2024/06/01 - 2024/06/01
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pedaruさん
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一部の方はご存じだと思うが、加齢なる一族という題で老人の男兄弟がつるんで年に一度くらいは温泉などに行くという旅行記を作成してきた。
コロナによる中断が長かったのでようやく、そろそろどうだ、と言う声が聞こえてきたが、時すでに遅く、加齢なる一族の一角が崩れはじめた。
長兄が癌に倒れ、一か月もしないうちに他界してしまった。死の直前まで元気に会話を交わし、まさかこんなに早くとは想像できなかった。
子供の頃の私の田舎は、関東平野の利根川と渡良瀬川に挟まれた見栄えのしない城下町だが、古い物を憎むかのように、建築物や城の堀などを撤去したり埋め立てたりしてきた。
大辻と呼んでいた町で唯一の繁華街は、いまでは老舗の数々の店が取り壊され、跡には駐車場が広がっている。「かどや」と呼ばれる疑似西洋館もとうに壊され、向かいにあった「中将湯」という味のある洋館の銭湯も先日前を通ったら無くなっていた。
子供の頃の記憶では町には3つの映画館があった、ひとつは大映と言って、昔の芝居小屋「富貴座」を改装した古風な映画館だった。正月など大勢の人が押しかけ、二階まですし詰め状態で、子供などは押しつぶされるのではないかと思われるほどの今思えば危険な状態だった。この建物の前には、金網で囲われた中に七面鳥が飼われていた。次にクラブという名の映画館、そしてキネマと呼んでいた映画館もあった。
このキネマの入り口の横に、支那そば屋があった。(当時はそう呼んでいた)あるとき兄が「支那そばを食べさせてやる」と言って入ったのがこの店であった。
外食など夢のような出来事で、一度も経験がなかったので、ドキドキしながらテーブルを前にした。出てきたのは熱々の湯気の立つどんぶりに入った麺だった。「ほれっ 食べろ」、兄はひとつだけ注文して弟が食べるのを満足そうに見ていた。少ない自分の小遣いをはたいて自分は食べずに弟に食べさせたのである。・・・・どこの国のお話じゃ??
もひとつ食べ物で忘れられないことがある。母は弟と私を連れて、大辻に買い物に出かけた.ある果物屋の前にバナナが並んでいた。
当時バナナは高級品だった、母は一本買い求めた、皮をむいて半分ずつ私たちに手渡した、えっ、いいの?初めて口にしたバナナ、芳醇な香りのする頬の落ちそうなとろけるような味、この世にこんな美味しい物があったのか?
私の人生でこのバナナを超える美味に出会ったことが無い。
兄にしても母にしても幸せな瞬間を味わったのは、彼ら自身ではなかったか、と今は思っている。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自転車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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前回千葉県には700もの貝塚があると述べましたが加曾利貝塚、姥山貝塚、堀之内貝塚そしてこの曽谷貝塚などが代表的な貝塚です。
これから初めて聞く名の小さな貝塚を巡ってみます。 -
弁天池公園の脇の紫陽花が綺麗です。
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すぐに「池ノ台遺跡」に着きました。
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細い道路わきに標識のみが立っています。
縄文時代前期(6500年前)と古墳時代後期から中期ころの集落跡です。
これまでの調査で古墳時代の土師器、須恵器などや縄文土器が出土しています。 -
僅かに残った森の一部、貝塚の匂いがします。
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ありました、標識は電柱に遠慮して内側に立っています。
「堀込遺跡」です。縄文時代後期(約4500~3500年前)の加曾利式土器や石器
古墳時代の土師器などが採取されました。 -
自転車を少し走らせるとのどかな農地にでました。
https://youtu.be/U2ItozNd1ng -
道路の下には武蔵野線が走っています。そのそばには
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「新堀込遺跡」です。縄文時代中期~後期初頭にかけての地点貝塚です。
加曾利E式、称名式土器片などが採集されています。 -
矢切の渡しの絵のマンホールのふたです。
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一体どの辺にあるのか、何処も平凡な田舎道、おや?なんとなく期待できそうな横道を発見。失敗覚悟で入ってみます。
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少し走ると雰囲気の良い鄙びた神社が見えて来ました。
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となりは緑色のポストのある家があります。本物のポストではないか、郵政民営化のときに、退職金に加算されたのが現物支給のポスト。赤いままだと投函する人が絶えないので、緑色に塗り替えたという。なぜ緑色か?地球温暖化を防ぐ一助として、緑を増やしたんだと。この話は想像だけどね。
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木立に囲まれて静かにたたずむ村の神社。住民の精神的支柱になってきました。
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ポツンと白い標識のみが立っています。ここが「紙敷貝塚」です。
縄文時代中期から晩期、(5000年から2100年前)にかけて長く営まれた遺跡です。
なかでも中期は馬蹄形に広がる貝塚を伴う集落だったそうです。
昭和25年、故酒詰仲男博士によって発掘調査が行われました。 -
綺麗に開墾された畑にあるのは「根の神台遺跡」です。
縄文時代中期の遺跡で、北総線工事にともなう発掘調査により、住居跡2軒、炉1か所,土抗2基と縄文土器が検出されました。 -
いかにも美味しい野菜が栽培されそうな美しい土、ここで縄文人たちはこの同じ青空を見上げて、農作業をしていたのか?いや、中期では農業はまだかな?
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道がややカーブした所にある「中峠遺跡」です。
縄文時代中期(訳4500年前)の遺跡で、人骨、土器が発掘されました。 -
ここで、クイズです。これは何と読むでしょう?
ピンポーン! そうです「なかびょう遺跡」と読みます。 -
自転車で散歩?するとき何十年前から目にしていた長屋門が修復されてありました。
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朽ちるにまかせて放置状態だったので、その維持が大変だと心配していましたが、
意識の高い住人らしい。 -
半面母屋は解体中でした。残念ですが、快適な住居を新築する権利は誰にもあります
ものね。 -
途中日蓮宗の立派な建物を有するお寺の前を通りました。
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これでも紫陽花の異種だと言う花を見ながら走ります。
柏葉紫陽花というらしい。 -
高台の畑越しに見ると母屋の茅葺屋根だけが見えた農家、昔から気になっていた
家が公開されています。まずは立派な瓦屋根の門をくぐって入ります。 -
門をくぐると、沢山の植木が日光を遮って、ひんやりとした風を感じます。
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これは「旧斎藤邸」と呼ばれる古民家です。東京芸大の学長だった斎藤雄三氏が買い取り母屋の増築、庭の整備が行なわれ、平成10年松戸市に寄贈されました。
と係の人に聴きましたが、ネットで調べると芝浦工業大学工学部教授だったとなっています。さぁ、どちらを信じるか? -
年配の男性が一人、番をしていて見学者ひとりの私にいろいろ説明をしてくださいました。
敷地5500平方mの古民家は明治34年の建築です。 -
鴨井は農家らしい重厚な作りです。
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ほとんどが畳敷きになっており、部屋には自由に入り見学することが出来ます。
入場は無料です。運営費は民間の人たちの善意の寄付によって維持されているそうです。松戸市民を尊敬したくなります。 -
広い板の間がありました。恐らくここは元は土間だったと思われます。
母の実家も同じような雰囲気ですが、玄関を入ると、三和土(たたき)になっています。コンクリートではなく土を固めた土間です。どこの家の三和土は表面が細かい
球状の土です。自然にできる形状です。 -
母屋は茅葺屋根を有し、紙敷地方の典型的な農家の建築様式を踏襲しています。
平成29年、古くからの地域の景観を今に伝えるものと評価され、国の登録有形文化財に指定されました。 -
縁側の上部には檜の丸太が使用されています。貴重な建築材です。
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丁寧な加工を施された板戸、
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欄間にも同じような加工が見られます。障子紙を貼ってあるのが珍しい、欄間って
隣室との空気のながれを助ける役目をするんじゃなかったかな? -
デザインが工夫されていて、オシャレですね。
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この家を描いた油絵がありました。
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木立に良く馴染んで、心地よい住宅です。
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裏へ回ると屋根には草が生えて、緑の野原を乗せたようでした。葺き替えもお金と労力がかかりそうです。
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庭は広く、様々な植木が手入れが行き届いています。花の季節にはそれを目当てに人が集まるそうです。
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次の貝塚を探してここまで来ました。
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「西金楠台遺跡」です。
縄文時代中期末~後期初頭(4000年~3000年前)の集落跡。
昭和48年の調査によると住宅跡、小竪穴、土器、石器類が多数
出土しました。 -
高台を上りきると、「河原塚遺跡」です。
縄文時代の貝塚です。発掘調査により、住居跡、土坑、土器、石器などが多数発見されております。 -
子の貝塚の中には古墳が築かれているそうです。
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この辺では最も高い土地の部分です。坂の向こうには街並みが見えます。
一体どこに古墳はあるのでしょう、らしいところをやたら写真を撮ります。 -
中学校に入ると、奥の方に小さな丸い土の山が見えました。
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「河原塚古墳」
古墳時代後期初頭の円墳です。下の方をブロックで囲ってあります。
果たして正しい方法だったのか?疑問が残ります。 -
坂を下って
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着いたのは「新田前遺跡」キャベツ畑の中にあります。
縄文時代前期~中期(6000年=4100年前)と古墳時代中期の遺跡です。
住居跡と土器に加えて土師器と滑石の剣が発見されたそうです。
それにしても滑石は柔らかい石ですから、実用には適さなかったでしょうね。 -
遺跡の辺りは今ものどかな雰囲気です。
古代人の子孫が畑を作っていました。 -
川沿いに走ってくると、
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コアラの絵のマンホールがありました。
なぜコアラなのか?松戸市の公園にはユーカリの木が多いのに気づきます。
松戸市はオーストラリアのホワイトホース市と姉妹都市の関係にあり、50年を経過しました。昭和59年に作られたコアラとユーカリは市民に親しまれております。 -
小高い台地が見えてきて、展望台があります、との表示を見て、石段を登ってみることにしました。
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私には急な階段でしたが、「だから年寄りは」などと転んで非難されないように慎重に、かつ頑張って登り切りました。
しかし下りの石段のことは考えていなかったので「だから年寄りは」と言われないように手すりをしっかりつかんで、慎重に下りました。 -
展望台と言う割には竹や雑木に眺望が妨げられていて、年寄りが頑張って登るほどの
価値は無いように思われました。
https://youtu.be/D0p-CWDe9jc -
「21世紀の森の広場」の上に懸かった橋の上を走ります。次の目的地はさっきの貝塚とは離れた方向です。
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自然を利用した大きな公園です。今日は何かのイベントがあるのかな?屋台などが出ていますね。
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柏市に近いところにこの公園はありました。この山を登ると・・・
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異様な作品が置かれています。もしかして子供の作品か?あるいは貝塚の住民の作品か?
「貝の花貝塚」です。 -
謎の石像に別れを告げて帰ります。
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西洋キンシバイと言うらしい花が咲いている道を走ります。
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この旅行記へのコメント (25)
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- しにあの旅人さん 2024/09/06 15:20:25
- 常磐線松戸
- 利根川と渡良瀬川に挟まれた城下町、というのが佐野ですね。吾妻村はいまでも痕跡を残しているみたい。「日本料理吾妻」や「吾妻地区公民館」などがある。
このあたりで幼いPedaruさんが映画を見たり志那そばを食べていたのか、ふむふむ・・・
バナナは我が家でも高級品でした。母は果物が嫌いな人でしたが、バナナだけは食べました。我が家にはそんなお金があったとは思えないのですが。
障子の張ってある欄間ですが、格子欄間というはず。取り外せるようになっていませんでしたか。夏は障子を剥がして風通しをよくする。冬は障子を張って、暖かい空気が逃げないようにする。
常磐線我孫子の近くにBy妻の両親が住んでおりました。私たちも短い間ですがこの家におりました。松戸は往復顔なじみ。
「家にトイレが必要なように、東京には常磐線が必要だ」と言われておりました。ひどいと思いませんか。でもなんとなくそういう気がする。
名前がよくない。濁音が二つもある。
「はいはい、トイレに住んでいて、悪うござんした」とひねくれておりました。
松戸はしたがって通り過ぎるだけでしたが、一度だけ行きました。ヤマトタケルをお祀りしている神社まいりです。
高龗(たかお)神社。この神社は月曜日と水曜日は定休日でした。はっきり社務所に書いてありました。行ったら休み(無人)というのはよくありますが、定休日がある神社は初めてで、目下のところ最後です。宮司さんは女の方だったみたい。
松戸神社にも行きました。タケルくんが東征の帰りにここで従者と待ち合わせをしました。『待つところ』が転じ、『まつさと』→『まつど』→『松戸』と称される由縁になった、そうです。
千葉県神社庁が言っています。聞いたことありますか。
街中の神社でしたから、水商売の飲み屋のおかみさんという感じのひとがおまいりしていました。
- pedaruさん からの返信 2024/09/07 12:51:26
- RE: 常磐線松戸
しにあの旅人さん こんにちは
渡良瀬川と利根川に挟まれた町といえば、大泉町、板倉町、そして館林市、太田市が思い浮かびます。佐野市は渡良瀬川の北になるでしょうか。誤解を招いて失礼しました。
紙の貼ってあるのは格子欄間とは、この歳になって初めて聞きました。季節が変われば手間暇かけても住みやすくするという我が先祖に敬意を払いたくなります。我が家では障子の紙に爪をたてるので、貼りなおすのですが、元の木阿弥、最近では破れたままにしておりますが、ご先祖様に叱られるでしょうね。
安孫子は自転車で何度か行きましたが、手賀沼の畔は文人が愛し、武者小路実篤や志賀直哉など白樺派のひとたちの別荘などがありますね。
常磐と聞くと、常磐炭坑節がなぜか思い浮かぶのは、人間が古い証拠だとおもっております。松戸はなんとヤマトタケルと関係がある?やはりそう来ましたか?日本人男子に
タケルと言う名前が多いのも、日本武尊から来ているのでしょうか?でも尊君も武尊君も
名前には使っていませんね、やはり恐れ多いと思われているのでしょうか。
>『待つところ』が転じ、『まつさと』→『まつど』→『松戸』と称される由縁になった、そうです。
しにあさんがそうおっしゃるのだから信憑性がありそうですが、にわかには信じられません。神社庁が言ってましたか?では半信半疑というところです(笑)。
pedaru
- pedaruさん からの返信 2024/09/08 06:06:33
- RE: 常磐線松戸
- >我が家では障子の紙に爪をたてるので、貼りなおすのですが、元の木阿弥、最近では破れたままにしておりますが
爪を立てるのは猫です、主語が抜けるのは、会話でも多々あり、これだから年寄りは、と
子どもたちからは馬鹿にされます(笑)。
-
- 白い華さん 2024/09/06 04:04:34
- 『貝塚 & 古墳』を 探す! ご近居・・旅。
- お早う御座います。
pedaruさん。『加齢なる・・ご兄弟』も、この度・・の ご逝去。
残念・・でしたね。
- 白い華さん からの返信 2024/09/06 04:19:45
- 「長文・・が 当たり前!の 私」が。「ごめんなさい 続き・・です」。
- 続き・・を 書かせてもらいますね。
そうそう。『加齢なる・・ご兄弟』も、寝込んだり、苦しんだり・・が 無かったそう。で、それ!は それ・・で 良かった。し、
「そう・・なりたい」って 思いますよね。
誰も・・の 理想『ころっ!と 死にたい』に、憧れますよね。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ペダルを 踏んで、巡った・・『貝塚 & 古墳』を 探す! ご近居・・旅。
お疲れ様!でした。
ご近所・・の 私。としては、
けっこう「知った! 風景」も 登場する。のが、楽しかったです。
小さな『貝塚 & 古墳』って、
「公園 ? 広場 ?」って、感じ。で
「放置されて、関心・・がない!人」が ほとんど。
だけど
こうして、『貝塚 & 古墳』に 照準・・を 当てて、
ご近所!を 『一つ!の 小さな・・旅』として、巡ってみる。
その・・センス!が「素敵」って 思う・・私。でしたよ。
「旅!に テーマ・・が ある」と、
「見えない・・もの。も 沢山、テーマ・・を 掘り下げるコト」で
「見えてくる」ってありますからね~。
『遠くへ・・。世界へ・・と 旅する!だけ。が 旅・・じゃ~ない』
を
pedaruさん。の「ご近所! 旅」で 改めて・・感じるのでした。
これからもよろしくお願いします。
- pedaruさん からの返信 2024/09/06 16:50:27
- RE: 「長文・・が 当たり前!の 私」が。「ごめんなさい 続き・・です」。
白い華さん こんにちは
遠くへ行くばかりが旅ではない、ご近所巡りでも旅です。なんて優しいお言葉でしょう。
もちろん遠くへ行きたい、は永遠のテーマですが、人の目の届かない場所に、発見の喜びがある場合もありますね。
ようやく酷暑も峠を越えた感がありますね。なんとか予定を立てて旅行をしなくちゃ、と思います。一人旅は不安だし、ツアーは経験がないのでやはり不安だし、実行力が不足しているので、誰も行かない僻地とか、夜は鬼が出る田舎などがありましたら教えてください。
鬼は見た目が怖いので、旅行者も敬遠しそうですが、私ならお近づきになって三途の川をわたるとき親切にされたいという下心があります。
最近のお葬式では死者は額に三角の鉢巻?などしませんね。怖いイメージから廃止になったのでしょうか?幽霊みたいですからね。
私が葬式の話などすると、リアリティがありすぎて洒落になりません。やはりこの世で旅行など楽しく過ごすのが幸せですね。
私を理解してくれる方が近所にいらっしゃるのは心強いです。いつまでもお付き合いをよろしくお願いいたします。
pedaru
-
- noaguriさん 2024/09/05 20:00:35
- 加齢なる一族
- 冒頭のお話、涙なしには読めませんでした。
私も、息子が自立して家を出てから、月2回のペースで父と一緒にラーメン食べに行っていました。
加齢なる一族シリーズ、ゆっくり読ませていただきます。
- pedaruさん からの返信 2024/09/06 06:07:31
- RE: 加齢なる一族
- noaguriさん おはようございます。
加齢と言う言葉は冗談に使っているうちはいいのですが、現実みを帯びてくると洒落にはなりません。
旅行記「加齢なる一族」のurlをお知らせしようとしましたが、いつのまにか旅行記の数が多くなって、自分でも探せませんでした。自分でも満足できるものと、あとで恥ずかしい旅行記があるのは仕方ありません。
月2回のラーメン、ペースが速すぎではありませんか?(笑)。年2回くらいの私には驚きの回数です。人それぞれですから当然ですが、私など、納豆は年に365回食べています(笑)。
pedaru
-
- mom Kさん 2024/09/04 07:13:13
- 私達は、どこに向かっているのでしょう
- pedaruさん、序文圧巻。その気持ちのまま、本日記拝見。この夏の三つの異なる内実の旅からもたげてきた思いと合致。
知らなくてもよいニュースを垂れ流し、知らなくてはいけない現実を報道しない。
なんだか、分断と利己主義と拝金主義にコントロールされているような。
私達は、幸せに向かっているのでしょうか。人類の進化?社会の進歩?退化でしょう。社会の堕落でしょう。縄文人の豊かさからは、ほど遠い。
子供の頃、約束なんか必要ない。道に出れば、遊び相手がいた。大人の世界と子供の世界ははっきり分かれていた。親が子供の遊び相手などしてくれなかったし、おこづかいは、お祭りの日だけ。こどもにお金は必要じゃなかった。町の三軒の本屋さんは、いつでも一人で行くことができた。それで十分満たされていた。祖母の采配、季節ごとの行事が子供の私たちの”お祭り”だった。これこそ”豊かさ”。
西岡常一氏が、「大工の技術の頂点は、飛鳥」と言い切っておられたような。
私自身も縄文人より、心までも退化していると最近思っています。Pedaruさん、どうあらがっていきましょうか。残り少ない人生なんですが。
バナナの1本売りの思い出に共感。風邪引きの時の優しい母。
- pedaruさん からの返信 2024/09/05 06:29:48
- RE: 私達は、どこに向かっているのでしょう
mom Kさん おはようございます。
仰るようにマスコミは為政者のいうなり、市民の方向を向いていません、と感じるこのごろです。今のような状態では、さぁ、悪の枢軸とは戦わねばならぬ、youtubeやテレビは連日闘いの正当性を耳にたこができるほど言い続けるようになるでしょう。
若者はおだてられ、命よりも大企業のための経済のためなら命を喜んで捧げる覚悟をして、親までがその気になっている時代がまた来る気がします。
国民なんてどうにでも操縦できる、と高をくくっている政治家、それを支持するマスコミ、ほんとにそんな気がします。
私は戦後まもなく小学生になりました。世の中は自由で平等だと教わりましたが、今更逆ではないかと思うことが多くて戸惑うばかりです。縄文人になり、食うだけを毎日求めて早死にしたい、とは思いませんけど(笑)。もちろんKさんの言われる豊かさはそういう事ではありません。
pedaru
- mom Kさん からの返信 2024/09/05 08:08:37
- 嬉しく思います
- 心強く思います。pedaruさん、来月、10月の風に会いに座喜味です。城からエールを送ります。
-
- sanaboさん 2024/08/26 00:52:10
- 貝塚巡り
- pedaruさん、こんばんは
お兄様がご逝去されお寂しくなりましたね。
心よりお悔やみ申し上げます。
旅行記のタイトルを拝見し、pedaru師匠の貝塚旅行記が面白くないはずはなく
今回はどのような面白ネタやギャグを忍ばせていらっしゃるのだろうかと
期待に胸を膨らませてお邪魔したところ、冒頭の記述を拝読し
胸がいっぱいになりました。
お兄様やお母様にたくさんの愛情を注がれ可愛がられたpedaru少年は
ご家族の幸せの象徴のような存在だったのでしょうね。
大切な思い出を慈しまれるpedaruさんのお優しいお気持ちは
子供さんたちにも受け継がれていることと思います。
ところで、千葉県には700もの貝塚があるそうですね。
子供のころ、九十九里浜に潮干狩りに行ったことがありますが
縄文時代の先人たちも潮干狩りをしていたのですね(´艸`*)
あの緑のポスト、現役ではないのでしょうか?
今度sanabo宛に投函してみて下さい。
sanabo
- pedaruさん からの返信 2024/08/27 06:36:04
- RE: 貝塚巡り
sanaboさん おはようございます。
娘が字を書き始めたころ、「おとうさんは、おもしろいから、すきだよ」と言う手紙をもらいました。うれしかったのは言うまでもないのですが、このときから自分の人生は人を面白がらせることに特化しようと決心しましたが、人に嗤われるだけになってしまいました。
私の思い出話で胸がいっぱいになった、なんて光栄です。こんどは読んだらお財布がいっぱいになる話を考えます。
縄文人もレジャーをたのしむことはあったと思います。お父さん「今日は潮干狩りに行こう、どうだたのしいだろう、そのあとは木の実をとりに行こう、」子供たち「なんだ、普段の仕事じゃないか」ジャンジャン!
> 今度sanabo宛に投函してみて下さい。
あのポストに投函すると手紙の中を見られちゃいます。「なんだこいつ、年甲斐もなく
sanaboと言う外人にラブレターをかいてるよ!!」ジャンジャン!!
pedaru
-
- フィーコさん 2024/08/26 00:45:11
- 貝塚巡りと旧斎藤邸
- pedaruさま こんばんは。
千葉に加曽利貝塚は知っていましたが、他にもたくさんあるのですね。
松戸辺りを巡られて。
おもしろくないなんて全然思いませんよ。「pedaruさんのある日~」
お兄様残念でしたね。
加齢なる一族、お一人欠けても再開なればいいですね。
幼少期の記憶、私も最近よく甦ります。
旧斎藤家邸、ググったら
旧斎藤家別邸が出てきて
ん?と思ったら新潟でした(苦笑)
よく管理なされていますね。
土曜の市川花火大会
市川在住の後輩から花火に一緒に行くつもりだった友人が体調不良でキャンセルになったから 「私に来ないか?」
と前日連絡があり、なにを血迷ったか「行く」と返事したんです。
JR駅を降りたとこから後悔。
改札すら出るのに一苦労。
ひと!ひと!ひと!
そのまま下りで帰りたかった(涙)
えらい目にあい、老婆の行くところではないなと再確認しました。
帰り、駅構内入場制限されていたので時間調整して深夜になりましたとさの報告です。
トイレに並んでいて若い子と話しができてオモロかったのも付け足します。
フィーコ
- pedaruさん からの返信 2024/08/27 06:14:55
- RE: 貝塚巡りと旧斎藤邸
フィーコさん おはようございます。
昔はよく江戸川の花火大会に行きました。東京側では江戸川花火大会、市川では市川・・同じ花火なんですがねぇ。煙が市川側にくるのは 不利かなぁ(笑)。
自転車で行って、土手に停めて、十分楽しんだものです。フィーコさん、土手に上って転びませんでしたか?これだけが心配です。
加曾利貝塚をご存じだなんて、勉強家なんですね。サソリ貝塚じゃなくてよかったです、サソリでは人が寄り付きません。
加齢なる一族の最初の旅行はよく覚えています。草津温泉の旅館で、大音量でカラオケをやったのは、今思えば楽しかったと同時に恥ずかしかったですね。自家用車で出かけましたが、今では運転できるのは弟一人になりました。彼の運転ではちょっと心配です。ここだけの話です。
pedaru
-
- yamayuri2001さん 2024/08/25 11:39:54
- 貝塚と軽石・・・
- pedaruさん、こんにちは。
お兄様のご冥福をお祈り申し上げます。
兄弟会も淋しくなってしまいますね。
冒頭の文章を読ませて頂いて、ペダルさんの幼い頃の様子の一旦を
知る事が出来ました。
この調子で文筆家デビューなされたらどうでしょう?
松戸市と柏市はベッドタウンそのものですけれど、
こんなに広大な畑や土地が残されているんですね?
千葉県は、しみじみ平らだなと思います。
神奈川は山ばかりで、こんなに広大な土地はありません。
また、貝塚や古墳などが多くあったと言う事は、
昔から集落があったのですね。
縄文人はおそらく、
夏は軽々越せても、冬を越すのが大変だったのではないでしょうか?
人口増加で、こんなに温暖化してしまうなんて。
その時代の縄文人も、
生きて行くのが厳しかったのではないかと思いますが、
現代人も同様に、夏を生きるのが本当に大変になりましたね。
あと一ヶ月は確実に残暑が厳しいと思います。
暑さに気をつけて、お出かけなさってくださいね。
軽石の件で、ご報告があります。
早速、ペダルさんの旅行記を拝見して、
軽石を注文したら、
その日のうちに、アマゾンから届きました。
それでキッチンのステンレスに付いたカルキをこすってみたら、
多少の傷がつきましたが、
楽々と取れて、とても綺麗になりました。
しかし、考えてみたら私のバスルームは
タイルではなかったので、
バスルームでは、使えませんでした。
それぐらい、pedaruさんのご意見は、説得力がありました。
yamayuri2001
- pedaruさん からの返信 2024/08/27 05:53:37
- RE: 貝塚と軽石・・・
yamayuri2001さん おはようございます。
今年の夏も乗り切るのが大変、と言うご意見がおおいですが、なんといってもやりきれないのは野良猫の存在です。
猫好きの妻が心を痛めるのは、私たちの店の裏口に時々姿を見せるのらちゃんが、かなり弱ってきたことです。両目がやっと見える程度で、痩せていましたが、エサを十分やったらやや太って警戒しながらも食べに来ていました。しかし、この暑さで体力がないのかまた弱っています。お盆休みで店が長期に休むため、その間、どうしたらいいのか?と妻は悩んでいました。
こんなときこそ役に立とうと、休み中にも店に行き猫の世話をしました。妻は珍しく私に感謝しています。普段の失点を挽回した感じです(笑)。
軽石の話、ほんとに試していただいたのですね、素直に私の提案を聞いてくださってありがとうございます。yamayuriさんの素直な心にハッピーな気持ちになりました。
ステンレスはタイルやガラスに比べて硬度が低いので、お勧めしません(笑)。
鏡とか陶器の洗面台でお試しください。私の場合、よごれた心を軽石で磨きたいと思っております(笑)。
pedaru
-
- Decoさん 2024/08/25 05:21:04
- 松戸今昔
- pedaruさん、おはようございます。
故郷やご家族の思い出を綴られた冒頭の文章。感じ入りながら読ませていただきました。
昔は栄えたであろう城下町。時の流れは致し方ないのでしょうか。私の住む市にも旧陣屋町・宿場町がありますが、次第に古い建物がなくなりました。街は変化していくものですが、見慣れた風景が失われるのは寂しいです。それでも新しい住宅も増えましたが空地のままよりは、建替えたり新しい人に住んでもらったりする方が良いのだろう、と思っています。
お兄さまやお母さまの思い出、幼い日のpedaruさんの心にも深く刻まれた出来事だったのでしょうね。ラーメンやバナナを味わうだけでなく、そのときの心の交わりのようなものが読んでいても伝わって…その光景が目に浮かぶようでした。
旧斎藤邸、よく維持管理されていると思いました。風格のある古民家と庭園。建物も華美ではないけど簡素な美しさを感じます。でも、あの建具類は本当に素晴らしい!
長屋門のお宅、あの門を修復されたのは費用の面でも大変だったと思います。母屋は残念ですが…個人で維持していくのは難しかったのでしょうね。
松戸は貝塚が多いということはその頃は海に面していたのでしょうか。周囲の畑や菜園も見るからに土地が肥えているようで、農耕にも適していたでしょうし、木の実なども良く取れたのかな、と思いました。
まだしばらく暑い日が続き、関東では時折豪雨に見舞われるようですが、どうぞお気をつけてお過ごしください。
Deco
- pedaruさん からの返信 2024/08/26 13:54:16
- RE: 松戸今昔
- Decoさん こんにちは
プライベートなことを旅行記と関係ないのについ長々と書いてしまって、どうかと思いますが、心情を知っていただくのも、人生は旅という名言に従っております。
世の中は進歩が著しく、特にITの世界では驚くものがあります。旅行にしても、つい何十年か前には情報が古い案内本に従って、手探りで外国などに出かけものです、と言う話を出かけた人から聴きました。(笑)
私の長男などはパソコンのない時代、単身アマゾンに出かけて稀有な経験をしております。アマゾンといってもお買い物とは関係ないのですが、魚釣りが好きが高じて、釣竿をもってブラジルにでかけ、治安が悪いので死んでもいいやと言う覚悟だったそうです。
いつも心配をかける息子ですが、一か月たってもハガキ一つ寄こさず、そのうち私たちは諦めて、きっと死んだに違いないと思うようになりました。しかし、彼女にだけはまめに手紙を書いていたそうです。
彼の旅行に比べれば、私の一人旅など安全なものです。
兄のラーメンの話は兄に直接話したことがあり、感謝は伝わっております。人は何時かは必ず別れがあるとは知りながら、割り切れない思いですね。
地図で見ると松戸は内陸のように見えますが、貝塚が沢山あると言うのは、海岸線が近かった証拠です。地形などを思い浮かべて、人々の生活を想像する、なんて地味な趣味でしょう(笑)。
pedaru
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- cheriko330さん 2024/08/25 01:40:01
- 貝塚巡り♪
- pedaruさん、こんばんは☆彡
貝塚巡りが、つまらないなんて思いませんよ。
大ヒットシリーズ「加齢なる一族」は、毎回楽しみにしていました。
ファンとして、そろそろ再開ではと思っていました。先日、お兄様の
ことをお聞きして・・・たった一か月で逝かれてしまっていたのですね。
とてもお淋しくなりましたね。でも落ち着かれましたら、お兄様を
偲んで、是非に旅が再開できると良いですね。
一杯のかけそば、ならぬ一杯の志那そば、なんてお優しいお兄様でしょう。
心温まるお話ですね。
今回も色んな貝塚を回られましたね。中峠、なかびょうと読むとは。
途中で見かけたグリーンの郵便ポストご当地ポストかと思いました。
現物支給で郵便ポスト、あまり嬉しくないですね。
「旧斎藤邸」は、とても手入れが行き届いていますね。お庭も素晴らしい。
善意の寄付だけだっていうのも驚きです。
貝塚700ヶ所の制覇を目指して頑張ってください。台風も心配ですが
暑さもまだまだ続くようで、ご自愛くださいね。
cheriko330
- pedaruさん からの返信 2024/08/26 07:37:34
- RE: 貝塚巡り♪
cheriko330さん おはようございます。
加齢なる一族をご記憶されていて、たいへん嬉しく思います。我々兄弟は貧しい時代を生きてきましたから、今の時代の豊かさを実感しています。
洗濯機が出た、冷蔵庫ができた、テレビが凄い、自動車も買った、こんどはエアコンだ、
と言っているうちにパソコンが出現、ついにスマートフォンがでてきて、もう何もいらない。後は安らぎの死を待つのみ。なんて気分です。戦後、アメリカの援助で学校給食でもらった大きなチョコレート、あれは忘れません。それから以上のように日本は経済成長していろんなことを経験しました。
私より更にいろんなことを経験した兄でした。兄を偲んでまた兄弟旅行を再開できるといいのですが、次兄が今度は腰がいたいと言い出して、なかなか前途多難です。
近所にも見るべきものはそれなりにありますが、cherikoさんの行動力には敵いません、トラベラーと言う名にふさわしい方です。cherikoグループにはたくさんの優秀かつ美貌の昔の姫たちがいらっしゃいます。最近なんにんかはフォローしていただきました。
サロンのような掲示板には気恥ずかしくてなかなか参加できません(笑)。
とりとめの無い話題で失礼しました。
pedaru
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- norisaさん 2024/08/24 21:24:51
- 旧斎藤邸
- pedaruさん
こんばんは。
伏兵ふわっくまさんはもはや伏兵ではなく王家の近衛兵ですね。
真っ先に駆け付ける底力恐るべしです(笑)
さて、いつもながらですが冒頭の「つかみ」がスゴイですね。
お兄様は残念でしたが、ラーメンのエピソードやバナナのお話など涙無しでは読めません(笑)
確かにそういう時代もあったなと感じます。
この旧斎藤邸は素晴らしい保存状態ですね。
当時の地主さんの着実ながら豪華な暮らしが分かります。
お庭もステキです。
動画も拝見しましたが想像以上に田舎といったら叱られますが、のどかな雰囲気に感心しましたーーー。
norisa
- pedaruさん からの返信 2024/08/25 13:40:08
- RE: 旧斎藤邸
norisaさん こんにちは
冒頭の話は,加齢なる一族がらみで、4トラの規約に違反をぎりぎり免れました。
ラーメンやバナナが貴重に思われるほど、私はかろうじてこの時代を経験しております。お坊ちゃまのnorisaさんと異なり、私などは戦災孤児みたいなものです(笑)。兄弟や両親の愛だけは十分にありましたが。(愛はお金がなくても得られますので)
動画の農地、売れば坪30万円としても2千坪だけ切り売りしても6億円、こういうところの農家は意外と地味な生活でして、バカな孫がポルシェなどねだって乗り回しているのですよねー。(悪意の偏見です)
斎藤邸はご主人が他界したあと、やはり大学教授の奥様が市に寄贈されたそうです。
奥様も立派ですね、我が家も見習いたい、でも我が家を寄贈したら、住むところが無くなってホームレスになるよりほかありません。
pedaru
-
- ふわっくまさん 2024/08/24 20:48:34
- 松戸市
- pedaruさん、こんばんは。
先日千葉県に出かけて、松戸市へ行ったかなぁと確認したところ未踏のようでした。
通過したかもしれませんが、見所がたくさんあって魅力的な所ですね(^_^)
矢切の渡しのマンホール蓋があるなんて、思わず目が留りました。
敷地5,500㎡の古民家・旧斎藤邸も、無料で中を案内していただけるなんて
大邸宅を綺麗に管理されて、とてもステキだなぁーと思いました。
河原塚遺跡など、縄文時代の貝塚もあるのですね。
ところで冒頭の長兄さまの志那そばのエピソードや、お母様のバナナのお話
拝見して心が、ほんわか温まりました(*^_^*)
加齢なる一族⇒楽しかっただけに、すごく残念な気持ちですが
思い出は きっと、永遠に残るものなのですね。
ふわっくま
- pedaruさん からの返信 2024/08/25 13:02:15
- RE: 松戸市
ふわっくまさん こんにちは
norisaさんもふわっくまさんの速攻には兜を脱いだようです。
先日千葉にもお出かけでしたが、松戸は地味な町ですから記憶に残るようなものはありません。 しかし、ジャーン、市街地の道路が素晴らしいのは全国でも屈指ではないでしょうか?
広い道路に十分な幅の歩道があり、そこには通りごとに種類の異なる並木があるのです。はなみずき、イチョウ、けやき、まてばしい、さくら、ゆりのき 、くすのき、さるすべり、とうかえで、さとざくら、ニセアカシア、とちのき、やまもも、あんず、あめりかふう(かえで)たいわんふう、これらの道路は種類ごとに通りを植木が四季に応じて、開花したり、紅葉したり、若葉を茂らせたり、うつくしい景観を作っています。
聞いた話では、まつもときよしが市長のころ、英断で実行されたそうです。まつきよの社長ってすごいですねー。
松戸市民の名誉のため言っておきますが、貝塚だけではないのですよ。複雑な農道が住宅街になっている市川とは雲泥の差があります。市川の住宅街を車で走れるなら日本全国どこへ行っても困らない、と言われているとか、いないとか?
こんど市川においでの時は、前もって教習を受けてから車でお出かけください(笑)。
pedaru
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