2024/04/24 - 2024/04/26
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しにあの旅人さん
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更新記録 2024/06/06:最後に奥山おまいりみちの写真追加。
「?」
変な題名と思った方は多いはず。
私たちは淺草というと、なぜかパリを思い出すのです。
一書に曰く、
昼間、歌舞伎を観て、夜、お笑いを観る。
というツアーを、何回かしました。
なにしろ田舎暮らしだもんで、歌舞伎は歌舞伎、寄席は寄席と、日を改めるのが、おっくうで、ついつい、まとめてしまいます。
今回はこれに神谷バーが加わります。
By妻
投稿日:2024/06/04
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
1964年(昭和39年)に開場した淺草演芸ホールです。
雨の歩道に映る。絵になります。
ホテルで一休みしてやって来ました。リッチモンドからすぐ近く。
売店でお弁当を買う予定でした。ところが売っていないのですよ。ホームページには「お弁当やお菓子、、お酒、グッズが買えます」って書いてあった。
前回食べたカツサンドがおいしかったので、残念。
ないものはしょうがない。
すぐ近くのコンビニで、しつこくカツサンドを買って、入場。
4月下席(しもせき)前半でした。入場料3000円が6時からは500円割引なので、6時40分くらいに入りました。せこい。
いつでも客席に入っていいことになっています。そこはマナーを守って、高座の切れ場まで後ろの席に座りました。
入場してすぐ中入り。 -
演芸中の写真はとれませんが、幕が下りている間客席を撮るのはOK。
1階は239席、2階は101席だそうです。全部自由席。
さっそく前の方に移る。 -
皆さんお弁当を食べ始めます。歌舞伎座と同じです。日本の大衆娯楽の伝統なのです。
一書に曰く、
歌舞伎座だって、お気軽なんですよね。本当は。
お気軽に、ちょいと寄って、合間に弁当食べて、「まってました~」とか言っちゃって、「いいおとこだねー」って、気分よく帰ってくればいいんじゃないかと思いますが、そうもいかない。
エレガント過ぎますね。やっぱりちょっとオシャレしてゆくところです。
その点、寄席は、仕事着で行けます。仕事帰りにちょっと寄ってゆくかって行けちゃう。
そこが、寄席のよいところです。
ということで、淺草演芸ホールは、仕事帰りらしき人、おじさんが多いです。
そして意外なことに、一人で来ている女性が、目につきました。しかも若いひと。
独りご飯どころか、独りお笑い。
よい時代になりました。
By妻 -
受付でもらったプログラム。
芸人さんの紹介が載っているもっと詳しいのを期待していたのですが、これしかない。出演する芸人がしょっちゅう変わるらしくて、こういう簡単なものしか作れないのではないか。
この夜も「マグナム小林」のバイオリン漫談が入っていました。だれの代わりか、よくわかりません。
丸一小助小時の太神楽と、桂小助の落語「井戸の茶碗」はプログラム通りでした。
ここから先は写真がありません。
舞台は撮影禁止なので、しかたがない。
「いろもの」にビックリ
▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲
淺草演芸ホールは落語の定席ですが、合間に「いろもの」が入ります。漫才、漫談、奇術、曲芸、音曲など。
まず「マグナム小林のバイオリン漫談」にびっくり。
舞台写真がないので、↓のホームページで見てください。
URLをはるとなぜか映像が自動的に出てきます。ようつべの規格らしいので、このままにしておきます。
「マグナム前で逢いましょう」
https://magnum-kobayashi.jimdofree.com/
松平健の「暴れん坊将軍」を、馬のいななきはバイオリン、蹄の音はタップダンスでやっています。
「ひとりで暴れん坊将軍やってみた」
https://www.youtube.com/watch?v=w6628syxOqY
「芸」です。
丸一小助小時の太神楽
▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼
一応URLを張っておきますが、簡単なプロフィールしか載っていません。
https://geikyo.com/profile/profile_detail.php?id=303
舞台を見てくれということなのでしょうが、せめてダイジェストくらい出してほしい。
YouTubeに一部がありました。https://www.youtube.com/watch?v=hUL0Vfqa9EA
実際の舞台はもっと繊細かつはらはらどきどきで、落ちそうで落ちない飾り物に、客席から悲鳴と拍手が上がりました。
一書に曰く、
by夫は、テレビが嫌いで、ニュース、スポーツ中継以外あんまり観ません。
私は、大喜利で有名な番組は、以前はよく見ましたけれど、いつの間にか観なくなりました。
昔の志ん生のCDなんかを、アイロンかけながら聞いたりしています。
そういうレベルの我々が、淺草演芸場で楽しめるのか?
楽しめました。
内容は、バラエティに富んでいて、飽きさせません。
舞台と客席が、薄暗さの中で、想像以上に近くなり、演じる人の個性が発光しておりました。
いかにも生。
ライヴであります。
By妻
パリで見たい
▲▼▲▼▲▼
「ムーラン・ルージュの、なにもしない犬を思い出さない?」By妻
なにも共通することはないのに、私もそう思いました。
1978年ごろ。息子が生まれる前で、二人でまだパリをふらついていたころです。ムーラン・ルージュで、なにもしない犬のショーを踊りの合間に見ました。
「この犬が輪くぐりをするよ!」と芸人さん。
犬は最初から最後までねそべったまま。
犬にわっかを通しました。
“Voila il a saute ! ”跳んだよ!
芸人さん一人大はしゃぎ。
なんで似ていると思ったのかな。絶妙な間とアイデアかな。
フォリ・ベルジェールの舞台に立つ
▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼
パリネタをもうひとつ。
私はフォリ・ベルジェールの舞台に立ったことがあります。
世界中から集めた選りすぐりの半裸(ほぼ全裸)の美女ダンサーと気の利いたいろもの。
「踊ったの?」By妻
ばかたれ!
1980年代初めだと思います。日本から来たお客さんのお供で行きました。
奇術か曲芸みたいなショーでした。イケメンの若い芸人さんが私に舞台に上がれと言ってきたのです。
どこから来た? 東京か? などという会話。注意を会話に引きつけておいて、さりげなく私の腕時計を外しました。
この手のショーを見たことがあるので、黙ってそのまま盗られておきました。
舞台を下りる時、芸人さんが私の耳元で小声で“Merci”ありがとう、と言いました。私が気づいているのを彼も気づいていたのです。
当然腕時計は返してくれましたよ。
井戸の茶碗
▲▼▲▼▲
最後のトリを主任というそうです。
今夜は桂歌助。
出し物は「井戸の茶碗」
五代目古今亭志ん生が得意にした落語です。名人芸と言われたそうです。そのカセットをBy妻がもっていました。
歌助の熱演には私は大感激、志ん生と聞き比べたBy妻の感想は、
一書に曰く、
「井戸の茶碗」は、ずいぶん元気よく、ハキハキシャキシャキでしたが、
笑いながらも、体力が続くか心配でした。
大丈夫でした。
落語に体力の心配をしたのは、初めてです。
一方志ん生は、出てきて
「え~」
と言っただけで、笑いが起きるんですからね。
体力は、必要なかった。
居るだけで、商売になるのは、志ん生と吉永小百合(By樹木希林)
By妻 -
写真右隅に「東洋館」という看板が見えます。
同じ建物の4-5階にあるいろもの専門の寄席です。ビートたけしや渥美清を世に送り出したストリップ劇場「淺草フランス座」の流れを継ぎます。
このすぐ近くには大衆演劇の「木馬館」や浪曲の定席「木馬亭」があります。
そのうち行ってみたい。 -
パリネタおまけ。
私たちの旅行記表紙の左隅に出てくるブタさんです。
パリのレ・アールのビストロ、Au Pied de Cochon(オ・ピエ・ド・コション)でもらいました。デザートについてきました。メレンゲです。可愛いからちょうだいと言ったら、四つくらいくれました。
Pied de Cochonとはブタの足。
はるか昔、オペラがはねたあと、Au Pied de Cochonで夜食を食べるのを楽しみにしていました。熱々のオニオン・グラティネ、そのあと氷盆にのった生牡蠣。
なにかの小説でこういう場面があって、かっこいいと思いました。
予約します。
フランスでは電話をかけるとき「しにあさん?」とか、いきなり相手の名を呼ぶことがあります。上品な言い方ではありません。
“Pied de Cochon?”
“Quoi?”クワ(なんだって?)
電話の相手のおっさん、ビックリしました。
番号を間違えました。
いきなり電話で「ブタの足?」
そりゃ、驚きます。
電話器に平身低頭して謝ったのは、いうまでもありません。
当時携帯はまだありませんでした。
一書に曰く、
ピエ・ド・コション。
ブタの足です。私は、もちろん食べませんでした。
私の父は、食べました。
何でも興味津々のひとです。
母に聞くと、中華の豚足も食べたことあるらしいです。
戦中派は、逞しいです。
ピエ・ド・コションは、お皿に、二つに割れたブタの爪そのままに、皮を剥かれて、ぎらぎらしながら、ころんと乗っておりました。
ギラギラは、ゼラチンらしい。
小骨ばっかりだったみたい。
二つに分かれても指ですからね。
味は、どうだったのかなあ。
あんまりは、おいしくはなかったみたいです。
By妻 -
右から始まる店名が歴史を語ります。
1921年(大正10年)に落成した神谷ビルそのままです。
翌日は打って変わっていい天気。
言問橋を渡って向島を散歩。このあたりは「堀辰雄紀行向島編」でまたあらためてやります。 -
吾妻橋で淺草に戻ってきました。橋の向こうに見えるのは、
-
お目当ての神谷バーです。
-
♪
-
吾妻橋交差点の角ですから目立ちます。
-
古めかしい外観と人力車がぴったり。写真を撮る外国人観光客もいました。神谷バーの素性を知って撮っているなら「むむ、おぬし、やるな」
-
神谷バーのホームページによれば、
★1921年(大正10年)
神谷ビル(現在も使用している建物)落成。★ -
ホームページよりお借りしました。大正時代の神谷バーです。おそらく開店のお祝い。
変わっていないですね。
1923年(大正12年)の関東大震災を生き延びたのです。 -
交差点向こうの交番です。その名も「花川戸交番」
助六が出てきそう。
スマフォ片手のお嬢さん、お国はどこか存じませんが、かっこいいですね。
お巡りさんに「写真撮っていいですか」
「どうぞ、どうぞ」
「すてきな、交番ですね」
「有り難うございます!」
さすが淺草のお巡りさん。
警視庁に提案。
交番のお巡りさんは、江戸町奉行所常町廻(じょうまちまわり)同心の衣装にしたらどうでしょう。着流しに朱房の十手。当然ちょんまげ。
東京都のお巡りさんから、イケメン中のイケメンを選んでください。
この日は4月なのに暑くて。これで宿に帰り、昼寝して出直しました。 -
ちょっと涼しくなったころ。
ラストオーダーが7時半と早いので、6時半に予約をとりました。 -
1階の神谷バーは予約を取ってくれません。2階のレストランカミヤはOK。
でも予約なしでも問題ないみたいでした。
一書に曰く、
神谷バーには、わざわざ、電話して予約していきました。
噂の神谷バー。るんるんで行きましたよ。
わたしなんか、ちょっとオシャレなんかしちゃって。
だってね。永六輔も、小沢昭一も話題にしてましたもん。
そしたらね、一歩入ったら、がらーん。
あれっ早かったかな?
それにしても、、、この雰囲気。なんか違う。
なんか期待していたのと、ち が う感じ。
なんだろね。
By妻 -
さっそく注文しました。デンキブラン。
なんか愛想ない。 -
メニューをバックにしてみる。これぞ神谷バー、というふうにならないかね。
-
飲み終わってひっくり返してみたら・・・
遅かった。
15センチくらいの小さなグラスです。
★明治15年、
創業者神谷傳兵衞が産んだ
浪漫の香り漂う
淺草を代表するカクテル★
(HPより)
名前の由来はいろいろあって、
★電気がめずらしい明治の頃、目新しいものというと"電気○○○"などと呼ばれ、舶来のハイカラ品と人々の関心を集めていました。★
(HP)
45度のブランディーをベースにしているので、飲むと舌がしびれる、だから電気、という説もあるとか。しかし私の飲んだ40度のデンキブラン・オールドでは、舌がしびれるほどではない。
多分目新しい説が正しいと思います。
カクテルのレシピは未公表ですが、この舌のピリピリ感はパスティスが入っているのではないかな。
詳しくは
デンキブランとは
http://kamiya-bar.com/denkibran.html
でどうぞ。 -
かんじんのお料理はというと。
いわゆる洋食。ハンバーグステーキです。
おいしいですが、ビックリするほど昭和ティックでもない。
1912年(明治45年)当時の神谷バー内部の写真がありますが、カウンターになっている。そこでなにを肴にデンキブランを飲んでいたのかな。ハンバーグステーキという料理は大正、昭和にはあったそうです。こんなものだったかもしれない。 -
レストランカミヤの内部。
-
レトロな雰囲気です。
「昭和のデパートの食堂みたい」By妻
レストランカミヤで洋食を始めたのは1960年(昭和35年)だそうです。
そのころはデパートの食堂の黄金時代だった。
いまはもう消え去ったデパートの食堂ですが、その生き残りなのですかね。
一書に曰く、
四人の男女が、もう始めちゃっている席の隣に案内されました。
店内が、よく見えます。
装飾は、ちょっとレトロで、すてきです。
あっちの角には、三人のおじさんが、ぐんぐん飲んで、できあがる寸前。
大声で、話していますが、なまってて、よくわからなかったです。
エーーっ、神谷バーって、こういうところなの?
飲み屋っぽいよね。
で、お隣の、男女混合四人組の注文のスパゲティが来ました。
大皿で、どーん。ナポリタンみたい。
と、四人が、おもむろにお箸で、それぞれ小皿に取り始めました。中華料理かな。じっと目をこらしますが、やっぱりナポリタン。
四人は、家族ではなかったです。
最後に割り勘にしてました。
そこで、もう一度、店内を見ると、なにやら懐かしい。うーん、どこだったっけかな。
そのとき、さっきの 三人組、「おっ時間だ。」とか言って、そそくさとでてゆきました。
電車の時間を待ってたみたい。
東武線の出発駅だものね。
見ると、店内は、駅の待合室に似てるかも。
そして、まだ小学生だったころ、親に連れられて行った、デパートの食堂。
あれですよ。あれ。
駅の待合室も、デパートの食堂も、あの頃は、豪華だった。すてきだった。
お城のように、見えたモノですよ。小学生の私には。
今も、神谷バーは、きれいでした。ピカピカでした。
でも、年を経て、小学生は、おばばになり、お城は、神谷バーになったのであります。
物置の奥から、おもいがけずランドセルが出てきた気分。
そして、それが、思いがけず傷んでいなくて。
あの頃の、あのこと、このこと、思い出が黄昏の中から、浮かび上がる神谷バーでした。
結論!神谷バーは永遠です!
ずっと変わらないで居てください。
また行きます。きっと行きますから。
By妻
パリのかほり
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私たちは36年間パリで暮らしました。パリと東京にはなにも共通点はありませんが、なんとなく淺草とパリの古い町には同じ雰囲気を感じるのです。
一書に曰く、
淺草とパリって似ていると思います。
パリと言ったって、シャンゼリゼからルーブル、エッフェル塔、、、
いろいろありますが、淺草は、サクレクール、テルトリ広場のあるあたり、モンマルトル界隈によく似ております
宗教施設があって、歓楽街がある。すると、劇場もございます。
日本のコメディが、淺草のストリップ劇場から出てきたように、フランスでも、クレージーホース、ムーランルージュの女性の出し物の合間に、コメディがはさまれておりました。
あ、逆だ。日本は、フランスのまねをしたんですね。
両方とも、人間の欲望渦巻く町。
淺草は、今や上品な観光地で、凝った作りの住宅ばかりでした。
モンマルトルだって、ピガールをはずれて一本路地を越えると、洒脱な住宅街になります。昔のことですが、ダリダという売れっ子歌手が住んでいたとか、友だちのおばあちゃんが、カッコいい!とうらやんでおりました。16区は、「○ソッ!」だそうです。金持ち地区はダサイ、という意味らしい。
今思えば、モンマルトル近辺は、粋ってことだったかと。
By妻
パンの会
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明治末のころ、東京下町にパリのイメージを重ねる作家、画家がいました。
1908年(明治41年)から数年間、北原白秋、木下杢太郎などの詩人、森田恒友、高村光太郎などの画家・彫刻家がこのあたりの西洋料理屋に集まって酒を飲みました。パンの会と言われます。
東京下町をパリ、隅田川をセーヌ川に見立てて、反自然主義、浪漫主義の気炎を上げたそうです。
1908年ではメンバーのだれも現物のパリを知りません。木下杢太郎が医者としてパリに留学したのは1921年-24年です。
森田恒友のパリ留学は1914-1915年。
高村光太郎は1年の滞仏経験がありますが、パンの会に参加したのは帰国後の1909年です。
印象派の絵画や文学作品の影響で、江戸情緒の残る下町と隅田川にパリのイメージを重ねたのでしょう。
現在の隅田川とセーヌ川に、大都会を流れる大きな川以外に共通点などありません。
淺草・両国あたりの町並とセーヌ河岸、なんにも似てないなあ。
でもなんとなく、100年以上前の若い芸術家が、強引にイメージを重ねようとした気持ちが分からないでもありません。
残り香を探すなら、神谷バーと浅草寺の仲見世ですかね。1908年にはありました。
しかしパンの会の連中が、神谷バーでデンキブランを飲んだという記録はありません。
一書に曰く、
この頃の隅田川は、きれいだったのですよ。
なんとか流という、日本の泳法を、隅田川で習ったという人を存じ上げております。立って泳ぐそうです。
オリンピックには適していません。
セーヌ川にも、ポン・ヌフ、アレキサンドル三世橋、ポン・デザール、、、
隅田川にも、厩橋。蔵前橋、両国橋そして、言問橋、、、
いずれの川にも、ゆかしい橋がかかっております。
それが歴史というものでしょうか。
「パンの会」って、ご飯をやめて、パンを食べようって言うのではありませんよ。
って、文学史を習った時の先生の言葉。
パーンの会が、正しいのです。
パーンは、半分山羊、半分人間の姿をした神様で、笛が得意で、音楽と詩を得意とするのでなかったでしょうか。
パニックのもとになった神様ですが、パーンがうろたえ騒ぐ有様が、パニックだったか、パーンの呪いで、人間がパニくるのか、忘れてしまいました。
ということで、芸術家が信奉するのにぴったリなのですが、同じ分野のアポロンにしなかったところに、謙虚さがでているのかな。いやいや、あえてのパーン。
気取って、気負って、我こそは!
の思いの会だったのでしょう。
彼らも若かった。日本も若かった。
By妻
青木繁
▲▼▲ -
ここで脱線です。
私たちは以前青木繁の追っかけをやっていました。そのとき覚えた名前が出てきました。
1904年夏、繁が房総米良に滞在して「海の幸」を描き上げた時、一緒に切磋琢磨したのが、坂本繁二郎、福田たね、そして森田恒友でした。
1904年(明治37年)繁が「海の幸」を発表したころから、杢太郎は繁と付き合いがありました。杢太郎19才。繁の才能を早くから見抜いて、尊敬していたのです。
1908年というと、青木繁は家族のしがらみに縛られて故郷久留米に帰っていました。絵が評価されなくて、失意の都落ちでした。
虚しいifですが、絵が売れて、東京に残っていれば、そして繁がもう少し謙虚であれば、杢太郎、恒友は繁をパンの会に誘ったのではないですかね。
「浪漫主義」の絵とくれば、青木繁です。
萩原朔太郎
▲▼▲▼▲
★
一人にて酒をのみ居る憐れなる となりの男になにを思ふらん
(神谷バァにて) 萩原朔太郎
★
神谷バーのHPにあった歌です。朔太郎20代。
出典が分かりませんでした。
★
ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背廣をきて
きままなる旅にいでてみん。
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに。
★
引用は「青空文庫」版
1925年(大正14年)の詩集「純情小曲集」にある「旅上」
冒頭の、
ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
とそれ以下の7行が直接結びつきません。フランスがドイツでもかまわない。
朔太郎はなぜフランスにしたのだろうか。
今も昔も、神谷バーを出ると隅田川です。
隅田川の河岸で、数年前この河を舞台に気勢を上げた若い芸術家たちへの憧憬があったのではないか。
1908年、朔太郎22才、まだ詩人として走り出していませんでした。
パンの会には遅すぎたのです。 -
たっぷりビールを飲んで、ふらふらしながら仲見世を通りました。
8時半過ぎると人通りもまばら。
浅草寺も静かでした。 -
お参りするならこの時間ですよ。
-
すかいナントカというそうです。
杢太郎も、恒友も、朔太郎も、100年ちょっとあと、このようなものが淺草の夜空にそびえるとは思っていなかったでしょう。 -
奥山おまいりまち。
門の奥が六区と呼ばれた歓楽街。19世紀末から20世紀にかけて、見世物小屋、劇場、映画館などが並んでいたそうです。
パンの会の若い芸術家たちも、遊びに行ったでしょうね。
私たちのホテル、リッチモンド淺草のネオンが見えます。忙しい一日が終わりました。門をくぐって帰りました。リッチモンドホテル浅草、コンパクトないいダブル by しにあの旅人さんリッチモンドホテル浅草 宿・ホテル
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この旅行記へのコメント (10)
-
- 前日光さん 2024/09/04 16:07:54
- 神谷バーの電気ブラン
- しにあさん&by妻さん、ご無沙汰しておりました<m(__)m>
5月のもらい事故以来、動かない(動けない?)生活が続いて筋力が低下し、たまに歩くと、横溝正史のミステリーに出てくる鬼首村の腰の曲がったお婆さん状態になってしまいました。
もっか体幹を鍛えるリハビリに励んでいます。
そうは言っても長女一家の引っ越しが8月31日にあったので、台風の中前泊で30日から31日、そして一向に片付かないので9月1日にまた上京しました。
孫姫の子守要員として行っただけで力仕事は全くできませんでしたが、なんとか人が住めるようになったようです。
さて歌舞伎座に行かれたようですね。
私は義理の甥が国立劇場関係者なので、そちらで一度だけ歌舞伎を見たことがあります。
確か尾上家一族の舞台だったような?
それから出雲神楽の東京公演を見に行ったこともあります。
ちなみに、その時はお弁当は食べませんでした。
そして神谷バーです!
神谷バー界隈は東武線利用者なので、お馴染みです。
浅草の駐在所も羽田空港に行くときには、いつもあの前を横切って地下鉄の京急羽田線に乗ります。
昔は上野・赤羽が東京の拠点でしたが、鹿沼市に住むようになってからは、もっぱら浅草・北千住が私の東京における拠点となりました。
浅草がパリに似ているとは、うれしいようなコソバユイような気分ですが、パリに行ったことはありませんが、なんとなく分かるような気がします。
神谷バーですが、ずっと気になっていて、たぶん大学を卒業してからだったと思いますが、ともだちと一度行ったことがあります。
やはり「電気ブラン」って何よ?の好奇心で飲んでみましたが、特にひどく感動したということはなかったような?
ただこういうものだったのか!という長年の疑問は氷解いたしました。
最近体調が思わしくないので東京歩きとも縁遠くなりましたが、せめて腰がもう少し正常な状態になったら、ゆっくり東京散歩してみたいです。
何事も体調がよろしくないといけませんね。
10月には県内某所での文学講座で、「文学の舞台を訪ねて」というタイトルで90分3回の講座を頼まれています。
これからその準備もしなければならないので、旅行記作成も皆様へのご訪問もおろそかになることと思います。
でもその前に、まず体幹を鍛えることが先決です。
そんなわけで、あまり旅行記とは関係のない話になってしまいましたが、ぞうぞご容赦を! では(^_^;)
前日光
- しにあの旅人さん からの返信 2024/09/04 17:28:11
- Re: 神谷バーの電気ブラン
- 孫姫様の子守ができるなら、まだまだ大丈夫です。しっかりリハビリして、4トラへの復帰をお願いします。
動かない生活はこちらも同様です。
この暑さですから散歩にも出られません。なんとか秋まで生き延びて、
週3回の散歩ができるようになりたいと思っています。
9月1,2,3と淺草にホテルをとって、このシリーズの続きの旅をする予定でしたが、台風で取りやめにしました。10月に再度チャレンジします。
淺草が縄張りなのですね。花川戸の交番も神谷バーもおなじみとか。
デンキブラン。話に聞いていたので、期待ワクワクで飲みました。
「ん?」という感じですね。
要するにカクテルですから、それにまつわる物語が大事です。
お高いフランスワインは、付属するウンチクが99パーセント。
同じようなものでしょう。伝説となった神谷バーで一杯飲む。それでいいのです。
朔太郎は神谷バーで飲んでいたらしい。それで十分です。
最近淺草に凝っています。
木馬館や木馬亭、大衆演劇、浪曲の常打ち小屋に行くつもりです。
「大衆演劇」という言葉に引っかかっています。
そもそも芝居というのは大衆向けで、それをなぜわざわざ「大衆演劇」というのか。例によって、ひねくれてみたいと思っています。
-
- mistralさん 2024/06/05 22:38:14
- 浅草ご滞在。
- しにあの旅人さん
コメントを書きますのはお久しぶりとなります。
このところ、しにあさんの旅行記に食いつくには?あまりに勉強不足でして、、、
それでも拝読だけはして来ていました。
今回は、えっ、東京?と一瞬目を疑ってしまいました。
それも一泊されての旅行記ですから、こちらも気合を入れてお邪魔しました。
歌舞伎をご覧になって、ひと休みされて夜は浅草演芸ホールでお笑いを。
なんて粋な一泊でのご滞在でしょう!
もしかしたら一泊されなくても、そのままお帰りにもなれそうですよね。
夜の、雨で濡れた舗道に映りこむ演芸場が、なかなかイカしていますね。
そして今回初めて知ったのが、プロフィール画像のいわれ。
Au Pied de Cochon で出されたデザートのメレンゲだったんですね。
どうやら可愛らしい豚さんが2人、とは思っていましたが、まさかメレンゲ製だったとは。
更に神谷バーの2階にレストランがあった事も初めて知りました。
予約をされていらっしゃったのはさすがです。
一階は賑わっていてゆっくり過ごすにはちょっと落ち着かないですものね。
浅草がモンマルトル界隈に雰囲気がよく似ている、とのしにあさんの説には
何十分の1も知らないmistralですが、同意いたします。
浅草に若き日の芸術家たちが集まってきたのも頷けますね。
夫の敬愛する杢太郎さんも「パンの会」のお仲間さんと、神谷バーで
電気ブランを飲んだかもしれませんね。
mistral
- しにあの旅人さん からの返信 2024/06/07 14:51:25
- Re: 浅草ご滞在。
- こちらこそご無沙汰しております。
1泊しなくても帰れますが、あまりに強行軍ですから、淺草暮らしとしゃれました。
東京で泊まりがけで旅行なんて、歌舞伎、寄席見物以外にはないでしょう。
これからも上野などの寄席回り、楽しむつもりです。
Au Pied de cochonのブタさん、かわいいでしょう。たしかアイスクリームの上に乗っていました。7年くらい前のフランス旅行の思い出です。
「Le chien qui fume タバコを吸う犬」というこれまた変な名前のレストランが、レ・アールにあります。
両方とも、パリにいらしたら、お勧めです。
名前だけでもブログネタになります。
神谷バーは、ほんとは1階のバーに行きたかったのですが、予約をうけてくれません。そうとう混雑していそうで、2階にしました。8時過ぎにちょっとのぞいてみましたが、入り口近くの席までいっぱいでした。
次回トライしてみます。
明治から有名なのは1階のバーです。
ご主人は杢太郎の愛読者なのですか。
実は私は青木繁との関わりで調べただけで、作品は知らないのです。医学者としても立派な仕事をしたそうですね。
杢太郎には「パンの会の回想」という小文があって、青空文庫になっています。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000120/files/1394_20691.html
残念ながら神谷バーには触れていません。しかしパンの会に顔を出していた人物名はすごいもので、日本近代文学史の名簿みたいです。
こういう芸術家が集まって酒を飲んで議論をしていたんだなあ、と思いました。
淺草モンマルトル似ている説が支持されてうれしい。
どことなく雰囲気が似ているんですよね。どこが似ていると言われるとこまるのですが。
- mistralさん からの返信 2024/06/09 10:29:32
- RE: Re: 浅草ご滞在。
- しにあの旅人さん
おはようございます。
コメントさせていただきました折、夫は杢太郎さんを敬愛している、などと書きましたら、
しにあさんからのご返信が。
敬愛、なんて言葉、普段使わないですが、夫にいつか聞きましたら、まあそうだねと同意。
杢太郎さんと書くのはあまりに失礼な、とも思ってしまいます。
夫にとっては同業の大先輩。更に詩を編まれ、その上画集まで出される程の絵の才能も。
ちなみに夫はその画集まで所持している程の、伊東にある生家を訪問する程の敬愛ぶりです。
以下のurlは天草を旅したおりの旅行記で、
そこで白秋さん始め杢太郎さんたちが天草を旅して、「五足の靴」なる
紀行文を著した時のその地だった、と夫が知った、などと書きました。
https://4travel.jp/travelogue/11832142
改めて下のコメントを読みましたら、しにあさんからもコメントいただいておりました。
神谷バー、その名に惹かれて?興味を抱き、行きました。
当時は予約なんて考えずに、当然一階の大賑わいの中で席を探して、電気ブランと
何やらおつまみになりそうな物を注文した記憶が。
次回行くことがあるなら、2階席でと思った次第です。
mistral
- しにあの旅人さん からの返信 2024/09/17 15:49:20
- 木下杢太郎
- また堀辰雄をほじくり返しています。
昭和25年4月4日付け中村真一郎→堀辰雄・多恵子あての書簡に、
★木下杢太郎全集有り難く頂戴致します。★
というのがありました。(来簡375p420)
文面から堀辰雄は木下杢太郎全集をもっていたことが分かります。
目下のところ杢太郎と辰雄の接点は分かりません。杢太郎はキリシタンを研究していたそうですが、辰雄は晩年キリシタンものの小説を構想していたようなので、そのあたりかもしれません。
別にどうってことない情報ですが、偶然見つけました。
- mistralさん からの返信 2024/09/18 22:56:37
- Re: 浅草ご滞在。
- しにあの旅人さん
こんばんは。
堀辰雄さんのことも、まだまだお調べになっておられるんですね。継続した調査力は、きっといつの日か大発見につながることでしょうね。
堀辰雄さんが木下杢太郎全集を所有されていたとのこと。
五足の靴のメンバーが天草へ渡りキリシタンのことを調べようと計画して行った背景には杢太郎さんの影響が大きかったようでした。同じように堀辰雄さんも新たな小説執筆のヒントになるやも、と思われたのかもしれませんね。
やっとこのところ朝晩は過ごしやすくなってきて、ホッとひと息つけるようになってきました。
この秋の調査旅行のご計画は、進んでおられますか?
mistral
- しにあの旅人さん からの返信 2024/12/01 10:23:20
- Re: 浅草ご滞在。
- 堀辰雄をほじくっている副産物です。
辰雄は生前、多恵子が見つけやすいように、自分の蔵書の目録を作っていました。
その分類表に
中分類「キリシタン物」
小分類「耶蘇会通信」(木下杢太郎)
というのがあります。
内容不明です。わざわざ小分類を立てているので、杢太郎編纂のシリーズ物みたいな感じです。
中分類「キリシタン物」には81点がリストアップされていて、そのなかに木下杢太郎訳として、
「日本遣欧使者記/グワルチェリ著/昭和8/岩波書店」
「日本書簡/ルイス・フロイス著/昭和6年/第一書房」
著作として、
「エスパニャ・プルトガル記/昭和4年/岩波書店」
があります。
したがってこれとは別のシリーズみたいです。
中村真一郎にあげちゃった杢太郎全集も含めて、そうとうキリシタンと木下杢太郎を勉強していたみいです。
その研究の成果となる作品を読んでみたかったです。
- しにあの旅人さん からの返信 2024/12/02 16:32:19
- 続き
- 岩波の25巻全集の目次には「耶蘇会通信」に該当する著作はありませんでした。これは多分堀辰雄が立てた小分類で、ここに杢太郎の耶蘇会に関する著作を集めようとしたのではないかと想像します。集める前に本人が死んでしまいました。
キリシタンもの以外では杢太郎の全集、詩集などが11点ありました。昭和26年の岩波版全集12巻をもっていました。全集が2セットあったので、一つを中村真一郎にあげたということみたいです。
- mistralさん からの返信 2024/12/02 22:41:14
- Re: 浅草ご滞在。
- しにあさん
こんばんは。
堀辰雄さんをほじくっておられると、交友関係がらみで
色々な著名人が出てくるんですね。
杢太郎さんの情報をお知らせくださってありがとうございます。
この情報は夫宛と思いまして伝えさせていただきました。
しにあさんと同様に、興味あることに出会うと、我が夫も
深掘りするタイプでして、
そんな時にはまわりが見えなくなってしまうのも同じです。
普通でしたら知っていそうなことを知らずにいて、
かと思うと、思いがけないことまで知っている!
先日、また大津に行ってきましたが、商店街ツアーなるものに参加。
そのツアーの案内人の方と様々な話題で盛り上がり、
商店街を歩くのが時間不足となりました。
そんなあれこれの話題の中、「大津事件」なる事件の話になりましたら、夫はその顛末を知っておりました。
もしかしたら、しにあさんもご存知なのではないかと思い、
書いた次第です。
余分なことで失礼しました。
mistral
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