中国旅行記(ブログ) 一覧に戻る
趙宋の史跡を中心に, 河南省の巩義, 开封, 濮陽などをぶらぶら独り旅で巡った。巩義では宋陵と石窟寺を訪れた。宋王朝を開いた太祖趙匡胤や遼の侵略を食い止め和睦で王朝の安定を計った真宗趙恒の陵墓と北魏の時代から長く中原における仏教の聖地として, 唐の太宗李世民も重ねて礼仏に訪れたと言う 寺院 の2つの史跡を歩いた。

2024年春, 宋陵と石窟寺

6いいね!

2024/01/01 - 2024/01/01

22451位(同エリア45623件中)

旅行記グループ 中国旅行

0

37

きん

きんさん

趙宋の史跡を中心に, 河南省の巩義, 开封, 濮陽などをぶらぶら独り旅で巡った。巩義では宋陵と石窟寺を訪れた。宋王朝を開いた太祖趙匡胤や遼の侵略を食い止め和睦で王朝の安定を計った真宗趙恒の陵墓と北魏の時代から長く中原における仏教の聖地として, 唐の太宗李世民も重ねて礼仏に訪れたと言う 寺院 の2つの史跡を歩いた。

PR

  • この日は朝のうちに高鉄で巩義駅まで移動しました。巩義は洛陽と鄭州のほぼ中間に位置する場所です。

    この日は朝のうちに高鉄で巩義駅まで移動しました。巩義は洛陽と鄭州のほぼ中間に位置する場所です。

  • 駅から宋陵を回るには効率を考えるとタクシーの一択になります。宋陵は7帝8陵(趙匡胤の父も入るため) この地域に陵墓が集中していますが,  全て回ると石窟寺を見る時間がなくなるため, 今回は趙匡胤と三代神宗を中心に沿線で見られるものに絞って目指します。最初に現れる永泰陵までの道で真っ赤な朝日が登るのが見えました。初日の出でした。

    駅から宋陵を回るには効率を考えるとタクシーの一択になります。宋陵は7帝8陵(趙匡胤の父も入るため) この地域に陵墓が集中していますが, 全て回ると石窟寺を見る時間がなくなるため, 今回は趙匡胤と三代神宗を中心に沿線で見られるものに絞って目指します。最初に現れる永泰陵までの道で真っ赤な朝日が登るのが見えました。初日の出でした。

  • 永泰陵は7代哲宗の陵墓。神宗の崩御に伴い権力闘争の中で祖母高氏の後ろ立てで即位した神宗は明帝か愚帝かの議論が残る北宋晩期の皇帝で, 便法を推進したが保守派閥に妨げられた。一方で対外的には遼を滅ぼした金の侵入を防ぎながら,  西夏を攻めて宋に屈せさせるなど, 日々国勢は衰えながらも必死に逆らったともされる。皇帝もつらいですね

    永泰陵は7代哲宗の陵墓。神宗の崩御に伴い権力闘争の中で祖母高氏の後ろ立てで即位した神宗は明帝か愚帝かの議論が残る北宋晩期の皇帝で, 便法を推進したが保守派閥に妨げられた。一方で対外的には遼を滅ぼした金の侵入を防ぎながら, 西夏を攻めて宋に屈せさせるなど, 日々国勢は衰えながらも必死に逆らったともされる。皇帝もつらいですね

  • 彼の死後に宋は金の逆襲に遭い,  皇帝のために建造された陵墓も徹底的に暴かれ, 哲宗の遺体は野に晒され辱められた。この陵墓の惨状を憂えた岳飛は杭州から軍を率いて金に抗ったが, とうとうこの地を奪回することはなかった。そして 宋は南に遷都して北宋の時代は終わります。そんなエピソードが秘められているせいか残された石羊や石虎は田畑にポツンポツンとバラバラ に置かれて寂しそうでした。

    彼の死後に宋は金の逆襲に遭い, 皇帝のために建造された陵墓も徹底的に暴かれ, 哲宗の遺体は野に晒され辱められた。この陵墓の惨状を憂えた岳飛は杭州から軍を率いて金に抗ったが, とうとうこの地を奪回することはなかった。そして 宋は南に遷都して北宋の時代は終わります。そんなエピソードが秘められているせいか残された石羊や石虎は田畑にポツンポツンとバラバラ に置かれて寂しそうでした。

  • 永裕陵は6代神宗の陵墓。王安石を2度宰相に任じて変法を進めようとしたが保守派に阻まれた失敗に追わった。北宋は趙匡胤が建国した時期, 真宗の中興の時期,  4代仁宗くらいまでが隆盛であったが, その後徐々に経済的にも国力が衰えていたみたいだ。とは言え皇帝の陵墓は左右に石像が配置してあり立派です。

    永裕陵は6代神宗の陵墓。王安石を2度宰相に任じて変法を進めようとしたが保守派に阻まれた失敗に追わった。北宋は趙匡胤が建国した時期, 真宗の中興の時期, 4代仁宗くらいまでが隆盛であったが, その後徐々に経済的にも国力が衰えていたみたいだ。とは言え皇帝の陵墓は左右に石像が配置してあり立派です。

  • 左右にほぼ対象に石像, 石獣が並び奥に円形墳墓があるこの配置はこの後見る全ての王墓に共通するスタイルです。

    左右にほぼ対象に石像, 石獣が並び奥に円形墳墓があるこの配置はこの後見る全ての王墓に共通するスタイルです。

  • 永昌陵は宋を建国した赵匡胤の陵墓。現在整備のための工事中で参道部分が 土を掘り返してあり, またゴミが散らかっていて宋王朝の太祖の陵墓としては少し残念でもありましたが, 左右に置かれた石像,  石獣はどれも生き生きしていて一番見応えがありました 。

    永昌陵は宋を建国した赵匡胤の陵墓。現在整備のための工事中で参道部分が 土を掘り返してあり, またゴミが散らかっていて宋王朝の太祖の陵墓としては少し残念でもありましたが, 左右に置かれた石像, 石獣はどれも生き生きしていて一番見応えがありました 。

  • 瑞禽浮雕

    瑞禽浮雕

  • ドヤ顔の武士は兜の形なんだとは思うのですが, どうしても大きな耳のお猿さんに見えちゃってなんともユーモラス。この顔は一度見たら忘れられない。彼を見るためだけでもここに来た価値があります 。

    ドヤ顔の武士は兜の形なんだとは思うのですが, どうしても大きな耳のお猿さんに見えちゃってなんともユーモラス。この顔は一度見たら忘れられない。彼を見るためだけでもここに来た価値があります 。

  • 永熙陵は2代皇帝の陵墓。

    永熙陵は2代皇帝の陵墓。

  • 大きな髭が生えていて北方民族の使者でしょうか?

    大きな髭が生えていて北方民族の使者でしょうか?

  • 人物の衣装は変化があり表情も豊かで見ていて飽きません。

    人物の衣装は変化があり表情も豊かで見ていて飽きません。

  • 永定陵。真宗の陵墓です。流石に立派にしてあります 。

    永定陵。真宗の陵墓です。流石に立派にしてあります 。

  • エキゾチックな顔とスタイルでした 。どこの人でしょう?

    エキゾチックな顔とスタイルでした 。どこの人でしょう?

  • 永定陵ではどの像もふくよかな顔しています 。王朝の隆盛と関係があるのでしょうか。あまり詳しくないですが,  戦乱の世に終止符を打って宋のGDP(税収かな)は唐の時代の7倍になっていたとか 。

    永定陵ではどの像もふくよかな顔しています 。王朝の隆盛と関係があるのでしょうか。あまり詳しくないですが, 戦乱の世に終止符を打って宋のGDP(税収かな)は唐の時代の7倍になっていたとか 。

  • ほっこりしたので, 次の石窟寺に向かいます。タクシー移動です 。

    ほっこりしたので, 次の石窟寺に向かいます。タクシー移動です 。

  • 石窟寺というなんの捻りもない名前は清代につけ直されたものです 。お寺は北魏(中国で最初に仏教を国教にした鮮卑族の国です)という古刹どころか中国での仏教興隆の草分け期に起源を持っています 。最初は希玄寺と呼ばれていたかも知れません 。石窟は北魏から南北朝時代の間に大部分が彫られたのではないでしょうか。宋代には浄土寺と呼ばれていたそうですが, このお寺は唐の玄奘が出家した寺(浄土寺)とも言われている。その通りであれば浄土寺の名は唐の時代には既に使われておりここは当時の仏教会の大スターを産んだ場所になります。更に前の北魏の皇帝までが礼仏した場所であるとすれば, ここは時代を問わず古代の中原の仏教の聖地のひとつだったのかも知れません 。すごいですね 。

    石窟寺というなんの捻りもない名前は清代につけ直されたものです 。お寺は北魏(中国で最初に仏教を国教にした鮮卑族の国です)という古刹どころか中国での仏教興隆の草分け期に起源を持っています 。最初は希玄寺と呼ばれていたかも知れません 。石窟は北魏から南北朝時代の間に大部分が彫られたのではないでしょうか。宋代には浄土寺と呼ばれていたそうですが, このお寺は唐の玄奘が出家した寺(浄土寺)とも言われている。その通りであれば浄土寺の名は唐の時代には既に使われておりここは当時の仏教会の大スターを産んだ場所になります。更に前の北魏の皇帝までが礼仏した場所であるとすれば, ここは時代を問わず古代の中原の仏教の聖地のひとつだったのかも知れません 。すごいですね 。

  • 寺の端っこに色々な時代の石碑が何気なく並べてありますが, 良く見ると唐の時代の仏頂陀羅尼経幢です。楷書でしょうか流石中国の漢字は美しいですね 。保存が良ければこれ自体も重要文化財ものではないでしょうか。

    寺の端っこに色々な時代の石碑が何気なく並べてありますが, 良く見ると唐の時代の仏頂陀羅尼経幢です。楷書でしょうか流石中国の漢字は美しいですね 。保存が良ければこれ自体も重要文化財ものではないでしょうか。

  • 確かに雲岗石窟などに似たお顔の仏像です 。

    確かに雲岗石窟などに似たお顔の仏像です 。

  • 色彩は何度か塗り直しているのでしょうけれど, 全盛期には今以上にきらびやかだっただろうと想像すると, とても楽しめます 。

    色彩は何度か塗り直しているのでしょうけれど, 全盛期には今以上にきらびやかだっただろうと想像すると, とても楽しめます 。

  • これは東魏に彫られた仏像でしょうか

    これは東魏に彫られた仏像でしょうか

  • 飛天が天井を舞っています。他にもきれいな飛天がたくさんありました。

    飛天が天井を舞っています。他にもきれいな飛天がたくさんありました。

  • このお寺の最大の見ものは《帝后礼佛图》と 言われる2枚のレリーフで, 1枚は皇帝が家臣を連れて行列で寺院に参拝する行列, もう一枚は皇后が女官を連れて参拝する様子 。<br /><br />絵は縦三段に別れ身分の差を示しており,皇帝は左から右に向かって最上段 の先頭に立っている。アンコールの遺跡にも同じような構図の大レリーフがありましたが, 時代はこちらが400年くらい早いので, もしかするとこの絵の表現のアイデアが扶南に伝わった可能性もありますね 。想像力を掻き立てられます。<br /><br />僕は皇帝の方ばかり見てしまって, 皇后の方はあまり印象にないですが...。本に載っていた写真と実物が少し違っていたような。<br /><br />中国でこの《帝后礼佛图》が現存して元の場所にあるのはこの 石窟寺だけだそうです。他にもあるのかというと, NYのメトロポリタン美術館に行けば見られるそうです。

    このお寺の最大の見ものは《帝后礼佛图》と 言われる2枚のレリーフで, 1枚は皇帝が家臣を連れて行列で寺院に参拝する行列, もう一枚は皇后が女官を連れて参拝する様子 。

    絵は縦三段に別れ身分の差を示しており,皇帝は左から右に向かって最上段 の先頭に立っている。アンコールの遺跡にも同じような構図の大レリーフがありましたが, 時代はこちらが400年くらい早いので, もしかするとこの絵の表現のアイデアが扶南に伝わった可能性もありますね 。想像力を掻き立てられます。

    僕は皇帝の方ばかり見てしまって, 皇后の方はあまり印象にないですが...。本に載っていた写真と実物が少し違っていたような。

    中国でこの《帝后礼佛图》が現存して元の場所にあるのはこの 石窟寺だけだそうです。他にもあるのかというと, NYのメトロポリタン美術館に行けば見られるそうです。

  • 石窟寺院を見たあとは列車に乗って開封に向かいましたが, なかなかチケットが買えずに苦労しました 。コロナが開けて連休にもなると 中国の国内交通のチケットは本当に奪い合いです。やはり中国 内 を 旅行する際は鉄道だけは事前に勝手おくのが良いですね 。<br /><br />巩義の駅の近くで食べたなすの揚げたてがサクサクして美味しかったです。

    石窟寺院を見たあとは列車に乗って開封に向かいましたが, なかなかチケットが買えずに苦労しました 。コロナが開けて連休にもなると 中国の国内交通のチケットは本当に奪い合いです。やはり中国 内 を 旅行する際は鉄道だけは事前に勝手おくのが良いですね 。

    巩義の駅の近くで食べたなすの揚げたてがサクサクして美味しかったです。

6いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

中国で使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
中国最安 88円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

中国の料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから海外旅行記(ブログ)を探す

PAGE TOP