2024/04/26 - 2024/04/26
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hijunoさん
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近江八幡、最後の旅行記です。
近江八幡は豊臣秀次が整備した城下町の様子も残っています。
江戸時代から明治にかけての商家の街並みも今も残っています。近江商人の活躍した時代、豪商達が居た時代です。
八幡堀は川の様子が風流で、豊臣秀次が宮中の舟遊びにちなみ、船の中で句を詠んで、茶会を催したことから、水郷巡りが始まったそうです。
メンターム資料館は、会社の1階に小さな資料館がありますが、ヴォーリズの軌跡がよくわかる資料館でした。
本来はメンソレータムの日本での販売権を得た事業でしたが、その後、販売権を失い、メンタームという別の商品を販売するようになります。
近江八幡、まだまだ行きたいところが沢山あります。
次回が楽しみです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ショッピング
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
-
日牟禮八幡宮に来ました。
日牟禮八幡宮の歴史は古いです。
131年に大嶋神社として創建、その後991年に宇佐八幡宮を勧請しています。
藤原不比等も訪れたといわれています。
近江商人からの信仰も篤いです。 -
境内にも鯉のぼり。
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入ってすぐ右にある、大きな能舞台。
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明治のころの改修あと、能が演じられました。
明治32年に建てられています。 -
拝殿。
源頼朝が近江の守護職だった佐々木六角に造営させたもの。
その後、数回修復されています。 -
拝殿。
舞いなどを奉納していたのでしょうか、、。 -
例祭について。
信長のころからの祭もあります。 -
本殿。
八幡大神を祀ります。
991年に勅願により宇佐の神を勧請して創建されたそうです。
数回にわたり改修が行われています。 -
摂末社も沢山ありました。
岩戸神社、天満宮、宮比・子安神社、などなど。 -
凛とした雰囲気のある神社でした。
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楼門は、近江の守護職の佐々木六角が造営。
左甚五郎の彫刻があるそうです。
その後焼失していますが、再建。
四方に彫刻の猿がいるようです、、、 -
木造の明神鳥居。
1616年の造営だそうです。こちらも、その後、数回修復されています。 -
近くに和菓子の「たねや」もあります。
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近江八幡の地図がありました。
歴史の街並み、、楽しみです。 -
イチオシ
水郷の風景が本当にきれい!!
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イチオシ
なんとも風情のある風景です。
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夫が、この風景は、時代劇に出てくる〜と興奮していました。←時代劇好き。
あとで、聞きましたら、やはり水戸黄門などの時代劇のロケがあったようです。 -
ちょっと、橋から下におりてみました。
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イチオシ
川べり歩けます。
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日牟禮八幡宮の近くにあるレトロな建物、白雲館。
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明治10年に八幡東学校として建てられ、その後、役所や信用金庫などに使われました。
いまは、観光案内所にもなっています。 -
登録有形文化財。
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中に入ってみます。
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入口もどこか、学校の雰囲気。
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中には、近江八幡の観光パンフレットもありました。
近江八幡を歩くとき、まず、こちらで情報をgetするのもよいかも、、。 -
二階は近江商人についての資料展示があるそうで、行ってみます。
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近江商人、豪商達の紹介。
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近江商人の特徴を紹介。
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二階もレトロな雰囲気でしたよ~。
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窓から、日牟禮八幡宮の鳥居が見えます。
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町中には、こんな駒札があちこちにあります。
鍛冶屋さんが集まったところもありました。 -
近江八幡は豊臣秀次が城下町を築いて以来、商業が発達し、近江商人が生まれてました。
秀次が統治したのは1585年から1690年の短い期間ですが、整然とした碁盤の目のように城下町を建設し、織田信長の安土城下の人々は、八幡城下に移されています。 -
新町の説明駒札。
安土城下の新町をこちらの八幡に移したようです。
このあたりには、多くの豪商の家々があります。 -
大きなお屋敷。
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旧伴家住宅の説明。
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小学校や役場にも使われてきた建物だそうです。
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中を見学できるようです。
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近江八幡市立郷土資料館があります。
こちらの建物もヴォーリズの建築のひとつ。 -
近江商人の発祥の地。
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街道だった道も。
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郷土資料館の前の道、朝鮮街道といわれ、朝鮮通信使が利用していた道だそうです。
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町の人々が歓迎したそうです。
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社があったことからつけられた町名。
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江戸時代から明治にかけての商家が立ち並びます。
静かな通り。 -
豪商 森五郎兵衛邸。
こちらは非公開。
麻布から呉服などを手掛けた商人。 -
説明板。
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可愛い。
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お店もあります。
布屋さんかな? -
整然と並ぶ、商家。
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こちらは旧西川家住宅。
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公開されているようでした。
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西川家は蚊帳や畳表の商いをして栄えました。
見学できるのは1706年、三代目の時に建てられたものだそうです。 -
今は静かですが、当時はにぎやかな人々の往来があったところですよね。
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蔵もお洒落ですよね~。
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窓の様子が面白いです。
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道路を挟んで、さらに、八幡堀のほうへ歩きます。
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お地蔵さんのお堂があり、
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お洒落なコーヒーのお店も。
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またも、八幡堀へ。
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船着場がありました。
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和食のお店もありました。
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排水の設備も豊臣秀次の時代から、、、
とても計画性に富んだ城下町作りを目指していたのですね~。 -
日牟禮八幡宮の境内は広く、このあたりも境内だったそう。
門前町のよう。 -
近江八幡の説明板。
碁盤の目のような商家群。 -
水郷の街、、この風景には癒されました。
時間がゆっくり流れていきます。 -
宮内町という名前も。
秀次の時代には多くの武家屋敷があったそうです。
このあたりも、日牟禮八幡宮の領地。 -
豊年橋の下に行ってみます。
日牟禮八幡宮から川にかかる橋。 -
新緑の季節も綺麗ですね~。
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こんな資料館もありましたよ。
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寝具の西川、、創業が1587年。
歴史のある会社ですね。 -
おみやげ物やレストランもある、細い道を通り抜けて、
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八幡堀へも降りれます。
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イチオシ
もうひとつ、ヴォーリズ関連の資料館へ。
その前に、ヴォーリズと少女の像がありました。 -
ヴォ―リズについて。
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1880年生まれ。
カンザス州のレブンワースが故郷。 -
近江八幡とは兄弟都市提携。
レブンワースは開拓の街なんですね~。 -
近江兄弟社 メンタームの会社があります。
1階に資料室があります。 -
説明がありますが、
ヴォーリズが英語教師に赴任して、放課後にここで、バイブルクラスを設けて、「神の国」に向けての理想が膨らんでいきます。
教師の職を追われてからも、建築や医療、福祉へとその理想は実現されていきます。 -
会社の一画が資料室になっています。
ヴォーリズはわずか2年で英語教師の職を追われますが、
1910年に村田幸一郎や吉田悦蔵と「ヴォーリズ合名会社」を設立し、それが現在の近江兄弟社となります。
アメリカのメンソレータムの創業者のハイドから日本での販売権を与えられ、
メンソレータムの販売事業を始めます。
その後、1974年には経営難に陥り、メンソレータムの販売権をロート製薬が取得します。
自主再建を試み、大鵬薬品工業からの援助もあり、以前からメンタームの商標登録をしてあったことから、メンタームの製品として、リップクリームや日焼け止めなどの製品を製造、販売しています。
ヴォ―リズの精神を受け継ぎ、地域への献金などの貢献を行っている会社です。 -
ヴォーリズと関わりの人々や事業、信仰など、
近江八幡でのヴォーリズの人となりが理解できます。 -
生い立ち。
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ヴォーリズを支えた人々と。
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日本で暮らしている間には、戦争もありました。
苦労や苦悩が多かったと思いました。 -
幼いころの写真も。
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1941年に第二次世界大戦がはじまり、そのころ満喜子夫人と入籍、名前も日本名に。
そこには、強い決意があります。
教師の職を追われたときに、本来ならその地を去るかもしれませんが、
彼は近江八幡にとどまり、キリスト教の伝道をはじめ、建築の事業、教育や医療、福祉へと邁進していきます。
このメンソレータムの事業もアメリカのハイドから日本の販売権を与えられます。
彼を取り巻く人々の協力や理解が途方もなく大きかった、、これはヴォ―リズの人柄によるものが大きかったと感じました。 -
近江兄弟社がメンソレータムの事業をしていたころには、こんなに沢山の類似品があったそう。
びっくりです。 -
メンソレータムの時代から、現在は、メンタームに。
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メンソレータムのマークは女の子でしたが、メンタームは男の子。
こちらも、可愛いですね。 -
小さな資料室ですが、歴史がよくわかりました。
無料で開放されています。 -
時間をみて、もう少し観光ができそうなので、安土の方へ向かいます。
その途中あった、地域の野菜などの直売所 きてかーなへ。 -
もう時間が遅かったのか、野菜もかなり少なくなっていました。
こういうところは、早い時間に行かなければ、、 -
蕨などの山菜がありました。
ハーブも。
結局、夫は近江牛を買い、私は卵やネギなどを購入。
卵も新鮮でとても美味しかったです。 -
ヴォーリズ学園の前も通ってパチリ。
こちらも美しい建物でした。
近江八幡~また、ゆっくり行きたいです。
本当に素敵な街並みでした。
時間が早いので、夫の希望で、安土へ向かいます。
安土城跡や博物館見学に続きます。
最後までお読みいただいて、ありがとうございます。^^
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この旅行記へのコメント (2)
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- sukecoさん 2024/05/10 11:44:24
- メンソレータムとメンターム!!
- Reiseさん、こんにちは!
メンソレータムとメンターム、違いを分かっていませんでしたー(汗)。
緑のパッケージに子供という意識で、どれも同じものだと・・・。
よーく見ると、メンソレータムは女の子、メンタームは男の子。
それに、ロートと近江兄弟社とは。。。
しっかり商品を見たことがなかったようです(笑)。
私はメンタームも、メンソレータムと言っていました。
今度薬局に行ったときにチェックしてみようと思います♪。
近江八幡は、風情があって素敵な町ですね~。
時代劇、わかる気がします!!!。
散策もよし、船に乗って観光もよさそうですね♪。
sukeco
- hijunoさん からの返信 2024/05/11 04:59:47
- 私も違いがわかっていなかったのです。^^;
- sukecoさん,
お便りありがとうございます。^^
いつも丁寧に読んでもらって、ありがとうございます。
そうなんですよー!!
メンソレータムとメンタームの違い、、、私もまったく気が付いておりませんでした。
よく見ましたら、パッケージの絵が全く違うではありませんか!
しかも、なぜ、そのようになっているのか、その経緯も今回やっとわかりました。
近江兄弟社が日本で売り出したメンソレータムも、販売権を失ったこともとても残念ですが、そこには別の道が用意されていて、また、そんなときに、会社を立て直すために、大鵬薬品が手を差し伸べてくれて、その恩はずっと今も忘れていないことがよくわかりました。
近江兄弟社が再建され、ヴォーリズの精神が引き継がれていて、良かったです。
メンターム、、私は使ったことがないのですが、リップクリームや日焼け止めがあるそうですね。
今度、薬局でよくみてみたいとおもいました。
おっしゃるとおり、近江八幡って、素敵な街ですよね〜。
時間がとてもゆっくり流れていました。
船にもいつか乗ってみたいとおもいます。
あの八幡堀の風景も、癒されました。
また、行きたい場所の一つです。
Reise
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