2024/03/16 - 2024/03/26
519位(同エリア759件中)
サバーイさん
アメリカ建国の独立戦争の舞台となった歴史の街・ボストン。
ここには建国にゆかりのある舞台を徒歩で結べる歴史散策路が用意されています。
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まずは地下鉄レッドラインに乗ってダウンタウンの中心、Downtown Crossing駅へ。
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地上に出て、見上げれば、新旧のビルが天を突く。
最先端のビルに埋もれるように、建国当時の建物が残っている街。 -
歩行者専用のショッピングストリート、Summer St.。
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このWashington St.を真っ直ぐいくとChina Townへ。
Washington St.はForest HillsでHyde Park St. と名前を変えるまで、ボストンを南西に貫く通り。 -
Summer St.は交差点を越えるとWinter St.と名前を変え、ボストンコモンへと続く。
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Winter St. の途中にみつけた Samuel Adams House Site の標示。
サミュエル・アダムスは1784年から1802年に亡くなるまで、ボストンコモンの目の前のこの地に住んでいた。 -
Tremont St.まで歩くと、通りの向こうに一際高い八角形の尖塔が。
最初の史跡、①Park Street Church。 -
このPark Street Churchは独立直後の1809年に、Old South Meeting House(オールドサウス集会所)のメンバーが中心となって設立した教会。
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教会の前には②Boston Common(ボストンコモン)が広がる。
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アメリカ最初の都市公園であり、かつてはピューリタンたちの共有地(commons)であり、いまは市民の憩いの場である。
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公園の奥には③マサチューセッツ州の議事堂が。
このボストンコモンがフリーダムトレイルの出発点。 -
議事堂の金色のドームが眩しく輝く。
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さて、パークストリート教会前のTremont St.の歩道にはレンガでトレイルの道筋が印されている。このレンガが誘う最初の歴史探訪の地は...
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教会の裏手の墓地。ここには貧しい人たちへ供給する穀倉(グラナリー)があったことから④Old Granary Burial Groundと呼ばれる。
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ボストンで3番目にできた墓地で、ここには建国の英雄やボストンの名士が眠る。
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このプレートは建国の英雄、ポール・リビアの墓の存在を告げるもの。
「現代の若者達が、リビアの愛国精神に啓発されることを願って」とある。 -
ボストンが生んだ、アメリカ建国の父のひとりSamuel Adamsの墓。
サミュエル・アダムスの名は、いまではボストンの地ビールの名前にもなっているが、イギリスへの反植民地運動を指揮し、独立宣言書に署名をした一人である。 -
アダムスと共に独立運動を支え、初代マサチューセッツ州知事になったJohn Hancock の墓石。ジョン・ハンコックは大陸会議の議長を務め、独立宣言書の真ん中に一際目立つ彼の署名を見ることができる。
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アメリカ人でその名を知らないものはいない、建国の英雄Paul Revere。ポール・リビアはイギリス軍の襲来を深夜、馬を駆け友軍に知らせた the midnight rideや、襲撃ルートを知らせるために教会の尖塔に2つのランタンを吊した逸話が残る。
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リビアの墓石自体は極めて簡素なものだが、この墓地を訪れた人は必ずここに立ち寄る。
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グラナリー墓地の先、School St.の角に経つのが⑤King's Chapel。
その名の通り、英国王の名を冠するイギリス国教会(アングリカン)の教会。
国教会の迫害を逃れてきたピューリタンにとっては、耐えがたき存在。それゆえ、独立戦時は閉鎖されていた。 -
School St.の角を曲がると、King's Chapel墓地の先にあるのがこの通りの名前の由来となった場所。もともとはアメリカ最初の公立学校⑥Boston Latin Schoolがあった。現在は、その後に建てられたOld City Hallがある。
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Boston Latin Schoolの卒業生の一人、Benjamin Franklinの立像。
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人生の大半を建国時の首都、フィラデルフィアで送ったが、生まれはこの数ブロック先の17 Milk St.(いまはShake Shackがある辺り)。
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1852年にこの場所で世界初の電動火災報知システムが誕生したことを印す碑。
Old City Hallの目の前、School St.にある。 -
農家の納屋の形をした ⑦Old Corner Bookstore。まさに、School St.とWashington St.の角に位置する。bookstoreといっても、出版社のオフィス出会った場所に当時の文豪が集ったというもの。現在はメキシカンレストランのチェーン店が入る。
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Old Corner Bookstoreの向かいに経つのが ⑧Old South Meeting House。
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オールドサウス集会所は1729年にピューリタンの礼拝堂として建てられた。
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ボストンでは2番目に古い建物。
その名の通り、建国の烈士たちが集い、議論し、植民地の行く末を定めた場所。 -
建物は修復を経ているが、内部の木造部は当時のまま。
1773年12月16日には、ここでボストン茶会事件の集会が行なわれた。
当時の人口1万6千余りに対し、5千人以上がここに詰めかけ、ここから「自由の息子達」らは港へ向かった。 -
Old South Meeting Houseの目の前の三角形の公園には2組の像が。
Boston Irish Famine Memorial(アイルランド移民の飢餓を偲ぶもの)とあり、1845-1852の大飢饉を経て異国に安住の千を見いだしたアイルランド移民を讃えるもの。
ボストンにはアイルランド移民が多く、3月17日はアイルランドの守護聖人 St. Patrick's Day を盛大に祝うパレードが行われる。
また、ボストンのNBAチームのCelticsも、アイルランド系の先祖ケルト(Celtics)から付けられた名前。 -
Old South Meeting Houseの前のWashington St. を進むと、State St.へ。
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地下鉄のState駅とも直結。Stateとは ⑨Old State House (旧州議会堂)のこと。ボストン最古の建物とされる。
2階のバルコニーからは1776年7月18日(著名の2週間後)にジョージ・ワシントンが独立宣言書を市民に対して読み上げた。
1976年7月4日には、建国200年祭を訪れた英国エリザベス女王もこのバルコニーからスピーチをした。
毎年7月4日の独立記念日には、ここから独立宣言書が読み上げられる習わしになっている。 -
入り口から螺旋階段を上ると2階の広間へ。
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当時の州知事の椅子に座ることができる。
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椅子に座った眺め。
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建物の目の前、尽きだした部分が ⑩Boston Massacre site(ボストン大虐殺)の現場。
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1770年3月5日。イギリス兵とボストン市民の小競り合いから、3人が英兵に発砲され、うち2人がなくなった事件。イギリスへの反発を醸成させるひとつの契機となった。
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3月のこの日、254年目を記念する花束が置かれていた。
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バルコニーの反対側。
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