2024/04/26 - 2024/04/26
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Reiseさん
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近江八幡にはずっと来たかったところで、特にヴォーリズ記念館をはじめ、ヴォーリズの建築めぐりを堪能しました。
温かく、素朴で、実用的、上品なその雰囲気の建物に魅了されました。
英語教師として来日し、キリスト教の伝道に反対をする人々の圧力によって、わずか2年で教師の職を追われ、その後、
建築技師として、またメンソレータムの事業を日本で展開していき、その収益は教育、医療、伝道に捧げられます。
ヴォーリズが手掛けた建築は全国におよそ1600か所。
しかし、その建物も老朽化などの理由で、取り壊されているものも多いです。
残念なことです。
ハイド記念館で、夫人の一柳満喜子の生い立ちや、二人の出会い、その後、ともに活動していく姿が心に残りました。
共に支え合って、日本で、近江八幡で、生涯を終えるまで、苦難の連続だったことも想像できました。
第二次世界大戦もはさんで、厳しい時代もあっただろうと想像できます。
戦後はマッカーサーと近衛文麿を結び付けた人とも聞いたことがあります。
日本人からもアメリカ人からも信頼された人なのでしょう。
ハイド館、とても、明るく開放的な建物で、大切に守られてきた教育の施設ということがよく理解できました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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-
日牟禮ヴィリッジでお茶を楽しんだあと、徒歩でヴォーリズ建築めぐりをします。
ヴォーリズは1905年に来日、1964年に亡くなるまで、日本で、近江八幡で過ごし、晩年を過ごした家、ヴォーリズ記念館を最初に尋ねます。
ヴォーリズは当初は教師として働きますが、キリスト教の伝道に反対する人たちの圧力で、2年で職場を追われます。
その後、建築技師としてヴォーリズが関わった建物は、全国にも1600ほどにも及びました。 -
木づくりの建物が見えてきました。
ヴォーリズ記念館。
ヴォーリズ夫妻が晩年過ごした家です。 -
この日は、春の特別公開でした。
通常は、予約が必要です。 -
昭和6年に建てられたました。
元々は、幼稚園の職員のための宿舎だったようです。
その後、和室が増室されています。 -
中へ。
花壇が可愛い。 -
奥は庭のようになってました。
白い扉と黄色の小さなバラが可愛いです。 -
庭。
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玄関。
表札は一柳米来留。
ヴォーリズは日本に帰化し、一柳米来留と日本名にします。
一柳は1919年に結婚した一柳満喜子の姓で、米来留は名前のメレルを漢字に、米(米国)から来て留まるという意味を込めたそうです。 -
1階リビングには、ヴォーリズゆかりの品々、写真、パネルが展示されていました。
「信 働 愛」のヴォーリズ書の額や、アメリカから持参したというピアノもありました。
いつもは、ビデオで紹介を観て、見学するそうです。
ガイドの方が説明をされました。
室内の写真は撮影は可能でしたが、インターネットにあげるのは禁止です、、、と説明を受けました。
ここで、紹介できなくて、残念です。
二階は夫妻の寝室があったようです。 -
白い縁取りの窓も可愛いお家でした。
煙突もみえます。 -
近江兄弟社中学校と高等学校があります。
私立のプロテスタント系キリスト教主義の学校です。
設置は近江兄弟社のグループに属する学校法人 ヴォーリズ学園、
ヴォーリズ学園はヴォーリズとその夫人の一柳満喜子、吉田悦蔵。
ヴォーリズが始めた八幡英語学校と、一柳満喜子が始めた幼稚園が現在の
近江兄弟社学園になっています。
近江兄弟社学園の学園長は一柳満喜子がなっています。 -
ヴォーリズ記念館がすぐ近く。。
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このクリーム色、、なんだか関西学院大学の雰囲気に似ています。
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ハイド記念館の表示がされており、中へ。
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教育の現場らしい様子がうかがえます。
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玄関のアーチ。
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玄関入口。
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ハイド記念館についての説明。
1905年に来日したヴォーリズ、英語の教員となりますが、キリスト教の影響を恐れた人々の圧力で、わずか2年で職を追われます。
その後、建築設計士技師となり、1913年にメンソレータムの発明者のハイドを訪問、日本での販売権を得る事になります。
この収入のほとんどは、教育、医療、宣教に使われています。
1922年には夫人の一柳満喜子が清友園幼稚園を開設します。
1930年にはハイド夫妻から教育の資金の寄付があり、幼稚園舎と教育会館が建設されます。
1941年にはヴォーリズは帰化し、一柳米来留という日本名に。
米国から来て留まる、、という意味です。
1958年には近江八幡市名誉市民の第一号に。
1964年に亡くなっています。(7年の療養を経て) -
入口あたり。
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1951年の夫妻の写真。
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ちょっと、灯りが映りこんでしまいましたが、
ハイド夫妻の写真。 -
アメリカからヴォーリズの荷物を運んできたトランクが置かれていました。
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子供たちが使っていた荷物入れ。
傘立てにもなっていたのでしょう、下に水受けが。 -
古い下駄箱もそのままに。
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館の見取り図です。
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今もいろんな活動に使われているようです。
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2階へ。
階段がのぼりやすい。
ヴォーリズの建築の階段って、つくづく、のぼりやすい。
足の負担が少なく感じます。 -
パネルで紹介の部屋。
知らなかったのですが、日本以外のアジアにも百数十を超えるヴォーリズ建築があるようです。
韓国もそのひとつ。 -
梨花女子大学もそのひとつ。
ヴォーリズ建築をうけついだ人も。 -
パネルでヴォーリズの生い立ちやその精神、活動を紹介。
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近江八幡での様子など。
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ヴォーリズの生涯がわかるパネルでした。
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建築も学校、病院、教会など多岐にわたります。
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幼稚園舎の様子の写真も。
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イチオシ
「神の国」はたしかヴォーリズ記念館にあったもの?
「愛 働 信」もあったよう。
ヴォーリズの書いたものです。
こちらでイベントがあるようで、準備をされていました。 -
1月1日の書き初めの様子ですが、
「今日は昨日に優る」ということばが。 -
廊下。
床もピカピカでした。 -
一柳満喜子の部屋とあります。
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若き日の写真や書。
パステル調の色合いが綺麗な部屋。 -
幼稚園舎で使われていた椅子でしょうか。
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イチオシ
このお部屋から、メタセコイヤの美しい樹が見えました。
学園のシンボルだったようです。
堂々として、羽ばたくよう。 -
保健室で使われていたものでしょうか。
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祈りの部屋?
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イチオシ
小さな窓。
開くと十字がみえるそうです。 -
ここからもメタセコイヤがみえます。
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一柳満喜子の手紙。
美しい字でした。 -
広い部屋。
教室として使われていたところでしょうか。 -
「神の国」讃美歌236番、ヴォーリズの作った讃美歌です。
同志社の校歌も作ったそうで、今も歌われているとか。
音楽にも才能があった方なんですね~。 -
ヴォーリズ夫人の一柳満喜子についての資料、パネルが展示してあり、
生涯にわたり、夫を助け、また教育事業に深くかかわってきた生涯がよく理解できました。 -
一柳満喜子の両親について。
母親もクリスチャンだったようです。
父親は播州小野藩の第11代藩主でした。 -
お別れの時のお写真に使われたようです。
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古い写真など。
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イチオシ
夫妻のお写真。
良いお写真ですねー。 -
一柳満喜子をめぐる人々。
大同生命の創業者である広岡浅子とも関係があることがわかります。 -
生い立ちが写真とともに詳しく。
父親は明治以降は貴族院議員、子爵。
母親は華族の婦人で、最初にキリスト教の洗礼を受けた四人のうちの一人といわれています。満喜子が幼いころに母親は亡くなっています。 -
神戸女学院音楽部を卒業後は、アメリカのブリンマー大学に留学、留学中に洗礼を受けています。
ヴォーリズとの出会い。
一柳満喜子は次兄の自宅設計のために訪れていたヴォーリズと出会い、その後結婚します。
国際結婚には支障があったようですが、広岡浅子も強く結婚の後押しをしたそうです。 -
ヴォーリズと教育の事業に邁進します。
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近江八幡で、清友園幼稚園を始めます。
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一柳満喜子の手記がありました。
彼女の手記から、ヴォーリズが日本人を同胞のように思う人であったことがわかります。 -
軽井沢にも滞在していたことがあります。
軽井沢はヴォーリズは、故郷に似ていると感じたそうです。
確か、ヴォーリズは両親も近江八幡に呼び、一緒に暮らしたと聞きました。
軽井沢にもヴォーリズの母親も一緒に行っていたようです。 -
若き日のお二人の写真や病床にあるヴォーリズをお見舞いされる三笠宮殿下の写真。
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一柳満喜子の年表。
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お別れの写真と、
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追悼の言葉など。
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お二人の結婚の写真や資料の展示もありました。
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展示のパネルや説明、とてもわかりやすかったです。
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当時の教室の雰囲気が伝わります。
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建築のあちこちに、子供たちが生活しやすい工夫や建物の耐久性など、多くの工夫が見られます。
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私は階段がぴか一だと思います。
子供も登り降りがしやすい階段。
年寄りの私も登り降りがしやすい階段でした。 -
体育館兼講堂へ向かいます。
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体育館兼講堂。
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壇上。
美しい彫刻、窓も素敵です。
ヘレンケラーが講演をしたのも、こちらだったのでしょうか。。。 -
上にも席が設けられていて、
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窓も多く、高いところから採光。
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天井もお洒落でした。
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校歌が英語で。
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日本語もありましたよ。
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イチオシ
もう一度、若い日のお二人の写真を観ます。
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こんな催しものもあるのですね~。
讃美歌も同志社の校歌も作ったのですから、音楽の才能も。
なんと、多才な人でしょう~。 -
外に出ます。
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美しい学び舎。
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メタセコイヤの由来が書かれていました。
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イチオシ
のびのびと大きく育つ樹なんですね。
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学園創立者の一柳満喜子氏の胸像がありました。
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次にアンドリュース記念館へ向かいますが、途中、町並みを紹介した駒札があちこちにありました。
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可愛いお店♪
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ここも歴史のある街並みのようです。
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街並みが整備されていました。
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イチオシ
アンドリュース記念館。
ヴォーリズの大学時代の親友、アンドリュースを記念して建てられた、ヴォーリズの最初に手掛けた建物です。
当時の正式名はアンドリュース記念近江八幡基督青年会館(YMCA)。
後に、現在の位置に移築されています。
1階には祈りの部屋があり、ヴォーリズはここで7年間過ごしたといわれています。もともとは二階にあったようですが、1階に移されていました。
アンドリュースは若くして亡くなりましたが、YMCAの建物を建てるために
アンドリュースの両親が資金を提供しています。
訪れたときは、特別公開の日で、ヴォーリズ記念館とセットになったチケットを購入しました。
1階の祈りの部屋には多くの写真や関連する資料などの展示物があり、二階には和室もありました。
こちらも内部の写真は撮れますが、インターネットにあげることは禁止という
説明を受けました。 -
登録有形文化財です。
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淡い黄色の素朴な建物です。
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茶色の窓枠とマッチしていて、可愛い建物でした。
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イチオシ
すぐ近くにある、地塩寮。
近江兄弟社の独身寮として建てられました。
外から観ると、和風なような、洋風なような建物です。 -
現在も会議などに用いられ、二階は牧師ご一家のお住まいになっているよう。
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説明板。
こちらは見学はできません。 -
イチオシ
そして、またすぐ近くに日本キリスト教団 近江八幡教会があります。
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こちらの建物は、1983年に一粒社ヴォーリズ建築事務所により建てられた教会です。
本来、ヴォーリズが1924年に建てた教会があったようですが、焼失したそうです。 -
中は見学できないようで、外から礼拝堂を観ました。
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塔も可愛い、愛らしい教会でした。
近江八幡のヴォーリズの建築は、まだまだあるのですが、このあたりで、
夫が行きたい八幡堀の方へ向かいます。
また時間をみて、残りのヴォーリズ建築を訪ねてみたいです。
近江八幡の旅、つぎに続きます。
最後までお読みいただいて、ありがとうございます。^^
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この旅行記へのコメント (2)
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- sukecoさん 2024/05/08 12:12:58
- ヴォーリズ夫妻の写真!
- Reiseさん、こんにちは!
ヴォーリズ夫妻のお写真、素敵ですねー。
お二方とも、才能にあふれて、それを存分に発揮されたなんて、
素晴らしいですね。
ハイド記念館の階段、ホント登りやすそうです。
階段って、大事ですよね~。
そんな細かなことまで考えて建築されたのですね。
体育館も見ごたえあります。
とても優美で上品さが感じられました。
心が清らかになりそうです♪
続きも楽しみにしています。
sukeco
- Reiseさん からの返信 2024/05/08 23:37:47
- お便りをいつもありがとうございます。^^
- sukecoさん
こんばんは!
いつも旅行記を丁寧に読んでいただいて、いいねもありがとうございます。
夫妻の写真、これは、晩年のものだとおもうのですが、お二人とも素敵ですよね。
ヴォーリズさんは晩年、7年間も病と闘っておられたのですが、太平洋戦争もはさんで、いろんな苦労があったと思うのですが、異国の地で生涯過ごせたのも、夫人の支えがあってだったのだと思いました。
私の個人の感想なんですが、ヴォーリズの建築の中で、一番心地良いのが階段だと思っています。
この建物も小さな子供たちの学び舎なので、とくに使いやすい階段に下のだと思うのですが、とてものぼりやすく、安全な階段でした。
やはり、建物は快適で安全が一番ですよね。
私は建築のこと、よくわからないのですが、ヴォーリズの建築に触れていると、
とても合理的で、現実的、でも、どこかに愛らしさがあって、そこに住む人が主体となって生活を楽しむような工夫があちこちにあるように感じます。
体育館もおっしゃるとおり、優美で上品です。
講堂もかねているみたいですが、こちらでは講演や催しものも行われていたのでしょうね〜。
ハイド記念館、ヴォーリズ夫妻のことがとてもよくわかる記念館でした。
見学後、ほんわりとした気持ちになりました。
Reise
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