集落など郷愁を誘う
懐かしい茅葺家屋や集落が残されていて
まさに日本の原風景がそのまま残っている
貴重な地域です。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村森戸~森戸の雨屋
森戸の雨屋とオオヤマザクラのコラボに大満足し
次なる原風景を目指します。
旧・舘岩村の茅葺家屋と言えば
何と言っても前沢曲家集落を抜いては語れません。
次は15年ぶりに、その前沢曲家集落に行ってみましょう。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢曲家集落ルートMap
(※Google mapに加筆)
https://www.google.co.jp/maps/@37.1006643,139.5286463,2770m/data=!3m1!1e3?hl=ja&entry=ttu
上記、旧・舘岩村の森戸の雨屋から国道352号をさらに西に6㎞ほど
進むと舘岩川を挟んだ対岸に
国の重要伝統的建造物群保存地区の前沢曲家集落が見えてきます。 -
☆前沢曲家集落散策Map (※前沢曲家集落公式Webサイトより)
http://maezawa.html.xdomain.jp/ -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
舘岩川向こうの前沢曲家集落へ観光客などは車では入れないので
舘岩川手前の駐車場に車を止め徒歩で前沢集落に向かい見学します。
その前に集落全体を俯瞰できる展望台に行ってみましょう。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
上記、前沢曲家集落駐車場と国道352号を挟んで反対側の山に
展望台(ビューポイント)があります。
15年前に訪れた時にはまだこの展望台はありませんでした。
写真で見るとさもない階段ですが、けっこうな急登で
普段から運動不足のオヤジにはけっこうキツメです(--〆)。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
急登階段を7,8分登ると前が開け前沢曲家集落が見えてきます。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
明治40年、集落のほとんどの建物を焼失した大火の後に
周辺地域の大工の手により一斉に再建されたため、
統一的な意匠による景観が形成されました。
家屋(主屋)は、茅葺屋根でその構造から直家と
L字型の中門造(曲家)に分類され、中門造が多くを占めています。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
中門造は、かつて家族同様に大切にされてきた農耕馬と人が
一緒に生活する構造となっており、妻面には、明かり取りの窓、
梁と貫の木組み、前包の彫刻、狐格子など意匠性の高い造りとなっています。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
集落内には、中門造り(曲家)13棟を含む伝統的家屋が20棟あります。
伝統的家屋には、現在も人々の暮らしが息づいており、
日本の原風景を今に残しています。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
福島県における重要伝統的建造物群保存地区と言えば
先に指定を受けた会津下郷町の大内宿がありますが
同じ茅葺家屋集落と言っても
大内宿は街道の宿場で、前沢曲家集落は山村集落の違いがあります。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
さらに、大内宿は現在、お土産屋や食堂。民宿などの
観光業を生業としていますが
前沢曲家集落は観光を生業としている民家は1軒もなく
あくまでも好意によって生活の場(集落)を公開しています。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
展望台から再び駐車場に戻ってきました。
駐車場の奥には会津高原たていわ農産が
自ら生産しているそば粉を使用している茅葺屋根の蕎麦屋と
手前に茅葺屋根の公衆トイレ&休憩所があります。
駐車場やトイレは無料ですが、
集落内に入るには集落整備協力金(300円)が必要です。
早朝や冬場は徴収する人がいないので実質無料です。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
この舘岩川に架かる橋の向こうが前沢曲家集落で。
橋から先は一般車両は入れないので観光客は徒歩で向かいます。
早朝だったので協力金の徴収はありませんでしたが
基本的に見学時間は毎日8:30から16:30までだそうです。
朝はともかく、真夜中に観光客が勝手にウロチョロしたら
たしかに怖いですよね。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
橋の欄干下には清流・舘岩川が望めます。
こちらは橋の上流側。
日陰状態ですが水の透明度は良く分かります。
舘岩川は荒海山(1581m)や田代山(1971m)などからの支流を集めて
旧・舘岩村を東から西に流れ、伊南川と合流しさらに只見川に合流してから
北上し喜多方市で阿賀川に合流します。
阿賀川は新潟県に入ると名前を阿賀野川と変え
新潟市しで日本海に注ぎます。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
こちらも橋の上流方面。
淵に陽射しが当たり、透明感ある翡翠色の川面が美しいです。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
橋を渡ると集落まで1本道が続いています。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
上記の1本道右手の土手下には水車小屋(左上)と
バッタリ小屋(右下)があります。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
水車小屋そばの土手上には素朴な石仏が安置されていました。
風化しているのでハッキリは分かりませんが
おそらく地蔵仏だと思います。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
水車小屋の並びには『バッタリ小屋』と呼ばれる
杵搗き小屋があります(写真右奥)。
昭和30年頃まで、茅葺のバッタリ小屋が小沢に沿って並んでいて
2,3軒が共同で、米、粟、きび等を搗いていたそうです。
その後廃れましたが再建され、平成9年12月に
『水車とバッタリが杵をつく音』が将来に残したい
『うつくしまの30選』として福島県の認定を受けたそうです。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
水車は電気やエンジンのない時代、貴重な動力源として活躍しました
これは米や麦などを精米するための水車です。
電気による精米機と違って、水車はゆっくり回転するので
1臼の精米に要する時間は6時間もかかるそうです。
また水車は脱穀・製粉・精米の他に揚水の役目を持つタイプもあり
水を低い位置から少し高い場所に汲み上げます。
揚水水車は揚水専用タイプと脱穀・製粉・精米を兼用するタイプが
あります。
この水車は水を落下させているだけなので
脱穀・製粉・精米専用ってことだと思います。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
水車やバッタリ小屋の水路沿では
ミヤマキケマンが花盛りでした。
◎ミヤマキケマン(深山黄華鬘/ケシ科キケマン属)
ミヤマキケマンは近畿以北の
日当たりの良い山地の崩壊地,谷川の礫地,林の縁などに生え越年草で
関東以南でよく見られるキケマン(黄華鬘)に似ていますが
全体に小ぶりで寒冷地適応型です。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
葉っぱはセリ科の植物のようすでが
ケシ科特有のアルカロイド・プロトピンを含み有毒なので
誤食すると嘔吐・酩酊・心臓麻痺などを起こすので注意が必要です。
花が咲いていればまず山菜のセリと間違う人はいないと思いますが
やはり芽出しの頃は要注意です。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
こちらがバッタリ小屋のバッタリ。
わかりやすく言えば大きなシシオドシって感じかな。
大きなシーソーの形で
受水桝に水が溜るとお重さのバランスが崩れ
受水桝が下に傾き、溜った水が流れ落ちるシステムです。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
バッタリの受水桝に水が溜ったので
その重さで受水槽が下に傾き、溜った水が流れ出した所です。
受水桝とは反対側に杵(きね)があり、
受水桝の水が無くなると杵の重みで
バッタリが杵側に傾き、脱穀や製粉をします。
この時に『バッタン』と音がするので『バッタリ』と
呼ばれるようになったのかも。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
『バッタリ』は水車ほど聞く名称じゃないので
会津の方言なのかなと思ったら
全国各地で呼ばれている名称のようです。
別名で『唐臼』とも呼ばれています。
水車もバッタリも古い時代に中国から伝わったのではないかと
言われています。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
白黒写真だとまるで昭和初期にタイムスリップしたような印象がしますね。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
バッタリと水車を見学した後は本通りではなく
畑道を通って集落に向かいます。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
畑の一番端に小さな茅場と茅干しがありました。
これだけでは到底集落の茅葺屋根補修は難しいでしょうから
ここはデモンストレーション用で大きな茅場は
山の斜面など農作には不向きな場所にあるのでしょう。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
ズミ(酸実/バラ科リンゴ属)の花越しに望む集落。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
ラッパスイセンと茅葺家屋。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
集落の突っ掛けに建っているのは曲家資料館。
資料館は実際の曲家を利用した施設で無料で見学できます。
平成4年(1992年)に隣の南会津町伊南地区(旧伊南村)から
移築されたものです。
民具などを展示しているほか、囲炉裏を囲んだ内部の空間、
大黒柱や梁の大きさなど、豪雪地であるこの地域で百年来の風雪に耐え、
時代の流れに対応してきた暮らしの知恵を探ることができます。
夏期はガイドの方が常駐して住まいの説明当時の暮らしの様子などを
語ってくれます。
※開館は4月~11月まで。無料。冬期間は閉鎖。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
上記の曲家資料館をやり過ごすと住民が暮らす集落です。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
前沢集落は、2011年(平成23年6月)に「南会津町前沢」として
国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
明治40年、集落のほとんどの建物を焼失した大火の後に
周辺地域の大工の手により一斉に再建されたため、
統一的な意匠による景観が形成されました。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
家屋(主屋)は、茅葺屋根でその構造から直家と
L字型の中門造(曲家)に分類され、
中門造が多くを占めています。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
中門造は、かつて家族同様に大切にされてきた農耕馬と人が
一緒に生活する構造となっており、妻面には、明かり取りの窓、
梁と貫の木組み、前包の彫刻、狐格子など意匠性の高い造りとなっています。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
梁と貫の木組みと白壁は日本の茅葺民家と言うより
どことなく欧州の古民家を彷彿させるモダンささえ感じます。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
集落内には、中門造り(曲家)13棟を含む伝統的家屋が20棟あります。
伝統的家屋には、現在も人々の暮らしが息づいており、
日本の原風景を今に残しています。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
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◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
本通りからは何本か横道があり
最奥の横道を右手に進むと突き当りに素朴な薬王堂があります。
瑠璃殿ともよばれ瑠璃色の天井画が見所だそうですが
見落としてしまいました(^-^;。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
本通り沿いには裏山から引いた用水路があり
常に清らかな山水が流れています。
このシステムは下郷町の大内宿にもあります。
水道が無い時代は貴重な生活用水だったのでしょうね。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
集落内にはこのような水場が7ヶ所設けてあり
昔はそれぞれ用途が決められていたそうです。
もしかしたら飲用専用の水場もあったのかも。
今は炊事洗濯など軽めの用途で使うそうです。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
本通りの突き当りは山で素朴な鳥居があります。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
鳥居周辺では今が盛りとばかりにカタクリの花が
満開を迎えていました。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
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◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
◎カタクリ(片栗/ユリ科カタクリ属)
カタクリは北海道~九州の主に落葉樹林下に自生し、
日本ではピンク色と雑種の白花だけですが、世界では約25種あるそうです。
観光山野草園などで黄色いカタクリを見ることもありますが、
日本の山野草の中に外来種があるのはどうかな?と思います。
魅せる演出として植えるなら
少なくとも日本の在来種では無いことを明記して欲しいものです。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
-
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
上記の素朴な鳥居のある山道をさらに登っていくと
集落の氏神様である鹿島神社があります。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
国道352号向こうの山に展望台ができるまでは
この鹿島神社が集落を見渡せるビュースポットでした。
新展望台からの眺めとは比べ物にならず
屋根屋根が連なって見える程度です。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
鹿島神社を後にし再び本通りを国道352号方面に戻ります。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
-
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
とても失礼な話で恐縮ですが
前沢曲家集落はこんな山奥の僻地でありますが
個々の茅葺家屋はかなり立派で
奥会津より平地が多く一見豊かな中通りの農家より
こちらの家屋の方が断然立派だと思います。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
確かに中通りは平坦な耕作地が多く豊そうに見えますが
戦前は小作農家ばかりで、個々の農家は貧しく
貧素な家屋が多かったのかも知れません。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
敗戦により農地解放が行われ
今は平地の農家もそれなりに豊になったと思いますが
もしかしたら山間の農家の方が
炭焼きなどの副収入があって平地の小作農家より豊かだったかも。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
再び曲家資料館まで戻ってきました。
まだ朝なので閉館しています。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
典型的な曲家構造(中門造り)の曲家資料館。
昔は中門の部分で農耕馬や牛を飼っていました。
私の母の実家は中通りの農家で、
やはり茅葺家屋の一番端で牛を飼っていましたが
曲家ではなく直家でした。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
曲家資料館付属の蔵も茅葺屋根です。
人の茅の利用の歴史は古く、茅が水分に強いことは古くから知られていた。
屋根材では茅に比べると藁は油分が少なく耐水性に劣るとされている。
しかし、茅よりも藁のほうが入手しやすく、
民俗例では茅葺き屋根であっても最下層の下地には藁を用いていることが
多いそうです。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
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◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
以前は無かったハナモモが植栽されていて
華やかな春を醸し出しています。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
こちらは集落の南端にある古民家カフェ いろり
営業日:土、日、月曜日、祝日のみ営業
ただし、現在は当面の間は直売所だけの営業すると
公式Webサイトに書いてありました。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
古民家カフェ いろりの正面
曲家が多い中でこちらは直家ですね。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
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◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
集落をほぼ周回して再び水車小屋まで戻ってきました。
丸太をくりぬき樋状にした木製水路。
コンクリートU字溝の方が安価に復元できたと思いますが
やはり木製の方が風情ありますね。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
後で訪れる南会津町奥会津博物館の屋外展示場にも
古い水車が移築設置され、以前は前沢曲家集落の水車や樋と同じように
稼働していましたが、今は残念ながら水車は動いていません。
施設の係員の話では茅葺や水車小屋はメンテナスに多大な費用がかかり
予算がつかず壊れたままになっているそうです。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
ミヤマキケマンは種がこぼれ発芽し年を越し
翌春に花を咲かせる越年草なので
いくらキレイだからと言って採って自宅に植えても
この株は今年で枯れてしまいます。
種ができない内に採ってしまうと
翌年は花が咲かなくなる恐れがあるので
くれぐれも現地でお楽しみ下さい。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
福島県でミヤマキケマンは自然豊かな山間の渓谷沿いや崩落地などで
見ることができますが、残念ながら母種のキケマンの野生種は
自生していません。
当初は寒さが原因なのかと思っていましたが
我が家で栽培しているキケマンは外の地植えで問題なく越冬するので
東北以北に自生しないのは寒さが原因では無さそうです。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
帰りがけ再び舘岩川を見下ろしてみました。
往路より陽が燦燦とそそぎ翡翠色の水面が一段と美しく見えます。
川淵の桂の木の枝葉が水面に影を落としています。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
カツラ(桂/カツラ科カツラ属)は日本、東アジア、朝鮮半島に分布自生する
古い時代からある樹木で高さ30mにも生長します。
川沿いや地下水が豊富な場所など水を好む樹木です。
葉っぱは丸みのあるハート形でとても可愛く、
樹形も美しいのでシンボルツリーとしても植えられたりします。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
透明感あるエメラルドグリーンーの水面がとても美しいです。
川底の砂利が石灰岩質だったり花崗岩質だと
ライトブルーやエメラルドブルーに見え
写真的にはもっと映えると思いますが
この翡翠色もシックで素敵です。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村前沢~前沢曲家集落
水深の深い淵は翡翠色がより際立って見えます。
舘岩川水系はイワナ、ヤマメの渓流釣りも人気があります。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村~オオヤマザクラ
舘岩の熨斗戸地区辺りだと思いますが
満開のオオヤマザクラが美しかったので
車を止め撮影しました。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村~オオヤマザクラ
◎オオヤマザクラは
北海道、中部以北の本州及び四国石鎚山周辺のみに分布する
バラ科の落葉樹日本を代表するサクラであるヤマザクラの野生品種で
花の色が濃く、葉がより大きいことが特徴で
日本以外でも朝鮮半島やサハリンに分布します。
寒冷地のサクラであり、ヤマザクラよりも標高の高い場所に育つ。
特にヤマザクラが天然分布しない北海道では代表的なサクラ
(エゾヤマザクラ)です。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村~オオヤマザクラ
オオヤマザクラの花色は薄いピンクから濃い紅色まで多様です。
舘岩地区には濃い紅色のオオヤマザクラを多く見かけますが
もしかしたらオオヤマザクラを母種とした
品種改良種かも知れません。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・舘岩村~オオヤマザクラ
周囲には白樺の木も生えていて
標高が750mと高い地域らしい植生が見られます。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町:龍神滝&釜滝ルートMap
(※Google mapに加筆)
https://www.google.co.jp/maps/@37.0881357,139.6930121,4659m/data=!3m1!1e3?hl=ja&entry=ttu
旧・舘岩村の茅葺家屋を見た後は国道352号を旧・田島町方面に戻り
荒海川源流域にある龍神滝と鎌滝を見学します。
福島県内の滝としてはかなり僻地にある滝ですが
滝の直ぐそばまで舗装道路が走っているので
僻地の割には楽ちん見学できる滝です。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~龍神滝
国道352号を旧・舘岩村から中山トンネルを抜けて旧・田島町に入ります。
会津高原尾瀬口駅の2㎞ほど手前に八房鉱山跡や荒海山登山口への
側道があるので右折します。
(会津高原尾瀬口方面からなら左折)
道なりに800mほど進むと道路の左側に「龍神様入口」の案内板があり、
更に500mほど進むと道路の左側に「釜滝」の案内板があります。
どちらの滝も専用駐車場はありませんが付近は交通量も少なく
道幅が広くなっているので、路肩に駐車することができます。
この写真は龍神滝入口付近の道路です。
右手道路反対側にはゲートボール場や釣り堀があります。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~龍神滝
上記写真の龍神滝案内板通りに谷側へ下りると
赤い鳥居があり、その谷側に龍神滝があります。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~龍神滝
龍神滝は荒海川の源流域にあり、
滝幅6m、落差4mほどの小さな滝で
下流の渓流瀑も含めれば落差も滝幅も1mほど割り増しになります。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~龍神滝
この上段の滝だけだったら遠路はるばる奥会津までやって来くる程の
名瀑とは言い難いですが、山奥の割には滝のすぐそばまで
アクセス道路があるので、私のようなモノグサ&軟弱者には
打ってつけです(^-^;。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~龍神滝
-
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~龍神滝
上記、龍神滝のすぐそば下流の左岸には小さな岩山があり
そこに龍神様が祀られています。
古文書によれば享保6年(1721年)の7月から8月にかけて
村一帯が旱魃(かんばつ)に見舞われ
村人が共同で雨乞いをするため、龍神様を建立したと
記されているそうです。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~龍神滝
上記の龍神様のある岩山の裾を回りこむと
上段の滝の下に下段の滝があります。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~龍神滝
下段の滝を龍神滝とみなすかどうかは意見が分かれるかもしれませんが
私的には同じ滝とみなした方がいいと思います。
たまたま龍神滝は直ぐそばで2つの滝が見られるので
上段の滝と下段の滝が若干離れているのが分かりますが
離れた観瀑台などから見る段瀑は一段目と二段目の滝が
どのくらい離れているのか分からない場合もありますが
連続して見える場合は段瀑に分類されます。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~龍神滝
-
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~龍神滝
上段の滝は落差も滝幅も知れたもので
美滝と言うほどではありませんが
大きな滝壺が陽射しによっては
ネイビーブルーに見え神秘的です。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~龍神滝
この日は晴天だったものの、
滝壺はまだ日陰だったので本来の美しいネイビーブルーに
見えていないのは残念でした。
でも滝壺はともかく滝に陽射しが当たるとハレーションが起きやすくなり
スローシャッターによるシルキーな滝を撮り難くなるので
痛し痒しって感じです。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~龍神滝
上段の滝は滝そのものは少しシィボイですが
晩秋に見られる落葉のグルグルは人気があります。
落葉グルグルとは秋の落葉頃に滝壺や淵に流れ着いた落葉が
回転する水流により円形状にグルグルまわる様子で
そのグルグルをスローシャッターで撮ると
そのグルグルの軌跡が鳴門の渦のように見えます。 -
★錦秋の隈戸川渓谷~桝滝の落葉グルグル (※2022/11/01 撮影)
龍神滝の落葉グルグルの写真は持ち合わせがなかったので
白河市(旧。大信村)隈戸川渓谷~桝滝の落葉グルグルをご覧ください。
龍神滝の落葉グルグルはこの2倍くらいの大きさでグルグルします。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~龍神滝
下段の滝の下流側。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~龍神滝
下段の滝を取り込んで上段の滝を撮影すると
けっこう見栄えのする滝になります。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~龍神滝
上段の滝は単調な直瀑な上に落差も無いので
滝家(滝好き、滝愛好家)が好んで撮影するような滝ではありませんが
下段の滝を撮り込むと俄然見栄えが良くなるので
訪れる価値があると思います。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~龍神滝
下段の滝は上段の滝の大きな滝壺からあふれ出した小滝です。
写真右手の岩が龍神様を待ってある岩山です。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~釜滝
龍神滝を見学した後は荒海川の上流方面に600mほど進んだ
道路左手に『釜滝入口』の案内板があります。
車はこの入口の少し先に広いダートの広場のような場所があるので
方向転換方々そこに止めれば良いと思います。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~釜滝
上記案内板に『釜滝入口』とありますが、
実際は釜滝遠望ビューポイントと表記した方が正しいかも。
この写真は望遠で撮影しているのでそれなりの大きさに見えていますが
釜滝はそのビューポイントからさらに上流100mほど先にあり
残念ながら小さくしか見えません。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~釜滝
この日はまだ新緑が芽生えたばかりの頃だったので
遠望ながらなんとか見えましたが
夏場になり木々の葉が鬱蒼としてくると
あまり見えなくなってきます。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~釜滝
この日は晴天で、龍神滝はまだ陽が当たっていませんでしたが
釜滝には陽射しがモロ当たっています。
滝とビューポイントの間にはご覧のように木々があり
新緑の頃はまだ滝が見えますが
青葉の頃になると葉が鬱蒼として
滝は大分見えなくなってきます。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~八房鉱山跡廃橋
釜滝を間近で撮影したい場合は釜滝遠望ビューポイントの
少し下流側、
廃橋の見える斜面を谷底まで下りて行き
川原を釜滝に向かって遡上します。
荒海川は水深のある川ではありませんが
最低でも長靴は必要だと思います。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~八房鉱山跡廃橋
急斜面を下り荒海川の川原に立ちました。
川下に見えている鉄製のアーチ橋はおそらく八房鉱山時代に
使われた作業橋だと思われますが、
橋の床板が外されたのか、朽ちたのかわかりませんが
桁の骨組みしか残っていないので渡ることはできません。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~釜滝
川原に下りたらまず左岸(見た目の右側)を遡上し、
途中で渡渉し右岸に渡ります。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~釜滝
左岸から渡渉し右岸に渡りました。
左岸から撮るより右岸から撮る方が良い構図が取れると思います。
川原にはミヤマキケマンも咲いていました。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~釜滝
釜滝は落差5m弱、川幅9mほど、
龍神滝の上段の滝を少し大きくした感じです。
釜滝と言うくらいですから釜(滝壺)が大きな滝、
と言う意味合いかなと解釈しました。
川原目線で見たせいか特段美しい釜色(滝壺の色)には
見えませんでした。
滝には日光が燦々と射し、スローシャッターには不向きでしたが
通常よりはかなり遅目のシャッターシピードで
なんとかシルキーさを出せました。
ほんと、晴天下の滝や渓谷の撮影は難しいです(--〆)。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~ミヤマキケマン
◎ミヤマキケマン(深山黄華鬘/ケシ科キケマン属)
ミヤマキケマンは近畿以北の
日当たりの良い山地の崩壊地,谷川の礫地,林の縁などに生え越年草で
関東以南でよく見られるキケマン(黄華鬘)に似ていますが
全体に小ぶりで寒冷地適応型です。
ミヤマキケマンは越年草なので来年の花の時期までに
豪雨で川原が濁流にのまれるようだと、種も苗も流され
この川原で花はしばらく見られなくなる可能性があります。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~八房鉱山跡廃橋
釜滝の反対側(下流側)八房鉱山跡廃橋が見える位置にも
貧弱なミヤマキケマンが咲いていました。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~八房鉱山跡廃橋
木々はまだ芽生えたばかりで写真的にはイマイチでしたが
紅葉の頃はこのアンティークな廃橋と紅葉のコラボ写真が
写真愛好家の間では密かに人気があり、
何年か前に南会津町主催のフォトコンで最優秀を獲ったのは
このアンティークな廃橋と紅葉のコラボ写真でした。
ただ具体的な撮影場所が明記されていなかったので
あの橋はどこになるのか?と話題になりました。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町:奥会津博物館ルートMap
(※Google mapに加筆)
https://www.google.co.jp/maps/@37.1467599,139.7236653,2768m/data=!3m1!1e3?hl=ja&entry=ttu
龍神滝と釜滝を見た後は南会津町糸沢にある奥会津博物館へ。
国道352号から国道121号へ進み、旧・田島町中心街方面へ進みます。
会津鉄道の会津山村道場駅そばを左折し、
道なりに進むと会津山村道場&奥会津博物館があります。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~奥会津博物館
奥会津博物館は、福島県南会津町糸沢にあり奥会津の伝統文化を
保存、伝承するため、有形の民俗文化財を展示、収蔵しています。
1994年(平成6年)、南会津町として合併する前の
旧田島町が奥会津地方歴史民俗資料館として開館しました。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~奥会津博物館
私の目的は屋外展示場に移築されいる茅葺家屋を見ることでしたが
受付で入館料(300円)を支払った際に、
係り員から茅葺家屋だけでなく、屋内の民族資料も
ご覧になって下さいと勧められ、
押しに弱い私は素直に屋内展示場に向かいました。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~奥会津博物館
民族資料に全く興味がないわけでもありませんが、
さりとて大好きと言うほども無いので
各展示物をサラリと見学し、展示物の多さには驚かされました。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~奥会津博物館
でも所詮は猫に小判、豚に真珠状態、
せっかくの展示物が泣いていたかも(^-^;。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~奥会津博物館
屋内展示場から屋外展示場にやってきました。
ここには南会津町にあった8棟ほどの茅葺屋根家屋や
茅葺屋根作業小屋などが移築再建されています。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~奥会津博物館
最初に見えてきたのは
国指定の重要有形民俗文化財、馬宿(大竹家住宅)です。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~奥会津博物館
この民家は江戸時代から明治初期にかけて、下野街道(会津西街道)を
自分の所有する馬(1 人 6 頭まで)で、
自分の商いの荷など仕入地から目的地まで、
駅継ぎせずに行き来した仲付駑者(なかづけどじゃ)専用の宿です。
◎ 旧大竹家住宅
旧所在地 南会津町糸沢字今泉平
建築年 1801 年(享和元年)
復元年 1988 年(昭和 63 年)
構造 寄棟造・茅葺曲家
規模 162 平方メートル -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~奥会津博物館
◎ 旧大竹家住宅
住宅内に入ると宿とは言えかなり素朴な作りで
懐かしい囲炉裏がありました。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~奥会津博物館
◎ 旧大竹家住宅
茅葺屋根の軒先を見ると釘などを使わず木組みと縄だけの構造ですが
しっかりしたとても美しい造りです。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~奥会津博物館
◎ 旧大竹家住宅
私の住む町にも子供の頃はまだ5軒くらい茅葺屋根家屋がありましたが
現在は1軒もありません。
茅葺屋根の管理が大変なので茅葺屋根にトタンをかぶせた家は
けっこうありましたが、そのトタンをかぶせた家屋も数軒しかありません。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~奥会津博物館
次に見えてきたのは染屋(旧杉原家住宅)です。
この染屋はNHK大河ドラマ、 吉沢亮主演の『青天を衝け』で
主人公『渋沢栄一』の生家の撮影現場となった建物です。
『渋沢栄一』の生家は藍玉作りや養蚕を生業とする農家だったので
江戸時代の染色場が残る染屋(旧杉原家住宅)が選ばれました。
住宅の隣りには藍染の原料である『蓼藍』の畑も再現されています。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~奥会津博物館
染屋(旧杉原家住宅)の横には茅葺屋根の水車小屋も移築されています。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~奥会津博物館
あれ?
この水車小屋ってかつて何処で見たことがあるような・・・
そう言えば同じ旧田島町にある南泉寺そばにあった
使われなくなった古い水車に似ているかも。 -
☆南会津町南泉寺の近くの水車小屋(※2009/5/26 撮影)
こちらが15年前に撮影した南泉寺の近くの水車小屋です。
たしかにそっくりですが細部を見ると微妙に違います。
奥会津博物館の庭の手入れをされていた施設の方に
これは南泉寺の近くの水車小屋を移築したものですか?と
聞いてみましたが、詳細は分からないと言っていました。
たしかに細部は微妙に違いますが、もしかしたら
移築した際に手直ししたのかも。
それとも同じ旧田島町にあった水車なので
同じ工人が作ったのかも知れません。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~奥会津博物館
水車小屋側から見た染屋(旧杉原家住宅)。
この水車は水を引き込む樋が壊れかけていて
水は少し流れていましたが水車は回っていませんでした。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~奥会津博物館
◎染屋(旧杉原家住宅)
江戸時代中期頃より昭和 40 年代まで続いてきた染屋。
藍染は、主として農家の作業衣に仕立てられる木綿や麻布が多く、
五月節句や神社祭礼の幟織なども染めました。
特に旧田島町には田島祇園祭に着る麻布の裃地を染めるという
特色ある仕事がありました。
名称 旧杉原家住宅
旧所在地 南会津町塩江字上坪
建築年 18 世紀後半(推定)
復元年 1988 年(昭和 63 年)
構造 寄棟造・茅葺直家
規模 171 平方メートル -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~奥会津博物館
染屋の中には12個もの石造製の藍甕(染料の藍汁を溜めておく甕) があり、
石英安山岩をくり抜いた貴重なものだそうです。
NHK大河ドラマ『青天を衝け』でも、
ここで藍染をしている場面が撮影されました。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~奥会津博物館
藍甕(あいがめ)のある土間側から見た座敷です。
珍しく囲炉裏が2つあります。
どう使い分けていたのか気になります。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~奥会津博物館
◎染屋(旧杉原家住宅)は藍染の作業場があるので
一般的な住宅よりかなり大きな規模です。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~奥会津博物館
◎染屋(旧杉原家住宅)
土手の蒲公英が長閑な田舎を演出してくれています。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~奥会津博物館
◎染屋(旧杉原家住宅)裏の物置小屋。
これは物置小屋ですが、それこそ小作農家の家など
この物置より貧素な家が多かったと思います。
そういった貧素な家は建て付け自体が粗末だったので
壊れてしまい現存していないのだと思われます。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~奥会津博物館
染屋と対面するように建っているのは
旧山王茶屋です。
山王茶屋は山王峠を越えて旅をする人々や物資を運搬する人々が
休んだり、宿泊の便を図る目的で建築された茶屋本陣です。
正面にある入り口は「乗っ込み」と呼ばれ
上客だけが出入りしたと言われています。
木造 2 階建・茅葺
規模 335.17 平方メートル -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~奥会津博物館
◎旧山王茶屋
現在の山王茶屋は古民家れすとらんとして、
旬の地物食材をふんだんに取り入れた郷土料理や
創作料理をご提供させて頂いいます。
http://sayurinosato.co.jp/sanno/ -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~奥会津博物館
◎旧山王茶屋を横から見た構図です。
山王峠 (さんのうとうげ)は、福島県南会津郡南会津町と
栃木県日光市の境界にある峠。
現在は国道121号の山王トンネルが峠のほぼ直下、
野岩鉄道会津鬼怒川線の山王トンネルが峠の西側を通っています。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~奥会津博物館
◎旧猪股家住宅
南会津町に現存する最も古い民家です。
内部は畳を敷ける板敷の部分が二間だけで、残りは全て土座であることから、
当時の農家は住居兼農作業の場として比重が大きかったと言えます。
当時の農家の住宅がむしろ作業場としての比重が大きかったことを
物語っています。
名称 旧猪股家住宅
旧所在地 南会津町塩江字根岸
建築年 18 世紀前半(推定)
復元年 1999 年(平成 11 年)
構造 寄棟造・茅葺直家
規模 99 平方メートル -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~奥会津博物館
◎旧猪股家住宅裏手から見た旧山王茶屋(右奥)。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~奥会津博物館
奥会津博物館屋外展示場には民家ではないものの
茅葺屋根の木地小屋や炭焼き小屋も移築されています。
写真右の茅葺小屋は新設された公衆トイレです。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~奥会津博物館
左手が炭焼き小屋で右奥が木地小屋です。 -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~奥会津博物館
◎炭焼き小屋
屋根こそ茅葺ですが後ろの方は土が盛られ
炭焼き窯になっています。
ブルーシートが少々興ざめです。
何とかならないのでしょうか? -
◆春らんまんの南会津紀行・旧・田島町~奥会津博物館
◎木地小屋
木地小屋とは木製の食器や漆食器の木地などを作る職人の作業小屋で
木材が入手しやすい山間部にあることが多い建物です。
この木地小屋は相当傷みが激しいので
維持管理が厳しく取り壊す予定だそうです。
茅葺屋根の木地小屋は一般的な茅葺民家より
圧倒的に現存数が少ないと思われるので
どうにか頑張って保存して欲しいものです。
これで◆まだ日本の原風景が残っている~春らんまんの南会津紀行は
お仕舞です。
いつも最後までご覧下さりありがとうございます。
そして、ポチってくれた方には改めて御礼申し上げます。
ではまた。 j-ryu
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